1994/10/22 - 1994/10/28
5位(同エリア9件中)
北風さん
中国北部を西へ、内陸部へ移動するごとに、人々の顔が、文化が、宗教が変わっていく。
繁栄の兆しを見せている沿岸部とは全く違った中国が、少しずつ少しずつ黄砂の彼方に現れ始めた。
中国って、漢民族だけでは語れないんだ・・・
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旅日記
『西寧へ行くはずだった・・・』
西寧行きの列車は、さっきまでは快調に走っていた。
しかし、この駅に停車してからは全く動こうともしない。
「これだから中国は・・・」と、いつもの様にぼやいていると、窓の外から車掌が手招きしていた。
「降りろ」と言っている。
何故だろう?
ここで車両入れ替えでもするのだろうか?
不安になり、時刻表をもう一度確かめてみると、小さく「西寧行き 隔週」と書いてあった。
なんてこった!
この列車はここが終点だ!
切符を買うのにも、もの凄い労力を強いられるこの国で、今回は切符の書き換えを頼み込まなければならないのか!
あの虫歯に悩むライオンの様に、気の短い漢民族相手に、そんな芸当が出来るのだろうか?
こんな所で停滞するわけにはいかない。
考えただけでうんざりしてくる気持ちを、ありったけの空元気で奮い起こす。
俺は、チケットオフィスの扉を叩いた。 -
<蘭州(ランジョウ)>
本当なら観光などするはず無かった蘭州だが、どうにか切符の書き換えにも成功し、列車の乗り継ぎに時間があったので、ぶらっと黄河まで歩いてみた。 -
黄河は汚い。
まぁ、上流の黄色土が流れて濁った川だから、その名が付いたわけだから仕方ないかもしれない。
この中国内陸部では、黄河はそれほど大きいものではなかった。 -
<西寧(シーニン)>
青海省の省都である西寧は、チベッタン、回教徒が多く、とても中国とは思えないアラブ的な雰囲気が混ざっていた。
砂漠からの冷たい風を防いでいると言う山を背後に、街は大きな広がりを見せている。 -
内陸部の貧しい農村をイメージしていたのだが、街角には色とりどりのスパイスやら食べ物が山積に!
-
道行く人は漢民族とは全く違う服装に見を包み、イスラム教のコーランの祈りが何処からとも無く聞こえてくる。
そして、この街は食料で溢れていた。
街頭には、いろいろなスパイスを詰めた袋が並び、野菜が山積みされている。 -
食堂の奥では、本場の手打ちラーメンを作っていた。
手品のように、見る見るうちに麺が延びていく。
が、しかし、中国の麺は日本のラーメンとは全く違い、俺の舌では美味に感じなかった。 -
回教徒のおばちゃんは、炎天下の中、頭からすっぽりと頭巾をかぶって、怪しげな肉をソーセージに仕上げていた。
一見、ホラー映画に出てきそうなおばちゃんだが、この屋台のヨーグルトは本当に美味かった。
最初、ヨーグルトを頼んだ時、日陰にラップをかけたどんぶりを指差された時は食中毒を覚悟したが、本当に混ざり物なしのヨーグルトはこんなに美味い物だと教えられた。 -
西寧に朝が来る。
巨大な水牛の頭部を、幾つも乗せたリヤカーが、市場に急ぐ。
うーん、ホラー映画のワン・シーンでも充分使えそうな光景だ。 -
<格霧木(ガアルムー)>
とうとう、ガアルムー(ゴルムド)に到着!
西寧からの列車では、女車掌にいじわるされて、300元(4200円)もの罰金を要求され、あわやぶん殴るところだったが、周りの中国人が間に入ってどうにか事なきを得た。
チベットへ行く予定が無ければ、こんな内陸部の外れに来るつもりは無かったのだが、チベット行きのバスが出るのはここしかない。
とにかく、3週間で中国大陸を走り回った疲れを少しでも取りたい。
どうか、夜はホテルの暖房がちゃんと動いてくれますように! -
観光とは縁の無いこの街で、やる事といったら、何故か歩道に並べられているビリヤードだった。
ドイツ人のトーマスと朝から晩まで突いて過ごす。
ホテルで同室のトーマスは、身長190cm、体重100kgの大型ドイツ人だった。
自称料理人のこのトーマス、なんと、旅行にオーストラリアの民族楽器「ジュジュリドゥ」を持ち歩いていた。
さすが、中国の外れまで旅する旅行者は、変わっている。
(俺もその一人なのだが) -
夜、ホテルのウェートレスと派手な口げんかをしたトーマスが、いきなり窓に絵を描きだした。
腹いせにしては、巨漢の割りに芸が細かい。
それよりも、楽器はもとより、絵の具まで持ち歩いていたとは! -
<格霧木のマーケットにて>
この街のマーケットは、びっくりするほど物が溢れていた。
おまけに、どう見ても漢民族には見えない国籍不明の人々も溢れている。
どうやら、この街はチベットとの交易の拠点として、物が集まっているらしい。
中国と言うと、漢民族の国というイメージがあったが、内陸部に入るにつれ、アラブ、モンゴロイド系の人種が増えてきた。
改めてこの国の大きさを実感する。 -
エスキモーの様な帽子や、派手な帽子をかぶった一団が、集団で値段交渉をしていた。
どてらのような分厚い上着の片袖を、遠山の金さん張りにはだけて、片袖を通しただけで着込んでいる。
エキサイトして、脱いでいるんだろうか?
後日、これがチベットの人々の民族衣装であると知る。 -
内陸部に入るにしたがって増えていく物に、「寒さ」と「スパイス」があった。
こんな寒さの厳しい所で何故と思う程、色とりどりの
スパイスが並んでいる。 -
そして、同じくびっくりするぐらいに食料が溢れていた。
肉はもちろん、にわとり、魚、人間のサイズぐらいの動物の脳みそ、なんとイカまであった。
イカはどう考えても川にはいない。
ここから海までどう見積もっても5000kmはある。
一体どうやって運んできたんだろう?
標高3000mの市場で横たわっている海の幸は、妙に
つやつやしていた。 -
旅日記
『防寒対策』
ホテルの部屋では、部屋の隅に設置してある年老いたヒーターが、次第に低下していく室温に一生懸命抵抗していた。
しかし、寒い!
あんな小さなヒーターでは話にならない。
隣で寝転んでいる、巨漢トーマスのむさい熱気の方が、部屋を暖めている気がする。
朝から俺は、軽い頭痛を覚えていた。
風邪を引いたんだろうか?
同室のイギリス人に症状を話すと、「高山病」の初期症状だと説明された。
確かに標高3000mのこの街は、既に富士山と同じ高さに位置していた。
おまけに寒さが高山病を加速させるらしい。
西へ向かうにつれ、一日毎に寒さが募る。
よく考えると、これまで冬を迎えた国は、ニュージーランドしかなかった。
あの時の防寒服はとっくに日本に送り返している。
そして、これから向かう先には、世界で一番高い山、エベレストが控えていた。
移動するに従い、標高の高さがこれ以上の寒さを呼び込む事だろう。
安く、本当に防寒性の高い服を手に入れなければならなかった。
この国でその条件に合う服は、・・・
次の日、俺は中国陸軍の軍用コートを買っていた。
さすが、実用性に徹した服だけあり暖かい。
分厚い生地の中には、綿がこれでもかと言うほど詰まっている。
多分、俺のダウンの寝袋より、分厚いのではないだろうか?
さて、準備は整った。
これから先は、南へ向かう旅になる。
南へ。 -
旅日記
『CITS(チャイナ・インフォメーション・トラベル・サービス)』
ひび割れたガラス窓から差し込むわずかな明かりの中、受付のおね-ちゃんは派手なアクションと共に吼えまくる。
額に寄せる縦皺、つり上がるピーナッツ状の瞳、目にも止まらぬスピードで動く舌、飛び散る唾、
この中国旅行では、うんざりするほど見てきた光景だ。
何故、中国の女性はこれほど激し易いのだろう?
以前、中国女性は「眠れる獅子」だと聞いた事があったが、これじゃ、常時戦闘態勢のライオンだ。
村の役場みたいなお粗末なCITSのオフィスでこのライオンに襲われているのは、チベット行きの許可証を尋ねに来たドイツ人のトーマスだった。
トーマスの後方5mに俺がいる。何故なら、俺も同じ質問をしに来たのだから。
ライオンを眠りから覚ました言葉は、唯一つの質問「何故、チベットに行くのに許可証が要るんだ?」だった。
それからというもの、身長190cm、体重100kgのトーマスの巨漢をものともせず、ライオンは
「とにかく許可証がいる。8500円払え」
の一点張りで吼えまくっている。
バス代を含めて、10000円!地元の人間が支払う1000円に比べれば、なんと10倍だ!
北京中央政府が、許可証不要の告知を出した事を知らないのだろうか?
まぁ、知っていても、この国では旅行者に対して知らないふりをするのが通常だが。
次第にトーマスの身体が小さくなっていくように見える。
どうやら、奴もこの国の人間とまともな会話ができる
可能性を放棄しつつあるらしい。
1994年10月28日、俺達は便所紙にスタンプされたような紙切れに10000円もの大金を支払った。
さぁ、結果はどうあれ、南へ!
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