1994/10/29 - 1994/10/30
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北風さん
1994年10月29日 とうとう、中国のゴルムドから秘境チベット(西蔵)行きのバスに乗り込んだ!
歴史上チベットは独立国家だったが、現状では中国が占領し、中国の領地になっている。
当然、チベットに行くにも中国内の移動になるので、通常バスに乗りさえすればいいのだが・・・
そこは社会主義国だけあり、チベットは「特別自治区」なる名前で未だに許可証が要るとの事。
しかも、未だに独立運動を警戒して、そのルートには検問所が何箇所も敷かれているらしい。
陸路での大陸横断をする為には、この後、エベレストの横を抜けてネパールに下らねばならない。
が、しかし、中国とネパールの関係が揺れ動く今日この頃、果たしてネパールに入国できるだろうか?
もし出来なければ、ここまで戻って、三蔵法師の様にガンダーラ(はるか遠くのパキスタン国境)を目指さねばならない。
はるか昔のシルクロード商人のルートをくまなくたどるかもしれないのだったら、このままおとなしくガンダーラを目指した方が・・・
うーん、チベット行きは、たかだか一泊二日のバス旅行なのだけど、この一歩はこれからの大陸横断ルートを左右する重大な岐路でもあった。
ミラクル中国、
しかも緊張感でピリピリしている中国軍、
行く手には世界一高いエベレストが立ち塞がるロケーション、
頭の中で騒ぎ出した「もし〜」「〜たら」「〜れば」を抑えつけて、1994年10月29日 とうとう、中国のゴルムドから秘境チベット(西蔵)行きのバスに乗り込んだ!
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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1994年10月29日現在、独立国家だったチベットは中国の領地になっている。
当然チベットに行くにも、CITSという中国の観光会社を通して許可証やらバスチケットを購入しなければならないらしい。
陸路で大陸横断をする俺の計画では、この後、エベレストの横を抜けてネパールに下らねばならない。
が、しかし、中国とネパールの関係が揺れ動く今日この頃、果たしてネパールに入国できるだろうか?
もし、出来なければ、ここまで戻って三蔵法師の様にガンダーラ(はるか遠くのパキスタン国境)を目指さねばならない。
はるか昔のシルクロード商人のルートをくまなくたどるかもしれないのだったら、このままおとなしくガンダーラを目指した方が・・
なかなか、重大な決断だった。
果たして、なんでもありのこの中国、しかも行く手には世界一高いエベレストが立ち塞がるロケーション、
どうなる事やら? -
旅日記
「CITS(チャイナ・インフォメーション・トラベル・サービス)」
ひび割れたガラス窓から差し込むわずかな明かりの中、受付のおね-ちゃんは派手なアクションと共に吼えまくっていた。
額に寄せる縦皺、
つり上がるピーナッツ状の瞳、
目にも止まらぬスピードで動く舌、
飛び散る唾、
この中国旅行では、うんざりするほど見てきた光景だ。
何故、中国の女性はこれほど激し易いのだろう?
以前、中国女性は「眠れる獅子」だと聞いた事があったが、これじゃ常時戦闘態勢のライオンだ。
村の役場みたいなお粗末なCITSのオフィスでこのライオンに襲われているのは、チベット行きの許可証を尋ねに来たドイツ人のトーマスだった。
トーマスの後方5mに俺がいる。何故なら俺も同じ質問をしに来たのだから。
ライオンを眠りから覚ました言葉は、唯一つの質問「何故、チベットに行くのに許可証が要るんだ?」だった。
それからというもの、身長190cm、体重100kgのトーマスの巨漢をものともせず、ライオンは
「とにかく許可証がいる。8500円払え」
の一点張りで吼えまくっている。
バス代を含めて、10000円!地元の人間が支払う1000円に比べれば、なんと10倍だ!
北京中央政府が、許可証不要の告知を出した事を知らないのだろうか?
まぁ、知っていても、この国では旅行者に対して知らないふりをするのが通常だが。
次第にトーマスの身体が小さくなっていくように見える。
どうやら、奴もこの国の人間とまともな会話ができる
可能性を放棄しつつあるらしい。 -
1994年10月28日、
俺達は便所紙にスタンプされたような紙切れに10000円もの大金を支払った。 -
乗客を120%満載したチャイナ・バスは、珍しく故障もせずチベット高原を突っ走る。
窓の外には、360度見渡される荒野が果てしもなく続いていた。
そして、バスの中では高周波の塊の様な中国ロックがフルボリュームで鳴り響く。 -
すれ違う車がほとんどいないのは、どういう事だろう?
標高が高い為、空気が薄く、北海道の冬ぐらい寒いこの高原で、もし車がエンコでもしたら、とても夜を越せやしない気がする。 -
バスは2〜3時間おきに、検問所で停止を命じられた。
噂どうりの厳戒態勢だ。
マシンガンを抱えた中国陸軍の兵隊が、どかどかと車内に乗り込んでくる。
その度に提示を要求されるのが、パスポートと、CITS発行のチベット入国許可証。
大枚をはたいて購入したこの許可証。
意外と役に立っている。 -
空気が薄い所では、色が鮮やかに見えるとは本当の事らしい。
今まで見た事がない程、空の青が深く見える。
検問所がある所には、村と呼ぶにはあまりにも寂しい数の掘建て小屋が寄り添いあって並んでいた。
肌を突き刺すような風と、世界の屋根と呼ばれる山脈以外何もないこの高原でも人は生き抜いていけるらしい。 -
バスは検問所以外でも、2時間おきぐらいに停止した。
人間の生理的要求、「トイレ休憩」だ。 -
抜けるような青空の下、、遠くに雪を頂くヒマラヤを眺めて何処までも続く高原に両足を踏ん張って立つ。
俺はこれほど爽快な立ちションベンを未だかってした事がない。 -
チベット高原に夕陽が落ちようとする頃、バスは道路を移動する黒い塊の前で急停止した。
道幅一杯に広がる牛の群れだ。
360度どこを通っても誰にも何も言われないだろうこの環境で、何故かアスファルトの上をはみ出しもせずこちらに近づいてきた。
牛の群れの向こうには、夕陽に照らし出された街が霞んで見える。
驚いた事にかなりの大きな街だ。
ここは何処なんだろう?
中国バスに当然英語を喋れる中国人など乗っているはずもなく、誰に聞きようもない。
普通なら、途中下車してあの街で宿探しでもしたい所だが、またチケットを買う羽目になると、いくらぼったくられるか見当もつかない。
この国では、選択ミスが即出費につながる。 -
旅日記
「チベット高原の夜」
高原を赤く染め上げる事に満足した太陽は、そそくさと地平線の彼方へ帰って行った。
途端に、外気温がぐんと下がってくる。
ひび割れたフロントガラスから猛烈な勢いで寒さが吹き込んできた。
このバスは、不思議な構造になっていた。
通常、車の底に取り付けられている排気管が、なんと、車内のど真ん中を最後部まで延びている。
当然、バスの中での移動の際に非常に邪魔だった。
しかも、熱い!俺のバッグが焦げてしまったほどに。
しかし、車内の気温が見る見るうちに下がってきた現在、この不思議なレイアウトの意味がわかってきた。
これは、暖房装置の役割を果たしているらしい。
いまいち、効果が薄い気はするが・・
ただでさえ薄い空気と寒さとの間で、うっかりすると冬眠しそうになる誘惑と必死に戦い始めた頃、いきなりものすごい振動が車内を襲った。
フロントガラス越しに、薄暗いヘッドライトが照らし出す地面には、道が消えていた。
つまり、ここから先は未舗装の道と言う事か?
この揺れじゃ確かに眠らずにはすみそうだが、背骨が折れる前に目的地に到着できるだろうか?
交代要員のドライバーが懐から懐中時計のような物を取り出して、しきりにドライバーと話し出す。
懐中電灯の中に浮かびあがったその金属の塊は、なんと「コンパス」だった。
確かに道路が消えた今、進路を表示してくれる道路標識自体、この先見つけられる可能性はない。
いつしか、バスはコンパスと星を頼りに標高2000m以上の海原に漕ぎ出していた。 -
・・静かだ。
誰しも不安で声も出ない。
窓の外では、何処までも続くチベット高原が月明かりに
照らし出されている。
状況さえ考えなければ、素晴らしい光景と言えるだろう。
まるで夢のようだ。
いや、夢であって欲しいのだけど・・
バスのエンジンが咳き込みだしたのは、30分程前だった。
ドライバーがブレーキペダルを蹴りこむ。
辺り一面に土煙をあげながらバスがどうにか停止すると同時に、エンジンはガコ、ガコと軋みながら眠りについた。
吐く息が白くなるこの車内で、唯一の暖房器具であった排気管が急速に冷えていく。
薄い空気、凍えるほどの寒さ、360度人工物が見当たらない荒野、この状況は一般に「遭難」と呼ばれるのではないだろうか?
あれほど騒がしかった中国人乗客達がひっそりと黙り込んでいる。
静寂を破ったのは、ドライバーがエンジンフードを開けるけたたましい金属音だった。
懐中電灯を片手になにやら分解を始めている。
あの手に持っている針状のものは、キャブレターのメインジェットみたいだ。
この瞬間、エンジンが止まった理由がわかった。
バスは、通常のセッティングでは間に合わない程の高度に達したらしい。
標高が上がるにつれ空気が薄くなった為、エンジンに入る空気の量が減少してエンストしたわけか!
それで、空気の量を調節するメインジェット自体を交換するらしい。
旅行中、バスの故障はうんざりするほど味わったが、激変する環境に合わせて移動中に部品交換するバスは初めてだった。
果たして、無事に目的地に着く事が出来るのだろうか?
「無謀」とは、生きて帰れなかった「冒険」の事であると、誰かが行った言葉を思い出す。
寒さは既に、分厚く着込んだ体の芯にまで忍び込んできていた。 -
旅日記
「高山病」
部品交換をしたバスは、何事も無かったかのように、薄暗闇のチベット高原を突っ走る。
中国陸軍払い下げの分厚いコートにくるまっていても、凍てつく寒さは容赦なく忍び込んできている。
ブーツの中の足先がじんじんと痛みを伝えてきた。
どうやら軽い凍傷が始まったらしい。
もはや、窓の外の景色も白くぼんやりとしか見る事が出来なかった。
これほど冷え切った車内以上に外気温は下がっているらしく、本来窓の外に張り付くはずの霜が、内側に張り付き始めたからだ。
多分室温も氷点下になっているのだろう。
あれほど騒がしかった中国人がひっそりと黙り込み始めた。まるで何かの前兆のように。
そして、それはやって来た。
腕時計の針が12時を指す頃、突然頭痛が襲われる。
時を追う毎に、まるで誰かが脳みそに針をねじ込んでいる様な激痛が頭を突き抜ける。
こんな頭痛は今まで味わった事も無かった。
おもわず、頭を抱えてうずくまる。
まわりの乗客も、ほとんどが同じ格好で息を潜め出した。
バスは既に標高5000mを越えて走っていた。
わずか10時間で3000mも登った計算になる。
つまり、これが急性高山病と呼ばれる物らしい。
極度に薄くなった空気を少しでも多く送り込もうと勝手に暴走する心臓、まるで全力疾走しているかのように息があがる。
急激な大気圧の変化に体内圧力が適応できず、腹はパンパンに膨れ上がり吐き気が止まらない。
そして、二日酔いの頭を乾燥機に放り込まれたような頭痛、いや、これは脳痛といった方が正しいかもしれない。
体が高度順応できずに一斉に悲鳴をあげていた。
これほどの苦痛は初めてだった。
座っている事も出来ず、身体がバスの床に倒れこむのがスローモーションの様に感じられる。
中国バス特有の、痰や、鼻水、ゴミが巻き散らかされた汚物まみれの床の上に投げ出された自分の腕が見えた。
身体が自然と、手足を縮め背を丸め始める。
俺は今、胎児の格好になっているのか?
生まれて初めて味わう激痛から守ってもらえるものを探しながら・・ -
旅日記
「ダメージ」
頭が痛い、頭が痛い、頭が痛い!
チベット行きの殺人バスは、昼過ぎにやっと目的地「ラサ」に到着した。
しかし、夜中の12時過ぎから続いている頭痛、吐き気、呼吸困難は全く治まる気配を見せなかった。
脳みそに突き刺さる痛みの中、バスから転げ落ちると、既に回復していた地元の中国人が一斉に笑い転げる。
これほど激しい怒りを感じたのは久しぶりだった。
人が死にかけているのを見て笑い転げる民族に対して、心の底から嫌悪感が湧いてくる。
が、しかし、まともに身体が動かない。
あまりにひどい頭痛に顔が上げられない。
どうにか回復した同行のドイツ人トーマスの肩を借りた所までは覚えているが、その後気がつくと、どこかのホテルの部屋で頭を抱えてうずくまる俺がいた。
ベッドに座っていた。
夢にまで見たベッドだった。
とにかくバスを降りた事で、激しい振動と寒さからは逃れる事が出来たようだ。
遠くでトーマスが横になれと言っているのが聞こえてくる。
言われるまでもなく、身体を横たえようとした瞬間、ものすごい吐き気に襲われた。
次に記憶に残っている場面はトイレが舞台だった。
ほとんど何も入っていない胃が痙攣している。
もはや吐く物など何も無いはずなのに、胃液が後から後からこみ上げてくる。
びくつく胃壁の一つ一つの痙攣がダイレクトに頭に突き刺さる。
なんて事だ!
本当になんて事なんだ!
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