2008/11/10 - 2008/11/18
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Hidechanさん
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最も古いアラビヤの文化を残しているイエーメンに行ってきました。
私は今までの旅行でイスラムの文化には触れたことがありますが、アラブの文化にはまだ会ったことはありませんでした。どうせなら出来るだけ中世アラブり香りが残っている地域にと、イエメンを訪れることとしました。
まだまだ危険な地域も残っているイエメン、旅の途中2日間は機関銃を持った警官5人の護衛を受ける場面も有りましたが無事に旅を終えることが出来ました。
帰国後半年も過ぎたある日テレビのニュースを見ていると、イエーメンで韓国人の観光客が自爆テロで死亡したと伝えています。
事件現場に写っている場所はまさに私が半年前に夕暮れに浮かび上がるシバムの建物群を夢中に撮影していたあの場所です。
一昨年の旅でも帰国半年後に、私が歩き回っていたチベットのラサでも暴動が起きました。今のところ帰国後に何らかの事件が起きていますが、旅行中に現場に遭遇しないように祈っています。
イエメンの旅行記は、旅の先々で見た風景などを(その1)とし、旅で出会った人々(その2)と、人々の暮らしを(その3)として写真を上げる事とします。続編(その2)と(その3)もよろしく。
写真は『風雲急を告げるアデン湾の朝焼け』ここの沖合がソマリ海賊が跋扈する海です。
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- カタール航空
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旅の日程。
今回の旅行は、旅行会社主催のツアーでの参加でした。参加者15名、添乗員の1名の計16名でした。
2008年11月10日18時、新千歳−関空、23時、関空発
11日 カタール(ドーハ)−イエメン(サナア着)
12日 サナア
13日 サナア−セイユーン
14日 セイユーン−ムッカラ
15日 ムッカラ−アデーン−タイズ
16日 タイズ−サナア
17日 サナア−カタール(ドーハ)
18日 ドーハ−関空−新千歳
関空からカタール航空でカタールのドーハ経由でイエメンの首都サナアに入りました。 -
ホテルで昼食後サナア近郊のワディ、ダハールを訪れた。岩山の上にそびえるロックハウスを見て回った。
首都サナアに郊外から入る幹線道路にはチェックポストがあり車を止めて検査をしている。特に郊外から市内に入る車はことのほか厳重に検査される。
いったん市内をはずれ郊外に出ると肩に機関銃(カラシニコフAK47)をかけた人々が普通に見られる。市内には銃器の持ち込みは禁止されている。このチェックポストに停まっているトヨタの四輪小型トラックの荷台には機関銃が設置されいた。黒い布で覆われているのが機関銃。 -
首都サナアの空港ターミナルビル。カタールのドーハで乗り換え午前11時にサナア空港に到着した。ここから市内まで約30Kmである。
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首都サナアの北西15Kmに有るワディ、ダハール。乾いた赤茶色の岩山に囲まれた小さな盆地は緑にあふれ、周囲の山の上から見るとみずみずしいオアシスの様だった。
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ワディ、ダハールの一番の見所、ロックパレス。
1930年代にイエメンを支配していたイマーム、Iman Yahyaの夏の別荘だったところ、現在は政府の所有となっている。 -
ロックパレスを下から見たところ。
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ロックパレス内の部屋。
ロックパレスは入場料を払えば見学することが出来る。中にはいるとイエメン建築の構造、そして半月窓(カマリア)等を見ることが出来る、内部は真っ白な漆喰で塗り固められており非常に美しい。我々が個々を訪問した日は火曜日だったが、金曜日(イスラム教徒の安息日)には多くのイエメン人がここを訪れ、ジャンビアダンスが見られるそうだ。
ただこの建物の内部を見学するには沢山の階段を上り下りしなければならず標高が高いので(標高2,400m)結構息切れする。
この最上階の部屋では男達がカートパーティーなどで楽しんでいたのであろう。 -
夕方少し前にワディ、ダハールからサナア市内に戻り旧市街を訪れた。中世のアラブ文化が色濃く残っているこの地域は1986年にユネスコの世界遺産に登録されている。
サヌはイエメンの首都、この都市人口は周辺地域も含めて約100万。『人類の住み続けて居る最古の町』がキャッチフレーズでもある大変歴史のある町である。もっとも、歴史的史料からサヌアの名前が確認できるのは紀元2〜世紀である。街の中心部に有る旧市街にイエメン門(バーハル、ヤマン)から入るとアラビアンナイトの世界に入り込んだ錯覚に陥る。真っ黒いベールで隠された女達、半月刀ジャンビアをつけた男達、スパイスの香りが漂い太陽か落ち出す夕方には大音響のアザーンがあちこちそびえ立つミナレットから一斉に響き渡る。 -
この古い町には高層建築が乱立しており、狭い路地に入り込むと迷子になりそうだ。ここサヌアの建物には石造りの物が多い。他の地域ではひぼしレンガでたてられた物が多い。建物の窓は白い漆喰で化粧さていて、窓の上部には半月状のステンドグラスの窓が有る。部屋の中は真っ白い漆喰が塗られていて、ステンドグラスから差し込む光はたいへん美しい。
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イエメンの高層建築の建物の典型的な内部。今では都市部では内部が改良されてこの様な使用でない物も多くなってきてはいる゛、他の地域での建物はおおむねこの様に使われている。1階部の入り口は小さくて頑丈な木製のドアとなっていて、内部から閂でロックされている。ドアのそばにはひもがぶら下がっており、訪れた人がこのひもを引くと、上部の居住部の部屋で鈴が鳴る、居住者は窓から下の人を見て確認してからドアの閂をはずして客人を家に入れる。1階、2階部には外部に開いた窓は無いか、有っても非常に小さな物しかない。外部からの侵入者から完璧な形で住居者を守ることが出来る。
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サヌア旧市街ででもひときわ高い建物、今はホテルとして使われているようだ。
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首都サナアのイエメン門(バーブ.アル.ヤマン)を入った所の広場。このとき一斉にアザーンん゛流れ出した。
この広場にはまだ自分の店を持つほどの資本が内露天商が輸入物の雑貨や衣料を売っていた。 -
太陽が西に落ちてサヌアの古い街に夜の帳が訪れた。ここはアラビアンナイトの世界、シルエットが異国情緒を誘う。
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暗闇の中に照明で浮かび上がる城壁。
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サナア近郊の山岳地帯に向かう。
行く手にはアラビヤ半島で一番高い山、シュバイブ山(3,660m)が見えてきた。 -
山岳の街ハマーナに向かう道。つづれ折りの道を高度を上げていく。
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マナーハの町。このあたり、山岳地帯の町は岩山の上に作られている。多の部族民の侵入を防ぐためだ。
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ハジャラの町、岩山の上に家々が作られている。標高は2,000mを越えている。
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首都サナアから西のハドラマウトのセイユーンに飛行機で移動した、約1時間の飛行時間。
ここは空港近くアハメド、ビン、イーサ廟というスンニ派に属するシャーフィはの指導者の眠るモスクである。
異教徒である我々は門の外からの見学となった。 -
セイユーンからタリムに移動途中周りに1月前の水害の爪痕が随所に見られた。
普段は全く雨の降らないこの地方に10月に雨が降り続いた、約30時間も降り続き、水が一滴も見あたらなかった『枯れ川』が暴れ出し、甚大な被害を与えた。死者も約180名荷も及んだ。1月後のこのときは各地に国際救援隊が入っていて復旧作業中。この写真でも見られるとおり道路上には1mもの砂が覆っており重機を使ってインフラの復旧中である。 -
タリムのアルカーフ宮殿。
ここは今は博物館となっているがこの地方タリムの大富豪アルカーフの所有する家である。 -
タリムのアル、ミザール、モスクのミナレット。
高さ50mにも及ぶ東南アジア様式の四角いミナレットである。
この地方、ハデラマウト人は中世以来インド洋交易でアジアに出かけ、イスラム教を東南アジアに普及させるとともに現地で妻を娶ったりして、今でも様々なつながりがある。
ちなみにこの度の旅のイエメン人のガイドも母親がベトナム人で、ベトナム生まれであった。 -
アルカーブ宮殿の屋上から見たタリムの街並み。
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ハデラマウト地方を代表する世界遺産登録のシバームの大摩天楼群。
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シバームの城壁内で。
イエメンの女性はこの写真のような民族衣装を着ている。黒が多いいが、地方によっては柄物の衣装の物も時には見られる。一般的に南部のアデン地方ではヨーロッパ風の服装の女性も見られる -
シバームの高層建築群。
これらの建物は日干しレンガで建てられている。建物の表面は茶色い粘土で化粧されており、上層部は白い漆喰で白く塗り固められている。
日干しレンガの建物は水にとても弱いので定期的に漆喰を塗り直さないと風雨で崩壊してしまう。
最近では水道の普及で屋内で使う水の量が増え、水漏れによって建物内部からの崩壊が問題になっている。
ここを訪れた11月の1月前、10月に数年ぶりの大洪水があり日本でも報道されこの歴史的世界遺産の被害が心配されたが、城壁内部の建物には被害の痕跡は無かった。
ここの城壁前は広いグランド状の砂の広場が続いており、ここが『枯れ川』で此処のある木々に地上2m位の所まで水に流されたゴミが絡まっており、水害のすごさが見て取れた。ただこの建物群は城壁で守れており城内まで濁流は入ってこなかったようだ。 -
シバムの城壁前の枯れ川に国際救援隊のテントが多数設置されていた。
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シバムの高層建物群。
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当初首都サナアから西のハデラマウト集のセイユーンに移動してこの日はセイユーンで泊まる予定になっていたが、水害復旧のための国際救援隊が各国からこの途方に入っておりホテルは何処も満杯だったのでセイユーンとシパム間にあるホテルに宿泊することになった。
宿泊した翌朝、日の出前に起きだし砂漠の岩山から登る朝日を写真にと屋上に出てみた。
東の空が少し明るさを増した頃一斉にモスクのミナレットからアザーンが流れ出し近くの岩山に反響して、これぞアラビヤと言う状況になった。
モスクのミナレットが朝日に輝いている。 -
ハデラマウト州で、日干しレンガを作っている作業所。
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ハデラマウトの渓谷を南下してアデンへ向かう途中昼食を取ったハイラボクサン村のホテル。
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水害で舗装道路がほとんど流されている。
我々は河原の(もちろん水は一滴もない)の石原を車で移動。
予定より3時間も遅くアラビヤ海に面したムッカラの近くのシフルに倒置訳した。 -
砂漠状の台地に忽然と現れたリゾートホテル。
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アルカジール村を俯瞰する。
ハデラマウト地方は広大な砂漠地帯が延々と続きこの砂漠の中を枯れ川が所何処にに広がっている。
枯れ川は砂漠地帯を300mも削り下げ広いところでは幅数Kmもある。この枯れ川の地下には伏流水が流れ人々は此処で作物を植えて生活している。
我々はムッカラに行く途中この台地状の上の砂漠地帯に上がり南下した。途中この砂漠状の広大な土地の中に突然新しい建物群が現れた。ここは外国に出稼ぎにでて大もうけしたイエメン人が作ったリゾートホテルでであった。
このホテルの裏側にでると崖が切れ、眼下に緑の渓谷が見え、古い住居群が見えた。これがアルガジール村である。 -
高地の砂漠状の地帯を南下してアラビヤ海に近づいてきた。眼下に加礼川が見えている。川のように見えるがこの川の表面には一滴の水もない。石だらけの川原がアルのみ。
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ムッカラのホテルホリデイイン。
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朝焼けに染まるアラビヤ海。
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この地イエメンでは異教徒はモスク内に入ることは許されない。ここは修復中のモスクだったので見学を許された。アデンにて。
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アデンで、岩山を利用して段々になるように作られたアデンタンクと呼ばれる貯水池。
事故があり今は使われていない。 -
アデン港。
この港は古い歴史を持ち、古くは大変に栄えた港である。
明治時代、日本が鎖国を解いて世界と交流を始めた時代、日本からヨーロッパに向かう船は必ずこのアデン港に寄った。 -
タイズのホテルからタイズの街並みを俯瞰する。
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タイズのホテルは山の上に有った。
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岩山の上に作られたジブラ町。
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タイズの町を望む
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タイズのソフィテルホテル。
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シバムとコーカバンの双子都市の内下のシバーム。
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岩山の上に作られたコーカバン。
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し湯とサナアの新しい商店街。
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