2007/05/25 - 2007/05/30
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パルファンさん
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ノルマンディの北西の都市カーンで、仕事を終えた夫に合流する形で、林檎の花咲く頃のノルマンディに焦点を合わせ、次いで兼ねてからの希望であったプラハを後半に組み合わせた11日間の旅行。
ノルマンディの中心地カーンの街は、パリ・サン・ラザール駅より、特急で2時間。気候は海に面しているので寒暖の差は余り激しくはないが、一日晴天というのも少なく、とっても天気が移ろいやすい。
カーンの街のアパートメントに5泊したのだが、確かに、朝・昼・夜で、お天気が目まぐるしい。差し詰め天気予報は?全て言っておけばどれか当たるのだから、簡単かも・・
こういう地方に生活すると、フランス人のヴァカンス志向が南に向くのは当然と頷ける。近年、この街は、物価が安く、市内の交通の便が良いことで、アジア系の学生が非常に増えているとう。
アパートメントは、滞在型なので、各部屋ゆとりがあり、キッチン・バス・トイレも使い勝手がよい。トラムからも近く、カルフールも直ぐそば。 3人で一泊105ユーロ。
この時期、結構滞在している人が多い。車があれば、この地方一帯のドライブは日帰りで可能なのでグループなどには重宝かも。
(表紙は、小麦畑の向こうに海がみえるカーンの街はずれら)
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アベィ・オ・ゾンム(男子修道院)
ノルマン公征服王ウィリアム1世(ギヨーム公)が従妹との結婚を改悛するためとして寄進された修道院
第二次大戦では、女子修道院と共に、住民の逃げ場なっている、との情報を、連合軍が得て、爆撃を避けたため現存しているという -
現在は市庁舎で、折しも結婚式が・・
朝、ここに来るのにトラムに乗り、降りた所でつまずき捻挫。歩くのを控えるため、この前庭でスケッチ・
(旅行にはシップ剤シートが必携の年齢!) -
修道院の前のサン・テチエンヌ教会 廃墟になっている
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カーン城
男子修道院と同様ノルマン公征服王ウィリアム1世(ギヨーム公)によって17世紀に造られる
大戦で場内の主要な建造物は破壊され、今なお修復中街の中心に位置する -
城の外堀、かなり強固な二重城壁だったのがうかがえる
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サン・ピエール教会 13〜14世紀のゴシック様式の教会、彫刻が素晴らしい
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街の三分の二は第二次大戦の戦火にあい破壊されたという。ところどころ旧い壁など伺えるが、概ね再建された建物、遠方に男子修道院がみえる
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破壊を免れた昔からの石・木組みの家(現在、郵便博物館)、旧い城下街の面影を推してはかれる・・・
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狭い狭い小路 向こうに城壁あとが見えるのだが・・
殺風景な石造りの家々に、赤・緑がきいている -
メモリアル博物館
カーンの街の丘にある戦争記憶博物館というのだろうか。 雨が降り出し屋内に避難の意味合いもあって入館したのだが、結構な人、人・・ -
ミュージアムのレイアウトが目を惹く、痛ましい光景の写真もあるのだが・・
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挙国一致? これら、戦前・戦中・戦後の記録が整然と並べ立てられている
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レジスタンス組織が英・カナダ軍に海岸近くの独軍の配置情報を伝えた文書(地図)非常に細密に描かれている!
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ノルマンディ上陸作戦図をみて・・子供達の学習、でも・・どっちみてる?
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夕方、車を借りて。三日間700キロ限定で203ユーロ。(ガソリン別)
この車、マニュアル・オートマ双方可能。何とエンジンがかからず・・(スタッフが行ってしまった後)、30分弱格闘。人が寄り、中の一人がやっと起動を。
キーをまわし、足ブレーキを踏むとエンジンがかかる、とは!! -
早速、街を出、20分もするとこのカルヴァドス海岸。
日中の曇天・悪天もなんのその・・青空です!
夏には賑わうのだろうが、散歩をする人がいるけ・・ -
この時間、夜8時。 ノルマンディの典型的風景
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最後に、カーンの駅舎と街の中を活躍するトラム。坂をぐいぐい登っていくとってもスマートで頼もしい・・
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この旅行記へのコメント (5)
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- 哈桑湖さん 2010/09/17 22:45:18
- 第二次大戦の激戦地
- カーン、まだ行ったことはありませんが、戦史に興味のある人なら、知っている町です。
1944年6月に、ノルマンディーに連合軍が、上陸し、この地方の交通の要所である、カーンは激戦地となりました。
このカーンの町を防衛しているのは、17歳、18歳の少年からなる、武装親衛隊ヒトラー・ユーゲント師団でした。この少年兵たちは、物量において勝る連合軍相手に、戦闘を繰り広げ、連合軍を2か月も食い止めました。
なかなかフランスまで、しかもノルマンディーまでは、行けません。カーンの写真、有難うございました。
- パルファンさん からの返信 2010/09/18 00:51:42
- RE: 第二次大戦の激戦地
- 浦潮斯徳さん
旅行記をみて頂きありがとうございます。
> カーン、戦史に興味のある人なら、知っている町です。
映画「ノルマンディ上陸作戦」はとっても有名で、ノルマンディは知っていても
カーンの町を知る方は少ないのでは?
浦潮斯徳さんは、過去の戦争に対して一定の見解を持たれている方なので、
このカーンの町もご存知なのですね。
旅行記をさっとですが見せて頂き、戦争に心痛めていらっしゃるのを感じます。
> このカーンの町を防衛しているのは、17歳、18歳の少年からなる、武装親衛隊ヒトラー・ユーゲント師団でした。この少年兵たちは、物量において勝る連合軍相手に、戦闘を繰り広げ、連合軍を2か月も食い止めました。
連合軍側からでない、記述。 ちょっと意表をつかれたコメント!
物事を多角的にみることを教えられました〜
> しかもノルマンディーまでは、行けません。
ロシアには、頻繁にいらしてるようですが・・一つを極める性格なのですね。
では、続いて旅行記をゆっくり読ませていただきます。
これからもよろしく パルファン
- 哈桑湖さん からの返信 2010/09/19 14:09:05
- RE: 第二次大戦の激戦地
- バルファン様 早速の、ご返信有難うございます。
カーンも戦史好きな人には、よく知られている町ですが、それよりもっと有名なのが、カーン市南西のヴィレル・ボカージュ村です。
1944年6月13日に、イギリス第7機甲師団が、この町にやってきました。このイギリス戦車隊を、たった1台のティーガー(虎)戦車が、全滅させました。戦車長の名前は、ミハエル・ヴィットマン親衛隊中尉でした。このヴィレル・ボカージュの戦いで、ヴィットマンは、ヒトラーから直接叙勲され、有名な人になります。交戦国のイギリス側からも、「敵ながら、天晴れ」と。後にヴィットマンは、カナダ軍との戦闘で戦死します。
ヴィレル・ボカージュ村には現在、ヴィトマンと、イギリス第7機甲師団の戦闘のあった通りは、「1944年6月13日通り」と命名され、イギリス第7機甲師団の戦没者に対する、感謝の記念碑と、イギリス、フランス両国旗がはためいています。勿論、ここには、ドイツ国旗はありません。
しかし、当時のノルマンディーの住民たちは、連合軍の艦砲射撃や、空爆で、町を破壊され、人命や家畜を奪われ、連合軍には、少なからず恨みを抱いていました。一方、ドイツ軍に対しては、敵意は、抱いておらず、むしろ友好的だったようです。
カーンへ行く機会があったら、ヴィレル・ボカージュ村にも、行きたいです。
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- コクリコさん 2007/06/18 17:29:18
- リンゴの花咲くノルマンディー゛
- パルファンさん、
「リンゴの花咲くノルマンディー」という題名からしてすてきですね。
カーンのアパルトマンに5泊もされたのですね、羨ましいです!
カーンには行ったことがありませんが、石や木組みの古い町並みや長閑な牧草地、とても懐かしく
ぼーっと拝見していました。
麦畑と教会の尖塔、その向こうは海って素敵ですね〜うっとり。
お天気が気まぐれなのもノルマンディーですね。
男子修道院や博物館にしっかり戦争の記録が残されているのも子供たちが歴史を知る上で良いことだと思いました。
博物館の展示も悲惨な戦争の展示とはいえ、しゃれていたのでは?
11日間の旅行の始めにねん挫されたのは大変でしたね。
すぐに治りましたか?
- パルファンさん からの返信 2007/06/18 22:14:58
- RE: リンゴの花咲くノルマンディー゛
- こんばんは
あぁ、さすがコクリコさん!
あの位の写真のアップ・コメントで、例えあの辺に行かれたことが
あるとは言え、情景を思い描き文章にできるのですから〜
捻挫は、義姉がシップシートを持っていたのと、薬局に飛び込んで買った
塗り薬(何なのでしょう?炎症を抑える薬らしい)で少し収まって・・
でも、石畳を歩くのはちょっと往生。
転んだ瞬間は、痛いよりも
“プラハを歩けなかったら・・( ̄◇ ̄;)!
と、すぐ思いましたよ。
帰ってきた今も、足の着きかたによってはまだ痛いのですが・・
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