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司馬遼太郎の「坂の上の雲」を全巻読んでとても気になっていた旅順、2009年まで外国人立入禁止、2010年でも外国人の個人旅行は危険と言われていた旅順へ行ってきました。大連をベースに、一日目は台風の影響で大雨のため屋内施設のみ訪れ、お天気の回復した二日目に白玉山登山(散策)と午後からはタクシーをチャーターして定番史跡プラスαを巡ってきました。行く前は日本人が基地の街をうろうろしていて拘束されないかとちょっとだけ心配でしたが、結果として軍港周辺はピリピリ感がありましたが概して観光地化されてきており外国人の一人旅でも大丈夫のようです。<br />念願の旅順口、数々の堡塁跡、爾霊山(203高地)を訪れることができ、ちょっとだけ中国語の修行にもなりました。<br /><br />

旅順 二日間の勝手気ままに一人旅

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2011/06/26 - 2011/06/27

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コタ

コタさん

司馬遼太郎の「坂の上の雲」を全巻読んでとても気になっていた旅順、2009年まで外国人立入禁止、2010年でも外国人の個人旅行は危険と言われていた旅順へ行ってきました。大連をベースに、一日目は台風の影響で大雨のため屋内施設のみ訪れ、お天気の回復した二日目に白玉山登山(散策)と午後からはタクシーをチャーターして定番史跡プラスαを巡ってきました。行く前は日本人が基地の街をうろうろしていて拘束されないかとちょっとだけ心配でしたが、結果として軍港周辺はピリピリ感がありましたが概して観光地化されてきており外国人の一人旅でも大丈夫のようです。
念願の旅順口、数々の堡塁跡、爾霊山(203高地)を訪れることができ、ちょっとだけ中国語の修行にもなりました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大雨の中を大連駅北から約1時間半、旅客の大半が降りたのがここ、旅順中心広場です。バスはこのまま数百メートル離れたバスターミナルまで行きます。とりあえず大雨なので態勢を整えるために旅順購物中心に入ります。ここは普通の中国のデパート然としております。4階がフードコートでまずは昼食。

    大雨の中を大連駅北から約1時間半、旅客の大半が降りたのがここ、旅順中心広場です。バスはこのまま数百メートル離れたバスターミナルまで行きます。とりあえず大雨なので態勢を整えるために旅順購物中心に入ります。ここは普通の中国のデパート然としております。4階がフードコートでまずは昼食。

  • 旅順購物中心の裏側の通りはショピング街になっており、白玉山を見ることができます。日曜日なんですが雨なので人通りは少ないです。ここは全く「旅順」であることを感じさせませんが、たまに海軍の制服(やはりネイビー色)を着た人が歩いています。彼らもお昼ご飯を食べに街に来ているようです。

    旅順購物中心の裏側の通りはショピング街になっており、白玉山を見ることができます。日曜日なんですが雨なので人通りは少ないです。ここは全く「旅順」であることを感じさせませんが、たまに海軍の制服(やはりネイビー色)を着た人が歩いています。彼らもお昼ご飯を食べに街に来ているようです。

  • 旅順購物中心の前からタクシーを拾って新市街にある旅順博物館へ向かいます。タクシーに乗る際には全く発音が通じず、メモに「博物館(簡体字)」と書くと分かってくれました。途中海軍基地前を通りますが、門衛(銃を持ってた。)の存在以外はのんびりした雰囲気でした。博物館近くでタクシーを降ろされ、分館(休館中でした。)の前を通って本館に向かいます。写真は分館です。

    旅順購物中心の前からタクシーを拾って新市街にある旅順博物館へ向かいます。タクシーに乗る際には全く発音が通じず、メモに「博物館(簡体字)」と書くと分かってくれました。途中海軍基地前を通りますが、門衛(銃を持ってた。)の存在以外はのんびりした雰囲気でした。博物館近くでタクシーを降ろされ、分館(休館中でした。)の前を通って本館に向かいます。写真は分館です。

  • 本館前に着きました。重厚感のある建物です。この大雨の中を旅順まで来たのはこの博物館が月曜日休館のため短い滞在中今日(日曜日)しかないためでした。大雨でしたが営業してました。

    本館前に着きました。重厚感のある建物です。この大雨の中を旅順まで来たのはこの博物館が月曜日休館のため短い滞在中今日(日曜日)しかないためでした。大雨でしたが営業してました。

  • 旅順博物館に入りますが、雨のためかほぼ貸切状態です。中国人の団体に会った他は、日本人の家族連れ(現地ガイドに案内されてました。)に会ったのみで、本当に空いてました。じっくり見学してゆきます。

    旅順博物館に入りますが、雨のためかほぼ貸切状態です。中国人の団体に会った他は、日本人の家族連れ(現地ガイドに案内されてました。)に会ったのみで、本当に空いてました。じっくり見学してゆきます。

  • 展示されているものよりも建物自体の趣が良いです。展示方法も木枠のガラスケースに入っており、重厚感を感じます。如何せん照明が暗めで展示物のディテイルがよく見えない(天気が悪いためかと思います。)のが残念です。

    展示されているものよりも建物自体の趣が良いです。展示方法も木枠のガラスケースに入っており、重厚感を感じます。如何せん照明が暗めで展示物のディテイルがよく見えない(天気が悪いためかと思います。)のが残念です。

  • 余りにも観覧客が少なくて係員の人はお昼寝タイムのようでした。

    余りにも観覧客が少なくて係員の人はお昼寝タイムのようでした。

  • この博物館の目玉、大谷探検隊が西域から持ち帰った木乃伊(四体)はこの写真の奥に展示されておりました。ここだけは撮影禁止で、中国人団体観光客のうちの一人が係員に止められてデジカメのチェックをされてました。多分撮影禁止の木乃伊の写真を撮ったんでしょう。中国人の団体が出て行ったあとはずっと一人きりになり薄暗い中で目の前には木乃伊が四体、少々薄気味悪い感じがしてとても木乃伊の写真を撮ろうとは思えませんでした。でも結構長い時間居ました。

    この博物館の目玉、大谷探検隊が西域から持ち帰った木乃伊(四体)はこの写真の奥に展示されておりました。ここだけは撮影禁止で、中国人団体観光客のうちの一人が係員に止められてデジカメのチェックをされてました。多分撮影禁止の木乃伊の写真を撮ったんでしょう。中国人の団体が出て行ったあとはずっと一人きりになり薄暗い中で目の前には木乃伊が四体、少々薄気味悪い感じがしてとても木乃伊の写真を撮ろうとは思えませんでした。でも結構長い時間居ました。

  • 日本人が見ても違和感のない仏像が多数展示されており、仏像の間も充実感があります。

    日本人が見ても違和感のない仏像が多数展示されており、仏像の間も充実感があります。

  • 博物館入り口から中ソ友誼塔、そのむこうに旧関東軍司令部旧跡。本当に近くにありますが大雨です。でも中ソ友誼塔、何でこのロケーションに建てるのか意味不明です。近くには勝利塔という同じようなソ連の作った塔があり、こちらは正にソ連が日本に勝った(日本人はアメリカに負けたという意識はありますが、ソ連に負けたという意識は希薄ですね。でもシベリア抑留があったのは事実です。)ことを記念して建てたものなんですが、中ソ友誼の記念物を関東軍司令部跡のまん前に建てるなんてね。ソ連が旅順を中国に返還する際にソ連が建てた塔ということで考えさせられること多しです。

    博物館入り口から中ソ友誼塔、そのむこうに旧関東軍司令部旧跡。本当に近くにありますが大雨です。でも中ソ友誼塔、何でこのロケーションに建てるのか意味不明です。近くには勝利塔という同じようなソ連の作った塔があり、こちらは正にソ連が日本に勝った(日本人はアメリカに負けたという意識はありますが、ソ連に負けたという意識は希薄ですね。でもシベリア抑留があったのは事実です。)ことを記念して建てたものなんですが、中ソ友誼の記念物を関東軍司令部跡のまん前に建てるなんてね。ソ連が旅順を中国に返還する際にソ連が建てた塔ということで考えさせられること多しです。

  • 中ソ友誼塔の「旅順口」のレリーフ。真っ白の大理石に軍港近くにある勝利塔、勝利橋のむこうに旅順口=獅子口が刻まれております。1957年建立ですので共産主義がまだ華やかりし頃のもので、いろいろな共産主義チックなレリーフが刻み込まれています。だいたいソ連軍は終戦後も旅順に10年以上居座り続けたというのが意味不明です。

    中ソ友誼塔の「旅順口」のレリーフ。真っ白の大理石に軍港近くにある勝利塔、勝利橋のむこうに旅順口=獅子口が刻まれております。1957年建立ですので共産主義がまだ華やかりし頃のもので、いろいろな共産主義チックなレリーフが刻み込まれています。だいたいソ連軍は終戦後も旅順に10年以上居座り続けたというのが意味不明です。

  • 旧関東軍司令部跡は現在は博物館になっています。つい2年前までは外国人立入禁止だったためか観光地化され始めたばかりで昔日の面影が良く残る建物です。

    旧関東軍司令部跡は現在は博物館になっています。つい2年前までは外国人立入禁止だったためか観光地化され始めたばかりで昔日の面影が良く残る建物です。

  • 白い人形の「大日本帝国軍人の参謀(石原莞爾?)」です。満州事変を企てたまさにその建物のその部屋です。司馬遼太郎が描いた日露戦争当時の日本軍は「未熟な無垢の青年」のように描写されておりますが、ここに展示されている関東軍のやったことときたら、これはもう同じ日本人でも「侵略=犯罪行為」と目に映る以外にないと思います。同じようなことを英国は香港で、フランスは上海で、ドイツは膠州でやってるのにどうして中国人は日本ばかりを責めるのでしょうか。英国のやったことときたらもっとエグイ(麻薬を売り広めて、領土まで取ってしまった。)と思いますが。まぁ、最終的に戦争に負けたのは日本ですからしょうがないでしょう。

    白い人形の「大日本帝国軍人の参謀(石原莞爾?)」です。満州事変を企てたまさにその建物のその部屋です。司馬遼太郎が描いた日露戦争当時の日本軍は「未熟な無垢の青年」のように描写されておりますが、ここに展示されている関東軍のやったことときたら、これはもう同じ日本人でも「侵略=犯罪行為」と目に映る以外にないと思います。同じようなことを英国は香港で、フランスは上海で、ドイツは膠州でやってるのにどうして中国人は日本ばかりを責めるのでしょうか。英国のやったことときたらもっとエグイ(麻薬を売り広めて、領土まで取ってしまった。)と思いますが。まぁ、最終的に戦争に負けたのは日本ですからしょうがないでしょう。

  • 関東軍の「侵略行為」がこれでもかとパネルで紹介されております。今の日本人と同じ民族がこのような行為を行ったのかと、ちょっと不思議な感じがします。現在の中国人の若者はこのような反日的歴史教育を受けているんでしょう。まぁ、今の中国が今の体制を守ろうとしたら外部に仮想敵国を作らざるを得ないんでしょうが。

    関東軍の「侵略行為」がこれでもかとパネルで紹介されております。今の日本人と同じ民族がこのような行為を行ったのかと、ちょっと不思議な感じがします。現在の中国人の若者はこのような反日的歴史教育を受けているんでしょう。まぁ、今の中国が今の体制を守ろうとしたら外部に仮想敵国を作らざるを得ないんでしょうが。

  • だだっ広い赤い床の空間が続きます。パネルが多数展示されており、それぞれとても興味深いものです。全てのパネルをデジカメの写真に収めたいくらいでした。

    だだっ広い赤い床の空間が続きます。パネルが多数展示されており、それぞれとても興味深いものです。全てのパネルをデジカメの写真に収めたいくらいでした。

  • 第一級の歴史的建造物(観光施設)のはずですが、建物自体が古く修繕もあまりなされていないのか雨漏りしてました。

    第一級の歴史的建造物(観光施設)のはずですが、建物自体が古く修繕もあまりなされていないのか雨漏りしてました。

  • 二階に上がったホールの床、とてもきれいなモザイク模様でした。結局1時間位はここに居たでしょうか。旅順博物館と違って、ここ旧関東軍司令部旧跡は完全に貸切り、誰もいない中での観覧となりました。

    二階に上がったホールの床、とてもきれいなモザイク模様でした。結局1時間位はここに居たでしょうか。旅順博物館と違って、ここ旧関東軍司令部旧跡は完全に貸切り、誰もいない中での観覧となりました。

  • 旧関東軍司令部旧跡を出て、タクシーを拾おうと新市街のロータリーまで少々歩くとあった「歴史的建造物の廃墟」。昔は何の建物だったんでしょうか。ロータリー近辺でタクシーを捕まえ、次は旧市街にある日俄監獄旧跡に向かいます。

    旧関東軍司令部旧跡を出て、タクシーを拾おうと新市街のロータリーまで少々歩くとあった「歴史的建造物の廃墟」。昔は何の建物だったんでしょうか。ロータリー近辺でタクシーを捕まえ、次は旧市街にある日俄監獄旧跡に向かいます。

  • 日俄(日露)監獄旧跡正面です。入場券売り場は右手お土産やさんの奥にあります。ここは近いうちに世界遺産になるかも知れません。

    日俄(日露)監獄旧跡正面です。入場券売り場は右手お土産やさんの奥にあります。ここは近いうちに世界遺産になるかも知れません。

  • またしても貸切状態。旧ロシアが建てた部分の監獄です。保存状態はとても良く昔日を偲ばせます。

    またしても貸切状態。旧ロシアが建てた部分の監獄です。保存状態はとても良く昔日を偲ばせます。

  • レンガ造りの部分は旧大日本帝国が建て増しした部分です。房のつくりは日露ともに大差のないつくりです。

    レンガ造りの部分は旧大日本帝国が建て増しした部分です。房のつくりは日露ともに大差のないつくりです。

  • ここでも雨漏りが。世界遺産に指定されるかもしれない歴史的建造物がこの状態じゃ、問題ありです。

    ここでも雨漏りが。世界遺産に指定されるかもしれない歴史的建造物がこの状態じゃ、問題ありです。

  • 概観、奥の色の違うところがロシアが建てた部分。

    概観、奥の色の違うところがロシアが建てた部分。

  • 絞首刑棟です。そのまま残っています。ここ自体はあまり気味悪くは感じませんでしたが、このあと続く死体処理をモチーフとしたジオラマ館はぞっとすること多々ありです。監視員がいなければ一人では入れない雰囲気でした。安重根はここで処刑されました。この人は日本ではテロリスト(伊藤博文をハルピンで暗殺)、韓国では英雄とされております。後世において評価されるテロリストと英雄は紙一重の違いです。

    絞首刑棟です。そのまま残っています。ここ自体はあまり気味悪くは感じませんでしたが、このあと続く死体処理をモチーフとしたジオラマ館はぞっとすること多々ありです。監視員がいなければ一人では入れない雰囲気でした。安重根はここで処刑されました。この人は日本ではテロリスト(伊藤博文をハルピンで暗殺)、韓国では英雄とされております。後世において評価されるテロリストと英雄は紙一重の違いです。

  • 戦跡展示は充実しています。本物が無造作に展示されております。28サンチ榴弾砲もありました。

    戦跡展示は充実しています。本物が無造作に展示されております。28サンチ榴弾砲もありました。

  • 旅順口に日露軍が設置、浮かべていた機雷(水雷)の本物の残骸。これで戦艦が沈んでしまうとは。

    旅順口に日露軍が設置、浮かべていた機雷(水雷)の本物の残骸。これで戦艦が沈んでしまうとは。

  • 旅順口の老虎尾半島先端部分に設置されていた、「旅順口閉塞記念碑」の残骸。日本敗戦後撤去されてしまっていたんですね。軍神広瀬少佐にまつわる記念碑だったのですが。これは広瀬少佐が第二次閉塞作戦で旅順口に正確に沈めた福井丸の錨とのことです。こんな貴重な実物が展示されており、しかも触り放題っていいんですかい。と言いつつナデナデし感触を確かめるのであった。

    旅順口の老虎尾半島先端部分に設置されていた、「旅順口閉塞記念碑」の残骸。日本敗戦後撤去されてしまっていたんですね。軍神広瀬少佐にまつわる記念碑だったのですが。これは広瀬少佐が第二次閉塞作戦で旅順口に正確に沈めた福井丸の錨とのことです。こんな貴重な実物が展示されており、しかも触り放題っていいんですかい。と言いつつナデナデし感触を確かめるのであった。

  • 金州(大連の開発区ちかく)会戦跡地にあった乃木大将筆の石碑本体。現地には土台があるのみ、中国が取っ払ってしまってほったらかしにしてあった石碑をここで展示するとは。これも結構貴重な現物です。

    金州(大連の開発区ちかく)会戦跡地にあった乃木大将筆の石碑本体。現地には土台があるのみ、中国が取っ払ってしまってほったらかしにしてあった石碑をここで展示するとは。これも結構貴重な現物です。

  • 4Aクラスの国家指定観光地らしいです。東鶏冠山にもこの標識がありました。近々の世界遺産入りを目指しているのでしょう。

    4Aクラスの国家指定観光地らしいです。東鶏冠山にもこの標識がありました。近々の世界遺産入りを目指しているのでしょう。

  • 日俄監獄旧跡は市街地から離れたところにあってタクシーが全く捕まらず、大雨の中白雲街をとぼとぼ歩いて旅順バスターミナルまで向かいました。20分程度歩いて、右手にトンネルがありこれを抜けたところがバスターミナルでした。大雨の中、まぁ今日はこんなもんでしょう。

    日俄監獄旧跡は市街地から離れたところにあってタクシーが全く捕まらず、大雨の中白雲街をとぼとぼ歩いて旅順バスターミナルまで向かいました。20分程度歩いて、右手にトンネルがありこれを抜けたところがバスターミナルでした。大雨の中、まぁ今日はこんなもんでしょう。

  • 翌日、台風は近づいているはずなんですがお天気は曇りながら雨はなさそう。<br />青泥窪のホテルから勝利広場地下街を何とか通り抜け、大連駅の左側にある地下通路を抜けると快軌の大連駅に出ます。右手は大きい広場になっています。この広場の地下にも大きい地下街があります。旅順行きバス乗り場はこの広場の北に聳える双盛商品城の対面にあります。

    翌日、台風は近づいているはずなんですがお天気は曇りながら雨はなさそう。
    青泥窪のホテルから勝利広場地下街を何とか通り抜け、大連駅の左側にある地下通路を抜けると快軌の大連駅に出ます。右手は大きい広場になっています。この広場の地下にも大きい地下街があります。旅順行きバス乗り場はこの広場の北に聳える双盛商品城の対面にあります。

  • 旅順行き(旅順南路経由)の快速バス乗り場です。後ろの小屋が切符売り場で、旅順まで7元です。旅順に行く際には進行方向に向かって左側の窓側席に座ると黄海が見えるなど良い景色に恵まれます。

    旅順行き(旅順南路経由)の快速バス乗り場です。後ろの小屋が切符売り場で、旅順まで7元です。旅順に行く際には進行方向に向かって左側の窓側席に座ると黄海が見えるなど良い景色に恵まれます。

  • 旅順に行く道路(旅順南路)沿いでは快軌202号線の工事中です。もうすぐ大連から電車で旅順に行けることになります。

    旅順に行く道路(旅順南路)沿いでは快軌202号線の工事中です。もうすぐ大連から電車で旅順に行けることになります。

  • 旅順の中心広場バス停前です。昨日バスを降りたところとは微妙に違ってますが、まぁ街の中心ですので良しとしましょう。

    旅順の中心広場バス停前です。昨日バスを降りたところとは微妙に違ってますが、まぁ街の中心ですので良しとしましょう。

  • 旅順の購物中心です。地下にはニューマートというスーパーマーケット、4階には大フードコートがあり、普通のレストランなんかもあって日本人でも全く問題なく食事ができます。フードコートの注文は指差しで大丈夫です。

    旅順の購物中心です。地下にはニューマートというスーパーマーケット、4階には大フードコートがあり、普通のレストランなんかもあって日本人でも全く問題なく食事ができます。フードコートの注文は指差しで大丈夫です。

  • 旅順購物中心を背にして九三路を進みますと左手に白玉山への登り口が見えます。ここを曲がると普通の住宅地になります。

    旅順購物中心を背にして九三路を進みますと左手に白玉山への登り口が見えます。ここを曲がると普通の住宅地になります。

  • ずずいと進む(坂を登る)と白玉山休閑園という小公園に着きます。舗装路はここからヘアピンを始めますが、まっすぐ登るとハイキング道の入り口が現れ登ってゆきます。いずれは舗装路と出会うはずですのでずずいと登ってゆきます。

    ずずいと進む(坂を登る)と白玉山休閑園という小公園に着きます。舗装路はここからヘアピンを始めますが、まっすぐ登るとハイキング道の入り口が現れ登ってゆきます。いずれは舗装路と出会うはずですのでずずいと登ってゆきます。

  • 途中で石段となりグングン10分位登るとあっけなく白玉山山頂にでます。その前に入場券売り場があり38元取られます。兵器博物館込みなのでこんなもんでしょうか。

    途中で石段となりグングン10分位登るとあっけなく白玉山山頂にでます。その前に入場券売り場があり38元取られます。兵器博物館込みなのでこんなもんでしょうか。

  • 山頂広場から塔を望む。

    山頂広場から塔を望む。

  • 立派な案内板もあります。右下の緑の線、これが登ってきた登山道です。かなりショートカットになってます。左下の緑の線、これも登山道です。

    立派な案内板もあります。右下の緑の線、これが登ってきた登山道です。かなりショートカットになってます。左下の緑の線、これも登山道です。

  • まずは塔と反対方向の兵器博物館に入ります。ここは中国人観光客多数です。大砲がたくさんあります、さすが要塞都市旅順です。

    まずは塔と反対方向の兵器博物館に入ります。ここは中国人観光客多数です。大砲がたくさんあります、さすが要塞都市旅順です。

  • なぜか大砲は市街地を向いて設置されてます。旅順口に向けて設置するとリアリティがあるのですが。さすがに旅順口には現役の海軍基地があるので設置しづらいのか。

    なぜか大砲は市街地を向いて設置されてます。旅順口に向けて設置するとリアリティがあるのですが。さすがに旅順口には現役の海軍基地があるので設置しづらいのか。

  • 中国人民解放軍北海艦隊は81がトレードマークなのか。

    中国人民解放軍北海艦隊は81がトレードマークなのか。

  • 山頂にある駆逐艦甲板から兵器博物館を臨む。軍関係博物館なのですが軍服を着て記念写真なぞというアトラクションもあって普通の観光地化しています。

    山頂にある駆逐艦甲板から兵器博物館を臨む。軍関係博物館なのですが軍服を着て記念写真なぞというアトラクションもあって普通の観光地化しています。

  • 白玉山塔の入り口まで来ました。真っ白い花崗岩でできた塔で装飾の彫刻も立派なものです。日本占領時代は「表忠塔」と呼ばれ日露戦争、特に旅順攻略戦で戦没された魂を慰めるために乃木将軍が中心になって建てたとのことです。

    白玉山塔の入り口まで来ました。真っ白い花崗岩でできた塔で装飾の彫刻も立派なものです。日本占領時代は「表忠塔」と呼ばれ日露戦争、特に旅順攻略戦で戦没された魂を慰めるために乃木将軍が中心になって建てたとのことです。

  • 入口で10元を支払い塔中の螺旋階段を登ってゆきます。かなり登ります。階段部分は鉄製なんですが踊り場部分の床が木でちょっとグラついているところが何ヵ所かありました。

    入口で10元を支払い塔中の螺旋階段を登ってゆきます。かなり登ります。階段部分は鉄製なんですが踊り場部分の床が木でちょっとグラついているところが何ヵ所かありました。

  • 息が弾んできたころに最上部に着きました。最後は急なはしごで少々怖いかも。

    息が弾んできたころに最上部に着きました。最後は急なはしごで少々怖いかも。

  • 塔上の展望台は360度見渡せます。特にここでは眼下に旅順口(獅子口)が見れます。老虎尾半島の奇怪な形状もよく見えます。

    塔上の展望台は360度見渡せます。特にここでは眼下に旅順口(獅子口)が見れます。老虎尾半島の奇怪な形状もよく見えます。

  • 塔上から海側を見ます。まずは黄金山。昔はこの山頂に砲台があり旅順口をがっちり守っていました。この黄金山の下付近にあった電岩砲台(探照灯が設置されていたためにこのような名前になったと思われます。)より発射された砲弾が広瀬少佐を吹っ飛ばしたとのことです。黄金山手前の港は旅順東港で軍港です。手前の街は黄金街でここは今でも外国人立ち入り禁止のはずです。

    塔上から海側を見ます。まずは黄金山。昔はこの山頂に砲台があり旅順口をがっちり守っていました。この黄金山の下付近にあった電岩砲台(探照灯が設置されていたためにこのような名前になったと思われます。)より発射された砲弾が広瀬少佐を吹っ飛ばしたとのことです。黄金山手前の港は旅順東港で軍港です。手前の街は黄金街でここは今でも外国人立ち入り禁止のはずです。

  • 次に旅順口、又の名を獅子口。昔日露戦争の頃、この旅順を始めとする遼東半島は旧帝国ロシアが租借(実質的占領)してました。実はこの遼東半島は日清戦争で日本が租借した地だったのがロシア等の横槍(三国干渉)で日本が清に返還したのをちゃっかりロシアが分捕ったんです。この旅順にはロシアの太平洋艦隊が駐屯していてこの天然の要害にロシアの軍艦が山盛り停泊してました。それでもっての日露開戦ですが、日本としては大陸に兵を送り込むためにこのロシア太平洋艦隊が邪魔でしょうがない、だったらこの湾内に閉じ込めてしまえというとで、この一番狭いところに廃船を沈めるという作戦が行われました。これが「旅順口閉塞作戦」で合計3回実施されました。が結局はすべて失敗。これは黄金山の砲台が威力を発揮したためです。この閉塞作戦2回目に広瀬少佐の逸話があります。歴史の勉強ですな。

    次に旅順口、又の名を獅子口。昔日露戦争の頃、この旅順を始めとする遼東半島は旧帝国ロシアが租借(実質的占領)してました。実はこの遼東半島は日清戦争で日本が租借した地だったのがロシア等の横槍(三国干渉)で日本が清に返還したのをちゃっかりロシアが分捕ったんです。この旅順にはロシアの太平洋艦隊が駐屯していてこの天然の要害にロシアの軍艦が山盛り停泊してました。それでもっての日露開戦ですが、日本としては大陸に兵を送り込むためにこのロシア太平洋艦隊が邪魔でしょうがない、だったらこの湾内に閉じ込めてしまえというとで、この一番狭いところに廃船を沈めるという作戦が行われました。これが「旅順口閉塞作戦」で合計3回実施されました。が結局はすべて失敗。これは黄金山の砲台が威力を発揮したためです。この閉塞作戦2回目に広瀬少佐の逸話があります。歴史の勉強ですな。

  • 次に新市街方面。海側は解放軍海軍の基地になってまして、ここに立ち入ったら拘束・罰金・国外退去間違いなし。門衛は銃を持ってました。中央辺りが旅順博物館、その奥が新市街です。結構距離はあります。ずーっと奥にも海が広がっています。旅順が半島の先端にあることがよく分かります。

    次に新市街方面。海側は解放軍海軍の基地になってまして、ここに立ち入ったら拘束・罰金・国外退去間違いなし。門衛は銃を持ってました。中央辺りが旅順博物館、その奥が新市街です。結構距離はあります。ずーっと奥にも海が広がっています。旅順が半島の先端にあることがよく分かります。

  • 塔の下の展望台から見る旅順口。この展望台は観光地化しています。でも中国人観光客はみんな団体旅行なのか、これだけたくさんいるのに塔に昇ってくる人はいないんですね。

    イチオシ

    塔の下の展望台から見る旅順口。この展望台は観光地化しています。でも中国人観光客はみんな団体旅行なのか、これだけたくさんいるのに塔に昇ってくる人はいないんですね。

  • 下山には観光リフトもありますが、車道を歩いて下ります。ショートカットする登山道もありましたが、砲台跡に寄るために車道を下ります。途中の山腹にある砲台跡です。ロシア製の大砲が置いてあります。上から見えた灯台のような建物は結構新しいもののようで、真新しいコンクリート製でした。

    下山には観光リフトもありますが、車道を歩いて下ります。ショートカットする登山道もありましたが、砲台跡に寄るために車道を下ります。途中の山腹にある砲台跡です。ロシア製の大砲が置いてあります。上から見えた灯台のような建物は結構新しいもののようで、真新しいコンクリート製でした。

  • 山を下って黄河路との合流地点。前に見える山は黄金山です。この先に軍港公園があるのですが、外国人立入禁止という情報と開放されているという情報が錯綜していて、へたをして入っても罰金を取られる可能性もあり、行こうかどうかかなり迷いました。最悪公園に入らなくても軍港周辺は外国人立入禁止のはずなので、そこに居るだけで拘束されるかも、という状況です。

    山を下って黄河路との合流地点。前に見える山は黄金山です。この先に軍港公園があるのですが、外国人立入禁止という情報と開放されているという情報が錯綜していて、へたをして入っても罰金を取られる可能性もあり、行こうかどうかかなり迷いました。最悪公園に入らなくても軍港周辺は外国人立入禁止のはずなので、そこに居るだけで拘束されるかも、という状況です。

  • 黄河路との合流地点にあった看板。まるで全面開放、みんな観光地みたいな地図です。中国人にとってみれば、軍港としての観光地なんですがね。でもまぁ、モノは試しで軍港公園に向かいました。

    黄河路との合流地点にあった看板。まるで全面開放、みんな観光地みたいな地図です。中国人にとってみれば、軍港としての観光地なんですがね。でもまぁ、モノは試しで軍港公園に向かいました。

  • 未だに外国人立入禁止とされていた「軍港公園」です。入場券売り場で「おれは日本人だが入っていいのか?(つたない中国語で)」と聴くと、「10元」というあっけないお返事が。本当に緊張しながら(2009年まではこの辺りに外国人がいるだけで拘束されたとかされないとかの話がありましたので)聴いたのに拍子抜けです。でも入場券売り場のおっさんの罠かもしれないと警戒して周りから日本人と悟られないよう田舎から出てきた中国人になりすまし、つたない中国語で「写真撮ってよ」を連発しまわりの中国人観光客に埋もれるようにしてました。(考えすぎ!)

    未だに外国人立入禁止とされていた「軍港公園」です。入場券売り場で「おれは日本人だが入っていいのか?(つたない中国語で)」と聴くと、「10元」というあっけないお返事が。本当に緊張しながら(2009年まではこの辺りに外国人がいるだけで拘束されたとかされないとかの話がありましたので)聴いたのに拍子抜けです。でも入場券売り場のおっさんの罠かもしれないと警戒して周りから日本人と悟られないよう田舎から出てきた中国人になりすまし、つたない中国語で「写真撮ってよ」を連発しまわりの中国人観光客に埋もれるようにしてました。(考えすぎ!)

  • さすがに「軍港公園」、周りの軍艦丸見え、軍艦で働いている水兵もよく見えました。観光客向けサービスなんでしょうか、目の前を軍艦が通ってゆきました。老虎尾半島の先端も間近でこんもりとした藪のようでした。でもさすがここにはツアーでの日本人は来てないようです。中国人ばっかりでした。みなさん「旅順口」の石碑で熱心に写真撮影されてました。

    さすがに「軍港公園」、周りの軍艦丸見え、軍艦で働いている水兵もよく見えました。観光客向けサービスなんでしょうか、目の前を軍艦が通ってゆきました。老虎尾半島の先端も間近でこんもりとした藪のようでした。でもさすがここにはツアーでの日本人は来てないようです。中国人ばっかりでした。みなさん「旅順口」の石碑で熱心に写真撮影されてました。

  • 旧ロシア製の大砲が置いてあったり、どでかい獅子の石像があったりなかなか面白い。公園出口でも特に拘束されることもなく無事出られました。軍港公園は入場料10元と思ってましたが、入場料自体は5元でおまけみたいに建っている展示館が5元でした。

    旧ロシア製の大砲が置いてあったり、どでかい獅子の石像があったりなかなか面白い。公園出口でも特に拘束されることもなく無事出られました。軍港公園は入場料10元と思ってましたが、入場料自体は5元でおまけみたいに建っている展示館が5元でした。

  • 軍港公園を出て元の中心広場に戻って昼食にします。友誼公園という大きい公園を通り長江路に出ると白玉山にトンネルがぶち抜かれてました。慰霊碑のある山にトンネルか、と少々ガックリ。中国人にとってみると白玉山塔は慰霊碑でも何でもないんです、ただの塔。購物中心のフードコート横の四川レストランで昼食の後、メインの戦跡めぐりにゴーです。

    軍港公園を出て元の中心広場に戻って昼食にします。友誼公園という大きい公園を通り長江路に出ると白玉山にトンネルがぶち抜かれてました。慰霊碑のある山にトンネルか、と少々ガックリ。中国人にとってみると白玉山塔は慰霊碑でも何でもないんです、ただの塔。購物中心のフードコート横の四川レストランで昼食の後、メインの戦跡めぐりにゴーです。

  • 昼食後既に1時になってましたので、東鶏冠山までタクシーで行きあとは歩いて下るというプランを断念、タクシーチャーターに切り替えました。昼食時に行きたいところをメモに書いて(ドライバーが見て分かるように簡体字で)購物中心裏手から出てタクシーが屯しているところで交渉です。おばさんドライバー(昨日雨の中新市街から監獄跡まで乗ったタクシーがおばさんドライバーで、ゆっくりしゃべってくれる中国語が何となく分かったような、というのと屈強のおっさんドライバーだと人気のないところで身ぐるみはがされる危険性を考慮)を探したが、おっさんばかり。そんな中で弱そうなおっさんに交渉です。包一天車多少銭?です。おっさんは最初600と言って来ましたが、もう昼過ぎてるし安うせい、ということで200で手打ち。で、先ほどのメモを見せると知らないところばかり。周りのドライバーに道を聞きまくってやっと出発です。

    昼食後既に1時になってましたので、東鶏冠山までタクシーで行きあとは歩いて下るというプランを断念、タクシーチャーターに切り替えました。昼食時に行きたいところをメモに書いて(ドライバーが見て分かるように簡体字で)購物中心裏手から出てタクシーが屯しているところで交渉です。おばさんドライバー(昨日雨の中新市街から監獄跡まで乗ったタクシーがおばさんドライバーで、ゆっくりしゃべってくれる中国語が何となく分かったような、というのと屈強のおっさんドライバーだと人気のないところで身ぐるみはがされる危険性を考慮)を探したが、おっさんばかり。そんな中で弱そうなおっさんに交渉です。包一天車多少銭?です。おっさんは最初600と言って来ましたが、もう昼過ぎてるし安うせい、ということで200で手打ち。で、先ほどのメモを見せると知らないところばかり。周りのドライバーに道を聞きまくってやっと出発です。

  • メモしたところが、東鶏冠山北堡塁・望台砲台・松樹山堡塁・盤龍山堡塁・電岩砲台・南子弾庫・西太陽溝堡塁です。(203高地は忘れていて、あとでお願いして行ってもらった。)で、盤龍山堡塁はタクシードライバーの皆さん誰も知らないとのことで没。まずは近くの松樹山堡塁から行ってみようと旅順駅の前を通って五一路を北上、旅大鉄道の線路を渡ったすぐそばに松樹山堡塁はありました。とてもマイナーな観光地みたいで、誰もおらず、管理事務所みたいなところにいたおっさんに入場料はと聞くと机の引出しの奥から「大連南山峻景山庄」という入場券を出してきて40元とのこと。(大連の観光地もコミコミで40元なのか、少々高い気がするんですが、おっさんの機嫌を損ねると見せてもらえない雰囲気がありありでした。)ドライバー(陳さんという人で、かなりいい人と判明。)には待ってもらって進撃です。

    メモしたところが、東鶏冠山北堡塁・望台砲台・松樹山堡塁・盤龍山堡塁・電岩砲台・南子弾庫・西太陽溝堡塁です。(203高地は忘れていて、あとでお願いして行ってもらった。)で、盤龍山堡塁はタクシードライバーの皆さん誰も知らないとのことで没。まずは近くの松樹山堡塁から行ってみようと旅順駅の前を通って五一路を北上、旅大鉄道の線路を渡ったすぐそばに松樹山堡塁はありました。とてもマイナーな観光地みたいで、誰もおらず、管理事務所みたいなところにいたおっさんに入場料はと聞くと机の引出しの奥から「大連南山峻景山庄」という入場券を出してきて40元とのこと。(大連の観光地もコミコミで40元なのか、少々高い気がするんですが、おっさんの機嫌を損ねると見せてもらえない雰囲気がありありでした。)ドライバー(陳さんという人で、かなりいい人と判明。)には待ってもらって進撃です。

  • ここ松樹山堡塁は旅順三永久堡塁のひとつで、当時のロシアには絶対に陥落しないという自信があったのでしょう、「永久」ですから。最強を誇った砦も今は木が生い茂り朽ち果てそうな状況でした。写真は堡塁の入り口、入ったところが兵舎という広めの空間が広がっています。

    ここ松樹山堡塁は旅順三永久堡塁のひとつで、当時のロシアには絶対に陥落しないという自信があったのでしょう、「永久」ですから。最強を誇った砦も今は木が生い茂り朽ち果てそうな状況でした。写真は堡塁の入り口、入ったところが兵舎という広めの空間が広がっています。

  • 地下通路。分厚いコンクリート製です。手前の崩れているところは日本軍に爆破されたところでしょうか。しかし100年も前のものとは思えないくらいきれいに残ってます。この通路はかなり奥まで続いています。誰もいなかったのでちょっと怖いくらいです。

    地下通路。分厚いコンクリート製です。手前の崩れているところは日本軍に爆破されたところでしょうか。しかし100年も前のものとは思えないくらいきれいに残ってます。この通路はかなり奥まで続いています。誰もいなかったのでちょっと怖いくらいです。

  • 日露戦後建てられた碑です。この辺りが一番高いところです。今では灌木が生えていて見晴らしがよろしくありません。当時はこの辺りは丸裸で下から登ってくる日本兵を狙い撃ちしていたようです。

    日露戦後建てられた碑です。この辺りが一番高いところです。今では灌木が生えていて見晴らしがよろしくありません。当時はこの辺りは丸裸で下から登ってくる日本兵を狙い撃ちしていたようです。

  • 堡塁の最前線です。穴の中はずっと通路が続いており、ところどころ銃眼があり光が漏れています。

    堡塁の最前線です。穴の中はずっと通路が続いており、ところどころ銃眼があり光が漏れています。

  • 低い位置に銃眼が並んでいます。ここに進入した日本兵は四方から銃で狙われることになります。これでは陥落しません。

    低い位置に銃眼が並んでいます。ここに進入した日本兵は四方から銃で狙われることになります。これでは陥落しません。

  • 通路の中、崩れた天井から日が漏れます。こういうところが何箇所もあり少々薄気味悪いので早々に撤退です。

    通路の中、崩れた天井から日が漏れます。こういうところが何箇所もあり少々薄気味悪いので早々に撤退です。

  • 高い天井の通路。コンクリート天井に打設のときの板の跡が残っています。コンクリートって100年もつんですな。

    高い天井の通路。コンクリート天井に打設のときの板の跡が残っています。コンクリートって100年もつんですな。

  • この松樹山堡塁は、明治37年の大晦日に乃木将軍率いる第三軍に落とされました。結局地上戦では落とせず、3本の坑道を掘って堡塁の真下まで掘り進み爆薬を仕掛けて爆破したとのこと。爆破跡の残骸も残ってました。

    この松樹山堡塁は、明治37年の大晦日に乃木将軍率いる第三軍に落とされました。結局地上戦では落とせず、3本の坑道を掘って堡塁の真下まで掘り進み爆薬を仕掛けて爆破したとのこと。爆破跡の残骸も残ってました。

  • 駐車場横には28サンチ榴弾砲(多分、いや絶対にレプリカと思います。まぁ、中国ですから。でもこんなレプリカまで作るかという疑問もあり、やっぱり本物でしょうか。)がありました。サンチって間違いでセンチだろうと思いますが、明治時代はサンチって言ってたようです。

    駐車場横には28サンチ榴弾砲(多分、いや絶対にレプリカと思います。まぁ、中国ですから。でもこんなレプリカまで作るかという疑問もあり、やっぱり本物でしょうか。)がありました。サンチって間違いでセンチだろうと思いますが、明治時代はサンチって言ってたようです。

  • 松樹山堡塁から東鶏冠山に向かいます。旅順市街地とは山を隔てた北側を通ってゆきます。ここらあたりも開発されてきています。

    松樹山堡塁から東鶏冠山に向かいます。旅順市街地とは山を隔てた北側を通ってゆきます。ここらあたりも開発されてきています。

  • 本日の観光のメイン、東鶏冠山北堡塁です。ここは早くから外国人にも解放されているところでかなり観光地チックです。日本人観光客も何組かいました。

    本日の観光のメイン、東鶏冠山北堡塁です。ここは早くから外国人にも解放されているところでかなり観光地チックです。日本人観光客も何組かいました。

  • 東鶏冠山北堡塁も三大永久堡塁のひとつです。(もうひとつは近くの二龍山です。)かなりの激戦の跡が至る所に。有名な観光地だけあって見どころたくさんです。

    東鶏冠山北堡塁も三大永久堡塁のひとつです。(もうひとつは近くの二龍山です。)かなりの激戦の跡が至る所に。有名な観光地だけあって見どころたくさんです。

  • 壁に無数の銃弾の跡と爆破された跡。

    壁に無数の銃弾の跡と爆破された跡。

  • 兵舎跡。意外と狭いです。今はこの中には入れませんでしたが、通路跡があったので昔はこの中を通れたんでしょう。

    兵舎跡。意外と狭いです。今はこの中には入れませんでしたが、通路跡があったので昔はこの中を通れたんでしょう。

  • コンクリートの爆破跡。海か川の砂利を使ってます。

    コンクリートの爆破跡。海か川の砂利を使ってます。

  • 銃眼です。飾りが付いていて、旧ロシア軍の優雅さが偲ばれます。

    銃眼です。飾りが付いていて、旧ロシア軍の優雅さが偲ばれます。

  • ここには戦跡博物館も設置されています。興味深い写真のパネルや現物が多数。28サンチ榴弾砲の実物です。

    ここには戦跡博物館も設置されています。興味深い写真のパネルや現物が多数。28サンチ榴弾砲の実物です。

  • 東鶏冠山北堡塁は裏側(北側)から入ってくると本当に緩やかな丘というしかないような山でした。北方から攻める日本軍に対峙して旅順市街と港を守るロシア軍という構図が正しく、これら堡塁から旅順口方面に砲撃を行っていたというのは誤りです。イメージ的には港を囲む山々から港内の軍艦を攻撃するという図が浮かぶのですが。

    東鶏冠山北堡塁は裏側(北側)から入ってくると本当に緩やかな丘というしかないような山でした。北方から攻める日本軍に対峙して旅順市街と港を守るロシア軍という構図が正しく、これら堡塁から旅順口方面に砲撃を行っていたというのは誤りです。イメージ的には港を囲む山々から港内の軍艦を攻撃するという図が浮かぶのですが。

  • 次に望台に向かいます。東鶏冠山北堡塁とは尾根続きで登山道みたいなのもあるようです。(By Google Map)<br />車で数分で到着。まずは階段が続きます。昔この斜面を日本兵が駆け上って、山の上からロシア兵が機関銃を斉射する、という図が浮かびますがそりゃ地獄のような光景だったことでしょう。今は背の低い松の木が生い茂っています。

    次に望台に向かいます。東鶏冠山北堡塁とは尾根続きで登山道みたいなのもあるようです。(By Google Map)
    車で数分で到着。まずは階段が続きます。昔この斜面を日本兵が駆け上って、山の上からロシア兵が機関銃を斉射する、という図が浮かびますがそりゃ地獄のような光景だったことでしょう。今は背の低い松の木が生い茂っています。

  • 望台山頂にあるロシア製の大砲。この大砲は旅順口に近づく船を砲撃しつつも、北から来る日本軍第三軍をも砲撃したことでしょう。

    望台山頂にあるロシア製の大砲。この大砲は旅順口に近づく船を砲撃しつつも、北から来る日本軍第三軍をも砲撃したことでしょう。

  • 望台山頂より旅順口を望む。白玉山塔が良く見えますが、港の全貌が見えるわけではないような。昔は木がなかったからもっと見えてたんでしょうか。<br />旅順攻略の際、最初第三軍(乃木将軍率いる)はこの望台を占拠して旅順の港にいるロシア艦隊を砲撃しようとしたらしいです。ですがこの地は永久堡塁に強固に守られている訳で簡単に落ちるわけがない。でも第三軍は執拗に正面突破を試みて、日本兵が万単位で死傷した訳です。で、やっぱりここは諦めて他を探したところ203高地を攻めようということになったんです。

    望台山頂より旅順口を望む。白玉山塔が良く見えますが、港の全貌が見えるわけではないような。昔は木がなかったからもっと見えてたんでしょうか。
    旅順攻略の際、最初第三軍(乃木将軍率いる)はこの望台を占拠して旅順の港にいるロシア艦隊を砲撃しようとしたらしいです。ですがこの地は永久堡塁に強固に守られている訳で簡単に落ちるわけがない。でも第三軍は執拗に正面突破を試みて、日本兵が万単位で死傷した訳です。で、やっぱりここは諦めて他を探したところ203高地を攻めようということになったんです。

  • 設置されている大砲はかなりデカイものでした。方向は正しく日本兵のいた北側を向いていました。<br />この後、市街地方面に車道を下ってゆきます。ほどなく市街地(監獄跡に出てきます。)でしたので、この道を東鶏冠山から徒歩で下ってくるのは容易いと思います。

    設置されている大砲はかなりデカイものでした。方向は正しく日本兵のいた北側を向いていました。
    この後、市街地方面に車道を下ってゆきます。ほどなく市街地(監獄跡に出てきます。)でしたので、この道を東鶏冠山から徒歩で下ってくるのは容易いと思います。

  • 次に向かったのが電岩砲台です。ここは正に外国人立入禁止区域。陳運転手に本当に大丈夫なのか何度も念を押しましたが、多分大丈夫だろうとのことでとっとと外国人進入禁止地帯に入ってゆきます。黄金街をタクシーは入ってゆき造船所の脇を通り抜け海に近いところまできました。写真は電岩砲台の下にある「潜水艦博物館」のようです。この博物館はどこを調べても詳細が載ってませんでした。で、肝心の電岩砲台ですが、砲台に登る道の入り口に門衛が居て、陳さんが聞いたところによると砲台のすぐ近くで軍施設を建設中なので全面進入禁止とのことでした。陳さんが門衛に事情を聞いている間こっちを見るなとのゼスチャーでしたので、やはり少々日本人にはヤバイところなのかも知れません。早々に退散です。

    次に向かったのが電岩砲台です。ここは正に外国人立入禁止区域。陳運転手に本当に大丈夫なのか何度も念を押しましたが、多分大丈夫だろうとのことでとっとと外国人進入禁止地帯に入ってゆきます。黄金街をタクシーは入ってゆき造船所の脇を通り抜け海に近いところまできました。写真は電岩砲台の下にある「潜水艦博物館」のようです。この博物館はどこを調べても詳細が載ってませんでした。で、肝心の電岩砲台ですが、砲台に登る道の入り口に門衛が居て、陳さんが聞いたところによると砲台のすぐ近くで軍施設を建設中なので全面進入禁止とのことでした。陳さんが門衛に事情を聞いている間こっちを見るなとのゼスチャーでしたので、やはり少々日本人にはヤバイところなのかも知れません。早々に退散です。

  • 次に向かうは、西太陽溝砲台。その前に肝心なところを忘れていたと203高地追加を交渉、問題なく203に向かうことに。その前に通りがかった旅順駅へ。ロシア建築のきれいな駅ですが、一日2往復だけなので全く活気がありません。

    次に向かうは、西太陽溝砲台。その前に肝心なところを忘れていたと203高地追加を交渉、問題なく203に向かうことに。その前に通りがかった旅順駅へ。ロシア建築のきれいな駅ですが、一日2往復だけなので全く活気がありません。

  • 昨日来た旅順博物館の前を通って爾霊山へ。わりとすぐに着きました。この山は双耳峰になっていまして、右側に有名な塔があり、左側に着弾観測地があります。駐車場から歩いて10分程度でしょうか。

    昨日来た旅順博物館の前を通って爾霊山へ。わりとすぐに着きました。この山は双耳峰になっていまして、右側に有名な塔があり、左側に着弾観測地があります。駐車場から歩いて10分程度でしょうか。

  • かの有名な乃木将軍が建てた慰霊塔。思わず手を合わせます。ここで100年ちょい前に日本人がさも撃ち殺してくださいとばかりに正面突撃を繰り返し死体の山を築いたところです。そりゃ日本人でしたら思わず手を合わせられずにはおられません。

    かの有名な乃木将軍が建てた慰霊塔。思わず手を合わせます。ここで100年ちょい前に日本人がさも撃ち殺してくださいとばかりに正面突撃を繰り返し死体の山を築いたところです。そりゃ日本人でしたら思わず手を合わせられずにはおられません。

  • ちょっとガスってますが旅順港ははっきり望めます。望台よりも港の全体が俯瞰できます。何で最初からここを落としてさっさと旅順港に停泊している露艦隊を砲撃しなかったのか、やはり不思議です。否、一度は落としたのですが、この地の優位性を理解できずにすぐに露軍に奪い返されてしまってるんです。露軍はその優位性に気がついて鉄壁の要塞を築いたということです。そういうところをもう一度取り返すのは至難の業、これは現代にも生きる教訓ですな。軍神乃木将軍のいまいち理解し難いところです。(司馬遼太郎はボロクソに書いています。乃木将軍が悪いと言うよりもトリマキ=伊地知参謀長が極悪というのが自分の感想ですが。)<br />

    ちょっとガスってますが旅順港ははっきり望めます。望台よりも港の全体が俯瞰できます。何で最初からここを落としてさっさと旅順港に停泊している露艦隊を砲撃しなかったのか、やはり不思議です。否、一度は落としたのですが、この地の優位性を理解できずにすぐに露軍に奪い返されてしまってるんです。露軍はその優位性に気がついて鉄壁の要塞を築いたということです。そういうところをもう一度取り返すのは至難の業、これは現代にも生きる教訓ですな。軍神乃木将軍のいまいち理解し難いところです。(司馬遼太郎はボロクソに書いています。乃木将軍が悪いと言うよりもトリマキ=伊地知参謀長が極悪というのが自分の感想ですが。)

  • 頂上から少し北側に下ると露軍の作った塹壕跡があります。ここに機関銃を置いて下から駆け上がってくる日本軍をめった撃ちに撃ちまくり、です。緩やかな丘だと思ってましたが、北側斜面(日本軍が攻めた方向)は結構急な斜面になっていて、これでは重装備の歩兵が駆け上がるのにも限度がありそうです。もう少しましな作戦がたてられなかったんでしょうか、ときっと誰もが思うはずです。今は潅木が生えてますが、当時はさえぎるもののない丸裸の山。

    頂上から少し北側に下ると露軍の作った塹壕跡があります。ここに機関銃を置いて下から駆け上がってくる日本軍をめった撃ちに撃ちまくり、です。緩やかな丘だと思ってましたが、北側斜面(日本軍が攻めた方向)は結構急な斜面になっていて、これでは重装備の歩兵が駆け上がるのにも限度がありそうです。もう少しましな作戦がたてられなかったんでしょうか、ときっと誰もが思うはずです。今は潅木が生えてますが、当時はさえぎるもののない丸裸の山。

  • 慰霊塔とは違うもうひとつの頂上には着弾観測台と28サンチ榴弾砲があります。結構大きい口径ですな。頂上から駐車場まで下る際に、お土産やさんも店じまいで店員兼ガイドのお姉さんとお話しながら下りました。ここに来るのはやはり日本人の年配の方が多いようです。自分ももう年配の部類に入るんですが。

    慰霊塔とは違うもうひとつの頂上には着弾観測台と28サンチ榴弾砲があります。結構大きい口径ですな。頂上から駐車場まで下る際に、お土産やさんも店じまいで店員兼ガイドのお姉さんとお話しながら下りました。ここに来るのはやはり日本人の年配の方が多いようです。自分ももう年配の部類に入るんですが。

  • 203高地からの帰りに粛親王邸跡に寄ってもらいました。本当に帰る途中にあったようで車が急に停まったらそこにありました、っていう感じ。普通の住宅街にありました。

    203高地からの帰りに粛親王邸跡に寄ってもらいました。本当に帰る途中にあったようで車が急に停まったらそこにありました、っていう感じ。普通の住宅街にありました。

  • 赤っぽい建物ですぐにそれと分かりましたが、もう完全に廃墟となっています。メジャーなガイドブックにも必ず載っている観光名所で廃墟になってるところに来たのは多分これが始めてです。この荒れ具合、周りには割れたガラスが飛散していて、かなりショックです。中国からしたら親日派だった皇族(娘はあの川島芳子です)の邸宅跡なんぞは野となれ山となれなんでしょうか。きれいに修復して観光名所にすればいいのにと思わずにはいられないですね。次にヤマトホテルに行って、とのリクエストにはなぜかどこにあるか分からないとのこと。時間もないので次に行きます。

    赤っぽい建物ですぐにそれと分かりましたが、もう完全に廃墟となっています。メジャーなガイドブックにも必ず載っている観光名所で廃墟になってるところに来たのは多分これが始めてです。この荒れ具合、周りには割れたガラスが飛散していて、かなりショックです。中国からしたら親日派だった皇族(娘はあの川島芳子です)の邸宅跡なんぞは野となれ山となれなんでしょうか。きれいに修復して観光名所にすればいいのにと思わずにはいられないですね。次にヤマトホテルに行って、とのリクエストにはなぜかどこにあるか分からないとのこと。時間もないので次に行きます。

  • 新市街から西に、旧旅順工科大学跡(今は軍の病院です。)前を通って向かうは西太陽溝砲台跡です。茂林街の突き当たりです。(ここはグーグルマップの衛星写真を眺めていて偶然砲台らしいのがあるのに気づいて見つけました。)チケット売り場もあって人も居たのですが、「あなた日本人か」から始まってつたない中国語でお話してるとどうも自由に入っていいということになって、段数の書かれた階段を150段くらい駆け上って着いたのがこの景色です。お天気は完全回復、旅順口が良く見えます。

    新市街から西に、旧旅順工科大学跡(今は軍の病院です。)前を通って向かうは西太陽溝砲台跡です。茂林街の突き当たりです。(ここはグーグルマップの衛星写真を眺めていて偶然砲台らしいのがあるのに気づいて見つけました。)チケット売り場もあって人も居たのですが、「あなた日本人か」から始まってつたない中国語でお話してるとどうも自由に入っていいということになって、段数の書かれた階段を150段くらい駆け上って着いたのがこの景色です。お天気は完全回復、旅順口が良く見えます。

  • ここの砲口はすべて旅順口方向を向いていました。この砲台の役割は海側から攻めてくる軍艦を砲撃するためにあるんでしょう。砲台跡はきれいに整備して残されており、展望台もありました。展望台の下は売店になっていて人も居たので普通の観光地なんでしょうね。展望台の横には「ゲンコツ」の大きいオブジェがあります。展望台からは203高地が良く見えます。

    ここの砲口はすべて旅順口方向を向いていました。この砲台の役割は海側から攻めてくる軍艦を砲撃するためにあるんでしょう。砲台跡はきれいに整備して残されており、展望台もありました。展望台の下は売店になっていて人も居たので普通の観光地なんでしょうね。展望台の横には「ゲンコツ」の大きいオブジェがあります。展望台からは203高地が良く見えます。

  • これで希望したところは一通り行きました。もう6時前なんですがまだまだ太陽は高いです。帰りはバスターミナルまで送ってもらい約束の200元を渡して陳さんとお別れです。理由は分かりませんが、陳さんタクシーはメーターを倒しており、降りるときに見ると150元ちょいになってました。200元とはまぁまぁの値段だったんですね。(会社にはメーター通りの売上報告をして残りは陳さんの小遣いかもしれません。)いずれにしろ、心配していたトラブルもなく、行きたいところに行ってくれたし、こちらの中国語会話欲求を満たしてくれたので万々歳です。<br />これにて二日間にわたって大連から通った旅順旅行はおしまいです。

    これで希望したところは一通り行きました。もう6時前なんですがまだまだ太陽は高いです。帰りはバスターミナルまで送ってもらい約束の200元を渡して陳さんとお別れです。理由は分かりませんが、陳さんタクシーはメーターを倒しており、降りるときに見ると150元ちょいになってました。200元とはまぁまぁの値段だったんですね。(会社にはメーター通りの売上報告をして残りは陳さんの小遣いかもしれません。)いずれにしろ、心配していたトラブルもなく、行きたいところに行ってくれたし、こちらの中国語会話欲求を満たしてくれたので万々歳です。
    これにて二日間にわたって大連から通った旅順旅行はおしまいです。

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