2004/04/30 - 2004/05/07
4401位(同エリア8717件中)
淳さん
アジアのデープな一面を垣間みることができた旅でした。この旅を通して自分の旅のスタイルがちょっとばかりかわっていくようです。
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カンボジアへ
VN951便のA12の席に座った。
飛行機はほぼ時間どおり15分遅れの10時45分ゆっくりと滑走路に向かった。
快晴とはいわないまでも、モスグリーンの機体は日のひかりを浴びて深く青い空に溶け込んでいる。
大体6時間くらいでホウチーミンに着きそこからシェムリアップへ乗り継ぐ。予定表によれば2時間の時差を差し引いて18時くらいには目的地にたどり着く予定。
隣りの席には買い物のガイドブックで何やら言い争いをしている気合の相当はいっているご夫婦がすわっている。争いの元はどうも今夜ホウチーミンでお買い物をしたいのは旦那のほうで奥さんはもっぱらレストラン。多少うるさくて気にはなるが、そろそろ徐々に日本語が気にならなくなってくるはず。
いつ頃からか世界遺産アンコールワットが気になってはいるが、東南アジア自体いつでもいける隣り町的なイメージが強く、なかなか実行に移すことはなかった。
いつもなら国民のお休みともなると、行楽地の激混み、また海外についてはどう組み立てても費用が1.5倍以上に跳ね上がりいいことなしと毎年ごろごろ。昨年なんかはスポーツジムに行っておよぐか、ハリウット48時間ミラクルダイエットをためすとダイエットにはげんでいたくらいだ。あるいみ有意義だった。
今年のGWは11連休とダイエットに使うだけではなんとなくもの足りなく思い、何の気なしに読んだモ地雷を踏んだらさようならモがどうも気になっていて、この際長い休みを使ってアンコール遺跡を徹底的に歩き倒すかと思っている。昨年3月のモロッコ激闘編以来の一人旅である。 -
今回の工程はシェムリアップ5泊プノンペン2泊の予定である。とにかく大手旅行会社のパックツアーのパンフだと長くてもシェムリアップ3日間位でほぼ見て回れるそうだが、だらだら自分のペースで歩きたいと思い、のんびりお気楽な旅を観光することにしたのだ。
特段アンコールの遺跡群に造詣が深いということも無く、おそらく、外国人が、訳もわからず浅草寺につれてこられて仲見世でお土産を物色する程度の軽いのりである。
世界遺産というと聞こえはいいが、たいていは歴史的にはたいしたものであろうが、今となってはただの見世物で、時とともに朽ち果てることもできず、いつまでも人間のエゴのためにさらしつづけられる。そんなものになぜ、一之瀬泰造さんは魅了されたのであろうか。まあ、行けばなんかの答えは出るのかな。その見世物の前で。
ひとしきり眠って目が覚めると、飛行機の窓からメコンの赤い大地が見え始める。そういえば、トランジットってどうするの?
機内では成田発だというのに日本語ひとつ無く、英語らしきものを聞き取ろうとしても丸一年以上NOVAをサボっている私目には到底無理。人の流れに身を任せて一路空港へ。
依然SARSの状況は変わらず、機内で書かされた問診表を片手にビデオカメラ(温度検査している)を通過し、日本人でごった返しているトランジットのカウンターに列ぶ。
さすがGWだ。海外の空港まで混乱に陥れている。 -
昨年のホーチミンに来ているだけあり、そのほかは迷うこともなく、おとなしく乗り換えを待つ。
シェムリアップに向かう飛行機はAIR BASSVA320。片側3席の国内線って感じ。一時間そこそこのフライトということもあってほんと国内線。機内食はサラミの挟まっているハンバーガーみたいなやつ。時間は17時だが時差を引くと日本では19時。いい時間である。おなかがさらに空く。
機内アナウンスで機長?が目的地の気温35℃といった。
飛行機を降り、そのまま滑走路を横切ってイミグレーションへ向かう。
確かに暑い。むっとした暑さだ。他の観光客たちは空港で記念撮影。建物に入るとビザ持ってるか聞かれる。ほんとに行き当たりばったりでも入国できるんだなあノと考えながらイミグレーションへ。
これなら日本であえてビザとらなくても問題無し。
旅行会社に頼んでおいたホテルとその送迎を待つ間、お金の両替を行う。
10ドルで37,000リエル一気に大金持ちの気分。
送迎の現地係員といわれるカンボジアのみなさんは空港の建物のそばには立てず遠くでプラカードをもって私を迎えてくれていた。私は今回荷物を機内持ちこみとしていたため、その迎えの集団に気づき、自分の名前を探した。日本語のみならず、ハングル語、英語、etc各国の単語が並ぶ中自分の名前を発見したのでした。 -
そうこうしているうちにアンコールダイアモンドホテルに着く。客室はすべてコテージタイプでのんびりできそう。
さすがに自宅を出てから17,8時間経過しており、ちょっとお疲れ気味。今日の夕食はホテルで食べようとレストランに向かうが、今日はクローズ。どうやら客がこないんで開店休業だそうだ。
バーでよければとフロントの兄さんに案内される。先客に日本人?女性がひとりビールを飲んでいたが、横目でみるとジョッキがもうひとつ。しかし連れの気配はまったくなし。気になるところだが、薄気味悪いので離れたテーブルに付く。
とりあえずビールってとこでカンボジアのナショナルビールのアンコールBeerのボトルを所望。以前ジョッキで生を頼んだとき、こちらは氷をいれて冷やしてくれるサービスがある。しかし、氷の原料の生水?去年ベトナムで痛いめにあったことを思い出した。それでボトルを。小ビンを想定していたのだが実際はもろ大ビン。日が落ちてもいまだ30℃もありがビールが進むこと。食事は適当にスープ(卵、トマト、木クラゲ)、カンボジア春巻、空芯菜の炒めもので軽く(?)済ませる。おかげでビール2本目に突入。
時より、よほど珍しいのか従業員が代わる代わるバケツをもってやってきてぶっ欠き氷をジョッキに入れとうとする。
いらないっちゅうの!
ウエイターのにいさんとのウダ話でいい気分になり、また来る約束をして部屋に戻る。 -
ほろ酔い気分でしばらくだらだらして、テレビを付けたら大江戸捜査網なる日本のドラマに、みのもんたの貧乏大脱出をやっていて見いってしまって気が付くと22時を回っていた。とりあえずシャワー浴びてたらアルコールもちょっと抜け、またバーに向かう。
相変わらずお客のいないアウトドアなバーカウンターに座るともう一人外人(この場合私も外人)の隣りにマスターがすすめてくれ、また片言の英語でお話しながら呑む。
彼はアダム。イギリス人。22歳。3週間前バンコック入りあと1週間でイギリスに戻らなくてはならない青年である。
いくら呑んだのだろうか?いろんな話しをした。フットボールからロイキーンからアイルランド問題からU2からエルトンジョンからダイアナ妃、ロイヤルファミリーから天皇制...話しはとりとめのないほどつながっていく。一人旅の醍醐味だろうが、みんな話しがしたいのだ。もっとNOVAに通っていればと後悔の余裕もなく中学校の単語を総動員。
気が付くと、外のネオンも消え、明日アンコールワットってこともあり、退散することにした。また明日会おうと約束をして(別に信じてはいないが)カウンターの丸椅子からずり落ちる。 -
5月1日
長かった昨日一日から一転、観光三昧の一日が始まる。
今日はJHCとか言う現地旅行会社に観光の手配をしている。まずは観光用のパスを作る。60ドル。さすが一週間分のパスだからか高い。
朝アンコールトムの観光を開始。ちなみにアンコール=デカイ!、トム=街つまりデカイ街ってとこだと。
迎えに来てくれたのは日本人とカンボジア人の女性。日本人は旅好きな女性でこの会社のWbに問い合わせたところいきなり赴任。基本的にいろいろ考える人はこの仕事はできないと。笑っている。半ば拉致でシェムリアップへおくりこまれたそうだ。それでも現在日本人スタッフが19人もいるが、まだ人手不足は否めず、まだまだ募集しているとのこと。
彼女はここに来てちょうど一年目。ベテランのうちになる。写真付きのネームプレートの中の色白のお嬢さんと同じ人とは...。
まずはバイヨン。ガイドブックにはこれ見よがしに載ってる石仏の顔、顔、顔。
GW期間中ってこともあって至どころ日本人があふれかえっている。ほんとにここが日本ではないのか疑う。
危惧していたとおりくたばりそこないの石仏群って感じ。潔さが感じられない。ネットで個人のHPには感動したとか、人生観が変わったとか高言礼色(間違ってる?)を並べ、賛辞ばかりだが、自分には理解できない。
栄枯盛衰で潔く風化されるべき巨大石顔群だが、いまではただのむりやり生きながらせられている見世物である。自分にはとても宇宙は感じ取る事ができなかった。
38_の気温のせい?頭から水をかぶる。 -
ツアーで知り合った旅なれた感じのおじさんに情報として、最近はやりのクメールマッサージってのがいいと聞いた。裏は知らないが、通常オールドマーケット付近なら2時間たっぷりで10ドルとの事。ちなみにこの良好会社ののオプショナルでは1時間20ドル!一度試してみようと思った。
午前中はアンコールトムをうろうろ。観光地に付いては貪欲に一通りまわったが得るものなし。
一度ホテルに戻る。午後はアンコールワットに行くのでしばし休憩。軽い熱中症?ぎみ。午後から手ぬぐいを帽子代わりに着用することに。
シャワーと洗濯を済ませ、おじさんお勧めのオールドマーケットに行ってみようとホテルをあとにする。ホテルの前でツゥクツゥクを拾い、値段交渉する。地図では一キロ先位なのに言い値は1ドルノ馬鹿言ってんじゃないよ!と1000リエルで交渉。話しにならないとなめきった態度にカチン。立ち去ろうとしたら、あわてて0.5ドルといってきたので2000リエルで譲歩してやった。この暑さじゃ間違えなく死んじゃう。
オールドマーケットはシェムリアップ川沿いで街の中心って感じ。マーケットの外周は小物系のお土産やや、銀細工のお店がある。
そんなこんなで、鶏インフルエンザで悪名高い内部のバザールへ突入。鶏インフルエンザは鶏の臓物ではいかいするといわれている。ここカンボジアでもつい最近まで鶏の扱いは禁止していたそうだ。現在は撲滅したとの理由で解禁しているが、先日は空気感染も発覚したばかり。肉屋の店先(バザー内)では平気で鶏のみならずト殺中。えぐいと思うが、現実。衛生的なことを考えれば、立ち寄れない。隣りではシルク屋の店舗の店番がハンモックでうたた寝。 -
ホテルに戻るとほほ同時にツアーバスが迎えに来た。午前中顔見知りの人もでき世間話に花を咲かせているうちにアンコールワットへ到着。
泰造さんついに着ちゃったぞ!遠くに見えても間違いなくアンコールワット。
ちょっとだけ感傷に浸る。
遠くに3本のとうもろこしに似た塔が見える。ここから1Km位だと吉岡さんが説明してくれた。周囲を取り巻くお堀があり、今は乾季で水かさは少ないが、そろそろ始まる雨季になるとこのお堀が満々と水をたたえるそうだ。まずはお堀を渡す橋を渡り参道を進むと忽然ととうもろこしが消える。西塔門の影に吸い込まれるのだ。西塔門の門越しにまたとうもろこしが見え始める。ここからとうもろこしを撮影すると丁度額縁の様に写る。
とうもろこしは3本のまま。どこもかしこも日本人だらけはしょうがないが、暑さも湿気も忘れとうもろこしを見つめる。感動はしないが感傷に浸れた。
ここに来る前、amazon.comでDVDの「地雷を踏んだらさようなら」と泰造さんの写真集まで買って彼がなぜここにこだわっていたのかを知りたくって考えたが、カンボジアの歴史の中でクメールルージュの時期はホンの一瞬。歴史の解説書だけでは読み取ることができず、ストレスの何者でもなかったここ数週間。とりあえずそれが今、目の前にはある。 -
一ヶ月前までなんて事ないたかが世界遺産で死にぞこないのただデカイノ森の中に突然盛り上がる奇怪な要塞。なんて事のない過去の遺産。
しかし、その塔が近づくにつれ、知らず知らず、早足でとうもろこしに向かう。3本が4本になったり5本になったり見る向きに対してとうもろこしの数が変わる。
前を歩く人の群れを押し分けようやくその前にたち尽くす。どのくらい口をあけていたのであろうか、われに戻ると忘れていたデジカメとCONTAXのシャッターを夢中で切る。
歴史上のほんの一瞬、ここにクメールルージュが占拠し、共産軍と戦って、その最中多くのジャーナリストがここを撮ろうと虎視淡々と伺う中、誰よりもここを撮りたくて撮りたくてしょうがない青年がいた事をあらためて肌で感じた。
周囲を囲むように塀画(彫刻)が続く。東西南北すべてにストーリーがあり、日本人が大半を占めているためいたるところで解説が聞ける。唯一いいところである。
いよいよもってとうもろこしにいたる。急高バイの階段奥行き10cm角度45度位である。遺跡っていったらやはり観光客に媚びてはならない。10mほど登ると、さらに10cmの奥行きも削られて場所によっては5cm未満。高バイもさらに60度超!マジ階段らしき壁にへばり付いて上に上に。
ある意味フリークライミング(命綱なし)。それでも結構な年配の方々も参加する。大抵、登りがこれなら下りは・・・考えないことにする。 -
遺跡内部には数々の装飾の彫刻が施され、ときにドキッとするものもあれば素人のいたずらっぽいものあり、それなりに楽しめる。しかしながら、世界遺産に登録されここ数年一気に観光客が増え、ワット自体朽ち果てるのも時間お問題のような気がする。世界的に貴重な遺産との事から、世界各国の支援によって修復工事が行われているのだが、フランス人の修復はセンスのかけらもない。土木工事であって遺跡の修復とはほど遠い。
GWともあって最上階は立錐の隙間もないほど混んでいる。これは手すり付きの階段(降りるため)が大渋滞なのだ。やはり自分でもつらいフリークライミングをほんとおばさん達がせっかくだからと何とかして登ったのであろう。
結局自分の予想が的中?して下りは過酷を極め、泣きながら降りる観光客達。その一つしかない手すりを待ってはいつ降りれるかしれず、しょうがないので地元の子供たちの進めるまま、手すりのない朽ち果てた階段のような壁を少年達といっしょに降りる。実際のところ体力の限界に近く、ひざが震え、ホンと怖かった。
大渋滞をあとに5分程度で下界に降りることができ、しばし、崖?を転げ落ちる人々をひやかす。
その足でプノン・パケンを登る。ここは60m程度のジャングルの中の小高い丘だが、またまた足場が悪い。これだけの観光地ならもう少し整備するのが本当ではないかと午前中とは真逆な考えがよぎる。
このプノン・パケンはアンコールワットの夕日を見るのが絶景との事で、登ってみたのだ。
ハッとした。
amazon.comで購入したDVDの地雷を踏んだらさようなら」で主人公が遠く霞に煙るアンコールワットのシーンがあるのだが、間違いなくここで撮影したものだろう。
雨季も近まり空がどんよりして夕日などとても拝めることなく山を降りた。
ちなみにここを降りながら地元ガイドさんにクメールルージュのことを聞いたが、実際はワットに立てこんだという事はなかったそうだ。さすがにこのデカイ恐竜に敬意をはらって秘密基地にすることなくジャングルに潜んでいたそうだ。おかげでアメリカ人お得意の無差別破壊をまぬがれたよである。 -
5時ジャスト。時間どおりにお迎えが来た。
4時頃までオールドマーケット近くのディスコ(クラブ??)でアダムたちと大騒ぎしてたので二日酔いどころかまだLiveで酔ってます。
真っ暗。毎日通うアンコールへの道であるが、今日は体調がいまいち。睡眠不足と二日酔いと下痢。
せっかく来たのだからと強行したものの、車の中では爆睡。こんな早朝でもPASSチェックはあり、お迎えのおねえさんに揺り起こされる。
20分位でアンコールワットに着くが、当然真っ暗。懐中電燈が無ければ参道を歩くのもままならない。一個目の門をくぐるとうっすらとアンコールの塔が区別できるようになった。5時50分ごろ朝日が登るとの事で、そのころ門の前に迎えにくると言葉少ないおねえさんがつぶやく。
まあ、とりあえずとうっすら見えだしたとうもろこしに向け参道を進む。
徐々に真っ黒の空が白みはじめ、三本の角が姿をあらわしてくる。
白白とあけてきたころ蚊がうるさく付きまう。さっきまで呑んでいて体臭がプンプン、シャワーも浴びず来たものだから自分でも汗臭く、この辺で刺されたらテング熱発症と最悪のストーリーを考え、一人でいるから集中攻撃かと考え、参道から外れて有水地(乾季のため水が無い)ところでシャッターを構えている人ごみにまぎれる。そこは台湾or中国人のグループである。どうも、アンコールの日の出を待つポイントは各国のグループ分けがなされている。どうも、ガイドブックにココが良いとか引率するガイドさんのお勧めスポットに早々に陣取るため、国境ができるようだ。おかげで、うるさい蚊はおいしそうな?台湾おねえちゃんに浮気してくれたようで、私のテング熱問題もひと安心。
昨日の夕日はまったくだめだが、ナント!地平線から真っ赤なだいだい見たいな太陽がアンコールを照らしだす。
しばし眺めたが、だからどうということなく、それよりおなかのぐるぐるが心配。 -
さすがに疲れきってホテルで爆睡。午後には復活し、こうしてもごろごろしててもつまんないので、ツゥクツゥク拾ってベンメリアへ向かった。
ガイドブックのたぐいには必ず乗っているどっかで見た景色。インディージョーンズ気分急上昇。最近ではツゥームレーダーでロケしている。
オモテのカンボジアもすごいのだろうが、
ちなみにこの遺跡を包み込んでいる木が遺跡を壊す要因の一つだと言う。 -
5月3日
今日はのんびり。
クパルスビアンとバンティスアレーに行く。
結構つらい山登りだと昨日聞いていたのでクメールマッサージで準備万端と思ったら、肩がいたい。基本的に肩のこらない体質の私が成体まがいの強烈なストレッチじゃさすがに筋肉痛をもよおしている。
午前中にバンティスアレーを通り越して、クパルスビアンに向かう。数年前、秋篠宮さんがバンテスアレーが見たいとわがままを言ったため、日本国がお金を出し突貫工事(約20km)でそこまで舗装したそうだ。おかげでバンティスアレーまでは多少バンピーではあるが、快適な道をゆく。
途中ガイドさんが突如、「ここはプラダック村といいます。ここの細い道を入ってしばらく行くと一之瀬泰造さんのお墓があります。ときどきフォトジャーナリストの方々からの要望で案内したことがあります。」
ノまったくあきらめて忘れかけていた一之瀬さんのゆかりの地が目前に現れたのだ。いずれにしても今日のツアーにお墓参りが入っているわけも無く、場所だけ、プラダックとレシートの裏に書きこんだ。
バンテスアレーからクパルスビアンまでは一転まったく整備されていない赤土の道。もうもうと土ぼこりの立ちこめる中、道の穴を避けて車はゆっくり進む。
秋篠宮さんもクパルスビアンが見たいとわがままついでに言ってくれれば・・・
頭をシートや窓ガラスに痛打しながら絶えること1時間クパルスビアンに着いた。
そこから1時間の山登り。雨季になるとすべるからもっとあるきずらいといってるが、いかんせんここは水中のお寺さんとガイドブックにのっているけど、今は乾季。きれいなはずの滝は申し訳なさそうにちょろちょろ。まあ、水のあるときにまた来てください。ってかんじかな。 -
飲んだ水はすぐ汗。一日最低ペットボトル3本は飲まないと死にます。
来たでこぼこ道を車は戻る。何度か頭ぶつけて気が遠くなりながらバンテスアレーに着く。
こじんまりした遺跡。一応東洋のモナリザと盗掘したフランス人が言ったらしいが、今回見たどの遺跡もまともなものがなく、自然によるものと盗掘によるもの、またはポルポトの破壊。それを各国が修復にあたる。ここはスイス。フランスよりは丁寧さが感じられるが、修復はやはり日本が秀でてる感じ。
東洋のモナリザも見ることができ、本来なら本日終了と行きたいところだが、頭の中は一之瀬さんのお墓参り。
来た道を戻る。気絶しながらホテルへ。本日はカンボジア料理のオーダーもしていたので、18時20分に迎えに来るという。
フロントでは私の顔が見えるとニコニコしてルームキーをわざわざ持ってきてくれる。滞在も4日となり私を知らないひとは無い?かも。ほんと良いホテルである。お湯が出ないことを除けば・・・。 -
一之瀬泰造ってしらないか?とフロントのお兄さんやおねえさんに聞いてみるが、まったく知らない。こうなりゃバイタクかツゥクツゥクで行くしかない。ここを除くと観光でいっぱいで時間が無い。多少リスクを背負ってでも俺は行く!
ホテルの前でたむろするツゥクツゥク達に片っ端から問いかける。タイゾー知ってると二台のツゥクツゥクドライバーが寄ってきた。
この際値段交渉も無いだろうと思うが一応値段を聞く。25km以上はあるから往復なら6ドルだな。ちょっと高いが我慢できる金額。バイタクなら半額で十分だが、朝来たバンピーコースにバイク二人のりはつらいと判断。この際ごねる時間も惜しい。
ここでだまされては元も子もないので、とりあえずどっちの方向はを聞く。クパルスビアンとの答えで方向は合ってる・・・間違い無し。
ルームキーをフロントに預けると、ホテルスタッフが心配そう。ご心配はありがたいが、こうなりゃ一か八かだ。長距離のツゥクツゥクなんてかもられに行く様なものと、フロントのおねえさんはさらに心配してくれる。
朝夕の挨拶や、時間があるとみんなに今日の出来事を話すようになって、ホンと仲良くなった。このホテルは不思議と日本人は僕一人。
ここのホテルはコンドミニアム。それにトッケイトッケイと鳴くトカゲはいるが・・・なんか楽しいホテル。また来るならここ希望。
ツゥクツゥクの運ちゃんもそんな悪そうなひとでもなく、快適に6号線をひた走る。 -
アンコール遺跡観光エリアに入るときはPASSが必要。軽い検問があり、どこを観る?ときかれ、タイゾー!と答えると、検閲の兄さんがにっこり笑って
“TAIZO is good men!”
思わず「オークンチュラン」(ありがとう)と言っていた。自分が彼のことどれだけ知ってるのかさえ定かではないが、この国と日本の関係でお金だけではないなにかが感じられる。
4,50分でプラダック村に着いた。
村はずれにタイゾーの看板。
右折してしばらく行くと立て看板があって左折。
あぜ道のような畝をツゥクツゥクで行くと、また看板。
とても自分の足ではこれそうに無い奥の奥。木の橋をわたると小屋が一つ。子供達と、母親が遊んでいる。その奥に、コンクリートのお墓がある。これはタイゾーのご両親が作られたと本で読んだ。 -
ツゥクツゥクの運ちゃんもあとから着いてきていた。一応手を合わせると、小屋の中にいた女の子がどこからかデカイ花火のような線香を2本持ってきて火をつけてくれ手渡ししてくれる。
チップを渡そうとするが、小屋を指差すだけ。本格的にお参りをした気分。
暑い。いつのまにか、青空が見えてきた。
小屋に入ると、壁にタイゾーの記事。なかの椅子で日本人の青年が「地雷を踏んだらさようなら」を読んでいた。
線香をくれた女の子がテーブルの上の箱を指差している。香典いれの様だ。こちらをきれいに管理しているのは、タイゾーがお世話になった食堂のママさんの孫らしい。
アクリルケースの香典箱の中には20ドル1枚、1ドル2枚。とりあえず、マネークリップに10ドル札と6,000リエル、ツゥクツゥク代もあるので、6,000リエルを折りたたんでいれる。
青年の横に座り、声をかける。
「よくこれたね」
「バイタクのおっさんに任せただけですよ。ツアーから抜けたかったんでぇ・・・。」
「やっぱその本でしったの?」
「実は初めて読んでます。この人のことはガイドブックにちょっとのってますからね。アンコールワットの夕日もいまいちだろうし、丁度良い機会だから全部読んでからかえります。」
「・・・・」 -
どのくらい話したろうか。久々に日本語の談笑をすますと太陽が傾き始めている。青年に別れを告げ、ツゥクツゥクに戻る道すがら、またアンコールワットが観たくなった。タイゾーの見たくてみたくてしょうがなかったアンコールワットに。
運ちゃんに交渉。どうしても観たいので、3ドル追加でおりあった。
途中給油し約20分でアンコールワットが観えてきた。こんなに近かったのか・・・。
5時15分到着。
すごい観光客。でも夕日の時間が近くなってきたのか、多くのお客は帰り足。ちょうどプノンパケンで夕日鑑賞の時間。参道を人の流れに逆行してとうもろこしを目指す。何枚かシャッターを切り進む。
塔の直前に来てしばらく立ち止まる。不意にまた来ようって思い、境内に入らず来た道を引き返す。
全部観たらもう来る必要が無くなるから。これが今回のアンコールワットの最後と決めた。
参道のお堀の橋を渡り、観光客と観光バス、客待ちのツゥクツゥクとバイタクでごったがえした待ちあい場所であのツゥクツゥクを探す。
ほどなく、屋台のほうで手を振る運ちゃんと合流する。夕日の時間とかち合いツゥクツゥクの身動きとれず。それにしてもさすがGW。ここは日本かって思うほど。
何とか6時にホテルに着く。チップ含め10ドル渡した。また案内すると言う言い方からずいぶんはらったのかなあ。でも、それ以上の価値あり。 -
ツアーでしりあったおじさんから北朝鮮の直営の冷麺やがあるらしいと情報を聞いていたので、今夜のディナーは冷麺にする。どうも美女軍団がいるとのうわさ。これは要チェックだ。8時にBUNさん(毎晩夜のシェムリアプ観光担当で雇っている?)がくるからバイタクで行くぞ!
8時過ぎ、BUNさんが来る。約束どおり、門の外で待っている。
夕飯食ったか聞くと、まだ食べてないそうなので、北朝鮮行こうと言うと、場所知らないと言うのでGo to Airport!BUNさんはバイタクやツゥクツゥクの運ちゃんに聞きながらついに到着。
さて美女軍団はいかに・・・と店に入ろうとするとドアをあけてくれる女性。
きたー!早速美人。ウエートレスさんはみんなきれい。さすが外貨獲得の戦闘員だもんなぁ。と感慨むりょう...。
BUNさんに美人だろ?と聞くと「Not so bad」。
写真いっしょにとってくださいと英語でいうとつれなく無視。やはり日本人は嫌われているのかなあと思い、BUNさんにメニューの説明をする。
値段は冷麺8ドルビビンパ6ドル白菜キムチ3ドルノカンボジアでは考えられない高額。どうやら、韓国の人達ご用達のお店のようだ。ビールとキムチと僕が冷麺でBUNさんはトンカツみたいなやつ。冷麺が出されたとき、「写真とらせてください。お願いします。」と頼むと、食べ終わったらねとこれまたつれない。
キムチは抜群にうまい。本場のもだぞとBUNさんにいうとどうも苦手なようだ。
彼に北朝鮮の現状を英語で理解させるのはつらい。
一通り食い尽くして、そのおねーさんに写真とろうというと渋渋OK。 -
5月4日
今日はついに秘境。外務省も渡航の是非を要検討と言う地区に突入。プノンクーレンとベンメリアだ。
プノンクレールは聖なる山。山頂上に涅槃仏があり、外国人はほとんど行かないそうだ。一応外務省も渡航の是非を検討するとなっている。別に意味は無いが、ただツアーだと日程が決まっているのでここに来ると一日飛ぶ。それでツアーから敬遠されているとウーさんがいった。確かに過酷な道。標高350Mだが、道が険しく細い。車がすれ違うのはほとんど不可能と思う。事実、先を走る乗用車が崖側に脱輪して立ち往生。こちらもシャッターを切りたいところだが、ぼこぼこ道で前の座席にしがみついていないと振り落とされそう。
山頂のお寺さんは今の国王の情けないシアヌークさんが若いころここで修行したそうだ。まあ、確かに涅槃仏はデカイが、アジア特有の微妙な雑さ加減。ある意味味がある・・・が。
この寺院の側に河がありこの乾季間だけは水かさが低く、川底に彫られた彫刻が観えるというので、靴を脱ぎ、ズボンの裾をまくりあげ、川に入る。森林に包まれた川であるため、水の透明度も高くまた心地よい冷たさである。
チップ目当てだとは思うが、そこのおじさんが腕をつかんでくれ、ここに
神様の彫刻があるとやばそうな流れの急な深場へさそう。すでにジーンズのひざ上までびしょびしょ。せめて、ウエストバックだけは守らねばと思った瞬間ドボン。川底に50cm位の穴があいていたのだ。背中まで川につかる。 -
車で若干下ったところにここのお寺さんにお参りに来た人の水浴び場がある。ウーさんに写真とるかと聞かれたが、人の水浴びバックに写真とっても面白くない。すでにびしょびしょなんだからここは一気にノパンツ一つで水浴び用の滝に向かう。
なんか楽しい。まわりのカンボジアの人々もなんかうれしそう。
よっぽど楽しそうにうつったのか、ウーさんがこの下に本物の滝がある。行ってみるか?といわれて、ここまで来て何も考えることなど無く、Let\'s Go!
しばらく行くと、滝が見えてきた。そこの滝は思ったよりでかく、ちょっとばかし怖じ気ずいたが、ここまできてこの滝に打たれないでどうする。結局行きよい付けて飛びこむ。しばらく滝つぼの側の石にすわり強力な水粒に絶えていた。ウーさんもホンとは水浴びしたかったらしく、二、三枚デジカメのシャッターを切ってくれた。
あと、衣類を見えるところに移し、飛びこむ。しばし滝のしずくにいっしょに打たれた。我々が滝遊びをしていると遠巻きに見ていたカンボジア人のカップルが服を来たままわれらの滝つぼに入ってきた。基本的にカンボジア人はシャイだが水浴びは大好きなようだ。
今日は朝方曇って雨がちらついていただけ、35℃。ちょっと低めだが今は正午。やはり暑い。ちなみに、パンツ1枚は私だけで、ウーさんは、お金はらって腰巻みたいなものしている。なんか恥ずかしいが、なれると体がどんどん軽くなって楽しい。新参のカップルにスオスデェイ!と挨拶するとびっくりしながら、微笑む。人が入ってると入りやすいのか、私の滝つぼの人口密度が増えてきたので、そろそろ退散。また来た道を戻りかけながら、そのカップルに両手で手を振ると、今水浴びしている人達みんながてを振り返してきた。
いまとても楽しいぞ。 -
お昼をはさんでベンメリアへ向かう。水浴びで予定をかなりオーバーしたらしく、本来なら川面でお弁当らしかったが、特段私もウーさんもおなかが空いているわけでもなく、ドライバーさんは早々に食事をとっていたので、そのままプノンクレールの山を一気に降りた。
ベンメリアへはいつもの赤いでこぼこ道をさらに40分程度進む。着くとすぐお店の店先を借り2人でお弁当を食べる。ハエが多い。20分ぐらい休憩してベンメリアに入る。
ここはまさに廃墟の遺跡って感じ。実に良い。無理やり下手な修復をされ生き恥をさらす遺跡をたくさん見てきたので、このような朽ち果て、静まり返った遺跡はとても新鮮である。遺跡の規模はアンコールワットと同様のでかいものらしいが、今では回廊の痕跡を残すだけ。天井も見事に落ち、瓦礫の上を歩く。
時より鳴くセミの声以外なにも聞こえない。このまま、なにもせず大地に戻って行ってほしいと思う。
アンコールワットはある意味シェムリアプの象徴であるが、ベンメリアの荒廃した潔さは、一見の価値は十分である。
帰りは来た道を戻る2時間以上のでこぼこで実際のところうんざりする。ウーさんも眠いようで、睡魔と戦っているが、結局二人とも眠ってしまったようだ。
目が冷めるとプラダック村に入っていた。すでにタイゾーの看板は通りすぎてしまっていたが、約1時間はぐっすり。 -
今日は夕方の便でプノンペンに向かう。
充分に時間あるので、最も古いと言われるロリュオス遺跡に向かう。どこもかしこも改修工事中。修復に付いては、ドリルで小さな穴をあけ、その中に樹脂(アクリル)みたいな液体を注入する。ここは現状維持を目的としており、まだまだ先は長そうである。
ここはどこに行っても子供が多い。その子供たちを見ていても決して飽きない。
この子らが大人になったら、すごい国になるだろうなぁ・・・日本とは全然違う人口の構成である。
まだ時間があるので、オールドマーケットのホットスポットでメールを送ってスコールのあがった土のにおいが立ちこめるシュムリアプを後にした。
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