1990/04 - 1990/04
27位(同エリア41件中)
アリヤンさん
2回目の駐在していたクウェートからは毎月のようにドバイとエジプトにはビジネスで出かけていた。
オマーンには取引規模が小さかった事もあり3ヶ月に1回くらいのペースで出張していた。
ある出張中、たまたまマスカットで安息日の金曜日となってしまった。
オマーン、ドバイ、サウジアラビア、クウェートなどで、休みの金曜日の過ごし方は難しい。
「行くところが無い」、のである。
例えば、街であるマスカットは一度見て回れば何回も行くようなところは無い。
街から少し外れると、荒涼とした土漠ばかりでどうしようもない。
外は大抵どうしようもなく暑い。
半端な暑さではない。
また湿気がある時が多い。
よってクーラーの効いたホテルの中に居る場合が多い。
しかし、それもイツモ、いつもというわけにはいかない。
当時のマスカットは、商業地区と云うのはルーイ地区かアル・ファラージ地区のどちらかしかなかった。
今回はアル・ファラージにあるAl Falaji Hotelに泊まっている。
このホテルを出た所にレンタ・カー屋が営業していたので「明日、金曜日は一日かけてオマーンの奥地に行ってみよう、奥地に行けばなにか、これゾ、アラビア!っと云えるような掘り出し物が見つかるカモ?」っと。
当時はカメラを持ち歩かなかったので写真が無い。
今回は、当時現地調達した地図と、その地図に載っていた写真の助けを借りて進めます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ガルフ航空
-
レンタカーで、初めてホンダ・シビックに乗った。
クウェートではニッサンかトヨタの大型車にしか乗ってなかった。
シビックの燃費の良さには驚いた。
今回オマーンの奥地、アラブ首長国連邦との国境付近にあるオマーン第2の町、ニズワに行ってみようとした。
砂漠の国の町、例えばリヤド、ジェッダ、クウェート、ドバイなどのスーク(市場)に行っても、どこも売っているものは輸入品で、これぞ砂漠の民の伝統品!というものは見つからない。
民芸品だと思って良く見てみると、エジプト製だったりインド製だったりパキスタン製だったりする。
これゾ、「ベドウィン伝統のアラビアだあ!!!」を探しにオマーンの奥地にドライブを仕掛けた。
空港のある所までは海岸線、ソコから北に進路を向けて内陸へ入っていく。ドバイ首長国との国境近くのニズワを目指す。
「ニズワ」、語感からして「田舎、僻地、山奥」、という感じが漂っている。
ドライブはニズワだけでなく、ニズワから東に伸びている道路を東に行って、途中イブリで南に下る道路で海を目指して下り、海に当たってから西方のマスカットに帰還する計画だ。
一つの不安は、山奥から海に伸びている線が工事中の線になっている事だ。まだ完成していないなら、同じコースを戻るしかないだろう。
地図拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/OmanOldMap.jpg -
写真はオマーンの港、ミナ・カブース(ミナ=港、カブース=オマーンの王様のカブース殿下の名前)。
交易品はこの港に運び込まれる。
オマーンは古代からインダス文明とメソポタミア文明の交易の中継地として大きな役割を果たしていたことが判明している。 -
マスカットから空港へ向う海岸線で、沢山の海鳥がエサをつついていた浜辺があった。
人間の姿はどこにも無い海と鳥だけの浜辺だ。
あまりに気持ち良さそうな砂浜なので、ワタクシだけの足跡をプリントしてきた。
それから、進路を北に向けてエンエンと続く土漠を時速100キロ以上で飛ばした。
途中、山岳地帯に入ると、途中このような段々畑が目を引いた。
人の住んでいないような、荒涼とした所でも人は住んでいるのだ。
さて、ニズワに着いて、期待に胸を膨らませてすぐにスークに行ってみた。
ガッカリした。
並べられていたのは、前述したような町のスークと同じかそれ以下のガラクタ日用品ばかりだった。
わずかにスークの奥にジャンビア(オマーン人やイエメン人が腹の前に挿しているアラビア風ナイフ)の鍛冶屋、ベルト屋や刀の柄を作っている専門店街があったのが救いだった。
さらに奥地を目指し、山沿いに東へ、、、シビックを快調に飛ばした。 -
イチオシ
途中でこのような人達を見た。
行けども行けども土漠ばかり、通り過ぎる村も、あるか無しかの集落ばかり。
イブリという所で今度は進路を南に変えた。
地図では工事中になっていたが、「な~んだ、立派な道路があるじゃあナイカ!
地図の製作年度が古くて、今はもうこの道路は出来上がっているんだ!」
っと勝手に決め込んで、高速で走っていた。
のが大失敗だった!!!
広い道路が一瞬のうちに視界からパッと消えた。
消えたらどうなった?
白い土漠に突っ込むだけ。
タイヤは滑りに滑った。
アーッ、ワタクシもこれまでかっ!?
ただ車体がひっくり返るのだけは避けようと、必死にハンドルを逆に切った。
途中木製の柵に側面を当てて土漠の中に放り込まれ、かなり横に滑ってから、砂ケムリの中で車は止まった。
幸い車はひっくり返っていない。
ヨカッタ~~。
身体が震えて、しばらく車から出られなかった。
するとアラ、不思議。
周りからバラバラと人が出てきたのだ。
こんな荒野の真っ只中に人が居るなんて!
みんなそばにやって来て「大丈夫か?」「ケガはないか?」「どこから来た?」と口々に心配して声を掛けてくれたのだ。
車の外に出てどこか損傷はないか調べてみた。
後輪の片方が柵に当たって、車軸をカバーしているベアリングのフタがどこかに飛んでしまい、車軸がむき出しになっていた。
ベアリングは無事なようで安心した。
なんせマスカットから300キロくらいはなれた荒野なので、文明社会に戻らねばエライことになる。
心配してどこからとなく登場してきた現地の人々にお礼を申し述べて、恐る恐る、今度はゆっくりゆっくりシビックを運転して帰った。
ベアリングが飛び出すのではないか?
と心配をしながら。 -
クウェートでも経験したのだが、どんなに荒涼とした砂漠の真ん中でも何か事故でも起こすと、不思議と人が沸き出でるように出てくるのだ。
普通は砂漠、土漠で生活しているベドゥインの人たちである。
素朴で親切な砂漠の民である。 -
当時のオマーンのお金、100パイサ。
パイサ?どこかで聞いた様なお金の単位。
そうそう、インドに行けば乞食たちが「パイサ、パイサ」っと言って震える汚い手を差し出していた、あのパイサだ。
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