2026/07/29 - 2026/08/04
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皆様こんにちは。
昨日、何年ぶりかでブログを復活しました、ウォータースポーツカンクン店長の吉田です(^^)
インスタやショート動画全盛の時代。長い文章を書くことも、読むことも、いつの間にか時代遅れになったような気がして、私も長らくブログから離れていました。
ただ最近、短く切り取られた映像や、表面的な出来事を次々と消費していくことに、世の中も少しずつ飽き始めているように感じていた折、インスタ担当の藤野から「もう一度ブログを書いてほしい」と請われ、このたび復活することになりました。
復活第一弾として選んだのは、つい先日、娘の大学合格記念として家族で訪れたメキシコシティの旅にしてみました。
旅行記といっても、「ここへ行きました」「これを食べました」「楽しかったです」というだけのものを書くつもりはありません。
食、美術、舞台、建築、音楽、街、そして文化。
旅先で出会ったものから、店長吉田が何を感じ、何を考え、どんな問いを持ち帰ったのか。
ウォータースポーツカンクンを23年間率いてきた私が、旅というものに何を求めているのか。そして、なぜ弊社がプライベートツアーという形にこだわり続けているのか。それらを直接説明するのではなく、今回の旅を通して、少しずつ感じ取っていただければという願いを込めて、復活ブログ、では、参ります(^^)
本編は、おそらく10回近くに分かれる長編になります。
どうぞ覚悟して、最後までついて来てください(笑)
****序章**** 娘の卒業とICU合格記念旅行
この旅に出たのは、今年の8月。
すでに少し時間が経っている。
旅行記というものは、本来なら帰ってきた直後に書いた方がいいのかもしれない。記憶は鮮明で、写真を見れば、どこで何を食べ、何を見て、どんな会話をしたかもすぐに思い出せる。
しかし今回は、なかなか文章にする気にならなかった。
面白くなかったからではない。
むしろ、その逆だった。
あまりに多くのものを見て、多くのことを感じ、そこからいくつもの問いが生まれたため、それを単なる「楽しかった旅行」として書いてしまうことに、どこか抵抗があったのだと思う。
旅には、その場ですぐに分かる楽しさがある。
料理がおいしかった。舞台が素晴らしかった。作品が面白かった。街の雰囲気が良かった。
それだけでも、旅としては十分に成立する。
けれど、旅の中で生まれた問いは、帰宅したからといって終わるわけではない。
あの作品は、なぜ私の記憶に残ったのか?
高価な食材を使った料理より、名も知らなかった店の一皿に心を動かされたのはなぜか?
例えば「本物の日本食」とは、いったい誰にとっての本物なのか?
古いアーケードゲームを、当時を知らない若者たちが遊ぶとき、それは懐古なのか、それとも新しい文化なのか?
作品と商品は、どこで分かれるのか?
文化は守られることで残るのか?
それとも、別の文化と混ざり、誤解され、姿を変えることで生き延びていくものなのか?
旅をしている最中には、まだ言葉にならなかったものが多くある。
その場では「面白かった」としか言えなかった体験が、時間を置くことで別の記憶と結びつき、少しずつ意味を持ち始める。ワインのように、と言えば少々格好をつけすぎかもしれないけれど、体験にも熟成する時間が必要なのだと、私はずっと思ってきた。
問いの少ない旅は、帰った瞬間から思い出になっていく。
一方、問いの多い旅は、帰ったあとも終わらない。
何度も思い返し、そのたびに違う意味が立ち上がる。旅先で見たものが、数週間後、あるいは数年後に、自分の仕事や生き方と突然つながることもある。だから旅の価値は、訪れた場所の数や、撮った写真の枚数だけでは測れない。
その旅が、その後の自分の中に何を残したのか。
そこから、どんな問いが生まれたのか。
そして、その問いが自分の視点をどのように変えたのか。
今回のメキシコシティへの旅は、私に対して多くの問いを残してくれた。
時間が経った今になって、ようやく書き始められる気がしている。
****第一章**** なぜ、卒業旅行にメキシコシティを選んだのか??
今回の旅は、娘の高校卒業とICU合格を祝うために企画したものだった。
9月から娘は日本へ渡り、新しい生活を既に始めている。
私の影響からか、専攻は芸術文化比較研究科。。。芸術や文化、メディア、人類学などに関心を持ち、異なる文化がどのように出会い、影響し合い、変化していくのかを学ぶ学問である。
卒業祝いなら、自然あふれる場所でゆっくり過ごす旅でもよかった。豪華なホテルに泊まり、有名なレストランへ行き、記念写真を撮る。それも一つの祝い方だと思う。
けれど私たち家族(というより私にとって?!)は、それだけでは少し物足りなかった。
私はこの仕事に関わる以前は美術に関わり、妻はデザイナーだった。現在、私自身は新たなコンセプチュアル・アートの場をつくる準備も進めている。
三人の関心や経験はそれぞれ違う。
同じ作品を見ても、私と妻では評価がまったく違うこともある。娘は、私たちのどちらとも異なる場所に反応する。
それならば、何か一つの答えを確認する旅ではなく、三人がそれぞれの視点で同じものを見て、違うことを感じられる旅にしようと考えた。
その目的地に選んだのが、もう何度も訪れているメキシコシティだった。
巨大な国立美術館や現代美術館があり、その一方で、普通の住宅のような場所に世界的なギャラリーが存在する。
壮麗な劇場では、スペイン語による『オペラ座の怪人』が上演されている。
ミシュランに評価されたレストランがあるかと思えば、少し離れた場所では、グラフィティとメキシカンラップに囲まれた若者たちが、40年以上前のアーケードゲームに興じている。
そこでは日本食も、もはや日本の料理を忠実に再現するものではない。日本、メキシコ、チリといった異なる文化が混ざり合い、どこの国の料理とも言い切れない、新しい何かへと変わり始めていた。
美術、舞台、料理、音楽、ゲーム、民芸、建築。
今回は、それらを別々の観光地として巡るのではなく、一つの文化が生まれ、別の文化と衝突し、やがて違う姿へ変化していく過程として見てみようと考えた。
とはいえ、予定通りに多くの場所を回ることが、旅の目的ではない。
娘が疲れていれば予定を変える。
一つの作品が気になれば、そこで立ち止まる。
料理を食べながら話が始まれば、次の場所へ急がない。
予想していなかったものに出会えば、そちらへ進んでみる。
効率だけを考えれば、決して優秀な旅程ではない。
けれど、旅とは本来、予定を消化するためのものではない。
自分たちの関心がどこへ向かうのかを確かめながら、その場で一日の意味をつくっていくものだと考える。少なくとも私たちにとっては、何を見たかと同じくらい、何に立ち止まり、そこで何を話したかが重要だった。
そしてメキシコシティに到着した私たちは、早速、美術館へ足を運ぶより先に、最初の「作品」と出会うことになる。
それは、今回滞在するために選んだ、一軒のAirbnbだった。
****第二章**** 美術館へ行く前に、私たちは作品の中で暮らしていた
美術館へ行く前に、私たちは作品の中で暮らしていた
それは、今回滞在するために選んだ、一軒のAirbnbだった。
ホテルではなくAirbnbを選んだのは、家族三人で過ごせる広さが欲しかったこともある。しかし、扉を開けて最初に感じたのは、広いとか快適だとか、そういう宿泊施設としての印象ではなかった。
そこには、明確に誰かの「視線」があった。
室内には大きな観葉植物がいくつも置かれ、壁には手縫いのマヤ刺繍が飾られていた。食器棚にはセルビン焼きのカップや皿が並び、部屋の一角にはクラシックギターが置かれている。音楽を流せばJohn Coltraneが空間に馴染み、モカポットで淹れたコーヒーを飲みながら椅子に座っているだけで、時間の流れまで少し変わったように感じた。
一つ一つを見れば、かなり高価な物も多い。
セルビン焼きのカップ&ソーサーだけでも500ペソ以上する。マヤ刺繍も、観光地で大量に売られている機械刺繍ではなく、時間をかけて手で縫われたものだ。
オーナーはAirbnbを始めて、まだ2か月ほどだという。正直なところ、よくこれだけの物を宿に置けるものだと思った。盗まれたらどうするのだろう、と、こちらが心配になるほどだ(笑)
しかし、この宿の魅力は、高価な物が置かれていることではなかった。
高価な物を並べただけなら、それは単なるショールームになる。
民芸品を置けばメキシコらしくなるわけでもなければ、観葉植物を増やせば居心地のよい空間になるわけでもない。
大切なのは、何を選び、何を置かず、それぞれの物にどのような関係を与えるかだ。
セルビン焼きとマヤ刺繍。
植物とギター。
古い音楽と、現代的な家具。
それぞれは異なる土地と時代から来たものなのに、ここでは互いに主張し合うことなく、一つの生活空間としてまとまっている。おそらく、ホストが「メキシコらしい部屋」を演出しようとして集めた物ではない。
自分が美しいと思い、実際に触れ、使い、一緒に暮らしたいと思った物を選び続けた結果、その人の価値観が空間として現れていたのだと思う。
その違いは大きい。
誰かに見せるためにつくられた空間と、誰かの美意識が自然に蓄積した空間は、似ているようでまったく違う。
前者には答えが用意されている。
ここはメキシコ風です。
ここは高級です。
ここは写真映えします。
そうした分かりやすい記号が、見る側に価値を説明してくれる。
一方、後者には簡単な答えがない。
なぜ、この刺繍の隣にこの植物があるのか。
なぜ、この部屋にはこの椅子が選ばれたのか。
なぜ、初めて来た場所なのに落ち着くのか。
説明されていないからこそ、こちらの側に問いが生まれる。
家族が寝たあと、私は一人でクラシックギターを弾いていた。
旅先で、誰かの選んだギターを手に取り、知らない部屋で音を鳴らす。
少し不思議な時間だった。
上手に弾く必要もなければ、誰かに聴かせる必要もない。
植物に囲まれ、モカポットで入れたメキシカンコーヒーを飲み、音楽を聴きながら、翌日から見る作品や、これから自分がつくろうとしている場所について考えていた。
そのとき、普通の家をギャラリーにすることは十分に可能なのだと、改めて思った。
もちろん、壁に作品を掛ければギャラリーになるという意味ではない。
作品を展示するためだけにつくられた白い空間よりも、人が暮らした痕跡の残る部屋の方が、作品に新しい文脈を与えることがある。食器があり、植物があり、音楽が流れ、誰かが座った椅子がある。
生活と作品の境界が曖昧になることで、美術館では生まれない見方が生まれることもある。
展示とは、物を置くことではない。
物と物の間に関係をつくることなのではないか。
そして、その関係の中へ誰かを招き入れることも含まれる。
滞在の終わりに、妻と娘へ、この旅行で何が一番良かったかを聞いた。
美術館でも、レストランでも、舞台でもなく、二人ともこの宿を挙げた。
それは少し意外であり、同時にとても納得できる答えだった。
私たちはここで、何か特別なサービスを受けたわけではない。
豪華なホテルのように、誰かが常に世話をしてくれたわけでもない。
植物に水をやり、コーヒーを淹れ、ギターを弾き、家族で食事をし、それぞれが好きな場所で過ごしただけだ。
しかし、完成されたサービスを受け取るのではなく、その空間に自分たちの時間を重ねられたからこそ、そこが旅の一部になった。
旅先で本当に記憶に残るのは、必ずしも最も高価だったものでも、最も有名だった場所でもない。こちら側が入り込む余地のあった場所なのだと思う。
すべてを説明され、決められた見方を与えられるよりも、自分で何かを見つけ、立ち止まり、考えられる余白があること。その余白の中で、同じ場所にいた家族が、それぞれ違うものを持ち帰ること。
この宿は、メキシコシティで私たちが最初に出会った「作品」だった。
そして翌日から私たちは、作品としてつくられたものを見るために、美術館とギャラリーを巡り始める。そこで待っていたのは、「美しい」や「面白い」だけでは終わらない、さらに厄介な問いだった。
作品とは何なのか。
そして、それが売られるとき、私たちはいったい何にお金を払っているのだろうか。
つづく。。。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
旅は、飛行機に乗った瞬間から始まるとは限らない(笑)
カンクン空港で最初に娘が腰掛けたのは、定番のこれ(笑)
くどいようながら一寸説明をしますと、映画『フォレスト・ガンプ』の中にしか存在しなかった架空のエビ会社を、現実のレストランとして再構築したレストランです。物語が映画の外へ飛び出し、場所と時代を越え、別の形で人々の体験に変わっていくというコンセプト。
振り返ってみれば、今回の旅で何度も出会うことになる「文化とは、保存されるものではなく、別の場所で再解釈されながら生き続けるものではないか」という問いは、実はもう、この一枚から始まっていたわけです。
もっとも、この時の私たちは、ただ出発前の記念写真を撮っただけだと思っていたのですが(笑) -
今回の旅で妻と娘に一番印象に残ったと言わしめたエアビーの部屋。論より証拠に、しばらく写真を上げながら解説を試みます(笑)
-
ベッドルーム1には、メキシコの職人による鮮やかな手縫いの刺繍。そして壁には、少なくとも私には名前の分からない作家のオイルペイントが掛けられていました。
技法も表現も異なりますが、強い色彩と土着的な生命感という共通のコンセプトによって、二つは見事につながっています。
ここで、最初の問いが浮かびます。
私たちは旅先で一枚の絵を見ると、「これは誰の作品だろう」と作者の名前を知りたがりますが、同じ空間にある手縫いの刺繍については、誰が、どこで、どれほどの時間をかけて縫ったのかを、ほとんど気にしません。
絵画なら作者名が価値になり、刺繍なら「メキシコの民芸品」という一言で済まされる。
しかし、では民芸はアートではないのでしょうか?
便器に署名をすれば現代美術になり、何週間もかけて縫い上げた刺繍は、名前のない土産物のまま。その違いは、作品そのものにあるというより、ギャラリー、批評、市場、そして署名という「美術へ入るための入口」にあるように思えます。
この部屋では、刺繍が絵画の装飾になっているのでも、絵画が刺繍より上に置かれているのでもない。
刺繍と油彩、工芸と現代美術、ベッドと壁が、同じ色彩と思想の中に置かれることで、寝室全体が一つの作品になっているわけです。
作品の価値は、作者の知名度だけで決まるものではない。そしてコンセプトとは、一つの物の中だけではなく、異なる物同士の関係の中にも生まれるのだという事ですね。 -
怪しげなリビングルーム(笑) この部屋の壁画は、宿のオーナーが自ら描いたものです。
中央に描かれている大きな顔は、丸く強調された眼や特徴的な口元から、雨神トラロックがモチーフかと思います。雨神信仰とその造形は、アステカ以前のテオティワカンをはじめ、メソアメリカ各地に古くから存在していますので、こうした古代の神々の記憶を、オーナー自身の感性で現在の生活空間へ描き直したものといえます。
しかも、この壁画はキャンパスではなく壁そのものに描かれています。家具や照明、植物、楽器、レコードと境界なくつながり、部屋全体が一つのインスタレーションのようになっている。切り取った作品として展示できない、、、。
私は滞在中、この場所でかなり多くの時間を過ごしました。
LPレコードをかけ、クラシックギターを弾き、ときにはこのトラロックらしき神と向かい合いながら瞑想までしました(笑)
写真では怪しげな青い光に包まれていますが、これは撮影のために照明の色をブルーに変えただけで、色や明るさは自由に変更でき、もちろん普通の照明にもなります(笑)
しかし光の色を変えるだけで、壁画の表情も、流れている音楽も、自分の感覚さえも少し違って感じられます。美術館の作品は、基本的にこちらが見に行くものです。
ところがこの部屋では、作品の中で音楽を聴き、楽器を弾き、考え、生活することそのものが鑑賞になる。
旅先で重要なのは、何を「見たか」だけではありません。その場所によって、自分がどのような時間を過ごす人間になったのか。
この宿は、泊まるための箱ではなく、滞在する人間の時間と感覚にまで作用する空間でした(笑) -
閑話休題(爆)
-
私が、感動したモカボット(笑)
普通、どこのホテルや民泊でも置いてあるのは、カプセル式のコーヒーメーカーなのに、この宿は、火にかけてゆっくりと抽出する昔ながらのモカボット(笑)
私はこれを見つけた瞬間、少し感動してしまった(^^;
便利さや均一さでは最新のコーヒーメーカーに敵わない。でも、火にかけ、湯が沸き、圧力によって濃厚なコーヒーが上がってくるのを待つ時間と、あの独特の香りや味わいは、どれほど高価なマシンを置いても同じものにはならない。
しかも用意されていた豆は、安いインスタントコーヒーでも、ちょっと高級を謳う宿なら置いてあるスタバでもない。メキシコ南部、チアパス産のアラビカ種です。
後日スーパーで同じ豆の値段を見て、正直びっくり(爆)
宿泊客が何気なく飲んでしまう一杯のコーヒーです。もっと安いもので済ませようと思えば、いくらでも済ませられるはずだし、恐らく、多くの人は豆の産地にも抽出方法にも気づかないで終わる。
それでも、見えにくい部分だからといって妥協しない。
壁に絵を描き、手仕事の家具や刺繍を置き、LPレコードとクラシックギターを用意し、最後は朝の一杯に至るまで、同じ思想が徹底して貫かれている。
ここには、「メキシコらしく見せる」ために集められた記号が展示されているのではない。実際に選び、使い、味わい、暮らすことのできるものが置かれている。
つまり、ニセモノではないのです。
私は、後日、モカボットを買ってしまいました(笑)皆さん、モカボットで入れるコーヒーは本当に美味しいですよ!! おススメです(^^)
※後ろに何気にセルビン焼きの水指が見えます(これも大変高価なので、壊したら困るので、この後、奥に片づけました(笑)) -
バスルーム1
もう説明不要ですね(笑) -
そして、ここが私のもう一つの秘密部屋(笑)
さて、いったい何の部屋だと思いますか?
驚くなかれ、ここはボイラー室です(笑)
写真の右側は、写真にも写っていますが、そのまま屋外につながっています。したがって、横殴りの雨が降れば、おそらく普通に雨水も入り込んできます。皆さんも想像する、機械と配管に囲まれた薄暗い設備室とはまったく違う、想像を絶するボイラー室です(笑)
もちろん、かなり細長く狭い空間です。しかし一人で本を読んだり、家族の耳を気にしながら小さな音でギターを弾いたりするには、むしろこの狭さがちょうどよい。
広いリビングでは落ち着かないのに、こうした隙間のような場所へ入ると、急に思考が深くなりません?
しかもキッチンのすぐ隣なので、モカボットを火にかけ、コーヒーが沸き上がるのを待ちながら、ボイラー室でユングを読む(笑)
なかなか他ではできない、贅沢なのか罰ゲームなのか分からない時間でしたが、私はかなり気に入っていました。
因みに、この宿にはアート作品だけでなく、驚くほど多くの本が置かれています。スペイン語の本はもちろん、英語の書籍も豊富です。しかも、写真集や画集、メキシコの文化や美術を扱った本も多いため、言葉が完全に分からなくても、ページをめくるだけでメキシコの色彩や造形に触れることができます。
有名な観光地を巡る時間だけが、旅ではありません。
狭いボイラー室に座り、コーヒーの沸く音を聞きながら本を開き、ときどきギターを鳴らし、何をするでもなく考える。その場所でしか生まれない時間を持てたことも、私にとっては大切な旅の体験でした。
空間の豊かさは、必ずしも広さでは決まらない(笑) この小さな秘密部屋での思考を巡らせていた時間は、意外なほど有意義なものでした。 -
説明不要(笑)
贅沢言えば、後ろの蓄音機を本物置いて欲しかったですかね(笑) そして、LPではなく、SPおかれていたら、多分私はこの宿から出なかったかもしれません(笑) -
因みに、LPはブラジルのMPBからキューバのボレロ、チリのヌエバ・カンシオン、カリブのメレンゲやバチャータまで、単なる「古いレコードの飾り」ではなく、ジャズを軸に、ブラジル、メキシコ、キューバ、チリ、カリブまで、ラテンアメリカの音楽文化を横断する選曲になっていました。
-
窓際に置かれた小さなテーブルで、素焼きのカップに注いだチアパス産のコーヒーを飲みながら、オクタビオ・パスの詩を読んでみる。
メキシコを代表する詩人の言葉を、メキシコの土から生まれた器とコーヒーとともに味わう。
こうした時間もまた、この宿だからこそ生まれた一つの体験でした。
ユングといい、オクタビオ・パスといい、ここに置かれている本は、宿泊客のために適当に並べられた飾りではない。どの本を選び、どの絵を掛け、どんな音楽を置くのか。
その一つ一つを見ていると、姿の見えないオーナーの思考や関心まで、少しずつ浮かび上がってくるようで面白いのです。部屋とは、そこに住む人間の内面が、意識せず外側へ滲み出したものなのかもしれません。
……さて。
ここまで振り返り、むさいおっさんがコーヒーを飲んだり、本を読んだり、ギター弾いたりしている写真ばかりでは、そろそろ皆様にも嫌がられそうですね(苦笑)
というわけで、次章からは、もう少し華のある写真も交えながら、メキシコシティの旅を続けていくように心がけます。。。(苦笑) -
【閑話休題――夕食は、まさかの牛角】(爆)
さて、ここまで宿のアートや本について延々と書いてきましたが、実際の旅は、私の思想だけで進むわけではありません(笑)
私は夕食にも、その土地の文化や料理について、もう少し思考を深められるような店へ行きたかったのですが、家族からは、
「食事の時くらい、疲れることを考えたくない」
と反対されました(苦笑)
では、何が食べたいのかと聞いてみたところ、返ってきた答えは――
まさかの牛角(笑) -
メキシコシティまで来て、家族三人で日本式の焼肉を囲むことになりました(^^;;
もっとも、日本の焼肉チェーンがメキシコの高級モールに入り、現地の人々に普通に受け入れられている光景も、考えてみれば一つの文化の移動なのでしょう。
……などと考え始めるから、家族に「疲れる」と言われるわけですが(笑) -
【高級モールでは、犬まで気取っている】
この高級モールでは、歩いている犬まで、どこか気取って見えます。
モデルのような女性に連れられ、光り輝く店内を優雅に歩くポメラニアン(^^;; 我が家の愛犬シーズーとは似ても似つかない(汗)
明らかに私たち家族よりも、この空間に馴染んでいるのが悔しいとは娘の言(爆笑)
高級モールという場所では、人間だけでなく、犬まで含めて一つの風景が完成しているようでした(^^) -
【一口200ペソを超えるマカロン】(汗)
娘がマカロン好きなので、宿へ戻ってからコーヒーかブランデーと一緒に食べようと思い、マカロンの店にも立ち寄りました。
小さな一口サイズのマカロンが8個。
値段を見たら、なんと1,650ペソ(約15000円!!)
一口あたり、約200ペソ(約1800円!!!)です(苦笑)
味について考える前に、「高級とは何か」という別の問いを突きつけられ、度肝を抜かれました(爆)
なるほど。これはこれで、私が望んでいた「思考を深める食事」だったのかもしれません(汗) 写真は、マカロン買えなかったパパの度量の小ささにちと不満げな、、、我が子(笑) -
【もう一つの豊かさ】
宿にあったのは、手縫いの刺繍、名も知られていない作家の絵、本、LPレコード、クラシックギター、モカボット。
一方、このモールに並んでいるのは、世界的なブランド、磨き上げられたショーウインドー、高級車、宝飾品、そして8個15000円のマカロン(^^;
すべてが光り輝き、眩しいほどに美しく整えられていました。
宿にあった豊かさが、物に込められた時間や思想から生まれるものだとすれば、ここにある豊かさは、価格やブランド、希少性によって目に見える形へ変換されたものとも言えます。
どちらが本物で、どちらが偽物だと簡単に決めるつもりは当然ありません。これもまた、現代のメキシコシティを動かしている欲望と経済、そして文化の一つの姿です。
同じ街の中に、まったく異なる二種類の豊かさが存在している。
その落差まで含めて、旅は面白いのです?!?!
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