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愛媛県美術館の企画展「愛媛新聞創刊150周年記念 新!浮世絵展 ~幕末明治の天才絵師たち<br /><br />岩本成美学芸員によるフロアレクチャー<br /><br />浅井コレクションの名品<br />120年の歴史を持つ個人コレクションから、歌川国芳や月岡芳年、河鍋暁斎ら24人の絵師による初摺を中心とした優品129点が一堂に集結。

浮世絵展 ~幕末明治の天才絵師たち

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2026/09/06 - 2026/09/06

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愛媛県美術館の企画展「愛媛新聞創刊150周年記念 新!浮世絵展 ~幕末明治の天才絵師たち

岩本成美学芸員によるフロアレクチャー

浅井コレクションの名品
120年の歴史を持つ個人コレクションから、歌川国芳や月岡芳年、河鍋暁斎ら24人の絵師による初摺を中心とした優品129点が一堂に集結。

  • 浅井コレクションと初代浅井勇助<br />浅井コレクションは、大阪の書店主だった私の曾祖父・浅井勇助が明治30(1897)年頃から集した、約3万枚・1万揃いの浮世絵版画です。<br />時、国内外多くの人々が幕末・明治期の浮世絵を芸術的価値が低いと見なしていた中、勇助はむしろこの時代の浮世絵こそ貴重な歴史的・文化的資料と考えました。浮世絵を庶民のジャーナリズム媒体ととらえ、描かれた情景が時代の空気を映すとじて蒐集を続けたのです。<br />浅井コレクションは、芸術作品であると同時に近代日本のリアルを伝える記録です。明治の人々の生きざまと時代のエネルギーをぜひご堪能ください。<br /><br />浅井コレクション四代目  浅井秀<br /><br />今回の優品129点<br />歌川国芳・月岡芳年・落合芳幾・河鍋暁斎ら幕末から明治を代表する絵師たちによる、時代の変化を清新な表現で捉えた浮世絵<br /><br />

    浅井コレクションと初代浅井勇助
    浅井コレクションは、大阪の書店主だった私の曾祖父・浅井勇助が明治30(1897)年頃から集した、約3万枚・1万揃いの浮世絵版画です。
    時、国内外多くの人々が幕末・明治期の浮世絵を芸術的価値が低いと見なしていた中、勇助はむしろこの時代の浮世絵こそ貴重な歴史的・文化的資料と考えました。浮世絵を庶民のジャーナリズム媒体ととらえ、描かれた情景が時代の空気を映すとじて蒐集を続けたのです。
    浅井コレクションは、芸術作品であると同時に近代日本のリアルを伝える記録です。明治の人々の生きざまと時代のエネルギーをぜひご堪能ください。

    浅井コレクション四代目 浅井秀

    今回の優品129点
    歌川国芳・月岡芳年・落合芳幾・河鍋暁斎ら幕末から明治を代表する絵師たちによる、時代の変化を清新な表現で捉えた浮世絵

  • 今回の展示は、歌麿や北斎の弟子世代が中心となる<br /><br />モノクロではなく多色刷りの版画を錦絵という<br /><br />浅草12階(当時最新タワー)は明治中期に建てられた<br /><br />開花絵:文明開花後に見られる新しい景観の版画<br /><br />明治になると錦絵新聞が始まり版画のメディア性が高まる<br /><br />豊原国周は明治の絵師の代表の1人<br /><br />開国を機に明治政府は日本文化を外国にアピールするようになる。その一つが歌舞伎で、政治的に高尚な文化とされるようになった<br /><br />天覧歌舞伎とは天皇が観覧する歌舞伎公演<br />初回は明治20年、井上馨外務大臣宅で開催された<br />それまで「河原者」などと見下されがちだった歌舞伎役者や歌舞伎という芸能が、日本を代表する高尚な演劇・芸術としての地位を確立する決定的な転換点となった<br /><br />明治以降、浮世絵は西洋美術の流入や写真・印刷技術の普及によりメディアとしての役割を終え、斜陽産業化しました。しかし、この危機の中で絵師たちは伝統的な木版技術に西洋画の技法を融合させ、新たな表現を生み出しました。代表例が小林清親らの「光線画」です。江戸時代からあったグラデーション(ぼかし)の技術を発展させ、西洋的な明暗法を取り入れることで、ガス灯や夕日の「光と影」の情緒的なコントラストを写実的に描き出しました。また、西洋から輸入された化学染料(アニリン)による鮮烈な「赤絵」も流行しました。この変革期を経て、大正から昭和には川瀬巴水らによる「新版画」運動へと発展します。浮世絵は単なる大衆メディアから、世界に誇る近代的な芸術作品へと見事に昇華を遂げました。

    今回の展示は、歌麿や北斎の弟子世代が中心となる

    モノクロではなく多色刷りの版画を錦絵という

    浅草12階(当時最新タワー)は明治中期に建てられた

    開花絵:文明開花後に見られる新しい景観の版画

    明治になると錦絵新聞が始まり版画のメディア性が高まる

    豊原国周は明治の絵師の代表の1人

    開国を機に明治政府は日本文化を外国にアピールするようになる。その一つが歌舞伎で、政治的に高尚な文化とされるようになった

    天覧歌舞伎とは天皇が観覧する歌舞伎公演
    初回は明治20年、井上馨外務大臣宅で開催された
    それまで「河原者」などと見下されがちだった歌舞伎役者や歌舞伎という芸能が、日本を代表する高尚な演劇・芸術としての地位を確立する決定的な転換点となった

    明治以降、浮世絵は西洋美術の流入や写真・印刷技術の普及によりメディアとしての役割を終え、斜陽産業化しました。しかし、この危機の中で絵師たちは伝統的な木版技術に西洋画の技法を融合させ、新たな表現を生み出しました。代表例が小林清親らの「光線画」です。江戸時代からあったグラデーション(ぼかし)の技術を発展させ、西洋的な明暗法を取り入れることで、ガス灯や夕日の「光と影」の情緒的なコントラストを写実的に描き出しました。また、西洋から輸入された化学染料(アニリン)による鮮烈な「赤絵」も流行しました。この変革期を経て、大正から昭和には川瀬巴水らによる「新版画」運動へと発展します。浮世絵は単なる大衆メディアから、世界に誇る近代的な芸術作品へと見事に昇華を遂げました。

  • 月岡芳年の晩年の最高傑作シリーズ『月百姿(つきひゃくし)』の1枚です。タイトルは『浅野川晴雪月 孝女ちか子(あさのがわせいせつのつき こうじょちかこ)』(明治25年・1892年制作)<br /><br />父親を救うため、極寒の川へ身を投げようとする瞬間<br />江戸時代末期、加賀藩(現在の石川県)の豪商・銭屋五兵衛の一族が、無実の罪(川に毒を流したという疑い)で捕らえられました。これに心を痛めた10代の娘「ちか子」が、神仏に父たちの無罪と釈放を祈り、自ら冷たい冬の浅野川に身を投げようとするクライマックスの場面を描いています。<br /><br />人間の「動」と背景の「静」の圧倒的コントラスト<br />激しく風が吹き荒れる中、着物を翻して飛び降りようとするちか子の姿は、まるで映画のワンシーンのような強烈な躍動感を持っています。その一方で、背景にはしんとした大きな満月と、寒々しく穏やかに流れる川、そして驚いて飛び立つ鳥たちが配されており、芳年の並外れた構図センスが光っています。<br /><br />伝統の「ぼかし」の美しさ<br />先ほどの解説にも通じる点として、背景の空の夜闇、川の水の質感、そして大きな月の周りの雲の表現には、江戸時代から続く高度な「木版画のぼかし技術」が贅沢に使われています。激しいドラマのなかに、どこか幻想的で美しい情緒が漂うのはこの職人技によるものです。

    月岡芳年の晩年の最高傑作シリーズ『月百姿(つきひゃくし)』の1枚です。タイトルは『浅野川晴雪月 孝女ちか子(あさのがわせいせつのつき こうじょちかこ)』(明治25年・1892年制作)

    父親を救うため、極寒の川へ身を投げようとする瞬間
    江戸時代末期、加賀藩(現在の石川県)の豪商・銭屋五兵衛の一族が、無実の罪(川に毒を流したという疑い)で捕らえられました。これに心を痛めた10代の娘「ちか子」が、神仏に父たちの無罪と釈放を祈り、自ら冷たい冬の浅野川に身を投げようとするクライマックスの場面を描いています。

    人間の「動」と背景の「静」の圧倒的コントラスト
    激しく風が吹き荒れる中、着物を翻して飛び降りようとするちか子の姿は、まるで映画のワンシーンのような強烈な躍動感を持っています。その一方で、背景にはしんとした大きな満月と、寒々しく穏やかに流れる川、そして驚いて飛び立つ鳥たちが配されており、芳年の並外れた構図センスが光っています。

    伝統の「ぼかし」の美しさ
    先ほどの解説にも通じる点として、背景の空の夜闇、川の水の質感、そして大きな月の周りの雲の表現には、江戸時代から続く高度な「木版画のぼかし技術」が贅沢に使われています。激しいドラマのなかに、どこか幻想的で美しい情緒が漂うのはこの職人技によるものです。

  • 「最後の浮世絵師」とも称される幕末・明治期の巨匠、月岡芳年 の晩年の最高傑作シリーズ『月百姿(つきひゃくし)』 のうちの1枚、『廓の月』です (1886年制作)<br /><br />舞台は新吉原の春の夜浅草にあった新吉原遊郭の「仲之町(なかのちょう)」というメインストリートが舞台です。満開の夜桜が月明かりに照らされ、花びらがひらひらと舞い散る美しい一瞬を切り取っています。<br /><br />あえて「後ろ姿」で描かれた遊女<br />江戸時代の浮世絵では、遊女は顔をこちらに向けた華やかな美人画として描かれるのが定番でした。しかし、芳年はあえて遊女の後ろ姿を描いています。これにより、彼女が夜桜を見つめているのか、あるいは手前にいる幼い禿(かむろ:遊女の見習い少女) にかつての自分を重ねて静かに見つめているのかという、文学的で情緒のあるミステリアスな空気感を生み出しています。<br /><br />明治らしい色彩と「静寂」の表現<br />先ほど話題にあがった明治期ならではの「アニリンレッド」という鮮やかな化学染料が、遊女の着物の下着や禿の衣装の赤色に要所要所できれいに使われています。江戸時代の賑やかな吉原の絵とは一線を画す、最小限の登場人物と景色によって、しんとした夜の静けさが伝わってくる名作です。

    「最後の浮世絵師」とも称される幕末・明治期の巨匠、月岡芳年 の晩年の最高傑作シリーズ『月百姿(つきひゃくし)』 のうちの1枚、『廓の月』です (1886年制作)

    舞台は新吉原の春の夜浅草にあった新吉原遊郭の「仲之町(なかのちょう)」というメインストリートが舞台です。満開の夜桜が月明かりに照らされ、花びらがひらひらと舞い散る美しい一瞬を切り取っています。

    あえて「後ろ姿」で描かれた遊女
    江戸時代の浮世絵では、遊女は顔をこちらに向けた華やかな美人画として描かれるのが定番でした。しかし、芳年はあえて遊女の後ろ姿を描いています。これにより、彼女が夜桜を見つめているのか、あるいは手前にいる幼い禿(かむろ:遊女の見習い少女) にかつての自分を重ねて静かに見つめているのかという、文学的で情緒のあるミステリアスな空気感を生み出しています。

    明治らしい色彩と「静寂」の表現
    先ほど話題にあがった明治期ならではの「アニリンレッド」という鮮やかな化学染料が、遊女の着物の下着や禿の衣装の赤色に要所要所できれいに使われています。江戸時代の賑やかな吉原の絵とは一線を画す、最小限の登場人物と景色によって、しんとした夜の静けさが伝わってくる名作です。

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