2019/12/14 - 2019/12/14
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真昼あんどん行さん
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2026年7月28日に地震が起きて、大きな被害があった。
改めて私がする話でもないけれども、地震、災害の恐ろしさを思い知らされた気もする。
偶然でしかないが、2019年に、今回、被害が甚大だった、その現場に行っている。
旅行の目的地の1つだった松浜軒の倒壊を、ニュースで知った。
倒壊以前はどんな場所だったか、上げ直すことに意味があるかもしれないと考えて、以前の旅行記を再編集して投稿することにした。
今回の地震で亡くなられた方々の御冥福をお祈りすると同時に、1日も早い現地の復興を願っています。
表紙は2019年12月14日当時の松浜軒
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2026年夏、地震、洪水など大きな災害が立て続けに起きた。
全然関係ない地域に住んでいるのに、7月28日午後4時27分、ほぼリアルタイムで、熊本地震の警報アラームを聴いた。
なぜ? 震源地とそれほど離れていない場所のコミュニティーFMを毎週、ルーティンで聴いているが、そのOA中に地震が起きた、単純といえば単純な話だ。
親類縁者が現地に居る訳でもないのに、災害を疑似体験してしまった、そんな気にもなった。
競馬が永年の趣味なので、過去のデータを気にしがちではある。
2016年の熊本地震の時は、28時間後に来た第二波が、第一波を上回って被害を拡大させている。
「ダイジョブか」自分に関わることでもないのに、怯えもした。
その一方で、ボケてもいる。爆発現場はイオンモール熊本だったけれども、イオンモール宇城と勘違いしていた。
イオンモール宇城は、震度7、最も揺れが激しかった場所にあるのだから、爆発が起きても仕方がない。そう勝手に思い込んだ。
リモートでヲタ活をしているが、イオンモール宇城の名前は、イベント会場として名前が出てくるので記憶にあった。
東日本大震災の時に、ガスタンクだか石油タンクが爆発した。そんなテレビ映像を観た記憶がある。
あり得ないことではない、と、勘違いを暫く引きずっていた。
因みに、両方のイオンモールにも、実際には行ったことはない。
その後、自分が住んでいる地域でも震度5弱の地震があった。
当たり前の話だが、スマホの緊急地震速報が鳴った。
(今度は本物だ。実際に揺れている)
と思った。前揺れがなかったので震源地は近いな、と感じもしたけれども、すぐに収まった気はした。
(大したことはない)
とタカをくくった。午前2時だ。寝ぼけもする。
これまでのところは、と解釈はつくけれども、悪運が強い、とも感じなくもない。
最近、政府から、九州ふっこう応援割の実施が発表された。
宿泊費が、熊本、鹿児島両県は最大6割引、そのほかの5県は最大5割引になるらしい。1人1泊当たりの割引限度額は1万円になるようだ。
諸物価高騰の折、ゴージャスなホテルに泊まって豪華な食事を付けるには足りない金額かもしれない、とも考えたりする。
そうはいっても、この私ですら、コロナ禍のGoToトラベルで、身分不相応に結構贅沢な旅をした記憶がないでもない。性格が悪い人間なので、11月頭、佐賀ではバルーンフェスタ、SAGAアリーナでのミセス(Mrs.GREEN APPLEのことをこう呼べば、年齢を胡麻化せる気がするのでワザと略したけど無理か…無理だな)のコンサートもあるので、割引がない、高い値段でも部屋は埋まってしまうんじゃないか、と無駄なことを考えたりもする。
余計なお世話だった。いや、年寄りの冷や水といったほうが正確だろうか。
今回も、優秀なトラベラーの皆様がリーズナブルにワンランク上の旅行をされた旅行記を、少し羨みながら読ませて頂くことを今から楽しみにしている。
2019年12月に、熊本旅行に出掛けた時、こんな写真を撮った。
場所は熊本空港だった。危ない人なので、つい無駄なことも考えてしまう。
被災者の皆さんには、たまには復興を休んで、外で遊べ、と無責任に要らぬお節介を言いたくもなる。 -
近年、地縁もないのに、九州を旅することが多かった、そんな気もする。
宮崎以外の各県を訪れて、しかも、宿泊もした。
自分じしんは、宮崎も「どげんかせんといかん」とは思っているが、とりあえず、それは政治家にでも任せる。
滑ったギャグを書いた。
政治というのは私のような素人には難しい、判らないけれど、情勢の変化のせいで、これが廃止されなくて済むようになるのかもしれない。
これって何よ?
ポリシーがない写真を出した。
2021年3月、コロナ禍中、小倉から日田彦山線に乗っている時、暇つぶしに撮った1枚だが、平成筑豊鉄道の駅のホームが写っている。田川後藤寺駅だ。
しばらく前に、路線廃止がされる、と発表がされた。
もう若くもない。押し入れに入れっ放しで、あまり使わない超合金のオモチャを、親に燃えないごみの日に出されそうになって、「捨てないでくれ!」と泣き叫ぶ子供の気持ちも理解してやらなきゃいけない、そんな年齢になっているとも思う。
こんな悪態をついてダイジョブか? 人気があるトラベラーさんならダメかもしれないが、自分はそうではないのでダイジョブだ、と居直る。
この鉄道は、1987年まで国鉄、1989年までJR九州の伊田線、糸田線、田川線だった、という。乗り鉄の元祖の、あの偉い作家が乗りつぶしの一環として、この路線も訪れている、とも想像はできる。
何が言いたい? 押し入れの中で埃をかぶっていたとしても、マニアにとっては由緒正しき超合金のオモチャだ。
…超合金、イマドキの若いモンは想像ができるか? それに、鉄道模型ではなくて、ロボットだか怪獣に使われていた気もする。
そんな馬鹿話はともかく、7月に就任した田川市長が「存続を探る」と発言した、という記事が出て、その後、福岡県は2028年3月廃止の意向と報道があった。
北海道のかつての炭鉱町で良く見られたように、鉄道廃止→代替バス化→バス廃止、となると、学校は廃校に、老人をはじめとする交通弱者は引きこもらざるを得なくなって、地方自治体の存続にも関わってくる、という深刻な問題にもなる。
そういう真面目な議論は、私には似合わないし、頭の回線がショートするので省略して、知識、常識、見識を持った方々に丸投げする。 -
田川後藤寺駅ホームの写真を撮った2021年には、小倉に泊まった。
こちらには、この年、2度訪れている。
天災ではないけれども、それ以降、ここで2度火事があり、廃業、移転した店舗も多くあるという。
本当に痛ましいとも感じる。それと同時に、災害からの復旧の難しさを思い知らされたような気もする。
当時の旦過市場 -
小倉からディーゼル車に乗り、添田駅からは代行バスで「現場」まで行った。
目的は、水害からの復興関連の取材だった、とまず駄ボラを吹く。
廃校になった小学校を再利用した施設の、こけら落としのイベントがあった。
東峰村の当時の村長が挨拶までした。この人が「断腸の思いで」日田彦山線のBRT化を容認したそうだ。 -
前にも書いた記憶があるけれども、そのお陰で、長い距離を歩かずに’現場’に行くことができた。
その後どうなったんだ? 何年か前に、この施設の運営会社の倒産をネットニュースで知った。
東峰村、ダイジョブなのか? 心配にはなる。
どさくさに紛れて、単に、いまは乗れない代行バスに乗ったこと、村長を見て(下手くそ極まりないが)写真に撮ったことを自慢したいだけだ。
種明かしをすれば、ここへ行った本当の目的は、ヲタ活、推し活だった。
あの世界ではライブ、イベント会場を「現場」と呼ぶ。
知らない人も多いので、言わずもがなのことを書いた。失礼した。 -
少しずつ本題に入っていくか。
2019年12月の旅行で泊まったのは、熊本県八代市日奈久町だった。
今回、マスコミの方々は「日奈久断層の割れ残り」という表現を、地震発生直後に使いもした。
現地住民の方々は、不安にもなるとも思う。
泊まった宿も、半月とちょっと休業したらしい。
八代市日奈久町・浜膳 -
竹輪、また作れるようになったのか?
心配にはなる。 -
この旅館も、風情があったので、酔っぱらった勢いで外景だけ写真に撮った。宿のインスタで知ったが、建物は大破したらしい。
亡くなられたり、深刻なケガをした方はいらっしゃらなかった、とあった。それだけは救いだったとも思う。
八代市日奈久町・金波楼 -
それから、日奈久町から八代市中心部に入った。
運転は他人任せだったので、八代の地理は今もって頭に入ってはいない。
この煙突の写真は、車の助手席から撮った。
現地に行くのは初めてだったので、何となくシャッターを押した。それだけの話だったけれど。
改めてする話でもないが、ここも、深刻な被害を受けている。
9人の方が仕事中に亡くなられた、とニュースで見た。
謹んで御冥福をお祈りします。
さらに、9月には火事になったことも伝えられた。
何と言って良いか、正直、言葉が見つからない。 -
後の話になるが、八代から北上して、買い物に付き合わされた場所で昼食を取った。
7年経ち記憶が薄らいではいるが、このしろ寿司、ゼリー、けんちん汁を食べている。
それが今回の地震と何か関係があるのか? 実際大アリだ。
ここでの深刻な被害がネットニュースその他で伝えられた。
まさか、こんなことになるとは思っていなかったので、施設の写真は撮っていない。
旅行中、道の駅竜北でとった昼食
電話番号、生産者のお名前はプライバシー保護に配慮し消しました。 -
熊本市内ではこんな写真を撮っている。
今回、熊本市中心部では大きな被害はそれほどなかったようだが、この近辺かは判らないけれども、熊本城の石垣が今回も崩れたらしい。 -
今回の地震とは関係はないが、昨年(2025年)8月に線状降水帯にハマって水没した。
因みに、10年来、私はテレビがない生活を送っているが、たまたま昼食中、近所のネパール料理店にあったテレビのニュースで観た。この店のボンボリが映って、思わず「あっ」と声が出た。
こんなことが少なからず起こる人生なので、引きこもりでも退屈はしない、そんな一面もあるが、無駄に疲れもする。
下らない自分の話は置いとくとして、この喫茶店の店主は団塊の世代の方なので、(大丈夫なのか。再開できるのか)と、やきもきもしたけれど、それほど日が経たずに復活した。
営業再開のニュースをネットで見て、当たり前の話ではあるけれど安堵した。
熊本市 喫茶中川
1つ前の写真とこちらは2024年2月撮影 -
初めてこの店に足を踏み入れたのも、2019年12月の旅行でのことだった。
ハッキリとしたスタンスを見せる店、店主を心から尊敬する。行く度に、メニューの、この頁を開いて手を合わせている。おふざけではなくて、実際にやっている。
それ以降、熊本市の繁華街にある、この喫茶店には、4回がか5度、足を運んでいる。 -
その一方、こちらの宇土櫓は建て直しのために、現在解体されている、という。
地震の影響は少なからずあったが、倒壊は免れてはいる。
熊本城の天守閣が再建されたのは1960(昭和35)年だが、宇土櫓は1601年‐07年に建てられたものがそのまま残っている。
後述する内田百けん先生が、この櫓を背景にして写った写真が残っている。 -
自分の旅行スタイルを雑駁に書けば、美味いもん食って、美味い酒飲んで、居心地の良い喫茶店に寄って、美味い珈琲を飲み、温泉入って、ライブ観て、競馬場に行って馬券買って負けて…。
それで満足する。
趣味が、競馬、推し活、そして、このサイトで少なからず影響を受けた鉄道…なので、元々危ない人なのに性格がさらに尖りもする。
ヲタク気質、その一言で済むとも自覚してはいるけれども、かったるい、ただ、それだけの理由で、あまり、観光地、観光施設には行かない。
もっとも、誰でもそうだろうけれども、稀に例外はある。
遥か昔、30代だった頃に初めて「阿房列車」を読んだ。
このシリーズ、そして、百鬼園先生が書いた、随筆でもない小説でもない、鉄道関係の文章は、何冊か本を買い集めて結構真面目に読み込んだつもりではいる。
理由を自分なりに探れば、内田百けんという人の生き方が好きということがある、と思う。
同じ漱石門下の兄弟子とも大喧嘩もするし、「イヤダカライヤダ」と政府からの表彰やら金を拒否をしたりする。
今でいう高卒にあたる、国鉄の勤め人を、小説家、編集者として育てもしている。情がある人のように感じた。
1952(昭和27)年、国鉄80周年記念で、東京駅の1日駅長をした時には、借りた制服を「ベルトはずり落ちる。サスペンダーを付けろ」と内縁の妻に’魔改造’させたり。出発合図をした特急「はと」に乗り込む茶番劇をしたり、訓示では時の国鉄総裁を揶揄したり、イチイチすることが面白い。
また、今でいうコスパ、タイパとは真逆の生き方をするところにも、なんだか惹かれたりもする。
「阿房列車」の旅は、コスパ、タイパが悪いことこの上ない。
私のような貧乏でケチでせっかちな人間は、到底真似ができない。単純に憧れる。
長々と説明したが、ひねくれた性格の私が、珍しく長所を見つけることができた。そんな作家先生のような気がする。
内田百けんは松浜軒へ、1951(昭和26)年から58(昭和33)年までの間、9回出向いている。
私ごときが改めて書く話でもないが、当時は旅館としても営業していた。
松浜軒に泊まって、部屋の中の大きな脇息にもたれかかったり、庭を散歩したり、床屋を呼んで髪を切らせたり、御当地さんこと木山千代さんに御酌されながら、主に国鉄関係者を招き宴会を開いている。
そんな話を読んでいたので、漠然と(いつか行きたい)と、思ってはいた。
「いつか、いつかと思っていれば、実際にいつかは来る」
これは、ボクシングの元・東洋太平洋ミドル級チャンピオンの言葉ではあるが、私のような無能かつ凡才で、しかも性格と行いが悪い人間には、普通は’いつか’はやって来ない。
生きていれば、毎月5日はやってくるけれど。
そんな、ふざけた話は一旦止めるとして、運と縁があったのか、そして、他人に(旅費その他で)厄介を掛けて、2019年に実際に行くことができた。
1泊目に日奈久に宿を取ったのは、ここを訪ねることが目的だった。じゃあなぜ、八代の街中にしなかったか?
この旅行のスポンサーになった同行者が温泉好きだった、それだけの話だ。
入場料は500円だった記憶がある。
何をしたか? 庭を歩き回り、写真をバシャバシャ撮った。それだけだ。
あたかも、廃線間近の車両に乗り、その路線の駅に行く鉄道ファンのように。
…また、無駄口を叩いた。申し訳ない。高価で高級なバズーカ付きデジイチを持った優秀な撮影者の方とは違って、技術、機材は三流、人格は四流なので、下手くそな写真しかない。
とはいえ、建て直されるまでは、写真に撮ることもできない。
それまでのつなぎの1つ、枯れ木も山の賑わいという気持ちで、その写真を載せていくことにする。
余談ではあるが、私は詰めが甘く面倒くさがりな人間なので、臥龍梅、千丁の柳は飛ばしている。
千丁の柳はとっくにない、ということを、この駄文を書く際に調べて初めて知った。情けない話だ。
さらに無駄なことを書けば、妙見宮、八代城址…には行っていない。
八代市内に行った、これまで唯一の機会で何をしたか。
1泊した日奈久を除けば、極論すれば、松浜軒に行って散歩して、写真を撮った、それしかしていない。
「百鬼園写真帖」(ネット、横書きの文章なので新漢字表記にしたことを断っておく)には、八代駅のホームに降りる、あの先生が写っている。
降り立ったのは、白帯が入った客車だった。サボには「急行」と文字が入っている。百鬼園先生は幹線を走る優等列車に乗ることが多い。
手前では駅長らしき人が恭しく頭を下げている。
たかが、身内を連れて列車に乗り、やはり身内の宴会をするだけの旅行なのに、大仰にネクタイを締めスリーピースを着ている。
ワイシャツも戦前風の襟の形をしている。お出掛けで、不必要におめかししたようにも感じた。
懐中時計の鎖も見える。その割に時間管理にズボラな行動をしているとも思うけれども。
コロコロを持ち歩く時代ではなかったので、駅に着くと、赤帽に荷物を持たせていた。赤帽のほうも待ち構えているのだから、預けない訳にはいかないだろう、とは思う。
それが、あの作家の生き様なのだろうけれども、私のような末端のド素人からすると、イチイチ面倒くさいとも感じなくもない。
百鬼園先生は「二等車に乗る人間は嫌いだ」と言いつつ、一等車、一等寝台が付いていない特急、急行では三等車ではなくて二等車に乗っていることも少なくない。そんな矛盾するところも、なんか憎めない。
三等しかない普通列車ではそれに乗らざるを得ないが、魚の行商だかに膝を押し付けられて閉口したという文章もあった。
その時も、ネクタイにスリーピース姿だったようだ。可哀想に、と思いもするが、笑える話でもある。
三等車が似合わない人、という気もする。
ほぼ例外なく、客車列車である。これは、そういう時代だった、ということだろう。
電車特急、ディーゼル特急、新幹線の時代の始まり前後に「阿房列車」の連載も、松浜軒の旅館営業も終わっている。
百鬼園先生は乗りつぶしをやらない代わりに、八代には前述のように9回だか訪れている。
私ごときが偉そうに指摘する話ではないけれど。
この辺りが、乗り鉄の神様の先生との違いだとも感じるけれど、その方の著書は読んだことがないので、実際のところ、何を書いているのか内容は知らない。
不勉強な人間だとは自覚している。他人の話は置いといて、内田百けんの話に戻すが、八代での訪問先は、判で捺したように、この松浜軒だった。これも、改めてする話でもなかった。
オキニの仲居・御当地さんが、いつも駅まで迎えに来ていたようだ。
やはり、仰々しい話だとは感じる。
これが塀の外から見た松浜軒の風景、だとは思う。 -
表札のようなものか。
ここを訪れた年の春に、年号が変わっている。 -
被災前の建屋、庭園の全体図はこうなっていた。
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1958(昭和33)年9月、小石清という写真家が、松浜軒門前に立っている百鬼園先生の姿を撮った1枚がある。
門を後にして車待ちをしているところだった。ブルドックを思わせる仏頂面に見えた。
私は根暗な割にミーハーなので、それを念頭に置きながら、松浜軒玄関の写真も撮った。
小石氏は、酔っぱらって門司駅のホームから落ちて頭を打ったことが原因で、この旅行の2週間少し後に亡くなられている。
写真嫌いだった百けんを撮ることが、この写真家の人生最後の仕事になったような気もする。
なんだか、背筋が寒くなる話ではある。
小石氏とまではいかないまでもプロの写真家、いや、普通のレベルの撮影者なら、ここに出す、ポリシーがない写真は撮らないようにも思えるけれど…。 -
こちらは別の門。
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建屋の壁に貼ってあった挨拶文。
次から、建屋の写真を上げていく。 -
御一行は前述のように、いつも宴会をしたようではある。
庭を歩いていて、合成酒の匂いがしてきた、と「阿房列車」にはあった、と記憶している。
とはいえ、「近所で造られた、出来立てホヤホヤの地酒だから」と「三楽」を出されたら、食通、酒飲みの百鬼園先生は、9度も松浜軒を使わなかった、とも思う。
稲毛の旅館でしたように逃走したか? ただ、東京ステーションホテルまで行って、山系君と飲み直すには、稲毛と違って、八代からは遠過ぎる。
また、ふざけたことを書いた。申し訳ない。
それとも、御当地さんから御酌をされれば、どんな酒でも良かったのか? 実際に、宴会でこの人から酒を注がれている写真は残っている。
真面目に考えれば、ここで飲んでいた酒は合成酒ではないとは思う。
松井家の女将の手料理が供されていた、とも読んだ。
大手広告代理店にでもプロデュースしてもらって、1日1組の高級宿としてセレブ相手に営業してれば、今回の地震まで商売になったかも、と下世話な想像をしなくはないけれども。 -
2019年の話ではあるが全面禁煙ではなかった。建屋の外に喫煙所があった。
中央に白く、細長い灰皿があるのが確認できる。
1950年代の内田百けん、平山三郎の真似をできたとは思う。
私は不真面目な生き方をしているが、煙草は苦手なのでしていない。 -
「天草の稲妻遠し松の宿」
御当地さんから、百鬼園が西日本新聞に連載した「鬼苑漫筆」の、切り抜きのスクラップブックにタイトルを自筆で書いてくれ、と言われて、そんな句をしたためたという。
あの先生には「前科」がある。1回、どこかの宿で、墨と半紙だったかを用意されて、ブチ切れて片づけさせた、という文章を読んだ記憶がある。
松浜軒でオキニから頼まれれば、偏屈なジジイを自認する百けん先生も断れなかったのだろう、とは想像する。これも笑える話だ。
ところで、そのスクラップブック、今どこにあるんだ? 気にならなくはない。あったら、当然、見てみたい。
しかし、「どうして西日本新聞になる? 熊日の立場はどうなるんだ」とも言いたくもなる。福岡の新聞が八代で配達されたのか? コピーもない時代だったろうし、私のような素人には、誰がどうやって西日本新聞を入手したのか判らない。
現地の地理には疎い人間だが、八代海を隔てて天草らしい。定期船で結んでいた時期もあったようだ。
地震前には橋を架ける準備をする、という議論が始まっていたのを聴いたり、読んだりした記憶もある。
私的な話にはなるが、緊急地震速報をリアルタイムで聴いたのは、スマホを通して天草のコミュニティーFMを通して、だった。
ひとつ、伏線が回収できた。 -
同上以下、アングルを変えた建屋の写真を何枚か
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同上
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同上
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同上
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「阿房列車」は目的がない旅となっているが、あちこちで新聞記者に追い回されたり、当時の国鉄の特急列車やら観光地やらのPRをする羽目になってもいる。
そして、ただ汽車に乗るための旅、と言っておきながら、結局、松浜軒が目的地になっている。
その謎の一端でも知りたかった、それがここを訪ねた理由でもあった。 -
私が行ったのは12月半ばだったので、有名な菖蒲は当然見れなかった。その代わりとはいえないが、紅葉している木があった。
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以下何枚か、庭と紅葉の写真が続く。
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同上
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同上
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この庭のどこかで、前に百鬼園先生が椅子に座り、後ろに山系君と御当地さんが立っている3ショット写真もあった。
松江の茶室では写真に撮られるのを固辞したようだが、八代の茶室(松浜軒)では記念写真を撮られている。また、無駄口を叩いたが、事実ではある。 -
庭の木々も丹精されている。
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同上
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同上
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同上
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神社もあった。児宮という名前だ。
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稲荷神社もあった。神棚と仏壇が庭にもある、ということなのかもしれない。
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灯籠も地震で倒れた、とは思う。
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別の灯籠
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建屋の手前が赤目ヶ池。
百鬼園先生が「池に水を入れておけ」と予め手紙に書いたのに、スルーされたが、大雨のお陰で、枯れていた水が満たされたこともあった。
そんな文章も読んだ。
震災前は、普通に水が張られていた。 -
赤目ヶ池が写った写真を何枚か続ける。
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池を拡大していく。
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別のアングルから。
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同上
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同上
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鯉もいた、無事か?
2019年の写真なので代替わりしただろうか? -
百鬼園が行った時には、他に客がいたケースはない(夜には、いつもの部屋で幼稚園のPTAが宴会をして待たされたことがある、とあった)ようだった。庭を独占して散歩できたようにも思う。
私たちが訪れたときも、確かバイクで来た兄ちゃんが一人いただけだった記憶がある。バイクは見たが、庭では人間は見なかったので、あの有名作家の疑似体験をさせて頂けたと自惚れる。
勿体ない。もっと巧く、というより、マトモな写真を撮れ、という話なのは判っちゃいる。申し訳ない。 -
この彫刻も凝っているようにも見える。
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前述のように松浜軒は再建の方向に向かっている、というネット記事も見た。
年月も掛かるが、試算では50億円必要だとも、何かの記事に出ていた。
自分は単に、内田百けん、阿房列車のファンだから足を運んで、入場料+おみくじ代と数十分間を費やしただけだったけれども、八代市にとっては結構重要な建物であり、庭園であることを、この震災を通して知る、そんな罰当たりな経験をしたようにも思う。
ありがたく、しかも、申し訳ないとも感じもする。
幾分、崩した文章の書き方をしたが、今回の震災で亡くなられた方の御冥福をお祈りするとともに、八代市をはじめ、その他、地震被害に遭われた方に一日も早い日常が戻り、現地が復興することを心よりお祈りします。
主な参考文献
内田百けん著「阿房列車」「第二阿房列車」「第三阿房列車」(旺文社文庫、1979年‐80年刊)
同「立腹帖」(ちくま文庫、2002年刊)
「百鬼園写真帖」(旺文社、1984年刊)
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