2026/04/14 - 2026/04/14
238位(同エリア809件中)
愛吉さん
江戸東京博物館訪問の午後、久し振りに両国を歩いてみました。
スタートは旧安田庭園。
元禄年間常陸笠間藩本庄氏5万石の下屋敷から始まった大名庭園。
その後明治24年安田財閥の創始者安田善次郎氏が購入、大正11年氏の逝去と共に東京市に寄贈、大正12年の関東大震災では壊滅的被害、回復後は東京市立公園として一般に公開されました。
次いで横網町公園(東京都慰霊堂公園)へ。
御存じ、関東大震災の被服廠跡地に建つ慰霊堂、その後東京大空襲(昭和20年3月10日)等による殉難者の遺骨も合わせ、現在約221千体の遺骨を納める慰霊堂公園です。
公園内には復興記念館が建ち、当時の惨状を今に伝えます。
たまたま午前、江戸東京博物館を訪ねました。
当博物館は江戸から東京への歴史を伝える博物館で、最終章は空襲戦災で終わっています。
しかし内容は空虚で、当時を知る者には虚しさを感じるばかりです。
そこでお願いです、江戸東京博物館を訪ねた方は、どうぞ帰途に東京都復興記念館にも立寄って下さい、博物館から歩いて10分程の処です。
同じ東京都が管理運営する施設です、博物館の続きとして訪ねてみて下さい。気持が改まると思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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旧安田庭園入口。
入場料は不要です、誰でも自由に入場出来ます。 -
門を入った公園正面。
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回遊式大名庭園です。
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昔屋敷があった辺りからの眺め。
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横網町公園(東京都慰霊堂)。
大正12年9月1日に起きた関東大震災、その折公園整備中であったここ被服廠跡地に逃げ込んだ付近住民4万人が、周りからの火にあおられ焼死しました。
その遭難者の霊を慰める為、昭和5年、跡地に震災記念館を建てたのがこの公園の始まりです。
その後東京空襲犠牲者の遺骨も安置する事となり、名称も東京都慰霊堂と改称されました。
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慰霊堂正面。
現在慰霊堂に安置される遺骨は以下の如くです。
関東大震災 約58千人
東京大空襲 約163千人 -
祭壇正面。
毎年 9月1日(関東大震災日)と3月10日(東京下町大空襲日)に法要が行われます。
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東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑。
碑の内部には、犠牲者の名簿が納められています。
令和7年3月現在81,583人の氏名が判明記載されています。
現在も遺族からの申し出を待ち、名簿への記載、遺骨の返還業務等を続けています。 -
幽冥鐘と鐘楼。
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復興記念館。
1階には関東大震災の発生から復興迄の資料展示。
2階には関東大震災を描いた絵画、東京大空襲関連資料等を展示しています。 -
展示の資料から1点だけ。
関東大震災時、ここ被服廠跡に避難した人々。
この後周りからの業火に襲われます。 -
震災遭難児童弔魂像。
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最後は相撲博物館。
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横綱化粧回し。
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舟橋誠一誕生記念碑。
小説家、舟橋誠一が生まれた処。
今はビル街の真っただ中になります。
両国逍遥はこれで終了、帰ります。
終
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