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「三味線堀跡」は台東区小島1丁目の清州通りに面したところにあり、寛永7年(1630)に忍川(鳥越川)を掘り広げて造られ、その形が三味線に似ていました。<br />最近まで都営台東小島アパートがありましたが、訪れた時は解体された空き地でした。<br /><br />上野不忍池(しのばずのいけ)から忍川を流れた水が、この三味線堀を経由して鳥越川から隅田川へ通じていました。<br />当時の三味線堀には船着場があり、江戸・明治時代を通して、隅田川から物資の集散所となっていました。<br /><br />今日のNHK学園「スリバチ地形散歩」は、不忍池から忍川跡をたどり、佐竹商店街、三味線堀跡、おかず横丁、鳥越神社、須賀神社、柳橋、隅田川テラス、浅草橋駅まで6km歩きます。<br />案内役は東京スリバチ学会会長「皆川典久氏」です。<br /><br />三味線堀跡は当時の面影が全くありませんが、近くに秋田藩佐竹家の上屋敷があったことから昭和の雰囲気が残る「佐竹商店街」、鳥越の「おかず横丁」に老舗のお店や戦前の古い看板建築が残っており、町歩きを十分楽しめました。<br /><br />なお、旅行記は下記資料を参考にしました。<br />・台東区文化探訪アーカイブス「台東区の史跡・名所」:三味線堀跡<br />・道中は三味線「三味線堀跡」<br />・お出かけ&ライブのブログ「不忍池より忍川、鳥越川跡辿り隅田川へ。(上野&#12316;浅草橋) 」<br />・木育て木札「鳥越川 新堀川 三味線堀~鳥越橋~大川(隅田川)への流れ暗渠」<br />・メガネ総合商社の三共社のHP<br />・東京湯島黒沢ビルのHP<br />・文化遺産見学案内所「黒沢ビル(東京都 台東区)見学のしかた」<br />・森と水の郷あきた「ハス」<br />・PGMのHP、PGMだより2011/2:ロゴ<br />・食べログ「立ち飲み酒場 梯酔好」<br />・歩・探・見・感「佐竹商店街 お休み処・事務所に展示されていたサイン類」<br />・佐竹商店街のHP<br />・猫の足あと「佐竹秋葉神社」<br />・インスタグラム「佐竹商店街」:横断幕コンテスト<br />・浅草橋を歩く「下町情緒あふれるレトロな商店街・鳥越「おかず横丁」ガイド最新版(2023)」<br /> 「おかず横丁発!170年の歴史あるお茶屋さん「老舗 大佐和」鳥越店で叶えるプチ贅沢」<br /> 「珍しい出桁造り!おかず横丁で130年以上続く老舗鮮魚店「魚米」」<br /> 「シベリア抑留経験から誕生!天然醸造の美味しさを伝える名店「郡司味噌漬物店」」<br />・街てく「鳥越おかず横丁」<br />・都寿司のHP<br />・アクトデザイン凛太郎のブログ「新御徒町駅近辺 鳥越1丁目おかず横丁近辺の散策Ⅶ」:太陽堂<br />・アーバンライフ東京「時が止まった商店街・台東区「おかず横丁」に見る、素晴らしき看板建築の数々」<br />・PIASフォトブログ「商店街に戦前型看板建築が6軒も並ぶ奇跡《小島からおかず横丁へ》⑧⑨⑩」<br />・Hapi!「カレーなしよ(蔵前 鳥越 入舟や 水上商店)おかず横丁の佃煮屋。」<br />・郡司味噌漬物店のHP<br />・タイムアウト東京「うるしばら」<br />・神楽坂旦那ブログ「続 工芸・望月」<br />・TAITOおでかけナビ「鳥越神社」「浅草見附跡碑」<br />・街の鉄蓋「都会の道路はマンホールの蓋や小蓋だらけだ!その1 下水の鉄蓋・・・前編」<br />・東京都下水道局「下水道台帳案内」<br />・高架下建築図鑑01「長屋状に店舗が並ぶ「浅草橋 軒下ダイニング」、ありそうでなかった連続感」<br />・昭文社「東京23区凸凹地図」<br />・ウィキペディア「鉄平石」「不忍池」「須賀神社 (台東区)」「銀杏岡八幡神社」

三味線堀のスリバチ地形と看板建築通りの散歩~下町の佐竹商店街とおかず横丁~(東京)

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2026/02/18 - 2026/02/18

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かっちん

かっちんさん

「三味線堀跡」は台東区小島1丁目の清州通りに面したところにあり、寛永7年(1630)に忍川(鳥越川)を掘り広げて造られ、その形が三味線に似ていました。
最近まで都営台東小島アパートがありましたが、訪れた時は解体された空き地でした。

上野不忍池(しのばずのいけ)から忍川を流れた水が、この三味線堀を経由して鳥越川から隅田川へ通じていました。
当時の三味線堀には船着場があり、江戸・明治時代を通して、隅田川から物資の集散所となっていました。

今日のNHK学園「スリバチ地形散歩」は、不忍池から忍川跡をたどり、佐竹商店街、三味線堀跡、おかず横丁、鳥越神社、須賀神社、柳橋、隅田川テラス、浅草橋駅まで6km歩きます。
案内役は東京スリバチ学会会長「皆川典久氏」です。

三味線堀跡は当時の面影が全くありませんが、近くに秋田藩佐竹家の上屋敷があったことから昭和の雰囲気が残る「佐竹商店街」、鳥越の「おかず横丁」に老舗のお店や戦前の古い看板建築が残っており、町歩きを十分楽しめました。

なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・台東区文化探訪アーカイブス「台東区の史跡・名所」:三味線堀跡
・道中は三味線「三味線堀跡」
・お出かけ&ライブのブログ「不忍池より忍川、鳥越川跡辿り隅田川へ。(上野〜浅草橋) 」
・木育て木札「鳥越川 新堀川 三味線堀~鳥越橋~大川(隅田川)への流れ暗渠」
・メガネ総合商社の三共社のHP
・東京湯島黒沢ビルのHP
・文化遺産見学案内所「黒沢ビル(東京都 台東区)見学のしかた」
・森と水の郷あきた「ハス」
・PGMのHP、PGMだより2011/2:ロゴ
・食べログ「立ち飲み酒場 梯酔好」
・歩・探・見・感「佐竹商店街 お休み処・事務所に展示されていたサイン類」
・佐竹商店街のHP
・猫の足あと「佐竹秋葉神社」
・インスタグラム「佐竹商店街」:横断幕コンテスト
・浅草橋を歩く「下町情緒あふれるレトロな商店街・鳥越「おかず横丁」ガイド最新版(2023)」
 「おかず横丁発!170年の歴史あるお茶屋さん「老舗 大佐和」鳥越店で叶えるプチ贅沢」
 「珍しい出桁造り!おかず横丁で130年以上続く老舗鮮魚店「魚米」」
 「シベリア抑留経験から誕生!天然醸造の美味しさを伝える名店「郡司味噌漬物店」」
・街てく「鳥越おかず横丁」
・都寿司のHP
・アクトデザイン凛太郎のブログ「新御徒町駅近辺 鳥越1丁目おかず横丁近辺の散策Ⅶ」:太陽堂
・アーバンライフ東京「時が止まった商店街・台東区「おかず横丁」に見る、素晴らしき看板建築の数々」
・PIASフォトブログ「商店街に戦前型看板建築が6軒も並ぶ奇跡《小島からおかず横丁へ》⑧⑨⑩」
・Hapi!「カレーなしよ(蔵前 鳥越 入舟や 水上商店)おかず横丁の佃煮屋。」
・郡司味噌漬物店のHP
・タイムアウト東京「うるしばら」
・神楽坂旦那ブログ「続 工芸・望月」
・TAITOおでかけナビ「鳥越神社」「浅草見附跡碑」
・街の鉄蓋「都会の道路はマンホールの蓋や小蓋だらけだ!その1 下水の鉄蓋・・・前編」
・東京都下水道局「下水道台帳案内」
・高架下建築図鑑01「長屋状に店舗が並ぶ「浅草橋 軒下ダイニング」、ありそうでなかった連続感」
・昭文社「東京23区凸凹地図」
・ウィキペディア「鉄平石」「不忍池」「須賀神社 (台東区)」「銀杏岡八幡神社」

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 「三味線堀のスリバチ地形散歩コース」(NHK学園資料)<br /><br />集合場所は東京メトロ千代田線「湯島駅」。<br /><br />そこから不忍池、忍川跡に沿って台東区内を隅田川と合流する神田川柳橋まで歩きます。<br />

    「三味線堀のスリバチ地形散歩コース」(NHK学園資料)

    集合場所は東京メトロ千代田線「湯島駅」。

    そこから不忍池、忍川跡に沿って台東区内を隅田川と合流する神田川柳橋まで歩きます。

  • 「仲町通り」の商店会<br /><br />湯島駅の北側にある「仲町通り」。<br /><br />この通りは、2つの商店会から成り立っています。<br />左側が台東区上野2丁目の「池之端仲町商店会」、右側が文京区湯島3丁目の「湯島白梅商店会」。<br /><br />珍しい組み合わせの商店会です。<br />

    「仲町通り」の商店会

    湯島駅の北側にある「仲町通り」。

    この通りは、2つの商店会から成り立っています。
    左側が台東区上野2丁目の「池之端仲町商店会」、右側が文京区湯島3丁目の「湯島白梅商店会」。

    珍しい組み合わせの商店会です。

  • 「メガネと望遠鏡のお店」(湯島白梅商店会)<br /><br />明治43年(1910)に創業した「メガネの三共社」。<br /><br />眼鏡、光学機器、サングラスの卸売と輸出入の会社です。<br />

    「メガネと望遠鏡のお店」(湯島白梅商店会)

    明治43年(1910)に創業した「メガネの三共社」。

    眼鏡、光学機器、サングラスの卸売と輸出入の会社です。

  • 「とんがり帽子デザインの建物」(池之端仲町商店会)<br /><br />昭和4年(1929)に「小川眼科病院」として建てられ、現在は「黒沢ビル」。<br /><br />鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階で、1階の外壁に鉄平石(諏訪・佐久産の輝石安山岩)が貼られています。<br /><br />表現派風のデザインが特徴で、とんがり帽子の窓や庇が素晴らしいです。<br />

    イチオシ

    「とんがり帽子デザインの建物」(池之端仲町商店会)

    昭和4年(1929)に「小川眼科病院」として建てられ、現在は「黒沢ビル」。

    鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階で、1階の外壁に鉄平石(諏訪・佐久産の輝石安山岩)が貼られています。

    表現派風のデザインが特徴で、とんがり帽子の窓や庇が素晴らしいです。

  • 「黒沢ビルの玄関」<br /><br />一般公開日が月1回あり、国の登録有形文化財となっている建物です。<br />

    「黒沢ビルの玄関」

    一般公開日が月1回あり、国の登録有形文化財となっている建物です。

  • 「コケコッコーのお出迎え」(黒沢ビル)<br /><br />大正から昭和初めに活躍したステンドグラス作家「小川三知」の作品を室内各所で見ることができます。<br />

    「コケコッコーのお出迎え」(黒沢ビル)

    大正から昭和初めに活躍したステンドグラス作家「小川三知」の作品を室内各所で見ることができます。

  • 「不忍池」<br /><br />不忍通りを挟んだ先が上野恩賜公園の「不忍池」。<br />

    「不忍池」

    不忍通りを挟んだ先が上野恩賜公園の「不忍池」。

  • 「黄金色に染まる不忍池」<br /><br />不忍池は3つの池に分かれ、ここは「蓮池」。<br />黄金色はハスだけでなく、ヨシもあるようです。<br /><br />先史時代の不忍池は、武蔵野台地の東端に位置し、上野台と本郷台に挟まれた入江。<br />その後、海岸線の後退とともに取り残されて池になったと考えられています。<br /><br />江戸時代以前は、不忍池のあたりは沼地で、染井霊園が水源の藍染川が流れ込み、不忍池のあたりから先は忍川となって、隅田川へと流れていました。<br />

    「黄金色に染まる不忍池」

    不忍池は3つの池に分かれ、ここは「蓮池」。
    黄金色はハスだけでなく、ヨシもあるようです。

    先史時代の不忍池は、武蔵野台地の東端に位置し、上野台と本郷台に挟まれた入江。
    その後、海岸線の後退とともに取り残されて池になったと考えられています。

    江戸時代以前は、不忍池のあたりは沼地で、染井霊園が水源の藍染川が流れ込み、不忍池のあたりから先は忍川となって、隅田川へと流れていました。

  • 「冬のハス」(不忍池)<br /><br />ハチの巣のような、花の中心にある「花床」がよく見えます。<br />

    「冬のハス」(不忍池)

    ハチの巣のような、花の中心にある「花床」がよく見えます。

  • ハンサムな「ユリカモメ」(不忍池)<br /><br />どこからか遊びに来ています。<br />

    ハンサムな「ユリカモメ」(不忍池)

    どこからか遊びに来ています。

  • 「ハスとヨシの清掃作業」(不忍池)<br /><br />大変な作業です。<br />

    「ハスとヨシの清掃作業」(不忍池)

    大変な作業です。

  • 「蓮池の中心に建つ不忍池辯天堂」(不忍池)<br />

    「蓮池の中心に建つ不忍池辯天堂」(不忍池)

  • 「忍川の取水口」(不忍池)<br /><br />不忍池から流れ出る「忍川」は現在暗渠です。<br />

    「忍川の取水口」(不忍池)

    不忍池から流れ出る「忍川」は現在暗渠です。

  • 「上野広小路遺跡 三橋遺構」(不忍池の脇)<br /><br />江戸時代に寛永寺に参拝するために、上野広小路を横切る忍川に3つの橋が架けられていました。<br />中央に将軍が使用した大橋、左右に一般用の小橋でした。<br /><br />橋の遺構を発掘時、石組水路は上幅3m、下幅1m、高さ3mもあり、石垣は「間知石(けんちいし)」を積み上げ、底面の砂層の上には板材を組み合わせて敷かれていました。<br />

    「上野広小路遺跡 三橋遺構」(不忍池の脇)

    江戸時代に寛永寺に参拝するために、上野広小路を横切る忍川に3つの橋が架けられていました。
    中央に将軍が使用した大橋、左右に一般用の小橋でした。

    橋の遺構を発掘時、石組水路は上幅3m、下幅1m、高さ3mもあり、石垣は「間知石(けんちいし)」を積み上げ、底面の砂層の上には板材を組み合わせて敷かれていました。

  • 「上野中通商店街」<br /><br />不忍池から中央通りを渡り、忍川跡の通りをたどります。<br />

    「上野中通商店街」

    不忍池から中央通りを渡り、忍川跡の通りをたどります。

  • JR山手線「忍川橋架道橋」<br /><br />鉄道橋の端にある橋の銘板を見ると、この下に忍川が流れ、橋があったことがわかります。<br />

    JR山手線「忍川橋架道橋」

    鉄道橋の端にある橋の銘板を見ると、この下に忍川が流れ、橋があったことがわかります。

  • 次は「昭和通りと首都高1号線高架下」を渡ります<br />

    次は「昭和通りと首都高1号線高架下」を渡ります

  • 「昭和通りから上野1丁目交差点への通り」<br /><br />忍川跡の道です。<br />

    「昭和通りから上野1丁目交差点への通り」

    忍川跡の道です。

  • 落書きのような「PGMロゴ」(上野1交差点への通り)<br /><br />ここは「パシフィックゴルフマネージメント」の本社。<br /><br />「PGMロゴ」は、「フリーハンドで描いた青空に舞う白球のゴルフボール」をイメージしているとのこと。<br />

    落書きのような「PGMロゴ」(上野1交差点への通り)

    ここは「パシフィックゴルフマネージメント」の本社。

    「PGMロゴ」は、「フリーハンドで描いた青空に舞う白球のゴルフボール」をイメージしているとのこと。

  • 時計台の「梯酔好」(上野1交差点への通り)<br /><br />読み方は「ハシベロコウ」。<br /><br />上野動物園の2番人気の「ハシビロコウ」にかけているとのこと。<br /><br />立ち飲み酒場です。<br />

    時計台の「梯酔好」(上野1交差点への通り)

    読み方は「ハシベロコウ」。

    上野動物園の2番人気の「ハシビロコウ」にかけているとのこと。

    立ち飲み酒場です。

  • 「交通信号機の展示」<br /><br />上野1丁目交差点で右に曲がり春日通りへ向かう通りにある「常盤電業」の展示。<br /><br />江戸時代の地図では、「築後柳川藩立花家」の上屋敷があったところ。<br />忍川が屋敷を囲む掘割に流れ込んでおり、この通りはその掘割の一部です。<br />

    「交通信号機の展示」

    上野1丁目交差点で右に曲がり春日通りへ向かう通りにある「常盤電業」の展示。

    江戸時代の地図では、「築後柳川藩立花家」の上屋敷があったところ。
    忍川が屋敷を囲む掘割に流れ込んでおり、この通りはその掘割の一部です。

  • 昭和の雰囲気が残る「佐竹商店街」<br /><br />春日通りを隅田川方面へ歩き、交差する清州橋通り手前で右に曲がり「佐竹商店街」に入ります。<br /><br />日本で2番目に古い商店街です。(1番目は金沢の片町商店街)<br /><br />ここは秋田藩佐竹家の上屋敷があったところで、周りの掘割に忍川が流れてました。<br />

    イチオシ

    昭和の雰囲気が残る「佐竹商店街」

    春日通りを隅田川方面へ歩き、交差する清州橋通り手前で右に曲がり「佐竹商店街」に入ります。

    日本で2番目に古い商店街です。(1番目は金沢の片町商店街)

    ここは秋田藩佐竹家の上屋敷があったところで、周りの掘割に忍川が流れてました。

  • シンボルマーク「ふくろう」(佐竹商店街)<br /><br />台東区に縁のある日本画家横山大観伯の絵の中にある「竹藪にとまるふくろうの絵」。<br /><br />世界中で幸福の守り神として使われている「ふくろう」を、商店街では2000年にシンボルマークに決定しました。<br />

    シンボルマーク「ふくろう」(佐竹商店街)

    台東区に縁のある日本画家横山大観伯の絵の中にある「竹藪にとまるふくろうの絵」。

    世界中で幸福の守り神として使われている「ふくろう」を、商店街では2000年にシンボルマークに決定しました。

  • 「上野ホルモン肉店」(佐竹商店街)<br /><br />1階が商店、2階がお住まいのようです。<br />

    「上野ホルモン肉店」(佐竹商店街)

    1階が商店、2階がお住まいのようです。

  • 「秋葉神社参道」(佐竹商店街)<br /><br />商店街から右に曲がると「秋葉神社への参道」。<br />

    「秋葉神社参道」(佐竹商店街)

    商店街から右に曲がると「秋葉神社への参道」。

  • 参道の奥に「佐竹秋葉神社」<br />

    参道の奥に「佐竹秋葉神社」

  • 「佐竹秋葉神社」<br /><br />秋田佐竹藩上屋敷跡地に明治22年秋葉神社の分霊を勧請して創建したといいます。<br /><br />御祭神は火除けの守り神。<br />

    「佐竹秋葉神社」

    秋田佐竹藩上屋敷跡地に明治22年秋葉神社の分霊を勧請して創建したといいます。

    御祭神は火除けの守り神。

  • 「昭和の細い路地」(参道から入る横道)<br /><br />入口には、昼間なのに灯る「電球の街灯」に「竹ぼうき」。<br /><br />歩いてみたくなる「昭和の路地」です。<br />

    イチオシ

    「昭和の細い路地」(参道から入る横道)

    入口には、昼間なのに灯る「電球の街灯」に「竹ぼうき」。

    歩いてみたくなる「昭和の路地」です。

  • 「クリーニング メディア」(参道)<br /><br />昭和の雰囲気が残る「モルタル造りの建物」。<br />

    「クリーニング メディア」(参道)

    昭和の雰囲気が残る「モルタル造りの建物」。

  • 佐竹のふくろうと巡る「3つの佐竹商店街ものがたり」<br /><br />「佐竹商店街横断幕コンテスト」の公募で集まった作品から選ばれたものがアーケードを飾ります。<br /><br />さて、3つとは何だろう。。。<br /><br />

    佐竹のふくろうと巡る「3つの佐竹商店街ものがたり」

    「佐竹商店街横断幕コンテスト」の公募で集まった作品から選ばれたものがアーケードを飾ります。

    さて、3つとは何だろう。。。

  • 1つ目は「寄沿(よりそう)ものが新しい風を吹き込む」(横断幕)<br /><br />残り2つは<br />「地のものが暮らしに息づく」<br />「若ものが今を未来につなぐ」<br />です。<br />

    1つ目は「寄沿(よりそう)ものが新しい風を吹き込む」(横断幕)

    残り2つは
    「地のものが暮らしに息づく」
    「若ものが今を未来につなぐ」
    です。

  • 「3階建ての商店」(佐竹商店街)<br /><br />アーケードからは2階建てに見えますが、実は3階建て。<br />

    「3階建ての商店」(佐竹商店街)

    アーケードからは2階建てに見えますが、実は3階建て。

  • 「江戸時代の地図」(NHK学園の資料)<br /><br />④佐竹商店街の隣に、三味線の形をした⑤三味線堀跡があります。<br /><br />そこから鳥越川に流れ隅田川に注ぎます。<br /><br />今からその道をたどります。<br /><br />

    「江戸時代の地図」(NHK学園の資料)

    ④佐竹商店街の隣に、三味線の形をした⑤三味線堀跡があります。

    そこから鳥越川に流れ隅田川に注ぎます。

    今からその道をたどります。

  • 現在の「三味線堀跡」(佐竹通り南口)<br /><br />佐竹商店街の出口が「佐竹通り南口」。目の前の通りは「清州橋通り」。<br /><br />白い塀に囲まれた空き地が「三味線堀跡」で、当時の面影がありません。<br /><br />ここは台東区小島1丁目。<br />

    現在の「三味線堀跡」(佐竹通り南口)

    佐竹商店街の出口が「佐竹通り南口」。目の前の通りは「清州橋通り」。

    白い塀に囲まれた空き地が「三味線堀跡」で、当時の面影がありません。

    ここは台東区小島1丁目。

  • ひょっこり出てきた「可愛いいコミュニティバス」(佐竹通り南口)<br /><br />台東区循環バス「めぐりん」です。<br />

    ひょっこり出てきた「可愛いいコミュニティバス」(佐竹通り南口)

    台東区循環バス「めぐりん」です。

  • 「おかず横丁」(鳥越本通り商盛会)<br /><br />「清州橋通り」を南へ少し歩き、左に曲がると「おかず横丁」。<br /><br />関東大震災以降、建屋を道に張り出してはいけない決まりが生まれ、店舗の正面を看板のように垂直に立てた造りの「看板建築」ができました。<br />戦災を免れた通りには、「看板建築」の商店がいくつか残っています。<br /><br />ここは台東区鳥越1丁目。<br />

    「おかず横丁」(鳥越本通り商盛会)

    「清州橋通り」を南へ少し歩き、左に曲がると「おかず横丁」。

    関東大震災以降、建屋を道に張り出してはいけない決まりが生まれ、店舗の正面を看板のように垂直に立てた造りの「看板建築」ができました。
    戦災を免れた通りには、「看板建築」の商店がいくつか残っています。

    ここは台東区鳥越1丁目。

  • 「おかず横丁」<br /><br />以前は家族で営む町工場が集まる地域だったので、食事の手間が省けるお惣菜を扱う店が多くあり、「おかず横丁」の呼び名になりました。<br />

    「おかず横丁」

    以前は家族で営む町工場が集まる地域だったので、食事の手間が省けるお惣菜を扱う店が多くあり、「おかず横丁」の呼び名になりました。

  • 高級感のある「都寿司」(おかず横丁)<br /><br />明治20年創業の江戸前寿司のお店。<br /><br />一日一組の完全予約制です。<br />

    高級感のある「都寿司」(おかず横丁)

    明治20年創業の江戸前寿司のお店。

    一日一組の完全予約制です。

  • 老舗「大佐和茶舗」(おかず横丁)<br /><br />人造石を使った正面ですが看板建築です。<br /><br />店名は右から書かれた「舗茶和佐大」。<br />その下には「茶壷」が並ぶデザイン。<br />水色のタイルの間には、「茶」と書かれた看板の跡(止めネジ跡から想像できます)。<br />庇の縦模様の並びも凝っています。<br /><br />江戸時代の嘉永5年(1852)創業の老舗です。<br /><br />現在、残念ながら閉店しています。<br />

    老舗「大佐和茶舗」(おかず横丁)

    人造石を使った正面ですが看板建築です。

    店名は右から書かれた「舗茶和佐大」。
    その下には「茶壷」が並ぶデザイン。
    水色のタイルの間には、「茶」と書かれた看板の跡(止めネジ跡から想像できます)。
    庇の縦模様の並びも凝っています。

    江戸時代の嘉永5年(1852)創業の老舗です。

    現在、残念ながら閉店しています。

  • 出桁造りの「角田」(おかず横丁)<br /><br />「大佐和茶舗」の隣にある「角田」(1階は太陽堂)。<br /><br />出桁造りで、雨樋と戸袋は銅製です。<br />

    出桁造りの「角田」(おかず横丁)

    「大佐和茶舗」の隣にある「角田」(1階は太陽堂)。

    出桁造りで、雨樋と戸袋は銅製です。

  • 青緑色の美しい「銅板葺き看板建築」(おかず横丁)<br /><br />数十年かけて自然の緑青(青緑色の錆び)に覆われています。<br />

    イチオシ

    青緑色の美しい「銅板葺き看板建築」(おかず横丁)

    数十年かけて自然の緑青(青緑色の錆び)に覆われています。

  • 形が異なる「銅板葺き看板建築」(おかず横丁)<br /><br />手前の建物は、ベランダを追加して改築。<br /><br />真ん中の建物は、土蔵だったようです。<br />

    形が異なる「銅板葺き看板建築」(おかず横丁)

    手前の建物は、ベランダを追加して改築。

    真ん中の建物は、土蔵だったようです。

  • 角に建つ「銅板葺き看板建築」(おかず横丁)<br /><br />道路に面してるところなので二面が銅板葺き。<br />

    角に建つ「銅板葺き看板建築」(おかず横丁)

    道路に面してるところなので二面が銅板葺き。

  • 「赤錆トタン波板の看板建築」(おかず横丁)<br /><br />トタンは亜鉛でめっきされた鋼板です。<br />

    「赤錆トタン波板の看板建築」(おかず横丁)

    トタンは亜鉛でめっきされた鋼板です。

  • 「焼きたてだよ~!」(おかず横丁)<br /><br />鮮魚店「魚米(うおよね)」5代目ご主人が出来立ての焼き魚を店先に並べています。<br /><br />明治時代から続く老舗です。<br />

    イチオシ

    「焼きたてだよ~!」(おかず横丁)

    鮮魚店「魚米(うおよね)」5代目ご主人が出来立ての焼き魚を店先に並べています。

    明治時代から続く老舗です。

  • 三階建ての看板建築「加古川理容室」(おかず横丁)<br />

    三階建ての看板建築「加古川理容室」(おかず横丁)

  • 佃煮の「入舟や」(おかず横丁)<br /><br />昭和10年創業の「入舟や」は、「おかず横丁」を守り続けています。<br />

    佃煮の「入舟や」(おかず横丁)

    昭和10年創業の「入舟や」は、「おかず横丁」を守り続けています。

  • 「ショーウィンドウに並ぶおかず」(入舟や)<br /><br />すべて手作りのおかず。<br />

    「ショーウィンドウに並ぶおかず」(入舟や)

    すべて手作りのおかず。

  • 「しいたけ昆布ときりいか」(入舟や)<br /><br />きりいかはスルメを細長く刻んだ乾物です。<br />

    「しいたけ昆布ときりいか」(入舟や)

    きりいかはスルメを細長く刻んだ乾物です。

  • 「ぶどう豆と・・・」(入舟や)<br /><br />大根の煮もの、ほうれん草とえのきのポン酢あえ。<br /><br />スーパーマーケットが登場する前は、このようなお惣菜屋がどこにでもありましたね。<br />

    イチオシ

    「ぶどう豆と・・・」(入舟や)

    大根の煮もの、ほうれん草とえのきのポン酢あえ。

    スーパーマーケットが登場する前は、このようなお惣菜屋がどこにでもありましたね。

  • 「宙に浮かぶおかず」(おかず横丁)<br /><br />お魚や野菜などが、透かし彫りになっている街路灯です。<br />

    「宙に浮かぶおかず」(おかず横丁)

    お魚や野菜などが、透かし彫りになっている街路灯です。

  • 「郡司味噌漬物店」(おかず横丁)<br /><br />創業者は郡司春雄さん。<br /><br />戦後、シベリアに抑留されていたときに、誰もが「母親の作る味噌汁が飲みたい」と口にしていたことから、「味噌店をやろうと」決意。<br /><br />昭和32年(1957)に「郡司味噌漬物店」を開業。<br /><br />大量生産とは異なり、天然醸造の味噌にこだわり選んだ数は約80種。<br />漬物は100種もあります。<br />

    「郡司味噌漬物店」(おかず横丁)

    創業者は郡司春雄さん。

    戦後、シベリアに抑留されていたときに、誰もが「母親の作る味噌汁が飲みたい」と口にしていたことから、「味噌店をやろうと」決意。

    昭和32年(1957)に「郡司味噌漬物店」を開業。

    大量生産とは異なり、天然醸造の味噌にこだわり選んだ数は約80種。
    漬物は100種もあります。

  • 出桁造りの「食品のうるしぱら」(おかず横丁出口付近)<br /><br />昭和元年(1926)創業の漬物と惣菜の店です。<br /><br />自家製のぬか床で漬けた漬物は自慢の一品でした。<br /><br />残念ながら現在は閉店しているようです。<br />

    出桁造りの「食品のうるしぱら」(おかず横丁出口付近)

    昭和元年(1926)創業の漬物と惣菜の店です。

    自家製のぬか床で漬けた漬物は自慢の一品でした。

    残念ながら現在は閉店しているようです。

  • こちらも「出桁造り」(おかず横丁出口付近)<br /><br />2020年の「神楽坂旦那」のブログによれば、<br />沖縄陶器、益子焼を中心に品揃えされた「工芸・望月」。<br />元々は米屋だったお店を店舗として営業していました。<br /><br />現在は閉店しているようです。<br />

    こちらも「出桁造り」(おかず横丁出口付近)

    2020年の「神楽坂旦那」のブログによれば、
    沖縄陶器、益子焼を中心に品揃えされた「工芸・望月」。
    元々は米屋だったお店を店舗として営業していました。

    現在は閉店しているようです。

  • 立派な木製の看板を掲げる「高岡酒店」(おかず横丁出口)<br /><br />木製看板だけでなく、「銅板葺き看板建築」と「赤錆びトタン」が時の流れを感じます。<br /><br />

    立派な木製の看板を掲げる「高岡酒店」(おかず横丁出口)

    木製看板だけでなく、「銅板葺き看板建築」と「赤錆びトタン」が時の流れを感じます。

  • 看板建築の商店が残る「おかず横丁」(左衛門橋通り口)<br /><br />昭和の時代に引き戻される不思議な商店街です。<br /><br />

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    看板建築の商店が残る「おかず横丁」(左衛門橋通り口)

    昭和の時代に引き戻される不思議な商店街です。

  • 「鳥越神社」に参拝<br /><br />651年に日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まり。<br /><br />源義家が東国鎮定に向かう折、白い鳥が飛び立ち浅瀬を知り、隅田川を渡ることができたことから、その名を鳥越大明神と改められたと伝えられている神社です。<br />

    「鳥越神社」に参拝

    651年に日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まり。

    源義家が東国鎮定に向かう折、白い鳥が飛び立ち浅瀬を知り、隅田川を渡ることができたことから、その名を鳥越大明神と改められたと伝えられている神社です。

  • 「鳥越神社の南側」<br /><br />鳥越神社を後にし、再び鳥越川跡へ向かいます。<br /><br />ここは台東区浅草橋3丁目。<br />

    「鳥越神社の南側」

    鳥越神社を後にし、再び鳥越川跡へ向かいます。

    ここは台東区浅草橋3丁目。

  • 「2つの川の合流点」(ピノチオビル前)<br /><br />鳥越川(奥側)と新堀川(右側)が十字路の場所で合流し、手前(下流側)に長方形の小蓋が3~9枚並べる「合流管鉄蓋」マンホールがあります。<br />

    「2つの川の合流点」(ピノチオビル前)

    鳥越川(奥側)と新堀川(右側)が十字路の場所で合流し、手前(下流側)に長方形の小蓋が3~9枚並べる「合流管鉄蓋」マンホールがあります。

  • 「東京・下水道 合流」マンホール(ピノチオビル前)<br /><br />この場所を東京都下水道局の図面にて確認すると、マンホールの名前は「防潮扉付人孔」。<br /><br />下水道管の点検・維持管理を行う「人孔(じんこう、マンホール)」の内部に、逆流防止のための防潮扉(伏越:ふせこし、サイフォン)を設置した特殊マンホールです。<br /><br />専門家ではないので詳細がわからず。<br />

    イチオシ

    「東京・下水道 合流」マンホール(ピノチオビル前)

    この場所を東京都下水道局の図面にて確認すると、マンホールの名前は「防潮扉付人孔」。

    下水道管の点検・維持管理を行う「人孔(じんこう、マンホール)」の内部に、逆流防止のための防潮扉(伏越:ふせこし、サイフォン)を設置した特殊マンホールです。

    専門家ではないので詳細がわからず。

  • 都営浅草線の通る「江戸通り」<br /><br />須賀橋交差点で「江戸通り」に入り、浅草橋駅へ向かいます。<br />

    都営浅草線の通る「江戸通り」

    須賀橋交差点で「江戸通り」に入り、浅草橋駅へ向かいます。

  • 「須賀神社」に参拝(江戸通り)<br /><br />江戸時代は「牛頭天王社」「祇園社」「蔵前天王社」「団子天王社」と呼ばれていましたが、明治元年(19868)に「須賀神社」と称することになりました。<br />

    「須賀神社」に参拝(江戸通り)

    江戸時代は「牛頭天王社」「祇園社」「蔵前天王社」「団子天王社」と呼ばれていましたが、明治元年(19868)に「須賀神社」と称することになりました。

  • 「銀杏岡八幡神社」に参拝(浅草橋駅付近)<br /><br />当社の起源と社名の由来は、以下の通りです。<br />『源義家が前九年の役で出征する途上、当地で休憩のため陣を敷いた。<br /> すると川上から銀杏の枝が流れつき、義家は「朝敵退治のあかつきには枝葉栄べし」と戦勝祈願し、その枝を丘の上にさした。<br /> そして戦争に勝利し、帰還の途上で当地に立ち寄ると木が茂っていたので、義家は神恩に感謝して八幡神を勧請した。<br /> これが当社の起源であり、社名の由来でもある。』<br />

    「銀杏岡八幡神社」に参拝(浅草橋駅付近)

    当社の起源と社名の由来は、以下の通りです。
    『源義家が前九年の役で出征する途上、当地で休憩のため陣を敷いた。
     すると川上から銀杏の枝が流れつき、義家は「朝敵退治のあかつきには枝葉栄べし」と戦勝祈願し、その枝を丘の上にさした。
     そして戦争に勝利し、帰還の途上で当地に立ち寄ると木が茂っていたので、義家は神恩に感謝して八幡神を勧請した。
     これが当社の起源であり、社名の由来でもある。』

  • 「銀杏の葉の絵馬」(銀杏岡八幡神社)<br />

    「銀杏の葉の絵馬」(銀杏岡八幡神社)

  • 「美しい弧を描く高架橋」(JR浅草橋駅)<br /><br />駅のホームを支えるためのコンクリート柱の上部が美しい弧を描きながら道路側にせり出し、「軒下」のような空間がつくられています。<br /><br />昭和7年(1932)、両国を起点とした総武線が関東大震災の復興事業により御茶ノ水駅まで延伸されたのに伴い開業した「浅草橋駅」。<br />このときに高架下空間も生まれました。<br />

    「美しい弧を描く高架橋」(JR浅草橋駅)

    駅のホームを支えるためのコンクリート柱の上部が美しい弧を描きながら道路側にせり出し、「軒下」のような空間がつくられています。

    昭和7年(1932)、両国を起点とした総武線が関東大震災の復興事業により御茶ノ水駅まで延伸されたのに伴い開業した「浅草橋駅」。
    このときに高架下空間も生まれました。

  • 「浅草見附跡碑」(神田川の浅草橋付近)<br /><br />神田川に架かる浅草橋は、江戸時代には「浅草見附」があったところ。<br />寛永13年(1636)、江戸城の警護のため36箇所に設けられた見附の一つ。<br /><br />枡形の門は「浅草御門」と呼ばれ、警護人を置いて浅草観音や遠くは奥州へ往来する人々を取り締まりました。<br />

    「浅草見附跡碑」(神田川の浅草橋付近)

    神田川に架かる浅草橋は、江戸時代には「浅草見附」があったところ。
    寛永13年(1636)、江戸城の警護のため36箇所に設けられた見附の一つ。

    枡形の門は「浅草御門」と呼ばれ、警護人を置いて浅草観音や遠くは奥州へ往来する人々を取り締まりました。

  • 「屋形舟が停泊する神田川」(浅草橋からの眺め)<br />

    「屋形舟が停泊する神田川」(浅草橋からの眺め)

  • 「船宿が軒を並べる神田川沿い」(浅草橋)<br />

    「船宿が軒を並べる神田川沿い」(浅草橋)

  • 「屋形舟の遊覧コース」(浅草橋付近)<br /><br />神田川から隅田川に入り、食事をしながら遊覧します。<br /><br />隅田川に架かる橋の形はすべて違うので、橋めぐりも楽しめます。<br />

    「屋形舟の遊覧コース」(浅草橋付近)

    神田川から隅田川に入り、食事をしながら遊覧します。

    隅田川に架かる橋の形はすべて違うので、橋めぐりも楽しめます。

  • 「神田川の柳橋」(神田川沿い)<br /><br />柳橋の先で神田川が隅田川へ合流します。<br />

    「神田川の柳橋」(神田川沿い)

    柳橋の先で神田川が隅田川へ合流します。

  • 「池上正太郎作品の舞台」(神田川沿い)<br /><br />神田川が大川(隅田川)へ流れ込むあたりに架けられた柳橋、川沿いの浅草・平右衛門町。<br /><br />江戸時代のこの付近は、池波正太郎作品舞台としてよく描かれています。<br />「鬼平犯科帳」など。<br />

    「池上正太郎作品の舞台」(神田川沿い)

    神田川が大川(隅田川)へ流れ込むあたりに架けられた柳橋、川沿いの浅草・平右衛門町。

    江戸時代のこの付近は、池波正太郎作品舞台としてよく描かれています。
    「鬼平犯科帳」など。

  • 「釣り船、季節の佃煮 小松屋」(柳橋)<br /><br />小松屋のご主人が佃煮のよもやま話をしてくれたので、スリバチ地形散歩の参加者がお土産を買っています。<br />

    「釣り船、季節の佃煮 小松屋」(柳橋)

    小松屋のご主人が佃煮のよもやま話をしてくれたので、スリバチ地形散歩の参加者がお土産を買っています。

  • 「生のり佃煮」(小松屋)<br /><br />浜名湖で採れた生のりをここで佃煮にしたもの。<br /><br />今の時期だけの旬の味。<br />

    「生のり佃煮」(小松屋)

    浜名湖で採れた生のりをここで佃煮にしたもの。

    今の時期だけの旬の味。

  • 「神田川を挟んだ二つの住所」(小松屋)<br /><br />向かって左側は中央区東日本橋、右側が台東区柳橋です。<br />

    「神田川を挟んだ二つの住所」(小松屋)

    向かって左側は中央区東日本橋、右側が台東区柳橋です。

  • 「旧 浅草柳橋」案内板(柳橋)<br /><br />町名の由来は、神田川と隅田川合流点近くにあった「柳橋」にちなみます。<br /><br />江戸時代中期の頃から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が並んで賑わい、料亭や芸者衆も多く、隆盛を誇っていました。<br /><br />橋の名前は、橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれました。<br />

    「旧 浅草柳橋」案内板(柳橋)

    町名の由来は、神田川と隅田川合流点近くにあった「柳橋」にちなみます。

    江戸時代中期の頃から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が並んで賑わい、料亭や芸者衆も多く、隆盛を誇っていました。

    橋の名前は、橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれました。

  • リベットと曲線美の「柳橋」<br /><br />昭和4年(1929)に架けられました。<br /><br />ドイツ・ライン河の橋を参考にした永代橋のデザインを取り入れたローゼ形式の橋です。<br /><br />貴重な土木遺産として、中央区民有形文化財に登録されています。<br /><br />

    リベットと曲線美の「柳橋」

    昭和4年(1929)に架けられました。

    ドイツ・ライン河の橋を参考にした永代橋のデザインを取り入れたローゼ形式の橋です。

    貴重な土木遺産として、中央区民有形文化財に登録されています。

  • 「隅田川と東京スカイツリー」(隅田川テラスから)<br /><br />柳橋近くの「隅田川テラス」からの絶景です。<br /><br />手前は総武本線の鉄橋。電車が来ないかな?<br /><br />

    「隅田川と東京スカイツリー」(隅田川テラスから)

    柳橋近くの「隅田川テラス」からの絶景です。

    手前は総武本線の鉄橋。電車が来ないかな?

  • 隅田川を渡る「黄色い電車とスカイツリー」(隅田川テラスから)<br /><br />この後、浅草橋駅へ戻り、解散します。<br />

    イチオシ

    隅田川を渡る「黄色い電車とスカイツリー」(隅田川テラスから)

    この後、浅草橋駅へ戻り、解散します。

  • お昼は「江戸蕎麦手打處 あさだ」(浅草橋2丁目)<br /><br />『群馬赤城高原産玄そば自家石臼挽の十割そば粉の手打ち』の案内にひかれてお店に入ります。<br /><br />創業安政元年。江戸前の技術と心意気を受け継ぎ現在8代目。<br /><br />

    お昼は「江戸蕎麦手打處 あさだ」(浅草橋2丁目)

    『群馬赤城高原産玄そば自家石臼挽の十割そば粉の手打ち』の案内にひかれてお店に入ります。

    創業安政元年。江戸前の技術と心意気を受け継ぎ現在8代目。

  • 「おろしせいろ」(あさだ)<br /><br />十割そばの風味を、おろしたての大根の辛味とともに味わいました。<br />

    「おろしせいろ」(あさだ)

    十割そばの風味を、おろしたての大根の辛味とともに味わいました。

  • 文具・紙製品卸しの「修勝堂」(浅草橋2丁目)<br /><br />文房具や玩具などを小売りしています。<br />

    文具・紙製品卸しの「修勝堂」(浅草橋2丁目)

    文房具や玩具などを小売りしています。

  • 「110円のトランプカード」(修勝堂)<br /><br />紙製なので安く、早速購入しました。<br /><br />孫とスピード(ゲーム)で遊びましたが、トランプを素早く出し合うので傷みが早く、手頃なトランプです。<br /><br />今日は忍川跡、鳥越川跡をたどりながら、昭和の面影が残る下町の商店街と看板建築を堪能できました。<br /><br />いつもとは異なり、坂道がありませんでした。<br /><br />

    「110円のトランプカード」(修勝堂)

    紙製なので安く、早速購入しました。

    孫とスピード(ゲーム)で遊びましたが、トランプを素早く出し合うので傷みが早く、手頃なトランプです。

    今日は忍川跡、鳥越川跡をたどりながら、昭和の面影が残る下町の商店街と看板建築を堪能できました。

    いつもとは異なり、坂道がありませんでした。

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