2025/11/28 - 2025/11/28
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おやじさん
福井県「縣社 岡太神社」
岡太神社の鎮座地は、越前市北東部に位置し、武生盆地の東外れの粟田部町に鎮座します。
北側の行司岳南麓に広がる粟田部町の北端部にあたり、古くから今立地域の中心集落として栄えてきた場所です。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
行司岳を背にして建つ「縣社 岡太神社」の社号標と参道の眺め。
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参道左側に鎮座する粟生(そくしょう)寺。
岡太神社の別当寺として、白山を開いた泰澄大師により開山された天台真盛宗の寺院。
長い歴史の中で白山平泉寺の末寺でもあった。 -
岡太神社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳(927)に「越前国今立郡 岡太神社」として記され、今立郡十四座の中でも最古と伝えられる古社です。
創建は雄略天皇以前、五世紀頃に遡るとされ、当初は「岡太の宮」あるいは「玉穂宮」と呼ばれたようで、養老二年(718)には泰澄大師が巡錫の際に仏像二躯を勧請するなど、神仏習合の「白山三社大権現」として崇敬を集めました。
明治五年(1874)の神仏分離令により「縣社岡太神社」と改称され、現在に至ります。
社地は花筐(かきょう)公園の一部となり、地元では桜や紅葉の名所として親しまれています。
石畳の参道の先に朱色の両部鳥居を構え、上・中・下と三段構造の境内に社殿が建てられています。 -
参道の先の両部鳥居と拝殿。
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両部鳥居の額、揮毫は明治14年慶永とあり、16代越前福井藩主の松平慶永(文政11年~明治23年)によるものだろうか。
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境内右の手水舎と両部鳥居。
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拝殿全景。
入母屋瓦葺の平入で前後に千鳥破風と、大きな向拝を持つ重厚感のあるもので、継体天皇ゆかりの神社です。
本殿は拝殿右の石段を上った行司岳の中腹に鎮座し、周辺には複数の境内社が鎮座します。 -
拝殿から社頭の眺め。
武生盆地にポツンと聳える行司岳は、朝倉氏の本拠地一乗谷館に至る要衝の地であったことから、多くの城が築かれ、神社後方にはかつての粟田部城もあった。
石畳の参道が真っすぐに続き、参道の両脇に多くの寺院が点在する光景は城下町の趣が漂います。 -
上中下とある境内、下の境内に建つ拝殿。
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拝殿を守護する狛犬。
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向拝下の彫飾りは三頭の獅子と牡丹、上には波が描かれています。
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拝殿額は「岡太(おかふと)神社」。
ここから南東に車で5分程の大滝町に「岡太神社・大瀧神社」が鎮座します。
昭和中頃まで粟田部町と旧岡本村と呼ばれ、それぞれ「岡太神社」が鎮座しており、当初は当社がこの神社の里宮なのかと思っていましたが、両社に直接所縁はないようです。
「岡太(おかもと)神社・大瀧神社」は、独特の屋根の連なりを見せる社殿や施された彫も見事なので合わせて参拝するのをお勧めします。 -
拝殿左から見た拝殿。
左の石標は「継体天皇潜龍の聖跡」と刻まれ、当社が継体天皇ゆかりの古社であることが分かります。
拝殿から右に進んだ花筐公園の一角に、27代安閑天皇、28代宣化天皇がこの地で生まれ、その際に産湯に使われた池が現存しています。 -
岡太神社由緒記。
「往古、男大迹皇子「繼軆天皇」当地に御潜龍の頃、漲水氾濫し、皇子甚く是を憂い、九頭龍・足羽・日野の三大川を拓き、此の地、大迹部蓬莱山の麓に、建角身命・國狹槌尊・大己貴命を奉祀し、岡太神社と号して、治山治水事業の竣功を祈誓された。
即ち、今立郡十四座中の式内社である。
相殿に繼軆天皇を奉祀し、明治8年、県社に列した。
殊に、皇子ゆかりの神事旧跡等が、連綿として現在に伝承されている。
王位莱祀「莱祀祭」
春正月13日(今は2月21日)皇子、河内國樟葉宮に着御する日を奉祝し、例年、山車を奉じて、街仲を巡幸する素朴な神事として知られている。
迹王の餅「堂の餅」
大和國玉穂宮に遷都賜る日を奉祝し、秋季大祭の宵宮10月12日若衆等が、迹王の餅を神前に奉納し、翌朝堂・宮講中に、御神餅を配与する伝統の儀である。
皇子ヶ池は安閑・宣化天皇の産湯の池と伝えられる。
薄墨桜は皇子お手植えと伝え、県内外に知られる。
謡曲「花筐ゆかりの地」として、著名である。」
福井県神社誌(昭和11編纂)に岡太(おかふと)神社について長文で語られており、由緒に記されていない部分を以下に追記します。
「相殿
継体天皇、高龗神、少彦名命、素戔嗚尊、猿田彦命、天鈿女命、金山彦命、崇德天皇、火?靈命、崇神天皇、應神天皇、倉稲魂神、?主人王命。
・明治41年神饌幣帛料供進神社。
・明治43年同町無格社貴船社 祭神高龗神、同町無格社天神社 祭神少彦名命、同町金刀比羅神社 祭神素戔嗚尊、猿田彦命、天鈿女命、金山彦命、崇德天皇、同町秋葉神社 祭神火?靈命、崇神天皇、同町八幡神社 祭神應神天皇、同町稲荷神社 祭神倉稲魂神。
・大正5年本社境内社 ?主人王宮 祭神?主人王命を合祀。
境内神社
須波阿湏疑神社(建御方神、大己貴命、事代主命)。
安閑天皇宮(広国押武金日天皇)。
宣化天皇宮(武小広国押盾天皇)。
白山比咩神社(伊弉諾、伊弉冉尊)。
宗忠神社(黒住宗忠)。」
また当神社は明治6年(1873)、火災で消失、明治35年(1902)に再建されたものです。 -
岡太神社由緒記左の境内マップ。
大きく分けて境内下段に拝殿、中段に神輿殿・神明宮・稲荷社、上段に本殿があり、公園側に天神社・出雲社・秋葉神社、皇子ヶ池、行司岳を登った先に金刀比羅神社が鎮座するなど、見所は多くバスツアーの限られた時間では全て回りきれなかった。 -
拝殿右側から拝殿と神馬像の眺め、神門は五七桐のようです。
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拝殿後方の中段の神輿殿。
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拝殿右から本殿に続く石段を上った先の中段に鎮座する神明宮と稲荷祠。
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神明宮は、養老二年(718)泰澄大師により白山三社大権現(岡太神社)の別当寺として開山された粟生寺の鬼門封じとして創建されたもので、稲荷社は五穀豊穣を祈願し同時期に祀られた。
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坪田真悟助翁名碑。
第15代横綱梅ケ谷藤太郎が功績を称え寄進したという。 -
そこから左の鳥居を構えた石段を上がれば岡太神社本殿です。
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上段にあたる本殿域全景。
本殿正面に鳥居を構え、石畳の参道が唐門に伸び、両脇に常夜灯、狛犬を安置します。 -
鳥居前から本殿の眺め。
粟田部の町は、即位前の継体天皇が暮らしていたと伝わり、花筺公園内には「皇子が池」と呼ばれる六角形の玉垣に囲まれた聖地があり、この池で継体天皇の子、安閑・宣化両天皇の産湯に使ったと言われます。
以前は宮内庁管理だったようですが、町に下賜されたそうです。
ここから車で10分弱の南東の大瀧地区に、滝のように屋根が連なる本殿を持つ岡太(おかもと)神社・大瀧神社の里宮と、大徳山の奥宮には岡太神社・大瀧神社其々の社殿が鎮座しますが、歴史的には同社より岡太(おかふと)神社が古いとされます。 -
唐門と本殿の全景。
本殿域には流造の本殿と両脇に二社祀られています。 -
玉垣で囲われた本殿域。
もう少し早ければ紅葉も綺麗だったろうが、わずかに残った葉にも冷たい雨が打ち付け、落葉を急かしているようだった。 -
本殿左脇の不明社。
上段の本殿域の右側に脇参道があり、そこを進むと皇子ヶ池や秋葉神社等境内社が鎮座する花筐公園の核心部に続きます。 -
脇参道の鳥居から本殿域の眺め。
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皇子ヶ池。
安閑天皇、宣化天皇がこの地で生まれた時、この泉に湧き出る水を産湯に使われた池とされています。
周囲は六角形に玉垣をめぐらし、池を囲っています。
現在はかつてのように皇子ヶ池に水が湧き出る事はなく、入口付近の手水と井戸に水が湧き出ています。 -
皇子ヶ池の右上の散策路沿いに社頭を構える秋葉神社。
園内のこの一帯には天神社・出雲社・秋葉神社が鎮座し、行司岳に続く参道の先に金刀比羅神社が鎮座します。
花筐公園や岡太神社は紅葉が美しいところだと思います。
しかし訪れた11/28ではピークを過ぎており、前日の風と当日の雨で落葉も進みいま一つでした。
行司岳の麓には古刹や神社もあり、機会をみて、歩いてひと回りしたいところ。
来年6月にはかみさんが3週間近く家をあける、そのタイミングで訪れるか。
息子もその方がいいのかも知れないし。
栗田部 岡太神社
創建 / 不明
祭神 / 建角身神、大己貴命、国狭槌尊他
境内社 / 神明宮・稲荷社・天神社・出雲社・秋葉神社・金刀比羅神社他
所在地 / 福井県越前市粟田部町19-3
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