2025/10/19 - 2025/10/19
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Fúgāngrénさん
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福岡県宗像市の「海の道むなかた館」で特別展「戦争と故郷(ふるさと)の記憶 ―郷土部隊と出征兵士の行方―」が開催。会期は2025年8月2日から10月26日まで。関連イベントとして企画された「福岡連隊跡を巡るバスツアー」に参加した。
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2025年10月19日(日曜日)曇天。
参加申込したバスツアーは午前11時出発。集合時間までの空き時間を利用して一人で宗像観光へ。
西鉄バス 神湊(こうのみなと)波止場行き
東郷駅前 8:44 → 宗像大社前 8:54 運賃260円 -
宗像大社に参拝
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世界遺産ガイダンス施設
海の道むなかた館
宗像大社の駐車場の北側にある。 -
宗像市戦後80年記念事業 特別展「戦争と故郷(ふるさと)の記憶 ―郷土部隊と出征兵士の行方―」を見学。
限られた展示スペースながら内容は充実。とても見応えがあった。特別展示室内は写真撮影不可。
(特別展のチラシ裏面の紹介文より引用)
近代の日本では、国民皆兵制の下、17~40歳の男性は兵役義務を負いました。そのため、総力戦となったアジア・太平洋戦争では多くの男性が兵士となり、広大な戦線のなかで多数の戦没者を出しました。
本展覧会では、郷土・宗像から出征した兵士が多くの戦域で戦没したことを示すことで、本地域とアジア・太平洋戦争との関わりを明らかにします。そして、宗像を含む福岡地域の郷土部隊である福岡編成の歩兵連隊(福岡連隊)をテーマに、民間人から兵士になる過程や、部隊の象徴である軍旗の下に本戦争の戦場として有名なガダルカナル島やビルマなどに投入された部隊と所属した兵士たちの行方を、地域に残された資料や軍事郵便、旧軍関係資料などから追います。 -
特別展のパンフレットより
武運祈願で歩兵第113連隊長が記名した芳名簿(宗像大社蔵)
歩兵第113聯隊の名称ではなく、龍第6734の通称号で記名しているのが興味深い。「菊と龍」の龍(たつ)部隊である。
記名者の松井秀治陸軍大佐は福岡県出身。1940年8月1日に歩兵第113連隊長に就任して中国雲南へ出征。1944年8月1日に陸軍少将に進級。緬甸方面軍司令部附となりビルマへ出征。1945年3月16日に独立混成第105旅団(敢威兵団)の旅団長に就任。イギリス軍の進攻により首都ラングーンが陥落し、困難な撤退戦を戦いながら部隊のシッタン川渡河を敢行。ビルマ南部で終戦を迎えて日本へ復員。1966年に73歳で亡くなった。
芳名簿の右端に記名しているのは、男装の麗人・川島 芳子の養父にして大陸浪人の川島 浪速(1866−1949)か? -
宗像マップ
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菓子舗つづみや(鼓屋)
宗像市田熊にある和菓子店 -
宗像のお土産といえばコレ
鎮国饅頭(ちんこくまんじゅう)
シナモンの香りが効いたサクッとした皮と、上品な甘さの餡が絶妙に美味しい。
菓子折りに同封の栞(しおり)より引用↓
「弊店は鎮国寺の高徳を慕い、これを製菓の妙に生かすべく銘菓「ちんこく」を謹製いたしました。近代調豊かなバターシナモンを配したなかにも野生味のある風格の秀菓として和洋何れもの愛好を頂いております。」 -
鼓屋からJR東郷駅へ向かう途中、「いせきんぐ」の看板が目についた。焼肉店…ではなく弥生時代の遺跡を整備した公園のようだ。
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田熊石畑(たぐまいしはたけ)遺跡
弥生時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)を復元したもの。藁の家か…子どもが保育園で歌っていた手遊び歌を思い出した。
♪さんびきのこぶたの いっぴきが
わらのおうちを たてました
バスツアーの始発まで時間がないので、チラ見して集合場所へ向かう。 -
バスツアーの参加者はJR東郷駅の日の里口に11時集合。乗車した宗像市のバスの側面には、みあれ祭の海上神幸のシーンが描かれている。
バスツアーの行程は次のとおり。
2025年10月19日(日曜日)
11:00 東郷駅
12:00 福岡連隊跡
12:40 福岡陸軍墓地
13:50 福岡駐屯地広報資料館
14:45 ビルマの丘
16:20 神湊忠魂祠
17:00 東郷駅 -
「福岡聯隊の跡」碑
福岡市中央区城内の舞鶴公園内、
平和台陸上競技場外の北西に建つ。
バスツアーのパンフレットより引用
福岡連隊跡
明治19年(1886年)、福岡藩主の居城だった福岡城跡を歩兵第24連隊が衛戍地(駐屯地)としました。
それ以後、約60年にわたり同連隊が福岡の郷土部隊として、日清戦争から満洲事変までの主な戦いに参加しました。
日中戦争以後はここで歩兵第124連隊をはじめ9個の歩兵連隊などが編成され、7万人以上の将兵が各部隊に配属されました。
戦後、名称を「平和台」と改め運動公園が整備されました。 -
「営門の桃の木」碑
兵営の門の傍らに生えていた桃の木とのことだが、当時の桃の木は枯れて二代目の植栽らしい。 -
福岡市中央区谷にある陸軍墓地へ。
到着前に慰霊祭が執り行われていた。
バスツアーのパンフレットより引用
福岡陸軍墓地
比較的平穏な時期だった昭和10年、福岡連隊からほど近い六本松の谷公園に西南戦争以後の戦役で戦没した将兵を葬るための福岡陸軍墓地が整備せれました。
墓地内には戦没ごとに石製の墓碑が建立され、第一次世界大戦で戦ったドイツ軍将兵の墓碑もあります。
戦後にはアジア・太平洋戦争で多くの戦没者を出した郷土部隊の慰霊碑が部隊ごとに整備され、遺族を中心に戦没者を悼む場となっています。 -
ビルマ・タイ 拉孟雲南地区戦没者之碑
拉孟(らもう)は中国雲南の激戦地。
歩兵第113連隊の基幹大隊や野砲兵第56連隊第3大隊等で編成した拉孟守備隊1千名は、米英式の装備と訓練で錬成された兵力4万の中国国民革命軍(雲南遠征軍)に100日余り包囲され、1944年9月7日に玉砕した。戦記を読むと、兵士と共に土木作業で汗を流して陣地を構築し、部隊を指揮して奮戦した金光 恵次郎 砲兵少佐(陥落の二日前に迫撃砲弾を受けて戦死)のエピソードが心を打つ。
中国では拉孟の戦いを
松山战役 Sōng shān zhàn yì と呼称する。 -
青島及西比利亜戦役戦病没者之墓
青島戦役は第一次世界大戦中、日本が日英同盟を口実にドイツに宣戦布告し、中国山東半島のドイツ租借地、青島(チンタオ)を攻略した青島の戦い(1914年)を指す。
西比利亜は「さいびりあ」ではなく「シベリア」と読む。ロシア革命に干渉して極東ロシアへ派兵したシベリア出兵(1918~1922年)を指す。
シベリア出兵を題材にした安彦良和の漫画『乾と巽 ―ザバイカル戦記―』(アフタヌーンKC 11巻完結)は読み応えがありお薦め。 -
ドイツ海軍砲兵の墓。
青島の戦い(1914年)で捕虜となり、福岡の俘虜収容所に移送され、異国の地で亡くなったドイツ海軍の兵士だろうか?
青島の戦いで交戦したのは日本とドイツだけでなく、イギリスも中国華北の天津に駐屯する歩兵部隊を派遣し、日本軍と共に青島要塞を攻略した(Siege of Tsingtao)。
青島派遣のイギリス軍は、歩兵第24連隊サウスウェールズ・ボーダラーズ(South Wales Borderers)1千名と、英領インド陸軍第36シク連隊(36th Sikhs)500名により構成される。
イギリス・ウェールズ南部、イングランドと隣接する国境地方の郷土連隊、サウスウェールズ・ボーダラーズは、ズールー戦争のロークズ・ドリフトの戦い(Battle of Rorke's Drift, 1879)で7名がヴィクトリア十字章を受勲。英領インドのシク教徒の兵士で構成される第36シク連隊は、サラガリの戦い(Battle of Saragarhi, 1897)で勇名を馳せており、いずれの戦闘も映画化(*)されている。
*『Zulu』1964公開、『Kesari』2019公開
青島の戦いより17年前の1897年9月12日、英領インド北西部アフガニスタンとの国境近くのサラガリ村で、砦を守備する第36シク連隊所属の21人の兵士が、数千のアフガン兵を相手に勇戦し全滅したサラガリの戦いが、映画『KESARI/ケサリ 21人の勇者たち』で描かれている。動画で映画の予告編をご覧いただきたい。 -
陸上自衛隊福岡駐屯地内の広報資料館
事前予約した団体のみ見学可。記念行事での一般公開は行っていないとのこと。 -
陸軍歩兵聯隊の軍旗のレプリカ
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旗の隅に本物の軍旗の切れ端が縫い付けてある。
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福岡城跡に福岡連隊の兵舎があった頃の様子を再現したジオラマ
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拉孟陣地スケッチ
横股陣地より本道陣地・松山兵舎附近を望む -
陸軍第18師団(菊兵団)の解説(以下引用)
師団は明治42年久留米で新編され、第1次世界大戦には青島要塞(ドイツ領)を攻略する偉勲をたてたが、大正14年に廃止。昭和12年支那事変勃発とともに再び復活し、杭州湾上陸、南京攻略戦、南支バイヤス湾上陸等数々の偉勲をのこした。
昭和16年末大東亜戦争に突入するや一部をもって英領マレー半島のコタバルに敵前上陸を敢行、東海岸を南下して17年1月末、全力を半島南部に集結。師団長牟田口中将陣頭指揮のもとに難攻不落を誇ったシンガポール要塞を猛攻陥落させ、菊兵団の勇名は緒戦を飾った。
次いで17年4月8日ラングーンに上陸。ビルマ北部に転戦したが、18年末から優勢な敵の反抗作戦の進展とともに、縦貫鉄道に沿って後退し20年5月シッタン河口を死守して、第28軍主力の脱出に策応しつつ終戦を迎えた。 -
陸軍第56師団(龍兵団)の解説(以下引用)
福岡、大村で編成を完了。主力は17年3月ラングーンに上陸して、英印軍及び中国軍を撃破してサルウィン河西岸を北上し、同年5月中国雲南省及び北ビルマのミイトキーナ付近に進出。この間一部坂口支隊はミンダナオ、ボルネオ、ジャワを転戦した後追及した。
進出後は同地域で、緬支公路の確保に専念していたが、19年5月中国雲南遠征軍1 5個師団が大挙来攻。激烈な反攻を加えたが、北ビルマの要域ミイトキーナ滇緬公路の要衝拉孟或は細支国境の要衝騰越で善戦敢闘。守備隊全員が玉砕するまで10か月の長期に亘り、剛毅不屈旺盛な攻撃精神と旺盛な責任感をもつて要衝を確保し、随所で敵を撃破重任を完うし敵蒋介石総統をして、ミイトキーナ、騰越、拉盖の日本軍勇戦敢闘を讃える比類のない逆感状が贈られる程の偉勲を残した。 -
陸上自衛隊 第4師団のシンボルマーク
(菊と龍の紋の制定由来)説明文より
昭和37年8月師団改編により第4管区隊から第4師団となった記念に、第4師団歌とともに精強師団を目指して制定された。
先の大戦において活躍した郷土部隊の「戦時秘匿名」 (菊兵団第18師団及び龍兵団第56師団)を組み合わせたものである。 -
ビルマの丘
福岡中央霊園(大野城市牛頸)の園内の坂を登りきった先にある。
バスツアーのパンフレットより引用
インパール作戦などで悲惨な戦場として記憶されるビルマ戦線には、福岡の郷土部隊のうち歩兵第113連隊、歩兵第124連隊が投入され多くの戦没者を出しました。
福岡中央霊園の一角を占めるビルマの丘は、戦後に歩兵第113連隊が属した第56師団の衛生兵・吉松軍蔵氏が戦地で命を落とした戦友の慰霊のため建立しました。
当時のビルマの風景を再現したパゴタや鉄橋のほか、ビルマ戦線の詳細な地図や年表からは生還した同氏の葛藤と慰霊への執念を見ることができます。 -
ビルマ戦 遠くなりたる 今もなお
赤土に眠る 戦友(とも)を忘れじ -
ビルマ戦場の地図
ビルマと周辺国の地図を刻んだ石碑。
コヒマ、インパール、チンドウィン川、メイミョウ、フーコン、筑紫峠、ミートキーナ、サルウィン川、ラングーン、シッタン川、モールメン、泰緬鉄道、拉孟、騰越、芒市…戦記に出てくる地名や河川が詳細に刻まれている。
ビルマの丘を見学後、バスに乗って宗像へ。時間が押していたため、当初予定していた神湊忠魂祠の訪問は割愛。JR東郷駅に到着して解散となった。 -
補完の旅
バスツアーで最後に訪問する予定だった神湊忠魂祠は、時間がなかったので割愛された。
後日、最後に残ったピースを補完するため、独自に訪問した。
神湊(こうのみなと)バス停の裏手にある小高い丘の上に津加計志宮(つかけしぐう)が建つ。急登の階段を登りきると、西伯利亜(シベリア)出征記念と刻まれた標柱(しめばしら)が立っていた。 -
丘の上からの眺望。
玄界灘に浮かぶ大島。 -
神湊忠魂祠
津加計志宮の社殿の裏手にある小径を下った場所にある。 -
忠魂祠の周りには戦没者の墓石が建ち並ぶ。
英霊の御霊よ安らかなれ。
バスツアーの行程は最後にここを訪問する予定だった。徴兵検査を受けて郷土の歩兵連隊に入営。出征して外地の戦場で戦い、復員または戦没者として故郷へ還るまでのストーリーを見せるツアーを企画した学芸員のセンスが光る。 -
バスツアーに触発されて、戦争と平和について探求する場所を訪れた。
博多港引揚記念碑
豊福 知徳 作「那の津往還」
福岡市博多区沖浜町(中央埠頭)
マリンメッセの西側に建つ。
バスツアーで舞鶴公園へ向かう途中、都市高速を走行するバスの車窓から見えた。 -
記念碑の土台の裏手に由緒が刻まれている。
【碑文】
敗戦直後の失意とその後に湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメントとして制作しました。
船の上の本体(人間)の朱は、古代から愛されてきた色であり、那の津と呼ばれてきた博多港の希望を表現したものです。
1996年3月 -
福岡アジア美術館で絵画鑑賞。
王 希奇「一九四六」福岡展
会期:2025年11月6日~11月11日 -
中国人画家 王 希奇(Wáng Xīqí)が描く、縦3m、横20mの大絵画。
中国遼寧の葫蘆島(ころとう)で、引揚船に乗船するために列をなす日本人居留民の群像を描いている。 -
葫蘆島の位地(地図の左上)
資料展「引揚港・博多」に展示の地図より。
葫蘆島は島ではなく半島である。
ソ連軍の侵攻と日本の敗戦により満洲国は崩壊。家や仕事を失った日本人居留民は避難民となり、葫蘆島から引揚船に乗って日本へ引揚げた。 -
資料展「引揚港・博多」
―苦難と平和への願い―
福岡市市民福祉プラザ「ふくふくプラザ」1階の奥の方で展示している。
福岡市中央区荒戸3丁目 -
パンフレットより引用
終戦後、博多港は国内最大級の引揚港として約139万人の引揚者を受け入れ、朝鮮半島や中国の人々など約50万人を故国へ送り出しました。
博多港に引き揚げた方々から寄贈された貴重な資料の数々は、苦難の道のりと平和を願う気持ちを現代に生きる私たちに伝えてくれます。 -
博多港引揚および送出一覧図
引揚総数 1,392,429人
一般邦人 974,900人
軍人・軍属 417,529人
送出総数 505,496人 -
興安丸模型
引揚港に入港した船舶に対しては、検疫措置が厳格に実施された。明告書(乗船者の健康状態等についての申告書)の点検、出港地における伝染病の流行状況の聴取、伝染病患者や疑似症患者の有無の検査、船内の衛生状態の確認が済むまで上陸は許可されなかった。 -
ちばてつや
《引揚船は大きくてたくましく見えた》 -
上田トシコ
《葫蘆島から引揚船に乗船》
村上もとかが描く、上田トシコを題材とした伝記漫画「フイチン再見!」は読み応えあり。満洲国での日本人の生活や、ソ連軍の侵攻と支配、引き揚げの様子が描写されている。 -
ミンガラバー 駅前店
東京へ行く機会があり、高田馬場駅の近くにあるミャンマー料理店を訪れた。 -
セイターヒン
羊肉のスパイシー煮込み -
タミントウ
ミャンマー風味つけ和えライス
こうして食事が楽しめるのは平和の証。
内戦状態にあるミャンマーに平和が訪れることを願ってやまない。
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