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三重県伊賀市島ヶ原町は、関宿の西の追分で東海道から分岐し、伊賀上野、奈良を経由して大坂に至る、いわば京都を通らない脇街道的な意味合いのある大和街道(加太越奈良道)の宿場町として栄えたところです。<br /><br />今回訪れた島ヶ原山菅は、宿場町の中心部から西に外れた大和街道(加太越奈良道)沿いの里山集落で、伝統的な様式の大規模な民家が連なる町並みの中には、藤堂藩の西の玄関口として設置された藤堂藩関所跡や、江戸幕府の検使の指示により藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境界を明示するために設置された二本杭など、江戸時代の歴史的な遺構が残されています。

2025 島ヶ原山菅散歩

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2025/07/04 - 2025/07/04

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nao

naoさん

三重県伊賀市島ヶ原町は、関宿の西の追分で東海道から分岐し、伊賀上野、奈良を経由して大坂に至る、いわば京都を通らない脇街道的な意味合いのある大和街道(加太越奈良道)の宿場町として栄えたところです。

今回訪れた島ヶ原山菅は、宿場町の中心部から西に外れた大和街道(加太越奈良道)沿いの里山集落で、伝統的な様式の大規模な民家が連なる町並みの中には、藤堂藩の西の玄関口として設置された藤堂藩関所跡や、江戸幕府の検使の指示により藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境界を明示するために設置された二本杭など、江戸時代の歴史的な遺構が残されています。

同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 山菅集落を目指して大和街道(加太越奈良道)を歩いていると、集落東側の雑木林の中に石標を見つけました。

    山菅集落を目指して大和街道(加太越奈良道)を歩いていると、集落東側の雑木林の中に石標を見つけました。

  • 「右 岩谷山役行者」と刻まれた石標は、ここから約600m東側にある「島ヶ原の行者堂」や「岩谷山大師堂」への道標として立てられたものと思われます。

    「右 岩谷山役行者」と刻まれた石標は、ここから約600m東側にある「島ヶ原の行者堂」や「岩谷山大師堂」への道標として立てられたものと思われます。

  • 旧島ヶ原村の排水桝の蓋。<br /><br />村の花「ミヤマツツジ」と村の鳥「キジ」がモチーフになっています。

    旧島ヶ原村の排水桝の蓋。

    村の花「ミヤマツツジ」と村の鳥「キジ」がモチーフになっています。

  • さて、山菅集落にやって来ました。

    さて、山菅集落にやって来ました。

  • ここから西に向かって山菅集落を歩きます。

    ここから西に向かって山菅集落を歩きます。

  • 塀の中に小さな社が祀られているのが見えます。

    塀の中に小さな社が祀られているのが見えます。

  • 黒漆喰塗の外壁が、外観を引き締める効果を果たしています。

    黒漆喰塗の外壁が、外観を引き締める効果を果たしています。

  • 外壁に杉板を張った民家です。

    外壁に杉板を張った民家です。

  • 外壁の所々にタイルを貼って、今風を演出している民家です。

    外壁の所々にタイルを貼って、今風を演出している民家です。

  • 2階の屋根に載っているのは煙り出しの越屋根でしょうか。

    2階の屋根に載っているのは煙り出しの越屋根でしょうか。

  • 伊賀市では、島ヶ原地域をモデル地域に選定して、「島ヶ原ぐるり号」という愛称でデマンドバスの実証運行を行っておられますが、こちらは「島ヶ原ぐるり号」の山菅東バス停になります。

    伊賀市では、島ヶ原地域をモデル地域に選定して、「島ヶ原ぐるり号」という愛称でデマンドバスの実証運行を行っておられますが、こちらは「島ヶ原ぐるり号」の山菅東バス停になります。

  • こうして吊っておくのが玉ねぎの貯蔵に最適な方法です。

    こうして吊っておくのが玉ねぎの貯蔵に最適な方法です。

  • 町並みにある竹細工などの工房。<br /><br />工房の奥に手づくりの熊手などが見えます。

    町並みにある竹細工などの工房。

    工房の奥に手づくりの熊手などが見えます。

  • 開口部をアルミサッシに改修しておられる民家です。

    開口部をアルミサッシに改修しておられる民家です。

  • かつての茅葺屋根を、トタン板で葺き替えた民家です。

    かつての茅葺屋根を、トタン板で葺き替えた民家です。

  • 前庭に手入れの行き届いた植木を植えておられる民家です。

    前庭に手入れの行き届いた植木を植えておられる民家です。

  • 島ヶ原山菅の町並みです。

    島ヶ原山菅の町並みです。

  • 白漆喰の壁にタイルを取り合わせた民家です。

    白漆喰の壁にタイルを取り合わせた民家です。

  • 石塀をめぐらせた民家です。

    石塀をめぐらせた民家です。

  • 石垣の上に、瓦を葺いた白漆喰塗の土塀をめぐらせた民家です。

    石垣の上に、瓦を葺いた白漆喰塗の土塀をめぐらせた民家です。

  • 土塀の反対側には、勝手門が設けられています。

    土塀の反対側には、勝手門が設けられています。

  • 重厚な造りの破風がある民家です。

    重厚な造りの破風がある民家です。

  • 軒先の飾り瓦に「水」の字が浮かび上がっています。<br /><br />防火に対する意識の現れですね。

    軒先の飾り瓦に「水」の字が浮かび上がっています。

    防火に対する意識の現れですね。

  • 2階の窓に庇のある民家です。

    2階の窓に庇のある民家です。

  • 入母屋造りの附属屋は、ほぼシンメトリーになっています。

    入母屋造りの附属屋は、ほぼシンメトリーになっています。

  • 織部灯籠とアジサイ。

    織部灯籠とアジサイ。

  • 島ヶ原山菅の町並みです。

    島ヶ原山菅の町並みです。

  • こちらは、大和街道の南側にある北向地蔵堂です。

    こちらは、大和街道の南側にある北向地蔵堂です。

  • 地蔵堂の下に立てられた石標には、「関門大師、北向不動明王、観世音菩薩」とともに、「旧関所跡 大和街道 奈良 笠置 鍵ヤ辻 伊セ 至ル」の文字も刻まれています。

    地蔵堂の下に立てられた石標には、「関門大師、北向不動明王、観世音菩薩」とともに、「旧関所跡 大和街道 奈良 笠置 鍵ヤ辻 伊セ 至ル」の文字も刻まれています。

  • 北向地蔵堂と大和街道を挟んだ北側には、観世音菩薩が祀られています。

    北向地蔵堂と大和街道を挟んだ北側には、観世音菩薩が祀られています。

  • こちらは八幡宮遥拝所の石碑です。<br /><br />この辺りには、元々山菅八幡神社があったそうですが、明治39年(1906年)の神社合祀令により、明治41年(1908年)に鵜宮神社に合祀されたため、山菅の地からも鵜宮神社を遥拝できるようにと、遥拝所を設けることになったとのことです。

    こちらは八幡宮遥拝所の石碑です。

    この辺りには、元々山菅八幡神社があったそうですが、明治39年(1906年)の神社合祀令により、明治41年(1908年)に鵜宮神社に合祀されたため、山菅の地からも鵜宮神社を遥拝できるようにと、遥拝所を設けることになったとのことです。

  • では、石段をのぼって観世音菩薩へ向かいます。

    では、石段をのぼって観世音菩薩へ向かいます。

  • 観世音菩薩が祀られたお堂。

    観世音菩薩が祀られたお堂。

  • 石灯籠のうえに、清々しい青モミジが枝を広げています。

    石灯籠のうえに、清々しい青モミジが枝を広げています。

  • では、石段をおります。

    では、石段をおります。

  • こちらの山菅クラブは、山菅集落の集会所のような施設だと思われます。

    こちらの山菅クラブは、山菅集落の集会所のような施設だと思われます。

  • 出入口の前には、「えがおの村」と書かれたベンチが置かれています。

    出入口の前には、「えがおの村」と書かれたベンチが置かれています。

  • 山菅クラブの西隣には、藤堂藩の関所跡があります。

    山菅クラブの西隣には、藤堂藩の関所跡があります。

  • この関所跡は、藤堂藩の西の玄関口として設置されたもので、番兵が配置されていたそうです。

    この関所跡は、藤堂藩の西の玄関口として設置されたもので、番兵が配置されていたそうです。

  • 崩れ積の石積のある民家です。

    崩れ積の石積のある民家です。

  • ここにも、かつての茅葺屋根をトタン板で葺き替えた民家があります。

    ここにも、かつての茅葺屋根をトタン板で葺き替えた民家があります。

  • 最近葺き替えられたのか、きれいな状態が保たれています。

    最近葺き替えられたのか、きれいな状態が保たれています。

  • 島ヶ原山菅の町並みです。

    島ヶ原山菅の町並みです。

  • 石垣の上に軽快な板塀をめぐらせた民家です。

    石垣の上に軽快な板塀をめぐらせた民家です。

  • 玄関先に置かれたタヌキの焼き物が来客をお迎えするんでしょうね。

    玄関先に置かれたタヌキの焼き物が来客をお迎えするんでしょうね。

  • 島ヶ原山菅の町並みです。

    島ヶ原山菅の町並みです。

  • 厨子2階建ての民家です。

    厨子2階建ての民家です。

  • 石塀の上に石灯籠が頭を出しています。

    石塀の上に石灯籠が頭を出しています。

  • 幕府検使の指示により、藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境界を明示するために建立された二本杭(石標)。<br /><br />なお、伊賀国の新しい石標は平成15年に再現されたものだそうです。<br /><br />また、二本杭に添えられた説明書によると、明治19年(1886年)に作られた新道の、三重県と京都府の境界に元々の伊賀国の石標が移設されているとのことなので、これは見逃すわけにいかないでしょう。

    幕府検使の指示により、藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境界を明示するために建立された二本杭(石標)。

    なお、伊賀国の新しい石標は平成15年に再現されたものだそうです。

    また、二本杭に添えられた説明書によると、明治19年(1886年)に作られた新道の、三重県と京都府の境界に元々の伊賀国の石標が移設されているとのことなので、これは見逃すわけにいかないでしょう。

  • こちらは、京都府相楽郡南山城村北大河原にある六所神社です。<br /><br />この先の三重県と京都府の境界に元々の伊賀国の石標が移設されています。

    こちらは、京都府相楽郡南山城村北大河原にある六所神社です。

    この先の三重県と京都府の境界に元々の伊賀国の石標が移設されています。

  • 三重県と京都府の境界に着きました。

    三重県と京都府の境界に着きました。

  • これが移設された元々の伊賀国の石標です。<br /><br />では、これで島ヶ原山菅散歩を終わります。

    これが移設された元々の伊賀国の石標です。

    では、これで島ヶ原山菅散歩を終わります。

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