2025/09/11 - 2025/09/11
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スネフェルさん
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香川県観音寺市にやってきました。
観音寺といえば「砂絵」
この砂絵ってのは謂れが謎に包まれています。
一応は藩主を歓迎するため、地元の人が総出でこの砂絵を作り上げた、ということになっていますが、砂絵が作られたといわれる年と藩主がこの地を訪れた年があわないんだとか。
伝説によくある話だとは思いますが、地元の人の熱意で、この砂絵が400年以上、維持されてきたのは厳然たる事実です。
そのこと自体が素晴らしいことだと個人的には思います。
google erathでは直上から見ているだけあって、銭形の絵が良く見えます。
しかし、訪問したのは陽が高く上った11時前後。
運悪く晴天だこともあり、影が少なく、模様が良くは見えませんでした。
夕暮れ時に訪れるべきでした。
さて、銭形を見物した後は、少し歩いて神恵院と観音寺に向かいました。
ここは68番、69番の札所になっています。
順番にめぐる人が多い中、お遍路の終わり、讃岐から始めてしまいました(笑)
山間に建てられていることもあり、伽藍配置は独特のものでした。
二つの寺が隣接して建っているので、どの建物が、どの寺のものか、わかりづらいのが難点。
御朱印を無事に頂き、山を下りたのですが、観音寺の山門を抜けたすぐ先にあった総持寺の角を曲がった先に
「殉国烈士」「共同墓地」
と記載のある墓域を見つけました。
日露戦争を始め、日中戦争、第二次世界大戦の戦役で戦没した方々を祀っている墓が並ぶ場所でした。
少し失礼して墓銘碑を読ませて頂くと、「南方で戦死」の文字が・・・
おそらく、この墓には遺骨は入っていないのでしょう。
そうであっても、墓石は手入れされ、花が手向けられていました。
戦死なさった方の遺族、恐らく兄弟姉妹のどなたかなのだと思いますが、墓を管理なさているのでしょう。
でも、その方も歳を重ね、この世を去り、この墓も忘れられてしまうのかもしれません。
何とも言えない気持ちになりました。
本来、国のため、故郷のため、家族のため、命を投げ出した方々は称えられるべきだと個人的には思います。
戦争を否定することは誠に結構。
自分も戦争をすべきではないと思いますから。
でも、戦争の犠牲者を忘れ、戦争に行ったということだけをあげつらって戦死した方々を尊敬こそすれ、否定することは人としてすべきではないと思いますし、そのようなことをする人々は軽蔑されるべき人外だと個人的には思います。
人外が殊の外多くなったのが戦後日本ですが。
それらの人外も今や単なる労害と化しています。
さっさとあの世に旅立つことを祈るばかりです。
さて、総持寺を過ぎて琴弾八幡宮にやってきました。
縁起を見て知ったのですが、源平合戦の舞台になったんですね、ここは。
本殿は山の上にあることもあり、かなり登りました。
でも、本殿に着くとかわいい子猫がお出迎え。
疲れが吹っ飛びました(笑)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー JR特急 徒歩
-
宇多津駅よりJRに乗車
宇多津駅 駅
-
特急いしづちに乗車
-
岡山からの特急しおかぜを増結
-
車内は落ち着いた色調
-
コンセント有り!
-
観音寺駅からタクシーで一気に銭形展望台へ。
周辺には結構見どころが色々あります銭形砂絵 名所・史跡
-
単なる展望台と思いきや、名勝に指定されているようです
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「銭形」を詠んだ詩人の碑。
文学には明るくないのですが、「客拾うなく」ってのはなかなかなフレーズ -
銭形のいわれの書かれた案内板。
「藩主に捧げた」説を採用しています。 -
銭形を眺む。
昼近かったので直上から日光が差し、陰影が少なく、くっきり、というわけではありません。 -
雲がかかると少し模様が分かりやすくなります。
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展望台からの景色。
後ろ側の島(伊吹島)が良き雰囲気を出しています。 -
さて、展望台から離れます。
展望台の左手を下ります。 -
観音寺への道、と思ったら閉鎖されていました。
先に進みます。 -
少し下ったこちらが観音寺と神恵院への道。
観音寺 寺・神社・教会
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石造りの案内柱が倒れていました。
災害の爪痕かな? -
道のほとりに佇む地蔵様
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寺の建物が見えてきました。
あの掘っ建て小屋は何だろう? -
物置かと思いきや、仏塔をしまっていたようです。
調べてみると経塚堂というらしい。
観音寺のもののようです。
傾いた仏像が何とも言えない味を出しています。
苔むした石と傾いた古い像。
ジブリの世界のようです。 -
古い祠と古い仏像。
味があります。 -
ぽつねんと森の中にたたずむ仏像。
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森の中に点在する仏像。
管理する人がいなくなると森に飲み込まれてしまいそう。 -
独鈷をもつ仏像。
仏像というよりお坊さんですね、これは。
表情は仏像というより、人間臭いのもありますが。 -
薬師堂。
山の上で、銭形寄りの場所にありますが、観音寺のもの -
心経殿。
これも山の上にあり、銭形寄りですが、観音寺のもの -
心経殿。から南西を眺める。
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山を下ります。
立派な木が!
桜のようです。 -
並ぶ仏像。
歳月を重ねた仏像は味がありますよね・・・ -
振り返ると結構な段差。
下りで来てよかった(^^) -
観音寺大師堂
堂に「弘法」と掲げられています。 -
こっちには「弘法」ではなく「弘法大師」と掲げられています
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観音寺弘法堂の後ろの白い建物は神恵院
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納経堂で御朱印を頂きます
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御朱印を頂きました。
観音寺と神恵院の二つの御朱印を一緒にいただけます。 -
観音寺と神恵院の御朱印
八十八か所用の御朱印帖に頂きました。 -
観音寺本堂
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観音寺を後にします。
本来はここから登るのですが(笑) -
仁王門を後にします。
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仁王門から市街へ向けて歩きます。
なかなか落ち着いた雰囲気 -
総持寺の四つ角に、八十八か所の石碑が建っていました。
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総持寺の四辻を曲がり、軟化していると気になる石碑が・・・
「殉国烈士」「共同墓地」とあります。
中に入って見学させて頂いたのですが、日露戦争期から日中戦争期に国に準じた方々が多いようです。
google mapにもこの場所の表示は出てきません。
単なる墓地といえばそれまでかもしれませんが、20そこそこの年齢で戦死し、どこの戦役でなくなったかが記載されている墓銘碑を見ると胸が締め付けられます。
ところどころの墓には花が添えられており、それが唯一の救いでした。
花もなく、墓銘碑も消えかかっている墓も多かったですから・・・ -
琴弾八幡宮に到着
琴弾八幡宮 寺・神社・教会
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琴弾八幡宮の説明文。
源平合戦の舞台の一つだそうです。 -
琴弾八幡宮へ通じる鳥居
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鳥居の説明文。
コンクリ造りかと思ったら16世紀のものでした。
潮風に晒されているのにこの水準とは手入れをしっかりしているのですね -
境内にはヌコ様がたくさん。
ぼーっとしていると寄ってきて、撫でさせてくれます。 -
随神門脇にはヌコ様が休憩中
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さて、参道を登ります。
心臓やぶりだ! -
鳥居がある!
と思ったら、まだまだだった・・・ -
木之鳥居に到着
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木之鳥居の説明文
屋島合戦の勝利を機に寄進されたもののようです。
って、ことは800年もの? -
ようやく本宮エリアに到着?
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鳥居・・・・かどうかはわからないけど、鳥居風の建造物。
柱部分に漢字が記されているので、中国風にも見えます。 -
クランクを曲がり、さらに上がります。
ここの独特なところは、聖域を仕切るのに柱を以て行い、かつ、柱には漢字が記載されていることですね。
大陸と交流が深かったのでしょうか? -
手水舎がありましたが、水は枯れていました。
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ようやく本宮の建物が見えてきました。
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本殿エリアに到着すると、子猫様が・・・
この子猫たちは帰りの時、木之鳥居までついてきてくれました。 -
琴弾八幡宮の本殿
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観音寺市のマンホール。
街の象徴は寛永通宝なんですね~ -
街角にあった公園(観音寺小公園)にも寛永通宝
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駅前の観光案内所にさしかかるとゆるキャラっぽい石像が。
お遍路さんを表しているみたい -
観音寺観光案内所にあった自販機
ご当地キャラかな?大正橋プラザ観光案内所 名所・史跡
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自販機の裏側
観音寺といえば、銭形ゆえ、ご当地キャラと銭形のコラボなんですね -
観音寺駅まで戻ってきました
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観音寺駅にはコンセントのある自習スペースが!
しかもエアコン付き!
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