2025/06/20 - 2025/06/25
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品行方正さん
今までも度々博物館を訪れてはいたが、どうやらスルーしてしまっていたらしい。
同行の台湾の方に簡単な説明をしてもらった。
表面上の台湾の歴史にはもともと興味があり人一倍精通してるつもりだったが、この事は知らなかった・・
言い訳をさせてもらえば、この国旗は”朝鮮戦争”にまつわるものだったのです。
共産中国から”義勇軍”として朝鮮の戦場に送られ捕虜となった兵士達が、停戦にあたり国民党支持を表明し大陸への送還を拒否したというものです。
自分達が帰る場所は大陸ではなく台湾だと主張したのでした。
この事態に国連軍は大いに困惑します。
【その決意の固さを示すために白地の青天白日旗を自分たちの血で萬地紅に染めたのです】
結論を言えば国連軍と中国の交渉の末、彼らの要求は叶い英雄として台湾に迎えられる事になります。
彼らのその後の人生(ドラマは数々・・)も、これはこれで歴史の大きな一部ですが、ここではその事は置いておきます。
この事件について残された資料に目を通して次第に周辺の状況にも興味を拡げて行くと、ある”可能性”に取り憑かれてしまいました。
【決してこれを主張するものでは無く「私はそう思ってしまった」という程度の事なので、どうぞお気楽に・・です】
写真についてはとってつけたようになってしまい申し訳ありません。
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《初めての台湾で何故か外も中も一番印象的だった台北駅》今でも大好き!!
さて本題に入る前に・・
①アメリカにとって大戦後の最重要ミッションはソ連の影響力拡大を阻止する事でした。終戦直後から即覇権争いになる事を強く認識していた。
②蒋介石の国民党に対しては、日本を敗戦に追い込むためにこそ重要な存在ではあったものの、その腐敗体質も相まって決して高い評価をしていなかった。
【チャーチル提案の中華民国の国連常任理事国入りには当初頑強に反対していた】
③中国共産党は政治思想集団と言うよりは国内覇権を争う軍閥の一つとしての面が強く、ソ連にもさほど大きなシンパシーは持っていなかったかも知れない。ソビエト寄りのコミンテルン一派は路線対立の末粛清されている。
以上のような三つの前提が朧げに浮かんできた。 -
【アメリカは中国共産党との取引を画策していたのではないだろうか?】
残された記録によれば中国共産党もまんざらでは無かった様子だ。 -
中国共産党にとって何がそれほど魅力的だったのか・・
ソ連と距離を置いてアメリカと協調したら何を得られるのだろうか? -
《只今絶賛建設中の桃園MRT駅ビル》
それはズバリ“台湾”であったようだ。
国共内戦の最終決着として、台湾に侵攻してもアメリカは“目を瞑る”と言うことではなかったのか。 -
今でも”中華民国はいつから台湾を領有したか”を問題視する向きがある。
台湾独立派が唱え始めたらしいが・・?
(非中国で一致しながら民主派と足並みを揃えて共闘出来ない最大の障害) -
《台湾の国鉄本社?》
純法律的に考えれば1951年のサンフランシスコ条約で正式に日本の領土が確定するまでは、台湾は日本領土のままであった。
日本は台湾の統治権を放棄し、代わりに連合国からの”委任”という形で中華民国が統治した・・が、一体いつから委任統治の“委任”がはずれたのか?
これは中華民国の台湾領有を無効とする根拠として言われたことである。 -
日本は誰から台湾を譲り受け、そして誰に返還したのか?
一般に日清戦争により割譲されたふうに扱われているが、当時の清国は台湾島を部分的に実効支配していたものの、台湾島自体の領有権は主張していなかった。 -
《三井物産倉庫》
日清戦争の結果、日本が台湾島を”任意の形”で統治する事を認めた・・のである。
日本編入後は内地人とは区別されたが、台湾住民は日本国民となる。 -
“日本語家庭”などの条件付きではあるが、内地人同等の権利を有する事が可能(現地名のママでも可)であった。
そのような台湾を敗戦にあたって、日本は自らの意思で、日本の都合だけでしかるべき相手に“割譲”できたのか? -
《中央郵便局のようなもの?》
この時日本はちょっとしたテクニック?を使っている・・
統治権は放棄したものの領有権はサンフランシスコ条約まで維持したままでした。
【諸事情により中華民国はサンフランシスコ条約には招待されていません】
敗戦国日本の独断でそのような事が可能なのでしょうか?
戦後世界を見据えた日米の裏交渉でシナリオが出来たような気がします。
アメリカの指示だったのでしょう・・
【ここ迄来れば誇大妄想の極みか!?】 -
《大阪商船ビル》
台湾の領有は中華民国にとっては当然の帰結だと思っていただろうし、連合国側にも特に異存は無いように思われる。 -
《台湾博物館》
それがどうしてこうもアヤフヤな事になってしまったのか?
アメリカがアヤフヤなままにしておきたかったのだとしたら?
中国との取り引きのために・・ -
【しかし幸いな事に現実はそのようになっていません】
長い国民党独裁の戒厳令時代を経て民主化を勝ち取り、今では世界の中でも自由で好ましい国の一つになっています。 -
何故でしょうか・・?
アメリカと中国の不埒な思惑をぶち壊してしまう事件が発生してしまったからです。 -
朝鮮戦争です。
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アメリカは慌てました。
重要な事案の交渉相手とはいえ、もともと中国とは信頼関係が希薄です。
ドサクサに紛れて台湾をタダで持って行かれたらたまらないと考えたのかも知れません。 -
アメリカが真っ先に取った行動は、中国共産党に対し敬意も信頼感もない事を示すには充分でした。
戦場がはるか朝鮮半島であったにも関わらず、間髪をいれずに”台湾海峡”に艦隊を派遣したのです。
中国はこれを問題視し態度を硬化させる事になります。
ここから本当の意味での冷戦体制が始まったと言っても良いかも知れません。
※朝鮮戦争 1950年6月~
※アメリカ軍の台湾駐留 1950年8月~
【この先は私たちが良く知っている歴史になります】 -
いま私たちが親しんでいる台湾は、朝鮮戦争があったからこそと思うと何か複雑な思いにもなります。
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これ以降アメリカは大きく方針を変更せざるを得なくなります。
今度は中国に台湾侵攻をさせないためもあり、国民党との関係を深める事になります。 -
《牡丹社事件当時使用された日章旗》
【但しアメリカは中華民国に肩入れせざるを得なくなった状況下で、その後の民主化に繋がる誘導も微力ながらしています】
中国との対抗上多大な援助をするに当たり、独裁政権のままではアメリカ国民の民意を得にくいという理由で、各方面に民主化を働きかけていたようです。 -
《台湾経営の功労者》
ここ迄の状況も全てアメリカの事情や都合で動いて来ましたが、またまたアメリカの都合で台湾は大変な状況に追い込まれる事になります。 -
時代は進み・・
未曾有の経済不振と社会混乱に見舞われ、遂にアメリカはベトナム戦争からの撤退を決意することになります。
かなり追い詰められた状況のなかで最大限有利な撤退方法を探ります。
参戦の責任やそれに関わる賠償負担などは何処からも追求、請求される事なく済ませたい・・
【ベトナムに戦争維持を可能にさせていたのは中国であった事は公然の事実でした】
今度こそ中国との取引で何とかならないか? -
《日本勧業銀行》
どのような取り引き材料を提示したらアメリカの意に添った行動をするだろうか?
まさか今更台湾侵攻を”餌”にできるような世界情勢ではない。
【しかし台湾には充分に取り引き材料になる価値が有りました】 -
中国を代表する国家を中華人民共和国と認め、国連常任理事国の座も中華民国と差し替える・・という条件ならどうだろうか?
常任理事国の共産国比が1:4から2:3になるため、この件に限ってはソ連もむしろ協力的だったかも知れない・・?
【蒋介石が国連脱退を宣言したイメージが強いが、そもそも国連には脱退の規定は無く正式に決議によって“追放”されている】 -
中国は喜んでこの取り引きに応じる事になります。
ベトナムの立場への配慮など全て無視できるほどの魅力的な好条件です。
当然ながらこの後ベトナムとの関係は悪化するものの、取るに足らない事だったでしょう。
※中国国連加盟 1971年
※中越戦争 1979年
【この結果のアレやコレやを私達はいま現実にまのあたりにしている訳です】 -
さすがにアメリカは中華民国の存続と安全を引続き保証し、その他の国々も交流を絶やさない事を約します。
しかし中国の要求に応じる形でそれぞれ国交は断絶することになってしまいました。 -
《中は博物館》
【それからの中華民国国民の行動は偉大でした】
228事件、白色テロ、戒厳令時代の民主化運動に対する弾圧や妨害・・
それら全て(ドラマは数々・・)を乗り越えて遂に民主化を果します。 -
民主化への感動的な道のりは私たちも良く知る所です。
改めてここに紹介するまでも有りません。
【なので妄想はここまでにしておきます・・】 -
《228公園の散歩》
民主化とその定着には李登輝という偉大な政治家を得たことが台湾にとって非常に大きく、そしてまた幸運だったと思います。
政治家ですからそれぞれの立場で賛否が分かれるのはむしろ当然です。
しかし李登輝の存在が無ければ今私達が目撃している台湾とは大分違っていたかも知れません。 -
僭越を承知で言えば、李登輝という偉大な政治家の出現にはいわゆる“日治時代”が決して小さくない影響を及ぼしているような気がします。
日本時代に得たものの大きさをご本人も認めています。 -
彼は最晩年に東京の外国人記者クラブで講演をしました。
全て日本語で、改革を謳いながらも何故国民党での総統だったのか。
何故総統退任後に国民党と袂を分かったのか・・など人生の総決算のような内容に思えました。 -
それを日本の地で日本語で行うことは、日本へのメッセージのようにも感じました。
-
講演後に質疑応答が行われた。
海外の記者には通訳を通しての応答だった。 -
その中で香港の記者が、さも中国の意を汲んだような質問を中国語で始めた・・
李登輝はこの記者を知っていたらしく「あなたは日本語を話せるのだから質問は日本語で」と質問をやり直させたシーンが印象に残っている。 -
《228事件時に全国一斉蜂起を呼びかけた放送局》日本語で放送された
数々の記録や証言を目にした中で“血染の国旗”にまつわる話にも印象に残るものがありました。 -
ある一人の兵士は太平洋戦争は日本兵として戦い、敗戦後は国民党軍の兵士として大陸に送られ国共内戦を戦いました。
しかし当時の国民党らしいが、部隊長が共産党に寝返ってしまう・・ -
その結果今度は共産党軍の兵士となり、やがて中国から義勇軍として朝鮮戦争に送られて捕虜となってしまいます。
ある意味これが幸運でした。
“血染の国旗“のもとに団結し、遂に台湾への帰還を果たしたのでした。 -
《昔も今も台湾銀行》
すでにこの世にいない世代の証言の中には少し意外なものもありました。 -
《総統府》
主にかつての”日本語家庭”などのハイソ?な層に特徴的ですが・・
現代世代の台湾アイデンティティとは違い、証言当時でもまだ日本を引きずっているように見えてしまいます。 -
極端な例ですが、住む地域が所得によって違っていたので交流は主に日本人(所得が低い日本人とも接点がない)だけだったとか、過激な人は戦後台湾に来た外省人を、彼らは支那人であり自分達とは違う・・とか言ってました!?
-
子供のころ家庭内では日常的に日本語で会話し、学校へ行けば友達はみな日本人。
おやつはお稲荷さんが定番だった・・
自分が日本人である事はあまりにも当たり前で、むしろ戦後突然中華民国国民になってビックリしたという人もいました。 -
《国家より歴史が長い台湾№1女子高》京都橘との共演で日本でも有名
彼らのような層は戦後極端に生きにくくなり、口を紡がざるを得なくなりました。
ある意味この世代は国民党による“文化大革命?“の洗礼を受けたような、そんな気がしなくもありません。 -
《台北司法大厦》日本時代の建物の中ではわりと無名?
もはや彼らはこの世には存在しませんが、どんな思いで時代の変化を見つめていたのでしょうか。
自分勝手な理解ですが様々な記録や証言に触れた結果、ただただ居心地が良かっただけの台湾が心の中で何かもっと重たいものに思えてきました。 -
そんな思いで改めて台北駅周辺を一廻りしてみました。
初めて台湾に来た頃を思い出して大変懐かしく感じました。
以前は無かったのに新しく出来たもの、以前は有ったのにもう無くなってしまったもの・・
いろいろでした。 -
《台湾ビール本社》
その中で日本時代から残された建物の数々・・
現代台湾躍進の基礎はこの時代を生きた台湾の人々にこそ有るとも思えてきました。 -
何故”日本語家庭”に?と問われれば多くの人がこのように答えていました。
「子供に内地日本人と同じ教育を受けさせるため・・」と。
この進取の気持ちが日本と協調する原動力になったのではないでしょうか。 -
《総督官邸》
日本の台湾統治は比較的順調に推移した方だとよく言われるところである。
日本が大いに努力したのも確かだが絶対に見逃せない要素が一つあると思った。 -
清時代のある特定の層の台湾の人々は、既にそれまでの古い体制に疑問を抱き新しい世界の一員になる事を求めていたのかも知れない。
彼らはより先進的な時代を求め、その可能性を日本に託したのではないだろうか? -
当時の日本との協調性はこれによって基礎が築かれたような気がする。
彼らこそが積極的に日本を利用したのではないだろうか?
あえて”日本語家庭”になるほど貪欲に・・ -
《台大病院》
長い年月の間に様々な事があった訳だが結局、民主化も優秀な人材や政治家の輩出も、現在の著しい発展も、全て今は亡きこの時代の、この世代の存在があってこそ・・と言ったら言い過ぎでしょうか? -
ぐるっと一回りしてこの辺まで来たら流石に疲れてきました。もういい年だし・・
幸いMRTの駅があるので電車に乗って帰ります。
徒然なるままに由無し事を・・でした。
・・オ・シ・マ・イ・・
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