2025/03/27 - 2025/03/27
124位(同エリア410件中)
杏仁豆腐さん
今年、「霞会館記念学習院ミュージアム」がリニューアルオープンしました。これを記念して、特別展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱 ―芸術と伝統文化の パトロネージュ」が開催中です。
ということで、学習院大学に行きました。
その後、もう一つに目的である、永青文庫へ。
早春展「細川家の日本陶磁―河井寛次郎と茶道具コレクション―」を開催中です。
あちこちの桜の花も咲き始め、予想以上に咲いているところもありました。桜を眺めながらの散策となりました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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山手線目白駅下車
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目白駅の目の前が学習院大学です。
西門です。 -
正門に来ました。
桜が咲き始めています。 -
学習院正門は、登録有形文化財(建造物)です。
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北面の目白通り沿いに開く間口11mの正門で、左右に総延長36mの石積塀を延ばし、生垣を植えています。柱間6.3mの主柱に木製扉を吊り、その両側に脇柱を建てて脇門としています。門柱はいずれも煉瓦積で、頂部に花崗岩製の柱頭飾りを戴き、格調ある構えとしています。
明治41年(1908)の目白校地移転とともに建設されました。 -
正門からキャンパス内に入ります。
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けっこう桜が咲いています。
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学習院東別館(旧皇族寮)です。
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国指定登録有形文化財です。
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当時全寮制だった学習院の皇族寮として、大正2年(1913)に建てられました。木造2階建て、桟瓦葺で、北側が寄棟造、南側が切妻造という複合的な屋根を持っています。
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外壁は南京下見板張であり、アメリカ系の建築様式が窺える一方、木肌を見せた塗装や欄間付きの引き違い窓を配するなど和風建築の要素も見えます。
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とても雰囲気のある建物です。
ひと回りしながら、見ました。 -
正面玄関には馬車を寄せる車寄せがあり、玄関庇に付けられた桜模様の飾りは、向かい合わせに建っていた院長官舎(愛知県犬山市の博物館明治村に移築)と対をなしています。
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北別館(旧図書館)です。国登録有形文化財。
明治42年(1909)築。木造平屋建、桟瓦葺、切妻造。図書館として建てられました。外壁は、ペンキ塗装がなされた箱目地下見板張で、1メートルおきに配された欄間付きの上げ下げ窓には窓枠をかねた付け柱に長押、窓台が配されています。
設計は、旧東京音楽学校奏楽堂や旧帝国図書館を手がけた久留正道。 -
霞会館記念 学習院ミュージアムです。
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「学習院大学史料館」が、2025年春、「霞会館記念学習院ミュージアム」としてリニューアルオープン。これを記念して、特別展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱 ―芸術と伝統文化の パトロネージュ」が開催中です。
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常設展示室は写真撮影可能です。
乃木希典遺書
大正元年(1912) -
乃木号骨格標本
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「初等学科習字帖」第六上
学習院が刊行した習字の教科書 -
パラオ諸島アバイ模型
パラオ諸島の男子集会所として集落ごとに建てられた「アバイ」の家屋模型。 -
足踏式竪型自動ピアノロール収納棚
大正13年(1924) -
足踏式竪型自動ピアノ
大正13年81924)/昭和58年(1983)年復元 -
光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王(高松宮)所用
学習院ランドセル(原寸復元模型)
原型:明治44年(1911)頃所用
復元模型:令和6年(2024)制作
学習院では明治18年(1885)より、通学にはランドセルを使用することが日本で初めて定められました。 -
学習院コレクション「華族文化 美の玉手箱―芸術と伝統文化のパトロネージュ 」
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訪れる人も少なく、ゆっくりと見ることができました。
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とてもきれいな空間で、じっくりと鑑賞できます。
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ボンボニエールも展示されています。
ボンボニエールとは、皇室の御慶事に際して下賜される菓子器です。 -
霞会館記念 学習院ミュージアムを出ました。キャンパス内を散策します。
西5号館
素敵な風景です。 -
西5号館と桜
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出陣の碑
昭和19年度(1944)の高等科文科2年生によって建立されました。 -
西2号館
キャンパス内は、素敵な雰囲気です。 -
キャンパスの桜も咲き始めています。
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キャンパスが別世界の自然につながっています。
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椿が咲いています。
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血洗いの池
「忠臣蔵」に登場する堀部安兵衛が「高田馬場の仇討ち」で8人を斬った刀を洗ったという池。
生臭い名前です。 -
人が誰もいません。
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奥に進みます。
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鳩魂碑(きゅうこんひ)
昭和13年(1938)、学習院輔仁会伝書鳩部の卒業生有志によって建立されました。亡くなった約300羽の鳩の魂を鎮めるための碑です。 -
貞明皇后の「皇后陛下行啓記念」
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芭蕉句碑・富士見茶屋跡
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自にかかる 時や殊更 五月富士
江戸時代、眺望に勝れたこの地は富士見台と呼ばれていた。ここには、富士見茶屋(別名珍々亭)があって、多くの風流人が訪れた。初代歌川広重の連作「富士三十六景jの一つ「雑司ヶ谷不二見茶屋」は、ここからの風景を描いたものといわれている。句碑に刻まれているのは松尾芭蕉の句で、文化7年(1810)、雑司ヶ谷の俳人金子直徳によって、富士見茶屋の傍らに建てられた。 -
座禅堂
学習院大学には、座禅部があります。 -
乃木館(旧総寮部)
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明治41年(1908)の目白校地移転を機に、6棟の寄宿舎・食堂・衛生病棟とともに、総寮部として建てられました。全寮制を導入した第10代乃木署翼院長は、院長官舎ではなく、この総寮部内の室に起居して、学生と寝食をともにしたそうです。
平成21年(2009)、国登録有形文化財に登録。 -
榊壇・榊壇碑・国境採集石塊碑
榊壇は、明治42年(1909)明治天皇の学習院行幸を記念し、翌年乃木署翼院長の私費によって築造されました。壇の中央には天覧榊が植えられ、周囲は当時の国境から集められた80個の石で前方後円型に築かれています。
榊壇は大正9年(1920)東京都指定文化財に指定。 -
石にはーから八十までの番号が刻まれ、国境採集石塊碑にある石の採集地と対照できます。
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青木義比歌碑
夏月涼かくはかりす〉しきよはの
月かけをしはしさ》へょにはのまっかえ
(鶴山)
山家夏世のうさのみちもはなれて
やまさとのなつのゆふへはす〉しかりけり
(義比)
江戸末期の旗本青木寅之助義比と、その父鶴山の歌を、首す‘つ刻んであります。 -
南1号館(旧理科特別教場)
学習院大学は魅力的な校舎が残っています。 -
昭和2年(1927)に中等科・高等科の理科特別教場として竣工しました。当初より理科教室として設計されていたため、昭和24年(1949)大学理学部の開設とともに理学部研究棟となりました。正面玄関・1階窓の主語アーチ、2・3階の縦長の窓、外壁の付け柱を備えたネオ・コシック様式の建物です。
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キャンパス内には歴史的な見どころも多く、建物も素敵でした。
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学習院中学・高校の正門
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千登世橋
都電荒川線と明治通りをまたぐ橋です。 -
日本女子大学 目白キャンパスの前を通過
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永青文庫に到着
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永青文庫は、目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。
久しぶりに来ました。 -
細川家は室町幕府三管領の一つとして武門の誉れ高い家柄で、現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まります。代々文武両道にすぐれた細川家は、多くの戦功を挙げて、3代忠利のとき肥後熊本54万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至りました。
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この家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しているのが永青文庫。
昭和25年(1950)、16代護立によって設立されました。その名称は始祖細川頼有以後8代の菩提寺である京都建仁寺塔頭永源庵の「永」と、初代藤孝の居城青龍寺城の「青」の二字をとって護立が名付けたものです。
昭和47年(1972)から一般公開を始め、翌48年(1973)に博物館法による登録博物館となり現在に至っています。現在の建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和5年(1930)に建設されたものです。所蔵品は護立と17代護貞から寄付を受けたものであり、テーマごとに展覧会を開催しています。 -
早春展「細川家の日本陶磁―河井寛次郎と茶道具コレクション―」を開催中
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熊本藩主であった細川家には、日本の陶磁作品が数多く伝えられています。特に、茶の湯を愛好した細川家では、茶壺・茶入・茶碗などの「茶陶」が残されました。熊本藩の御用窯であった八代焼(高田焼・平山焼)でも茶道具が多く作られています。八代焼は、素地と異なる色の陶土を埋め込む象嵌技法が特徴で、幕府の使者への進物などに重用されました。
また、永青文庫の設立者である16代の細川護立(1883~1970)は、同時代の工芸作家との交流が深く、大正から昭和にかけて活躍した陶芸家・河井?次郎(1890~1966)の支援も行いました。
?次郎は、初期に中国の古陶磁をもとにした作品で注目され、後に「民藝運動」の中心人物となり、作風が大きく変化しました。
河井?次郎の作品30点あまりによって作風の変遷をたどるほか、茶道具・八代焼に注目しています。河井?次郎や八代焼を紹介するのは約20年ぶり。また特別展示として細川護熙・護光の作品を紹介しています。 -
昨年、訪れた京都の河井寛次郎記念館で見た作品を思い出させてくれました。
味わい深い建物内で鑑賞すると格別です。 -
永青文庫から肥後細川庭園に続く道があります。
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細川家下屋敷の庭園の跡地をそのまま公園にした池泉回遊式庭園です。
目白台台地が神田川に落ち込む斜面地の起伏を活かし、変化に富んだ景観をつくり出しています。
永青文庫からは、下っていきます。 -
桜が咲き始めです。
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松聲閣(しょうせいかく)です。
旧熊本藩細川家下屋敷のあったこの地で、細川家の学問所として使用されていたようで、一時期は細川家の住まいとして使用されていました。 -
大きな池を中心として、その周囲の園路を歩きながら、広がりのある池や背後の山並みなど様々な風景の移り変わりを観賞出来るように計画された庭園です。
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花を見ながら歩きます。
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池や背後の山並みの眺めの移り変わりを楽しめます。
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神田川です。
桜がきれいに咲いています。 -
神田川沿いを歩きます。
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江戸川公園
関口台地の南斜面の神田川沿いに広がる東西に細長い公園です。 -
川に沿ってソメイヨシノが続きます。
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江戸川公園周辺の神田川は、江戸時代には御留川(おとめがわ)と呼ばれ、その後昭和40年(1965年)までは江戸川と呼ばれていました。
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江戸川と呼ばれていた明治17年(1884年)頃、旧西江戸川町の大海原氏が自宅前の土手に桜の木を植えました。それがもとで、石切橋から大曲まで、約500メートルの両岸にソメイヨシノなどの桜が多いときで241本あり、桜の名所となり新小金井といわれ夜桜見物の船も出て賑わっていました。
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神田上水舊蹟碑記
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目白台・関口の歴史
大洗堰の由来碑について
かつて、この地には神田上水の堰があり、古来より風光明媚な江戸名所として知られていました。上水の工事には俳人松尾芭蕉も関与し、その旧居(芭蕉庵)は四○○m程上流に復元されています。
大正八年東京市はこの地を江戸川公園として整備し、史跡(大洗堰)の保存に努めましたが、昭和十二年になり江戸川(神田川)の改修により失われたので、翌年、堰の部材を再利用して、由来碑を建てました。
左の碑文はその文面です。由来碑はすでに失われましたが、近年、この碑文のみが見つかりましたので、ここに設置しました。
平成三年三月 文京区役所」 -
予想以上に桜の花が咲いていました。
人出も多くなく、ゆっくりと桜の花を楽しめます。 -
江戸川公園の入口
江戸川橋駅の近くです。 -
江戸川橋駅から有楽町線に乗り、有楽町駅で下車。
珈琲茶館 集 イトシアプラザ有楽町店で、遅いランチです。 -
サイフォン式深入りアイス珈琲
目の前で、サイフォンから氷の入ったグラスに珈琲を注ぎます。
深入りの珈琲が美味しいです。 -
ミックスサンドをいただきました。
ゆっくりと食事をし、休息しました。
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