2024/10/27 - 2024/10/27
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SamShinobuさん
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2000年に開館した府中市美術館は「府中の森公園」内にある。
緑豊かな自然環境の素晴らしい美術館で、今日はミュシャを鑑賞しよう。
そして午後からは、「けやき音楽祭2024 JAZZ in FUCHU」を楽しんだ。
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都立府中の森公園
京王線東府中駅から徒歩10分。東府中駅で降りたのは人生で2度目。10年くらい前に公園に隣接する「府中の森芸術劇場」に来て以来だ。 -
都立府中の森公園は旧米軍府中基地の跡地。元々府中は基地の街だった。
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今年は夏が長かったので、まだ初秋といった感じだ。
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日本庭園もある。
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この先に美術館はあった。
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府中市美術館
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アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界
観覧料 1,000円。 -
ミュシャ展、企画展共に撮影禁止だったのが残念。
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ミュシャ(1860~1939)の絵を見て、少女漫画みたいだと思った。それもそのはず、1970年代に少女漫画の黄金期を牽引した池田理代子の「ベルサイユのばら」や、山岸凉子、大島弓子らは皆ミュシャの影響を受けている。
ちなみにその頃まだ小学生だったが、たまたま読んだ「別冊少女コミック」にどハマりし、毎号買っていた。なので萩尾望都の「11人いる」や「ポーの一族」、大島弓子の「雨の音が聞こえる」や「銀の実を食べた」等の名作をリアルタイムで読んでいる。正直言うと、少年漫画より少女漫画のほうが好きだった。だからなのか、ミュシャの絵を見るとどこか懐かしさに心がざわつく。 -
「ダンス」(1898年、堺 アルフォンス・ミュシャ館)
これなんかまさに少女漫画。キャラクターの縁取り線、淡い色彩、身体の曲線美、装飾過多笑、そしてなんと言っても顔の美しさ。 -
日本人に大人気のミュシャ(1860年生まれ)は、チェコ出身のアール・ヌーボーを代表する画家だ。
ミュシャを知らなくても、ミュシャの絵はどこかで一度は見たことがあるだろう。
なぜミュシャは日本でこんなにもウケているのか。その理由のひとつは、ミュシャが浮世絵を始めとした日本美術の影響をモロに受けていることが考えられる。
そもそもアール・ヌーボー自体が、当時ヨーロッパで大流行していたジャポニズム(日本様式)の丸パクリなのだ。アール・ヌーボーは、平面的、曲線的、装飾的、動植物文様で、これ全て日本美術の特徴。1867年のパリ万博に江戸幕府が初めて日本美術を出品すると、19世紀後半のヨーロッパで一大日本ブームが起こる。それこそ印象派の画家たちも皆浮世絵にハマっていた。
そんなミュシャのポスター画はまるで浮世絵。もうひとりポスター画家と言えばロートレックがいるが、彼もパリの浮世絵師と呼ばれるほど日本美術に影響を受けている。ベル・エポックの双璧をなす二人のポスター画家の源泉が浮世絵とは、なんとも嬉しくなってしまう。
明治時代から今まで、ミュシャは日本で何度もブームになり、その度にパクられまくった。あの繊細でエレガントな女性像は、いつの時代も惹きつけられる魅力があったんじゃないかな。
今年(2024年)12月にも、渋谷ヒカリエホールでミュシャの没入体験型展示会が予定されている。
ミュシャの人生をかいつまんで見てみよう。
1860年チェコ生まれのミュシャは、パリに出て印刷所で働きながら本の挿絵の仕事をしていた。
クリスマス休暇で他の画家たちが休んでいた時、大女優サラ・ベルナールのポスターが急遽必要になり、たまたま印刷所にいたミュシャに声がかかったそうだ。そこでサラに気に入られてブレイクしたのが35歳(1894年)。遅咲きのデビューだったが、それから6年間がミュシャの黄金時代になった。
しかしデザインの主流が次第にアール・ヌーボーからアール・デコに変わり、元々油絵をやりたかったミュシャは1910年にチェコに帰ってしまう。
それからはポスターのような商業美術より、油絵で民族画家になる!と、20点の巨大な連作「スラヴ叙事詩」など、意欲的に民族画などを描いた。それらは象徴主義絵画として、近年再評価されている。
しかしチェコ人の愛国心を喚起するような作品を描いたとしてナチスに捕まり、それが原因で死亡。なかなかに波乱万丈の人生ですな。
今回のテーマの「ふたつの世界」というのは、ポスター画家としてのミュシャと、民族画家としてのミュシャの二面性を考察した面白い展覧会だった。
ミュシャはゴーガンと一緒にアトリエを借りたり、ロダンとプラハに旅行したり、調べると交友関係も面白い。また、ミュシャが師事したラファエル・コランは黒田清輝がフランスに留学していた時の先生でもある。
府中市美術館のコレクション展に、黒田清輝、久米桂一郎、藤島武二、和田英作らラファエル・コランに学んだ画家たちの絵が展示されていた。
と言うことは、彼らは皆ミュシャと兄弟弟子ということになるのか。 -
府中乃森珈琲店
美術館に併設されたカフェでランチをとろう。 -
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ビール(プレミアムモルツ小瓶)700円
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ローストビーフプレート1,340円
肉厚のローストビーフがたっぷりのっていて満足度高し。 -
美術館前からバスで府中駅へ向かう。
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JAZZ in FUCHU
JAZZ in FUCHUは正式には
府中市制施行70周年記念 けやき音楽祭2024 JAZZ in FUCHUだ。 -
今年で17回目の開催になるJAZZ in FUCHUは、市民ボランティアによる実行委員会が主催し、府中市内の19会場において約120バンドが出演している。
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御殿地テラス(国司館と家康御殿史跡広場)
ここでMASH弦楽団の演奏を聴こう。 -
キッチンカーも出ており、食べたり飲んだりしながら演奏を楽しめる。
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2017年に結成されたMASH弦楽団は、バイオリンのruriさんを中心にリードとリズムのギター2本、ベースの4人組の日本では珍しいジプシージャズバンド。先週も「すみだストリートジャズフェステバル」で聴いたばかりだ。今日はベースは不在だった。
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ジプシージャズに関しては創始者のジャンゴ・ラインハルトのCDは持っているが、日本にジプシージャズのバンドがあると知ったのは最近だ。
ジャンゴ・ラインハルトは1930年代のフランスで、自分たちロマ族(ジプシー)の民族音楽とスウィングジャズを融合させてジプシージャズを生み出した。彼らは移動しながら生活していたので、ヴァイオリンやバンジョー、ギターなど弦楽器のみの演奏スタイルになったそうだ。
ロマ族と聞くと、先日亡くなったアラン・ドロンの映画「ル・ジタン」を思い出す。日本人にはあまり馴染みがないが、ロマ族は差別と迫害の歴史があり、映画の中でもアラン・ドロン扮する主人公がロマ族出身ということで差別を受けていた。第二次世界大戦時には、ロマ族はユダヤ人同様ナチスに迫害され、ヨーロッパ全土で約50万人も虐殺されている。
そういえば、チャールズ・チャップリンもロマ族の血が1/4入っているそうだ。名作「ライムライト」では劇中でチャップリン自身がジプシージャズを彷彿とさせる演奏をしている。
話は逸れたが、ジプシージャズがニッチなジャンルであることは間違いない。しかしMASH弦楽団はジプシージャズのスタイルにポップな魔法をかけることで、めちゃくちゃご機嫌な演奏になり楽しくてずっと聴いていたくなる。 -
今日はruriさんのお嬢ちゃんがベビーカーで、一緒の舞台に乗せられていた。時折ぐずりそうになる娘を演奏しながらあやすruriさん、最高だったなあ。終演後、ruriさんに「(その旅芸人一家のような様子が)これぞまさにジプシージャズバンドだね」と言うと、「ハハハ、そうなんです。0歳から連れ回してます」とたくましい返事が返ってきた。
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大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)
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初めて参詣したが東京五社の一社だそうだ。知らんかった。他の四社は東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮。
調べてみると、大國魂神社の創建はなんと西暦111年。1900年以上前というのだから、東京最古の神社のひとつだろう。
府中には基地と競馬場しかないと思っていたが、こんな霊験あらたかな神社があったとは、お見逸れいたしました。 -
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お休み処
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お詣りした後は、境内のお休み処でコーヒー(320円)をいただいた。
ミュシャとジプシージャズに、目と耳からたっぷり癒された休日だった。
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