2024/09/12 - 2024/09/12
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ペコちゃんさん
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9月の〇〇会は、恒例の落語鑑賞会。
昨年までは国立演芸場に通いましたが建て替えのため、今年からは新橋にある内幸町ホールに変更となったことから、午前中は浜松町にある旧芝離宮恩賜庭園を散策。
その後、新橋に移動して旧新橋停車場を見学して午後から落語鑑賞会という日程で、残暑厳しい都心の初秋の一日を楽しみました。
写真は、玉栗石が敷き詰められた州浜に建つ、旧芝離宮恩賜庭園のシンボル・雪見灯籠。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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山手線をぐるっと回って浜松町駅へ・・・旧芝離宮恩賜庭園は、浜松町駅北口から歩いてすぐのところにあります。
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旧芝離宮恩賜庭園は東京に残る最も古い大名庭園のひとつで、300年以上前の造営当時の面影を色濃く残す名園です。
大名庭園とは、江戸時代に諸大名が築いた庭園の総称で、その多くが池泉を中心とした回遊式庭園となっており、当園は約9,000㎡の大きな池に浮かぶ大小の島・築山・石組など表情豊かな景色が楽しめます。 -
かつて、海面だったこの地は明暦(1655~1658)の頃に埋め立てられ、当初は徳川将軍家の鷹狩りの地でしたが、延宝6年(1678)に老中・大久保忠朝(ただとも:肥前国・唐津藩主)が4代将軍・家綱から拝領しました。
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忠朝は屋敷を建てるに当って藩地の小田原から庭師を招き、中国の景勝地である西湖の堤をモチーフにした石堤や、中島の石組、州浜など現在の庭園の原型となる庭を作り、「楽壽園(らくじゅえん)」と名付けました。
この門から入り、シルバー料金:70円を払います。 -
その後、いくつかの大名家を経て幕末には紀州徳川家、明治初期には有栖川宮家の邸地となり、明治8年(1875)に宮内省が買い上げ、翌年に芝離宮となりました。
園内には和傘の貸し出しもあります・・・毎日、猛暑が続いていますから、嬉しい心配り。 -
庭園の池の先に見えるのは、東京ガスの本社。
離宮となってからは外国の賓客をもてなす迎賓館として使われることもあり、園内に洋館が新設されましたが、関東大震災によって建物と樹木の殆どが焼失してしまいます。 -
関東大震災翌年の大正13年(1924)、昭和天皇のご成婚記念として東京市に下賜されて庭園の復旧と整備が行われ、同年「旧芝離宮恩賜庭園」として一般公開を開始・・・今年は丁度100年目です。
今回の参加者は6名・・・日傘が似合っていますね。 -
恩賜とは天皇から賜ることで、恩賜庭園は芝離宮・浜離宮の2か所、恩賜公園は上野・井の頭など5か所があります。
庭園を入った左側にある藤棚は、大久保家の上屋敷時代に当主の居室があった場所。 -
この場所には、明治23年に迎賓用の洋館が建てられました。
当時のレンガや装飾が施された大理石の一部が残されています。 -
芝離宮として使われていた頃の写真・・・アメリカからの賓客が洋館の前で記念撮影をしています。
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藤棚から時計回りに東 ⇒ 南 ⇒ 西と回ります。
芝離宮では、桜や藤など四季を通じて様々な花や植物が楽しめ、この時期は桔梗や・・・ -
サルスベリが咲いています。
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芝離宮の池は、かつては海水を引き入れた「潮入りの池」でしたが、現在は水路が閉ざされ、淡水(雨水)が池を潤しています。
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水が湧き出ています。
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ここが「海水取入口跡」・・・周辺の海が埋め立てられたことから、石垣や鋼鉄製の水門が当時の遺構として保存されています。
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アカガシの大木。
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左側は建築中の世界貿易センタービル・本館・・・2027年には地上46階建ての高層ビルとなり、上階にはラッフルズホテルが入居予定です。
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中島に架かる木橋「八ッ橋」は老朽化のため、現在補修中。
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中島の石組・・・庭園内では数々の名石が用いられていますが、特に小田原市根府川で産出する「根府川石」が多く運ばれ、石組や飛石などに使用されています。
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彼岸花も咲き始めています。
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九尺台(九盈台)・・・九尺は高さ、盈は水や月が満ちることで、明治天皇が明治8年に庭園を行幸した際には、この台上から海で漁民達が漁をする様子や海の眺望を楽しまれたそうです。
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ムラサキシキブとシロシキブ。
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中央左側は2021年に竣工した世界貿易センタービル・南館・・・39階建ての高層ビルです。
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この小高い丘は、唐津藩主の大久保忠朝に因んで名付けた唐津山・・・しかし、唐津には唐津山という山はありません。
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江戸時代の名園と現代的な高層ビルが溶け込んだ風景・・・まさに、オフィス街に広がる都会のオアシス。
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西岸にもサルスベリ。
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アーチ窓がある右の茶色っぽい小さなビルはキャノン電子ビル、左は汐留芝離宮ビルディング。
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築山の「大山」・・・かつてはここから房総半島や筑波山・富士山も見えたそうです。
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大山からの眺め。
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左側が中島、右奥に東屋が見えます。
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岩を屏風のように見立てて奥行きを感じさせる「枯滝」・・・川床が通路として人が行き来できるように造られているのが特徴です。
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池の中央に浮かぶ中島へと続く石造りの「西湖の堤」・・・中国の浙江省にある風光明媚な西湖(杭州城の西側にある湖)の風景を模したものです。
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「西湖の堤」の太鼓橋・・・石橋の反り加工は大変だったでしょう。
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これは、2008年に西湖を観光した時の写真ですが、西湖の西側には約2kmの長堤・蘇堤が築かれ、外湖と裏湖に隔てたことから船が通行するための太鼓橋が架けられ、中国の詩歌や絵画の題材にもなっています。
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鯉が泳いでいます。
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中島の見事な石組と松・・・石組は、仙人が住み不老不死の地と言われる中国の霊山・蓬莱山を表しています。
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大久保家の上屋敷だった頃は、この小島は引き潮の時には陸続きになっていたようです。
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洲浜に置かれた雪見灯籠・・・洲浜には砂でなく小石(玉栗石)が敷き詰められています。
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この雪見灯籠は明治の離宮時代に置かれたものでしょう。
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ソテツの植栽とその奥には見事な枝ぶりの赤松。
花の時期を選んで再訪したくなる旧芝離宮恩賜庭園でした。 -
浜松町から新橋へ。
♪汽笛一声 新橋を♪で始まる鉄道唱歌・・・日本で初めて鉄道が開通したのは、明治5年(1872)の新橋~横浜・桜木町間。
これは新橋駅汐留口に、1957年に設置された「鉄道唱歌の碑」と1976年に設置された「D51機関車の動輪」です。 -
新橋駅から徒歩5分ほどの所にある、2階建ての「旧新橋停車場」。
この建物は、明治5年10月14日に開業した日本最初の鉄道ターミナル・新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ場所に忠実に再現したものです。 -
入り口階段の左側にあるのは「駅舎玄関遺構」・・・9段あった正面玄関の階段の最下段に使われていた切石が保存されています。
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入り口横のガラスには、「旧新橋停車場」と「お茶の文化創造博物館」「お~いお茶ミュージアム」の案内ステッカー。
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建物に入ると、 ” お~いお茶 ” の伊藤園のショップや休憩スペースが、ゆったり広がっています。
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先ずは、左側の階段を上って2階の企画展示室に行きます。
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「驚(おどろき)・鉄道博物館収蔵展」を開催中。(室内は撮影禁止)
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階段を降りた所にある展示コーナー。
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左の壁際のガラス板の下にあるのは「駅舎基礎石積み」。
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右側のガラスケースに展示されている旧駅舎の模型・・・アメリカ人技師のリチャード・P・プリジェンスの設計により、文明開化の象徴として親しまれた旧駅舎は大正12年の関東大震災で焼失し、昭和9年から始まった汐留駅改良工事のため、残存していたプラットホームや構内の諸施設も解体されました。
1991年から埋蔵文化財の発掘調査を行った結果、駅舎とプラットホームなど構内の諸施設の礎石が発掘され、この史跡を保護して鉄道発祥の往時を偲ぶために、2003年に駅舎が再建されました。 -
「お茶の文化創造博物館」と「お~いお茶ミュージアム」も見学します。
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ワイド大画面で上映する「お茶シアター」・・・安土桃山時代に千利休が侘茶を大成させ、江戸時代に庶民の間で広まったお茶の文化など、時代とともに変化したお茶の軌跡を学習します。
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今年で創業60周年、「お~いお茶」の誕生から35周年を迎える伊藤園。
お茶の魅力を発信し、若年層などとの接点を広げることを目指して、今年の5月1日、新茶の訪れを告げる八十八夜にミュージアムを開設しました。 -
江戸時代に豪商がお茶を楽しむために使用していたとされる、ゼンマイ仕掛けの茶運び人形(江戸からくり人形)・・・着物姿の人形が持つお盆の上に茶碗を置くと、人形が動き出し、茶碗を取ると動きが止まる仕組み。
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平安から現代に至るまで、時代とともに変遷してきたお茶の飲み方や作り方をパネル展示しています。
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今年5月に伊藤園「お~いお茶 グローバルアンバサダー」に就任した大谷翔平選手・・・この日も47号ホームランをかっ飛ばしたので、記念にお茶をお土産に。
因みに、このラベルは私の地元では見かけません。 -
館内見学が終わり、玄関の裏手に回ると、再現された旧新橋停車場が・・・プラットホームの幅は9.1m、全長は151.5mでしたが、駅舎側の25mを再現しています。
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プラットホームは「盛土式石積」という構造で造られ、両側面には切石を石垣のように積んで土留め壁が造られています。
レールは、1873年英国製の双頭レール。 -
測量の起点として、明治3年にこの場所に打ち込まれた杭「0哩(ゼロマイル)標識」・・・昭和11年に日本の鉄道発祥の地として、0哩標識と3mの軌道が復元されました。
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これは、明治5年当時の新橋停車場の写真。
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この錦絵は、3代広重作『東京名所之内 新橋汐留蒸気車鉄道局停車館之真図』・・・江戸の名残と文明開化の息吹が感じられる1枚です。
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昼食は、プラットホームの目の前にある「汐留シティセンター」で。
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2階にある地鶏と鮮魚の和食居酒屋「よかたい」に入ります。
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千円前後で美味しそうなメニューが沢ありますが、大分漁師料理「りゅうきゅう丼」をチョイス・・・タレに漬け込んだアジと卵の黄身の取り合わせが ” VERY GOOD! ”
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午後は内幸町ホールで落語を楽しみます。
山手線沿いに有楽町方面に歩いて行くと、新幸橋ビルディング(東京電力新別館)が見えてきました。 -
ビルの前にある地下通路を進むとホールにつながります。
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入り口には、懐かしい国立演芸場の幟。
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多くの落語ファンで席は埋まっています。
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今回の番組チラシ。
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久し振りに笑いを楽しんだ初秋の一日でした。
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