2022/06/22 - 2022/06/22
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キャンサー50さん
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JR南武線谷保駅から同じく矢川駅あたりまでは、武蔵野っぽい林間に寺社や史跡が点在します。
マイナーな場所ではあるので、東京都民なが足を踏み入れたことの無かった地域です。
甲州街道沿いの、緑多いエリアを散策してきました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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最初に訪れたのは、いきなりこの散策での一番のメジャースポット、谷保天満宮です。
説明板によると、延喜3年(903)に菅原道真の三男・道武が、父を祀る廟を建てたことに始まるといいます。
東日本最古の天満宮で、亀戸、湯島と並んで関東三大天神と呼ばれます。谷保天満宮 寺・神社・教会
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谷保天満宮拝殿。
谷保天満宮 寺・神社・教会
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谷保天満宮は、学問の神様菅原道真を祀ってあるということで、受験生が多く訪れることでも有名です。
境内には多くの絵馬が掲げられ、その8割以上は合格祈願や合格御礼の内容でした。谷保天満宮 寺・神社・教会
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谷保天満宮から甲州街道を少し西へ向かったところで見つけた、「清水の茶屋跡」の説明板。
それによると、その昔、天神坂下に立場茶屋がありました。
このあたりは、谷保随一の湧水地で、夏ともなるとそばやそうめんを清水にさらして、炎天下の甲州街道を旅する人々をもてなしたということです。 -
甲州街道を離れて南西に少し向かった先にある、「三田氏館跡」の説明板。
それによると、谷保の城山は中世の城館跡であったという伝承があります。
この地は従来から「三田城」あるいは「三田氏館」と呼ばれ、中世三田氏との関係が推測されてきましたが、鎌倉御家人であった津戸三郎為守が城主であったとする史料も存在します。
建造物は残っていませんが、土塁や堀の跡を確認できるそうです。城山(三田氏館跡) 名所・史跡
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「三田氏館跡」のすぐ南西にある、旧柳澤家住宅。
説明板によると、この家は江戸時代から青柳(旧青柳村)にあった農家を移築し、復元したものです。
江戸時代後期に建てられたものと推定されます。国立市古民家(旧柳澤家住宅) 名所・史跡
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旧柳澤家住宅の裏手に広がる城山公園。
中世豪族の館跡と伝えられる城山に造られた自然公園です。 -
遊具などは無く、小さな流れに沿ってコナラやブナ、クヌギのそびえるこんもりとした小さな森が形成されています。
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かなり鬱蒼としており、昼なお暗いと表現できる風景です。
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「さとのいえ」と書かれた案内所(?)があります。
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城山公園をさらに西へ向かうと、くにたち郷土文化館があります。
市内に点在する遺跡から出土した考古資料や、江戸後期から昭和中期までの民族資料など収蔵し、常設展示しています。
森の中に隠れるようにある立地で人目につかないので、知る人も少ないのではないでしょうか。くにたち郷土文化館 美術館・博物館
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くにたち郷土文化館のすぐ北にある南養寺。
説明板によると、地元有力武士、立川入道宗成が開基となり、物外可什和尚を招いて正平2年(1347)に開山したと伝えられています。
総門は、安永9年(1780)建築です。南養寺 寺・神社・教会
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文化4年(1804)建築の本堂です。
南養寺 寺・神社・教会
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享保3年(1718)建立といわれる大悲殿です。
南養寺 寺・神社・教会
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南養寺の北、甲州街道沿いに建つ常夜燈。
説明板によると、この常夜燈は市内に残る3つの常夜燈のうちのひとつで、竿(塔身)には、「秋葉大権現」「寛政六甲寅年四月 上谷保村」「天満宮」「榛名大権現」と彫られ、寛政6年(1794)に建てられたことがわかります。
大正時代まで灯火されていたそうです。常夜燈 (久保) 名所・史跡
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常夜燈の北にある、永福寺。
寛文年間(1661~1673)の開山です。永福寺 寺・神社・教会
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永福寺本堂。
永福寺 寺・神社・教会
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甲州街道を西進、「矢川三丁目」交差点を南下し、しばらくするとある、ママ下湧水。
説明板によると、このあたりは、多摩川の流れによってつくられた階段のような形をした崖で、青柳段丘ち呼ばれる中にあります。
このようなところをこのあたりでは「まま」とか「はけ」と呼び、そこから湧き出る地下水をここ四軒在家では「ママ下湧水」と言っています。
昭和の初めまでは、この豊かな清水を利用して山葵が作られていました。ママ下湧水 自然・景勝地
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暗くてよくわからないですが、ここから水が湧いています。
東京の名湧水57選の一つです。ママ下湧水 自然・景勝地
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ママ下湧水から川沿いを西に向かうとある、伊藤単朴墓。
お寺の墓地にあるわけではなく、民家の庭の中に建っています。
説明板によると、伊藤単朴(1680~1758)は江戸中期の談義作者です。
「教訓雑長持」「銭湯親話」「教訓差出口」「楚古良探」などで知られています。
今回の散策はここまで。
近くの日野橋を渡って日野市に入ると、新選組ゆかりの史跡が多く面白そうですが、次回に譲ります。
東京も谷保あたりまで来ると、せわしなさが無くなるかんじで、良い散策コースでした。伊藤単朴墓 名所・史跡
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