2023/12/08 - 2023/12/08
5827位(同エリア5920件中)
おやじさん
今回は土江神社が鎮座する塩池公園から南東の2分程行った塩池町2丁目の三叉路の角に髭題目塔と髭題目塔から南へ5分程の位置に鎮座する昌温山 菊泉寺の二か所を紹介します。
- 旅行の満足度
- 2.0
- 観光
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
-
今回は土江神社が鎮座する塩池公園から南東の2分程行った塩池町2丁目の三叉路の角の髭題目塔と髭題目塔から南へ5分程の位置に鎮座する昌温山 菊泉寺の二か所を紹介します。
上は明治時代とほぼ現在の周辺地図に今回訪れる二か所を赤枠で示しています -
髭題目塔としましたが、形や大きさも様々で、墓石じゃない?と思わせるものもあれば、自然石のものもあり、呼称も色々あるようで題目塔、題目碑、題目石など色々あるようです。
それらに共通するのは正面に「南無妙法蓮華経」と刻まれており、その文字が特徴のある書体で、「法」の字以外の文字の筆端は髭のように延びる独特の文字で、その形態から髭題目とも呼ばれるそうだ。
古い街並みや街道を歩いているとこうした石塔を目にしたことがあると思いますが、題目塔を街角に建立した目的は未だ自分自身良く分かっていない。
認識が違うかもしれないが「法華経の経典を読誦した信者が記念に建てた」或いは「法華経を読誦するために題目塔を建てた」と認識している。
それまでこうした題目塔に興味は示さなかったが、随分古い元号の髭題目もあり、写真に収めそのうち一つに纏めようと思います。 -
特徴のある書体は光明点書法と呼ばれるようで、筆端が髭のように延びるのは、仏の慈悲が人々に分け隔てなく、平等に届く様を表しているという。
右は東向きの正面と北側の側面。
光明点書法で刻まれた「南無妙法蓮華経」と「南無日蓮大菩薩」
左は正面と南側の側面「自佗倶安同歸常寂」
裏側には天保2年(1831)造立元号と「日比津卯池口妙緩同修者和南」と刻まれていた。 -
現在は塩池町ですが、明治31年頃のこの辺りは東栄村北東の外れで題目塔にある「日比津」はしっくりこないが、「卯池口」とある事から日比津を中心とした東(卯)と見ればそうでもないか。
事実、天保15年(1844)に編纂された尾張志から日比津村を見ると「枝村三処ありて新屋敷山村池口といふ」とありと記され「池口」が現れる。
日比津村で法華経を信仰し、講に類する組織が各方面にあり、こうした題目塔が建てられているようなので、散見されても違和感はないのかも。
日比津町に鎮座する日蓮宗定徳寺の南にも題目塔(文化9年)があったが、どこを方位の中心と捉えて広がっているのだろう。
前回、日比津町を歩いた際に「全部で何基あるのか分からないが、この町を全て踏破すれば全体数が見えてくるだろう」と書いたが、土江神社のすぐ東の塩池町で再び思い出す事になるとは。
髭題目塔
建立 / 天保2年(1831)
所在地 / 名古屋市中村区塩池町2
土江神社から塩池町の髭題目塔 / ?南東へ徒歩2分程?
訪問日 / 2023/12/08 -
髭題目塔から南へ5分程の位置に鎮座する昌温山 菊泉寺。
南側から菊泉寺の眺め、綺麗な形の鐘楼と立派な山門、大きな屋根の本堂と庫裏、山門右に秋葉堂、正面駐車場左に立派な弘法堂が主な伽藍で、近年補修・整備が行われたのか綺麗な寺観です。 -
昌温山 菊泉寺 山門。
右手に寺号標、日比津・大秋の里散策コースの案内板があります。
散策コースのひとつとされるだけに地元で古くから鎮座する寺と見えます。 -
切妻瓦葺の四脚門で前後に軒唐破風が付く立派な門構えの木造山門。
左の鐘楼も木造の入母屋瓦葺のもので、今どきのコンクリート造りにはない、木の温もりが感じられる外観。 -
山門に掲げられている山号額は昌温山。
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破風飾りは鳳凰のようで細かな意匠が施されたもの。
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蟇股には鶴が施されている。
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山門から境内。
右手に手水舎、庫裏、左手が本堂。 -
龍口の付く手水鉢と如意輪観音
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龍は威厳のある姿をしているが、水は注いでくれていなかった。
最近、水を注ぐ龍の姿を見れなくなり、どことなく哀愁を感じる。 -
境内左の鐘楼。
木鼻には獅子の装飾が施されており、梵鐘のアップを撮って見たが銘までは読み取れなかった。 -
なんでも、こちらには古い梵鐘が保存され、そこには「山田荘」の銘が刻まれているといい、かつての山田荘の広がりが感じられる。
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本堂全景。
入母屋瓦葺で、堂前の立派な燈籠(寄進年未確認)が目を引く。 -
本堂の寺額。
曹洞宗 昌温山 菊泉寺は嘉永3年(1850)に火災に遭い、古い記録を焼失しており、焼け残った記録の一部から、天正15年(1587)頃、交雲宗易という方が、村の東北に薬師如来を安置し薬師堂と称した記録が残るとされます。
寛文6年(1666)頃、遠州元弘という方と、興倫元苗大和尚(当山二世)により、永安寺五世朴鼎豊淳大和尚に帰依し、一つの堂場を村中に建て薬師如来をむかえたそうで、これが菊泉寺の開山で菊泉寺開山は朴鼎豊淳大和尚となるようです。
元禄年中(1688~1704)、名古屋市伊藤次郎左右衛門祐良(松坂屋13代当主)により十一面観音菩薩及び、地蔵尊の霊體を寄付され、十一面観音菩薩を本尊としました。
明治24年10月28日(1891)の濃尾地震で伽藍は倒壊。
明治32年(1899)本堂等の伽藍が再建され、現在に至るようです。
当初は清州越しに伴いこちらに遷ってきた寺院と思っていましたが、地に根ざした歴史のあるお寺のようです。 -
元禄年中に寄進されたとされる本尊の十一面観音菩薩像(HPより)、像高など紹介されていませんが、間近でじっと拝んでみたいものです。
菊泉寺は写経もでき、定かではないですが座禅も出来るかもしれません。
いろいろと心乱れる事の多い昨今、機会を見て訪れてみたい。 -
境内から山門の眺め。
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山門右の秋葉殿。
火伏の神の秋葉権現を祀り、毎年11月には火防の祈りが捧げられるようです。
現在の建物は令和4年の台風により被災し、同年に修繕工事を終えたものと云う。
たまたま通りかかった菊泉寺ですが、当地の歴史を見て来た寺院のようです。
昌温山 菊泉寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 寛文6年(1666)
開山 / 朴鼎豊淳大和尚
本尊 / 十一面観音菩薩
脇侍 / 魔訶迦葉尊者、阿難陀尊者
安置 / 十六羅漢、大権修利菩薩、達磨祖師
秋葉堂 / 秋葉権現
弘法堂 / 弘法大師
所在地 / 名古屋市中村区栄生町24-15
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