2024/02/19 - 2024/02/22
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先月に続き今月もトラピックスのミステリーツアーに参加しました。
今回は瀬戸内をぐるっと回る温泉三昧のツアーでした。
【日程】
〈1日目〉2月19日(月)
自宅→静岡駅8:21発===こだま703===新大阪駅 10:51着→→鳴門公園→→
善通寺→→丸亀市(ホテル レオマの森 泊)
〈2日目〉2月20日(火)
ホテル8:30発→→栗林公園→→獅子の霊験展望台→→讃岐うどんの昼食→
→豊稔池ダム→→道後温泉街の自由行動→→奥道後温泉(壱湯の守 泊)
〈3日目〉2月21日(水)
ホテル8:00発→→村上海賊ミュージアム→→因島水軍城→→和食膳の昼食
→→酒蔵賀茂鶴→→湯坂温泉(賀茂川荘 泊)
〈4日目〉2月22日(木)
ホテル8:00発→→鞆の浦→→倉敷美観地区→→新大阪駅18:54発===こだ
ま752===静岡駅→自宅
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
2月19日(月)
静岡駅で添乗員と御対面。
8:21発のこだま703号に乗り、新大阪駅へ。 -
10:51新大阪駅に到着。
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こちらの観光バスで、4日間移動します。
-
明石海峡大橋を渡って淡路島に向かいました。
-
淡路SAで休憩です。
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自凝(おのころ)島神社の大鳥居が遠くに見えました。
1982年3月に建立された、高さ21.7mの朱塗りの鳥居です。 -
大塚国際美術館が見えました。
大塚グループの大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術により、西洋絵画を中心とした世界中の名画を陶器の板で原寸大に再現し、1000点以上の作品を展示しているそうです。
入場料が高いので私は行くことはないと思います。 -
鳴門公園から、渡ってきた大鳴門橋を眺めます。
-
大塚倉庫が見えました。
商品が壁面に大きく描かれています。 -
総本山善通寺に到着しました。
総本山善通寺は、弘法大師空海が生まれた四国八十八ヶ所霊場の75番札所で、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつです。
写真の済世橋は境内西側の参拝者用駐車場から西院(誕生院)にかかる橋で、1978年に、西門にあたる「正覚門(しょうがくもん)」と共に建設されました。
橋の欄干には、真言八祖の名号をあらわす種子が刻まれています。 -
御影堂のある誕生院は、弘法大師空海が生まれた邸宅跡に建てられた寺院です。
西院(誕生院)には、もともと、弘法大師の佐伯家の邸宅がありました。
東院の「善通寺」創建時には、佐伯家の方々はこの邸宅に住まわれていたそうです。 -
鎌倉時代になり、その跡地に御影堂を中心とした「誕生院」が整備されました。
御影堂奥殿のある場所は、佐伯家邸宅の母の部屋のあった場所と伝わっています。 -
西院(誕生院)の正門です。
-
現在の建物は1889年の再建ですが、門の正面左右に立つ金剛力士像(仁王)は南北朝時代1370年の製作です。
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反対の西側には大草履が奉安されています。
仁王門前の石橋は、昔は毎月20日にのみ通行できたということから「廿日橋(はつかばし)」と呼ばれています。 -
五重塔は、約43メートルの木造塔として国内3番目の高さを誇ります。
倒壊、焼失により再建を繰り返し、現在の五重塔は、4代目となります。
この五重塔には、一般的な木造多層塔とは異なるふたつの特徴があります。
ひとつはの階の天井が高くつくられ、人が立って歩けるようになっている点です。
こうした構造はめずらしく、以前は5階まで上がって眺望を楽しめたそうです。 -
もうひとつの特徴は、「懸垂工法」です。
塔の中心には心柱が通っていて、塔全体を支える重要な部材のはずですが、善通寺の五重塔の心柱は、基礎の礎石から浮いているそうです。
心柱は5層目屋根裏で鎖を使って吊り下げられ、周りの部材とは繋がっていません。
この心柱の構造上の役割は未だ解明されていないそうです。 -
東院は、唐より帰朝した空海が807年に建立したと伝えられてます。
本堂である金堂は、空海が密教を学んだ、唐の長安・青龍寺の伽藍を模して建立されたと伝えられています。
しかし、1558年の兵火によって、創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。
その後、戦国時代が終わり、生駒家、京極家といった讃岐の大名をはじめとした援助により再建されたそうです。 -
南大門北と五社明神社のかたわらにある2株の楠は、いずれも樹齢千数百年と伝えられる善通寺の創建当時を偲ばせる大木です。
「善通寺境内の大グス」として香川県の天然記念物に指定されています。
その根もとに南北に並んで立つ2棟の建物が五社明神社です。
流造、本瓦葺の社殿で、周囲に玉垣を廻らします。
現在の社殿は、1558年の兵火後に再建された江戸時代前期のものです, -
この記念碑は、1982年に日中友好と空海の功績をたたえ、中国西安市の青龍寺に建立された「空海記念碑」を模して、翌1983年につくられたものです。
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善通寺の裏山、香色山(153.2メートル)は、美松に覆われた小富士形の小山です。
頂上には佐伯直遠祖の神と刻んだ五尺五寸の石廟があるそうです。 -
香色山山麓にある五智院を起点として山腰をぐるりととりまく山道があり、それに沿って四国八十八ヶ所に準えた一寺一仏石像88が配せられ、俗に「ミニ八十八ヶ所」と呼ばれています。
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1泊目の宿、ホテルレオマの森に到着しました。
阪急交通社では明記していませんが、大江戸温泉物語ホテルグループの施設で、薬草湯や高濃度炭酸泉もあり、温泉を楽しめます。 -
ホテル前はニューレオマワールドという遊園地になっています。
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部屋は広く、設備も十分でした。
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10階の部屋のバルコニーからの眺め。
讃岐富士と呼ばれる飯野山が見えています。 -
丸亀市方面でしょうか?
瀬戸内海は霞んでいました。 -
夕食はカニ食べ放題付きのビュッフェでした。
予想通り、スリムなカニ足はあまり美味しくありませんでした。
ハサミで切っても身のないカニ足もあってストレスが溜まりました。 -
カニのストレスから甘いケーキなどをたくさん食べてしまいました。
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ニューレオマワールドは夜間も開園しているようです。
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2月20日(月)
靄に覆われた朝を迎えました。 -
バイキングの朝食。
盛り付けが汚いなあ、と反省。 -
ホテルを8:30に出発し、最初の観光は特別名勝 栗林公園(りつりんこうえん)です。
国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で最大の広さを持つ栗林公園は、高松藩主松平家の別邸として、歴代藩主が修築を重ね300年近く前に完成しました。 -
栗林公園は、緑深い紫雲山を背景に6つの池と13の築山を巧みに配し、江戸初期の回遊式庭園として、すぐれた地割りと石組みを有し、木石の雅趣に富んでいます。
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明治の面影を残し、園内でもひときわ大きな存在感を放つ「商工奨励館」。
商工奨励館は、明治32(1899)年に建てられた延床面積1,262平方メートルの建物で、当時は「香川県博物館」として使用されていました。
1938年に現在の「商工奨励館」と名を改め、香川県の文化を発信し続けています。 -
1640年頃には「栗林」の名がすでに使われており、それから現在まで「栗林」の名が引き継がれてきました。
「栗林」とありますが、庭園は造られた当初から松で構成されています。
一説によると、栗の木が群生していたとか、種類に限らず木が生い茂った里山のことを中国では「栗林」と呼ぶなど、名前の由来には諸説あるようです。 -
梅林には紅白の梅が咲いていました。
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富士山の形をした芙蓉峰という高台から北湖を眺めます。
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1700年前後に建てられた「考槃亭」という茶室が西湖近くに移され、「旧日暮亭」と呼ばれ、江戸初期の大名茶室を今に伝えています。
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白鷺が公園の水辺で休んでいました。
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日暮亭は明治初期に建てられた石州流の茶室が5室ある建物で、両側に茶庭が設けられています。
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池を横切る飛び石ですが水深が深く、落ちたら悲惨なことになるので迂回しました。
ちゃんと迂回路が設けられています。 -
根上り五葉松は高さ約8m、幹の周りの太さは約3.5mにもなる松の巨木。
1833年に高松藩9代目の松平頼恕(よりひろ)が、徳川11代将軍の家斉から贈られた鉢植えを庭に植えたところ大きく成長したものと伝えられています。
松が多い栗林公園でも五葉松はこの1本だけです。 -
17世紀後半に建てられたといわれている「掬月(きぐげつ)亭」は、「水を掬(すく)えば月が手にある」という中国唐代の詩の一節から名付けられました。
四方に正面がある数寄屋造りの建物で、由来の通り低く抑えられた床が特徴です。
園内にある茶屋風建物の中で最も大きいため「大茶屋」とも呼ばれ、歴代藩主はこの建物をこよなく愛したそうです。 -
南湖に架かる偃月(えんげつ)橋。
広さ約7900㎡の大きな池のある回遊式庭園として造られています。
池には3つの島と「仙磯」と呼ばれる岩組、偃月橋があり、周囲を散策しながら景色の変化を楽しめるように造られています。 -
栗林公園では、西に位置する紫雲山が、借景として重要な役割を果たしています。
借景とは庭園の外の山や樹木などの風景を庭の一部として取り入れる造園手法です。 -
瀬戸内海を眺めながら、次の観光場所の屋島へ向かいます。
屋島は高松市の北東部、瀬戸内海にうかぶ独立丘陵(標高293m)の島でしたが、江戸時代に埋め立てられ現在は半島状になっており、その頂上に四国八十八ヶ所霊場第八十四番札所の屋島寺(やしまじ)があります。 -
屋島寺は、屋島の南嶺山上にある真言宗御室派の寺院です。
南面山、千光院と号し、四国八十八箇所第八十四番札所で、本尊は千手観音菩薩。
天平勝宝6(754)年の創建時に、鑑真和上が屋島の北峰に寺を置き、弘法大師がこの地へ移築したとされています。
源氏軍が武運と加護を祈願したともいわれています。
写真は四天門です。 -
屋島寺の本堂横に鎮座するのが蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)。
「日本三名狸」に数えられる屋島太三郎狸を祀った社です。
『平成狸合戦ぽんぽこ』にも登場の名狸が祭神となっています。
蓑笠をつけた老人の姿で現れて弘法大師を案内したとされています。
屋島の太三郎狸は、佐渡の団三郎狸・淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に称されて四国狸の総大将とあがめられています。 -
屋島寺の本堂は江戸時代に数度の大修理が行われていますが、1957年から2年間をかけて古い形に復原されました。
本尊は10世紀頃の藤原時代初期の作で、全身に漆を塗り金箔をおいたカヤの木の一本造りで、光背と御手は制作当初のままに残されています。 -
屋島寺を出て、「獅子の霊巌展望台」まで歩いきました。
高松市内や男木島、女木島などの瀬戸内海を一望できる展望台です。
展望台の下には「獅子の霊巌」と呼ばれる岩があり、獅子が海に向かって咆哮しているように見えることからこの名が付けられたそうです。 -
瀬戸内海は霞んでいて女木島が薄っすらと見えています。
女木島は鬼が住んでいたという伝説があることから、鬼ヶ島とも呼ばれています。 -
また、ここでは「かわらけ投げ」を楽しむことができます。
源氏が陣笠を投げて勝どきを上げたエピソードにならい、かわらけ(素焼きの小さな皿)を海に向かって投げるのです。
的になる金属の輪が吊るしてありました。 -
バスに戻る途中、壁に源平屋島合戦の主な登場人物が掲示されていました。
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見慣れない車が停車していました。
自動運転バスで、高松市と屋島山上を運行しているようです。 -
昼食は「うどん本陣山田家 讃岐本店」で本場さぬきうどんを食しました。
江戸末期に建てられた長屋門をくぐり、店内へ。 -
約800坪の広大な敷地に建てられた屋敷は、登録有形文化財で、庭には樹齢200年を超える黒松と梅が目立ちます。
-
団体客専用の1300円の山田家定食です。
普段、うどんを食べることはあまり無いですが、久しぶりに美味しいうどんを食べたなと思いました。 -
阿讃山脈を分け入る柞田川上流の「豊稔池堰堤」に到着しました。
堤長145.5m、堤高30.4mの粗石モルタル積石堰堤で、その先駆的かつ希少な構造形式は農業土木史上価値が高いとされています。
但し、西洋の古城を思わせる外観というのはちょっと言い過ぎだと思いました。
1929年11月の竣工後、今でも約500haの農地の水がめとして活躍しています。 -
両端部を重力式、中央部が5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式です。
昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を示しており、2006年に重要文化財(建造物)に指定されています。 -
高松自動車道に乗り、道後温泉へ向かいます。
途中の石鎚山SAでトイレ休憩です。 -
道後温泉に到着しました。
温泉街を50分間、買い物しながら散策しました。 -
道後温泉本館は、日本最古といわれる道後温泉のシンボルで、「神の湯」に代表される温泉施設です。
道後温泉本館の一番の魅力は、日本の公衆浴場として初めて、1994年に国の重要文化財に指定されながら、博物館化せずに現役の公衆浴場として営業を続けているところです。 -
道後温泉本館の歴史的、文化財的価値を次代に受け継ぎ、維持保存していくために、保存修理工事が行われていました。
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神の湯本館棟は1894年竣工の桟瓦及び銅板葺の木造3階建です。
1階に浴場、2階・3階を休憩室とし、入いり母も屋や造づくりの大屋根の上に塔屋を設けています。 -
道後温泉別館 飛鳥乃湯は、飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋がコンセプトの「新湯」です。
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道後温泉駅は伊予鉄道の市内電車(路面電車)の駅です。
坊っちゃん列車の終着駅のため、降車場所の奥で方向転換が見られるそうです。
駅舎は1911年に建築された旧駅舎を復元したもので、明治時代の洋風建築の外観がお洒落な感じがします。 -
伊予鉄道の路面電車が駅に入ってきました。
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小説「坊っちゃん」に登場した列車を復元した坊っちゃん列車は、この駅で方向転換するようです。
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急な石段の先にある神社は伊佐爾波神社です。
鮮やかな赤色の社殿からは市街地を一望できるそうです。 -
カラクリ時計の近くに、野球する格好の正岡子規の銅像があります。
正岡子規は、学生時代に野球に熱中し「野球(のぼーる)」というペンネームで俳句や短歌を詠んでいます。
また、新聞で野球のルールを紹介したり、野球用語の訳語を作ったりしています。
野球への貢献が評価されて、没後100年の平成14年に野球殿堂入りしています。 -
道後温泉本館百周年を記念して作られた「坊っちゃんカラクリ時計」。
「坊っちゃんカラクリ時計」は、道後温泉本館の振鷺閣(しんろかく)をモチーフにした時計です。
午前8時から午後10時まで、1時間ごとに軽快なメロディにのって時計台がせり上がり夏目漱石の小説「坊っちゃん」の登場人物が現れるそうです。 -
2泊目の宿、奥道後 壱湯の守に到着しました。
西日本最大級の大露天風呂があります。
奥道後温泉は美人の湯と名高い効能豊かなアルカリ性単純硫黄泉(ph9.4)の泉質で、湧出量が毎分400リットルの豊富な源泉を誇ります。 -
すぐにビュッフェの夕食。
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2月21日(水)
朝風呂に入って、朝食を食べてから、3日目の旅程に8:30出発。 -
来島海峡大橋を眺められるサービスエリアで休憩です。
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来島海峡大橋の下をタンカーが通り過ぎていきます。
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来島海峡大橋を渡り、瀬戸内海の大島にある今治市村上海賊ミュージアムに向かいます。
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村上海賊ミュージアムは、2004年10月に開館し、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族村上海賊(村上水軍)の足跡を展示しています。
後世には三島村上氏などと呼ばれ、能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり連携と離反を繰り返しつつも、互いに強い同族意識を持ってました。
このミュージアムでは、能島村上海賊の資料を展示しています。 -
瀬戸内海における能島村上海賊の活躍を、古文書や復元品を通してわかりやすく紹介しています。
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能島村上家の子孫に伝来する貴重な美術工芸品も展示しています。
修復を経て現代によみがえった甲冑や刀などです。 -
屋外には村上海賊が使用していた小型船を復元した小早船や、大島石を用いた武士像などを展示しています。
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駐車場に到着し、見上げると城のような建物が見えました。
これは因島水軍城と言い、全国でもめずらしい城型資料館です。
水軍城は、過去に城があったわけではなく、1983年に建てられたものです。
南北朝時代から室町時代にかけて活躍した因島村上水軍の武具、遺品、古文書などの歴史資料が展示されています。 -
駐車場から因島水軍城までは上り坂&階段がまっています。
上がるのが結構大変でした。
ツアー参加者の何名かは上るのを諦め、バスで待っていたようです。
ふもとには、金蓮寺という寺があり、その周りには墓地が広がっています。
ここには、因島村上氏一族など村上水軍代々のお墓(五輪塔)もあるそうです。 -
水軍城には因島を拠点としていた因島村上氏の貴重な資料が展示してありました。
船の模型や、村上海賊の歴史などの年表などがありました。 -
甲冑や刀、村上海賊の旗の展示。
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等身大の村上水軍の武将が控えています。
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別棟の二の丸では「武者人形による水軍戦法会議」の模様が再現されていました。
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昼食は「ホテルいんのしま」で和食膳を頂きました。
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曇っていて残念ですが、瀬戸内の景色を眺めながらの食事でした。
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西条にある最大の酒蔵、賀茂鶴に寄りました。
広島の西条は、京都の伏見、兵庫の灘と並んで「日本三大酒処」と言われています。 -
酒造りの展示を見たり、試飲して土産に小瓶の三本詰めを購入しました。
-
広島県湯坂温泉のホテル賀茂川荘に到着しました。
ロビーではセルフで無料のコーヒー、紅茶、日本酒が飲めました。 -
賀茂川荘4階からの眺め。
日本庭園は1500坪あるそうです。 -
夕食は和定食でバイキングでないのが嬉しい。
日本酒と共に頂きました。 -
「パヴァリエローズマインド福山」サービスエリアでトイレ休憩。
エリア内にバラ園を備えており、5月中旬~6月下旬にかけてバラが咲くそうです。
また、敷地内には桜が植えられているので、春にはお花見も楽しむことができます。 -
福山駅から南へ14kmの瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置する鞆の浦(とものうら)。
古くから潮待ちの港として栄え、万葉集にも詠まれています。
また、日本で最初の国立公園に指定された瀬戸内海を代表する景勝地の1つです。
鞆港西側の南端に立つ常夜燈は、1859年に船を誘導するものとして建てられ、基礎石を含めて12.1mの高さは、港の常夜燈として日本一を誇る鞆の浦のシンボルです。
TBSドラマ『流星ワゴン』など数々のドラマや映画にも登場しました。
江戸期の港湾施設がほぼ完全な形で現存しているのは、鞆港だけだそうです。 -
鞆の浦から船で5分のところに浮かぶ無人島「仙酔島」。
1934年最初の国立公園に指定された「瀬戸内海国立公園」を代表する景勝地です。
常緑樹で覆われ南岸は奇岩洞窟など奇勝が連続しています。
仙酔島には仙人が住んでいたという伝説があり、「仙人が酔う程に美しい島」というのが島の名前の由来と言われています。 -
弁天島は鞆の浦と仙酔島の間に位置する無人島。
県の重要文化財の弁天堂は、漁師たちの守り神である弁財天が祀られています。
弁天堂は1644年、鞆町奉行萩野新右衛門の指図により再建、島内にはそのほか十一重石塔として建立され、現在は九重の県内最高の石塔婆があります。
鎌倉時代の年号が刻まれ、当時の手法を発揮した優れた作品といわれています。 -
鞆の浦にはお寺や神社が多くあります。
円福寺は1610年末頃、住職の快音によって大可島城の跡地に移転しました。
円福寺は真言宗の寺院で、境内を含む一帯は、市史跡(大可島城跡,付伝桑原一族墓地)に指定されています。 -
「疑な うし保のはなも 浦の春」と詠んだ松尾芭蕉の句碑もありました。
「くだけちる波(潮)の花を見るとこの浦までも新春のめでたさがある。この自然をつくられた神徳を疑うな」という意味だそうです。 -
鞆の津の力石で、住吉神社に3個奉納されています。
重たい荷物を肩に担ぎ、積み荷を運んだ力自慢の仲仕達は祭礼の場などで、力石を使ってその力と技を競いあったようです。
すべて花崗岩製で楕円状を呈し,重さは61貫(230kg)から32貫(118kg)と様々で、石には重さと奉納者名などが刻まれています。 -
城下町としてつくられた町並みは、今の地図と古地図を合わせてもピタリと合わさるほどで、昔のままの道や町並みが残っています。
神社仏閣が多い鞆の浦は文化財の宝庫だそうです。 -
瀬戸内海の要港として発展した鞆の浦で、重要な役割を担っていたのが太田家住宅。
江戸時代には「保命酒 中村家」として栄え、名士をもてなしていました。
その後、明治35年に廻船業(かいせんぎょう)を営む太田家に譲渡されました。
江戸時代末期から明治時代初期の商家建築を残す貴重な建物として、国の重要文化財に指定されています。 -
いろは丸展示館は、坂本龍馬率いる海援隊が、伊予大洲藩から借用し鞆沖で沈んだいろは丸の足跡を証する資料館です。
残念ながら、閉まっていました。
引き上げられた物品や調査時の写真の展示の他、龍馬が鞆の浦に滞在した時の隠れ部屋を再現しているようです。 -
毎年2月から3月にかけて,鞆の浦では年中行事として定着した「ひな祭」を鞆町内一円で開催しています。
全国的にも珍しい豪華な江戸末期の七段飾りをはじめ,明治期の御殿飾り,流し雛,立雛,押絵雛など個人所有も含め様々な雛飾りが展示されています。 -
お手火神事は、現在の沼名前神社である祇園宮の祭神・須佐之男命(すさのおのみこと)の神輿渡御(みこしとぎょ)に先立って行われる旧暦6月4日の祓いの行事です。
神木の天木香樹(むろのき)を縄で縛った大手火は長さ4.5m、重さは200kg以上。
神火が移され勢いよく燃える三体の大手火を、頭から水をかぶった氏子衆が担ぎ、神社の大石段を上ったそうです。 -
商港として栄えた鞆の浦は祭の町でもあります。
歴史と伝統ある祭で使われる貴重な祭具が実物展示されています。 -
御舟宿いろはの建物は坂本龍馬が「いろは丸事件」の談判をした築220年の町家。
建物が取り壊しの危機に直面していたところ、宮崎駿監督ほか、たくさんの有志の力を借りて、2010年に「御舟宿 いろは」として再生しました。 -
保命酒(ほうめいしゅ)販売店がありました。
鞆の浦発祥のこの薬味酒は、養命酒の元祖にあたる由緒あるお酒です。
幕末には、黒船のペリー提督一行やハリス領事一行らに幕府接待酒として『保命酒』が振るまわれたということです。 -
白壁の蔵屋敷、なまこ壁、柳並木など、趣ある景観が楽しめる倉敷美観地区にやってきました。80分の自由散策です(昼食時間込み)。
400年前まで一面の海だった倉敷周辺は江戸時代以降、本格的に行われた干拓により、塩に強い綿やイ草などが盛んに生産されました。
1642年倉敷は幕府直轄地「天領」となり、倉敷川周辺には綿などを扱う問屋や商人で賑わい、明治時代には紡績所が創設されたことで、町は大きく発展しました。
その頃から西洋建築が数多く建てられ現在の和洋折衷な町並みがつくられました。 -
倉敷館観光案内所は1917年に倉敷町役場として建てられた洋風の木造建築です。
建物は国登録有形文化財に指定されています。
現在は観光案内所として観光ガイドや宿泊施設の紹介を行っています。 -
旧大原家住宅は大原美術館、倉敷絹織(現(株)クラレ)の創設者 大原孫三郎、大原家代々が暮らした家で、国の重要文化財になっています。
邸内は石畳に連なる倉群、静寂の日本庭園等々、落ち着いた雰囲気の中で、大原家の所蔵品、美術品等の独創的な展示で大原家8代の歩みを紹介しています。 -
中国銀行倉敷本町出張所は第一合同銀行の倉敷支店として1922年に竣工したルネサンス風の建物です。
鉄筋コンクリート造の2階建で、アーチ窓上部のステンドグラス、独特なドリス式コラム、3連アーチのドーマー窓が特徴的です。
現在は営業していないため、外観のみ見学可能な国登録有形文化財です。 -
国指定重要文化財井上家住宅は1721年に建築された倉敷美観地区最古の町屋です。
修理工事を終え、当家が最も栄えた天保年間(1830~1844年)の姿を蘇らせました。倉敷格子や倉敷窓、倉敷市指定文化財の水がめなど見どころが多いです。 -
住宅内では、解説ビデオの上映や修復時に大工や建具職人が用いた往時の技法の展示コーナーなどがあります。
-
三宅商店は、地元岡山のフルーツを使ったパフェやケーキが人気の町家喫茶です。
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バスで約200km走り、漸く新大阪駅に到着。
運転手さん、ご苦労さまです。 -
新大阪駅を18:54に発車するこだま752で帰ります。
帰りはグリーン車で、隣の添乗員と会話をしながら時間を潰しました。 -
新大阪駅で購入したます寿司の夕食です。
昔、北陸に行く時によく食べた弁当ですが、久しぶりに食べてみました。 -
今回のミステリーツアーは瀬戸内をぐるっと一周するツアーでした。
天気はイマイチでしたが、湯量豊富な温泉に浸かって、食事も満足のいくツアーでした。
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