2023/12/11 - 2023/12/11
114位(同エリア714件中)
愛吉さん
甲州街道を歩いています。
今回は府中宿から日野宿迄の7.8KMです。
スタートは京王線府中駅午前10時。
郊外に入り、車の減少を期待したのですが、甲州街道は日本の主要街道、車は一向に減りませんでした。
しかし風景は開け、視野が広がります。
では日野に向ってスタート。
表紙の写真は高安寺観音堂
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
京王線府中駅前通りは大國魂神社の参道、神社に向ってケヤキ並木が続きます。
大國魂神社は武蔵国の総鎮守、源頼義、義家親子が東北騒乱を鎮め、都に凱旋する途次、ここに立寄り、戦勝を祝して寄進したのがケヤキ並木の始まりです。
それを記念して並木道には源義家の銅像が建っています。 -
正面に大國魂神社。
神社前の通りが旧甲州街道。右折して甲州街道に入ります。 -
神社から5分も歩くと府中高札場。
府中は江戸から四番目の宿場。高札場は宿場の中心で川越街道との交差点になります。
高札は信号機の後方、屋根の下に掲げられました。柵で厳重に囲い、中に入る事は出来ません、昔の遺構を残す貴重な存在です。 -
通りの向う、路地の奥に長福寺、一遍上人の開基だそうです。
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先に進むと高安寺。
足利尊氏が全国に建立した武蔵国安国寺が元。
その為幾度か戦乱に侵されますが復活し、古寺の風格を残します。
正面は仁王門。 -
参道に並ぶ千躰地蔵。
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正面は本堂。
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本堂。
等持院は足利尊氏の法名院号。 -
脇に建つ観音堂。
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境内奥の秀郷稲荷に向います。
この地は当初、当時武藏守であった田原藤太秀郷の屋敷跡といわれます。 -
秀郷稲荷。
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崖下に弁慶硯の井戸が残ります。
頼朝の怒りに触れた義経が、京都に戻る途中、この寺に立寄り写経をしますが、その折弁慶が硯の水を汲んだ井戸と言われます。 -
暫らく進むと街道脇に冠木門の家があります。
府中宿の名主を努めた佐藤家です。
門は元府中本陣の表門であったものを移築しました。 -
庭には大釜が置かれていました。
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庭の一隅には火伏の神様、秋葉神社が祀られています。
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熊野神社に到着。
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神社の横に古墳があります。平成に入り新しく確認された古墳。
日本で最古、最大の上円下方墳。作成年代は7世紀、被葬者は不明です。 -
街道脇に残る常夜灯。
文久3年の銘があります。 -
谷保天満宮に到着。
菅原道真の三男がこの地に流された事により創建されました。
湯島天神、亀戸天神と並び関東三天神に数えられます。 -
社殿は鳥居を潜り崖を下った谷間にあります。
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拝殿。
江戸時代に道真の木像が新しく納められましたが、余りにも出来が悪く、ヤボテン(野暮天)の語源となります。 -
南養寺に来ましたが、山門不幸の立札。
通過します。 -
1806年の銘が入る青柳村の常夜灯。
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多摩川、日野の渡しに到着しました。
街道を渡す正式な渡し場、管理は日野宿、有料です。
橋が架かる大正15年迄続きました。 -
多摩川。
今は橋が架かり、モノレールが走ります。 -
私達は立日橋を渡り、相模の国に入ります。
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相模の国、最初の宿場、日野。
日野本陣です、都内に残る唯一の本陣建物。 -
公開していますが本日は定休日、残念。
隙間から門内を眺めます。 -
本陣の向かいは、日野宿問屋場、高札場となります。
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暫らく進んで大昌寺、1602年の創建。
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境内には、日野宿に時を知らせた時の鐘。
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続いて八坂神社。日野宿の総鎮守。
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新選組の元になった天然理心流の奉納額が納められています。
道場はここ日野に在ったのです。
近藤、沖田の名前が見えます。 -
進んでJR日野駅近くに宝泉寺。
1300年代の創建と伝わります。 -
本堂。
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境内に達磨大師像。
本日の甲州街道歩きはここ迄、日野駅から帰途に付きます。
歩数は2万歩を越え、疲れました。
終
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