2023/10/25 - 2023/10/26
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YOSHITOさん
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高校の友、露文の旧友そして旅の友・・・・何十年来の友が
コロナ明けの2023年に入ってあいついで旅発った!
愛知県の故郷刈谷を去ってはや67年を数える。
思い立って久々の新幹線に乗っていた。
卒業以来の県立刈谷高を訪ねた。その足で旧自邸があり
庭内には少し離れていても目印にもなる20Mもあるかと
思える松など2本の古木が聳えた在りしの姿を求めて。
そして還暦祝い以来25年になる旧友との再会を。
翌日には密かに墓参を!
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朝は早くない。もうすぐ9時にもなろうか。
家を出て5,6分も歩けばJR京葉線のS駅に。
駅前の木々はまだ紅葉までは。 -
空を見よ!今日の天気は良いぞ。
良い1日の予感も・・・・ -
京葉線に乗って20分かからずもう東京駅だ。
久しぶりの新幹線フォームに立つ。
コロナのせいばかりではないが成田空港が遠くなった。
思えばこの間傘寿も過ぎて5冊目にもなるパスポートの
期限が切れていた! -
三河安城にはこだましか止まらない。
のぞみで名古屋に出て刈谷まで少し戻るのが少し
早いか。しかし今日はウイークデーでゆっくりと。 -
三島、新富士では文字通り窓辺に富士山が近くに。
東京乗車なら右側に坐るのが習慣。
こだま自由席の車内はほとんど数える程の人しかいない。 -
今年の富士はまだほとんど雪を冠っていない!
それだけ暖かい日が多いと言うことか。 -
三河安城までは2時間半弱。定刻について東海道本線に乗り換え
三河安城ー>刈谷へはわずか8分。しかし本数が少ない。
刈谷駅より名鉄三河線に乗り換え刈谷駅―>刈谷市駅は僅か2分。
トータル10分の移動のためほぼ50分待たされて。これが地方都市の日常か。
長年山手線や地下鉄に乗り付けているとその有難さは忘れている。
刈谷市駅前ここから歩く。 -
15分も歩けば左手にはこんもりした緑が見えて。
県立刈谷高のキャンパスだ。3年間歩いて通学した道
ではあるが全く初めて見る風景だ。ほぼ67年ぶりか。
東の千葉、西の愛知といえばかつては管理教育のコウシンケン!? -
この門柱は昔のままか!
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先に手紙で訪問を告げており母校教頭の丸山先生に初対面。
第36期の卒業生の由。ちなみに小生は第9期生ではある。
案内された母校の同窓会資料室。 -
OB諸氏の色紙への揮毫や関連の写真が並ぶ。
例えば西永東大教授の”誠意” ちなみに氏は10期生
とあるので小生在校中には一級下に在籍していた事に。 -
或いはこの写真、古くから交流もある英国イートン校生
の歓迎会の様子か。 -
丸山先生校内の案内の続きはキャンパスを一周。
校門前に立たせてシャッターを切ってくれて。 -
これは昔からある本校の”質実剛健”の石碑
-
かつて体育の時間といえば入学以来サッカーで
走り回ったグランド。6,70年も昔ではサッカーは
まだメジャーなスポーツではなかった。在学中
サッカー部は全国高校選手権で準優勝、国体で2度の優勝。
クラスメートは明大そして東京農大でサッカーを続けていた。
このあと今年は愛知県の決勝戦で惜敗した聞く。残念! -
-
今回母校を訪ねた秘めた願いは孫より若い未来ある
在校生へ拙著を贈ること。英国旅行紀を装って
日英比較文化史とか?・・・・否敗戦の日本を生き延びてきた
一人の男の回想・・・・
一方私製DVDは英国旅行のビジュアル版そして刈高9期生の
動静か・・・・ -
4半世紀も昔の英国旅の記録を22年前に著した
『7白9日イギリス一人旅』です。小生のホームページ
で案内している。
http://travelingmaki.kilo.jp/newpage53.html -
すっかり景観も変わった刈谷市駅の裏通りを
かつての自邸に向ってしばし歩く。 -
脇道に入ってすぐ”うなぎやま平”の暖簾を発見。
初めて見る知っている店。今回の旅の前、娘が折角
名古屋まで行くならせめて”ひつまぶし”を食べてきたら
と言っていたっけ。
昔々京都から彼女を連れて刈谷を訪ねた折、拙宅で
食べた鰻がとても美味しかったと。あの時出前を
届けてくれたのがまさにこのやま平さん。
それを思い出して暖簾を潜ろうとした時準備中のプレート。
そうかもう2時を回っているか。 -
坂を少し下って小川沿いの角には小、中、刈高
と同期のFさんの自宅が。もう30年位前になるか
母校刈谷高OB在京者の同期会で再会。都内で
ピアノを教えていると。彼女の家の辺りは駐車場に。
彼女自身も既に故人。 -
そこから10Mも行けば坂下の脇道を少し上がって
H君の家が。今はその脇道自体ないが。彼は名大から
伊藤忠そしてオーストラリヤなど海外が長く。
帰国後は大阪そして退職後は千葉に。10年程前の
在京OB同期会で再会し健在也。
この坂を上りきって太い県道に出るとその左前の
向いには石垣と黒塀の自邸が。 -
一気に80年余と時間を遡って。1944年を迎えて。
既に日本には敗戦の色濃く、空襲警報が鳴り響く。
軍服に銃を担いで庭に立つ幼年兵。
当時北支の前線にいた日本帝国陸軍騎兵将校の父
に送られた息子の英姿。その後銃弾に当り北京の陸軍病院
からの父の軍事郵便を手にした母。
もう60年以上も前に逝去した母の想いはいかに。 -
それから7年。終戦・・。否敗戦を迎えて中学生に。
弟は小学校に上がって。門前の石段に座る兄弟。
後ろの両開きの門扉は戦時中の鉄門は木造の扉に変わって。
かつて鉄扉は資源不足の日本国に供出され銃器や戦車
変身してた。 -
正門から西に6,7Mには大きな木製の門柱扉が。
脇扉がついていたが日常はほぼ開門しており
誰もが自由に出入りしていた。近所の子達はいつも
遊びに来ていた。しかしその記憶は既に戦後だった
気がする。その門から真直ぐ奥へ15Mも進むと
松の大木のもと離れの松陰荘。 -
これは母屋から離れへの10M程の陸橋の窓より
中学生の小生が撮った一枚。 -
先の写真の2年後か中学3年。間もなく刈谷高
へ進学する小生。松陰荘の玄関前に。 -
内庭の左手には金比羅堂。一民家の屋敷内にはやや不釣合いか。
子供の頃かつて刈谷藩の守護神だったと聞き及んだ記憶も。
これも中学生の撮影の一枚。 -
それらが総て掻き消えてはや半世紀になるか。
少なくともこの一枚の右から左までの間に収まったか
我が少年時代の・・・・・ -
この奥はどうなっているのか。この家並みの奥に2、3軒先は
見えない。この左先角には万年家という刈谷一古い旅館があった。
小、中学校頃までは年1回の刈谷球場での公式戦。この歳になっても
未だ隠れ中日フアンの小生。当時は名古屋ドラゴンズの定宿の
この万年家、サイン帳片手に一人選手の部屋をハシゴした。
ファーストの好打者西沢道夫,レフトのホームランバッター杉山悟、
サード杉浦清。ピチャーは杉下茂か。
実はこの旅館の広い敷地は当時屋敷の延長線上にあり今風に言えば
大家さんの息子ゆえ。 -
この県道の向いは高いマンションが2棟も建っていた。
この位置にはかつて良く遊びに行っていた細川家があった。
刈谷高の先輩、後輩の二人の兄弟がいて共に都内の大学
に通っていたとこまでしか知らない。 -
サー当時の自邸右側(東端)で元中根町は終り隣の店からは
正木町と言った。その先の懐かしい脇道に入るとクリーニング店、
味噌・醤油の醸造・販売店など建て混んでいた民家も商店も全くない。
異なる家並みや空き地が続く。 -
城址に向うべく左折して。その角は全くの空き地。
かつては山中温泉の煙突が立っていた。刈高卒業後
東京農大でサッカーを続けたY君の実家だ。
今日夕刻訪ねる旧友と先週電話で話した折彼は
亡くなっていると告げられていた。 -
そして刈谷市城町図書館に出る。
-
かつての刈谷藩藩校文礼館の跡地でもある。
-
この表通りの向いに唐突に廃墟かと思わせる
トタン張りの民家が。 -
そのすぐ先には市立刈谷幼児園とある。
まさに戦時中通った幼稚園である。同じ場所に。 -
その先右手には戦中戦後の6年間通学した
亀城小学校だ。ここは20年位前にも通っているが
70年余の昔の姿を留めているのは見事だ。 -
その並びに刈谷市郷土資料館が。実はこの建物は
忘れもしない在校時は小学校の校舎だった。 -
この入り口はかつての小学校正門入り口である。
左には奉安殿があり小学1年生の私も必ず目礼して正門
に入った。軍属の人はもちろん敬礼していた。
そこには昭和天皇の御真影が収められていたと思う。
当時はきしくも伯父(母の兄)は昭和天皇の侍従として
皇居で仕えていた。 -
資料館の受付では来訪者の記録を取っていた。
市内から県下からその他・・・地名欄に千葉県と書き込むと
「ようこそ遠い所から」と声を掛けてくれ
「いえ実は私はこの小学校の卒業生です。刈谷には20年
ぶり位でしょうか」 -
かつては農村地帯でしょう。
各種の農機具が並ぶ。 -
-
こちらは新しい時代の電話機の変遷。
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そしてテレビにカメラに。
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お釜から炊飯器へ。
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-
2階の廊下からは小学校の校舎や小学生達の姿も。
空が綺麗だ! -
こちらは刈谷城の模型。
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承知している現在の城址域よりかなり広範に及ぶ。
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昭和時代の一般家庭の住い風景。
私の世代まさに見慣れた景色。今の若い人には
少しは気を惹くだろうか? -
こちらは昭和時代のおもちゃが並ぶ。
壁には映画のポスターが。 -
私とは同世代の加山雄三の懐かしい若大将も。
-
坂を下ると亀城公園だ。この一帯は小学生の頃から
親しんだエリアである。”刈谷城址”の石碑が目に入る。
すぐ脇の刈谷球場は門を閉ざしており知らない人は気ずかない。 -
すぐ並びには豊田佐吉の胸像が立つ。
この名前教科書にも出てくる自動織機の発明者。
言うまでもなく今のトヨタ自動車の礎。
そのためトヨタ縁のトヨタ紡織、トヨタ車体、デンソー、
アイシン精機、愛知製鋼などの本社、工場が刈谷市内にある。
昨年末からこの年初にかけてトヨタグループの不祥事が相次いだ。
系列会社のダイハツ、日野自動車と検査不正問題。
かつては今あるトヨタの大本豊田自動織機までもが。
世界を旅すればどの国にも街にも走るトヨタ車に密かな誇りを感じる
のは私だけではあるまいに。開発の納期に縛られ不正で凌いだ?
親会社や本社に物言えぬ日本企業の風通しの悪い企業風土。
一日も早い立ち直りを祈るばかり。 -
この池は変わらぬ姿。しかしこのように整備されたのは
もう半世紀も前になるか。 -
公園一帯はかつての刈谷城史跡である。
右上のネットは球場のバックネット。 -
坂を上がって突き当たりはかつての本丸辺りか。
刈谷水野氏の三万石の居城。水野忠正の娘於大(オダイ)の方
は岡崎城主松平弘忠に嫁ぎ長男竹千代をもうける。
今年のNHK大河ドラマ”どうする家康”の主人公である。 -
そうかその手前には本丸跡地の標識が立つ。
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この見事な樹木に目が留まる。
そんなには古くはない。と言うのも
私が承知するこの庭かつては大きな樹木は
無かった。 -
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この先が十朋亭。
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十朋亭。生憎今日は何故かクローズしている。
大正時代の始め財団法人刈谷士族会の集いの場
として始ったとある。今は市民の憩いの場であり
各種イベントももようされる。 -
一段下のエリア。
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大きな金網の中には二羽の孔雀がいる。
-
更に下に降りて池の淵まで。
-
もう4時になるか。
一人坐り今日の1日を振り返って。
これからこの近くの旧友稲葉君宅を訪ねたい。
間もなく歯科から帰宅の予定。
今日はここまでで後編に譲りたい。
https://4travel.jp/travelogue/11865863
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