2023/07/27 - 2023/07/27
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watersportscancunさん
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https://youtu.be/8IgZgqJ2MXw
今年は雨期入りが遅く、この時期に至っても、空を見る間に覆っていく鈍色の雲が呼ぶ俄雨(にわかあめ)が見られなかった。短い時間で目まぐるしく気圧が変化する為に、その直前には冷風が吹き込み、蒸し暑さにひと時の涼をもたらすこの時期特有のスコールである。
もちろん、我々には涼風でも、晴れ渡るカリブの空を求めてやってくる観光客にとっては忌々しい「雨」であり、そこには風雅も寂びも存在しない。
観光業を生業とする自分なども、いつしか心身ともにそうした観光客に迎合し、スコールは出来れば避けたい自然現象であり、特に、移動の車で遭遇する以外では、出来るだけ発現してほしくない厄介な存在になって久しい。
その日、僕はとあるセノーテへと向かっていた。お客様を迎えた時には空一面に雲一つない健やかで穏やかな旅の始まりであったが、進路を南へ向けジャングルを真っ二つに横切る街道を西に折れるころには、不穏な雨雲が上空に漂っていた。
(これは、スコールになる)
長年の経験からの直感が確信へと変わるまでにそう時間はかからなかった。
「今年は、雨期入りが遅れているので、雨のない穏やかな初夏だと思っていたのですが、どうやら、今日はそんな例外の中での例外のようです」
僕はお客様の心中を察して先手を打った。
「もちろん、スコールなので、直ぐに止みますから、心配はご無用です」
気休めにしか聞こえない言葉でも、現地ガイドが言う言葉に偽りはない。実際、スコールは短時間で上がるものだから、どれだけ雲が厚くても、小一時間もすると、同じ空とは思えない程、冴えわたる青い顔を見せる。
そうはいっても、初めての観光客にとっては、今この瞬間の天気がどうしたって基準になってしまう、、、結果、お客さんの顔色は当然優れない。。。
折角、セノーテに行くのに、生憎の雨となれば、喜ぶ客などいない。ルームミラー越しに顔色を伺っても、そんな心中を察するように物憂げな横顔を窓外へと向けていた。
僕は心の中で舌打ちした。
遺跡にも案内する一日の長いツアーと違いセノーテだけの短時間ツアーは、その時間、晴れているかいないかで印象が異なる。お客様によっては、雨模様というだけで、当日キャンセルを申し込んでくる方もいる。
幸い、多くのセノーテは、洞窟の中に位置する為、雨の影響は最小限で済み、泳ぐに当たっても太陽光の差し込む緞帳(どんちょう)の景観以外に大きく影響する事はない。もちろん、この光のカーテンと言われる現象が売りであるセノーテが多いのが悩ましいのだけれど。。。
しかし、今日は事情が異なった。洞窟内のセノーテもあるが、メインはオープンセノーテ(口を地表に大きく開いた湖のようなセノーテ)なのである。。。
雨が降れば、まともに雨の中を泳ぐことになる。
僕は移動の車内で案内する順番に素早く頭を巡らせた。通常の回り方ではなく、先に洞窟内を経てその後、雨が上がった後に、オープンセノーテに行く方が良いだろうと、当たりをつけた。
すると、そんな僕の胸の内を計ったかのようにお客さんが口を開いた。
「雨のセノーテでも、別に構いませんから。。。」
窓外に流れる密な常緑樹の木立が、スコール前の強風に揺れ、若葉が乱舞しはじめていた。これは到着するころにはぴったりの筈だ。
この日、お客さんは、若い女性一人だった。
ウチの会社はプライベートが専門でもあり、料金は2名ベースである。当然、1名での参加の場合2名分を支払ってもらう事になる。この女性も2名分を払ってのこの日のツアーだった。
2名分支払って、安くもないツアーに参加して頂くのに、雨の中を泳いでもらう事に、僕は計り知れない申し訳なさを覚えた。仕事なのだから、言われた場所に案内し、予定通りの工程を進めれば問題はないという単純な話ではない。
多くの団体を連れて行く他の会社はそういう割り切りで良いのだろうが、うちはそうした会社と違うプライベート、少人数を売りにするツアー会社なのである。ベストの環境の中で通常のツアーでは経験できない体験をしてもらう事をモットーにしているのだ。
ルームミラー越しに再び女性の顔を伺った。日に焼けた健康で艶のある肌には、若さが迸っている。明るく茶色がかったショートヘア―の下のつぶらな瞳から漏れる笑顔からは、しかし、その真意を測りかねた。
僕の言葉の端に浮かんだ申し訳なさに対する、日本人特有の気遣いとも考えられたし、その笑顔からは、どんな状況をも楽しもうという前向きな好奇心の現れとも捉えられた。
因みに、セノーテに出かけるのに、雨で喜ぶ客には、この20年で1度しか出会っていない。その話はまた次の機会に回したいと思うのだけれど、その時ですら、偶発的に雨が呼びよせた景観に感動をした結果で、最初から雨でも良いという訳ではなかった。
しかし、この女性は、雨である事を望んているようなのである。
女性の一人旅と、雨のセノーテを望むという事実を情緒的に解釈すれば、勝手な想像が膨らむ。
が、その無邪気な笑顔は、そんな僕の思いを否定する。
「雨のセノーテを望むお客様は珍しいんですよ」僕は話をあえて振ってみた。
「そうなんですか? それは、どうして?」
そんな当たり前のことを、、、という言葉を僕は飲み込んだ。考えてみたら、晴れているセノーテが一番良いと誰が決めたのだろう? それが一番美しいからという美の押し付けを、僕ら業者は嫌という程、経験して来ているのに、いつの間にか、世の価値観に同調する、先入観に犯されている事に改めて気付かされた。
僕は言葉に詰まってしまった。そもそも、晴れを望んでいるように見えないお客様に、晴れのセノーテの方が良いのだと力説して、今から向かうのが雨のセノーテでは、言うだけ藪蛇にしかならない。。。雨が良いと考えているのであれば、そのままそっとしておく方が良いだろうと、打算的な僕の頭も呟いている。
しかし、それとは反対に、やはりどうして雨のセノーテが良いのかという、気になる意見に好奇心が膨らんだのも事実であり、そのそっとしておくべきと主張する打算なビジネス思考とが、心の中でせめぎ合った。
そして、その好奇心は、セノーテに静かに開くスイレンの一輪の華と同じく、その景色の中でどうしても、無視が出来ない存在へと萌芽した。
「いや、、、これは僕らの思い込みでしかないんですが、ほとんどのお客様はセノーテというと晴れている事を望むものですから、今回のお客様のような、あえて雨を望んでいるように見える方は珍しいもので。。。」
誘惑に負けて、僕はお客様にその真意を訊ねる事にした。
「別に雨が良いと思っている訳ではないんです。ただ、別に雨が降ったからダメだとか、思い出に傷がつくとか、そういう事がないだけなんです。だってそうでしょう?」
彼女は、窓外に向けていた顔を前席に座る僕へと向けると、ふっと息をはいてその髪をゆすった。
「綺麗な景色は見たいけれど、それは別に写真集に出ているような画とは違うんです。自然というのは、その都度、様々な顔を見せる。その時、自分が訪れた場所で出会う自然の顔に、意味があると思うんですね。そうじゃなかったら、別にVRでも、映像でも、どこでも見られるじゃないですか。そういう、どこでも見られる美しさではなく、その場に自分が行ったという体験の方が、私にとっては重要なので。。。」
そうして、ミラー越しに目を合わせながら滔々と話すと、ふと意味深な、思いついたように悪戯な顔を向けてきた。
「え?!でも、それって、店長さんのHPに書いてある事ですよ。私はそこに同調したから申し込んだんです。今の私の意見って、そのまま、店長さんのページに書いてある事ですよね?!」
そういって、声をあげて笑った。。。
その言葉を聞いて、苦笑いするしかなかった。面目も何もないと思った。まさにその通りで、体験の重要性を前面に押し出していながら、いつの間にか、型にはまったステロタイプな美しさや楽しさを提供する事に血眼になっていた自分を省みたのだ。
「面目ない。。。その通りだ。。。体験する事の方が、切り取った思い出の写真などより大切って事、どうも、本質を忘れていたようです。。。いけない事だな。。。」
笑うしかなかった。最高の経験=最高だとネットや媒体で作り上げられた景色や場所に案内する事ではない。
頷きながら、僕は反省しきりだった。そうした正論を、しかし、最近の風潮は許容しないほど、硬直した価値観がまかり通っている。朝一のグランセノーテなどその典型だろう。
僕はただただ、心の中で頭を横に振っていた。。。
「私はそう思っています」彼女は、面を素の自分に戻すと、少し言い淀みながら、自分の伝えたい気持ちを逡巡しているように首をかしげて少し考えるしぐさをした。
「綺麗な姿は、どこでだって見る事が出来ますが、雨のセノーテって、どういうものなのか、、、逆に興味が湧きません?」
僕は、出回っている多くのセノーテの映像や写真を思い浮かべた。
どれもこれも、美しい写真や映像のオンパレードだった。一つとして、雨の暗いセノーテはない。どの画像も映像も、一つとして好ましからざる景色などは思い浮かばない。貶める目的のものを別にして。。。
僕は、本来あるべき旅の意味に回帰した。
ならば、雨のセノーテも、きっと乙なものになるに違いない。僕は、お客様の言葉に勇気づけられて、いつしか雨を楽しみにしている自分を発見していた。まるで立場が逆転したような思いだ。。。
案の定、セノーテの入り口に到着した時には、どす黒いスコール雲が空を覆っていた。準備をしている間にも、風の立てる葉のさやぎは増している。
(いよいよ来るぞ)
僕は、カメラを濡らさないように、又、お客様の荷物が濡れないように、準備したビニールをかけ、石灰の岩陰のくぼみに納めた。
セノーテへと続く石の階段を下りる手前で、数組の白人観光客が空を眺めて茅葺のパラパ小屋に集まっていた。
どうせ濡れるのが分かっているのに雨宿りをしている。
お陰で、降りたセノーテには誰もいなかった。
一寸、静寂がその空間を支配した。近づく雨音が、やがて訪れる本降りへと誘う。。。
さーと流れる驟雨(しゅうう)の靄が、視界周辺をぼんやりと浮きだたせ、その雨音を背に、葉むらが弾くぽつぽつという打音と、セノーテの水面を叩く雨滴が重畳(ちょうじょう)となって、その景色を雅至に彩った。
数舜、色鮮やかな常緑樹の葉は、その彩を鮮やかに蘇らせ、森全体を雨滴の中でその息吹を爆発させた。
その瞬間、この空間に「生」が溢れ出した。
雨を避ける天然の葉むらの陰で、僕はただ、肌で、心で、その爪先にいたるまでその圧倒的な生の息吹に打ち震えていた。
それは、将に恵の雨であった。
それは、表層を飾る美しさではない、生(なま)の命だった。
その幽邃(ゆうすい)な空間の中で、遥か古の時代より、人類が自然の内に、そのDNAに埋め込んだ様々な記憶を、理性とは違う部分の、それは、情感や、更に奥深い本能の中に呼び覚ましていた。
僕は、その時、雨でも良いと言った、今セノーテの中を静かに泳ぐこの女性が、そのつぶらな眼に見ていたものの本質を知った気がした。
美しいだけの景色なら、プロの撮った写真を見たら済む。綺麗な写真だけを撮りたいならば今のスマホの画像処理技術と組み合わせれば、無敵だろう。
でも、それは何のためだろう?
この空間をこの瞬間、満たしている空気の湿り、若草の香り、密林の梢を打つ雨音から、やがてスコールが止むことを知らせる野鳥のさえずり、、、五感に一度に訴えかける圧倒的な生の躍動は、この場にいる事でしか得られない。この場にいたものにしか、分かり得ない。
それは切り取って持ち帰る事の出来ない特別な瞬間であった。
切り取る事の出来ない景色の先には、一連の連続した生の営みがあり、その延長線上には同時に、これからも続く自らの人生と、その未来が累々と又続いている。
一つ一つの感動という点が、結びついて線となる。その線は様々な方向へと拡張していきながら一人の人生の中にある生物としての面へと広がっていく。その面が自然界に生きる生物と我々人類とで多層に積みあがっていく事で、この地球という存在が成り立っていく。
それは、平和へと繋がる壮大な自然からのメッセージであり、旅のもつ大切な意味の一面なのだ。
「それにしても、、、」
僕は、上がり始めたスコールに、ぽつりぽつりと階段を下りて来る観光客を向きながら、作り付けの木製の手すりにつかまり水から上がる彼女にバスタオルを手渡すと言った。
「このセノーテは、雨だと余計にその良さが際立つ場所ですね。。。初めて体験しましたよ。20年もいながら恥ずかしい限りだ。。。」
彼女は、ただ、静かに笑みを返して、密集するジャングルの、このセノーテの上にあいた丸い空に顔を向けた。そこには、もはや雲はなく、真っ青なカリブの空が筋雲と共に広がっていた。
そうして、振り返ると、彼女は若さ溢れる透き通った声で元気よく、壁面の上部を指さしがら言った。
「では、あそこから、飛びこみましょうか!」
セノーテ入り口の階段横にしつらえられた、高さ7mの壇上には、白人観光客の若者グループが、誰が最初に飛び込むかと、背中を押し合いじゃれ合っている。
その嬌声が、セノーテの石灰岩の壁に吸い込まれ、増幅した振動が、鏡のように静まった水面に波紋を作った。
そこには、再びいつものあるべきセノーテの姿が戻っていた。。。
https://www.instagram.com/p/Cuwehj6p89T/?igshid=Y2I2MzMwZWM3ZA==
↑今回ご案内したツアーのインスタはこちら!!
カンクンから45分。。。雨の時こそ、美しさが際立つ、、、こんな場所もある。。。皆様には、是非色々なカンクンの自然を知って頂けたらと心から願っています。
おわり
店長吉田拝
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