2023/04/27 - 2023/04/27
45位(同エリア198件中)
愛吉さん
生涯大学35期歩こう会、4月度幹事を担当します。
もう十年以上続く会で幹事も10回以上担当しました。
何処に行こうか迷いましたが、今迄行った中で気に入った先、未だ会として行っていない先から選びます。
決、早稲田文學散歩。(山県喬著”東京文学の散歩道”第1章早稲田コース)
この散歩道はこのブログでも2回取り上げた処、1回目は2012年7月22日、漱石山房記念館の出来る前、2回目は2019年9月18日、漱石山房記念館完成直後でした。
今回は昼食場所を早稲田大学学食を予定したのでコロナを考慮し下見を3回行いました。
御覧になって下さい。
表紙は早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 私鉄
-
スタートはいつも通り牛込神楽坂駅。
全員揃った処で午前10時出発。
本日は快晴、正に散策日和。 -
大久保通りを渡り、神楽坂らしい粋な黒塀と石垣に囲まれた袖擦坂を登ります。
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30米程進むと朝日通りに突当り、そこを右折、40米進むと左側のブロック塀に写真の様な看板が出ています。
大正初期に活躍した芸術倶楽部跡地です。
大正2年島村抱月と松井須磨子はこの地に近代演劇や文学芸術普及の為芸術倶楽部を立ち上げます、写真で見ると立派な建物です。
しかし大正7年抱月はスペイン風邪により、この芸術倶楽部で死去、傷心の須磨子は抱月七七忌の夜、ここの道具部屋で抱月の跡を追います。
芸術倶楽部は今でいう新劇の走り、初演の”復活”は大ヒット、主演を努めた須磨子が歌った”カチューシャの歌”は全国を風靡し、今に伝わります。 -
次は、朝日通りを早稲田方向に戻り、百米程進むと路地の奥に、尾崎紅葉旧居跡。
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当代随一の人気作家、金色夜叉出筆中に逝去しました。
明治36年に亡くなる迄の12年間を過ごした家、未だ35才でした。 -
続いて林氏墓地。
江戸幕府大学頭林羅山一族の墓地。
儒教の教えに従って墓地を形成、史跡に指定されています。
未公開なので隙間から覗いて通過。 -
説明文はしっかり読みます。
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朝日通りが外苑東通りに突き当たると右折、その右側に淨輪寺が有ります。
そこに日本数学史上最高の英雄墓が有ります。
関孝和の墓です。 -
六代将軍家宣に仕えた幕臣。
筆算式代数を考案し、正131072角を使って円周率を小数11桁迄算出しました。
3.14159265359 世界最初の事です。
尚当時使用された円周率は”3” ”3.4” "3.6"等色々でした。
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墓の前に建つ、関孝和314年祭記念円周率碑。
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碑の天辺に記された環矩図。
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碑の側面に書かれた説明文は漢文。
全く判りません。 -
隣の多聞院に入ります。
境内の片隅に生田春月の詩碑が有ります。
わが空しくも斃れなば
あまたの友よあとつぎて
われにまされる詩を書けよ
ジャンコクトオやヴァレリイの
伊達のすさびをやめにして
書けよ心の血の叫び 春月
純情な魂の苦悩をうたい、浪漫的、虚無的な詩人でしたが、昭和5年38才で瀬戸内海に投身自殺しました。
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続いて生垣で仕切られた墓地へ、松井須磨子の墓が在るのです。
墓前の解説板を読んで見ましょう。
大正時代前半に一世を風靡した新劇女優松井須磨子とあります。 -
松井須磨子の墓.
須磨子は師であり恋人であった島村抱月をスペイン風邪で失うと、其の七七忌の夜、想い出の芸術倶楽部で縊死します。
尚その遺書で抱月と合葬して欲しいと哀願しますが、島村家は拒絶。従いここで一人寂しく眠っています。 -
墓の横に”芸術比翼塚”があります。
これは須磨子の最後の願いが聞き入れられなかった事を哀れに感じた人が、須磨子の七七忌を待たずに建立しました。
須磨子本人の墓より先に出来ました。 -
比翼塚の裏面。読んでみましょう。
抱月須磨子二霊位の幽を慰める為に、川柳之徒が謹んでこれを建てる
大正八年二月
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想いを新たに墓と比翼塚を眺める仲間達です。
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外苑東通りに戻ると、その一角にこの看板を見つけ左折します。
猫が案内して呉れます。 -
漱石山房記念館。
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隣は漱石公園、漱石家の庭を公園にしました。
入口には漱石の胸像が。 -
では記念写真を。
カメラマンである私は写っていません。 -
入口に建つ看板。
漱石は明治40年9月から亡くなる大正5年12月迄の9年間をここで暮らし亡くなります、 49歳でした。
ここで書いた作品は三四郎、それから、門、こころ等があり、明暗を出筆中でした。 -
夏目家の庭にある猫の墓。
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説明文を眺める仲間達。
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漱石山房記念館入口。
入場します。 -
住居再現図。
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復元書斎、10畳の座敷です。
館内は指定された場所以外撮影不可。 -
2階の一隅に漱石さんが鎮座、記念写真に応じて呉れます。
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夏目坂に来ました、麓に夏目漱石誕生の地標が立っています。
1867年2月9日生。 碑の筆跡は安倍能成。
夏目家は代々この地で名主を努め、夏目坂の名称は漱石誕生前からです。
碑と案内板以外何も有りません。 -
次は穴八幡宮。立派な社です。
1062年八幡太郎義家が奥州の乱鎮定の帰途、この地に八幡宮を勧請したのが始まり、その後3代将軍徳川家光により城北の総鎮護に指定され繁栄、戦災により焼失しますが戦後復興、流鏑馬催事で知られます。 -
流鏑馬の像。
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早大演劇博物館に到着。
坪内逍遥70歳を記念して建てられた、アジア唯一の演劇専門博物館。
建物は16世紀イギリスのフォーチューン座を模して造られました。
正面は舞台となる張出、両翼は桟敷席、建物前の広場が一般観覧席となります。 -
建物前に立つ案内板。
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横には坪内逍遥の銅像。
右手が光っているのは握手する人が絶えない為です。 -
では中に入りましょう、2階の廊下になります。
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各種コレクションが展示され、活動写真も上映されています。
原則として館内は撮影禁止、撮影場所は指定されます。
森繁久彌の楽屋暖簾。 -
早大校内、大隈重信像と大隈講堂。
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早大学生食堂、混雑を避け1時過ぎに入りました。
これで早稲田文學散歩は終了です、楽しい一日でした。
終
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