
2023/03/09 - 2023/03/09
424位(同エリア1020件中)
旅姿さん
浜離宮恩賜庭園で春の使者の”菜の花”が見頃とのニュースがあり、お天気に誘われ春を探しに出かけてきました。
この庭園はかつて江戸時代は、徳川将軍家の庭園で六代将軍家宣の時代に将軍家の別邸となって「浜御殿」と呼ばれるようになったそうです。
明治維新の後は皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変え、その後昭和20年11月3日、東京都に下賜(かし)され、整備の後に昭和21年4月から「浜離宮恩賜庭園」として公開された。(リーフレットより要約)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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地下鉄新橋駅から庭園に向かう途中に「宮崎駿デザインの日テレ大時計」がある。
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駅から約10分ほどで「浜離宮恩賜庭園」の「大手門」に着きました。
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園内の「サービスセンター」に向かう。
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中に入ると早速「ボケ」の花が迎えてくれました。
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遠くに見えます! ”黄色のじゅうたん”が----!
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入って直ぐ近くにある大きな松の木は---「三百年の松」。
今から約300年前の六代徳川将軍家宣が、庭園を大改修した時、その偉業を
たたえて植えられたと言われている松だそうです。
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お花畑に出てきました。お日様をまともに受け、黄色の菜の花がまぶしい!
ここは、春は菜の花、秋はコスモス咲き人気の所。 -
菜の花のうしろに見える紫色の花は---
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「ホトケノザ」ですね。
春の七草の一つです。 -
ミツバチも来て
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この水色の花----「オオイヌノフグリ」
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振りかえってみると---黄色があざやかです!
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温かい春の陽を受け
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イチオシ
一面の菜の花畑が広がる
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ここにも「ホトケノザ」が
茎を取り巻く葉を、仏が座る連座に見立てたところからきているそうですが -
菜の花畑はこの辺りまでで--
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「梅林」の方に行ってみます。
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白梅や
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紅梅も良く咲いています
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梅の名前は----?
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淡い桃色の大輪の花は
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八重咲きで、
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「見驚」(けんきょう)の名札が見えましたが--
見ているものを驚かすそうです!? -
梅林を過ぎ、東京湾に接する所にでてきました。
「将軍お上がり場」です。 -
左手の奥に見える橋は「勝鬨橋」です。
1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志に より「勝鬨の渡し」が設置された。築地と、対岸の月島の間を結ぶ橋で
1970年11月29日を最後に開閉が停止となった。(ウイッキペディア より)
--子供のころ遠足で来た記憶があります。 -
海辺の眼下には「ハクセキレイ」が
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横堀水門
六代将軍 徳川家宣の時代です -
奥が東京湾側ですね
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「潮入りの池」に架かる「海手お伝い橋」を渡ってみます。
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遠くに東京タワーが微かに見えます
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これは鴨場・庚申堂鴨場(こうしんどう)の小覗(このぞき)
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入ってみます。
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鴨猟の覗き穴です
この穴から鴨の様子を伺いながら、ヒエやアワのエサとおとりの
アヒルで引堀におびき寄せ、猟をしたそうです。
---どのくらい獲れたのでしょうか--!? -
足下には「フキノトウ」が
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眼の上には「ロウバイ」が
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左手の奥は「中島の御茶屋」(1983年に再建)
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こちらは「鷹の御茶屋」-(2018年に復元)
---歴代の将軍様の社交場だったようです -
燕の御茶屋(2015年に復元)
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歴史に忠実に復元しているという。
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この銅像は「可美真手命(うましまでのみこと)」
---聞いたことがありませんが--- -
明治27年(1894年)、明治天皇の銀婚式を記念して
陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品のようです。 -
「花木園」に入ってきました。
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イチオシ
「カンヒザクラ」かな?---
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こちらは---
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「サンシユユ」(山茱萸)
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「アセビ」(馬酔木)
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ユキヤナギ---のような
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紅千鳥
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白一色の---この樹は
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イチオシ
ハクモクレン(白木蓮)---か
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花木園から再び「菜の花畑」に戻ってきました。
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お天気に誘われ
来園者も続いています。
約1時間半の将軍様のお庭のさんぽでした。
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