2022/12/18 - 2022/12/18
109位(同エリア146件中)
yayoさん
2022年2月以来10か月ぶりの東海道歩きです。
今回は岡部宿から藤枝宿までを歩きました。
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バスで藤枝市役所岡部支所停留所で下車。
以前ここから東へ向かい丸子宿を目指しましたが、今回は西へ向かい藤枝宿を目指します。バス停の目の前には五智如来観音があります。
12月なのに真冬のような冷たい強風が吹く中、午前8時36分、10か月ぶりの東海道歩きスタートです。 -
東海道の松並木が暫く続きます。
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バイパスの高架下に「これより東海道岡部宿」の灯籠があったので、ここまでが岡部宿ということでしょうか。それにしても枯れた雑草に埋もれてもったいない。誰も雑草を刈り取る人はいないのだろうか。。
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バイパスの高架を潜り、いよいよ藤枝宿に入ります。
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ここにも松並木が続いていました。
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横断歩道がないので歩道橋から反対側の道路に出ます。
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鬼島立場跡
火の見ヤグラと木造灯籠を復元したようです。
今まで色んなところの旧東海道を歩いてきましたが、どこも雰囲気が似ているように思います。 -
こんなところに清々しい神社がありました。
「須賀神社」とありました。 -
樹齢500年のクスの木。
静岡県指定の天然記念物になっているようです。
古来より東海道を往来する人々を見守ってきたそう。
残念ながら触ることは出来ませんでしたが、500年前から御神木として存在していたというオーラを感じます。 -
「史跡 鐙ヶ渕と観音堂」
すぐ近くには史跡「鐙ヶ渕(あぶみがふち)」がありました。
説明書きによると、ここは元葉梨川の渕で、その形が馬具の鐙に似ていたので昔から「鐙ヶ渕」と呼ばれていたとありました。
伝説によれば徳川家康は戦勝祈願のため、愛用の鐙をここの渕に沈めたとか。
さらに「東海道中膝栗毛」の中で十返舎一九が、この鐙ヶ渕の歌を詠んでいるそうです。 -
観音堂の覗き窓からお堂の中を見てみたら、とても厳かな雰囲気を感じました。
御本尊は「蛇柳如意輪観世音菩薩」といい「お腹篭り」という珍しい尊像で胎内仏は、平安時代の名僧「恵心僧都」が作ったものとされているそう。
昔から子宝、安産に霊験ありとしてご婦人方の参拝者が絶えなかったとのことです。 -
久しぶりに見た東海道の路面案内!
今回はここでしか見てないのだけど、何処かで道を間違えたのか。。
この辺りは区画整理で道がかなり変わってしまったので要注意です。
グーグルの地図は当てになりませんでした。 -
「成田山」まで来ました。
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入口には金剛力士像がある!
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ちょっと参拝していきましょう。
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成田山の歴史について説明書きがありました。
ここは約750年前の建長年間、「照光院」という寺院だったそう。
こんなエピソードがあるそう。「後嵯峨上皇の子供である宗尊親王(10歳)が、六代将軍となるため、京都から鎌倉へ東海道を上る途中、ここ藤枝宿で親王の乗っていた御所車の左輪が折れてしまった。そこで御所車を修理する間、ここ照光院で休息された」。光栄ある休息にあづかったので、これを記念して、それ以来寺名を「左車山請して、さぐるまざん きゅうそくじ)」と改めたとのことです。またこの修復にあたり、破損した左輪や車軸を寺の裏の聖地を選んで埋めた後、「左車神社」を建立したそうです。そしてこの地名を「左車(さぐるま)」と名付け現在に至っているとのこと。
その後、この地が戦国時代に今川氏や武田氏に支配された時は、二度の戦火に遭い焼失してしまい廃寺同様になっていたところ、明治時代に千葉県大本山「成田山」の御身分を勧請して、今に至っているそう。千葉県の「成田山新勝寺」の分家ってことですよね。静岡県内では唯一の「成田山」だそう。
旧東海道は江戸時代になって整備されたけど、実はそのずっと前の時代から東海道として人々の往来はあったわけですよね。江戸以前は京都~鎌倉でしょうか。ロマンを感じます。 -
ぼけ封じ祈願もあるなんて珍しい。
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立て直した信用金庫の駐車場に布袋さんが!
面白い。 -
藤枝名物の一つ「サッカー最中」
サッカーボールの形をした最中ですが、糖分高めの記憶があります。
近くに藤枝東高校というサッカーの名門校があるのでその絡みで名付けたものと思われます。
ちなみに今年の全国高校サッカーは、県大会の準決勝で負けてしまったようで、全国大会には出場出来ず残念でした。 -
問屋場跡のタイルを発見。
目の前は店舗兼住宅のような昭和の建物でした。
1階の店舗は空っぽでしたが、住宅にはどなたか住んでいるのかな?
そういえば藤枝宿の浮世絵は問屋場の風景を描いたものでした。 -
シャッターのデザインが面白い。
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2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」ですが、家康ピンチ!の出来事の一つが「伊賀越え」でしょう。そのゆかりの地がここにあったのです。
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伊賀越えとは、織田信長の勧めで大阪を観光していた家康が、本能寺の変を知り、明智軍から逃れるため、命からがらにして伊勢路を越え、伊勢の白子から尾張の床鍋まで船に乗って海を渡り、岡崎へ逃げ帰ったという出来事です。ドラマではどのように描かれるのかな。どうする脚本!?
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説明書きによると、「伊勢の白子に「小川孫三」という人がいて、家康は孫三に海を渡る船を手配することを命じた。孫三は、夜にまぎれて小船に家康を乗せて、若松の浦より漕ぎ出して夜を徹して海を渡り、尾張の床鍋に船を着け、三河の大崎まで家康を送り届けた」とのこと。
伊賀の山越えも危険だっと思いますが、夜な夜な船で渡るのもとても危険だったことでしょう。 -
その後、家康は功労として伊勢白子の住人である孫三にこの地に居住することを許可し、当地を「白子町」と称し税金等が免除されたそう。
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小川家はその後代々続いていたそうで、現在の当主?は眼科のお医者さんです。
この辺りは白子商店街と呼ばれており、地元の人も白子と言っていますが、白子は昔の名称で現在の正式な住所名は本町となっております。
お恥ずかしいことに、この伊賀越えエピソードは知らなかったんですよね。。
地言われてながら知らない事って意外とたくさんあるものです。
ちなみにここから少し離れたところに「田中城址」があります。「田中城」は今川氏の土豪が築城したのが始まりで、その後武田氏、徳川氏によって支配されました。家康が駿府城にいた頃、度々鷹狩に田中城まで来ていたそうです。そして天ぷらを食べて死んだというエピソードがありますが、その天ぷらを食べたのが田中城と言われています(それは逸話かもしれませんが)。
また田中城の城の造りが、同心円状なところから「亀城」とも言われるちょっと珍しい城でもあり、山城マニアには有名なんだそう。 -
旧東海道から200メートルくらい外れて「蓮華寺池公園」まで来ました。
藤枝市のシンボルのような存在です。蓮華寺池公園 公園・植物園
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湖の向うにはジャンボ滑り台があり、池には足で漕ぐ白鳥ボートがあり遊覧することも可能です。
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かなり久しぶりに来ましたが、池の周囲が整備され奇麗になり歩きやすくなっていました。
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この飾りはサッカーボールでしょうか。
夜にはライトアップされるのかな。 -
「藤枝市郷土博物館」
今回のお目当てです。藤枝市郷土博物館 美術館・博物館
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「名刀展」が本日までだったので駆け込みでやってきました。
同時開催の「天下人と東海の戦国大名展~泰巖歴史美術館コレクション」もこの日までだったため慌ててきたわけです。
東京都町田市にある、戦国時代の資料が多数収蔵されている「泰巖歴史美術館」の一部収蔵資料が展示されていました。本、雑誌、映像等で見たことがある貴重な資料の実物が拝見できるというとても貴重な機会だったわけです。ちなみに「泰巖(たいがん)」とは織田信長の戒名で、信長関係の資料を多数収蔵している関係でそのように名付けたようです。町田市まで行けば見られるけど、遠いですからね。 -
先日東京国立博物館で国宝の刀剣を見た時は、どれも同じに見えてチンプンカンプンでした。日本刀とは「折れず」「曲がらず」「よく切れる」という機能性と共に芸術性を極限まで追求し、信仰心の対象(精神性)をも兼ね備えた日本独自の「鉄の文化」なのだそう。
今回の展示品は撮影不可でしたが、内容が充実していて良かったので、冊子を購入しました(写真左)。それには日本刀の歴史や鑑賞のポイントも書かれているので、次回、トーハクで日本刀を見る際の参考にしたいです。それにしても日本刀の造りって、こんな細かいところまで!と目から鱗でした。
ちなみに写真右のファイルは、今回展示されていた泰巌美術館コレクションの「上杉謙信」の肖像画のクリアファイルです!謙信の肖像画といえば顎鬚が濃いものが有名ですが、それは江戸時代になって描かれたものといわれています。こちらの肖像画は謙信が幼少期に修行していた林泉寺が所蔵していたものと言われています。この肖像画はあまり表に出てこないので、今回実物を見られてとても感動しました。さらにクリアファイルまで発売されていましたから、迷わず買い!でした。個人的にはこの肖像画が実物に近いのではないかと推察しています。
ところでこちらの博物館では、他に江戸時代の旅人が携帯していた品の展示、庶民の食べ物、藤枝市の古墳時代からの歴史や、田中城の歴史に至るまでとても充実していて見応えがありました。これで入館料500円ってコスパ良すぎ!
今回の「天下人と東海の戦国大名展~泰巖歴史美術館コレクション」開催にあたって、歴史研究家の黒田基樹先生などの講演もあったようで(行けばよかった。。。)、かなりのおすすめスポットだと思います。 -
藤枝のカラーバージョンのマンホール。
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蓮華寺池公園のすぐ近くにはスターバックスがあります。
まだ行ったことがないのでランチがてら立ち寄ってみよう。 -
店内は広く座席数も結構あり、思ったより混雑しておらず余裕で席を確保できました。スタバで飲食は本当に久しぶりです。
ドーナツの気分だったので、チョコレートクリームドーナツを購入。蓮華寺池を眺めながら、ゆったりくつろぐことが出来ました。 -
再び東海道へ戻ります。
パンダに釘付け!
薬局でした。 -
日曜日でお休みなのか、単なるシャッター街なのかわかりませんが、シャッターのデザインが色々面白い。
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「おたけせんべい本舗」
藤枝市の銘菓といえば「おたけせんべい」でしょう。
子供の頃は嫌いだったのですが、今は結構美味しい!と思えるようになりました。
大人になってわかる味なのかな。
こってり煎餅ではなく、サクサクと軽くてあっさりとしています。
江戸時代後期からあるようです。おたけせんべい本舗 グルメ・レストラン
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「紅家」
元和2年(1616年)創業の老舗和菓子店。
近郊の田中城にお菓子を納めていたそうです。
お店の人気1,2、3を争うという①長寿柿②弥次喜多まんじゅう③みたらしパウンドと他に豆大福を購入しました。以下主観的な感想です。
☆長寿柿・・・長寿を全うした徳川家康公にちなみ名付けられたという銘菓。干し柿に白餡を詰めたもの。
☆弥次喜多まんじゅう・・・こしあんで食べやすいサイズ。これはおすすめかも。
☆みたらしパウンド・・・上はみたらしの蜜の層になっており、下の層が素朴なパウンドケーキでした。
☆豆大福・・・「昔ながらの製法を守り、余分なものを加えていないお菓子作り」ということで、素朴な大福でした。少し餡子が甘すぎたように感じました。もう少し塩気があった方が好みです。
以上、個人的に良かったのは「弥次喜多まんじゅう」でした。紅家 グルメ・レストラン
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店内には十返舎一九(本名:重田貞一)愛用のすりこ木が展示されていたので、許可をもらい撮影しました。なぜこのお店にあるのかというと、重田家の末裔が、静岡市から一時期、藤枝市水守に住んでいた関係で、約30年前に重田家より譲られ、このお店が所蔵しているとのことです。
すりこ木は、旅の道中、胡麻や味噌の食べ物や薬をすりつぶすのに必需品だったのではないかと推測されるのだそう。今のように便利ではなかったのですね。 -
十返舎一九の短冊も展示されていました。
一九は藤枝宿に親しい友人がいて、よくこの地を訪れていたそう。
その時詠んだとされる短冊のようです。 -
藤枝市には「藤枝MYFC」というプロサッカーチームがあるのですが、この度見事J2に昇格しました!!
静岡県内の他の清水エスパルスや磐田ジュビロはJ2に降格でレベル低下が否めません。MYFCは、ついにここまで来たかという感じです。頑張れ!!藤枝MYFC!! -
途中粉雪が舞うほどの強い寒波で寒い一日でしたが、午後1時30分JR藤枝駅到着。岡部宿から藤枝宿まで約7キロ。
東海道500キロのうち、314キロ制覇しました。
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