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最近、東京のいくつかの美術館で海外の著名な美術館の展覧会が開催されていて、これまで見ることがなかった名品とも言うべき美術品を見る機会があり、大変感銘を覚えた。<br /><br />今回の北斎展に関して明治期に彼の作品が大変多く海外に流失し、現在日本にないというような浮世絵も多い。イギリスのこの大英博物館にもそうしたものが多いという。今回里帰りした作品の半数以上は日本にないものや珍しい貴重なものがあるという。興味を持って出かけてみた。<br /><br />一般公開が最後に近づいてきていたので、かなりの人混みでこれでは入場するまでに時間がかかるかと思われたが、いざ時間になると、人の流れもスムーズに流れていた。1時間半程の時間を見学に割き、充実した至福の時を持っことが出来た。<br />

サントリー美術館で「大英博物館 北斎 ー 国内の肉筆画の名品とともに」展を見る

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2022/06/10 - 2022/06/10

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Weiwojing

Weiwojingさん

最近、東京のいくつかの美術館で海外の著名な美術館の展覧会が開催されていて、これまで見ることがなかった名品とも言うべき美術品を見る機会があり、大変感銘を覚えた。

今回の北斎展に関して明治期に彼の作品が大変多く海外に流失し、現在日本にないというような浮世絵も多い。イギリスのこの大英博物館にもそうしたものが多いという。今回里帰りした作品の半数以上は日本にないものや珍しい貴重なものがあるという。興味を持って出かけてみた。

一般公開が最後に近づいてきていたので、かなりの人混みでこれでは入場するまでに時間がかかるかと思われたが、いざ時間になると、人の流れもスムーズに流れていた。1時間半程の時間を見学に割き、充実した至福の時を持っことが出来た。

旅行の満足度
4.5

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  • カバーのチラシと同じものでスタートしたい。大英博物館には多くの北斎の作品が所蔵されているそうだが、以前ここを見学した時に日本美術コーナーがあった。その時そのコーナーには北斎の作品は全然なかっが、常時展示というわけではなさそうである。

    カバーのチラシと同じものでスタートしたい。大英博物館には多くの北斎の作品が所蔵されているそうだが、以前ここを見学した時に日本美術コーナーがあった。その時そのコーナーには北斎の作品は全然なかっが、常時展示というわけではなさそうである。

  • 今回の展覧会のチラシの裏側はこんな風で、「弘法大師修法図」が用いられている。<br /><br />思うに、日本の展覧会はチラシといい図録といい、大変充実している。外国ではほとんどチラシも図録も用意しているところはないに等しい。あっても大したものはない。図録は値段は張るが、詳しい説明と資料があり、大いに役に立つ。

    今回の展覧会のチラシの裏側はこんな風で、「弘法大師修法図」が用いられている。

    思うに、日本の展覧会はチラシといい図録といい、大変充実している。外国ではほとんどチラシも図録も用意しているところはないに等しい。あっても大したものはない。図録は値段は張るが、詳しい説明と資料があり、大いに役に立つ。

  • サントリー美術館の入り口。今回の展覧会ではあらかじめ予約する必要はなかったために10時開場に際してかなりの人々が並んでいて、幾重にも行列が出来ていた。待ち時間がかかるかと思ったが、しかし、開館時間になると行列はスムーズに流れ、それほど待つ必要はなかった。

    サントリー美術館の入り口。今回の展覧会ではあらかじめ予約する必要はなかったために10時開場に際してかなりの人々が並んでいて、幾重にも行列が出来ていた。待ち時間がかかるかと思ったが、しかし、開館時間になると行列はスムーズに流れ、それほど待つ必要はなかった。

  • 今回の展覧会から気に入ったものや特筆すべきものなどを中心に紹介していきたい。<br /><br />〇 「市川銀蔵の山賤実は文覚上人」<br /><br />北斎は1778年(安永7)頃、当時役者絵の名手として知られた浮世絵師・勝川春草の門弟となり、彼の下で北斎は「春朗」と名乗った。師と同様、歌舞伎を主題として勝川派特有の様式で役者絵を描いた。この作品がそうであるが、ところがすぐに別の流派を学ぶようになり、いわばこの裏切り行為により同派を破門させられた。このことでかえって奮起し、自分の道を見出し、独自の様式を確立していった。

    今回の展覧会から気に入ったものや特筆すべきものなどを中心に紹介していきたい。

    〇 「市川銀蔵の山賤実は文覚上人」

    北斎は1778年(安永7)頃、当時役者絵の名手として知られた浮世絵師・勝川春草の門弟となり、彼の下で北斎は「春朗」と名乗った。師と同様、歌舞伎を主題として勝川派特有の様式で役者絵を描いた。この作品がそうであるが、ところがすぐに別の流派を学ぶようになり、いわばこの裏切り行為により同派を破門させられた。このことでかえって奮起し、自分の道を見出し、独自の様式を確立していった。

  • 〇 「女東下り図」(1805~10年 / 文化2~7年)<br /><br />『伊勢物語』第九段における「東下り」の一行を、女性たちの姿に置き換えた見立絵である。この刷り物の紙の下半分は、折り返して裏側にきていた部分で、文が添えられている。それには、浄瑠璃の演奏会が開催するの旨が認められていて、この刷り物を受け取った者を招待すると書かれている。

    〇 「女東下り図」(1805~10年 / 文化2~7年)

    『伊勢物語』第九段における「東下り」の一行を、女性たちの姿に置き換えた見立絵である。この刷り物の紙の下半分は、折り返して裏側にきていた部分で、文が添えられている。それには、浄瑠璃の演奏会が開催するの旨が認められていて、この刷り物を受け取った者を招待すると書かれている。

  • 〇 「為朝図」(1811年 / 文化8年)<br /><br />源為朝(1139~1170)は怪力の持ち主で、男島の島民たちが近づいて為朝の大弓を力づくで引こうとしても、涼しい顔をして扇をあおいで見せるほどである。

    〇 「為朝図」(1811年 / 文化8年)

    源為朝(1139~1170)は怪力の持ち主で、男島の島民たちが近づいて為朝の大弓を力づくで引こうとしても、涼しい顔をして扇をあおいで見せるほどである。

  • これは上記の作品の為朝の戦いの奮闘振りの部分を拡大したものである。

    これは上記の作品の為朝の戦いの奮闘振りの部分を拡大したものである。

  • 〇「『柳の絲』より「江戸春望」」(1797 / 寛成9年)<br /><br />次の2枚と共に「富士と大波」という連作がある(もちろんこれは北斎が命名したものではない)。<br /><br />江の島の向こうはるかに富士山を望むこの春景には、都会からの旅の一行が地元の子と思われる子供に道を尋ねる様子が描かれている。波打ち際でまさに砕けんとする波も北斎の関心を引いたようで、ここではより大降りに、力強く描かれている。この波は、37年後の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に結実する。

    〇「『柳の絲』より「江戸春望」」(1797 / 寛成9年)

    次の2枚と共に「富士と大波」という連作がある(もちろんこれは北斎が命名したものではない)。

    江の島の向こうはるかに富士山を望むこの春景には、都会からの旅の一行が地元の子と思われる子供に道を尋ねる様子が描かれている。波打ち際でまさに砕けんとする波も北斎の関心を引いたようで、ここではより大降りに、力強く描かれている。この波は、37年後の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に結実する。

  • 〇「千繪の海 総州利根川」(1833 / 天保4年)<br /><br />

    〇「千繪の海 総州利根川」(1833 / 天保4年)

  • 有名な「富嶽三十六景」のシリーズが全部というわけではないが、紹介されている。<br /><br />〇 「富嶽三十六景 駿州江尻」

    有名な「富嶽三十六景」のシリーズが全部というわけではないが、紹介されている。

    〇 「富嶽三十六景 駿州江尻」

  • 〇 「富嶽三十六景 凱風快晴」

    〇 「富嶽三十六景 凱風快晴」

  • 〇 「富嶽三十六景 山下白雨」

    〇 「富嶽三十六景 山下白雨」

  • 〇「富嶽三十六景 甲州三嶌越」

    〇「富嶽三十六景 甲州三嶌越」

  • 〇 「富嶽三十六景 尾州不二見原」

    〇 「富嶽三十六景 尾州不二見原」

  • 〇 「富嶽三十六景 御厨河岸より両国橋夕陽見」

    〇 「富嶽三十六景 御厨河岸より両国橋夕陽見」

  • 〇「富嶽三十六景 墨田の水車」<br /> 

    〇「富嶽三十六景 墨田の水車」
     

  • 〇「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」

    〇「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」

  • 〇「富嶽三十六景 東海道金谷の不二」

    〇「富嶽三十六景 東海道金谷の不二」

  • 〇「富嶽三十六景 諸人登山」

    〇「富嶽三十六景 諸人登山」

  • 〇「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

    〇「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

  • 〇 「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」

    〇 「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」

  • 〇 「『富嶽百景』二編」

    〇 「『富嶽百景』二編」

  • 〇 『富嶽百景』初編

    〇 『富嶽百景』初編

  • 〇 「嶋廻月弓張」

    〇 「嶋廻月弓張」

  • 〇 「諸國瀧まわり 木曽海道小野ノ瀑布」

    〇 「諸國瀧まわり 木曽海道小野ノ瀑布」

  • 〇 「諸國瀧めぐり 和州吉野義経馬洗瀧」

    〇 「諸國瀧めぐり 和州吉野義経馬洗瀧」

  • ○ 左:「諸國瀧廻 東都葵ヶ岡の滝」 右:「諸國瀧巡 美濃ノ国養老の滝」

    ○ 左:「諸國瀧廻 東都葵ヶ岡の滝」 右:「諸國瀧巡 美濃ノ国養老の滝」

  • 〇 「地方測量之図」

    〇 「地方測量之図」

  • ○ 左:「鵙(ママ)小薊」、右:「鶪 翠雀 蛇苺」

    ○ 左:「鵙(ママ)小薊」、右:「鶪 翠雀 蛇苺」

  • ○ 左:「子規 杜鵑花」、右:「黄鳥 長春」

    ○ 左:「子規 杜鵑花」、右:「黄鳥 長春」

  • ○ 左:「鵤 白粉花」、右:「翡翠 鳶尾艸 瞿麥」

    ○ 左:「鵤 白粉花」、右:「翡翠 鳶尾艸 瞿麥」

  • 〇 「苟(ママ) 薬  カナアリ」 

    〇 「苟(ママ) 薬 カナアリ」 

  •  ○ 「詩哥寫真鏡 少年行」

    ○ 「詩哥寫真鏡 少年行」

  • 〇 「詩哥寫真鏡 融大臣」

    〇 「詩哥寫真鏡 融大臣」

  • 〇  「詩哥寫真鏡 春道のつらさ」

    〇 「詩哥寫真鏡 春道のつらさ」

  • 〇 「詩哥寫真鏡 木賊苅」

    〇 「詩哥寫真鏡 木賊苅」

  • 〇 「詩哥寫真鏡 李伯」

    〇 「詩哥寫真鏡 李伯」

  • 〇 『日本の版画』(ロ-レンス・ビニヨン & オブライアン・セクストン共著)の表紙

    〇 『日本の版画』(ロ-レンス・ビニヨン & オブライアン・セクストン共著)の表紙

  • 〇 上:「百人一首乳母がゑとき 柿の本人麿」、下:「百人一首うばがゑとき 伊勢」

    〇 上:「百人一首乳母がゑとき 柿の本人麿」、下:「百人一首うばがゑとき 伊勢」

  • 〇 上:「百人一首うばがゑとき 源宗于朝臣」、下:「百人一首うばがえとき 坂ノ上是則」

    〇 上:「百人一首うばがゑとき 源宗于朝臣」、下:「百人一首うばがえとき 坂ノ上是則」

  • ○ 上:「百人一首姥がゑとき 菅家」、 下:「百人一首姥がゑとき 中村言兼輔」

    ○ 上:「百人一首姥がゑとき 菅家」、 下:「百人一首姥がゑとき 中村言兼輔」

  • ○ 上:「百人一首うばがゑとき 春道列樹」、下:「百人一首うばがゑ説 清原深養父」

    ○ 上:「百人一首うばがゑとき 春道列樹」、下:「百人一首うばがゑ説 清原深養父」

  • 〇 「百人一首うばがゑとき 三條院」

    〇 「百人一首うばがゑとき 三條院」

  • 〇 「歌占図」

    〇 「歌占図」

  • 〇 「百物語 こはだ小平二」

    〇 「百物語 こはだ小平二」

  • 〇 「百物語 笑ひはんにや」

    〇 「百物語 笑ひはんにや」

  • 〇 「女重宝記」

    〇 「女重宝記」

  • 〇 「『葛飾 北斎伝』より北斎像」(飯島半十郎)

    〇 「『葛飾 北斎伝』より北斎像」(飯島半十郎)

  • 〇 「日蓮大聖人註画讃」

    〇 「日蓮大聖人註画讃」

  • ○ 「那智の滝に文覚 春江斎潮月」<br />

    ○ 「那智の滝に文覚 春江斎潮月」

  • ○ 「十二支の動物」

    ○ 「十二支の動物」

  • 〇 「若衆図」

    〇 「若衆図」

  • 〇 「藤 鶺鴒」

    〇 「藤 鶺鴒」

  • ○ 「朝顔に鵜図」

    ○ 「朝顔に鵜図」

  • ○ 「弘法大師修法図」(西新井大師総持寺所蔵)

    ○ 「弘法大師修法図」(西新井大師総持寺所蔵)

  • ○ 「漁師図」

    ○ 「漁師図」

  • ○ 「河骨に鵜図」

    ○ 「河骨に鵜図」

  • ○  「流水に鴨図」<br />

    ○ 「流水に鴨図」

  • ○ 「肉筆画帖」(時計回りに、右上から「蛇と小鳥」、「ほととぎす」、「鮎」、「ゆきのしたと蛙」)

    ○ 「肉筆画帖」(時計回りに、右上から「蛇と小鳥」、「ほととぎす」、「鮎」、「ゆきのしたと蛙」)

  • 〇 下村観山作「倫敦夜景」(1903年 / 明治36)<br /><br />明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家・下村観山は、水彩画および西洋画の色彩研究を目的として、1903年から5年にかけてイギリスに留学した。その際に描いたのがこの作品と以下の2作品である。

    〇 下村観山作「倫敦夜景」(1903年 / 明治36)

    明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家・下村観山は、水彩画および西洋画の色彩研究を目的として、1903年から5年にかけてイギリスに留学した。その際に描いたのがこの作品と以下の2作品である。

  • 〇  下村観山作「倫敦夜色」(下図)(1903年 / 明治36)

    〇 下村観山作「倫敦夜色」(下図)(1903年 / 明治36)

  • 〇 ラファエロ作「椅子の聖母(模写)」(下村観山)

    〇 ラファエロ作「椅子の聖母(模写)」(下村観山)

  • ○ 「画本彩色通」

    ○ 「画本彩色通」

  • ○ 「鷹匠の鷹」

    ○ 「鷹匠の鷹」

  • ○ 「塩鮭と白鼠」

    ○ 「塩鮭と白鼠」

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