2009/12/25 - 2010/01/01
7514位(同エリア20493件中)
まさとしさん
2010年の正月はベトナムで迎えることにしました。学生時代の友人がベトナムのハノイに駐在しているので一度訪問したいと思っていた。季節的にもタイミング的にも今しか行くときはないと思い実行に移す事にしました。
12/24 成田(1835)~UA881~バンコク(2345) バンコク
12/25 バンコク(850)~TG550~ホーチミン(1020)▼ホーチミン観光 ホーチミン▼Hotel Van Trang
12/26 ホーチミン(メコンデルタツアー730発) ▼ホーチミン(2300)~ 車中泊▼ソフトシート
12/27 ~ダナン(午後)~ホイアン▼ホイアン▼MINH QUANG HOTEL
12/28 ホイアン(1330)~フエ▼フエ▼BINH DUONG1 HOTEL
12/29 フエ(DMZツアー)▼フエ▼BINH DUONG1 HOTEL
12/30 フエ(王宮観光)▼フエ(1930)~VN246~ハノイ(2040)ハノイ▼HILTON OPERA
12/31 ハノイ▼ハノイ▼HILTON OPERA
1/1 ▼ハノイ(2025)~TG565~バンコク(2215) バンコク▼ホテルデイビス
1/2 バンコク(635)~UA882~成田(1415)
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ベトナムは14年ぶりで当時の記憶は薄れつつあるので初めての国に行くような気分でした。
バンコク経由で向かいます。 -
10時過ぎにホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着した。国際線ビルはまだ新しいターミナルでベトナムの発展を象徴するモダンな造りだ。前回はホーチミンの空港を利用せず陸路で通り抜けた。96年3月の話だがあれから約14年の月日が流れた。この空港を見てこの国も変わったのではと期待がふくらむ。
空港からはバスで市内へ向かった。値段は3000ドン(15円)。荷物代も取られた(15円)がずいぶん安く中心部へ出られた。
道路は相変わらずバイクばかりだが、多少乗用車の数も増えたように思う。また信号も所々で見られるようになった。バスで30分もしないうちにかつての安宿街「ファングラオ通り」に入った。この通りはバンコクのカオサンなどとともに東南アジア有数の安宿街として有名だった。それが今ではすこし寂れ、現在ホーチミンの旅行者の拠点はファングラオ通りも南に隣接するブイビエン通りとデタム通りに集中している。
この界隈はゲストハウスや旅行会社、カフェがひしめいている。また旅行者をねらうバイクタクシーがうっとおしく、宿探しに支障をきたす。バイクタクシーの運転手に宿を探しているのがばれるとああだこうだやかましい。 -
ホーチミンで宿泊することにしたのはブイビエン通りに面したこの宿。
部屋は見晴らしのいいエアコン付きの部屋で16ドルだ。
ホーチミンの宿は極端な安宿は少なくこの価格帯で比較的設備のしっかりしている宿が主流だ。
ホテルに入って息つく暇もなく次の目的地がダナンだと知るとホテルのおやじは列車のチケットを買わないか聞いてきた。相場がわからないしベトナム人をあまり信用できないので少し様子を見ることにした。
旅行代理店に何件かあたり列車のチケットを買えるか聞いてみたが、買えた場合どこも今泊まっている宿で買うより値段が高い。バイクタクシーでサイゴン駅まで往復(片道1ドル)してでも切符を買いに行く価値はありそうだ。
サイゴン駅へ利用したバイクタクシーは交渉成立したのに目的地を聞き間違えたふりをして別の場所に連れて行かれた。どこかの博物館につれてこられた。わざとらしく聞き間違えたとか言っているが、ベトナム人の本性を早速見せつけられた。
冷静に対応し改めて駅に向かった。しかし案の定、駅に到着してから倍の値をふっかけてきた。最初それなりの値段を言っていたくせにわざとらしい。とはいえこちらも駅までかなり安い値段を掲示して無理を言っていたので互いの中間ので言い値の1.5倍である15000ドン(75円)で話がまとまった。1ドルが相場だからそんなに悪くはないのだが。 -
そんなわけでサイゴン駅にやってきた。
駅では窓口で1時間待たされたが代理店の半額で切符を購入できた。とはいてソフトシートだ。ベトナムの座席車両は初めてになる。旅行代理店では40ドルとか45ドルとか提示されるので飛行機と変わらないではないかと思っていたが、実際はダナンまでわずか2170円だった。ただ寝台ではなく座席車両になってしまった。
駅でとれないなら旅行代理店でも取れないだろう。外国人料金が廃止された以上席が平等に分配され特別枠はないのだからしかたない。エアコンがあるだけミャンマーの車両より快適だと願いたい。 -
駅からの帰り、再びバイクを値切って大教会へ行ってもらった。1000ドン(50円)。
ホーチミンの道路はどこもバイクの洪水だ。 -
やってきたのはサイゴン大教会。
別名聖母マリア教会だ。 -
サイゴンではジュースの自動販売機をよく目にする。値段は一缶5000ドンだ(25円)。
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大教会の横には中央郵便局がある。
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内部にはホーチミンの肖像画が掲げられていた。いろいろな切手や土産物が売られていて観光客でにぎわっていた。
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そのまま目抜き通りのドンコイ通りへ出た。ホーチミンも他のアジア諸国同様高層建築が増えてきた。
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ドンコイ通りにはヴィトンやグッチなどブランドの店が軒を連ね、ずいぶん雰囲気が変わってしまった。
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町並みは様変わりしたが相変わらず信号が少ないので道路を渡るのが大変だ。ロータリーなど横断するのは至難の業だ。
しばらくすれば慣れるのだろうがベトナムの交通事情はまだまだ厳しいものがある。 -
夕食はオムライス。
夕方キムカフェの旅行代理店へ明日のミトーのツアーを申し込んだ。メコンデルタ日帰りツアーだ。明日ダナンへの出発は夜なのでそれまで時間を有効に使える。メコンデルタはベトナムの定番でホーチミンを訪れた外国人旅行者はほとんどが参加している。一度は行くべきだと思っていた。
宿はパソコン使い放題なのでありがたい。自分のパソコンを接続させることも可能だ。 -
ホーチミン到着翌日。
今日の夜行列車でダナンへ出発するのだが、夜11時発なので今日丸1日自由に使える。
そこでメコンデルタのツアーがあり、今日はそれに行くことにした。ホーチミンに来た外国人はほとんどが参加しているツアーだ。今まで参加したことがなかったのでちょうどいい時間つぶしになる。
キムカフェがやっている老舗の旅行代理店で昨日申し込み、1日ツアーで9ドル。これにはボート代や昼食代も含まれているので参加している間お金を使うことはない。とりあえず集合場所の代理店に7時半に向かったらすでに停まっているバスに案内された。 -
ミトーまでは2時間。メコンを臨むミトーはメコンデルタの観光の拠点だ。ここから船に乗り換える。
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メコン川にはベトナム最長の橋が架かっている。
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ツアーのガイドが終日同行する。ガイドはカンボジア系ペトナム人のホン。
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船で中州に連れて行かれ、そこには蜂蜜の工場があり紅茶を飲むことになった。
そこでコブラが入った酒の説明を受ける。 -
その後別の場所ではフルーツがもてなされた。
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ここで民族ダンスが披露されたりそれなりにイベントが用意されている。
写真をあまり撮る気がなかったので画質は悪いですが。 -
ココナッツのキャンディーの製造工場。ココナッツからミルクを搾り取る実演を見せてもらえた。
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工場を見学したあとツアーのメインである小舟でのクルーズとなった。
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5人ずつのグループに分かれ、細い水路をのんびり手こぎボートで進む。
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世界各地で目にする典型的なバックウォーターツアーだ。インドやミャンマーを思い出す。あまり新鮮みはなく、ここではジャングルで水路沿いに庶民の生活があるわけでもない。
でものんびりした雰囲気には変わりなく気分がいい。 -
ボートに同乗したベトナム人観光客の女性。
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仲良くなったイタリア人旅行者。
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ここで昼食を食べることになる。
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昼食はオプションで「揚げた川魚」を頼んでみた。16000ドン(800円)だった。
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この魚肉を生春巻きにしてもらった。
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魚自体は旨くなく、春巻きにしてもらう実演代だったようだ。
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こんな感じだ。
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食後はハンモックで昼寝をして時間は過ぎていった。
午後3時、帰路についた。あわただしく動くこともなく、安くのんびり出来るツアーなのでこのツアーの根強い人気の秘密がわかったような気がする。またホーチミンに来たときは参加してもいいだろう。 -
帰り道渋滞に巻き込まれたが予定より10分ほど遅れてホーチミンには夕方6時過ぎに到着した。一度ホテルに戻った後、近くのフォーの店に行ってみた。値段は20000ドン(100円)
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ベトナムの食事は手頃な値段で食べられる。
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ホーチミンの安宿街は歓楽街の様相だ。
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駅へは夜9時にメータータクシーで向かった。
ホテルのおやじに駅までタクシーはいくらか聞いたら5ドルらしいがメーターだといくらか聞いたらわからないと言う。普通親切な宿なら旅行者のためにタクシーの適正価格をアドバイスしてくれるのが普通だろ。ベトナムではそういう配慮が見られない。どうしても金に汚い民族だと思わずにはいられない。結局メータータクシーで行ったら42000ドン(210円)だった。
駅には2時間前にこれから過酷な鉄道移動だ。30分前に列車に乗り込んだ。 -
ベトナムの列車の切符はコンピューター発券に変わっていたが、中国と同じ切符だ。
車内は空調がある分ミャンマーに比べれば快適で席は小さいがリクライニングも十分倒れる。足も伸ばせるので案外快適だ。列車は定刻通りに出発。ほとんど停車することなく走り続けた。 -
翌日、早朝に到着したニャチャンで同じ車両のほとんどの乗客が下車していった。
満員だった座席が一気に半分くらい空席になってしまった。窮屈さから解放されたのはいいことだ。 -
? 朝日がまぶしい。
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朝食は車内販売が来るのでそれを購入した
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ゆったりしたソフトシート。
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午前9時頃ぐらいにクイニョンへの拠点になるジエウチ駅に到着した。
十数分停車するのでホームにおり、外の空気を吸ってみた。機関車の付け替え作業が行われている。 -
売店で弁当も購入。チキンライス。
ここからまた乗客が増えたが満席ということはない。 -
ダナンには30分遅れの14時半に到着した。
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ダナンの駅舎。
ダナンはベトナム中部最大の都市でサイゴン、ハノイに次ぐ商業の中心だ。しかしダナン自体観光する場所は乏しく、この街を訪れる旅行者は限られている。僕自身も今回時間に余裕はないのでこのままホイアンへ行くことになる。ホイアンへのバスが出る大聖堂前にバイクタクシーで向かった。 -
ダナンで唯一の観光はこの大聖堂の見学ぐらいだろう。
大聖堂の前でバスを待っていたら黄色いバスがすぐにやってきた。しかし値段を聞いたら50000ドンとか言う。相場が7000ドンのはずだが7倍とは困ったものだ。
すでに乗車していた欧米人にいくら払ったか聞いたらこの値段を払ってしまったらしい。面倒なのでしかたなく従うしかない。しかしWTO加盟国で収入の違う外国人とはいえこれだけあからさまに外国人差別される国はベトナムだけだろう。困ったものだ。
このぼったくりバス、後々買った距離が長いホイアンからフエのバス代より高いのは納得いかない。 -
1時間半ほどででホイアンに到着した。
ベトナムにもインドのTATAバスが走っているのには少し驚いた。 -
ホイアンはベトナム中部ではフエとならぶ観光名所だ。ホイアンでは8ドルの宿を確保。町並み保存地区から離れているが街自体小さくほとんどが徒歩圏内なので問題はない。シャワーを浴び街へ出た。
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ホイアンは中国文化が色濃いベトナム有数の観光地だ。ただこのように町並みが保存された観光の街は一通り見ればそれでいいということが多い。
ホイアンもそんな感じだ。ツーリストが現地人より多い町は落ち着かず歩いていると疲れるのであまり好きではない。ホイアンに来た意味は世界遺産に登録された街に来たという実績作り以外の何ものでもない。 -
ホイアンに到着したのは夕方で川沿いの保存地区に出た。
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しかし今日はホイアンに到着したのが遅かったのですぐに日が暮れてしまった。
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でも夕暮れのエキゾチックな町並みの雰囲気は悪くない。日が暮れてしまったので明日改めて街を観光してみよう。
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夕食はホイアン名物のホワイトローズを食べに行った。生春巻きなどに使われる米粉でできた皮にエビのすり身を詰めて蒸したものだ。なかなかの絶品だ。
今夜滞在しているホイアンの宿もインターネットは自由に使える。スピードも速くベトナムのネット事情はなかなかすばらしい。 -
翌日、午後のバスでフエへ移動することになる。13時半出発なので午前中はホイアン観光に精を出すことが出来る。今日は雲が多く、日差しがなくしのぎやすい。湿度も高くなってきた。もうここは北部の気候なのだろうか。
僕は早朝を好む傾向がある。旅行をしているとき、中でも有名な観光地を散策するのは午前中がいいと思っている。ツーリストたちはまだ寝ているのだろうが、店先を掃除をする人や閑散とした殺風景な町並み。誰もいないオープンカフェ。終日観光客であふれる街も早朝のひとときだけ現地の生活臭を感じることが出来る。そんな中、川沿いの誰もいないレストランで朝食を済ませることにした。 -
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ホイアンで最大の名所だと思われる日本橋。来遠橋。1593年にホイアンに住む日本人に夜;つてかけられたとされているためこのように呼ばれている。
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9時前になると交通量が増え、街がだんだん騒がしくなってきた。今日は月曜日。旅行に出ていると曜日感覚がなくなってしまうが、週の初めは気が引き締まるのは日本にいるときと同じだ。ホイアンの観光名所は古い家屋や集会場見学だが、チケットを買ってまで中に入る気にはなれず、建物の前から中を眺めるだけにした。
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中華会館
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福建会館
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潮州会館の前を天秤を担ぐ女性が通り過ぎる。
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ホイアンを出発する前、宿の近くで昼食をとることにした。「コム・ガ」。ベトナム風のチキンライスだ。
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シンカフェからフエへのバスに乗り込んだ。ベトナム縦断の幹線道路を北へ走る。
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ダナンへ経て途中難所であるハイヴァン峠にさしかかった。2005年に峠を貫通するトンネルが完成し、所要時間が大幅に短縮された。トンネルへ続くハイウェイの料金を通過。
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このトンネルは6300メートルある。最先端の設備を備えた東南アジア最長トンネルだ。
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トンネルを越えると天候は一変してしまった。かろうじて見えていた太陽もみんな雲に隠れてしまった。
峠を越えた後もしばらく山間の道路を走りながら北を目指した。 -
夕方4時半。フエに入った。フエは霧雨の肌寒い天候だ。もうベトナムで太陽を見ることはないかもしれない。このままハノイに行ってもこのような天候だろう。
バスを降りると顔を出そうと思っていた宿の客引きが現れたのでついて行くことにした。向かった宿はビンジュオンホテル。系列の宿が周辺に何軒かある。このホテルの受付には日本語のうまいオーナーがいて驚いた。フエ滞在中、なにかと手配してもらうことも多いのでいろいろアドバイスをもらって快適な滞在が出来そうだ。 -
比較的安い1泊15ドルの宿に案内された。設備は完璧で部屋にはパソコンまで付いている。ベトナムのネット事情には改めて驚かされる。
それにしてもこのご時世でスタッフの大半がこれだけ日本語をしゃべってくれる宿には頭が下がる。日本人旅行者が今後それなりにやってくるのか期待できない事を考えると心配になってくる。どこまで日本人旅行者が減り続けるのか。日本人が多いとうんざりした時もあるが、これだけ少ないと逆に寂しくなってしまう。
フエはベトナム最大の観光地でカンボジアで言えばシェムリアプみたいな場所だ。宿のスタッフは都市部に比べて客を大切に持てなそうという雰囲気が感じられ居心地は良さそうだ。 -
フエはベトナムでも独自の郷土料理が多く、今夜はブン・ボー・フエを食べに行くことにした。ベトナム各地で食べることができるフォートと同じだが、豚肉やエビのスリムなどボリュームがあり食べ応えがある。
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デザートはバイン・ガイという蓮の葉に巻かれた餅。
フエ到着の翌日。今回のベトナム旅行縦断の仮定で最大の関心事となるDMZ(非武装地帯)ツアーへ行くことになる。
フエに来た最大の理由は王宮見学ではなくDMZ(非武装地帯)へ行くことだった。旧南北ベトナムの境界線。我が国に隣接する国家にも現役バリバリのDMZが存在するが、こちらのDMZは35年前のベトナム戦争終結とともにすでに歴史の遺物と化している。今日はこの旧DMZ周辺の戦跡巡りに行くことになる。
出発は朝6時15分。夜まで丸一日ツアーに参加することになる。これで10ドルなので安い。ベトナムでいつも思うのは個人で行動すると恐ろしく高くなるがツアーに参加すると信じられないくらい安くなる。結果として庶民の中になかなか入り込めない。ベトナムという国を理解するのが難しいという結論に達してしまう。 -
出発を待っていたら肉まん売りのおじさんがやってきた。朝食はツアー代金に含まれているが、食べるのは先になるので少し腹を満たすことにした。1個10000ドン。50円。少しぼられていそうだ。
ツアーバスの運転手が迎えに来た。キムカフェ主催のツアーらしい。乗客はツアー客だけではなくサバナケットへ行く客も途中まで乗せるので超満員だ。
フエから北へ2時間走りドンハに到着。ここで朝食を取った。メニューは焼きめしやフォーなどで無料なのでそれなりだ。しかも寒いのに屋外での食事となった。
朝食をとったホテルに併設されている旅行代理店のガイドがここから同乗してきた。いざ出発。 -
しばらく走り記念碑で停車。DMZツアーのバスト女性ガイド。
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ガイドの話を聞きながら北へさらに走り旧国境のベンハイ川に架かるヒエンルオン橋を通過した。
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? 僕自身ベトナムでもっとも興味も関心のある場所だったがバスから降りることは出来ず、車窓からの見学となってしまった。国境の橋は当時のまま残っている。ゆっくり見学できなかったのは残念だ。
北岸のゲート。 -
北から川の対岸の旧南ベトナムを眺める。
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幹線道路をはずれ海岸沿いへ向かった。天気が悪いが白い砂浜が広がる景勝地だ。この海岸線にベトナム戦争当時、上陸してくるアメリカ軍に対抗するためトンネルが掘られた。
ゲリラ戦や地下活動のために作られたヴィンモックトンネルがそれだ。
トンネルの図解。 -
ここからトンネルに入る。
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ここに似た場所がクチでホーチミンの近くにあるが、あちらのトンネルはひざまずきながら体中砂だらけになり、はうように先へ進んだが、こちらのトンネルはかなり広々としている。またトンネルはあまり奥行きがなく、あっという間に見学は終わってしまった。クチの方が会議室や住居など大げさに再現されていたので数倍おもしろかったがあちらは閉所恐怖症の人間にはつらいものがある。
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トンネルを出ると海岸線が広がっていた。ここからアメリカ軍が上陸してきたのだろうか。
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再びトンネルへ。
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ヴィンモック・トンネルの次はラオスへ続くハイウェイを走る事になりました。
ホーチミンルートの要所であるダクロン橋。今では立派な橋が架けられている。 -
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ホーチミンルートである事を表す碑。
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ラオスへのハイウェイとホーチミンルートが交差する。
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橋の上で遊んでいた子供。
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そのままラオス・サザンハイウェイを西へ向かった。今では立派な道路が通っているが、道の脇にはかつての旧道を目にする事ができる。
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ケサンに到着する前に料金所を通過した。この先にはアメリカ軍のケサン基地がある。
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ベトナム戦争当時ケサンの街にはアメリカ軍の基地が置かれていた。その跡地が今博物館になっている。
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といってもアメリカ軍の軍用機が野ざらしに展示されているだけで簡素な博物館だ。
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戦車の残骸。
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こちらは不発弾や薬莢の残骸。もちろん信管は抜かれているので爆発する事はない。
ケサン基地を見学した後ドンハを経てフエへ戻った。
フエに戻ったのはちょうど6時。ハードスケジュールだがほとんどバスに乗っていたので疲れはない。
夕食はヤギの鍋の店に行ってみた。地球の歩き方に載っていたので店には日本人がいっぱいだ。さすがに年末年始ということで急に日本人が増えだした。 -
短期間の旅行だと、スケジュールが詰まってゆっくり出来ない。今回も日本を出てから毎日忙しく動き回っていたのでゆっくり出来なかったが今日はゆっくり出来そうだ。
夜の飛行機の出発まで特に予定はないので午前中はゆっくりして午後から自転車を借りてフエの王宮周辺でもサイクリングすることにした。
ホテルのある新市街からはチャンティエン橋を渡って対岸の王宮に向かう。フエの観光地はすべて川の対岸に集まっている。 -
とはいえ王宮自体に興味はないので周辺を自転車で一周して終わりだ。
写真は王宮門。 -
観光客が多いところは疲れるだけなので興味がない。そこでフエから西の方へ7キロほど行った村に屋根のある橋があるらしい。そこへ行くことにした。
フエの行政区域を離れる。 -
平らな道なのでたいして疲れないだろう。田園風景のあぜ道をのんびりサイクリング。キロポストがあるので自分の位置がわかりやすい。
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橋のある村に到着し、地元民向けの食堂があったのでコーヒーを飲むことにした。そこにいたおじさん。昼間からビールで乾杯する事になった。
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? その先に橋はあり、周辺は出店が出ているが素朴な雰囲気だ。一組の欧米人がいたがすぐに帰っていった。彼女らはバイクタクシーで来たようだ。
橋の名前はゴイ・タントアン橋。古いが修復されきれいに保存されている。何でこんな田圃の真ん中にこんな橋があるのか不思議な感じだ。村人の信仰の対象なのだろうか。
個人的に屋根のある橋には惹かれるものがある。その原点は映画で見たマディソン郡の橋だ。その影響でホイアンでも屋根のある日本橋に惹かれ、今日も自転車ではるばるここまでやってきた。 -
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再び自転車をこいでフエへと戻った。
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夕方5時に空港へのタクシーで出発することになっている。それまで時間があるので最後にプルプル系のフエ料理の有名店に行ってみることにした。米粉生地とエビを使った料理でどれも味は同じだ。値段の安さから全品注文し結構な量になってしまった。
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途中タイ資本の「BIG-C」を発見した。ベトナムにもこのような大型ショッピングセンターが開業し、この国も変わったなと実感させられる。
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ベトナムでは国内線には乗らず、ずっと陸路での移動を考えていたが、日程上の都合で一日短縮するには空路移動せざるを得なくなった。
今夜ハノイでGさんに合流する事になっている。このままハノイ空港で合流し、一緒にタクシーでハノイ市内へ向かう事になる。
ベトナム航空のフエからハノイまでは所要1時間40分。日本人団体客が多く日本語が機内のあちこちで聞かれる。いるところにはいるものだ。 -
20時40分定刻通りハノイ・ノイバイ空港に到着した。14年ぶりだがボーディングブリッジも備えられた近代的な空港に生まれ変わっていた。
とりあえずGさんを待つことに。Gさんの広州からの便は定刻の10分遅れで到着。スムーズに合流し一緒にタクシーで予約してあるヒルトン・オペラへ向かった。市内まではタクシーで16ドルと高めだ。
ホテルに着いたら23時を回っていて周辺の店は全滅。ベトナム自体夜が早いのでしかたない。ホテルの周辺を歩いていたらトウモロコシと蒸かし芋の売り子が現れ、彼女から購入。何とか腹は満たされた。 -
大晦日。
ハノイで迎えた朝。小雨交じりのすっきりしない天気だ。とりあえずホテルの外へ出た。
右が宿泊しているヒルトン・オペラで左がホテルの名前の由来にもなっている市劇場だ。 -
ハノイ大教会周辺を散策した。ホーチミンに比べ歴史のある町並みは歩いていて楽しい。フランス植民地時代の名残かオープンカフェも素朴な感じで雰囲気もよい。
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大教会の礼拝堂。
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ホァンキェム湖の北側にある中華街らしき場所をうろついた。
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? 旧市街の入り口にある東河門。
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今回ハノイでもっとも来てみたかった場所であるロンビエン橋に向かった。フランス植民地時代に建造されたもので100年の歴史がある橋だ。
橋の手前にはロンビエン駅があり、ここからも各地に列車が出ているようでにぎわっていた。 -
これがロンビエン橋。
この橋はパリのエッフェル塔を設計したエッフェルによるものらしいが真相は不明だ。鉄骨のつくりがどことなくエッフェル塔に似ている気がしないでもない。
しかし老朽化が進み取り壊しが近いとのことだ。修復するより立て替えた方がコストパフォーマンスがいいのだろうが、なくなるのは寂しいものだ。 -
中州からの眺め。
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結局橋を歩いて渡ることに。
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橋を渡りきった。また歩いて戻る気にはなれず、対岸からタクシーでハノイ市劇場の方へ戻った。
橋は鉄道と二輪車線用だ。乗用車はこの道を通る事はできない。タクシーは別の橋を渡る事になる。 -
昼食は14年前にも行った日本食「さくら」。前回はリーズナブルな雰囲気で気軽に入れたが、あれから14年。この店も老舗になり、テーブルはパーテーションに仕切られ高級店になっていた。でも昼食が1000円しないくらいでボリュームもあり満足度は高い。
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夕方6時に学生時代の友人Tとホテルのラウンジで待ち合わせしている。今回ベトナムに来るきっかけは友人のTがハノイに駐在していたからだ。
6時過ぎラウンジで待っていたらTが現れた。同じ会社の女性スタッフであるKさんも同伴だ。東京で会っているので約2年ぶりの再会となる。さっそく予約してもらっているレストランへむかった。結構雰囲気の良い高級なベトナム料理店で今回の旅行でもっとも洗練された食事となった。 -
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Tの会社の話や近況の話などして3時間ほど優雅な時間を過ごし、Tとはお別れだ。
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デザート。
女性スタッフのKさんとは引き続き年越しイベントにつきあってもらう事になり、人集りの中へ繰り出す事になった。はたしてハノイのカウントダウンとはいかに。 -
いったんホテルに戻りGさんを誘って三人でホァンキェム湖畔へ出た。
写真はハノイ・ヒルトン・オペラ。 -
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夜の市劇場。夜になり、この界隈も一層、人が増えた印象だ。
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カウントダウンまでしばらく時間があるので外国人向けのバールで少し飲むことにした。B52というカクテルを注文してみた。
どんなのが出てくるのかと思ったらこんな感じだ度数が強いので火がつく。 -
その後カウントダウンのイベントが行われると思われる会場へ。ホァンキエム湖周辺は交通規制までされてすごい人集り。
しかし時計はいつの間にか0時を越えている。年が明けても何も起こらなかった。人集りは徐々に退散。花火の一つも上がらない。いったいこの人だかりは何だったのだろう。湖畔で年を越すだけで満足ということか。 -
2010年あけましておめでとうございます。
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(2010年元旦)
新年の朝、今日も朝からすっきりしない天気だ。ハノイは冬の間ほぼすべての日がこのような天候で太陽を見る事はほとんどないようだ。
12時に昨夜カウントダウンにつきあってもらったKさんとホテルで待ち合わせをしているのでチェックアウトをすませ、ホテルのロビーで待つことにした。時間ちょうどにKさんがやってきた。
まず有名なベトナム料理店に案内してもらった。外国人向けで清潔な割に値段は安い。そこで屋台風のバライティー豊かな食事。 -
デザートの「チェ」を盛る店員。
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食後、ホァンキエム湖畔に出た。湖畔は人でごった返している。観光客でごった返しているがみんなベトナム人なのか?北部に来ると中国人との違いがわからない。
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ホァンキエム湖畔にて。
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ハノイ中心部はバイクで大渋滞だ。ここまでバイクの密度の濃い道路は見た事ない。
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少し早いが15時にホテルへ戻り、Kさんにはホテルまで見送ってもらい、友人Gさんと一緒に空港へ向かうことにした。Gさんは中国・昆明に向かう。僕はバンコク経由で帰国だ。
ハノイ市内は結構車が多く、渋滞に巻き込まれた。町の中心部を抜けると高速道路が整備されているので空港まではスムーズだ。それでも空港まで1時間近くかかった。 -
空港でかなり待つことになった。タイ国際航空のチェックインは2時間半前から始まり、速やかに手続きを済ませてラウンジへ向かった。ハノイの空港ラウンジは各航空会社の共同運営だが、フォー、生春巻き、チャーハンなどベトナムの基本的な料理が充実していた。ここで満足してしまいタイ航空の機内食は必要なさそうだ。
バンコクへはA300-600。大型機だがかなり旧式だ。年季の入った大型機に乗るのは久しぶりだ。エンジンがかかると焦げ臭いにおいがしてくる。何とも懐かしい臭いだ。僕が20年前初めて飛行機に乗ったとき、いつもこの臭いがしたものだが。
バンコクまでは1時間40分。22時過ぎにバンコク・スワンナプーム国際空港に到着した。ターミナルビルには横付けされず、結構離れた場所からランプバスでターミナルへ移動することになる。そのおかげか荷物はすぐに出てきた。
人でごった返す到着ロビーの人混みをすり抜け、到着ロビーへ出た。
帰国の日。(1月2日)
ユナイテッド航空の出発は6時35分。帰りもユナイテッドビジネス。バンコクから東京へは朝食が出るが期待はできない。焼きそばみたいな究極にまずいものが出てきたのでほとんど口にせず寝ることにした。睡眠不足時のフラットシートはありがたい。東京まで6時間かからないが、あっという間だ。
東京には午後2時に到着。
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