2022/02/07 - 2022/02/07
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tsunetaさん
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2月7日、午後2時10分過ぎに唐津神社を後にして唐津城の方へ行きました。
唐津城までの間に,西ノ門館、旧大島邸、埋門の館、唐津近代教育揺籃の地,耐恒寮を見て回りました。
*写真は唐津城
- 旅行の満足度
- 4.0
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旧唐津藩藩校中門‥・・市指定重要文化財
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唐津市重要文化財・・旧唐津藩校中門
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旧唐津藩校中門
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旧唐津藩校中門
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唐津市地図・・西ノ門館前に掲示されていました。西ノ門館には今回は立ち寄りませんでした。
西ノ門館には江戸時代の唐津焼をはじめとする出土文化財が展示されている。 -
通りの側には旧大島邸があります。
旧大島邸は、唐津の近代化に尽力した、大島小太郎(おおしまこたろう)の旧宅です。説明文によると
大島小太郎(1859年~1947年)は、唐津藩士、大島興義(おきよし)の長男として唐津城内に生まれました。
明治18年には佐賀銀行の前身となる唐津銀行を創立。その後も鉄道や道路の敷設、市街地の電化、唐津港の整備など、唐津の近代化に大きく貢献しました。 -
直ぐ近くに埋門ノ館がありました。
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旧唐津藩時代の名称を付した埋門ノ館は茶道、華道、舞踊,能など市民の文化及び社会教育活動の場として利用されている施設。
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二の門堀
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唐津近代教育揺籃の地
唐津藩の英語学校「耐恒寮」跡地にある早稲田佐賀中学・高校(唐津市東城内)正門そばに記念碑「唐津近代教育揺籃(ようらん)の地」が建てられています。 -
耐恒寮の説明・・・宮島醤油の資料による
(6)耐恒寮の生徒たち
耐恒寮には50人ほどの生徒が集まった。高橋は、英語で英語を教えた。生徒にも教室では日本語を使わせず、英語だけを使って生徒とやりとりをした。しかし当時の唐津に外国人はいなかったから、生徒たちは、高橋の教える英語がほんとに役に立つのかどうか不安だ。そこで唐津港に外国船が石炭を積みに来た機会に、船員たちと会話をしに出かける。耐恒寮で学んだ英語が外国人にちゃんと通じることを知って、彼らはおおいに喜び、高橋への信頼も確かなものとなる。
このクラスには、天野為之(後の経済学者・早大学長)、辰野金吾(建築家・東大教授)、曽禰達蔵(建築家・三菱顧問)、掛下重次郎(法曹・大審院判事)、吉原政道(炭鉱家)、大島小太郎(銀行家)、渡辺栄次郎(化学者)、麻生政包(鉱山技師)などがいた。彼らの多くは高橋と同世代であり、高橋と共に遊び、飲み、学んだ。小さな唐津藩の英学寮の、しかも初年度の生徒から、これだけの人材が輩出したのは真に驚くべきことである。
耐恒寮は女子にも門戸を開いた。曽禰達蔵の妹よう子など、数名の女子が入学した。高橋は彼女らの将来性に期待し、将来の女子教育の基礎を築くため、女性教師として育てようとする。この時代の常識を超えた先見性である。 -
耐恒寮があったところ・・唐津城内、遠くに天守閣が見られます。
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現在は早稲田大学系属早稲田佐賀中学校、早稲田佐賀高等学校があります。
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唐津城内に建てられている早稲田大学系属佐賀中学校、早稲田佐賀高等学校
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唐津城周辺の地図
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唐津城の説明
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舞鶴公園案内図
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