2020/03/27 - 2020/04/02
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nasunoさん
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今回、最後の区切り打ちも家内が同行です。
今回も家内は途中まで同行し、途中から電車+バスで移動し宿で合流しました。2015年3月22日に歩き遍路を始めてから、約5年がかりで無事に結願を迎えました。
長いようでもあり、あっという間に迎えた結願です。
・3月27日(金) 自宅~東京駅~岡山駅~多度津駅~善通寺【宿坊:御影堂】
・3月28日(土) 76番金倉寺~80番国分寺 【えびすや旅館】
・3月29日(日) 81番白峰寺~83番一宮寺 【天然温泉きらら】
・3月30日(月) 84番屋島寺~86番志度寺 【いしや旅館】
・3月31日(火) 87番長尾寺~88番大窪寺 【民宿八十窪】
・4月 1日(水) 1番霊山寺へ 【旅館大鳥居苑】
・4月 2日(木) 坂東駅~徳島空港~羽田~東京駅~自宅
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この年1月からコロナ禍が始まったのですが、昨年(2019年)は歩けなかったので思い切っていく事にしました。(一斉休校、アベノマスクと)
毎回作成している行程表(案)です。海外旅行の時も同様に作成しており、家内に渡すと添乗員代も込めて10万円が貰えます。
私の海外旅行の旅行の小遣いはこれで足りています(笑)。 -
3月28日 最後の区切り打ちに出発です。
これまでの区切り打ちは全て飛行機でしたが、今回初めて新幹線を利用します。
のぞみ号の車内(指定席)もコロナ禍で数人しか乗っていません。(逆に安心です) -
瀬戸大橋を渡ります。
-
前回の区切り打ちで御朱印を忘れた(>_<)70番札所本山寺を再訪です。13時40分
-
75番札所 善通寺に到着です。15時40分
詠歌:われ住まば、よもきえはてじ、善通寺
深きちかいの、法(のり)のともしび -
75番札所 善通寺
紀州高野山の金剛峰寺、京都の東寺と並ぶ大師の3大霊跡です。
大師は宝亀5年(774年)御影堂の奥殿で誕生されました。
誕生院には産湯の井戸、御影の池があります。(残念ながら見逃しました。) -
75番札所 善通寺
-
この日の宿は善通寺の宿坊「御影堂」です。
前回の区切り打ちでは満室で予約出来なかったので、出発前に予約をしました。 -
宿坊「御影堂」
-
夕食です。
やはりコロナ禍で私達の他には7~8人でした。
宿泊費:16,000円(酒代含?) -
3月28日(2日目)善通寺
朝は本堂でお勤めがあり二人で参加しました。(開始時間は覚えて無く?)
お勤めの最後は階段を降りて真っ暗い中を手探りで歩きました。(戒壇巡り)
境内の通路の上には大師の一生が描かれています。
この日は宿坊を7時50分に出立です。 -
75番札所 善通寺正門を振り返って。 8時
-
76番札所 金倉寺に到着です。8時55分
宝亀5年(774年)に長者和気道善が開基し(道善寺)、後に大師が伽藍を造営し薬師如来を本尊として安置した。
詠歌:誠にも、神仏僧を、ひらくれば
真言加持の、ふしぎなりけり -
76番札所 金倉寺
確か横浜から車で来たという方です。 -
金倉寺のぐち聞きわらべ。
-
「乃木将軍妻返しの松」(二代目)
明治31年(1898)10月3日、乃木将軍は善通寺第十一師団長に補任されました。第十一師団はこの年に新設された師団であり、乃木将軍はその初代師団長として善通寺の地に赴任することになり、宿舎として金倉寺を選ばれました。
明治31年の大晦日のこと、東京から静子夫人が面会に訪れたが、乃木将軍は会わずに追い返してしまう。途方にくれた静子夫人は、金堂脇にあった小さな松の下でしばらく佇んでいたが、やがて夫の意を汲み帰っていった。この話は明治の軍人の気骨をしのばせる逸話となり、やがて夫人が佇んだ松は「乃木将軍妻返しの松」と呼ばれるようになった。 -
77番札所 道隆寺着 10時30分
詠歌:ねがいをば、仏道隆に、入りはてて
菩提の月を、見まくほしさに -
道隆寺 本堂
「眼なおし薬師さま」として名高く、たくさんの人が祈願に訪れます。 -
道隆寺 仁王像
-
道隆寺から丸亀市内のうどん屋さんで昼食です。
美味しそうですが、残念ながら味は日光の手前(今市)で外れでした。 -
食事後、前回の区切り打ちで訪れた丸亀城と再会。12時25分
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78番札所 郷照寺着 13時10分
神亀2年(725年)に行基菩薩が開基。(88ヶ所唯一の時宗)
詠歌:おどりはね、念仏申す、道場寺
拍子をそろえ、鉦(かね)をうつなり -
郷照寺
-
郷照寺
-
郷照寺
桜も満開です。団体さんは先達以下見事な般若心経♪を唱えます。
私は般若心経音痴♪なので小声で唱えます(笑)。
-
郷照寺 綺麗な天井画があります。
-
郷照寺 日本庭園もあります。
-
79番天王寺への途中「八十場の水」。15時10分
-
79番札所 天王寺に到着です。15時25分
保元の乱で破れ讃岐に流され崩御された崇徳上皇の棺が安置されたことから、寺号を妙成就寺から天王寺と改号。
詠歌:十楽の、浮き世の中を、たずぬべし
天皇さえも、さすらいぞある
若いお遍路さんがお参り中です。 -
この日の宿「えびすや旅館」に到着です。17時10分、約38km、42,400歩
坂出で別れた家内は既に到着していました。
私の到着が予定より遅れていたので、宿のご主人が車で私を探しに行かれたそうです。家内は女将さんにしかられたたそうです。 -
「えびすや旅館」
-
皆さんが揃ってからの夕食です。(私が一番遅い到着でした)
宿泊代:14,000円 -
夕食後は女将さんから色々と話がありましが、内容はすっかり忘れています ('-_-')。
やはり外国からもコロナ禍で・・・。
私達も7月にスペイン巡礼の道をと思っていたのですが、キャンセルしました。また、翌年(昨年)も再びキャンセルとなりましたが飛行機代は無事に戻ってきました。 -
80番札所 国分寺
翌朝、3月29日7時 えびすや旅館のすぐ隣です。
天平13年(741年)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基。
詠歌:国をわけ、野山をしのぎ、寺々に
詣れる人を、助けましませ -
国分寺
-
白峰寺への途中、満開の山桜です(^_^)。9時10分
-
白峰寺へ 「下乗石」
ここから先は聖地であることから、どんな高貴な方も乗物から降りて、歩いて参拝しなければなりません。 -
魔尼輪塔と下乗石の説明
-
白峰寺へ
-
81番札所 白峰寺に到着です。10時5分
-
81番札所 白峰寺
詠歌:霜さむく、露しろたえの、寺のうち
み名をとなうる、法(のり)のこえごえ -
白峰寺
参道横には源頼朝と崇徳天皇の菩提を弔う2基の石造十三重塔(重文)がある。 -
白峰寺 大師堂
-
白峰寺から根香寺へ 11時13分
閼伽井(あかい)と丁石の説明。 -
82番札所 根香寺 13時10分着
詠歌:宵の間の、たえ降る霜の、消えぬれば
あとこそ鉦の、勤行(ごんぎょう)のこえ
-
根香寺
-
根香寺
役行者 -
根香寺
誰かこの怪獣(デビル?)の名前を誰か知っていますか。 -
83番札所 一宮寺 17時着
詠歌:さぬき一宮の、御前に、仰ぎきて
神の心を、誰かしらゆふ -
一宮寺
薬師如来縁起(地獄の釜首)
本堂前に薬師如来を祀る小さな石の祠があり、この中に首を入れると地獄の釜の音が聞こえると言われ、罪深い人はその石の扉が閉まり首が抜けなくなるという (-_-)。 -
この日の宿は予定を変更して一宮寺から近い「天然温泉きらら」です。17時30分着
この日の歩き:34.5km、41,000歩
宿に着くと家内は既にチェックインしていました。
*写真はグーグルより
宿泊費:9,900円+夕食3,900円
天然温泉きらら:https://www.kiraraonsen.com/ -
3月30日(月)4日目
この日は宿を6時30分に出立です。家内は疲れたので今日は私一人で歩きます。
これから84番札所の屋島寺へは約16km、約4時間?かな。
途中の「加持水」の説明。9時55分 -
屋島寺が近くなり登りです。10時5分
途中で沖縄から来たお遍路さんと再会しました。 -
不喰梨(くわずのなし)の説明です。
-
屋島寺へ
-
84番札所 屋島寺 10時25分着
-
84番札所 屋島寺
天平勝宝6年(753年)、鑑真和上が日本へ向かう途中屋島山上を訪れて開基した。
詠歌:あずさ弓、屋島の宮に、詣でつつ
祈りをかけて、勇むますらお
-
屋島寺
-
屋島寺
狸太三郎は佐渡の三郎狸、淡路の芝衛独と共に日本3名狸と言われています。
手前の方はブラジルのコンポステーラ友の会です。 -
屋島寺
瑠璃宝の池の説明。 -
屋島から壇ノ浦方面。10時55分
ここ屋島の源平合戦では那須与一の「扇の的」が有名です。
「夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦する。十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。
与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。しばらく春風に一もみ二もみされ、そしてさっと海に落ちた。『平家物語』の名場面、「扇の的」である。」
資料:ウィキペディアより -
屋島の源平合戦史跡
・洲崎寺、・六万寺、・那須与一扇的図、・義経の弓流し
・安徳天皇社 -
安徳天皇社
寿永2年(1183年)、平宗盛は安徳天皇を奉じて一の谷から屋島に来ました。
ここ壇の浦の入江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、東に八栗山をひかえ戦には地の利を得た場所であったので、宗徳は行宮を建て将士の陣営を作りました。 -
安徳天皇社
昭和57年には令和天皇も訪れておられます。 -
今日の昼食はスーパーの弁当&ビールです。12時5分
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85番札所 八栗寺に到着です。 13時35分着
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85番札所 八栗寺
詠歌:煩悩を、胸の智火にて、八栗をば
修行者ならで、誰か知るべき -
八栗寺
-
八栗寺
アップにて、左は象?、右は?。 -
志度寺への途中、出会った立派な石灯籠。15時38分
-
86番札所 志度寺に到着です。15時53分
-
少し歩くと右手に平賀源内の墓があります。
-
平賀源内の説明です。
-
86番札所 志度寺
詠歌:いざさらば、今宵はここに、志度の寺
祈りの声を、耳にふれつつ
境内を歩いていると思いがけず家内と再会しました(^^)。 -
今宵の宿「いしや旅館」に到着です。16時40分、42,000歩
予定していた「富士屋」さんは満室でした。 -
夕食です。
私達の他には沖縄来た叔父さん一人です。
色々とお話をしたのですが、奥さんに電話をすると帰って来なくて良いと言われたそうで、結願後は松山空港から北陸へ行くと言われました(^^)。
宿泊費:14,000円+酒代 -
3月31日(火)5日目
この日は宿を7時20分に出立しました。
87番札所 長尾寺に到着です。9時15分 -
長尾寺
詠歌:あしびきの、山鳥の尾の、長尾寺
秋の夜すがら、御名(みな)を唱えよ -
長尾寺
-
長尾寺
静御前の剃髪塚の案内があります。 -
静御前の剃髪塚の説明
*静御前(資料ウィキペディアより抜粋)
静御前は吉野山で義経と別れた後、捕らえられ京の北条時政に引き渡され、
文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。
同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。
その際、静は
【しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな】
(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)
【吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき】
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。
この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清常に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
9月16日、静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたという。
<以上は吾妻鏡による> 果たして真実かは・・・?。
静御前は母の故郷である讃岐国入野郷小磯(現・東かがわ市小磯)へ母と共に帰り、文治4年3月、讃岐国井閇郷高木にある長尾寺において宥意和尚から得度を受けた。
剃髪後、母は磯禅尼(いそのぜんに)、静は宥心尼(ゆうしんに)とそれぞれ名を改め、薬師庵において信仰の日々を送るようになった。
後年、母磯野尼は長尾寺への参詣の帰り、井戸川の畔で寒さと老衰のため倒れ、69歳で亡くなり、まもなく静も母の後を追うように建久3年3月、義経に逢うことなく24歳の短い生涯を閉じた。 -
長尾寺を後に、おへんろ交流センター着。11時15分
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おへんろ交流センター
後ろの皆さんはブラジル(サンパウロ?)から来られたコンポステーラ友の会の方です(約10人)。昨日の屋島寺から抜きつ抜かれつ。
皆さん私と同年配の60才以上で、一人だけ片言の日本語を話されました。
日本のコンポステーラ友の会の方が世話をされていました。
コロナ禍でブラジルへの飛行機が飛ばないので(>_<)、しばらく友の会の方に世話になるそうです。
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こちらの叔母さんに遍路大使任命書を書いていただきました <^_^>。
また、ここから88番大窪寺までの道のりの説明を受けました。 -
記念にいただいた遍路大使任命書、DVD、バッジは一生の大切な思い出です(^_^)。
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「おへんろ交流センター」の向いには「道の駅ながお」があります。
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道の駅で買った昼食です。珍しく禁酒。11時30分
なんせ、腹が減っては遍路は出来ぬ。 -
昼食後、88番札所 大窪寺へ。
私は山道の「女体山」経由で、家内は普通の遍路道と分かれて大窪寺を目指します。 -
大窪寺へ
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女体山の頂上手前。14時35分
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女体山頂上に到着。14時38分、標高776m
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女体山頂上より瀬戸内海。
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大窪寺が近くなり、こぶしの花が咲いています。15時8分
この後、コンポステーラ友の会の皆さんに追いつきました。 -
88番札所 大窪寺着 15時20分 ヤッター(^_^)。
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大窪寺 本堂
詠歌:南無薬師、諸病なかれと、願いつつ
詣(まい)れる人は、大窪の寺
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大窪寺、納経所
お参りを済ませて、最後の御朱印を書いていただきました。
5年間かかった区切り打ちが無事に結願しました。 -
納経帳、88ヶ所最後のご朱印です。
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大窪寺
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大窪寺の手水舎
ドラゴンボールを持っています。
果たして私の大願成就は叶えられるのかな?。
(残念ながらコロナの収束は祈っていません。)
ここでクイズ:これまでの投稿でドラゴンボールの写真は何枚目でしようか?。 -
お参りを済ませた後、家内と無事再会し記念撮影です(^^)♪。15時40分
「道の駅ながお」で私と別れた後、づーっと一人で歩いて来たそうです。
家内も最後の区切り打ちということで、この日は最後まで歩きました(^_^)。
後で家内に聞くと誰も歩いてなく、一緒に女体山を歩けば良かったと行っていました。 -
今日の宿の「民宿八十窪」着。16時10分、28km、34,000歩
-
夕食です。結願祝いの赤飯が付いています。
食事中に宿のお婆さんが見えて色々とお話が聞けました。
お歳は90才を超えておられ、何と21回?も88ヶ所を回られたそうです。
昔は宿代の代わりにお米を持ち、何足も草鞋を持って歩かれたそうです。
一昔前はさぞ大変だったかと、当然コンビニも無いし。 -
部屋にあったノートです。
2019年12月31日に泊まれた逆打ちの方です。
今思えば私もやり残した事が多々あります。
この日の泊まりは私達だけで貸切でした。 -
4月1日 宿を7時15分に出立です。
この日は大窪寺から1番札所霊山寺へお礼参りです。この日は1日中雨で何も写真を撮っていません。
写真は吉野川市川島町阿波病院前のローソンです。グーグルでは大窪寺からは約17kmです。
家内はここで別れ、一番近い学駅までタクシーで行き、電車で宿に行きました。
雨で濡れたので学駅で着替えたそうです。 -
私は、家内とはローソンで別れた後、近くのスーパー弁当で昼食を。
この後、宿に着くまでずーっと雨の中をひたすら歩きました (>_<)。
寒さのせいかトイレが近くなり、コンビニ、次はガソリンスタンド、最後は○○ションでした。
最後の最後に大師は試練?を与えてくれました。
宿のに着いたのは暗くなった18時15分でした。びしょ濡れで本当に疲れました (">_<")。
コンビニからはグーグルだと約24kmです。(私のGPSだと大窪寺から49km、58,000歩でした)
この日で歩き遍路も最後ということで、宿は奮発し「大鳥居苑」です。
奮発した甲斐がありとても美味しい夕食でした。ただ、疲れていて残念ながら写真はありません。ここの旅館もベスト10に入ります。
宿泊費:19,400円(酒代込)
*写真はグーグルより
大鳥居苑:https://ootoriien.com/ -
4月1日(水)1番札所 霊山寺へお礼参り 7時45分
-
霊山寺
-
霊山寺
無事にお礼参りも済み、四国88ヶ所歩き遍路を終えました。
様々な一期一会、お接待、暖かい宿のおもてなし等お世話になった皆々様に感謝・感謝です。
拙い旅行記を最後までご覧いただきありがとうございます。
旅行記を読まれた皆様に、ご利益がある事を祈っております。
また、コロナ禍の中、皆様のご健康を祈念しますとともに、皆様からの旅行記を楽しみに待っています。
2022年1月吉日
nasuno -
付録(2022年5月8日追加)
GWに帰省した際、押入れの箱の中に母親の遍路用品があったのですが、その中に何とご先祖の納経帳等を発見したのです(^_^)。
私のひいひいお婆さん(高祖母、嘉永2年生れで当時68才)と娘(四女)の二人で88ヶ所を廻っていたのです。本当に驚きました(^o^)。
写真の右が納経帳で、左が御影札が入れてあった木箱です。
大正6年3月13日から歩き始めています。
私の母親の納経帳は、私が白衣等と一緒に棺に納めたので残念ながらもう残っていません。棺に入れなければ良かったのにと後悔です(-_-)。 -
納経帳ご朱印、88番札所「大窪寺」と1番札所「霊山寺」
私の家から一番近い41番札所「龍光寺」から順に廻っています。
二人で廻っているので御朱印は2つ押してありますが、たまに1つの札所も。
ご朱印は①札所の番号、②御本尊の印、③寺院の実印の3つが押されています。 -
御影札(右が昔の御影札)
御影は全て揃って無く、残念ながら数か所ありませんでした。
私が88ヶ所を廻ったのも、ご先祖のお導きかもしれません。
お遍路に興味がある方はこちらを「愛媛県生涯学習センター:四国遍路のあゆみ」
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/10/view/1772
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