2021/11/30 - 2021/11/30
351位(同エリア1890件中)
杏仁豆腐さん
日本橋のたもとにある日本橋船着場より出発する日本橋クルーズ。
コースがいくつかありますが、今回は神田川クルーズ周遊90分コースです。
[日本橋船着場]~日本橋川~神田川(水道橋、聖橋、万世橋など通過)~隅田川~豊海橋~日本橋川~[日本橋船着場]というコースです。
名橋の「日本橋」や工事が完了した「常磐橋」や、「聖橋」「万世橋」「柳橋」など数々の橋をくぐり、江戸城の石垣や、御茶ノ水渓谷、川から眺める秋葉原や浅草橋をめぐります。
ベテランガイドが船から見えてくるものを江戸時代からの歴史や最新の情報なども交え、解説してくれます。
日本橋クルーズは3回目です。
☆日本橋クルーズ☆紅葉川の鴨汁せいろ☆2015/08/12
https://4travel.jp/travelogue/11041490
☆日本橋クルーズ☆カフェ エメ・ヴィベール☆2015/10/12
https://4travel.jp/travelogue/11066414
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 船
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神田川クルーズの集合時間まで少し時間があるので、日本橋をじっくり見て回ります。
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日本橋は、日本橋川にかかる橋です。
江戸時代初期に徳川家康の命を受けて初代の木造橋が架けられて以来、焼失や再建を経て、現在の橋は19代目、もしくは20代目のものと言われているそうです。
橋の四隅の街灯の獅子は東京市紋章(現・東京都紋章)に片手を掛けています。 -
日本橋由来記の碑
日本橋南詰の西側にあります。
江戸期には高札場が設置されていたところで、昭和11年(1936年)に日本橋区が設置しました。
碑の上部に広重の絵があります。その下は由来が記されていて、慶長8年(1603年)に橋がかけられて、翌年には諸海道の起点とされたこと、江戸の中心としての周辺のにぎわい、橋の架け替えの歴史、明治44年(1911年)に現在の姿になったことなど日本橋の由来が記されています。 -
日本橋由来記の碑の隣には、日本橋観光案内所。
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日本橋の中央柱には麒麟がいます。麒麟は首都の飛躍を願って付けられたものとされています。
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日本国道路元標のレプリカ
本物は道路上にあります。 -
旧東京市道路元標
道路元標は大正8年に制定された旧道路法に基づき、全国各地の市町村に置かれたもので、そこを基準に各地までの距離を図ることにしたそうです。 -
西日本主要都市までの距離
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東日本主要都市までの距離
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元標の広場
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乙姫広場
日本橋魚市場発祥の地と刻まれた記念碑と案内板、そして乙姫の像が日本橋魚河岸の歴史を今に伝えています。
天正8年(1590)徳川家康が江戸に入府した後、摂津国(現在の大阪)の漁師達が江戸に出て佃を造成しました。江戸近辺で漁業を営む許しを得て、徳川家にも魚介類を献上しました。漁師たちは、上納して余った魚介類を幕府の許しを得た上で一般にも売り始めました。これが日本橋魚河岸の起源です。 -
乙姫様の石像横の石段を登ると、藤棚のテラスになっています。三越が目の前です。
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時間になり、日本橋船着場に行き、船に乗り込みました。
いよいよ神田川クルーズの出発です。
日本橋の下を通過します。
日本橋の側面にはライオンの顔があります。船からしか見ることができません。 -
一石橋を通過
橋の北岸・南岸の両方に「後藤」の屋敷があったことから「五斗+五斗=一石」という洒落で名づけられたといわれる歴史の古い橋です。
通常は「いっこくばし」と発音されるようですが、橋の標柱の表示は「いちこくはし」となっています。 -
常盤橋を通過
オリジナルの常磐橋の数10m下流に作られた橋で、めがね型のデザインも踏襲されています。 -
船からは江戸城の石垣を見ることができます。
常盤橋門の石垣の一部は、保存状態もよく、国の史跡に指定されています。 -
江戸城の城門の一つ常盤橋門あった常盤橋公園には、銅像「青淵澁澤榮一」があります。
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常磐橋を通過
かつては江戸城の正面玄関的な役割をはたした時期もあった「常磐橋門」の前にかかる橋です。
現在では道筋の変化によって、少し下流の「常盤橋」(読みは同じですが2文字めが異なります)にその役割を譲っています。この旧常磐橋自体は「記念碑」的な存在として残されています。 -
日本銀行本店が見えます。
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新常盤橋を通過
もとは大正時代に市電を通すために新たに作られた橋です。 -
今日は天気もよく、見上げる空が青いです。頭上には首都高速が走ります。
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時間は昼時です。キッチンカーが並んでいます。いい匂いがします。
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神田橋を通過
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錦橋から雉子橋にかけて、日本橋川沿いに残る江戸城外堀の石垣を見ることができます。
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石垣の刻印も見ることができます。
大規模な土木工事を行うとき、石垣等を組むのには大量の石材が必要でした。天然の石材の多くは伊豆半島等から運搬していたそうです。これらの石材は大変貴重なものなので、他藩に盗まれないように石に印を付けておく必要があったそうです。
160は江戸時代の刻印ではありません。 -
一ツ橋を通過
徳川家康が江戸城に入ったころは、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていたそうです。 -
鷺もいます。
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共立女子大学の校舎が見えます。
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雉橋を通過
勅使として来日した数万人の唐人をもてなすため、諸国から雉を集めたことがあり、このとき、このあたりに鳥小屋を作り、多数の雉を入れておいたとか。
そのために、小屋のほとりにあった橋が俗称「雉子橋」と呼ばれ、のち定着したそうです。 -
宝田橋を通過
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俎橋(まないたばし)を通過
もとは2本の板をわたしただけの粗末な橋だったことからこの名がついたそうです。 -
新川橋を通過
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秋の気配を感じながら船は進みます。
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黄色の風景が続きます。
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東京ドームが見えます。
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千代田清掃事務所三崎町中継所です。
千代田区と文京区で収集される、年間約50万tの不燃ごみの30%強が、ここに運び込まれ、「はしけ」と呼ばれるごみ運搬船に積み替えられます。そして、東京湾内にある不燃ごみ処理センターまで運ばれます。 -
青空の下、船は神田川を進みます。
水道橋を通過します。
水道橋という地名は、この少し下流で神田川にかかっていた「神田上水を立体交差させるための懸樋」にちなんだ名前だそうです。 -
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中央線が走っています。
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東京医科歯科大学
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あちこちで鷺を見ます。
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丸の内線も走ります。
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聖橋を通過。
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丸の内線が通過します。
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船は線路の下を通過します。
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線路まで意外と近いところを通過します。
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頭上を電車が走る風景は、貴重なものです。
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昌平橋を通過。
「昌平橋」の名は、上流左岸に1797年(寛政9年)にできた幕府直営の漢学校=昌平橋学問所(昌平黌)にちなんでいます。 -
マーチエキュート神田万世橋が見えます。
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肉の万世が見えます。
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EDION
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柳森神社です。
太田道灌によって江戸城の鬼門除けとして創建され、烏森・椙森とともに江戸三森の一つとされています。 -
美倉橋を通過。
そばに三つの倉があったことから「三倉橋」、転じて「美倉橋」と呼ばれるようになったとか。 -
柳橋あたりを通ると、船宿もあります。
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屋形船が停泊しています。
このあたりでは、屋形船で寝ている方々もいるので、ガイドはなしでした。 -
浅草橋を通過。
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柳橋を通過。
神田川の一番下流で隅田川に流入する河口に架かる橋です。 -
スカイツリーも近くに見えます。
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総武線が走ります。
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安全に操船する船長さんと聞きやすい説明のガイドさん。
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隅田川に出ると、広々とした風景に癒されます。
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すれ違う船
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新大橋を通過。
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芭蕉記念館
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芭蕉庵史跡展望庭園
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清州橋を通過。
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振り返ると遠くにスカイツリー。
隅田川は広いです。 -
日本橋川に戻ってきました。
豊海橋を通過。 -
ミツカンのビル
文化8年、江戸では寿司が大流行しミツカンが尾張(愛知県半田市)から江戸へ進出し酢を販売しました。 -
湊橋を通過。
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湊橋の脚上部には帆掛け船のレリーフがあります。
かつて水路交通の要所として栄えたことに因んで、輸送に活躍した樽廻船がモチーフのようです。 -
秋深まる東京の景色も船から見るのもいいものです。
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日本橋水門には信号があります。
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東京証券取引所
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鎧橋を通過。
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江戸橋を通過。
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日本橋に戻ってきました。
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日本橋船着場に到着です。
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クルーズ船にはクリスマスリースが飾られていました。
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神田川クルーズのチケット
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神田川クルーズの地図
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船を降り、ランチです。
京橋 紅葉川で蕎麦をいただきます。
まずは、生ビール!! うまい!!! -
玉子焼き
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鴨焼き
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ゆったりした席でいただく生ビールとつまみは最高です。
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生活感のある空間です。
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最後に鴨南蛮をいただきました。
鴨肉が美味しいです。
神田川クルーズと蕎麦で、よい一日となりました。
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