2021/10/21 - 2021/10/21
3722位(同エリア9896件中)
風待ちさん
3県の旅3日目はゴールの石川県の旅です。和倉温泉をたち、まずは前回開館時間に間に合わず入れなかった能登上布会館と、天候の関係で走れなかった千里浜なぎさドライブウェイを訪ねます。
リベンジその1 能登上布会館
リベンジその2 千里浜なぎさドライブウェイ
そして一気に南下し
プラン その1 加賀橋立重要伝統建造物保存地区・北前船の里資料館
プラン その2 石川県九谷焼美術館
小松空港 18:30 発のフライトまで、時間を有効に使いたいと思います。
そもそもは、前回和倉温泉を訪ねた時の、「石川県 まるごと観光マップ」があまりにも楽しそうだったのです。そこに載っていた「白山白川郷ホワイトロード」に惹かれ、「国宝 瑞龍寺」、「氷見番屋街」「北前船主屋敷」「能登上布会館」「石川県九谷美術館」などを繋ぎプランを立てたのです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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3日目。和倉温泉から南下。まず能登上布会館にやってきました。玄関に置かれていた色紙。
中を見学させていただきました。 -
細い麻糸で織られる上布。先染めされた縦糸と横糸を狂いなく合わせ柄を織り上げていきます。
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江戸時代、武士の正装は麻織物。藩主や幕府に上納された上質の織物ということから「上布」と名付けられたとか。越後上布、宮古上布など有名です。
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縦糸に柄の色を染めるための道具。丁寧に案内していただき、能登上布のしおりをお土産に買ってきました。
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さて、次のポイントは千里浜なぎさドライブウェイ。
BUT? 今回も波が荒いので車で走ることはできませんでした。 -
リベンジならず・・・寂しい海、、、
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気を取り直し、のと里山海道から北陸自動車道でへ。小松を過ぎ片山津ICで降り、北前船主屋敷蔵六園へ。通りには看板が出ていたのですが、開いていないようでした。
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ここ橋立地区は、重要伝統的建造物保存地区になっています。しばし、散策。
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街並みが保存されています。古くなった船板を外壁に利用しているのが特徴でもあるようです。
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ここも、元北前船船主の館。北前船の里資料館になっています。こちらを見学。
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入ってすぐの大広間(オエ)
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ここは北前船主・深谷家の家。土蔵や庭園を含め1000坪の敷地があります。深谷家は最盛期には北前船6隻を所有し、京都、大阪、函館にも屋敷を置いていたようです。
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船主がいる時(冬仏壇・左)と、留守の時の仏壇(夏仏壇)が二つ並んでいます。この地区の特徴だとか。
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広い庭にはすべてをみてきたような古木が。
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長い渡り廊下
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二つある蔵も立派です。
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橋立の北前船主・横山彦一の持ち船の絵
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最高責任者の「船頭」は、商品の仕入れや問屋との商談も行うため、高い教養が必要だったようです。
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橋立地区には大きな船が停泊する港がないため、大阪の港に泊めてあったのだそうです。春、船を出すとき船子たちは歩いて大阪まで行ったといます。そして船の修繕、商品の仕入れを済ませ、4月には出帆。瀬戸内で商品を買い集めながら下関を回り日本海へ。途中橋立にも立ち寄りながら6月には北海道へ。積み荷を売りさばき、海産物を満載し、台風が来る前の10月には海の穏やかな瀬戸内に入り、11がつごろには大阪に着き、また徒歩で橋立に戻るという1年を送ったのです。
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明治20年~30年代のなると北前船は次第に衰えていくのですが、一番の原因は電信の発達により各地の商品相場が容易に知られるようになり、地域間の格差を利用する北前船の商法が通用しなくなったための言います。なるほど。
新たな事業に転進する一つに例に、今でも小樽運河沿いの「大家倉庫」や広海倉庫といった加賀の船主が建てた倉庫群が残っています。
あの有名な小樽の倉庫群がそうだったのですか、歴史を知ると倉庫群を見る目が違ってきますね。 -
明治31年の全国長者番付です。筆頭に今年ブレイク中の渋沢栄一、財閥の三井家など。「前頭」に加賀出身の北前船主「廣海二三郎」「大家七兵衛」
「久保彦兵衛」の名前がみえると書かれています。
当時に年収が医者800円ほどに対し、大家七兵衛は26,500円、この資料館の元家主酒谷長兵衛は2,230円とは群を抜いてますね。 -
さらに離れも
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ここには各寄港地の問屋や宿が競い合って客寄せをするチラシというかポスターというのかが展示されていて、当時の繁栄を彷彿とさせるものがあり興味深かったです。
この資料館、内容が深く、とても満足! -
帰りのフライトまで残された時間で石川県九谷焼美術館へ。ここは加賀市大聖寺。江戸時代には加賀藩の支藩・大聖寺藩があったところ。
美術館の入り口には九谷焼の特徴的な3つの釉薬、赤・青・緑のマークがあります。 -
九谷焼の作品は撮影できなかったけど、歴史や鉱石の展示が殊の外興味深いものでした。
右の方は加賀藩3代藩主。前田利家の4男・利常。将軍徳川秀忠の二女・珠姫を正室に迎え、47歳で隠居。長男光高の加賀80万石、次男利次に富山10万石、そして三男利治に大聖寺7万石を与えたとあります。
つまり、この前田利治が、ここ大聖寺藩の藩祖。鉱山の開発を志し九谷村などに金山や銀山を見つけたととあります。また九谷では良質の陶土が発見され、古九谷となる窯を作らせ、陶磁器の生産に乗り出したのですから、九谷焼の生みの親というわけですね。 -
お手洗いにも渋い赤のタイルが使われています。
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美術館の屋根に蔦が絡んでいたのが印象的でした。
城下町として発展した大聖寺。山ノ下寺院群や深田久弥・山の文化館などもあり、またじっくり訪れてみたい町となりました。
でも、このたびはこれにて終了。利常公の隠居地・小松に戻ります。
完
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