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隅田川の橋を巡りながら近辺の見どころを訪ねます。<br />今回は言問橋からです。ここから先は橋と橋の間隔が短いので効率的に廻れそうです。また隅田川の橋の中でもよく耳にする橋が続きます。風もなく雲一つない絶好の日和。では頑張って行こう。<br /><br />表紙の写真は蔵前橋。

隅田川橋巡り 岩淵水門から河口の築地大橋まで、その3:言問橋から蔵前橋。

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2021/11/13 - 2021/11/13

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ベーム

ベームさん

隅田川の橋を巡りながら近辺の見どころを訪ねます。
今回は言問橋からです。ここから先は橋と橋の間隔が短いので効率的に廻れそうです。また隅田川の橋の中でもよく耳にする橋が続きます。風もなく雲一つない絶好の日和。では頑張って行こう。

表紙の写真は蔵前橋。

  • 隅田川の橋。左上の岩淵水門から河口の築地大橋まで。<br />赤い部分は隅田川テラスが整備されているところ。

    隅田川の橋。左上の岩淵水門から河口の築地大橋まで。
    赤い部分は隅田川テラスが整備されているところ。

  • 今回は言問橋から蔵前橋です。<br />蔵前橋と厩橋の位置が逆になっています。

    今回は言問橋から蔵前橋です。
    蔵前橋と厩橋の位置が逆になっています。

  • 横浜から東海道線で新橋。新橋で都営地下鉄浅草線に乗り換え本所吾妻橋へ。<br />今日のスタートは本所吾妻橋駅。 9時20分。

    横浜から東海道線で新橋。新橋で都営地下鉄浅草線に乗り換え本所吾妻橋へ。
    今日のスタートは本所吾妻橋駅。 9時20分。

  • 地上は三つ目通り。<br />東武伊勢崎線のガードが見えます。歩いて言問橋を目指します。

    地上は三つ目通り。
    東武伊勢崎線のガードが見えます。歩いて言問橋を目指します。

  • ガードの手前に源森橋があります。

    ガードの手前に源森橋があります。

  • 源森橋の上から北十間川の下流枕橋方向。

    源森橋の上から北十間川の下流枕橋方向。

  • 右手にはスカイツリー。

    右手にはスカイツリー。

  • ガードを潜るとすぐ隅田公園です。<br />もと水戸藩の下屋敷のあったところ。関東大震災の復興事業の一環として公園に整備されました。<br />この時間ですがもう結構な人でです。修学旅行生が目立ちました。<br />

    ガードを潜るとすぐ隅田公園です。
    もと水戸藩の下屋敷のあったところ。関東大震災の復興事業の一環として公園に整備されました。
    この時間ですがもう結構な人でです。修学旅行生が目立ちました。

  • 公園の入り口近くに関東大震災でこの地で亡くなった俳人富田木歩(とみたもっぽ)の碑があります。<br />下半身不随の木歩は友人新井声風に背負われここまで逃げてきたが、前は隅田川、橋は焼け落ち後ろは火の手でもはや逃げられない。絶体絶命。声風は万感の思いで木歩に別れを告げ隅田川に飛び込む。ここで木歩は26歳の生涯を閉じたのでした。

    公園の入り口近くに関東大震災でこの地で亡くなった俳人富田木歩(とみたもっぽ)の碑があります。
    下半身不随の木歩は友人新井声風に背負われここまで逃げてきたが、前は隅田川、橋は焼け落ち後ろは火の手でもはや逃げられない。絶体絶命。声風は万感の思いで木歩に別れを告げ隅田川に飛び込む。ここで木歩は26歳の生涯を閉じたのでした。

  • 気持ちの良い園内。

    気持ちの良い園内。

  • 櫻の時期はここも大賑わいでしょう。

    櫻の時期はここも大賑わいでしょう。

  • 少し行くと牛島神社があります。<br />これは三つ目通り側の鳥居。

    少し行くと牛島神社があります。
    これは三つ目通り側の鳥居。

  • 本所の総鎮守。860年慈覚大師の創建と伝えられる。<br />以前は牛の御前(うしのごぜん)と呼ばれていましたが、明治になり牛島神社となります。<br />当初もう少し北の広福寺の隣にあったが関東大震災で焼失し、昭和7年現在地に再建。

    本所の総鎮守。860年慈覚大師の創建と伝えられる。
    以前は牛の御前(うしのごぜん)と呼ばれていましたが、明治になり牛島神社となります。
    当初もう少し北の広福寺の隣にあったが関東大震災で焼失し、昭和7年現在地に再建。

  • 七五三祝いの記念写真。三脚を立ててじっくり写しています。<br />早く終わってくれないかなあ、とつい思ってしまいますがお目出度いことなので我慢。

    七五三祝いの記念写真。三脚を立ててじっくり写しています。
    早く終わってくれないかなあ、とつい思ってしまいますがお目出度いことなので我慢。

  • 大きな鳥居の左右に小さな鳥居が片足づつくっついています。<br />奈良、桜井市の三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)にこの鳥居があるので、三輪の鳥居と呼ばれるそうです。別名三ツ鳥居。

    大きな鳥居の左右に小さな鳥居が片足づつくっついています。
    奈良、桜井市の三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)にこの鳥居があるので、三輪の鳥居と呼ばれるそうです。別名三ツ鳥居。

  • 拝殿。<br />写真に写っている方は若い人でしたが、境内のあちこちで実に丁寧に頭を下げお参りしていました。こういう人もいるのだなあと信神心のない私には不思議に思えました。

    拝殿。
    写真に写っている方は若い人でしたが、境内のあちこちで実に丁寧に頭を下げお参りしていました。こういう人もいるのだなあと信神心のない私には不思議に思えました。

  • 祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。<br />神も仏も個人で崇拝するのは良いことですが、徒党(団体)を組むと互いに争いを始めます。過去も近代も戦争の歴史は宗教間の対立の繰り返しではないでしょうか。

    祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。
    神も仏も個人で崇拝するのは良いことですが、徒党(団体)を組むと互いに争いを始めます。過去も近代も戦争の歴史は宗教間の対立の繰り返しではないでしょうか。

  • 手水舎と神楽殿。

    手水舎と神楽殿。

  • 撫で牛。<br />自分の体の悪いところと同じ場所を撫でると平癒するそうです。<br />また子供が生まれると涎掛けを奉納し、その涎掛けを子供につけると健やかに成長する言い伝えがあります。<br />

    撫で牛。
    自分の体の悪いところと同じ場所を撫でると平癒するそうです。
    また子供が生まれると涎掛けを奉納し、その涎掛けを子供につけると健やかに成長する言い伝えがあります。

  • 摂社小梅稲荷神社。<br />可愛らしい巫女さんでした。

    摂社小梅稲荷神社。
    可愛らしい巫女さんでした。

  • 牛島神社の裏から出て向いにある上総屋の角から北に見番通りが伸びています。<br />道路は言問通りで、左はすぐ言問橋です。橋は後にして見番通りに入りました。

    牛島神社の裏から出て向いにある上総屋の角から北に見番通りが伸びています。
    道路は言問通りで、左はすぐ言問橋です。橋は後にして見番通りに入りました。

  • 見番通りにすみだ郷土文化資料館があります。ざっと見学しました。<br />9時から17時まで。入館料高校生以上100円。月曜日休館。

    見番通りにすみだ郷土文化資料館があります。ざっと見学しました。
    9時から17時まで。入館料高校生以上100円。月曜日休館。

  • 資料館の角に佐多稲子旧居跡の説明版が立っていました。<br />佐多稲子:女流作家。明治37年~平成10年。<br />長崎から上京し、11歳から数年間この辺りに住んでいました。この間にキャラメル工場で働いたり料亭の女中奉公をしたりして、その経験がのちの彼女の作品の土台となったのです。

    資料館の角に佐多稲子旧居跡の説明版が立っていました。
    佐多稲子:女流作家。明治37年~平成10年。
    長崎から上京し、11歳から数年間この辺りに住んでいました。この間にキャラメル工場で働いたり料亭の女中奉公をしたりして、その経験がのちの彼女の作品の土台となったのです。

  • 資料館を先に進むと三囲(みめぐり)神社があります。

    資料館を先に進むと三囲(みめぐり)神社があります。

  • 創建時は不詳。<br />1350年頃、近江三井寺の僧が社殿を改築したところ土中より白狐に跨った翁の像が出土した。するとどこからともなく白狐が現れ、像の周りを3度回って消えた、という縁起が名前の由来だそうです。

    創建時は不詳。
    1350年頃、近江三井寺の僧が社殿を改築したところ土中より白狐に跨った翁の像が出土した。するとどこからともなく白狐が現れ、像の周りを3度回って消えた、という縁起が名前の由来だそうです。

  • 拝殿。

    拝殿。

  • 三越の池袋店にあったライオン像。<br />三囲神社と三井三越は長いつながりがあるようです。

    三越の池袋店にあったライオン像。
    三囲神社と三井三越は長いつながりがあるようです。

  • 利口で大人しそうなコンコンさん。<br />狛犬ならぬ狛狐です。

    利口で大人しそうなコンコンさん。
    狛犬ならぬ狛狐です。

  • 1693年、俳人宝井其角がたまたまここを通りかかったとき、日照りに苦しむ村人たちが雨乞いをしていた。<br />其角が「ゆふだちや 田をみめぐりの 神ならば」の句を神社に献じると翌日雨が降った。と言う。

    1693年、俳人宝井其角がたまたまここを通りかかったとき、日照りに苦しむ村人たちが雨乞いをしていた。
    其角が「ゆふだちや 田をみめぐりの 神ならば」の句を神社に献じると翌日雨が降った。と言う。

  • 白狐祠。<br />狐に縁の深い神社です。

    白狐祠。
    狐に縁の深い神社です。

  • 隅田川七福神のうち恵比寿神、大黒神が祀られています。

    隅田川七福神のうち恵比寿神、大黒神が祀られています。

  • 三穴燈篭。<br />伊賀上野城主藤堂高睦月1707年奉納。

    三穴燈篭。
    伊賀上野城主藤堂高睦月1707年奉納。

  • 三囲神社の横から隅田川の堤防、墨堤に上りました。<br />右手に前回訪れた台東リバーサイドスポーツセンターと桜橋が見えます。

    三囲神社の横から隅田川の堤防、墨堤に上りました。
    右手に前回訪れた台東リバーサイドスポーツセンターと桜橋が見えます。

  • 春は桜でにぎわう墨堤。花見客の雑踏を嫌う私は現今の墨堤の花時は知りませんが、明治34年の「東京風俗志」にこんな記述があります。<br />「花見の客の雑踏狼藉には筆にも記しがたし。明治33年4月15日の日曜日に向嶋にて警察官の厄介となりし者酩酊者二百五人喧嘩九十六件、・・・迷子14人と聞く。・・・」

    春は桜でにぎわう墨堤。花見客の雑踏を嫌う私は現今の墨堤の花時は知りませんが、明治34年の「東京風俗志」にこんな記述があります。
    「花見の客の雑踏狼藉には筆にも記しがたし。明治33年4月15日の日曜日に向嶋にて警察官の厄介となりし者酩酊者二百五人喧嘩九十六件、・・・迷子14人と聞く。・・・」

  • 左には言問橋。

    左には言問橋。

  • 言問橋。

    言問橋。

  • この地図古いです。<br />とうきょうスカイツリー駅がまだ業平橋駅になっています。<br />しかし明治35年吾妻橋駅として開業し、浅草駅、業平橋駅と改称してきた歴史ある駅です。いかに商売とは言え業平橋の名が無くなったのは寂しいです。

    この地図古いです。
    とうきょうスカイツリー駅がまだ業平橋駅になっています。
    しかし明治35年吾妻橋駅として開業し、浅草駅、業平橋駅と改称してきた歴史ある駅です。いかに商売とは言え業平橋の名が無くなったのは寂しいです。

  • 言問橋に来ました。<br />架橋昭和3年。238m。関東大震災復興計画事業に一つとして建設。<br />台東区浅草、花川戸と墨田区向島を結んでいます。<br />

    言問橋に来ました。
    架橋昭和3年。238m。関東大震災復興計画事業に一つとして建設。
    台東区浅草、花川戸と墨田区向島を結んでいます。

  • 歩行者道路に埋め込まれています。<br /><br />橋の名は在原業平の有名な歌「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」に由来するといわれますが、業平がこの歌を詠んだ場所はもっと上流の白鬚橋、石浜神社あたりとされています。<br />むしろ近くの言問団子が勝手に言問の名を使って有名になったのでその名を取ったのでしょう。地名としての言問はありません。

    歩行者道路に埋め込まれています。

    橋の名は在原業平の有名な歌「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」に由来するといわれますが、業平がこの歌を詠んだ場所はもっと上流の白鬚橋、石浜神社あたりとされています。
    むしろ近くの言問団子が勝手に言問の名を使って有名になったのでその名を取ったのでしょう。地名としての言問はありません。

  • 下流側のテラスから。

    下流側のテラスから。

  • 力強い形ですが、アーチのない橋は立体感がなくも一つ面白みがありません。

    力強い形ですが、アーチのない橋は立体感がなくも一つ面白みがありません。

  • 下流には東武伊勢崎線の橋梁が見えます。

    下流には東武伊勢崎線の橋梁が見えます。

  • 浚渫船。

    浚渫船。

  • 東武線橋梁。その向こう側にすみだリバーウオークがくっついています。

    東武線橋梁。その向こう側にすみだリバーウオークがくっついています。

  • 墨堤に立つボート記念碑。<br />「日本のボートはここ隅田川を中心として発展し その隆盛を迎えた」<br />平成28年9月 隅田川ボート記念碑建設委員会 会長半藤一利<br /><br />今年初め90歳で亡くなった半藤一利氏は東大でボートを漕ぎ、大学対抗レガッタで活躍しました。夏目漱石も大学予備門(東大の前身)時代にボートを漕いでいます。ボートに熱中しすぎて落第しています。

    墨堤に立つボート記念碑。
    「日本のボートはここ隅田川を中心として発展し その隆盛を迎えた」
    平成28年9月 隅田川ボート記念碑建設委員会 会長半藤一利

    今年初め90歳で亡くなった半藤一利氏は東大でボートを漕ぎ、大学対抗レガッタで活躍しました。夏目漱石も大学予備門(東大の前身)時代にボートを漕いでいます。ボートに熱中しすぎて落第しています。

  • 隅田公園の墨堤が尽きたところに枕橋があります。北十間川が隅田川に注ぐ最後の橋です。

    隅田公園の墨堤が尽きたところに枕橋があります。北十間川が隅田川に注ぐ最後の橋です。

  • 昔ここには源森橋と水戸藩の新小梅橋のふたつの橋が架かっていました。それで二つ並んでいるので合わせて枕橋と呼びました。枕が二つとは意味深です。<br />新小梅橋はなくなり、残った源森橋を枕橋と呼ぶようになりました。

    昔ここには源森橋と水戸藩の新小梅橋のふたつの橋が架かっていました。それで二つ並んでいるので合わせて枕橋と呼びました。枕が二つとは意味深です。
    新小梅橋はなくなり、残った源森橋を枕橋と呼ぶようになりました。

  • 枕橋から上流方向。<br />北十間川、東武電車とスカイツリー。奥に先ほど渡った源森橋があります。

    枕橋から上流方向。
    北十間川、東武電車とスカイツリー。奥に先ほど渡った源森橋があります。

  • 河口の源森川水門。<br />浚渫船が川底の泥を浚っていました。

    河口の源森川水門。
    浚渫船が川底の泥を浚っていました。

  • ではすみだリバーウオークを渡ります。<br />2020年に造られた歩道で、7時から22時まで通行可能です。

    ではすみだリバーウオークを渡ります。
    2020年に造られた歩道で、7時から22時まで通行可能です。

  • 東武伊勢崎線の橋梁に並行してつけられた歩道ということで、橋とは看做されないのでしょうかね。

    東武伊勢崎線の橋梁に並行してつけられた歩道ということで、橋とは看做されないのでしょうかね。

  • リバーウオークの上から。<br />下流吾妻橋方向。

    リバーウオークの上から。
    下流吾妻橋方向。

  • 遊覧船。

    遊覧船。

  • 上流言問橋。

    上流言問橋。

  • 右岸、リバーウオークを降りたところにある山の宿の渡し跡碑。<br />別名枕橋の渡し、花川戸の渡し。<br />隅田川の渡しは最も多かった明治初頭で20ほどあったそうです。

    右岸、リバーウオークを降りたところにある山の宿の渡し跡碑。
    別名枕橋の渡し、花川戸の渡し。
    隅田川の渡しは最も多かった明治初頭で20ほどあったそうです。

  • リバーウオークを降りたところから吾妻橋方面にむかって<br />助六夢通りという思わせぶりな名の通りがあります。

    リバーウオークを降りたところから吾妻橋方面にむかって
    助六夢通りという思わせぶりな名の通りがあります。

  • 歩いてみましたが助六も夢も感じませんでした。無理やり観光名所に仕立て上げる魂胆が匂う。

    歩いてみましたが助六も夢も感じませんでした。無理やり観光名所に仕立て上げる魂胆が匂う。

  • 1931年、昭和6年開店の松屋浅草店です。東京初のターミナルデパート。東武伊勢崎線がここから発着しています。<br />この辺りは花川戸という町名がついています。明治以降日本随一のはき物問屋街がああった所です。多くのぞうり、はなお、げたの問屋が集まっていましたが、いまは殆ど残っていません。

    1931年、昭和6年開店の松屋浅草店です。東京初のターミナルデパート。東武伊勢崎線がここから発着しています。
    この辺りは花川戸という町名がついています。明治以降日本随一のはき物問屋街がああった所です。多くのぞうり、はなお、げたの問屋が集まっていましたが、いまは殆ど残っていません。

  • 貸衣装屋。浅草界隈の写真でよく見かけるインスタント着物美人はここで着替えて繰り出すのですね。

    貸衣装屋。浅草界隈の写真でよく見かけるインスタント着物美人はここで着替えて繰り出すのですね。

  • 神谷バー。<br />建物は1921年、大正10年建築。

    神谷バー。
    建物は1921年、大正10年建築。

  • ここでライスカレーの昼にしました。700円。<br />まだ後があるので名物デンキブランは飲まず。

    ここでライスカレーの昼にしました。700円。
    まだ後があるので名物デンキブランは飲まず。

  • ユニークな交番、浅草警察花川戸交番。

    ユニークな交番、浅草警察花川戸交番。

  • ここまで来たので人気の浅草寺雷門にチョット挨拶。<br />これに外国人観光客が加われば凄いことでしょう。

    ここまで来たので人気の浅草寺雷門にチョット挨拶。
    これに外国人観光客が加われば凄いことでしょう。

  • 観光人力車が客待ちしています。

    観光人力車が客待ちしています。

  • 地下鉄銀座線浅草駅です。

    地下鉄銀座線浅草駅です。

  • では吾妻橋へ。

    では吾妻橋へ。

  • 吾妻橋。<br />昭和6年架橋。全長150m。台東区花川戸、雷門と墨田区吾妻橋を結ぶ。<br />最初の橋は1774年に隅田川の5番目の橋として架けられ大川橋と呼ばれた。そのころ隅田川の下流は大川と呼ばれていたから。明治9年の架け替えの時吾妻橋となった。吾妻には慶賀の意味があるという。<br />ちなみに江戸時代、隅田川架橋の古い順に、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋。

    吾妻橋。
    昭和6年架橋。全長150m。台東区花川戸、雷門と墨田区吾妻橋を結ぶ。
    最初の橋は1774年に隅田川の5番目の橋として架けられ大川橋と呼ばれた。そのころ隅田川の下流は大川と呼ばれていたから。明治9年の架け替えの時吾妻橋となった。吾妻には慶賀の意味があるという。
    ちなみに江戸時代、隅田川架橋の古い順に、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋。

  • 対岸の眺め。<br />左から墨田区役所、スカイツリー、アサヒビール、リバーピア吾妻橋ライフタワー。<br /><br />

    対岸の眺め。
    左から墨田区役所、スカイツリー、アサヒビール、リバーピア吾妻橋ライフタワー。

  • テラスに降りてみます。

    テラスに降りてみます。

  • 下流側。<br />ァーチが道路の下にあります。

    下流側。
    ァーチが道路の下にあります。

  • アーチのない平板な橋です。

    アーチのない平板な橋です。

  • 朱塗りの欄干が特徴です。

    朱塗りの欄干が特徴です。

  • 通るのは雷門通り。

    通るのは雷門通り。

  • 橋の中ほどより下流駒形橋。

    橋の中ほどより下流駒形橋。

  • 上流側、東武線橋梁。

    上流側、東武線橋梁。

  • 橋を渡った袂にある関東大震災殉難者慰霊のあづま地蔵尊。

    橋を渡った袂にある関東大震災殉難者慰霊のあづま地蔵尊。

  • 大正時代の吾妻橋。<br />人道橋、鉄道橋、車道橋と3本もあり、車道橋には立派なアーチがあります。<br />橋が3本もあったなんて壮大ですね。<br />ウィキより。<br /><br /><br /><br />

    大正時代の吾妻橋。
    人道橋、鉄道橋、車道橋と3本もあり、車道橋には立派なアーチがあります。
    橋が3本もあったなんて壮大ですね。
    ウィキより。



  • 吾妻橋を戻り江戸通りを駒形橋の方へ。<br />むぎとろの店があります。昼時で客が店の外で順番を待っていました。ちょっと食指が動きましたが、食べ物屋の前に並ぶのは恥ずかしいことと心得る私はパス。

    吾妻橋を戻り江戸通りを駒形橋の方へ。
    むぎとろの店があります。昼時で客が店の外で順番を待っていました。ちょっと食指が動きましたが、食べ物屋の前に並ぶのは恥ずかしいことと心得る私はパス。

  • 駒形橋の袂にある駒形堂。<br />ここが今の浅草寺のルーツとなった場所です。<br />628年、漁民が隅田川のこの場所で漁をしていると網に一体の像が掛かった。これが聖観音菩薩とわかりこの地に祀った。この聖観音菩薩像が今の浅草寺の本尊なのです。

    駒形橋の袂にある駒形堂。
    ここが今の浅草寺のルーツとなった場所です。
    628年、漁民が隅田川のこの場所で漁をしていると網に一体の像が掛かった。これが聖観音菩薩とわかりこの地に祀った。この聖観音菩薩像が今の浅草寺の本尊なのです。

  • 堂宇は当初942年に建立され、今のは平成15年のものです。<br />本尊は馬頭観世音菩薩。

    堂宇は当初942年に建立され、今のは平成15年のものです。
    本尊は馬頭観世音菩薩。

  • 境内の隅に立つ戒殺碑(かいさつひ)。<br />浅草寺領内の大川の魚の漁をを禁じた碑です。1693年建立。

    境内の隅に立つ戒殺碑(かいさつひ)。
    浅草寺領内の大川の魚の漁をを禁じた碑です。1693年建立。

  • 吾妻橋方向の眺め。<br />角度が変わりスカイツリーが右端に来ました。

    吾妻橋方向の眺め。
    角度が変わりスカイツリーが右端に来ました。

  • 駒形橋。<br />昭和2年関東大震災復興計画により架橋。それまでは駒形の渡しがありました。<br />149m。台東区雷門、駒形と墨田区東駒形を結ぶ。通りは浅草通り。

    駒形橋。
    昭和2年関東大震災復興計画により架橋。それまでは駒形の渡しがありました。
    149m。台東区雷門、駒形と墨田区東駒形を結ぶ。通りは浅草通り。

  • 駒形の渡しには伝説があります。高尾太夫の吊るし斬りです。<br />駒形の渡しは吉原通いの遊客がよく利用する渡しでした。仙台藩3代目藩主伊達綱宗(伊達政宗の孫)は吉原のトップ花魁2代目高尾太夫(万治高尾)にぞっこん惚れこみ通い続けます。太夫も綱宗に「君はいま 駒形あたり ほととぎす」なんて句を送って気を引きます。

    駒形の渡しには伝説があります。高尾太夫の吊るし斬りです。
    駒形の渡しは吉原通いの遊客がよく利用する渡しでした。仙台藩3代目藩主伊達綱宗(伊達政宗の孫)は吉原のトップ花魁2代目高尾太夫(万治高尾)にぞっこん惚れこみ通い続けます。太夫も綱宗に「君はいま 駒形あたり ほととぎす」なんて句を送って気を引きます。

  • ついに綱宗は大枚を積んで太夫に身請けを迫ります。ところが実は高尾太夫には誓い合った男がいた。それで太夫は綱宗の意に従わない。<br />業を煮やした綱宗は太夫をこの辺りの隅田川の船の上で逆さ吊りにして斬り殺してしまう。というお話。<br /><br />綱宗が藩政を顧みず遊興にふけったのは事実のようですが、高尾太夫の吊るし斬りの話は事実ではないようです。しかし綱宗の遊びぶりは幕府の目に留まり隠居を命じられます。それが伊達騒動へと発展しました。

    ついに綱宗は大枚を積んで太夫に身請けを迫ります。ところが実は高尾太夫には誓い合った男がいた。それで太夫は綱宗の意に従わない。
    業を煮やした綱宗は太夫をこの辺りの隅田川の船の上で逆さ吊りにして斬り殺してしまう。というお話。

    綱宗が藩政を顧みず遊興にふけったのは事実のようですが、高尾太夫の吊るし斬りの話は事実ではないようです。しかし綱宗の遊びぶりは幕府の目に留まり隠居を命じられます。それが伊達騒動へと発展しました。

  • すっきりしたアーチが美しい。

    すっきりしたアーチが美しい。

  • 吾妻橋方向。

    吾妻橋方向。

  • 隅田川テラスから見上げる。

    隅田川テラスから見上げる。

  • なんて言うのですか橋を支える円柱が重厚です。

    なんて言うのですか橋を支える円柱が重厚です。

  • 江戸通りを厩橋へ向かいます。<br />足が攣りはじめました。

    江戸通りを厩橋へ向かいます。
    足が攣りはじめました。

  • 提灯の店です。

    提灯の店です。

  • 1801年創業の老舗駒形どぜうの店です。ここも人の列。<br />私はあの髭のある顔を想像すると食べる気が起こりません。

    1801年創業の老舗駒形どぜうの店です。ここも人の列。
    私はあの髭のある顔を想像すると食べる気が起こりません。

  • 厩橋。<br />当初明治7年、今のは昭和4年。151m。架橋の前は御厩の渡しがありました。<br />西側には幕府の米蔵の米を運ぶ馬の厩があり御厩河岸(おんまやがし)と呼ばれていました。

    厩橋。
    当初明治7年、今のは昭和4年。151m。架橋の前は御厩の渡しがありました。
    西側には幕府の米蔵の米を運ぶ馬の厩があり御厩河岸(おんまやがし)と呼ばれていました。

  • 台東区駒形、蔵前と墨田区本所を結んでいます。<br />通りは春日通り。

    台東区駒形、蔵前と墨田区本所を結んでいます。
    通りは春日通り。

  • 隅田川の橋で唯一3連アーチの姿が美しい。

    隅田川の橋で唯一3連アーチの姿が美しい。

  • 橋の中ほどから。上流に駒形橋。

    橋の中ほどから。上流に駒形橋。

  • グニュッとカーヴした形がカッコいい。

    グニュッとカーヴした形がカッコいい。

  • 釣り船がもやっています。

    釣り船がもやっています。

  • テラスからの眺め。

    テラスからの眺め。

  • 遊覧船が結構頻繁に行き来します。

    遊覧船が結構頻繁に行き来します。

  • ホタルナ号でしょうか。

    ホタルナ号でしょうか。

  • 次は蔵前橋です。

    次は蔵前橋です。

  • 蔵前橋。

    蔵前橋。

  • 昭和2年関東大震災復興により建設。それまでは富士見の渡しがあったところ。173m。<br />江戸時代この西岸一帯に幕府の米蔵があったことがその名の由来です。

    昭和2年関東大震災復興により建設。それまでは富士見の渡しがあったところ。173m。
    江戸時代この西岸一帯に幕府の米蔵があったことがその名の由来です。

  • 蔵前橋。<br />台東区蔵前と墨田区横網を結んでいます。

    蔵前橋。
    台東区蔵前と墨田区横網を結んでいます。

  • 通りは蔵前橋通り。

    通りは蔵前橋通り。

  • 橋の中ほどより厩橋。

    橋の中ほどより厩橋。

  • 欄干の装飾。<br />屋形船と芸者の上に張り出しているのは首尾の松でしょう。

    欄干の装飾。
    屋形船と芸者の上に張り出しているのは首尾の松でしょう。

  • 力士のレリーフ。昭和29年から59年にかけて橋の西詰に蔵前国技館がありました。

    力士のレリーフ。昭和29年から59年にかけて橋の西詰に蔵前国技館がありました。

  • 橋を台東区側に渡ったところに浅草御蔵跡の碑が立っています。<br />徳川幕府が全国の幕府直轄地から集めた年貢米がここに荷揚げされました。何十もの米蔵が櫛比していたそうです。<br />幕府以外にも、伊達、南部、紀伊、尾張、水戸などの大名も蔵屋敷を置いたといいますから、収穫の終わった晩秋ころ米を積んだ船が集まってくる様は壮観だったでしょう。

    橋を台東区側に渡ったところに浅草御蔵跡の碑が立っています。
    徳川幕府が全国の幕府直轄地から集めた年貢米がここに荷揚げされました。何十もの米蔵が櫛比していたそうです。
    幕府以外にも、伊達、南部、紀伊、尾張、水戸などの大名も蔵屋敷を置いたといいますから、収穫の終わった晩秋ころ米を積んだ船が集まってくる様は壮観だったでしょう。

  • 江戸切絵図の浅草御蔵。荷揚げ用の堀が幾つも切り込まれています。<br />真ん中に首尾の松があります。<br />旗本や御家人が給料として受け取った米をお金に換えたり金を貸して利息を取ったのが札差です。

    江戸切絵図の浅草御蔵。荷揚げ用の堀が幾つも切り込まれています。
    真ん中に首尾の松があります。
    旗本や御家人が給料として受け取った米をお金に換えたり金を貸して利息を取ったのが札差です。

  • その付近。

    その付近。

  • 道路の反対側に一本の松の木があります。

    道路の反対側に一本の松の木があります。

  • 何代目かの「首尾の松」です。<br />米蔵の立ち並ぶ中にあり枝が隅田川に張り出していて、吉原通いの船のよい目印になっていました。<br />吉原通いの客たちがこの松の下で今宵の首尾を語ったのが命名の由来とも言われます。

    何代目かの「首尾の松」です。
    米蔵の立ち並ぶ中にあり枝が隅田川に張り出していて、吉原通いの船のよい目印になっていました。
    吉原通いの客たちがこの松の下で今宵の首尾を語ったのが命名の由来とも言われます。

  • 安藤広重「浅草川首尾の松御厩河岸」<br /><br />首尾の松が川に突き出ています。隅田川を御厩河岸(おんまやがし)の渡しがよぎっています。<br />浅草川はこの付近の隅田川の別名です。

    安藤広重「浅草川首尾の松御厩河岸」

    首尾の松が川に突き出ています。隅田川を御厩河岸(おんまやがし)の渡しがよぎっています。
    浅草川はこの付近の隅田川の別名です。

  • 下流側からの蔵前橋。

    下流側からの蔵前橋。

  • 稲のもみ殻に見立てた黄色に塗装されていて鮮やかです。

    稲のもみ殻に見立てた黄色に塗装されていて鮮やかです。

  • 台東区側のテラス。

    台東区側のテラス。

  • テラスの壁はは米蔵を表したものです。白い橋はNTT蔵前専用橋。

    テラスの壁はは米蔵を表したものです。白い橋はNTT蔵前専用橋。

  • 墨田区側のテラスにはいろいろな絵が描かれています。

    墨田区側のテラスにはいろいろな絵が描かれています。

  • 生徒の作品です。

    生徒の作品です。

  • 墨田区側のテラスから。<br />足がつり気味なのでベンチで一休み。

    墨田区側のテラスから。
    足がつり気味なのでベンチで一休み。

  • 橋下の3連のアーチが何か鳥が翼を広げているようで優美ですね。<br />左端に見えている木が首尾の松です。

    橋下の3連のアーチが何か鳥が翼を広げているようで優美ですね。
    左端に見えている木が首尾の松です。

  • 墨田区側のテラス。<br />葛飾北斎<br />両国納涼。夕涼みの人出で混雑する両国橋。

    墨田区側のテラス。
    葛飾北斎
    両国納涼。夕涼みの人出で混雑する両国橋。

  • 葛飾北斎<br />左:新柳橋の白雨。急な雨に急ぐ人々。<br />右:両国橋の下夕涼みの屋形船。

    葛飾北斎
    左:新柳橋の白雨。急な雨に急ぐ人々。
    右:両国橋の下夕涼みの屋形船。

  • 葛飾北斎<br />首尾の松の釣舟。

    葛飾北斎
    首尾の松の釣舟。

  • 黒木半之助<br />両国川開き之光景 明治42年。

    黒木半之助
    両国川開き之光景 明治42年。

  • 百本杭の模型。

    百本杭の模型。

  • 蔵前橋の墨田区側の袂に同愛記念病院があります。<br />関東大震災のさいアメリカの義援金の一部で建てられた病院。

    蔵前橋の墨田区側の袂に同愛記念病院があります。
    関東大震災のさいアメリカの義援金の一部で建てられた病院。

  • その隣に安田庭園。

    その隣に安田庭園。

  • 安田庭園北門。

    安田庭園北門。

  • さして広くはありませんが綺麗な庭園です。入園無料。<br />さる大名の下屋敷で、元禄年間に隅田川の水を引き入れた回遊式潮入庭園として造園されました。

    さして広くはありませんが綺麗な庭園です。入園無料。
    さる大名の下屋敷で、元禄年間に隅田川の水を引き入れた回遊式潮入庭園として造園されました。

  • 奥の建物は刀剣博物館。<br />明治になり安田財閥の祖安田善次郎の所有となり、のち東京都に寄贈されます。

    奥の建物は刀剣博物館。
    明治になり安田財閥の祖安田善次郎の所有となり、のち東京都に寄贈されます。

  • 心字池。

    心字池。

  • 駒止稲荷。

    駒止稲荷。

  • 駒止石。<br />徳川3代将軍家光の1631年、隅田川が氾濫し本所側が大被害を被った。家光が命じても誰も川を渡るものがいない。その時旗本阿部豊後守忠秋が単騎隅田川を馬で渡り実地検分をした。その時駒を繋いで休んだのがこの石と伝えられています。

    駒止石。
    徳川3代将軍家光の1631年、隅田川が氾濫し本所側が大被害を被った。家光が命じても誰も川を渡るものがいない。その時旗本阿部豊後守忠秋が単騎隅田川を馬で渡り実地検分をした。その時駒を繋いで休んだのがこの石と伝えられています。

  • 手入れの行き届いた美しい庭園です。

    手入れの行き届いた美しい庭園です。

  • 池に映るのは同愛記念病院。

    池に映るのは同愛記念病院。

  • 水門跡。<br />安田庭園の池はかっては隅田川の水を引き入れていました。隅田川の水質悪化などにより昭和40年ころ水門は閉じられてしまいました。今は貯水槽に貯められた水を使っています。

    水門跡。
    安田庭園の池はかっては隅田川の水を引き入れていました。隅田川の水質悪化などにより昭和40年ころ水門は閉じられてしまいました。今は貯水槽に貯められた水を使っています。

  • 西門。

    西門。

  • 両国駅に来ました。<br />明治37年、私鉄だった総武鉄道の房総方面のターミナル駅「両国橋駅」として開業。国有化後の昭和6年「両国駅」と改名。今の駅舎は昭和4年の建築。<br />関東の駅100選に選ばれています。

    両国駅に来ました。
    明治37年、私鉄だった総武鉄道の房総方面のターミナル駅「両国橋駅」として開業。国有化後の昭和6年「両国駅」と改名。今の駅舎は昭和4年の建築。
    関東の駅100選に選ばれています。

  • 国技館。

    国技館。

  • まだ2時ですが今日はこれで帰ります。そろそろ足のひきつりが起こりそうです。<br />駅のホームから江戸東京博物館。

    まだ2時ですが今日はこれで帰ります。そろそろ足のひきつりが起こりそうです。
    駅のホームから江戸東京博物館。

  • 駅のホームから。

    駅のホームから。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • pedaruさん 2021/11/17 06:31:37
    隅田川の橋
    ベームさん おはようございます。

    いつもながら丁寧なレポートに感心します。
    私が自転車で東京に行くときは、14号線に沿って走りますが、いわゆる蔵前橋通りです。途中で亀戸天神などで休憩します。
    さて、旅行記の吾妻橋ですが、明治9年まで大川橋と呼ばれていたとのこと、これに関連して、古典落語のなかに吾妻橋の上で大金をもらって救われた女性が、「吾妻橋の旦那様」と書いた紙を、神棚に飾って毎日感謝の気持ちで拝んでいる、と言う話がありますが、これは江戸時代の話かと思っておりましたが、明治以降の話という事になりますね。
    作者が知ってか、知らずか、興味深い話だと思いました。
    同愛記念病院はお馴染みで入院したこともあります。あまり嬉しいはなしではありません。
    よろしかったらご覧ください。https://4travel.jp/travelogue/10868770

    pedaru

    ベーム

    ベームさん からの返信 2021/11/17 17:58:02
    Re: 隅田川の橋
    pedaruさん、

    雑なレポートで恥ずかしいです。

    自転車で東京に出られるとは結構ですね。横浜東京電車で往復は疲れます。比較的空いている土日に動くよう心がけていますが、座れないこともあります。
    帰るときは上野まで行き上野東京ラインに乗るようにしています。すると東京駅では確実に座れます。

    吾妻橋は小説や講談などにもよく取り上げられる橋ですね。自殺の名所などと言われることもあるようです。夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、理学士寒月君が隅田川から聞こえてくる恋人の声に惹かれて欄干に上り川に飛び込んだところ、間違って橋の真ん中に飛び降りたので死なずに済んだ、なんて取り上げられています。

    憩室炎とは初耳です。ブログ拝見しました。同愛記念病院は地域の基幹病院だそうで、良いところに入院されてよかったです。

    橋巡り、あと2回は掛かるようです。足腰の衰えを感じます。

        ベーム

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