2020/10/31 - 2020/10/31
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zenkyou01さん
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忍城・行田散策 埼玉県行田市 全行程5時間31分 行田市駅~大長寺・忍東照宮(42分)忍城址(58分)~(8分)水城公園(25分)~天神社・高源寺・妙音寺(36分)さきたま古墳公園(2時間9分)~(33分)行田市駅
「日時」2020年10月31日
「アクセス」秩父鉄道行田市駅下車
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大長寺本堂 浄土宗の一寺、開山は岌善和尚です。山門、本堂、樹木と石で作られた整備された小さな庭園、塩地蔵尊、閻魔大王、大仏、芭蕉句碑等が配されています
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諏訪神社拝殿 創建は1090年頃、忍一族が館を築いたとき、あるいは1491年成田親泰が忍城築城のときともいわれています。明治6年忍城廃城の際に、東照宮を始め、二の丸稲荷社、多度社・一目連社等が諏訪神社境内に遷座されました
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東照宮拝殿 創建は1625年、松平忠明が社を造営し、母亀姫(家康娘)が所持していた祖父の肖像を安置したのが始まりとされる。東照宮は松平家移封のたびに遷座され、明治6年忍城廃城の際に、諏訪神社境内に遷座された。拝殿向拝や奉納額にはすばらしい彫刻が施されています
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行田市郷土博物館 忍城本丸跡に建つ博物館です。常設展示として、足袋、古代の行田、中世の行田、近世の行田の歴史と文化をテーマに展示しています。特別展示は忍城主松平家の収蔵品が展示されていました。残念ながら写真撮影禁止です。博物館は御三階櫓の内部にも繋がっており、三階まで登ることが出来ます(櫓内も展示室になっています)
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忍城復興東門 東門は再建造物です。忍城の築城主は成田氏、その後の城主は松平氏、阿部氏、松平氏、築城年は十五世紀後半、続日本100名城の一城で、別名浮き城と呼ばれています。江戸時代時の鐘として活躍した鐘楼(再建造物)、御三階櫓(外から)、白い土塀、郭跡、土塁、東門(再建)、進修館表門(移築)、石垣の石、忍城碑、水堀等がみられます
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御三階櫓 明治の廃城令で、忍城は破壊されたが昭和時代に、三階櫓を模した櫓が再建され忍城址のシンボル的存在で、内部は郷土博物館の一部になっています
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水城公園池 広さ10haの都市公園で、忍城の外堀を整備して作られた公園です。池は釣り堀になっており、多くの人が釣り糸を垂れていました。市民広場は桜の名所になっています。遊具や健康遊具はありました
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佐間天神社拝殿 創建は1491年、ご祭神は菅原道真公です。鳥居、拝殿、幣殿、本殿(覆殿か)神楽殿、境内社の稲荷社等が配されています
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高源寺本堂 臨済宗円覚寺派の一寺、創建は1590年、開基は忍城成田氏の家老正木丹波守利英、開山は守天和尚です。境内には開基正木丹波守利英の墓があります
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妙音寺本堂 臨済宗妙心寺派の一寺、創建は1605年、開山は密伝宗吾禅師です。本堂左前に水子・子宝地蔵が立っています。本尊十一面観音は、元普門寺が有していたが、忍城築城の際、さいたま村移され、更に天祥寺造営のため普門寺は廃寺とされ、本尊は妙音寺に預けられる(境内掲示より)
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埼玉県名発祥の碑 埼玉古墳公園内の埼玉史跡博物館の向かいに碑はあります。この古墳群(現行田市)は昔の中心地と想定され、延喜式神名帳にも「前玉神社二座」とあり、現在前玉神社が鎮座します。この前玉(さきたま)が埼玉になったのではないかと想像されます(現地案内板には名の由来は記述されていません)
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埼玉史跡の博物館展示物(金錯銘鉄剣)埼玉古墳群の中の主に稲荷山古墳や将軍山古墳から出土した遺物が展示されています。写真はその中の一件で国宝です。その他帯金具、刀剣、勾玉、鏡、埴輪、馬具、人間が付ける防具等が展示されています。大いに見る価値がある博物館です
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奥の山古墳 全長66Mの前方後円墳で六世紀中頃から後半にかけて築かれています。外観ではわかりませんが、発掘の結果ここも古墳の周囲を二重の堀で囲まれています
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中の山古墳 全長79Mの前方後円墳で六世紀末から七世紀初めに築かれています。埼玉古墳群の中では6番目の規模です。外観ではわかりませんが、発掘の結果ここも古墳の周囲を二重の堀で囲まれています
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鉄砲山古墳 全長112Mの前方後円墳で古墳群の中で3番目の大きさで、六世紀後半に築かれています。外観ではわかりませんが、発掘の結果ここも古墳の周囲を二重の堀で囲まれ、古墳のくびれ部に造出し(方形の壇上施設で、祭祀が行われたところと言われています)が付いています。多くの埴輪、須恵器が出土していますが石室内部は未調査です
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浅間塚古墳説明版 埼玉古墳群の一つの円墳です。石室石材らしきものから七世紀前半の古墳と推測されます
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前玉神社拝殿 創建は不詳、浅間塚古墳の頂上に前玉神社本殿・拝殿は建っています。大鳥居の左手に市天然記念物の大槙の木、市有形文化財の大鳥居を潜り進むと手水舎と神楽殿がある。手水舎の彫刻は見事です。石段を登る途中に境内社浅間神社と石灯籠がある。頂上に本殿と拝殿が建っています
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瓦塚古墳 全長73Mの前方後円墳で六世紀前半~中頃に築かれています。墳丘内部は未調査です。古墳の周囲を二重の堀で囲み、古墳のくびれ部に造出し(方形の壇上施設で、祭祀が行われたところと言われています)が付いています
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旧遠藤家住宅母屋 幸手にあった大きな稲作農家で江戸時代の終わりごろ建てられたものです。間取りは広い土間と厩(家屋の内にある場合もある)、物置、部屋数は5~6間、今まで見た関東地方の古民家とほぼ同じ様子です
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きたま史跡博物館前の紅葉 一部はかなり紅葉し始めています
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愛宕山古墳 全長53Mの前方後円墳で六世紀前半に築かれています。埼玉古墳群の中では最小です。外観ではわかりませんが、発掘の結果ここも古墳の周囲を二重の堀で囲まれています。墳丘内部は未調査で、出土品は埴輪です
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天祥寺内忍城旧藩主の墓 臨済宗妙心寺派の一寺で、開基は松平家藩祖忠明公、創建年は十七世紀前半、奈良の大和郡山に創建、1823年九代藩主忠堯公が忍城に移封の際、天祥寺も移転しました。九代忠堯、十一代忠国、十二代忠誠三公の墓が天祥寺の境内にある。妙心寺の塔頭天祥院は当寺の末寺です
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二子山古墳 全長130Mの前方後円墳で六世紀初めに築かれています。武蔵国最大の前方後円墳です。発掘調査は行われていません。古墳の周囲を二重の堀で囲み、古墳のくびれ部と中堤の西側に造出し(方形の壇上施設で、祭祀が行われたところと言われています)が付いています。中堤は歩けるようになっています
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将軍山古墳 全長90Mの前方後円墳で六世紀後半に築かれています。古墳の周囲を二重の堀で囲み、古墳のくびれ部に造出し(方形の壇上施設で、祭祀が行われたところと言われています)が付いています。1894年横穴式石室が発掘され、多くの埋葬品が出土しました
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将軍山古墳石室内の模擬展示 将軍山古墳の石室が将軍山古墳展示館となっており、石室内部、展示館の歩み、馬具早着想定図、古墳断面、石室内の埋葬想定写真等が見られます。実物は博物館本館で見られます
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稲荷山古墳 全長120Mの前方後円墳で五世紀後半に築かれています。古墳の周囲を二重の堀で囲み、古墳のくびれ部に造出し(方形の壇上施設で、祭祀が行われたところと言われています)が付いています。古墳に登ることが出来ます。円墳の頂上には出土品、礫槨埋葬想定図、発掘調査等が写真展示されています。発掘調査が実施され、多くの遺物が出土し、一括して国宝にされています
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丸墓山古墳 埼玉古墳群の一つで、六世紀前半に築かれた円墳です。高さは19M、埼玉県で一番高い、直径は105M、日本最大だそうです。古墳に頂上まで登ることが出来ます。円墳に南からアクセスする道は石田三成が忍城を水攻めする際、築いた土手で石田堤と呼ばれています
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丸墓山古墳 埼玉古墳群の一つで、六世紀前半に築かれた円墳です。高さは19M、埼玉県で一番高い、直径は105M、日本最大だそうです。古墳に頂上まで登ることが出来ます。円墳に南からアクセスする道は石田三成が忍城を水攻めする際、築いた土手で石田堤と呼ばれています
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