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渋谷文化村 ザ・ミュージマムで開催中の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展 ー美しき棺のイメージー」を見に出かけた。先日も江戸東京博物館で「古代エジプト展」を見たばかりだったので、両者合わせて同じ企画に大変興味を覚えた。<br /><br />オランダのライデン国立古代博物館は、世界で最も古い国立博物館のひとつで、古代エジプト、ギリシャ、ローマ等総数20万点のコレクションを所蔵している。なかんずくエジプト・コレクションは約2万5千点にのぼり、世界有数の室と量を誇る。そのコレクションから10数点の棺、人のミイラ5体、動物のミイラ8体等厳選された250点以上が展示されている。<br /><br />棺を一堂に展示する機会はこれまでに例はなく、棺を横に寝かすのではなく、立てた状態で展示するという非常に珍しい手法を採用した。棺に取り込まれるような圧巻の空間は、当時の人々の死生観へと誘われるような気がした。さらに本展のために人のミイラ3体と動物のミイラ1体を最新のCTスキャン技術で調査し、その体内からこれまで見たことのないような物体が発見されたそうである。<br /><br />その結果が本展で世界初公開となった。斬新な展示方法や最新技術を駆使して再解釈する等、これまで知られざるところに光を当てた展覧会であった。<br /><br /><br />

「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展 ー美しき棺のメッセージ」を見る

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2021/06/20 - 2021/06/20

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Weiwojing

Weiwojingさん

渋谷文化村 ザ・ミュージマムで開催中の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展 ー美しき棺のイメージー」を見に出かけた。先日も江戸東京博物館で「古代エジプト展」を見たばかりだったので、両者合わせて同じ企画に大変興味を覚えた。

オランダのライデン国立古代博物館は、世界で最も古い国立博物館のひとつで、古代エジプト、ギリシャ、ローマ等総数20万点のコレクションを所蔵している。なかんずくエジプト・コレクションは約2万5千点にのぼり、世界有数の室と量を誇る。そのコレクションから10数点の棺、人のミイラ5体、動物のミイラ8体等厳選された250点以上が展示されている。

棺を一堂に展示する機会はこれまでに例はなく、棺を横に寝かすのではなく、立てた状態で展示するという非常に珍しい手法を採用した。棺に取り込まれるような圧巻の空間は、当時の人々の死生観へと誘われるような気がした。さらに本展のために人のミイラ3体と動物のミイラ1体を最新のCTスキャン技術で調査し、その体内からこれまで見たことのないような物体が発見されたそうである。

その結果が本展で世界初公開となった。斬新な展示方法や最新技術を駆使して再解釈する等、これまで知られざるところに光を当てた展覧会であった。


旅行の満足度
5.0
  • 「古代エジプト展」会場の入り口。見学するには事前の予約申し込みが必要であったが、ネットで割と簡単に取れた。訪れた日はそんなに混んでおらず、ゆったり見ることが出来た。

    「古代エジプト展」会場の入り口。見学するには事前の予約申し込みが必要であったが、ネットで割と簡単に取れた。訪れた日はそんなに混んでおらず、ゆったり見ることが出来た。

  • オランダ・ライデンにあるライデン国立古代博物館は、1818年の設立で、ヨーロッパの中でも早くから海洋国家として栄えたオランダには、商人や外交官、軍人等が現地から持ち帰った古代エジプトの遺物が早くから蓄積された。<br /><br />現在、ライデン古代エジプトコレクションは、大英博物館やルーブル美術館、トリノ・エジプト博物館、ベルリン・エジプト博物館と並び、ヨーロッパにおける5大コレクションのひとつとして知られている。

    オランダ・ライデンにあるライデン国立古代博物館は、1818年の設立で、ヨーロッパの中でも早くから海洋国家として栄えたオランダには、商人や外交官、軍人等が現地から持ち帰った古代エジプトの遺物が早くから蓄積された。

    現在、ライデン古代エジプトコレクションは、大英博物館やルーブル美術館、トリノ・エジプト博物館、ベルリン・エジプト博物館と並び、ヨーロッパにおける5大コレクションのひとつとして知られている。

  • ライデン国立古代博物館一階ロビーにはタフェー神殿が移築展示されている。

    ライデン国立古代博物館一階ロビーにはタフェー神殿が移築展示されている。

  • 今回の展覧会の図録で、単に展示作品の解説だけにとどまらず、エジプトの長い歴史とミイラが果たしてきた役割、科学的な分析など最新の研究も詳しく述べられていて、大変役に立った。

    今回の展覧会の図録で、単に展示作品の解説だけにとどまらず、エジプトの長い歴史とミイラが果たしてきた役割、科学的な分析など最新の研究も詳しく述べられていて、大変役に立った。

  • ミイラが直立するように並べられているのには驚いた。これまでミイラといえば横たわって置かれているのが普通であるが、ここでは縦に置かれ、しかも「立体展示」ということであった。<br /><br />小生はどちらかというとあまり古代エジプト文明には興味は持っていなかった。世界4大文明の発祥地として世界史や中東文明史等で学んできたことは確かであるが、長い歴史の中であまりにも多くの神々の登場や異なった文明の興亡に容易に近づけなかった。<br /><br />しかし、こうした展覧会を身近に見ることが出来る機会を利用して、少しでも古代エジプトの歴史と文明に関心を深めていくことが出来れば幸いである。

    ミイラが直立するように並べられているのには驚いた。これまでミイラといえば横たわって置かれているのが普通であるが、ここでは縦に置かれ、しかも「立体展示」ということであった。

    小生はどちらかというとあまり古代エジプト文明には興味は持っていなかった。世界4大文明の発祥地として世界史や中東文明史等で学んできたことは確かであるが、長い歴史の中であまりにも多くの神々の登場や異なった文明の興亡に容易に近づけなかった。

    しかし、こうした展覧会を身近に見ることが出来る機会を利用して、少しでも古代エジプトの歴史と文明に関心を深めていくことが出来れば幸いである。

  • ライデン国立古代博物館は他のヨーロッパ諸国に遅れてエジプト発掘を開始したが、20世紀になってアスファン・ハイ・ダムの建造に伴い、その貯水池であるナセル湖は周辺の遺跡を水没する恐れがあった。そこでユネスコの支援を得て、ヌビアの村落と教会を発掘し、その成果を記録した。<br /><br />いずれの写真も「タフェー神殿」で、左の画像は復元作業をしているところである。その復元した神殿が No.3 の写真である。

    ライデン国立古代博物館は他のヨーロッパ諸国に遅れてエジプト発掘を開始したが、20世紀になってアスファン・ハイ・ダムの建造に伴い、その貯水池であるナセル湖は周辺の遺跡を水没する恐れがあった。そこでユネスコの支援を得て、ヌビアの村落と教会を発掘し、その成果を記録した。

    いずれの写真も「タフェー神殿」で、左の画像は復元作業をしているところである。その復元した神殿が No.3 の写真である。

  • 発掘の様子。この2枚の写真は死者を埋葬した共同墓地であった。

    発掘の様子。この2枚の写真は死者を埋葬した共同墓地であった。

  • ツタンカーメン王墓を発見したイギリスの考古学者ハワード・カーター(1874~1934、右側)と彼の支援者であるカーナヴォン卿の写真があった。

    ツタンカーメン王墓を発見したイギリスの考古学者ハワード・カーター(1874~1934、右側)と彼の支援者であるカーナヴォン卿の写真があった。

  • ツタンカーメンの棺から油を取り除くハワード・カーター。

    ツタンカーメンの棺から油を取り除くハワード・カーター。

  • 先ずは、250点に及ぶ展示作品の中から興味を覚えたものを50数点紹介したいと思う。<br /><br />○ ツタンカーメン王の倚像」(前1330年頃)<br /><br />ツタンカーメン王は若くして亡くなったために彼の名は墓の発掘で広く知られるようになった。この彫像はアメン神として表されたツタンカーメンのもので、1928年にオランダ王妃の母エムマが王家を代表してライデン国立博物館への寄贈に立ち会った。彼女はこの像を1869年のスエズ運河の開通後に贈り物として受け取ったのである。<br />

    先ずは、250点に及ぶ展示作品の中から興味を覚えたものを50数点紹介したいと思う。

    ○ ツタンカーメン王の倚像」(前1330年頃)

    ツタンカーメン王は若くして亡くなったために彼の名は墓の発掘で広く知られるようになった。この彫像はアメン神として表されたツタンカーメンのもので、1928年にオランダ王妃の母エムマが王家を代表してライデン国立博物館への寄贈に立ち会った。彼女はこの像を1869年のスエズ運河の開通後に贈り物として受け取ったのである。

  • 〇 「イウイウの供養塔像」(前1539-1292年頃)<br /><br />書記のイウイウは膝を抱えて座り、腕を組んだ姿で表されている。像の台座や背柱には供養分が彫られ、両脚の間にはオシリス神が立っている。

    〇 「イウイウの供養塔像」(前1539-1292年頃)

    書記のイウイウは膝を抱えて座り、腕を組んだ姿で表されている。像の台座や背柱には供養分が彫られ、両脚の間にはオシリス神が立っている。

  • 〇 「パカルの石碑」(前1332-1320年頃)<br /><br />パカルは上段右側に妻と立ち、左側には来世の神であるオシリスと彼の二人の妹であるイシスとネフティスがいる。下段では、パカルが木の女神から水を受け取っている。石碑の上部には、葬祭の神アヌビスが横になった姿で彫られている。<br />

    〇 「パカルの石碑」(前1332-1320年頃)

    パカルは上段右側に妻と立ち、左側には来世の神であるオシリスと彼の二人の妹であるイシスとネフティスがいる。下段では、パカルが木の女神から水を受け取っている。石碑の上部には、葬祭の神アヌビスが横になった姿で彫られている。

  • 〇 「名前不詳の供養碑」(前2000年頃)<br /><br />従来のものとは異なる描き方をしており、中産階級の台頭により、このような石碑にも変化が表れているとの研究がある。

    〇 「名前不詳の供養碑」(前2000年頃)

    従来のものとは異なる描き方をしており、中産階級の台頭により、このような石碑にも変化が表れているとの研究がある。

  • 〇 「クウと家族の供養碑」(前1878ー1843年頃)<br /><br />来世の神であるオリシスはエジプト中部の町アビドスで崇拝されたが、クウはこのオリシスの名前が彫られた石碑を、神殿の参道脇に設けられた小型の祠に置いた。碑文は、供物の一部をクウの家族が呪術的に受け取ることを可能にしている。

    〇 「クウと家族の供養碑」(前1878ー1843年頃)

    来世の神であるオリシスはエジプト中部の町アビドスで崇拝されたが、クウはこのオリシスの名前が彫られた石碑を、神殿の参道脇に設けられた小型の祠に置いた。碑文は、供物の一部をクウの家族が呪術的に受け取ることを可能にしている。

  • 〇 「イシスとオシリスが彫られた石碑」(前1300年頃)

    〇 「イシスとオシリスが彫られた石碑」(前1300年頃)

  • ○ 「アメンエムヘブの碑」(前1292ー1191年頃)

    ○ 「アメンエムヘブの碑」(前1292ー1191年頃)

  • 〇 「ホルの碑」(前664ー525年頃)

    〇 「ホルの碑」(前664ー525年頃)

  • ○ 「タネトアメンのプタハ・ソカル・オシリス像」(前1076-944年)

    ○ 「タネトアメンのプタハ・ソカル・オシリス像」(前1076-944年)

  • 〇 「ネスナクトの『死者の書』」(前304ー30年頃)

    〇 「ネスナクトの『死者の書』」(前304ー30年頃)

  • 〇 「ネスナクトの『死者の書』」(前304ー30年頃)

    〇 「ネスナクトの『死者の書』」(前304ー30年頃)

  • 〇 「アセトウェレトの『死者の書』」(前380ー343年頃)

    〇 「アセトウェレトの『死者の書』」(前380ー343年頃)

  • 〇 「コンスウヘテプの内棺」(前1190ー944年頃)(No.1)<br />

    〇 「コンスウヘテプの内棺」(前1190ー944年頃)(No.1)

  • 〇 「コンスウへテプのミイラ覆い」(No.2)<br />

    〇 「コンスウへテプのミイラ覆い」(No.2)

  • 〇 「コンスウへテブのミイラ覆い」(No.3)<br />

    〇 「コンスウへテブのミイラ覆い」(No.3)

  • 〇 「コンスウへテブのミイラ覆い」(No.4)

    〇 「コンスウへテブのミイラ覆い」(No.4)

  • 〇  「イルナクトアメンとワウイの像」(前1292ー1191年頃)

    〇 「イルナクトアメンとワウイの像」(前1292ー1191年頃)

  • 〇 「イシスの像」(グレコ・ローマン時代、ローマ時代)

    〇 「イシスの像」(グレコ・ローマン時代、ローマ時代)

  • 〇  左:「神官の小像」(前772ー30年頃)、 右:「プタハイルディスが奉納した神官の小像」(前722ー30年頃)<br />  

    〇 左:「神官の小像」(前772ー30年頃)、 右:「プタハイルディスが奉納した神官の小像」(前722ー30年頃)
      

  • 〇  「アメン神に捧げられたカーエムテルの像」(前1292ー1191年頃)

    〇 「アメン神に捧げられたカーエムテルの像」(前1292ー1191年頃)

  • 〇 「イレトホルルウのブタハ・ソカル・オシリス像」(前304ー30年頃)(No.1)<br />

    〇 「イレトホルルウのブタハ・ソカル・オシリス像」(前304ー30年頃)(No.1)

  • 〇 「イレトホルルウのブタハ・ソカル・オシリス像」(No.2)

    〇 「イレトホルルウのブタハ・ソカル・オシリス像」(No.2)

  • 〇 「ヤシ柱形ガラス製瓶」(前772ー332年頃)

    〇 「ヤシ柱形ガラス製瓶」(前772ー332年頃)

  • 〇 「家族の群像」(前1425ー1400年頃)

    〇 「家族の群像」(前1425ー1400年頃)

  • 〇 「イルナクトアメんンとワウィの像」(前1292ー1191年頃)

    〇 「イルナクトアメんンとワウィの像」(前1292ー1191年頃)

  • 〇 「供物卓」(前1980ー1760年頃)

    〇 「供物卓」(前1980ー1760年頃)

  • 〇 「心臓スカラベ ①」(前664ー525年頃)<br /><br />来世に向かう際には死者の心臓を秤で計量するため、ミイラの制作時に心臓は体内に残された。ミイラの胸部には心臓形のスカラベが置かれたが、心臓が」最後の審判」の際に故人を裏切らないようにその裏には呪文が刻まれている。呪文は個人の罪を明かさぬよう心臓に命令するもので、それによって彼らは来世への道を確保できたのである。

    〇 「心臓スカラベ ①」(前664ー525年頃)

    来世に向かう際には死者の心臓を秤で計量するため、ミイラの制作時に心臓は体内に残された。ミイラの胸部には心臓形のスカラベが置かれたが、心臓が」最後の審判」の際に故人を裏切らないようにその裏には呪文が刻まれている。呪文は個人の罪を明かさぬよう心臓に命令するもので、それによって彼らは来世への道を確保できたのである。

  • 〇 「心臓スカラベ ②」(年代不詳)<br /><br />これは表裏一体をなすもので、下の裏側の部分には呪文が書かれている。

    〇 「心臓スカラベ ②」(年代不詳)

    これは表裏一体をなすもので、下の裏側の部分には呪文が書かれている。

  • ○ 上:「護符とビーズの首飾り」(前1539ー1077年頃)<br /><br />  下: 「ホルスの眼が付いた首飾り」(前1539ー1077年頃)<br /><br /> 宝飾品は、日常生活においては、男女を問わず襟飾りや首飾りといった宝飾品を身に付けた。

    ○ 上:「護符とビーズの首飾り」(前1539ー1077年頃)

      下: 「ホルスの眼が付いた首飾り」(前1539ー1077年頃)

    宝飾品は、日常生活においては、男女を問わず襟飾りや首飾りといった宝飾品を身に付けた。

  • ○ 「黄金の耳飾り」(前1539ー1292年頃)

    ○ 「黄金の耳飾り」(前1539ー1292年頃)

  • ○ 左:「シュラ」 (前1539-1077年)、右:「双把手付アンフォラ」(前1539-1077年)

    ○ 左:「シュラ」 (前1539-1077年)、右:「双把手付アンフォラ」(前1539-1077年)

  • 〇 左:「男のミイラの肖像」(1ー2世紀頃)、右:「金彩のミイラマスク」(前30430年頃)

    〇 左:「男のミイラの肖像」(1ー2世紀頃)、右:「金彩のミイラマスク」(前30430年頃)

  • 〇 「ハイトエムハトの棺」(前722ー332年頃)

    〇 「ハイトエムハトの棺」(前722ー332年頃)

  • 〇 [ネヘムスウのカルトナージュ」(前934 ー746年頃)<br />

    〇 [ネヘムスウのカルトナージュ」(前934 ー746年頃)

  • 今回の展覧会で最も興味を覚えたことの一つにミイラをCTスキャンを用いて、その包帯を解くことなく、内部のミイラの状態を知ることが出来るとなったことである。

    今回の展覧会で最も興味を覚えたことの一つにミイラをCTスキャンを用いて、その包帯を解くことなく、内部のミイラの状態を知ることが出来るとなったことである。

  • このように最新の科学技術を用いてこれまで知ることがなかったミイラの内部の様子が分かり、まさに画期的な研究成果を得ることが出来たと言ってよいだろう。

    このように最新の科学技術を用いてこれまで知ることがなかったミイラの内部の様子が分かり、まさに画期的な研究成果を得ることが出来たと言ってよいだろう。

  • 〇 「アメンへテプの内棺」(前1076ー944年頃)

    〇 「アメンへテプの内棺」(前1076ー944年頃)

  • 〇 「シャプティと呼ばれる小像」<br />

    〇 「シャプティと呼ばれる小像」

  • ○ 「パネシィの外棺」(前943ー746年頃)

    ○ 「パネシィの外棺」(前943ー746年頃)

  • こんな風にしてミイラをスキャン化し、内部の様子を知ることが出来る。

    こんな風にしてミイラをスキャン化し、内部の様子を知ることが出来る。

  • これまでも動物のミイラも数多く発見されている。古代エジプト人は、神々が動物の姿を採ることがあると考えていた。様々な種類の動物が特定の神への奉納品としてミイラにされた。<br /><br />〇 「偽のトキ(?)のミイラ」<br />  「猫のミイラ」<br />  「ハヤブサのミイラ」<br />

    これまでも動物のミイラも数多く発見されている。古代エジプト人は、神々が動物の姿を採ることがあると考えていた。様々な種類の動物が特定の神への奉納品としてミイラにされた。

    〇 「偽のトキ(?)のミイラ」
      「猫のミイラ」
      「ハヤブサのミイラ」

  • 〇 「センサオスのミイラ」(109年)と顔の復元家庭を示した模型

    〇 「センサオスのミイラ」(109年)と顔の復元家庭を示した模型

  • 「木棺のマスク断片」(前722ー332年頃)

    「木棺のマスク断片」(前722ー332年頃)

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