2021/03/25 - 2021/03/25
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ペコちゃんさん
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岩槻(さいたま市岩槻区)は、1457年に太田道灌が岩槻城を築城し、江戸時代には岩槻藩・大岡家2万2千石の城下町として、また日光御成街道の宿場町として栄えた歴史のある街です。
また、「人形のまち」として知られる岩槻の人形作りは、日光東照宮造営に関わった職人が当地に留まり、江戸初期に始めたと言われています。
ひな祭りの時期はもう終わりましたが、一度訪れてみようと思い、桜の季節に行ってみました。
写真は、岩槻人形博物館の企画展『天野家の雛祭り 人形が彩る商家の暮らし』で展示されている天野家の雛人形。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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埼玉県東部に位置する岩槻・・・1954年に岩槻市となり、2005年に「さいたま市」に編入されて、現在は「さいたま市岩槻区」・・・さいたま市を構成する10区の中で最も面積が広く、人口は約11万人。
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今回、岩槻を訪れたのは、昨年4月から孫が通っている中学校を一度見てみたいと思っていたからです。
コロナ禍で学校行事も思うように開催出来ないようですが、勉強は中高一貫教育で、しっかり行われているようです。
因みに、今年の大学合格者は、東大:8名、早稲田:59名、慶応:51名など。 -
この校舎で授業を受けているそうです・・・頑張れ、〇〇君!
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キャンパスを見た後は街の中心部に向かい、「岩槻城址公園」へ。
かつて岩槻城があった跡地に整備された岩槻城址公園・・・敷地面積は約18万平方mもあり、自然林に囲まれた起伏の多い公園。
駐車場に車を止めて、わんぱく広場の方へ向かいます。 -
岩槻城は1457年に太田道真・道灌父子が築城したと言われますが、忍城主・成田親泰の祖父にあたる成田資員が築城したとする説もあります。
公園入口にあるこの城郭マップは江戸時代後期の城郭と城下町ですが、現在は元荒川の川筋も変わっており、主郭の曲輪および堀は残っていません。 -
往時は天守がない平山城でした。
1567年から小田原・北条氏の支配となり、1590年に豊臣方の総攻撃で落城・・・江戸時代には江戸北方の守りの要として重要視され、幕府要職の譜代大名の居城となりましたが、明治維新後に廃城となりました。 -
岩槻城址公園は、約600本の桜が咲く桜の名所・・・駐車場と公園の間にある桜並木も満開状態です。
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右側の高台には、市民会館があります。
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公園を入った所にある「わんぱく広場」・・・以前は木製のフィールドアスレチック遊具がありましたが、2015年に金属製の大型複合遊具に変わっています。
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この芝生一帯がかつては城を守る沼でしたが、今は市民の憩いの場に。
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まだ大木ではありませんが、見事な枝ぶりです。
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春爛漫・・・
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花見の後は、「岩槻人形博物館」に行ってみました。
県道2号線(さいたま春日部線)沿いにある、日本初の人形をテーマとする公共博物館です。 -
左側に立つ太田道灌の像。
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ここには旧岩槻市庁舎がありましたが、2012年に岩槻駅前の再開発ビル「ワッツ」に岩槻区役所が移転したので、その跡地に「岩槻人形博物館」と「にぎわい交流館いわつき」を建てることとし、2020年2月22日にオープンしました。
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博物館では、日本画家・西澤笛畝(にしざわ てきほ、1889~1965)のコレクションを主に、5,000点以上の人形関係資料を収蔵しています。
先ず、常設展の展示室から見学・・・これは江戸~明治頃の五月人形「大将」。 -
右:「飛翔」(1992年)
左:「童心爛漫」(2004年) -
「古今雛」(江戸時代)
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「八紘雛」(1940年)・・・野口光彦(1896~1977)は、御所人形の伝統様式と技法を基にしながらも、創作性のある人形を制作し、近代以降の創作人形の世界を牽引した人形作家で、この作品は富士山の姿を象った雛です。
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江戸~明治に作られた雛人形。
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博物館では、年に4回ほどの企画展を通じ、収蔵品を順次紹介しています。
今回は、開館一周年記念企画展として『天野家の雛祭り 人形が彩る商家の暮らし』を開催していました。 -
1852年に岩槻で生まれた4代・天野源七は、江戸・日本橋の小間物屋に奉公して3代・源七に見込まれて養子となって天野源七商店を引き継ぎ、大正4年に販売開始した「ヘチマコロン」を店の看板商品に育て上げ、現在に続いています。
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天野家では、雛祭りの時期になると人形を飾り付け、子供たちの成長を祝いました。
2018年にその人形たち約600点が博物館のコレクションに加わり、今回の企画展が開催された訳です。 -
4代・源七の娘「ゆき」の人形玩具収集に始まる天野家の人形コレクション・・・その一部が展示室の周囲に、そして中央には「ヘチマコロン」が展示されています。
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明治後期の「内裏(だいり)雛」・・・人形師・永徳斎が制作した気品のある顔立ちが素晴らしい。
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明治後期~昭和初期の御所人形「宝船」。
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右側は大正~昭和初期の雛壇・・・2組の男雛・女雛に、三人官女・五人囃子などが賑やかに並び、左側には御所人形などが並んでいます。
昭和初期の商家で盛大に行われた、華やかな雛祭りの一端を楽しむことが出来ました。 -
博物館から徒歩数分の所にある「時の鐘」・・・1671年、時の岩槻城主・阿部正春公が、領内の人々に時刻を知らせるために鋳造しましたが、その後、火災で亀裂が生じたため1720年に改鋳し、現在に至っています。
鐘楼は1853年に改建されました。 -
江戸後期には1日に12回撞かれていたそうで、現在は朝夕6時と正午の3回、美しい音色を響かせています。
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「時の鐘」の横にあるイチョウ・・・1896年に植えられた幹回りが約5mの巨木・・・黄葉の時は見事でしょうね。
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博物館の右側にある「にぎわい交流館いわつき」に戻ってきました。
ここはイベントやミーティングなどのスペースのほか、1階にはショップもあります。 -
ショップの名前は「ヨロ研カフェ」・・・変わった名前ですが、「さいたまヨーロッパ野菜研究会」を縮めた、ヨーロッパ野菜をメインとした本格的なカフェレストラン。
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店内に入ると、左側にヨーロッパ野菜の直売や、さいたま市の特産品を販売するコーナー・・・さいたま市は日本有数のヨーロッパ野菜の産地で、岩槻はその中心地です。
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ここでランチ・・・最初にレジでお金を支払います。
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本日のパスタをオーダー。
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「チーマ・ディ・ラーパ」とは、イタリアのカブの菜の花のこと・・・日本の一般的な菜の花より苦みがやや強く、葉の部分は少し酸味もありますが、これもまた美味しい。
サラダの「ルッコラ・ロケット」はハーブ・・・仄かにゴマのような香りがし、味は少しピリッと辛く、苦味もあります。
美味しいヨーロッパ野菜のランチでした。 -
交流館の所に掲示されている案内板・・・東武野田線・岩槻駅や人形館、時の鐘、岩槻城址公園など中心部の位置関係がよく分かります。
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案内板の所にある「日光御成道一里塚跡」の道標・・・日光御成道は徳川将軍が日光東照宮に参詣するために整備され、中山道の本郷追分から北上し岩淵宿、川口宿、鳩ヶ谷宿から岩槻宿を経て幸手宿の手前で日光街道に合流した脇街道。
一里塚とは、主要な街道に一里(約4km)毎に榎や松などを植えた塚で、道の両側に設けて旅の行程の目安とされ、岩槻にはこの一里塚が3か所ありました。 -
博物館の駐車場から歩いて1~2分の所にある「裏小路公園」・・・旧岩槻市役所第4別館として使われていた秋葉邸(旧岩槻町長)の跡地に、「城下町、人形の街岩槻に合う公園を」というコンセプトで造られた公園です。
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入り口や東屋の屋根の上などを飾る可愛らしい人形たちは、人形彫刻作家「磊(らい)」によるもの。
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石の彫刻も磊さんの作品。
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右側は人形のベンチ・・・何を話しているんでしょうね?
左側は乗り物ベンチかな? -
人形の町を感じさせる鯉の形をした石造りの滑り台・・・しがみついている子供が本当に可愛い。
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奥の奥の一角にある枯山水の石組み。
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裏小路に面した公園の入り口にも、愛らしい子供の姿が・・・
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公園の北側を東西に走る「裏小路」・・・この辺りは岩槻藩士の居住地だったそうで、町人の住む城下町との境界には木戸が設けられていたそうです。
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武家屋敷の雰囲気を感じます。
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裏小路を東に進んで「遷喬館(せんきょうかん)」へ・・・江戸の後期、岩槻藩に仕えていた儒学者の児玉南柯 (こだまなんか 1746~1830)が、青少年教育のために1799年に創設した家塾で、1811年に藩校となりました。
江戸時代には全国に多くの藩校がありましたが、遷喬館は埼玉県で現存する唯一の建物です。 -
最盛期には梅林のある広大な敷地に武芸稽古所、菅原道真を祀る菅神廟、南柯の自宅「梅亭」、築山・泉水などがあり、藩士の子弟たちに儒学の講義や武芸の稽古が行われていたそうです。
明治維新後、藩校が廃止されて一般の住居となりましたが、昭和14年に埼玉県の文化財(史跡)に指定されました。 -
入り口を入ると6畳の納戸、中央に9畳と15畳の二間続きの教場があり、在学生徒数は約40人だったそうです。
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2003~2006年に解体修理が行われ、綺麗に復元されています
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廊下から見た茅葺き屋根。
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教場の一角に展示コーナーがあります。
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遷喬館では、儒教を中心とした教育が行われ、『四書五経』や『史記』、『群書類従』などが教材として使われました。
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『岩槻に過ぎたるものが二つある。児玉南柯と時の鐘』と謳われた南柯は甲府の豊島家に生まれ、11歳の時に岩槻藩士・児玉親繁の養子になります。
16歳の時、藩主・大岡忠喜の小姓となり、江戸の大岡藩邸に勤め、職を辞した後も研究生活を続けて遷喬館を開設し、岩槻藩の子弟教育に情熱を注ぎ込んだ儒学者です。 -
『詩経』の「出自幽谷 遷干喬木」に由来した「遷喬館」の名称・・・学問を欲し、友を求めることを、鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移ることに例えた内容で、ここで学ぶ物に高い志を持つことを促したものです。
城下町だった岩槻の散策を楽しんだ春の一日でした。
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