カラチ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
いつもは年に4~5回は海外へ行くのですが、今年2020年は2月のエクアドル以来どこにも行けません。もちろん新型コロナウイルス禍のせいです。<br /><br />それで、もう古いですが、自分の著書(坂本泰樹)の中の旅行記を紹介したいと思います。出版社が倒産したので絶版になっているので、アマゾンの古本くらいでしか買えません。特に、そのうち5つは発売直後に関西毎日放送のラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(午前8時~10時30分)の新刊書籍紹介のコーナーで5日間連続放送されました。2008年のことです。失敗談が多く、面白いと思います。 その第3弾です。前々回の第9章 油断大敵! カンクンにて、第10章 ベネズエラでの学会 の続きです。<br /><br />その代わり、写真はありません。<br /><br />新婚旅行へ出発<br /><br /> もう30年以上も前のことですが、我ながら新婚旅行はユニークだったと思います。まず期間は24日間。もちろん、豪華な新婚旅行ツアーなどではありません。むしろ、一言でいえば「貧乏旅行」です。<br /> 格安航空券はその時調べた中で一番安かったパキスタン航空。もちろん、南回りで、台北、バンコク、カラチ、ドバイを経由してようやくアテネです。30時間ほどかかります。客が少しずつ入れ替わるので、毎食立派な食事が出ます。当時の私は嬉々として、全食平らげていました。帰りの切符はパリからです。<br /> 行先は、はっきりとは決めていません。私の好きな気ままな旅行です。最後にパリに行けばいいだけです。3週間の列車の周遊切符、ユーレイルパスを買っています。<br /> その時はあまり深く考えていなかったのですが、今考えるとよく彼女の両親がこんな新婚旅行を許してくれたなと思います。まだ相手(つまり私のことですが)のこともよく知らないのに、こんなホテルも行き先も決めていない長期間の旅行です。<br /> しかも、現在と違って携帯電話もないので連絡もつきません。彼女の両親はよほど私のことを信頼してくれていたのでしょう。彼女のパスポートの名字を変えるために、結婚式の3週間も前に籍だけ先に入れるということも簡単に承諾してくれました。<br /> パキスタン航空と聞くとみなさん不安がります。でも、私の思考回路で言うと、こういう国のパイロットは空軍上がりなので、腕はいいらしいので、むしろ安心です。ただし、真偽のほどはわかりません。私は都合よく信じています。確かに、機体は古くてボロでした。離陸の時には、空席のリクライニングシートは全部前に倒れていました。<br /> 万が一、落ちて死んだ時の保証金は安いとは思いますが、新婚当時の私には親に大金を残してもしょうがないので気にもしていませんでした。しかも、高校のアメリカ留学の時、初めて乗った飛行機が全てジャンボ機ばっかりで、それ以来の飛行機マニアである私にとって、飛行機は楽しい乗り物であり怖い乗り物ではありません。いまだに、飛行機に乗っているだけで嬉しい単純な私です。<br /><br />まずはヨーロッパのアテネへ<br /> <br /> 最初の行き先をアテネにしたのには理由があります。アテネは格安航空券の店が多いと聞いたからです。しかも、ヨーロッパでは学生が大事にされるのを知っている私は、当時大学院生とはいえ学生なので、大学生協で国際学生証を作って行ったのです。準備万端です。<br /> ところが、いくら学生でも31歳では学生証は使えないと言われたのです。しかし、そんなことにはへこたれないのが私です。あきらめずに格安航空券の店を5~6軒回って、ようやく学割が使える店を見つけました。しかも、そのへんがいい加減で、25歳のかみさんは学生でもないのに、「ついでに」学割が使えました。このへんが、大陸的でおおらかで大雑把でいいですねぇ。<br /> ただし、スペインからジブラルタル海峡を渡ってアフリカに行くことも考えていたのですが、適当な格安航空券がなくあきらめ、かわりにトルコのイスタンブールへ行き、その後スペインのマドリッドまで一気に飛んで、それからゆっくり列車で東に行くことにしました。<br /><br />エーゲ海のミコノス島<br /><br /> ただ、イスタンブールに行く前に、現地の2泊3日のツアーでエーゲ海のミコノス島へ船で行きました。これが、気楽な自由旅行のいいところで、現地で知り合った家族連れの日本人にどこかいいところはと聞くと、ぜひとすすめてくれました。確かに、素晴らしい島でした。石造りの建物は全て白色に統一され、青い空と青い海のとのコントラストが素晴らしいのです。ホテルの部屋からの眺めももちろん最高です。パックツアーのホテルで私としてはむしろ珍しく高級なホテルでした。一時期、日本のコマーシャルで同様のきれいな風景が流れていました。<br /> 何の情報もなく、二人で気ままにビーチに出ると何か変です。みんな裸なのです。しかも、よ~く見るとみんな男です。しかもカップルなのです。後で、ガイドブックで調べると「スーパーパラダイスビーチ」というホモで有名なヌーディスト・ビーチでした。あまりにわかりやすい名前なのでいまだに覚えているのです。翌日、もう少し奥のビーチに行くと「健全な」ヌーディスト・ビーチでした。同じく後で調べると「パラダイスビーチ」と言う名前でした。<br /> ここは健全で女性もいるのですが、一番感心したのはあそこからタンポンのひもが見える女性がいるのです。その根性には圧倒されました。かみさんと顔を見合わせました。たぶん、日本の女性では無理でしょう。確かに、この世の「天国」のような場所でした。<br /> ミコノス島からフェリーでアテネの外港ピレウスに帰りついたのは、もう夜でした。寝るだけなので、二人で約1000円の安ホテルを見つけました。私は、さっさと寝たのですが、二人で寝るとベッドがたわみ、かみさんは眠れなかったそうです。<br /> その時は新婚で彼女も我慢していたらしく、何も文句を言わなかったのです。高知出身の彼女は決して気の弱いほうではなかったので、後からずいぶんと嫌味を言われました。しかも、新婚旅行なのに! と。その時点で文句を言えばいいのに。でも、その時の私がそんな事に気づくはずもありません。私のマイペースで旅は続きます。<br /><br />イスタンブール<br /><br /> トルコという国に対しては、アジアとヨーロッパの中間地点という認識しかありませんでした。でも、イスタンブールに行ってみると非常に親日的な国だと分かりました。我々が日本人だとわかるとみんな非常に親切なのです。失礼ながら、日本人にはそんなに馴染みのない国なのに、トルコ人の片思いのように私には感じられました。<br /> 食べ物も具体的に書くほどの印象はないのですが、美味しかったです。世界の三大料理に、フランス料理、中華料理、トルコ料理という場合もあるようですが、そこまで美味しいという記憶はありません。私にとってはイタリア料理がダントツに世界で一番です。<br /> ある晩は、少し体調が悪いというかみさんをホテルに残して一人で怪しげな地域を歩き回り、ベリーダンスを見ながら食事のできるレストランへ行きました。客の参加を求めた踊り子の誘いに乗り、Tシャツをめくり上げて踊った私のベリーダンスはなぜかアメリカ人の観光客にバカ受けでした。踊り子は調子に乗って踊っている私をお尻を使ってぽんと客席へ押し戻すのでした。なかなかしゃれた演出です。<br /><br />マドリッドで入院<br /><br /> 飛行機でイスタンブールからマドリッドまで一気に移動したわけですが、その頃からかみさんの下痢と嘔吐がひどくなりました。もちろん、私と同じようなものしか食べていませんし、大食いの私の半分も彼女は食べていませんので、食中毒ではなく疲れといわゆる水や油が合わないための症状です。<br /> 医者の私としてはあまり心配していませんでしたが、日に日に衰弱していくのがわかります。脱水状態でへなへなです。さすがに私もこれは入院させて点滴をしてもらう必要があると考え、病院を探しました。せめて、英語のわかる病院をと思い、何とか米軍とスペインの共同病院を見つけました。予想通り、スペインの医者は入院を指示し、点滴をすぐに始めました。<br /> 翌朝、彼女を見舞いに行くと、不安いっぱいの表情をしていました。開口一番、スペインの看護婦さんは怖いと私に訴えるのです。部屋に入って来るなり、「おら!」と怒ると言うのです。彼女には悪いけど私は笑ってしまいました。 <br /> スペイン語も少しは遊びでかじっている私にはピンときたからです。スペイン語の「Hola!」はつづりで書くとわかりやすいのですが、英語の「Hello!」のことです。但し、フランス語同様Hを発音しないので、「ほら!」ではなく、「おら!」になるのです。それを知らない彼女はただの挨拶を、朝から「おら!」と怒られたと勘違いしていたのです。<br /> かわいそうに、心細かったのでしょう。結局、2泊3日の入院で何とか退院できましたが、幸い入院費も日本円で6万円程度でした。しかも、クレジットカードが使えるので支払いもスムーズでした。その当時の私の頭の中に海外旅行保険などはほんの少しもありませんでしたが、運が強くそんなに医療費が高くない国で病気をしたのでした。<br /><br />列車の旅スタート<br /><br /> マドリッドからは列車の旅です。同じスペインのバルセロナへ行き、ガウディの聖家族教会はもちろん、ガウディ公園やピカソ美術館、そして動物園へ行ったのです。ここの動物園は白いゴリラで有名でしたが、私達が気に入ったのはオランウータンでした。彼女にも最初に紹介した東京の私の悪友に雰囲気がそっくりだったからです。あまりに似ているので、二人でゲラゲラ笑ってしまいました。そのオランウータンに何度も名前を呼びかけて遊んでいました。<br /> ある夜、フラメンコを見に行きました。適当に調べて行きました。着いた私はビックリしました。適当に調べただけなのに、数年前に一人でバルセロナに来た時と同じタブラオにやって来たのです。我ながら、ワンパターンだなぁとあきれました。フラメンコは素晴らしいのですが、うかつにも途中でうたた寝をしていたら、踊り子に起こされました。<br /> 地中海沿いに東へ進み、いつの間にかフランスにいる私達でした。ニース、マルセイユ、そしてモナコへ。やはりフランスは食べ物も美味しく、これらの都市は海に面しているので、泳いだりしてのんびりできました。モナコでは、私はいつものようにカジノでブラックジャックを楽しんでいました。この時は調子がよく、勝ちました。<br /> 暇なのか、かみさんはカジノをぶらぶらしていたようですが、途中で芸能人のような超カッコいい美男・美女がカップルでやって来て、みんな振り返っていたそうです。何で、私に連絡しないのか文句を言ったのですが、後の祭でした。ここモナコは特別な地域のようで、有名人や大金持ちのセレブが沢山住んでいるようです。<br /><br />イタリアへ<br /> <br /> そして、列車でどんどん東へ進み、いよいよ私の大好きなイタリアへ行きました。まずは、私にとって三度目のミラノへ。ミラノ中央駅は巨大な大理石の建物で、この建物自体が私には貴重な文化遺産に見えます。<br /> ヨーロッパの駅らしく、通過駅ではなく、ターミナルです。日本では、門司港駅しかターミナル駅は見たことありませんが。駅の正面からの写真を撮ろうとすると、何百メートルも離れないとカメラに収まりません。ビルに例えると、3階くらいの高さの所にホームがあり、列車のホームが30ぐらい並んでいる巨大な駅です。<br /> もう24日間の旅の半分以上が過ぎています。私はともかく、かみさんは初めての海外旅行で、1000円ホテルに泊まったり、スペインで入院したりと相当ストレスが溜まっていたのでしょう。ミラノでのある夜、私達は些細なことで喧嘩になりました。<br /> 初めての夫婦喧嘩です。彼女は怒って私の手を振り払い、どこかへ行ってしまいそうになります。日本国内ならそれでいいのですが、ここはイタリアです。しかも、彼女は当然のごとく自分の泊っているホテルの名前も知りません。要するに、はぐれてしまったら非常にまずい状態です。二度と会えないかもしれないのです。<br /> そこで、冷静な私は彼女の後を少し離れて追いました。さすが、すけべなイタリア人です。若い日本人女性である彼女に次から次にイタリア人男性が声をかけるのです。私はハラハラして見ていました。そして、しばらくして何とか彼女をなだめてホテルまで無事連れて帰ったのでした。<br /><br />水の都ベニス<br /><br /> 次はベニスです。私にとっては二度目でした。ベニスの商人で有名なサンマルコ広場は、今では観光地です。初めてここへ来た時に、日本でも会わない北海道の知人の医者に、ばったり鐘楼の展望台で会ったのでした。世界中を旅している私ですが、ミラノ駅でも福岡の知り合いの女性にバッタリ会ったことがあります。<br /> その度に、世界は何と狭いのだろうと思います。今回は新婚旅行だったので、有名なゴンドラに乗りました。手漕ぎなのに海面を滑るように進んで行きます。ほとんど揺れません。意外でした。途中で、オーソレミオなんかを歌ってくれてなかなか風情があっていいものです。普通のツアー客が必ず乗るだけのことはあります。<br /> でも、私にとってはこれが最初で最後でした。延べ4回もベニスには行きましたが、一人旅が多い私には値段も安くなく、ゴンドラは見るだけのことが多いのです。<br /><br />ザルツブルグ<br /><br /> 列車で東へ向かうと、いつの間にかドイツ語圏のオーストリアです。ここザルツブルグも私にとっては二度目でしたが、こぢんまりした好きな町です。もちろん、音楽の都で、音大のピアノ科を卒業しているかみさんにとっても素敵な町でした。コンサートの宝庫です。<br /> ここでは、貴重な体験ができました。いつものように、無料でホテルを案内してくれる駅のインフォメーションに行ったのですが、運よく「民宿」を紹介してくれました。老夫婦の経営している民宿でしたが、イメージで言うと、オーストリアよりもスイスの家のようにこぢんまりして小ぎれいで、表玄関いっぱいに花が飾られていました。<br /> 値段も手頃で、ホームステイのような感覚で思い出深い宿泊先でした。ただし、かみさんにとっては唯一難点がありました。お湯がタンクに溜めてあるのですが、しばらくそのお湯を使っているとすぐに冷たくなるのです。結局、髪を洗っていてかなり寒い思いをしたようです。もともとヨーロッパの夏はかなり涼しいところも多いからです。<br /> <br />花の都、パリ<br /><br /> ドイツ中心の初めてのヨーロッパ旅行についで、二度目のヨーロッパ旅行をした時に、あまり期待していないロンドンとパリも訪問しました。ロンドンは私の偏見通りでした。料理のまずさで有名ですが、それは嘘ではありません。グルメである反面、何でも食べられる私の許容範囲すら超えています。<br /> 街も予想通り暗く、空と同じでいつもどんよりと曇っていました。瀬戸内海生まれの私は、やはり明るい太陽が好きです。英語が通じて便利だけど、二度と来なくていいと思いましたが、実際あれから25年以上経ってもイギリスには行っていません。ヨーロッパ自体には合計10回以上も行っていますが。<br /> ところが、パリは反対でした。ただの大都会だろうと期待していなかったのですが、やはり食べ物は洗練されていて美味しいし、街もオシャレです。人もイギリスよりよりはるかに親切です。プライドの高そうなフランス人ですが、私は必ず片言のフランス語で挨拶し、それから道を尋ねます。<br /> 相手の言うことはたいてい聞き取れません。それから、遠慮がちに英語に切り替えます。この作戦が有効なのか、フランス人はみんな親切にしてくれます。英語がわからないふりなんかしません。みんな片言の英語ができます。カナダのフランス語圏モントリオールでも同じでした。<br /> この新婚旅行中も、同じ要領で楽しく過ごせました。個人的には、マロン(栗)のクレープが大好物です。リドのショーにも行きましたが、こちらが本家なのでしょうが、私にはラスベガスのショーを思い出させてくれました。<br /> 天国ではイギリス人が警察官、フランス人が料理人、ドイツ人が修理工、イタリア人が愛人、その全てをオーガナイズするのがスイス人。その逆に、地獄ではイギリス人が料理人、フランス人が修理工、スイス人が愛人、ドイツ人が警察官、その全てをオーガナイズするのがイタリア人。<br /> これはヨーロッパの有名なジョークですが、トマトにこだわりがあり、イタリア料理の方がフランス料理よりも好きな私は、天国ではイタリア人の料理人とフランス人の愛人に入れ替えて欲しいです。<br /><br />パキスタン航空で帰国の途へ<br /><br /> いよいよ予定通り、パリから南回りで帰国です。ただし、往路と違い、復路はカラチで一泊するようになっています。きっと外貨獲得のためでしょう。シンガポール航空でも同様でした。忙しい人には大変ですが、最初から安ければいい私のような人間にはむしろありがたいことです。余分な費用を使わずについでにカラチを見られるからです。<br /> パキスタン航空の機内はユニークでした。客室乗務員は普通スチュワーデス、つまり女性なのが常識なのに、ここではスチュワード、つまり男性なのです。たぶん、宗教上の理由でしょう。<br /> それだけでも珍しいのですが、乗務員の勤務態度がまた日本の常識とは全く違うのです。必要以上に愛想がいいのが、日本の客室乗務員、スチュワーデスのイメージですが、パキスタン航空の男性乗務員は違います。<br /> 仕事そっちのけで、日本人の若い女性客のところに入り浸りで、おしゃべりに夢中です。それどころか、堂々といちゃついています。まぁ、その二人の日本人の女の子もブレースレットやネックレスの貴金属をチャラチャラして少し変わってはいましたが。色々な航空会社の飛行機に乗りましたが、これだけインパクトの強い航空会社はありません。<br /> こうして、24日間の新婚旅行は無事に終わったのでした。<br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)<br />坂本泰樹<br /><br />

著書第4章 新婚旅行

2いいね!

1985/09/15 - 1985/10/08

209位(同エリア236件中)

1

0

空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

いつもは年に4~5回は海外へ行くのですが、今年2020年は2月のエクアドル以来どこにも行けません。もちろん新型コロナウイルス禍のせいです。

それで、もう古いですが、自分の著書(坂本泰樹)の中の旅行記を紹介したいと思います。出版社が倒産したので絶版になっているので、アマゾンの古本くらいでしか買えません。特に、そのうち5つは発売直後に関西毎日放送のラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(午前8時~10時30分)の新刊書籍紹介のコーナーで5日間連続放送されました。2008年のことです。失敗談が多く、面白いと思います。 その第3弾です。前々回の第9章 油断大敵! カンクンにて、第10章 ベネズエラでの学会 の続きです。

その代わり、写真はありません。

新婚旅行へ出発

 もう30年以上も前のことですが、我ながら新婚旅行はユニークだったと思います。まず期間は24日間。もちろん、豪華な新婚旅行ツアーなどではありません。むしろ、一言でいえば「貧乏旅行」です。
 格安航空券はその時調べた中で一番安かったパキスタン航空。もちろん、南回りで、台北、バンコク、カラチ、ドバイを経由してようやくアテネです。30時間ほどかかります。客が少しずつ入れ替わるので、毎食立派な食事が出ます。当時の私は嬉々として、全食平らげていました。帰りの切符はパリからです。
 行先は、はっきりとは決めていません。私の好きな気ままな旅行です。最後にパリに行けばいいだけです。3週間の列車の周遊切符、ユーレイルパスを買っています。
 その時はあまり深く考えていなかったのですが、今考えるとよく彼女の両親がこんな新婚旅行を許してくれたなと思います。まだ相手(つまり私のことですが)のこともよく知らないのに、こんなホテルも行き先も決めていない長期間の旅行です。
 しかも、現在と違って携帯電話もないので連絡もつきません。彼女の両親はよほど私のことを信頼してくれていたのでしょう。彼女のパスポートの名字を変えるために、結婚式の3週間も前に籍だけ先に入れるということも簡単に承諾してくれました。
 パキスタン航空と聞くとみなさん不安がります。でも、私の思考回路で言うと、こういう国のパイロットは空軍上がりなので、腕はいいらしいので、むしろ安心です。ただし、真偽のほどはわかりません。私は都合よく信じています。確かに、機体は古くてボロでした。離陸の時には、空席のリクライニングシートは全部前に倒れていました。
 万が一、落ちて死んだ時の保証金は安いとは思いますが、新婚当時の私には親に大金を残してもしょうがないので気にもしていませんでした。しかも、高校のアメリカ留学の時、初めて乗った飛行機が全てジャンボ機ばっかりで、それ以来の飛行機マニアである私にとって、飛行機は楽しい乗り物であり怖い乗り物ではありません。いまだに、飛行機に乗っているだけで嬉しい単純な私です。

まずはヨーロッパのアテネへ
 
 最初の行き先をアテネにしたのには理由があります。アテネは格安航空券の店が多いと聞いたからです。しかも、ヨーロッパでは学生が大事にされるのを知っている私は、当時大学院生とはいえ学生なので、大学生協で国際学生証を作って行ったのです。準備万端です。
 ところが、いくら学生でも31歳では学生証は使えないと言われたのです。しかし、そんなことにはへこたれないのが私です。あきらめずに格安航空券の店を5~6軒回って、ようやく学割が使える店を見つけました。しかも、そのへんがいい加減で、25歳のかみさんは学生でもないのに、「ついでに」学割が使えました。このへんが、大陸的でおおらかで大雑把でいいですねぇ。
 ただし、スペインからジブラルタル海峡を渡ってアフリカに行くことも考えていたのですが、適当な格安航空券がなくあきらめ、かわりにトルコのイスタンブールへ行き、その後スペインのマドリッドまで一気に飛んで、それからゆっくり列車で東に行くことにしました。

エーゲ海のミコノス島

 ただ、イスタンブールに行く前に、現地の2泊3日のツアーでエーゲ海のミコノス島へ船で行きました。これが、気楽な自由旅行のいいところで、現地で知り合った家族連れの日本人にどこかいいところはと聞くと、ぜひとすすめてくれました。確かに、素晴らしい島でした。石造りの建物は全て白色に統一され、青い空と青い海のとのコントラストが素晴らしいのです。ホテルの部屋からの眺めももちろん最高です。パックツアーのホテルで私としてはむしろ珍しく高級なホテルでした。一時期、日本のコマーシャルで同様のきれいな風景が流れていました。
 何の情報もなく、二人で気ままにビーチに出ると何か変です。みんな裸なのです。しかも、よ~く見るとみんな男です。しかもカップルなのです。後で、ガイドブックで調べると「スーパーパラダイスビーチ」というホモで有名なヌーディスト・ビーチでした。あまりにわかりやすい名前なのでいまだに覚えているのです。翌日、もう少し奥のビーチに行くと「健全な」ヌーディスト・ビーチでした。同じく後で調べると「パラダイスビーチ」と言う名前でした。
 ここは健全で女性もいるのですが、一番感心したのはあそこからタンポンのひもが見える女性がいるのです。その根性には圧倒されました。かみさんと顔を見合わせました。たぶん、日本の女性では無理でしょう。確かに、この世の「天国」のような場所でした。
 ミコノス島からフェリーでアテネの外港ピレウスに帰りついたのは、もう夜でした。寝るだけなので、二人で約1000円の安ホテルを見つけました。私は、さっさと寝たのですが、二人で寝るとベッドがたわみ、かみさんは眠れなかったそうです。
 その時は新婚で彼女も我慢していたらしく、何も文句を言わなかったのです。高知出身の彼女は決して気の弱いほうではなかったので、後からずいぶんと嫌味を言われました。しかも、新婚旅行なのに! と。その時点で文句を言えばいいのに。でも、その時の私がそんな事に気づくはずもありません。私のマイペースで旅は続きます。

イスタンブール

 トルコという国に対しては、アジアとヨーロッパの中間地点という認識しかありませんでした。でも、イスタンブールに行ってみると非常に親日的な国だと分かりました。我々が日本人だとわかるとみんな非常に親切なのです。失礼ながら、日本人にはそんなに馴染みのない国なのに、トルコ人の片思いのように私には感じられました。
 食べ物も具体的に書くほどの印象はないのですが、美味しかったです。世界の三大料理に、フランス料理、中華料理、トルコ料理という場合もあるようですが、そこまで美味しいという記憶はありません。私にとってはイタリア料理がダントツに世界で一番です。
 ある晩は、少し体調が悪いというかみさんをホテルに残して一人で怪しげな地域を歩き回り、ベリーダンスを見ながら食事のできるレストランへ行きました。客の参加を求めた踊り子の誘いに乗り、Tシャツをめくり上げて踊った私のベリーダンスはなぜかアメリカ人の観光客にバカ受けでした。踊り子は調子に乗って踊っている私をお尻を使ってぽんと客席へ押し戻すのでした。なかなかしゃれた演出です。

マドリッドで入院

 飛行機でイスタンブールからマドリッドまで一気に移動したわけですが、その頃からかみさんの下痢と嘔吐がひどくなりました。もちろん、私と同じようなものしか食べていませんし、大食いの私の半分も彼女は食べていませんので、食中毒ではなく疲れといわゆる水や油が合わないための症状です。
 医者の私としてはあまり心配していませんでしたが、日に日に衰弱していくのがわかります。脱水状態でへなへなです。さすがに私もこれは入院させて点滴をしてもらう必要があると考え、病院を探しました。せめて、英語のわかる病院をと思い、何とか米軍とスペインの共同病院を見つけました。予想通り、スペインの医者は入院を指示し、点滴をすぐに始めました。
 翌朝、彼女を見舞いに行くと、不安いっぱいの表情をしていました。開口一番、スペインの看護婦さんは怖いと私に訴えるのです。部屋に入って来るなり、「おら!」と怒ると言うのです。彼女には悪いけど私は笑ってしまいました。 
 スペイン語も少しは遊びでかじっている私にはピンときたからです。スペイン語の「Hola!」はつづりで書くとわかりやすいのですが、英語の「Hello!」のことです。但し、フランス語同様Hを発音しないので、「ほら!」ではなく、「おら!」になるのです。それを知らない彼女はただの挨拶を、朝から「おら!」と怒られたと勘違いしていたのです。
 かわいそうに、心細かったのでしょう。結局、2泊3日の入院で何とか退院できましたが、幸い入院費も日本円で6万円程度でした。しかも、クレジットカードが使えるので支払いもスムーズでした。その当時の私の頭の中に海外旅行保険などはほんの少しもありませんでしたが、運が強くそんなに医療費が高くない国で病気をしたのでした。

列車の旅スタート

 マドリッドからは列車の旅です。同じスペインのバルセロナへ行き、ガウディの聖家族教会はもちろん、ガウディ公園やピカソ美術館、そして動物園へ行ったのです。ここの動物園は白いゴリラで有名でしたが、私達が気に入ったのはオランウータンでした。彼女にも最初に紹介した東京の私の悪友に雰囲気がそっくりだったからです。あまりに似ているので、二人でゲラゲラ笑ってしまいました。そのオランウータンに何度も名前を呼びかけて遊んでいました。
 ある夜、フラメンコを見に行きました。適当に調べて行きました。着いた私はビックリしました。適当に調べただけなのに、数年前に一人でバルセロナに来た時と同じタブラオにやって来たのです。我ながら、ワンパターンだなぁとあきれました。フラメンコは素晴らしいのですが、うかつにも途中でうたた寝をしていたら、踊り子に起こされました。
 地中海沿いに東へ進み、いつの間にかフランスにいる私達でした。ニース、マルセイユ、そしてモナコへ。やはりフランスは食べ物も美味しく、これらの都市は海に面しているので、泳いだりしてのんびりできました。モナコでは、私はいつものようにカジノでブラックジャックを楽しんでいました。この時は調子がよく、勝ちました。
 暇なのか、かみさんはカジノをぶらぶらしていたようですが、途中で芸能人のような超カッコいい美男・美女がカップルでやって来て、みんな振り返っていたそうです。何で、私に連絡しないのか文句を言ったのですが、後の祭でした。ここモナコは特別な地域のようで、有名人や大金持ちのセレブが沢山住んでいるようです。

イタリアへ
 
 そして、列車でどんどん東へ進み、いよいよ私の大好きなイタリアへ行きました。まずは、私にとって三度目のミラノへ。ミラノ中央駅は巨大な大理石の建物で、この建物自体が私には貴重な文化遺産に見えます。
 ヨーロッパの駅らしく、通過駅ではなく、ターミナルです。日本では、門司港駅しかターミナル駅は見たことありませんが。駅の正面からの写真を撮ろうとすると、何百メートルも離れないとカメラに収まりません。ビルに例えると、3階くらいの高さの所にホームがあり、列車のホームが30ぐらい並んでいる巨大な駅です。
 もう24日間の旅の半分以上が過ぎています。私はともかく、かみさんは初めての海外旅行で、1000円ホテルに泊まったり、スペインで入院したりと相当ストレスが溜まっていたのでしょう。ミラノでのある夜、私達は些細なことで喧嘩になりました。
 初めての夫婦喧嘩です。彼女は怒って私の手を振り払い、どこかへ行ってしまいそうになります。日本国内ならそれでいいのですが、ここはイタリアです。しかも、彼女は当然のごとく自分の泊っているホテルの名前も知りません。要するに、はぐれてしまったら非常にまずい状態です。二度と会えないかもしれないのです。
 そこで、冷静な私は彼女の後を少し離れて追いました。さすが、すけべなイタリア人です。若い日本人女性である彼女に次から次にイタリア人男性が声をかけるのです。私はハラハラして見ていました。そして、しばらくして何とか彼女をなだめてホテルまで無事連れて帰ったのでした。

水の都ベニス

 次はベニスです。私にとっては二度目でした。ベニスの商人で有名なサンマルコ広場は、今では観光地です。初めてここへ来た時に、日本でも会わない北海道の知人の医者に、ばったり鐘楼の展望台で会ったのでした。世界中を旅している私ですが、ミラノ駅でも福岡の知り合いの女性にバッタリ会ったことがあります。
 その度に、世界は何と狭いのだろうと思います。今回は新婚旅行だったので、有名なゴンドラに乗りました。手漕ぎなのに海面を滑るように進んで行きます。ほとんど揺れません。意外でした。途中で、オーソレミオなんかを歌ってくれてなかなか風情があっていいものです。普通のツアー客が必ず乗るだけのことはあります。
 でも、私にとってはこれが最初で最後でした。延べ4回もベニスには行きましたが、一人旅が多い私には値段も安くなく、ゴンドラは見るだけのことが多いのです。

ザルツブルグ

 列車で東へ向かうと、いつの間にかドイツ語圏のオーストリアです。ここザルツブルグも私にとっては二度目でしたが、こぢんまりした好きな町です。もちろん、音楽の都で、音大のピアノ科を卒業しているかみさんにとっても素敵な町でした。コンサートの宝庫です。
 ここでは、貴重な体験ができました。いつものように、無料でホテルを案内してくれる駅のインフォメーションに行ったのですが、運よく「民宿」を紹介してくれました。老夫婦の経営している民宿でしたが、イメージで言うと、オーストリアよりもスイスの家のようにこぢんまりして小ぎれいで、表玄関いっぱいに花が飾られていました。
 値段も手頃で、ホームステイのような感覚で思い出深い宿泊先でした。ただし、かみさんにとっては唯一難点がありました。お湯がタンクに溜めてあるのですが、しばらくそのお湯を使っているとすぐに冷たくなるのです。結局、髪を洗っていてかなり寒い思いをしたようです。もともとヨーロッパの夏はかなり涼しいところも多いからです。
 
花の都、パリ

 ドイツ中心の初めてのヨーロッパ旅行についで、二度目のヨーロッパ旅行をした時に、あまり期待していないロンドンとパリも訪問しました。ロンドンは私の偏見通りでした。料理のまずさで有名ですが、それは嘘ではありません。グルメである反面、何でも食べられる私の許容範囲すら超えています。
 街も予想通り暗く、空と同じでいつもどんよりと曇っていました。瀬戸内海生まれの私は、やはり明るい太陽が好きです。英語が通じて便利だけど、二度と来なくていいと思いましたが、実際あれから25年以上経ってもイギリスには行っていません。ヨーロッパ自体には合計10回以上も行っていますが。
 ところが、パリは反対でした。ただの大都会だろうと期待していなかったのですが、やはり食べ物は洗練されていて美味しいし、街もオシャレです。人もイギリスよりよりはるかに親切です。プライドの高そうなフランス人ですが、私は必ず片言のフランス語で挨拶し、それから道を尋ねます。
 相手の言うことはたいてい聞き取れません。それから、遠慮がちに英語に切り替えます。この作戦が有効なのか、フランス人はみんな親切にしてくれます。英語がわからないふりなんかしません。みんな片言の英語ができます。カナダのフランス語圏モントリオールでも同じでした。
 この新婚旅行中も、同じ要領で楽しく過ごせました。個人的には、マロン(栗)のクレープが大好物です。リドのショーにも行きましたが、こちらが本家なのでしょうが、私にはラスベガスのショーを思い出させてくれました。
 天国ではイギリス人が警察官、フランス人が料理人、ドイツ人が修理工、イタリア人が愛人、その全てをオーガナイズするのがスイス人。その逆に、地獄ではイギリス人が料理人、フランス人が修理工、スイス人が愛人、ドイツ人が警察官、その全てをオーガナイズするのがイタリア人。
 これはヨーロッパの有名なジョークですが、トマトにこだわりがあり、イタリア料理の方がフランス料理よりも好きな私は、天国ではイタリア人の料理人とフランス人の愛人に入れ替えて欲しいです。

パキスタン航空で帰国の途へ

 いよいよ予定通り、パリから南回りで帰国です。ただし、往路と違い、復路はカラチで一泊するようになっています。きっと外貨獲得のためでしょう。シンガポール航空でも同様でした。忙しい人には大変ですが、最初から安ければいい私のような人間にはむしろありがたいことです。余分な費用を使わずについでにカラチを見られるからです。
 パキスタン航空の機内はユニークでした。客室乗務員は普通スチュワーデス、つまり女性なのが常識なのに、ここではスチュワード、つまり男性なのです。たぶん、宗教上の理由でしょう。
 それだけでも珍しいのですが、乗務員の勤務態度がまた日本の常識とは全く違うのです。必要以上に愛想がいいのが、日本の客室乗務員、スチュワーデスのイメージですが、パキスタン航空の男性乗務員は違います。
 仕事そっちのけで、日本人の若い女性客のところに入り浸りで、おしゃべりに夢中です。それどころか、堂々といちゃついています。まぁ、その二人の日本人の女の子もブレースレットやネックレスの貴金属をチャラチャラして少し変わってはいましたが。色々な航空会社の飛行機に乗りましたが、これだけインパクトの強い航空会社はありません。
 こうして、24日間の新婚旅行は無事に終わったのでした。


空飛ぶドクター(登録商標)
坂本泰樹

PR

この旅行記のタグ

関連タグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (1)

開く

閉じる

  • 風神さん 2021/07/04 08:13:35
    写真について
    このブログに使われている写真は私が撮影して、4T投稿に使用したものですが、利用許諾の依頼をされているでしょうか?
    また撮影地はカラチではありませんので、ブログ内容とは不一致であり、規約に抵触するのではないでしょうか?

空飛ぶドクターさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

パキスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
パキスタン最安 616円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

パキスタンの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP