2020/11/06 - 2020/11/06
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chiaki-kさん
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今回の旅行記タイトルは「2020年 長崎・熊本・福岡旅行記」なのだが、計画した当初からペース配分が長崎偏重になっていたこともあり、熊本、福岡が駆け足旅行になってしまった。
原城跡で予想外に時間を食ってしまったこともあり、12:00に長崎県・南島原市からフェリーで熊本県・天草市に上陸してから、天草パールラインを1ストップで走り抜け、宇土半島を通過、最近開通したばかりの北回り国道57号線を利用して阿蘇山を眺めてから、熊本へUターンし、高速道をノンストップで福岡市まで走るという、北海道以来の1日350km韋駄天走りをしてしまった。そんな訳で、熊本、福岡のまともな旅行記は次回(あるのか?)ということで、ご了承を。
表紙の写真は県道23号線菊池赤水線(旧:豊後街道)二重峠展望台から眺めた阿蘇山。阿蘇カルデラに造成された農地を横切っているのが国道57号線だが、熊本地震の大規模山腹崩壊で流された国道に代わって、2020年10月に開通したばかりの新しい道だ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11/5
宿泊した「東洋九十九ベイホテル」の客室から眺めた島原港の風景。ベランダ下に見える建物は「ホテル・シーサイド島原」。「東洋九十九ベイホテル」が昭和のホテルなら、こちらは平成のホテル。もし次があれば、こちらに泊まりたい。 -
島原-熊本間には、「熊本フェリー」と「九商フェリー」が運行しているが、停まっているのは「九商フェリー」のようだ。有明海の向こう側に熊本の山々が見える。
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行かなかったが、島原城の天守も見えた。
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8:20 ホテル玄関前から出発。夕べの宿泊客は少なかった。
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1977年に今上天皇も立ち寄られたようだ。
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ホテルから10分ほど走り、水無川に架けられた吉祥白天橋を渡り、レンタカーを駐めたのは大野木場砂防みらい館前。
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車を駐めた場所から見た「平成新山」。
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そして右手にある廃墟は、かつての小学校。
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深江町立・大野木場小学校の看板が残されている。
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1991年9月15日、雲仙・普賢岳山頂付近の噴火により形成された溶岩ドームから流れ落ちてきた火砕流によって破壊された校舎が、そのまま保存してある。門が開いていたので敷地に入ってみた。
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火砕流の高熱で焼けただれた教室や、曲がったサッシ。
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溶けた塩ビ管
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ガラスがすべて破壊された玄関。なお、金網は鳥や動物が入らないよう、後からとりつけられたもの。
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校舎の隣に「大野木場砂防みらい館」があるが開館時刻にはまだ20分以上あるので入館はあきらめていたが、管理人さんらしき男の方が「入っていいですよ」と親切に開けてくれたので、お礼を言って入館する。(無料です)
展示は写真パネル中心の簡素なもので15分ほど見学させてもらったが、このうち何枚かUPしてみます。 -
1991年6月3日16時8分に発生した大規模火砕流で43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となった場所が赤い印のついた「定点」と呼ばれるところで、亡くなった方の内訳は、マスコミ関係者16名、アメリカの火山学者ら3名、警察官2名、消防団員12名、タクシー運転手4名、市議会選挙ポスター掲示板を撤去中の作業員2名、そして農作業中の住民4名となっている。
多くの犠牲者が出た背景としては1990年11月7日から始まった噴火や小規模の火砕流に慣れてしまったことと、押し寄せたマスコミ関係者を自由に立ち入り禁止区域に入れてしまったことだ、と言われている。 -
これは現在の写真。当時、新聞やTVニュースで言われた「雲仙・普賢岳」は、新たに隆起した「平成新山」の裏に隠れてしまっている。
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火砕流に続き、後日発生した土石流により埋まってしまった地域の写真。
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大規模火砕流が発生した翌日の新聞。
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時速100km以上の速さで山を駆け下る火砕流を撮影した写真。この写真を撮った人は無事だったのだろうか。
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1995年に溶岩ドームの成長は止まり、新たに出現した山は「平成新山」と名付けられたが、山頂付近は未だに不安定な状態であり、立ち入り禁止となっている。
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イチオシ
「大野木場砂防みらい館」駐車場から撮影した「平成新山」。よく見ると山頂から土石流が流れ下った深い傷が何本か見える。そして水無川は大規模な堰堤がいくつも設置され、避難を伝える放送設備も設置されている。
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山頂のUP。まさに鬼の住処のようだ。
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水無川に架けられていた「水無川橋」は、土石流に流されてしまったので、新たに架けられた「水無大橋」から眺める「平成新山」。
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UPです
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土石流の被害があった地区の水無川は、このように大きく広げられた。なお、川の向こうに見える山は眉山。見方によってはこの山が島原市中心部を火砕流や土石流から守ってくれたのかも知れない。
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島原市からR251を南下すること約30分で、南島原市にある原城跡(世界遺産)に到着する。城跡には駐車する場所が無いので、手前にある「原城温泉・真砂」の先に設置された無料駐車場にレンタカーを置いて、舗装されたのどかな道を20分ほど歩いて原城跡に到着。
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後ろを振り返ると平成新山などが眺められる。
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左から妙見岳、普賢岳、そして平成新山。(アンテナのある山は違う)妙見岳には噴火前に設置されたロープウェイの建物が見える。
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本丸手前に空堀があるが、籠城中に人が住んでいた跡が発見されたらしい。
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原城は1496年に有馬貴純によって築かれた城郭で、有明海に張り出した丘陵にあり、本丸、二ノ丸、三ノ丸、天草丸、出丸などで構成されていた。1614年にキリシタン大名有馬晴信が転封となった後、松倉重政が領主となるが、島原城の築城と引き替えに原城は廃城となった。
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松倉重政は島原城築城のため領民に高額な年貢を課し、さらに過酷なキリシタン弾圧を行った。この苛政に耐えかねた農民達が、かつて旧有馬氏の家臣の指導の下に組織化され一揆が発生する。
写真は原城・虎口と呼ばれた場所。 -
関ヶ原の戦いで西軍についた天草の領主、キリシタン大名・小西行長が京都六条河原で処刑されてから、寺沢広高が天草の領主となるが、苛政や迫害は島原と同様で、旧小西家の家臣だった浪人を中心にして一揆軍が組織化される。総大将は旧小西家の重臣だった益田家の子孫、益田四郎時貞、つまり天草四郎である。
写真は原城・埋門跡。 -
1637年12月、島原の一揆軍は代官所を襲撃、代官を殺害する。ここに所謂「島原の乱」が開始された。数日後、天草でも本渡城を攻め落とし、城代を討ち取るのに成功する。しかし、どちらの一揆軍も討伐軍が組織され、こちらに向かってくることを知り、天草の一揆軍は有明海を渡って、島原の一揆軍と合流、廃城となっていた原城に立てこもり、籠城戦を選んだ。一揆軍の人数は37000人程度と見られているが、非戦闘員である女、子供なども多く含まれていた。
写真は原城・西側の城壁跡。 -
乱の発生を知った幕府は、板倉重昌らを派遣した。重昌に率いられた九州諸藩による討伐軍は原城を包囲して再三攻め寄せ、12月10日、20日に総攻撃を行うが城の守りは堅く、ことごとく敗走させられた。
一揆軍は団結して戦意が高かったが、討伐軍は諸藩の寄せ集めで、さらに指揮官である板倉重昌は小大名であり、大大名の多い九州の諸侯はこれに従わなかったため、軍としての統率がとれておらず、戦意も低かったため攻撃が成功しなかったと考えられている。
写真は破壊された石垣。 -
事態を重く見た幕府は、老中・松平信綱らの派遣を決定した。焦った板倉重昌は信綱到着前に乱を平定しようと再度総攻撃を行うが策もない強引な突撃であり、連携不足もあって都合4,000人ともいわれる損害を出し、総大将の重昌は鉄砲の直撃を受けて戦死し、攻撃は失敗に終わった。
写真は原城・本丸跡。 -
九州諸侯の増援を得て12万以上の軍勢に膨れ上がった討伐軍は、陸と海から原城を完全包囲した。大目付・中根正盛は、反乱軍の動きを詳細に調べさせ、配下の甲賀忍者が原城内に潜入して兵糧が残り少ないことを確認した。これを受けて信綱は兵糧攻めに作戦を切り替えたという。
写真は本丸跡から眺めた雲仙岳。 -
乱が長期間鎮圧されないと幕府の威信に関わることもあり、信綱は2月28日に総攻撃を行うことを決定した。鍋島勝茂の抜け駆けにより、予定の前日に総攻撃が開始され、諸大名が続々と攻撃を開始した。兵糧攻めの効果で城内の食料、弾薬は尽きかけており、討伐軍の数も圧倒的に多かったため、この総攻撃で原城は落城する。天草四郎は討ち取られ、一揆軍は女、子供も含めて皆殺しにされ乱は鎮圧された。
写真は本丸に設置された原城跡の碑。 -
島原の乱が終わった後、島原領主・松倉勝家は一揆を招いた失政の責任を追求され、改易のうえ斬首された。また、天草領主の寺沢堅高も責任を取られされ領地を没収、後に自害する。四郎の首は長崎まで運ばれ、出島でさらし首にされた。また、幕府はポルトガルと国交を断絶、ポルトガル人を追放し、鎖国体制を確立する。
写真は本丸跡の広場に設置された天草四郎像。 -
天草四郎の墓もある。城外にいて生き延びた四郎の母親がひっそりと隠していたものを、後世の人が移転したらしい。
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有明海を眺める3体の石像。
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大きな十字架があった。
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天草の海は今日も綺麗だ。
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口之津港から天草へ渡るフェリーの時間が忙しくなってきたので、帰りは近道と思われる、こんな道を降りる。
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突き当たりから見た原城跡はこんな感じで、天然の要害となっている。こんもりと茂った一本の樹が目印。食料がつきた一揆軍はこの崖を降りて、海藻を採って飢えをしのいでいたそうだ。
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反対側はこんな感じで、気分の良い遊歩道となっている。
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やがてレンタカーを駐めた無料駐車場が見えてきた。なお、駐車場の向こう側にある建物は「原城温泉・真砂館」。
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計画では10:30に南島原市・口之津港からフェリーで天草市・鬼池港に渡るつもりだったが、原城跡見学が往復40分以上歩かされたこともあり、11:30に変更する。これが、この後の韋駄天走りにつながってしまった。
写真は口之津港にある島原鉄道フェリーターミナル。2020年3月に立てられた新しいターミナルだった。 -
内部はこんな感じ。2階には南島原市の施設もあったので、市からも助成があったと思われる。
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乗船を待つ、くるま達。11:20より乗船開始。
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11:30 定刻でフェリーは桟橋を離れる。
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これが以前使用されていた古い桟橋と旧ターミナル。Googleではまだ、こちらだったので、面食らった。
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鬼池港までは約30分の船旅。中間地点で逆方向のフェリーとすれ違う。
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イチオシ
雲仙・島原よ、さようなら。
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やがてフェリーは鬼池港に入ってきた。
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こじんまりとしたフェリーターミナルを眺めて天草に上陸後、R324を南下、天草市をノンストップで通過し、下島から上島へ天草瀬戸大橋を渡る。
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天草パールライン入口の少し先にある道の駅・有明に立ち寄る。
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リップルランド・レストランで昼食。
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ここは熊本県ではあるが、海鮮チャンポンを注文。あさり、エビ、タコなどの魚介がたくさんあって美味しかった。
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カミさんの注文は海鮮丼定食。大きなお椀にタップリ入ったアサリ汁が美味しかったそうだ。
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菱形の窓から見た天草の海。残念ながら天草の写真はこれで終わり。そして、この後は・・・・
上津浦ICから天草パールライン・松島有料道路へ入り、会津ICからR266に降り、松島橋、前島橋、中の橋、大矢野橋を渡って大矢野島へ上陸。さらに登立ICから三角大矢道路を経由して宇土半島へ渡り、右手に八代海を見ながらR266を宇城市へ、松橋ICから九州縦貫自動車道に入り熊本ICで降りてR57を阿蘇方面へ移動する。 -
イチオシ
2016年4月16日熊本地方を震源とするマグニチュード7.3の熊本地震が発生。これにより生じた南阿蘇村の国道325号(阿蘇大橋)との交差点付近一帯の大規模な土砂崩れにより国道57号線は通行止めとなっていたが、2020年10月3日、以前より計画されていた中九州横断道路も兼ねる、北回りルートが開通。さらには、被災した南回り57号線も同日開通する。
写真はR57車帰ICから阿蘇外輪山へ登る、県道23号線菊池赤水線(旧:豊後街道)二重峠展望台から眺めた阿蘇山。過去の噴火活動に伴い形成された阿蘇カルデラに造成された農地を横切っているのが北回り国道57号線。 -
阿蘇山のUP1
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阿蘇山のUP2
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二重峠展望台に停まったレンタカー・スイフト。予定ではこの後、外輪山に造られたミルクロードを大観望まで行くつもりだったが、18:00までにスイフトを返却しなければならないので、涙をのんでUターンする。
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残念無念
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いきなりの生ビールで恐縮だが、福岡で宿泊したホテルの隣にあった居酒屋で、無事到着祝い。
16:30に阿蘇を離れR57を熊本ICまで戻り、混み混みの九州縦貫道を須恵PAに併設されたスマートICで降り、謎のルートを通ってスイフトを借りたバジェットレンタカー福岡空港店に18:30到着。走行距離は550km、燃料は空タンク返しの契約だったので、ひと目盛を残してそのまま返却する。推定だが燃費は18km/Lと優秀だった。
この間、運転に集中していたので写真はありません。 -
宿泊したドーミーイン・プレミアム博多の隣にあった「ぢどり屋大和キャナル店」で夕飯。
左上:ドーミーイン宿泊者サービスの”もも炭火焼き”
右上:大根と水菜のサラダ
左下:鶏皮の唐揚げ
右下:特製ひなどりの唐揚げ
美味しゅうございました。 -
そしてドーミーイン名物の”夜鳴きそば”もしっかりといただきました。
ドーミーインプレミアム博多の口コミは↓です。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips_each-14202062.html -
11/6
部屋の窓から見えたのは、キャナルシティの屋根と、キャナルシティ福岡グランドホテル。 -
定評あるドーミーインの朝食。松花堂弁当風のBOXと鶏飯。朝から大満足。
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博多駅まで10分ほど歩き、地下鉄で福岡空港へ。国内線ターミナルは利用者で賑わっていた。
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帰りのエアはFDA202便、松本行き。おや、こんどはピンク色だ。
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機種は往きと同じERJ175。信州まつもと空港まで約1時間30分のフライト。
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12:10 信州まつもと空港到着。お昼をどうするか悩んだが、買い物もあったので松本イオンに寄りフードコートで信州そばを、すする。松本からは無料開放された三才山トンネルを越えて自宅に帰還する。自分にお疲れ様。
今回、エア+レンタカーという組み合わせ旅行を初めてやってみたが、疲れずに、多くの目的地を廻るのに適した形態であることを実感した。ただ、あまり欲張りすぎると、ホテルのチェックインタイムや、車の返却時間に焦ることになるので、余裕をもった計画を立てることが大事かな、と思った。
これで「2020年 長崎・熊本・福岡旅行記4:島原、天草、阿蘇&福岡」は終了です。本日も最後までご覧いただき、ありがとうございます。 -
OMAKE1
久しぶりのOMAKEは、長崎・熊本土産です。定番の長崎カステラ(福砂屋&文旦堂)長崎ちゃんぽん、天草の塩、天草茶、明太子柿の種、そして、ちゃんぽん味ドロップなどです。 -
OMAKE2
福砂屋は1624年創業の老舗で、常に長崎カステラのBest3に入る有名店です。4重になった包装をめくると、きめの細かいカステラが現れ、底にはザラメが敷き詰められています。食感は舌触りの良いザラメと、しっとりした柔らかなカステラが、良いハーモニーとなり美味しいです。
おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
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- Decoさん 2021/01/18 10:15:33
- 長崎
- 2020年 長崎・熊本・福岡、拝見しました。
私の母も台湾からの引き揚げで、DDTを頭からかけられたことは今も覚えているそうです(台湾からなので、港は鹿児島の方だったそうです)。
長崎の原爆資料館は、学生の頃友人グループで見学したことがあって、ショックで見学した日は皆食欲がなくなってしまったことを思い出しました。このときはグループでタクシーを時間決めで借りて観光しましたが、確か運転手さんの強いおすすめで見学したと思います。当時はショックでしたが、今は資料館見学の機会を作ってもらったことに感謝しています。目を背けてはならないことですから。
コルベ神父のことは知っていましたが、写真と文章で拝見すると、やっぱりショックです。
私の母方の先祖の一方は島原が故郷で、今も交流があって時々訪問します(原城のちょっと北の方)。そんなこともあって、あの噴火による被害と復興の経過はある程度知っています。今は道路も整備されてすっかりきれいになって、感慨深いものがあります。
長距離のドライブ、お疲れ様でした。スイフト、良い車らしいですね(*^-^*)
- chiaki-kさん からの返信 2021/01/18 15:13:26
- ”いいね” ありがとうございます。
- ・
Decoさん、こんにちは。2020年長崎・熊本・福岡旅行記に
たくさんの”いいね”をいただき、ありがとうございます。
旅行記1のエピローグに記述した通り、今回の長崎行きを希望
したのはカミさんで、理由は旅行記のとおりです。
最初はキャンセルになった5月のスイス行きの日に予定したん
ですが、それもつぶれて、とうとう11月になってしまいました。
幸い、コロナ禍も少し落ち着いており実行できましたが、
タイミング的にもラッキーだったと思います。
> 私の母も台湾からの引き揚げで・・・
終戦時における在台湾日本人は、軍人を含めて48万8000人余り、
大陸と違い、現地人との関係も良かったので20万人は在台湾を
希望したのですが、大陸から逃げ込んできた国民党政権により
結局帰還させられてしまったようです。
>目を背けてはならないことですから
近・現代の戦争とは、最後にどういう結果になるか、忘れては
ならないと思います。
> コルベ神父のことは知っていました
2016年にアウシュヴィッツを見学しましたが、その時のTDさん
が、移動中のバスの中で1時間位かけて熱心に説明してくれた
のが、今でも耳に残っています。
>スイフト、良い車らしいですね
地味な1250ccのコンパクトカーですが、意外とスポーティーで、
爽快な走りが楽しめる車であることが確認できました。
後部座席に大人を乗せたり、トランク(小さいです)に大きな
荷物を載せたい方でなければ、お勧めできます。
では、また。
chiaki-k
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