2020/02/29 - 2020/03/04
1位(同エリア8件中)
shiqueさん
- shiqueさんTOP
- 旅行記41冊
- クチコミ3件
- Q&A回答0件
- 58,915アクセス
- フォロワー34人
2020年2月、日本に住む我々日本人の何人が
一年後の世界がこんな状況になってしまっていると
予見することが出来たでしょうか?
当然、この時点で進行しているコロナの状況を
私たちが正確に把握し理解する術も無いまま2020年2月末日
足元に忍び寄るコロナの脅威に一抹の不安を確実に感じながらも
当時感染者0人の国ミャンマーに再び向かうべく
私たちはいつもの格安LCCの飛行機に乗り込みました。
しかし、ミャンマー国内での民族紛争による
一部地域での治安悪化による旅行ルートの変更
新型コロナの影響による予約済み航空便の相次ぐキャンセル
今までに経験した事のない問題が次々に発生します。
しかし、旅行先で出会うミャンマーの人々の優しさに
感動し、感謝し、癒され続けながら旅行は進んで行きます。
こんな時期の玉石混交の旅行ですが
最後までお付き合いして頂ければ幸いです。
追伸 軍事政権によるミャンマー市民の殺戮で亡くなられた
すべての方のご冥福をお祈りするとともに、一日でも早く
元の平和な日常に戻ることを強く強く願っています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー バイク 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2020年3月8日 ミャンマー9日目。
順調に進んでいる様に見えたミャンマー旅行の中盤
マンダレーの西部にある都市モンユアの郊外で
未舗装のガタガタ道を悪戦苦闘でバイクを走行中
チノパンの左ポケットに入れておいた
メインのスマホを落としてしまいました。
このスマホにはgrab、Line、agoda、Webチケット等
今回の旅行に必要なものすべてが入ってます。
スマホは新品でしたが旅行用に購入した物で
極力個人情報は入れないようにしてはいましたが
grabは他人に使われる心配がありますし
Lineがないと日本との連絡が絶たれてしまいます。
何よりも残念なことはここまで撮りためて来た
スマホの映像データが無くなってしまう事です。
コロナが旅行にどんな影響を与えるのかと
その事ばかりを常に気にしていましたが
足元にこんな当たり前のリスクがある事を
私たちはすっかり忘れていたダメダメな旅行者です。
さて、どうする?
いや、どうなる?
この状況から今回は始まります。
※写真はピンウールウィン郊外の仏塔頂上から見た街並み。 -
アスファルト舗装は無く、尖った黒っぽい砂利が引かれた道が
乾期で一面茶色の大地が広がる丘陵地帯を蛇行しながら続いています。
中央部は車の轍が激しく、凸凹でハンドルが取られます。
敷かれた石はタイヤを滑らすだけではなく
下手に踏みつけてしまうと下から嫌な振動が伝わってきます。
見渡す限り民家もないこの道でパンクしたら終わりだ!
そんな悪夢と闘いながら慎重に運転し続けます。
40分かかって2つの小さな集落を通り抜け
やっと舗装した幹線道路にたどり着きました。
ここでグーグルマップで位置確認しようとポッケの中に手を伸ばし
入っているはずのスマホが無くなっている事に気付きました。
記憶をたどるとガタガタ道に入ってすぐに
グーグルマップで位置確認した時までは確かにあったので
運転中にこの道のどこかに落としたのは確実です。
漆器で有名な村訪問はキャンセルしてスマホ捜索に
来た道を引き返す羽目となってしまいました。
※写真はピイ郊外、実際の道はもっと傷んだ激しい道です。 -
礫石と轍を避け、さらに道端に目を凝らしながら
こんな道は二度と走りたくないと思っていた道を
時速10kmほどの速度で引き返す事30分。
前回スマホをチェックした地点まで戻って来ましたが
残念なことにスマホは見つかりません。
時間の制約がある旅行者ではありますが
実際の話、スマホ紛失は本当にまずいので
幹線道路までもう一度スマホを探しながら
戻ってきた道をゆっくりしっかりと捜索する事にします。
そしてその最後のチャンスのドライブに
ミャンマーの神様が書き下ろしたドラマは
私たちが期待するような展開を見せてくれるのでしょうか。 -
道路脇の耕作地に青く光るものが一瞬視野に入りました。
バイクを止めて相棒と二人で入念に捜索するも
その光る物体は環境汚染の真打コンビニ袋でした。
やっぱりダメかと肩を落とし黄昏ていると
前方からトヨタの四駆が疾走してきます。
その車はまるで漫画のワンシーンの様に
見事な砂埃を巻き上げ辺り一面は五里霧中。
泣きっ面に蜂よろしく、私たちは真っ白です。
顔や服に被った土ぼこりを手で払いながら
小さな声で何かを呟かなければやってられない気持ちで一言。
「あんな車にひかれた日にぁ、スマホなんざぁ木っ端微塵ですぜぇ、旦那」
彗星の尾の様に長く伸びた砂塵に包まれ
視野が悪くなった道を成す術もなく眺めていると
その砂塵のなかをこちらに向かってくる黒い影を発見。
近づくにつれその影が自転車である事が分り
更に十数メートルまで近づくとその影は
自分の体には大きすぎるボロボロの自転車を立ち漕ぐ子供でした。
「可哀そうに、あれは大変だなぁ。目開けてらないよ。」
※写真は夕昏、ヤンゴン川を対岸ダラ地区に向かう渡し船。 -
砂塵の中から現れた子供が
私たちの前で速度を緩め自転車を止めた時
その子がまだ幼い女の子である事に気付きました。
「 ミンガラーバ 」と私。
「・・・・・・・」
その女の子は暫くじっと私を見つめ
意を決したように強張った表情で右手を差し出しました。
そしてその小さな手にはなんと探していた私のスマホが・・・。
「えっ、ズ、ズージーバー。」と私。
もっとしっかり感謝を伝えたかったし
もっと色んな事聞きたかったですが言葉の壁は高く
またシャイなその女の子はあっという間に自転車を翻し
私に引き留める間も与えず元の砂塵へと消えて行きました。
※写真はインレーのおとぎの国、インディン遺跡。 -
午後4時、乾いた大地に照り付ける太陽はまだまだ厳しい。
願望は空しい妄想を呼び起こすだけで
現実は時折通り過ぎる車が巻き起こす砂塵で
私たちが頭から足の先まで真っ白になった事実だけです。
すなわち、スマホは見つからない!
希望の光が1mmも見えないまま捜索は続き
今回のドライブ用に持って来た水も遂に底を着きました。
状況は最悪へと負のスパイラルが加速して行きます。
そして遂にその時が訪れたのです。
前輪パンク!
人生はポジティヴに考えてもなかなか上手く行きませんが
ネガティヴに考えるとその事が何故か現実化するものなのです。 -
パンクは最悪でしたが奇跡的だったのは
たまたま小さな集落を通過するときに起こった事です。
早速バイクを引きずり近くの民家に駆け込み
身振り手振りでパンクで困ってることを伝えると
家から出て来たお母さんは私たちの状況を理解してくれたようで
通りの先を指差し修理できる場所を教えてくれているようです。
手の平を胸の前で合わせ丁寧に感謝の意を伝え
教えて頂いた修理屋さんに向かってしばらく歩いて行くと
さっきの家から男の子が飛び出して私たちを追いかけて来ました。
どうやら、私たちをその店まで案内してくれるようです。
先ほどのお母さんといい、この男の子といい
見ず知らずのしかも異邦人にどこまで親切なんだろうか!
ミャンマーの人々の優しさには本当に感謝しかありません。 -
修理屋に着くと男の子から事情を聞いた
店の主(写真)は私たちを椅子に座るように勧め
すぐにバイクの修理に掛かかってくれました。
私たちの不安を他所に彼は手慣れた手つきで
自転車の修理をするかのように作業を進めて行きます。
パンク修理は15分程で完了しバイクは復活。
店主はバイクのガソリンタンクをのぞき込み
奥から持ってきた容器からガソリンまで入れてくれました。
彼の「OK」の一言とともにシャイな笑顔が印象的でした。
「How much?」と私が尋ねると
彼は部屋の奥に少し大きめの声で一言かけました。
すると12歳前後の少女が奥から出て来て
父親の指示でその場で何やら書いています。
そして彼女が手渡してくれた直筆のメモには
“ I have 2000 chat ” と英語が書いてありました。
「OK , thank you so much.」と私が笑顔で答えると
とても心配そうだったその少女は少し笑顔を見せ
父親の方に一度視線を向けそのまま奥に駆けて行きました。 -
スマホ紛失という大変な状況に変わりはありませんが
更なる最悪の状況を切り抜けられた安堵感と共に
私たちはミャンマーの温かな不思議さに包まれています。
バイクのパンク修理代が160円!
私たちが迷わない様にとその場所まで案内してくれる男の子!
ガソリン1Lは80円以上するのに外国人の私たちが
更に困ることが起きない様にと好意で満タン給油してくれる店主!
英語を書いてコミュニケイト出来る小学生ほどの小さな女の子!
(私が小学生の頃にはそんな芸当は絶対に出来ませんでした。)
ミャンマーの人々の優しさには、ただただ感謝です。
そしてこの一連の出来事もスマホを紛失しなかったら
経験する事が出来なかったミャンマーです。
苦労や問題はありますが、旅行はやっぱり面白い。
しかし今回の代償は前半のスマホで撮った画像の喪失です。
友人にLineで送っていた映像は帰国後手に入れることは出来ましたが
大部分はミャンマーの大地に今もなお眠っている事でしょう。
こんな理由で今回の旅行記は映像と共に
時系列で進めることが出来ない部分が多々あります。
言い訳がましい前置きが長くなりましたが
私たちの2020年ミャンマー旅行記始まります。
宜しければ最後までお付き合い下さい。 -
2020年2月29日 1日目
旅行初日はいつものようにドンムアン
今回は5時間弱の乗り換え便待ちです。
何度もお世話になっているドンムアンですから
ここでの過ごし方は心得ています。
空港の西側を南北に走る国道を渡る陸橋を超えた所の
屋台街で弁当、7-11でビールを購入し空港内のベンチで夕食。
しかし、やはり気になるのは新型コロナウイルス。
当時感染の中心であった中国と陸続きの隣国に
旅行する事によって感染への危険性が増すのではないか?
すでに日本国内での感染が世界中に報道されているなか
現地の人々が私たちを差別無く快く受け入れてくれるのか?
旅行中の都市や中継都市がロックダウンになって
私たちが日本に帰って来れなくなるのではないか?
いくつものリスクをリストアップした上で
旅行先で楽しく旅行出来なくなった時の後悔と
旅行を取り止めた時の失望感を天秤にかけた結果
今回はミャンマー旅行を決行することにしました。 -
今回のミャンマー旅行をヤンゴンスタートとした私たちは
ヤンゴン北西部のレーダン駅の近くに宿を取りました。
いつもの事ですが安いエアアジアの乗り継ぎなので到着は深夜です。
空港で両替しシムを購入して、あとは宿に着くだけです。
ヤンゴンでは配車アプリgrabが使えます。
移動のためgrabを呼ぼうと空港を出ると
当然ですがタクシードライバーに取り囲まれます。
「grabを呼ぶから。」と言うと
「10000でどうだ?」とドライバー。
「grabだと6000だよ。」と言うと
「8000でどうだ。」とドライバー。
2000チャット(MMK)は日本円で約160円です。
今日一日移動してきた疲労に打ち勝って
この2枚の札を財布に積み重ねる気力は既になく
8000MMKでタクシーにお願いする事にしました。 -
2020年3月1日 ヤンゴン2日目。
宿は レーダンにある The Varsity Apartments 。
話は昨夜の続き。
道は空いていてレーダンの宿近くまでは順調でした。
しかし運転手も当然宿の場所を知っている訳ではないので
レーダンについてからずっと宿を探しています。
運転手が地元の人に片っ端から尋ねやっとたどり着いたのは
レーダン到着後30分以上たっていました。
grabだったらこんな時間ロスは無かったのだろうか?
こればかりは今となっては分かるすべはありません。 -
宿の朝食は一階に行くと受付のお兄さんが作ってくれました。
至ってシンプルな朝食ですがミャンマーあるあるでトーストは不味い。
今日一日は観光というよりも高温順応と
ミャンマー国内のコロナの状況分析と
明日からの移動の段取りとチケット購入。
のんびりしすぎるとヤンゴンもう一泊になりかねないので
疲れない範囲でテキパキ行動する予定ではいますが
朝からかなり厚いのがちょっと気がかりです。 -
2年ぶりミャンマー、ヤンゴン。
前回はスーレーパヤーの近くのインド人街に宿を取りましたが
今回は外国人観光客も少ないこの地域にしてみました。
と言っても膨張した大都市ヤンゴンでは
中心地域から10kmほど離れただけではまだ都会で
中層階の建物が林立し行きかう人はとても多いです。
しかし、交通量の多いメイン通りから一本入った路地には
期待通りに一日中マーケットが開かれていて
現地の人達のアジア的生活感を肌で感じる事が出来ます。 -
レーダンの目抜き通りから一本入った
路上マーケット通りも行きかう人は多く
見慣れた普通の活気のある暑いアジアです。
マスクをしている人はほとんど見かけません。
街中でマスクをしている人を2人見かけましたが
肌の色と服装からその人たちは日本人旅行者だと思われます。
2020年3月上旬、ここヤンゴンの街中において
ウイルスの脅威は市民レベルには浸透していません。
すなわちいつもと変わらぬアジアの生活が
ここヤンゴンでは繰り広げられていました。 -
市場の北の方に若者で賑わう大き目の店を発見。
この地域は大学もあり若者の街とは聞いていましたが
何の下調べもせずに適当に入った店は
迷宮グルメでヒロシさんが食事をしていた店だと
日本に帰ってから番組を見て気づきました。
シャンヌードル 1500MMK、クレイポット 2500MMK也。 -
ヤンゴンには環状鉄道が敷かれています。
この街をぐるりと一周する列車からの車窓を
ただボンヤリ眺めると言う誰も興味を持たないような
野望を実現するべくレーダン駅にやって来ました。
駅のチケット売り場で一周列車についてたずねると
次に来るのは3時間後と言う事で諦めました、残念。 -
ホームで現地の人にならってのんびり座っていると
駅には上下線とも時々列車が入ってきました。
周回では無い列車も走っているのですから当然の事です。
どれでもいいから適当に乗ってみる冒険もありでしたね。
ところで、有名な話ではありますがミャンマーには
かつて日本で活躍していたJRの列車が走っています。
JRのロゴの横に日本とミャンマーの国旗がプリントされています。
そんな車両を眺めると色んな意味でとても感慨深いものです。
両国が納得できる形での日本の国際貢献は
私たちが意識していないだけでもっと沢山ある事でしょう。 -
ヤンゴン最後の夜。
レーダンの街には沢山の屋台が立ち並びにぎやかです。
レストランの食事よりもローカルフーズを愛する私たちが
この状況に心踊らない筈がありません。
昼間、額に汗をにじまし歩いたこの街の中心街は
屋台の白熱球に照らされ夜の顔へと変身しています。
店先には色とりどりの料理がところ狭しと並べられ
その香りは柔らかな光と共に広がり私たちの鼻腔を刺激します。
この空間を心地よく感じながら晩御飯を求め私たちは歩きます。 -
夕方ミャンマーの市場を彩る花たちは
深い深呼吸で辺りの空気を静かに吸い寄せている。
花の陰から時折顔をのぞかせる精霊たちは
親子の周りに流れるいつもの時間を
蜜のお礼としてほんの少しゆっくり流している。
私たちが市場の花の前でふと足を止めてしまうのは
きっと妖精たちが作り出す重力場の歪みに沿って
微かに頬をかすめながら流れる
このゆったりとした時間のせいなのだろう。 -
レーダンをぐるっと一周して選んだ
今夜の私たちの夕食は屋台の麺料理です。
しかしこの屋台、お持ち帰りの人たちも列を作るほど
周りの屋台と比べても繁盛ぶりはこの通り一番で
屋台の前後両側に設けられた席も満席です。
更に当然の事ですが英語表示は全くありません。
超ハードル高い屋台ですが、笑顔と指差しで何とか・・・。 -
立って待つこと5分、更にテーブルに座って5分。
笑顔の指差し注文でやって来た料理は汁なし油麺。
汁ありもあるようですが客のほとんどがこの麺を食べていたので
私たちの所にもこの汁なし油麺(写真)が来ました。
麺は細めで弾力がありタレはそんなに油こくなく
どちらかと言えばアッサリしています。
卓上の調味料を加えて美味しく頂きました、1000MMK也。 -
2020年3月2日 ヤンゴン3日目。
本日はヤンゴンから北に約300km離れた
イーヤワディー川沿いの都市ピイにバスで向かいます。
ピイ周辺にはミャンマー国内で初めて
世界遺産に登録されたピュー遺跡があります。
私たちは世界遺産を回る旅行をしている訳ではありませんが
最近は遺跡を巡る機会が多くなり遺跡ファンになっています。
そんなこともあってピイでの遺跡観光も楽しみです。
しかし、今回この街を訪れてみようと思った
一番の理由はwebサイトで見た
“ ピイは昔ながらのミャンマーを感じれるのんびりした街 ”
この言葉に私たちの想像力が素直に反応してしまったからなのです。 -
ミンガラーバーバスターミナルはとてつも無く巨大です。
バスチケットも無くふらふらと荷物片手にやって来たら
どこに行けばよいのか迷って大変だったと思いますが
私たちは昨日街中でチケット購入(6000MMK)済みです。
更に宿で頼んだトゥクトゥクの運転手に
チケットを見せてバスの会社の前まで送ってもらいました。
レーダンの中心地には数軒のバスチケット販売所があります。
しかし、Gmapの情報は古いので結構当てになら無い事もあって
チケット販売所を探すのには骨が折れました。
街中の日本語学校を強引に訪問しスタッフに
チケットブースまで案内してもらったりしながら
なんとかピイまでのバスチケットを手に入れました。
日本語学校のスタッフのお兄さんありがとうございました。 -
バス会社のカウンターの後ろに設けられた待合所に居ると
バスの隙間から売り子さんたちが顔をのぞかせます。
なかにはシャボン玉のおもちゃを販売する女性がいました。
あの日、知らぬ間に西の空で大きくなった太陽が
土手で佇む私の影をどんどん真っすぐに長く伸ばして行く。
お化けの様に長く伸びた影は辺りから忍び寄る闇に
ゆっくりと吸い込まれ夜の時間に溶け込んでゆく。
そんな記憶を呼び戻すシャボン玉の刹那の風情は
こんな時でも私を少しセンチメンタルにしてしまうようです。 -
ピイに向け出発して3時間、時刻は正午。
幹線道路沿いのドライブインで昼休憩。
客席はざっと200以上はある大きなレストラン。
ウエートレスもたくさんいてモヒンガーを勧めてきます。
私たちはあまりおなかが空いている訳ではありませんが
800MMKと言う値段に引かれて試しに一杯注文しました。
魚のだしの味はしっかり効いていますが
レモングラスとパクチーの香りがとても爽やかで
今まで食べたモヒンガーの中で一番美味しかった。
移動中の飲食をいつもは気にする相棒も
このモヒンガーを一口食べると手が止まらなくなりました。
旅行の途中に偶然出会う絶品料理。
そんな宝物との出逢いはガイドブックが導いてくれるものではなく
自らの足で行動する事によって得られるセレンディピティ。 -
”バスステーションは街の中心から離れているので
宿近くの幹線道路沿いでバスを降りるのが良い”
とガイドブックには書いていました。
宿近くの幹線道路で降ろしてもらおうとGmapを見ていると
バスは街の中心部に向かう道から逸れ、山沿いの道に入って行きました。
ピイのバスターミナルよりかなり北でバスが一度停車した時
私も降りてスタッフに行きたい場所を告げると
とにかく乗れ的な事を言われて再度バスに乗車。
このバスは元々ヤンゴン発ピイ行きのバスで
ピイの中心街は通らず大きく北東に迂回したルートで
最終的にピイのバスターミナルに到着したのでした。
そんな事も知らずにバスに乗っていた私たちは本当にトホホです。
さてこれからどうしたものかと相棒と相談していると
バスのスタッフが私たちをソンテウに乗るように指示。
私たちと現地の夫婦の計4人をそれぞれの目的地まで
ソンテウで無料で送ってくれると言うのです。
本当ですか?
なんと親切なんでしょうか!
感謝!
ミャンマーすごい! -
バス会社のご厚意でソンテウを出していただき
もう一組の地元夫婦と共に宿まで無料で送ってもらいました。
街の北にあるバスターミナルから街のかなり西部にある
地元客の家経由で送ってもらったので30分以上はかかりましたが
街の雰囲気も感じ取れてとても楽しいドライブでした。
そしてたどり着いたのが今回ピイで3泊したラッキードラゴンホテル。
1泊3600円と私たちにしては大盤振る舞いの高級ホテルです。 -
本日は6時間のバス移動で
ピイの宿に到着したのは午後3時過ぎ。
最近は無理をしないのが信条の私たちは
周辺の観光はさて置き、まずはエネルギー充填と
宿の近くの幹線通り沿いにあるレストランで一杯。 -
ミャンマーの3月は酷暑の始まりの月でとても暑い。
ピイの街を貫く幹線道路沿いにあるこの飲み屋は
明るい間からの呑みにはぴったりの場所です。
3杯目のビールは黒ビールのドラフトにして
ツマミにバーベキューも3品頼んでしまいました。
まだ早いですがあとビール2杯飲んで今日は終了です。 -
2020年3月3日 4日目 ピー2日目
今日はバイクを借りてピー郊外のピュー遺跡に行きます。
このホテルではレンタルバイクサービスが無いとのことで
受付のお兄さんから個人的に借りることとなりました。
結構ぼろいセミオートマで1日14000MMK、高い!
※写真はホテルの朝食バイキングの一部。 -
世界遺産ピュー遺跡の博物館事務所にやって来ました。
観光客どころか地元の人すら全くいません。
この遺跡公園にはチケットブースやゲートなどが
ある訳ではないので事務所をスルーしてしまえば
何の問題もなく無料で遺跡を見学することは可能です。
しかし当然の事ながら私たちは事務所に入って
入場料(5000MMK)を払い、スタッフから遺跡の説明を聞き
その後別の棟の博物館を見学してから遺跡群へと向かいました。 -
事務所から一番近い遺跡が王宮跡です。
朽ち果てたレンガ済みの城壁が半分以上土砂に埋まり
河川敷の土手の様になって真っすぐに続いています。
城壁の内部は背の低い灌木が生い茂り
古の栄華を想わせるような建築物は見当たりません。
太陽は真下にしか影を作らず遺跡は灼熱地獄と化しています。
流石にここには長時間滞在できず次へと向かう事にします。
※写真右手の土手が王宮城壁跡です。 -
乾燥しきってかなりスリッキーな赤土の道を
どんどん先に進むと次に現れたのが、Yahandoar Pond。
乾期の乾いた大地に突然現れ、青い空を映し輝くオアシスは
歴史的な価値に加え貴重な動植物の博物館なのでしょうが
観光客ゼロ、しかもくそ暑い状況で
私たちの足は池へと向こうとはしませんでした。
さっさと池の向こう側に見えるパゴダに向かう事にしましょう。 -
砂埃を巻き上げる赤土の一本道の突き当りに
高さ45mのボウボウヂー・パヤーが見えてきました。
乾燥した大地ですがこの辺りには参道の両側に木が茂り
ピュー遺跡群最大の仏塔の登場を演出しているようです。
しかしこの参道には気の利いた土産物屋どころか
地元の人を含め人気が全くありません。 -
ボウボウヂー・パヤーは当然神聖な場所ですから
人気が無いからと言って石敷きの境内は土足禁止。
しかし頭上の太陽が容赦無く熱し続けた石敷きの境内は
私たち日本人が裸足で耐えられる温度をはるかに超えていて
仏塔に近づく事さえ出来ずに木陰に退散と言う有様です。
私たちを頑なに拒む巨塔が
ひたすら蒼い空に映えているさまを
少し離れた木陰から静かにしばらく眺め
ピューは本当に厳しい土地であると思った。 -
時折現れるレンガ積みの遺跡もほとんど崩壊していて
繁栄した頃の風景を想像させるものはほとんどありません。
ここには起伏のある赤茶色の道と焼き畑の焦げた大地が広がり
思った以上に強い風が吹き抜けて行きます。
時折姿を現す大木はこの大地に僅かな日陰を作り
この荒涼とした大地の中を生き抜く術を私たちに伝えています。
しかし、こんなに人がいない寂れた世界遺産は初めてです。
広い範囲に遺跡が散在しているのは事実ですが
保存状態が良いピューを象徴するような遺跡はほとんど無く
歴史的背景に興味がある人以外はまず来る事は無い遺跡でしよう。
この遺跡の中で私たちが出会ったのは労働中の現地の人のみでした。 -
道しるべも無い赤茶けた大地の真ん中で迷子になり
おおよそ道とは呼べ無いダートを彷徨っていた私たちが
やっとの抜け出せた幹線道路で出会ったものは
日本の街道沿いにある地蔵を祀ったような祠。
驕ること無く謙虚に自然を受け入れ畏敬の念をもって恐れ崇める
そんな人間本来の姿がここピューの地にも確かにありました。
赤茶けた大地はこれでもう充分です、街に帰りましょう。 -
Shwe San Daw Paya (シュエ・サンドー・パヤー)
ピイの街の中心の丘にあり、この街で一番大きな寺院。
外国人は入場料3000MMKでエレベーターで頂上まで行けます。
ピュー遺跡がピイ滞在のメインと考えていた私たちでしたが
この寺院はとても大きく、しかも奇麗で趣があります。
人気が少ないこの寺院を散策してみましょう。 -
仏塔の前で僧は経を唱える。
それ以外この空間に流れる音は
無数の仏塔の先端に取り付けられた鈴の
風によって打ち鳴らされる乾いて澄んだ金属音。
僧の唱える経は低いBから高いDまで
それはまるで歌のように旋律として響き渡る。
数千の鈴の音と僧の響き渡る経を指揮するのは
私たちの目には映らぬ青い空を自由に吹き抜ける風の神。
目を閉じてすべての音色に耳を傾けると
絡み合いながら帯状に連なる白と黄色の流れが
仏塔の周りをオーロラの様に漂うさまを感じられる。 -
丘の頂上に建てられたお寺に向かう参道の階段には
お土産屋がずらっと軒を並べています。
しかし、特別なお祭りの日でない限り
参拝客はまばらで開店休業状態の店が並んでいます。
しかし、そんな事はあまり大した事では無いと
思っているかのように皆さんのんびりしてます。 -
頂上にある本堂へ四方から延びる参道には
金色に輝く柱に支えられた天井が棚田の様に連なる。
その木製の天井に施された彫刻は天を覆う雲となり
そこには人々の信仰である龍が巣くっている。
足元の階段は思いのほか急な傾斜で駆け上がっている。
そしてその先の光の向こう側に仏が鎮座されている。
本当に良く出来たストーリーが体現されています。 -
曜日のせいか時間帯のせいか分かりませんが
広い境内を参拝する人もまばらで
日陰に腰をおろして暑さをしのぎ
色々な事に思いを巡らし寛ぐには最高の場所です。
ここは荘厳な空間を独り占め出来る
時空魔法の宮殿と名付けました。 -
小高い丘の上にある寺院には
別棟で背の高いエレベーター棟があり
本堂には鉄製の歩道橋が架けられています。
一点透視法的構図を見ると孤独のグルメを思い出し
おなかが空いたことを思い出してしまう私たちです。 -
頂上に続く長く急峻な参道も
ミャンマー様式の美しい建築です。
そんな参道を渡り廊下から身を乗り出し
カメラの絞りを調整してジオラマ風に撮ってみると
そこにはまた違った風景が広がります。
現実でありながら常世の世界のようでであり
手を伸ばせば届く模型のようでありながら
この地の長い時間に根付いた伝統意識の具現でもある。
そして、何よりもその姿は本当に美しい。 -
午後4時、今日のピイ観光は終了です。
一日の仕事終わりはやはりビールと言うことで
昨日来た街道沿いの飲み屋の隣のお店に来ました。
こちらはキリンが提携しているミャンマービールが飲めます。 -
ビールの後、少し遅めの昼寝をした私たちが
目を覚ましたのはもうすっかり日が暮れた頃でした。
おなかは減っていませんでしたが
お酒はもう少し飲みたい気分で宿近くに出撃です。
宿近くの地味なナイトマーケットを通り過ぎると
突然大きな汽笛と共に一両の気動車が
道路上の線路を横切っていきました。 -
2020年3月4日 5日目 ピイ3日目
今朝のビュッフェの日替わり麺料理は汁なし油麺。
もちもちしたきしめんのような麺でかなり美味しかった。
毎日日替わりの暖かい麺料理があるのはちょっと嬉しい。
今日はバイクでピイの南部を探検する予定です。 -
今日最初に目指したのはピイの南14kmにある
シュエダウン村のシュエミェッマン・パヤー。
ピイから南に延びる国道2号線は舗装状況も至って良好で
ゆっくり走っても30分そこそこでお寺に到着しました。
このお寺は遠目からも分かる派手な物ではなく
Gmap等で確認しないと通り過ぎてしまいそうな寺です。
敷地内に入って私たちの目を引く唯一のものが
コントラストの濃い影を落とす菩提樹の大木(写真)です。 -
シュエミェッマン・パヤーの仏様は
お顔におしゃれな丸眼鏡をかけていらっしゃいます。
目の病気を治して下さると言う霊験あらたかな仏様だそうです。
ガイドブックにも載っているお寺でしたが
平地にあり規模の大きくないお寺なので
長居することもなく次へと向かいます。
と言ってもまだ次の目的地は決めていないので
仏様の前の涼しい場所をお借りして
今からGmapで目的地探しをします。 -
バイパスを除いてミャンマーの街道は両側に大きな街路樹が茂り
その木々が道に穏やかな影を作る趣のある道路がたくさんあります。
シュエミェッマン・パヤーからGmapで見つけた寺院まで続く道も
路面の舗装はかなり傷んで凸凹ですが雰囲気は抜群な道(写真)です。
今回のミャンマー旅行でのツーリングで最も気持ち良かった道の一つです。
街道沿いには小銭を入れたアルマイトのボールを振って
チャリンチャリンと音を立てながら募金を募る地元の人を良く見かけます。
ボランティアなのか地域活動なのかは分かりませんが
私たち異邦人にも笑顔で挨拶してくれる楽しい存在です。
私たちはこの人たちをチリンチリンさんと名前を付けて
バイクのスピードを緩めミャンマーの生活文化を見せて頂いたことに
感謝の意を込めて少額ですができる限り寄付させていただきました。 -
シュエナッタウン・パヤー
Gmapで見つけた大きそう寺院を目標に
途中広大な赤土の広場に広がるローカル市場を通過し
メガネ仏から10km弱バイクを飛ばして来ました。
事前の下調べ無しに飛び込みでやって来た寺院ですが
エレベーター付きのかなり大きく立派な寺院です。
こんな田舎に忽然と現れる巨大な寺院
ミャンマーの底知れないポテンシャルを感じます。 -
現地の子供二人とエレベーターで
最上階まで一気に登りつめた空間に存在するその世界は
ピイの街中にあったシュエ・サンドー・パヤーと同様
神仏が住まう穏やかな空気の流れる天空の桃源郷。
どこまでも済んだ藍の空に
金色の仏塔が眩くそそり立っています。
ミャンマーの仏教徒にとってこの画角の色彩が
彼らの美意識の根源であると強く感じました。 -
私たちが到着後すぐに尼さん集団が参拝にやって来ました。
手を胸の前に合わせ神妙な顔つきで行進する彼女たちの
眩しそうなその表情には若い女性の意志と不安が感じ取れます。
彼女たちが声をそろえて唱える経は
大声で境内に鳴り響くものではありません。
シュエ・サンドー・パヤーで聞いた
男性の歌のような経とはかなり違いました。
街中でピンクの袈裟を着た尼さんはよく見かけますが
彼女たちが経を唱えるのを聞いたのは初めてで貴重な体験となりました。 -
私たちは横のエレベーターで最上階まで一気に来ましたが
一般の参拝者たちは正面の一番ん長い参道を登ってきます。
ミャンマーの寺院でよく見る尖った屋根が幾重にも重なり続くこの参道は
両側に並ぶ屋台が色とりどりの商品を並べた賑やかな通りになっています。
天井付近から吊り下げるように陳列された
商品が作り出す極彩色のトンネルを見ていると
ふるさと銀座商店街の七夕祭りを思い出します。 -
振り返るとトンネルのその先に見えるのは
真っ白に輝く雪国ではなく穏やかな光を纏った仏様。
参道を登り始めた頃は目指す頂上は全く見えず
坂道が永遠ではないかと錯覚するように続いています。
目標の見えない行進は苦痛と不安以外の何物でもない。
それに耐え、うつむき加減で足を前に出し続けると
やがて遥か彼方に光の点が突然視界に入ってきます。
そしてその点は歩みと共に光の帯となり
やがて常世の国で瞑想される仏の姿が網膜に映し出されます。
上がるでは無く将に登ることこそに
功徳を感じさせるこの参道は本当に良く出来ています。 -
朱の天井に金色の衣と言うスタイルの仏様に
出会った頃の違和感は最近では全く無くなっています。
この金色がむしろこの地域の風土に合っているとさえ感じます。
どちらかと言えば地味な色彩で厳しい表情の日本の仏様より
この穏やかな表情で輝く金色の袈裟を着た仏様は
ここまでたどり着いた私たちを温かく包み込み
私たちの近いところに存在して下さっている気がします。 -
シュエナッタウン・パヤーの向かいの小高い丘にも
兄弟と呼ばれる大きな寺院があります。
しかし、こちらは人出も少なく閑散としています。
見晴らし台のある板張りの大きな休憩所では
お土産屋のおばさんが見事にお昼寝中。
外は相当暑いですがここは風が通って
思いのほか涼しく昼寝には最適です。
まぁ商売には不向きですがね。 -
先程の寺が見渡せるこちらの寺の頂上付近で
以前映像で見た事のあるゴールデンロックを発見。
たまたま居合わせた地元の人に尋ねたらやぱり
回廊を渡って黄金の石の所には男性しか行けないと言う事で
私が代表で石に触って旅の安全を祈願しました。
ミャンマーではゴールデンロックが流行っているのか?
この後も何度か色々な場所でゴールデンロックに遭遇しました。
しかし、本家とか元祖とか本物とかそんなものを
ミャンマー人たちは気にはしないのでしょうか? -
Gmapを頼りにミャンマーの田舎道を
バイクで疾走するのはかなり気持ちいい。
舗装はでこぼこですが街路樹が日陰を作り
その向こう側に広がる田園風景は何故か懐かしい。
道ゆく人たちに手を振り挨拶を交わしながら
少しスピードを落としたバイク旅はやっぱり楽しい。
と言っても調子に乗ってトラブルは避けなければと言う事で
今回はここまで、来た道をピイに向けて戻る事にしました。
帰り道の途中、幹線道路に出た所の地元の雑貨屋さんでジュース休憩。 -
店の中から店主が現れ
「どこから来たんだい?」と店主が尋ねる。
「日本です。」と私は答える。
「私は日本が大好きだ。」
「私もミャンマーが好きになりました。」
「ありがとう。」
「日本人とミャンマー人は友達です。」
「私たちは親友だ。」
ミャンマーとの個人レベルでの友好、親善が
ここピイの近郊の小さな村でゆっくり進みます。
お代を払い握手を交わして店を立ち去る時には
名前も知らない通りすがりの日本人である私たちを
一家総出でしかも笑顔で礼儀正しく静かに見送ってくれる
これが私がこの地で知ったミャンマーの人々なのです。
ジュースよく冷えていて美味しかったです、ありがとう。 -
ピイ南部のミステリーバイクツアーの帰り道
イーヤワディー川沿いに象キャンプを見つけましたが
その規模の割に価格がとても高かったのでスルーして
さっさとピイの街にエネルギー補給のため帰ってきました。
気温は36°C、喉カラカラと言うことで
ミャンマービールを乾いた体に補給するべく
昨日と同じ店にやって来ました。 -
時間は午後4時過ぎ。
遅めの昼食兼早めの夕食でフライドライスを注文。
東南アジアのチャーハンはどこで食べても間違い無し。
更にミャンマーの料理は一品の量が多いので
二人分のつまみ兼軽食にはこれで十分です。 -
ピイはミャンマーを縦断するイーヤワディー川沿いの町です。
昨日今日と内陸部を回っていたので忘れていましたが
今回宿泊した宿ラッキードラゴンホテルは
1分も歩けばイーヤワディー川と言う最高の場所です。
明日にはピイを離れてしまう私たちは
夕日を映すイーヤワディー川を脳裏に焼き付けようと
散歩がてら河川敷の公園にやって来ました。
「日本人ですか?」と、現地の方。
「は、はいそうです。」と、私。
「私はレストラン横浜のものです。」
「えっ、ピイで有名な日本レストランですよね。」
流暢な日本語で突然話しかけて来た現地の方は
毎日散歩でラッキードラゴンホテル辺りまで来るそうです。
結局、私たちは横浜には行きませんでしたが
歴史がレストラン横浜と私たちとの出会いを
何か次の未来の創造のために用意していたなら
その偶然のチャンスを生かせなかった私たちは
やはり何も持っていない普通の人間のようです。 -
宿の近くの通りは夕方からナイトマーケットになります。
数十店出店している中でいつも行列が出来ていて
私たちの一番お気に入り店がこの麺類の店(写真)です。
相棒が頑張って並んでいます。
ひたすら並んで待っていると不愛想なお母さんが
「You!」と言葉をかけて注文を聞いてくれるそうです。
声をかけてもらったら後は指先注文でOK。
料金も現地の人と全く同じ明朗会計。
愛想は悪いが(失礼)味と料理人としての気概は最高です。
ここの焼きそば風汁なし麺は本当に美味しい。
もう一度食べてみたいと思う渾身の逸品です。 -
今夜の宴のつまみをもう一品とナイトマーケットを離れ
幹線道路沿いのマルタバ屋台にやって来ました。
中心から少し離れた暗い人通りの少ない路上で
この街ではあまり見かけないムスリムの夫婦が
家族4人で屋台を切り盛りしています。
しかし、こんな決して良いとは言えない場所に店を出しているのは
ムスリムであると言う事による何らかの差別があるのでしょうか?
ミャンマーには民族間の問題が根強く残っているようです。 -
ピイ最後の夜の晩餐の準備が整いました。
部屋の前にはホテルの小さな中庭を望むように
テーブル席があるのでそこで今夜は飲みます。
ピイに来て3日。
ピュー遺跡で迷子になったり
気持ちの良い田舎道をドライブできたり
現地の人と少しですがお話ができたり
明るい間からビールがたくさん飲めたり
イーヤワディー川に落ちる夕日をみたり
この街は予想通りのんびりとした良い所でした。
また、世界遺産があるのに観光客は少なく
日本人らしき人にシュエ・サンドー・パヤーで一度会っただけで
それ以外日本人にはこの街では一度も会っていません。
この時期海外旅行をしている人も少なかったとは思いますが・・・。
コロナ関連では街中にマスクをする人は居ませんし
私たち日本人を見て嫌な顔をする人も居ませんでした。
コロナは自分の国とは関係の無い遠い国の出来事と
この時はまだみんながそう思っていたようです。
まだしばらくは安心して旅行が続けられそうな雰囲気に
安心した私たちは明日マンダレーに向けてバスで出発します。
マンダレーは一泊だけで直ぐに次の目的地モンユアに向かいます。
次回は10時間で到着するだろうと思っていたバス移動が
バストラブルでその日のうちに着かないと言うトラブルから始まり
予約していたフライトのキャンセルのメールが届くなど
後ろから確実に迫りくるコロナも心配な次回モンユア編。
よろしければ、是非お付き合いくださいませ。
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