2020/09/22 - 2020/09/22
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watersportscancunさん
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皆様こんにちは。ウォータースポーツカンクンの店長吉田です。前回の更新からずいぶんと日が経ってしまいました。コロナ自粛で書く事が後ろ向きの事ばかりになり、書けば気持ちが落ち込むので少し明るい話題がかけるようになるまで、、、なんて思っていたら、こんなに時間が経ってしまいました。
感染者数や感染率は減っているのに、死亡率や死亡者数は高止まりしているメキシコで、ラテン文化の故か、どんどん経済優先で再開が続く現状にふと、空恐ろしさを覚える中、久しぶりに店長日記スタートします。
と書き出しては見たけれど、未だ自粛は変わらず家に閉じこもる毎日。子供の学校も再開はしてもリモートで一日中籠りっきり。今年から中学に上がり、新しい学園生活が始まったというのに、未だ新しいクラスメートと顔もあわせていなければ、友達だって出来るはずもない。そんな子供が早く学校に行きたいと漏らす気持ちが痛いほど伝わってくる。
メキシコはアメリカと同じ最強のG型が蔓延している事もあり、重症化する例も後を絶たない。実際、ボクの周りではコロナ感染者が何人も出ているし、重症化してしまった人もいる。挙句、弊社のヨットキャプテン(利用いただいた方にはご存知のチェルナ)の母親がコロナで亡くなった。メキシコの日本領事館でも感染者が先月に続き、今月も二人目を出すなど予防にどれだけ注意しても防げるような状態ではない事が浮き彫りになっている。しかも、全てこの2週間に起こった出来事だ。
それでも、ツアー予約が入り、今月は二組のご予約を頂いて、一日だけ仕事をして来た(一日はツアー中止によるキャンセル)どちらも、メキシコ在住のお客様だったけれど、本当にありがたかった。この場を持ちまして、心よりの御礼を申し上げます。
因みに、次の予約はなんと12月(苦笑) まだまだ、現状復帰は遠い。
そんな生活がもう7か月。。。いい加減自粛疲れも出てくるわけで。。。それが、公共のビーチ解禁というニュースと共に、あふれ出た市民の数に現れているのだろう。他社のインスタなどでもこの辺りいろいろ報告されているので興味ある方は調べてみてください。正直、恐怖を覚えるのであまりお勧めしないけど(苦笑) 間違っても、これを見て、あー、もう大丈夫なんだなとは思わないように。先にも書いたが、逆に危険は高まっている状態なので。
とはいえ、少しずつだけれど、最近は、家族をつれて誰もいないセノーテ発掘の気分転換を週末ごとに続けている。主に新しいセノーテの発掘に焦点を絞っているが、今の時期と言う事もあるけれど、ほぼどこも貸切状態なのがいい。
グランセノーテなど名の通った場所は、びっくりするくらい既に混雑を取り戻しているけれど、コロナを考慮せずとも、昔から感じるのは、やはり、セノーテは人が多いと楽しみが半減どころか9割減になるということ。逆に誰もいないと3倍増だ。それこそ、景観が多少悪くても、人でごった返す有名なセノーテより何倍も良いと感じるのは間違いない。
既に10か所以上新しい場所に出掛けているけれど、どこも素晴らしいと感じるのは、多分に人が少ないからという事もある。そんな中から、景観も含めて最高だとボクが感じた場所をこれから企画に取り入れていく予定なので、皆さま、是非楽しみにしていてください。
今回は、そんなセノーテの写真を一部添付するよ。
https://youtu.be/T-DzpdpPKkw
https://youtu.be/dqS8KySCmu4
セノーテの魅力とは何かと言えば、鍾乳石の作り出す壮観な景色であることは、誰も否定しないと思う。そんな地底湖で、シュノーケルをすれば、そのマスク越しに広がる鍾乳石や雄大な石筍にこの地球の躍動をきっと感じるはずだ。
ユカタン半島では100年で1cmと言われるその成長のスピードは、連なる積層の節目節目に人生の長さがちょうど重なる。
それが如何に長大で、逆に言えば、如何に人の一生なんて短いものなのかが心にしみる。1mに成長するのに1万年もかかるのだ。天井から下がる炭酸カルシウムの結晶は、一本で実に人類の有史以来の文明の歴史よりも長い。
どれだけの時間を費やしてつらら石が形成され、その下に石筍を作り上げ、一本につながる石柱になるのか。。。200万年、300万年という気の遠くなるような時間がそこには刻まれている。ぽたぽたと垂れるしずくが方解石結晶の輪を作り出し、下へ下へとのびていく。垂れるしずくは地面で石筍と言われる結晶の台座を作り上げていく。互いに伸びて一つにつながり、更に太く成長を続ける。床に流れる炭酸カルシウムを豊富に含んだ水が畦石(リムストーン)といわれる魚の鱗のような美しい模様を作り出し、その壁面は衣文(ドラペリー)と言われるカーテンのように幾重にも重なる絹のようにすべすべとした鍾乳石に覆われていく。幾千幾万という鍾乳管やつらら石に塞がれる天井は、独特の世界を作り上げる。
そんな神秘的な世界は水の中では更に幻想的な空間に変わる。
同じ石灰石柱と言われる大きく太い鍾乳石の柱は、石灰華柱という妖麗な柱に姿に変え、差し込む光の筋に反射し光暈(こううん)を伴って美しく輝く。水底に潜行して水面を眺めるとこの石柱がまるで幾筋もの光に導かれ天へとつながる一本の道のようにも見えてくる。そして、ゆっくりと浮力に身をゆだねると、天国へでも登っていくような錯覚に陥る。
それがどうしたと言われたらそれまでだ。ただの炭酸カルシウムの結晶が伸びて出来上がっただけのそんな鍾乳石に何を感傷的な観念をぶつけようと言うのだと言う人もいるだろう。けれど、今、自分が目にするそれは、1500年前も今も、その景観がほとんど変わらないのだと知れば、誰にでもきっと違った感慨が沸き起こるに違いない。
鍾乳石は、このユカタンの地では100年で1cmしか伸びないと先に書いた。ひとさし指の先から第一関節までの長さは日本人の平均では2cm弱ある。試しに近くにある石筍に指をはわせてみれば分かる。この指先の長さ分で200年。日本人の平均寿命の2.5倍もの時間が刻まれている。
翻って、目線を広げ、セノーテ全体の空間に目を向けてみるといい。
1500年前なら全体で15cmだけ短い鍾乳石がどれくらいの変化を景観にもたらすかを思えば、それは、間違いなくマヤ文明が全盛を迎えていた西暦600年代に、人々が畏れ敬った地下世界の姿と変わらぬ景色を、1500年の時代を隔てて自分たちも目にしているということに気が付くだろう。
マヤの人々が目にしたと同じ景色を、同じ場所で同じ気持ちで眺めてみる。その心の内に渦巻く様々な思いは、きっと先進文明に毒された我々とは違っていても、同じ人間として、純粋に心で感じる自然を敬う気持ちにフォーカスをしてみれば、何故、マヤの人々が、この地下に神が住むと考えたのかも見えてくる。
キチェーマヤ族の神話であるポポルヴフに代表されるマヤの神話には、例外なく神が住む世界として地下世界が登場する。それは、体系的な文字の発見されていないテオティワカン文明まで遡ってもなお、その都市構造から地下世界をベースに構築されている事がはっきりと見て取れる。
何故地下に神の世界を見たのか。。。というその答えは、深遠なセノーテの水底から立ち上がる石灰華柱の周りを泳ぎ、天を仰げば感じ取る事が出来る。
我々が地球に生かされているという声がふと心に湧き起こってくるからだ。
我々人類もまた、どれほど文明が進化し、それがどれだけ科学技術の建前を繕おうとも、地球からの恩恵を単に上手く利用させてもらっているに過ぎないと思いが至る。
結局は、地球という掌の中で生かされているだけの存在であることを、所詮ちっぽけな、脆くも儚い自らの存在と宿命を圧倒的なスケールに比較体験すると、ここが神が生まれる場所であることを、嫌が応にも感じずにはいられなくなる。
そうして改めて神話を読む時、そこには様々な戒めが込められている事に気が付くだろう。その意図するところが、人類が自然に対して謙虚になり、自然と共生をする大切さを、神話は様々な寓話を通して戒めを込めて伝えているのだと。
いつ頃から、人はこれほどまでに神をも畏れぬ倨傲を持つに至ったのか。ふと考えればそこには侵略によって、更にはその後現代にまで至る科学技術万能の妄想によって、歪められてしまった不幸があるようにも思えてくる。
一様に儀式など前時代的な原始の人々の蛮行であると否定し、経済資本主義の中において神はその体制が生み出す人類の横暴を肯定する方向に置き換えられていった。
例えば、人身供儀は野蛮な行為だと決めつけたスペイン人宣教師は、しかし、自らの主であるコンキスタドールの前では殺戮を是する矛盾を生み出した。これだけでも、現代にまで至る大きな時代の転換が、それまで自然に生かされているという謙虚な人類の方向性を、同じ人類が作り出した傲慢な思想にその地位を明け渡し、自然との乖離を招いた事が分かるだろう。
静かなセノーテに佇みながら、こうして古代の人々との対話を通じ、心に沸き起こる思いが身を包んでいくと、ふと、古代マヤの人々が神の声と呼んだ本質が、実は人生観の転換でもあるように感じられてくるだろう。
ここはとても重要なので、少しつっ込んで書いてみるよ。
人がひしめく雑念が溢れた観光地で、同じことを感じる事が出来ないのは、なんとなく想像が出来ると思う。これは、例えば初詣で、近所の神社に静かに参拝をするのと、大きな名刹にひしめく人の波に押されながら参拝をするのとは違うのと同じ。
表面的な美しさを優先した美観の奥に潜む本質を垣間見るゆとりもないまま、慌ただしく次のスケジュールへと移動をしていく中で得られる共感は、征服者と宣教師によって作り上げられた人類の作為に満ちた偽善と同じで、そもそもの本質が異なってしまっている。
しかも現代はこうした、表面的な美観にこそ、最も価値があるという偏った認識による謝った形での湾曲された商業メディアによる主張が、瞬く間にSNSやインスタといったネット媒体によって拡散していき、その偏向した価値観が大きくあたかもそれが真であるように多くの人の心を支配していく。それは将に洗脳に近い。
カンクンにやって来て、世界遺産を訪れ、名の知れたセノーテに出掛ける。そこは人で溢れている。こうした有名な観光スポットに訪れる多くの人が抱く同じ価値観の共有を共感という安心感に変え、また変わらぬ明日と言う未来へと戻っていく。
しかし、その先にあるのは、明日も全く変わらない今日と同じ一日でしかない。
ボク自身、こうした一連のバケーションを繰り返しながら、その都度、リラックスしたり、ストレスを解消したつもりになっていたが、どこまで行ってもそこには違和感が残り続けた。何かが違うのではないかという違和感は、大きく開いた心の片隅にずっと、何をしようとも埋まる事なく残り続けて来た。
ボクにとって、そのきっかけはヨットを通じた自然との交わりだったのだけれども、同じ感覚をセノーテで今も感じている。
人によっては、それを神の声と呼ぶものだ。
けれど、ボクはそれを神とは呼ばず、人生観を変える体験と呼んでいるが、実際は、何かの啓示のようなものだ。
一人静かにセノーテの淵に佇み、マヤの人々が見た神の世界に身を置きじっと心と対話をする。それは、マヤの人々が同じ場所で感じ繰り返して来た観念の追体験でもあり、その対話を通じて得られる新しい気づきでもある。歴史を体験するとは時代を経て当時の人々が感じ考えた気持ちに寄り添ってみる行為に与する。今この瞬間、隣にいる誰か見知らぬ他人と何かを共感する事とは違う。
例えば、開発されたセノーテや価値観が絞られた観光地は、どこか押し付けがましい美しさや主張が、本来そこには何もないはずの場所に溢れてしまっている。様々な人々による作り上げられ固定化された、こういうものであるという場所や雰囲気を、いつしか確認しに行くだけの行為に満足するようになっていく。
そこには、新しい体験に対するワクワクする気持ちも、これから起こりえる冒険心を掻き立てられるチャレンジも、明日という未来を変える気づきも存在しない。その瞬間、楽しかったという表面的な満足感が得られるだけだ。
与えられた作為的な価値観や楽しみ、型にはまった知見は、感受性を曇らせる。作られた感動は、その裏に隠された思惑にそった行動をとる事でのみ得られることになっている。ジェットコースターのスリルがどこにあるのかを考えれば分かる。
作られた楽しみというのは、そこに必ず作為がある。作為には答えが用意されている。だからこそ、用意された答えを解き明かすという楽しみ以上には、その思惑以上の楽しみも喜びも感動も存在しない。限られた範囲内での疑似体験や追体験といったものにとどまってしまうからだ。
人間というのは、何事も経験が増えてくると心が冷めてくる。ある程度長く生きれば、それは人生経験が生み出した生きる知恵という冒険や挑戦といったものとは対極にある理屈や道理や常識といったものに集約されて小さくなっていく。
それは、過去の失敗を経験とする多くの負の体験が生み出している。失敗しない為に、出来上がり作り上げられた作為のある体験に慣れていく。いつしか、子供の頃に感じた楽しみや純粋な喜びは、作り上げられた常識でがんじがらめにされ、そこから外れる事に対する恐怖心から硬直した考えを改める事が出来なくなっていく。
それは、諦めという、自分の気持ちを上手にごまかす技術が上がっているだけでしかない。人は、それを成長だとか、成熟、老成なんて言葉で言いくるめるが、感受性が鈍ったつまらない大人になっているだけであることに目を向けようとしない。
何をやっても感動をしなくなる。将に負の連鎖。
犇めく観光地ではこの連鎖は絶ち切れない。いつまでたっても。
その違和感の存在に気が付けば、おのずと訪れるべき場所も見えてくる。人の手の入らない圧倒的な手つかずの大自然に一人飛び込むことがその一つ。
しかし、それが一番だと分かっていても、なかなか準備や鍛錬や訓練など、その為の努力やハードルは低くはない。いきなり、険峻な山を登攀するなど出来ないし、ヨットで大洋を渡ることなど不可能に近い。だからと言って、手近な場所では人が溢れ安全対策が施され、結局はどこまで行ってもそれは疑似体験でしかない。
そして、人は諦める。そんなものだと。自分は特別な存在じゃないのだからと。
しかし、自分の気持ちに素直に向き合う事が出来るなら、本当はいくらでも方法はある。
試しに、セノーテに行ってみると分かる。
ここユカタン半島には、自然のダイナミズムをその肌で感じられるセノーテが無数にある。誰もいない静寂を保つ神聖な空間。マヤの地における神の宿る地下世界。
この空間で、ふと、自分の心と対峙し、様々な思いに身を任せていると、何故、ここがそれほどまでに美しく心に響くのか、、、その答えの中に、地下から生まれる太陽が、その暗がりの奥深くへと続く、このセノーテの道を通り抜け立ち昇ってくる閃光が、自らの片側に開いた黒い穴を埋めていく事に気が付くだろう。
なぜこの場所に神が宿るとマヤの人々が考えたのか。そう信じた意味も見えてくる。
ただ美しいのではない、そこにはマヤの人々が感じたと同じ証跡が自らの心の内なる言葉と結びつき、閃光を放って時代を超え蘇る。先にも書いた。自分は生かされているのだという謙虚な気持ちだ。
日々感謝をし、自然に感謝をし、人に感謝をする気持ちが芽生えると人は優しくなっていく。どんな理不尽な我儘を聞いても受け流せるようになる。いちいち、腹を立てる事もなくなる。穏やかな気持ちになっていく。
そして、楽しくないと思うのは自分の所為だという謙虚さは、どうしたら楽しくなるかという探求心へと変わるだろう。
この探求心があれば、人生はどんどん楽しく豊かになっていく。
これがポジティブの連鎖を生み出す人生観を変える体験だ。
常に与えられるものを上手に使いこなすだけの小手先の技術に習熟したところで、もう一方に開いた心の穴は埋める事は出来ない。その心の充実感は自ら生み出すものであるというそこに気づきがある。
日々、ストレスがある社会で生活をしているとついつい、不満をどこかでぶつけたくなる。でも、間違った形で溜め込んだストレスを間違った方法で表に出してしまえば、結局は、より大きなストレスを生み出す負の連鎖へとつながる。
自らの気持ち一つで変えられると分かると、ゆとりが生まれ、ストレスを発散するという行為も違った方法を取るようになる。他人はストレスを発散しようと躍起になる中で、自分は新しい物事を創造する為の大切なプロセスを意識するようになる。
誰もいないセノーテに佇むだけで、そんな体験が出来るのか。
そこに我々がご案内する意味がある。
だからこそ、この体験をしてほしいとボクは考える。この伝えなければならないという情熱が、全ての軸にある。
だからこそ、百聞は一見に如かず。。。という事を、訴えたい。
考えるより行動しろと。頭で考えるより感じなさいと。自分に素直になる時間と空間を、セノーテは与えてくれる。その時間がゆっくり進む空間に身をゆだねていると、きっとその意味が分かるだろう。
皆が幸せになるように心から願う気持ちが自然に生まれ、それが世界平和へとつながっていくことも。。。
そんなセノーテにご案内できる日がいつ戻ってくるのかな。。ふと、鍾乳石の天井を見上げながら思った。
再び、皆様のアテンドが出来る日が来ることを、今は心から祈る毎日です。
素晴らしい一日を心より願って。。。
店長吉田
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圧倒的な大自然の作り出す脅威の景色に自ら包まれる体験は、この場所に導かれたという奇跡を抱かせる。
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何百万という鍾乳石が織りなす雄大な景色は、その一本一本に人類の有史以来の歴史の長さを秘めている。
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上から下がるつらら石が、下から伸びる石筍(せきじゅん)と繋がり石柱となる。この写真の石筍を覆うのっぺりと柔らかく見える石灰の幕はドラペリーと呼ばれる美しい衣文の一つ。写真には写ってないけれど、この石筍の床は、これまた美しい畦石(あぜいし)と言われる鱗のような波紋が広がっている。
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写真にすると分かりにくいけれど、人の大きさを比較してみれば如何に大きいかが分かると思う。
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日によってセノーテはブルーではなくエメラルドグリーンに輝くこともある。ボクは個人的にはこのグリーンの美しさに目を見張る。
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光量の関係で水中の映像や写真が上手く取れず水上面の写真ばかりで申し訳ないのだけれど、水中の世界は、更に神秘の世界が広がっていた。
名の知れた有名なセノーテでは見る事が出来ない。例え見る事が出来てもダイビングでしか辿り着く事の出来ないような世界が、そこには広がっていた。
艤装の準備も、その為の鍛錬もなく、大自然をそのまま体で受け止める事が出来る世界がそこにはあった。
ここを入口として、多くの人が自然の大切さ地球の尊さを知ってくれることを心から願う。
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