2001/12/28 - 2001/12/31
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nichiさん
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この時は私はベルギーのブリュッセル、家内はマレーシアのクアラルンプールに赴任中。
私のみ年末は少し早めに休暇が取得できたので、クリスマスに帰国していました。
家内は12月27日までお仕事。
家内が「潜りに行きたーい!」と言うので、年末に私がマレーシアに行って一緒に潜るのかと思ったら、
「ティニアンに行こう!出来たばかりのホテルに1泊だけタダで泊れるから~」
とのこと。
それが台湾資本のティニアンダイナスティ&カジノホテルです。
家内が仕事上で付き合いのあるシンガポールのコンサル会社の関係でこうなったようです。
私達はカジノは興味ありませんが、ティニアン島は行ったことが無いのでありがたいお話。
でも、タダほどこわいお話はありません。
「何かブツを運んだり面倒くさいモニター資料作成したりとか大丈夫?」
と聞いたら、仕事上のお礼で1泊プレゼントされたとのことで何の心配もないとのことでした。
1泊ではつまらないので3泊。
ダイビングはやりたいので、ダイビング雑誌や横浜や新宿のダイビショップでティニアンのダイビングサービスについてヒアリング。
この時はまだネットが無かった時代ですので、色々不便でしたね。
ちなみにこのホテル、ググってみたら一度閉鎖され潰れそうになったのですが、2016年よりカジノホテルとして営業再開して、今また閉鎖中のようです。経営母体は変わっていましたが。。。
私は日本からコンチネンタルミクロネシア航空でサイパンへ。
家内はクアラルンプールよりマニラ経由フィリピン航空でサイパンへ。
と記録されています。
この時はフィリピン航空がサイパンに就航していたんですね。
サイパンの空港で私達は合流し、高速船でティニアン島に向かいました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
サイパンの空港で合流した私たちは、タクシーでサイパン港へ。
これがティニアン島行の高速船です。
貨物船の間に挟まれて停泊していました。 -
これがチケット。
記録が残っていないのだけど、幾らだったんだろう? -
高速船からの景色です。
サイパンからティニアンまでは約8Km。
50分ほどかかったようです。
高速船??
時速何キロ?? -
ティニアン港までホテルの車が迎えに来ていました。
私達2人はマイクロバスでしたが、巨大なリムジンに乗る方が何人か。。。。
中国系のお金持ち?
カジノにいらっしゃるんですね。。
港周辺は舗装されておらず、雑草だらけの道を走る巨大なリムジンは不釣り合いな光景でした。 -
チェックイン!
家内がフロントで1泊目だけフリーであることを確認し、
安心してここで3泊します。 -
ホテルの入口横にいきなりカジノ。
私達はカジノに興味なし。 -
部屋はまあまあ
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新しいホテルですので隅々までどこも綺麗です。
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部屋か外を見たらプールがライトアップされていました。
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お腹が空いたので、ホテルの中華レストランへ。
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ココ、美味しかったです。
流石台湾資本のホテルです。 -
2日目の朝、部屋からの景色。
ビュッフェ形式の朝食を終えて、ホテルロビーで予約済みであったダイビングサービスのお迎えを待ちました。
依頼したのはC-Questと言うダイビングサービスでしたが、ググってみたら今でもあるようです。 -
車でC-Qestの事務所に行って、手続きを終えてダイビングに出発です。
何と私達2人だけです。
スタッフはガイドさん、ボートキャプテン。
皆さんチャモロの方々です。
ボートキャプテンはサイパンんで働いていたことがあり、カタコトの日本語を話します。 -
透明度がいいティニアン。
ログブックを見ると、この日の透明度は「30m以上」と記してありました。 -
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家内(左)とガイドさん(右)が水深35mに着底しています。
透明度がいいんですね~ -
透明度がいい2本のダイビングを終えて、ダイビング終了。
ダイビングショップに戻ってログ記入しながらお弁当を戴きました。 -
ホテルに戻り、予約済みだったレンタカーで出発。
グアムやサイパンと同じスペイン~ドイツ~日本の統治下だった歴史があります。
日本統治下には、1万5千人以上の日本人が移住し、日本人街もあったティニアン島で、椰子、バナナ、砂糖キビなどの栽培や、砂糖、コーヒー、綿花の生産が行われていました。
その後、太平洋戦争の激戦地になった島で、アメリカ軍によるティニアン島占領後は日本爆撃の為の多くの爆撃機が発進した島です。 -
島の中心を走るブロードウェイと言う道路です。
後でレンタカー屋さんのスタッフに聞いたのですが、島の形がニューヨークのマンハッタンに似ているから真ん中を走る道路にこの名前が付けられたそうです。
ちなみに交通量が少ないこの島にはこの時には信号がありませんでした。 -
とにかく真っすぐなんです。
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旧日本軍通信局跡です。
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ロングビーチにやってきました。
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海の向こうに見えるのはサイパン島です。
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綺麗な美しい砂浜ですが、旧日本軍のトーチカが残っていました。
ココも戦跡です。 -
島のほとんどがこのようなジャングルです。
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Japanese Defence Cave
旧日本軍の防衛のための洞窟があるようです。
見てはいません。 -
南洋興発会社の神社跡です。
ポツンと鳥居だけ残っていました。
NKK神社=日の出神社と言われています。
南洋興発は砂糖キび栽培から砂糖生産を成功させ、軽便鉄道を走らせ、事業を拡げていました。 -
潮吹き海岸
不思議な自然現象で、天候と波によって石灰石の石棚の下で洞窟が出来、波が洞窟にぶつかる時に空に向かって潮を吹き上げます。
1分毎ぐらいに、大きな波が来ると起こる現象でした。 -
米軍はティニアン島占領後、元々あった旧日本軍の飛行場を大きく広げ、2500mの長い滑走路を4本有する大きな飛行場を建設しました。
ノースフィールド飛行場です。
日本語の表記もありました。 -
これがその長ーい滑走路。
4本のうち2本はジャングルの緑の中に。
残り2本の部分に自由に出入りすることができます。
ここより多くのB29が日本各地の爆撃の為に飛び立ち、多くの日本人が犠牲になりました。 -
広島に原爆リトル・ボーイを投下したエノラ・ゲイ
長崎に原爆ファットマンを投下したボックスカー
の2機が発進した飛行場です。
滑走路横に原爆保管庫が保存してあり、記念碑がありました。
原爆投下が太平洋戦争を終わらせ、多くのアメリカ軍人を救った旨の表記がありました。
英語表記のみでココは日本語表記はりませんでした。
原爆投下を正当化したものだったので撮影していません。 -
旧日本軍の施設跡 Flying Command Tower
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ココは旧日本軍の司令部です。
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レンタカーを走らせ、最北端の岬にやってきました。
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戦争犠牲者と海難犠牲者の為の慰霊の場所です。
十字架の奥に見える島はサイパン島です。 -
レンタカーを走らせ、島の北西にあるチュルビーチへ。
小さな綺麗な砂浜ですが、旧日本軍のトーチカが残っており、1944年7月24日早朝に激戦があったビーチです。
日米双方に多くの犠牲者が、、、 -
少し南に車を走らせ、旧日本人村跡地にやってきました。
草むらの中で、どこが旧日本人村かわからず。暫く探してこの看板を見つけました。 -
看板は見つけた者の、草むらとジャングルしか見えません。
草むらの中を暫く歩き回ってこの人工建造物を見つけました。
多くの商店や映画館などの娯楽施設が立ち並び、多くの日本人で賑わった村の跡です。 -
レンタカーを南に走らせます。
遠くに島唯一の小さな街サンホセが見えてきました。 -
ホテルに戻ってプールで身体を冷やしました。
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プールサイドには大勢の中国系の大金持ちが・・・
アクセサリーや羽織るガウンがキラキラしてます。
皆さんカジノ目当ての宿泊なんでしょうね~ -
プールからホテルのビーチ行って夕陽を見ながら私達夫婦はビールで乾杯。
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何とも気持ちがいい時間です。
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夕飯はホテル内の和食レストラン。
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ここでの和食はお世辞にも美味しいとは言えませんでした。
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ホテルは夜になると庭をライトアップ。
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この日は12月30日です。
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翌朝!
この日の朝は、ビュッフェをやめて、ホテルのレストランでパンとバター、ジャム、ハム、チーズ、フルーツ、ヨーグルトのコンチネンタルブレックファストにしました。
この日も予定通りのピックアップがあって、ダイビングにスタート。 -
ダイビングに出発。
この日のダイバーも家内と私の2名だけ。
後はチャモロ人のガイドさんと変な日本語を話すボートキャプテンの4人で乗船です。 -
相変わらずの素晴らしい透明度。
家内のこのウェットスーツ 懐かしい~~ -
何処までも続く白い砂地。
ガイドさんが言うには、透明度がいいのはプランクトンが少ないから。
よって魚影は濃くは無いとのこと。
確かに理屈にはなっています。 -
クマノミを下から撮影。
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家内は着底して、テッポウ海老の穴にハゼが共生している姿をジーっと見ていたそうです。
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珊瑚には多くのデバスズメダイ。
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2本目、潜行して見上げるとガイドさんが降りてくるところ。
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2本目はティニアン・グロッドというポイントです。
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この日はダイビングショップでチャモロカレーの昼食でした。
チャモロカレーには豚とパイナップルが入っています。
甘酸っぱくて美味しかったのですが、ルーはグリコワンタッチカレーでした。(笑) -
この日の午後もレンタカーで島内ドライブです。
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この日は島の南側を走りました。
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断崖絶壁が続きます。
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北側を見ると、サンホセの街が見えます。
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ティニアン港も見えます。
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サンホセの街に戻ってきました。
中心街にあるサンホセカトリック教会に残る鐘楼です。
17世紀末のスペイン統治時代の面影を残しています。
壁には多くの砲弾の跡。
太平洋戦争の傷跡です。 -
鐘楼の隣の新しい建物の聖堂内へ。
この島はカトリックの島です。 -
近くのタガ遺跡へ。
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古代チャモロ人の井戸の跡です。
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タガストーン(ラッテストーン)と呼ばれている石柱です。
グアムやロタでも見ました。 -
高さ5mを超す巨大な石柱は、古代チャモロ人の伝説の支配者タガ王が造ったといわれています。
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グアムやロタで見た石柱よりはるかに大きいです。
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宗教施設なのか?
墓石なのか?
建造物の土台なのか?
謎に包まれており、実際には何のための石柱なのか今でも判っていません。
建物の土台説が一番有力なようです。 -
レンタカーでラッソー大地へ。
途中から、どこが道だか判りづらくなりました。 -
たどり着いたラッソー神社(羅宗神社)
鬱蒼とした雑草の中で見つけました。
この石柱以外の羅宗神社の施設は、草木で荒れていて発見できませんでした。 -
羅宗神社からの景色。
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夕陽が綺麗です。
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ティニアン島の南にある無人島アギガン島が見えます。
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ホテルに戻りました。
部屋からの景色です。 -
この日の夕食はホテルの中華レストラン。
ちょっと雰囲気の特殊な中国の団体さんがいて、私らは早速さと部屋に戻ったと記録されています。 -
翌朝!
部屋からの景色、
ホテルでの朝食の後、プールで少しダラダラしました。 -
レンタカーでコーラル岬へ。
亀が多く出没する所です。
保護の為、砂浜には入れません。 -
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元々は日本資本だったMDCと言う牧場。
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島の3分の1の面積を占める広大な牧場には、数千頭の乳牛や肉牛が放牧されていました。ティニアンビーフと言うブランドにもなっていたようです。
BSE問題の際に牧場は倒産してしまい、今はMDCはありません。 -
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ホテルに戻ってホテル内を散策。
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南の島ならではの花がたくさん咲いてきました。
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敷地が広く、お掃除も大変だろうな~~
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ティニアンダイナスティ&カジノホテルをチェックアウト。
カジノホテルはヨーロッパやアメリカ、シンガポールで数度宿泊したことがありますが、ココはカジノならではの客層のウェイトが高かったです。
もう2度と来ないかな~。
と当時の私のアルバムに記録されていました。 -
この船でサイパンに行きます。
この日は大みそかです。
夫婦一緒に日本に帰国します。
綺麗な海や手つかずの自然、鎮魂の場である戦跡、かつて日本人村もあった島を巡ってきました。
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