2020/07/14 - 2020/07/14
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ペコちゃんさん
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埼玉県の東部にある人口約11万7千人の「鴻巣(こうのす)市」・・・鴻巣は埼玉県民にとっては免許センターとして有名な所、というか、それしか知らない街でしたが、江戸の時代から中山道の宿場町・鴻巣宿として発展した街です。
鴻巣の地名は、かつてこの地に武蔵国の国府が置かれ、「国府の州」が「こうのす」に転じ、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったとする伝承があります。
また鴻巣の周辺は、昔は湿地帯だったため、コウノトリが沢山棲んでいたそうで、鴻伝説によると、災いをなす大蛇をコウノトリが飛んできて撃退し、人々の平和な生活を戻してくれたということで、その地に祀られていた社を鴻ノ宮と呼び、地名も鴻巣と呼ばれるようになったとも伝わります。
そんなことを思いながら梅雨空の中、中山道に沿って《鴻神社 ⇒ 法要寺 ⇒ 勝願寺》と由緒ある鴻巣宿の寺社を回ってみました。
写真は、「鴻(こう)神社」の「茅の輪」と「拝殿」です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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徳川家康が整備した、江戸を中心とする五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の一つ「中山道」が走る鴻巣。
「東海道五十三次」に対し、江戸・日本橋~京都・三条大橋を69の宿場で繋ぐ「中山道六十九次」・・・1番の「板橋宿」から始まって「鴻巣宿」は7番目。 -
鴻巣の観光パンフレットを貰いに、最初に鴻巣市役所へ行きました。
1954年に誕生した鴻巣市・・・市庁舎は1974年の竣工。 -
玄関前には、2018年に設置されたコウノトリのモニュメント。
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1階ホールには、地元の諏訪工芸社が寄贈した「五尺大太鼓」が飾られています。
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1階にある商工観光課で「鴻巣御殿」の模型が展示されています。
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徳川将軍は軍事訓練や民情視察を兼ねて鷹狩りを盛んに行いましたが、その際に休憩・宿泊に利用した「御殿」は、東海道を中心に100カ所以上ありました。
鴻巣は江戸から中山道で徒歩1日の距離にあり、川越城と忍城の中間に位置する要衝でもあったため、1593年に鴻巣御殿が築かれ、家康・秀忠・家光の3代に亘って使われました。
左上の赤丸の建物は将軍が大名と対面する「御主殿」、黄丸は将軍の寝室「御休息の間」。 -
観光マップを参考に、中山道沿いにある「鴻神社」へ行きました。
鴻神社にある中山道の案内図を見ると、街道沿いにいくつかの寺社があります。 -
かつて鴻巣に点在していた「鴻三社」(氷川社・熊野社・雷電社)は明治6年に合祀され、明治40年に社号を「鴻神社」に改めました。
現在の鴻神社は雷電社があった所です。
駐車場に車を停めて「一の鳥居」の方へ回ります。 -
「こうのとりのお宮 鴻神社」・・・3社が合祀された神社なので御利益も盛り沢山ですが、特にご神像として祀ってあるコウノトリに因み、子授け(子宝)祈願・安産祈願に御利益があります。
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鴻神社の「一の鳥居」・・・子授け・安産の幟がなびいてます。
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「鴻神社 御由緒」の案内板。
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一の鳥居をくぐり、二の鳥居の前で狛犬がお出迎え・・・子授けのご利益がある神社では、子獅子と一緒の狛犬が多いですね。
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「二の鳥居」の先にある社殿の前には、樹齢500年を超える「夫婦銀杏」が両脇に聳え立っています。
左手が雄銀杏、右が雌銀杏で、夫婦円満や健康長寿の御神木。 -
「茅の輪」をくぐって拝殿へ・・・鴻神社は大きな神社ではありませんが、歴史や伝説に彩られた鴻巣宿の総鎮守として崇敬されています。
神幕にも『こうのとり』が描かれています。 -
拝殿内には、左右につがいのコウノトリ、安産・子授けの御神体などがあり、メスのコウノトリは卵を静かに温めています。
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社殿右手の「幸の宮弁財天」・・・1763年に祀られ、開運招福・金運将来・諸芸上達・女子力向上などにご利益があるパワースポット。
たまご形の絵馬がユニーク。 -
コウノトリの絵馬。
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夫婦銀杏の根元の旧鴻の宮(こうのとり伝説の伝わるお社)のすぐ脇に、こうのとりのたまご(お守り)を納める小さなお社があります。
願いが叶った方はお守りをここに納め、お礼参りを・・・1年を過ぎたお守りも納めることができます。 -
中山道に面した鴻神社近くの「田沼家」・・・母屋と蔵は明治12年の建造。
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中山道から少し奥に入った所にある、真言宗智山派の「法要寺」。
1457年の開基で、本尊には行基作と伝えられる大日如来が安置されています。 -
法要寺は深井寿命院(北本市)の末寺で、寺号は慈雲山医王院法要寺。
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境内の狛犬・・・台座には「市神街」と刻まれ、かつて中仙道に鎮座していた「市神社」の狛犬であったことを物語っています。
市神社は鴻巣宿の繁栄を願って建立された古い社でしたが、明治3年の突然の大強風によって潰滅し、狛犬のみが残されました。 -
本堂前の弘法大師像。
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本堂の屋根や常香炉、山門などに見られる法要寺の寺紋は、加賀藩・前田家と同じ「梅に鉢」の紋・・・これは慶安(1648~1652)の頃、加賀前田侯が参勤交代における鴻巣の宿所として法要寺を利用することになった際に、寺紋としての使用を許されたものです。
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本堂の内部。
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本堂の左側にある「鐘楼」。
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「宝篋印塔」・・・台座には「安永十辛丑四月吉祥日」と刻まれているので、1781年の造立。
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子安地蔵尊。
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平成21年に祀られた「六地蔵尊」・・・左から大定智悲地蔵、大徳清浄地蔵、大光明地蔵、清浄無垢地蔵、大清浄地蔵、大堅固地蔵。
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法要寺からJR鴻巣駅入り口を通過して中山道から少し入った所にある「まちの駅 みやもと 鴻巣宿」・・・ボランティアで運営する無料の休憩スペースで、店頭には地場産直の野菜などが並んでいます。
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中山道の歩道には、コウノトリのデザインタイル。
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「鴻巣本陣跡」。
江戸時代の宿場町だった鴻巣宿は、江戸末期(1843年)の調べでは宿内人口が2,274人で、町並み:17町(約1.9km)、家屋数:566軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:58軒がありました。 -
埼玉県は雛人形の生産が日本一で、シェアは約50%・・・その中心が岩槻と鴻巣。
鴻巣の人形製作は約380年の歴史があるといわれ、鴻巣の貴重な地場産業として現在に伝えられています。 -
2月下旬~3月上旬にかけて開催される「鴻巣びっくり ひな祭り」。
メイン会場の鴻巣駅前の「エルミこうのす」では、1,800体を超える雛人形で飾る、日本一高いピラミッド雛壇(31段・高さ7m)が展示され、大勢の人が訪れます。(今年は新型コロナの影響で、2月29日から開催中止) -
市役所で模型を見た鴻巣御殿は、文禄二年(1593)徳川家康によって建てられ、その敷地は一町四反歩(約1.4ヘクタール)に及びました。
その後、秀忠、家光の三代に渡って将軍家の鷹狩の際の休泊所として利用されますが、寛永七年(1630)頃を最後として、以後使用されなくなります。
明暦三年(1657)の江戸大火後は、その一部を解体して江戸城に運び、天和二年(1682)頃には残りの建物も腐朽して倒壊し、元禄四年(1691)には御殿地に東照宮を祀って除地としました。
その東照宮も明治三十年代に鴻神社に合祀され、旧御殿地はその後民有地となります。 -
「日本一小さい東照宮」の幟が建つ入口の路地を奥へ進むと・・・
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鳥居と東照宮の小さな祠があるのみです。
かつて、ここに広大な鴻巣御殿があったとは・・・当時の鴻巣宿に思いを巡らせます。 -
最後に向かったのは、浄土宗の「勝願寺」・・・創建の時期については諸説ありますが1252年と伝えられ、徳川家康・秀忠・家光が鷹狩をした時に何度も訪れたお寺です。
明治15年の火災で大半の建物が焼失しましたが、明治24年に本堂、大正9年に仁王門が再建されました。 -
入り口の「惣門」・・・「栴檀林(せんだんりん)」の扁額が掲げられています。
江戸期には門前に下馬札が建てられており、「宿泊のため当寺を訪れた加賀藩・前田家一行がこれを見落としたため、寺僧が門前で追い返した」あるいは「前田家一行が門前を通り過ぎる際、槍を立てたまま通行しようとしたため、寺僧がこれを咎めて槍を取り上げた」などの逸話が残されています。 -
1593年に徳川家康が初めて鴻巣で鷹狩を行った際に勝願寺を訪れ、二世住職・不残上人の知徳と学識、造詣の深さに感銘を受け、様々な宝物を寄進し、徳川家の家紋「三つ葉葵」を使用することを許しました。
葵の御紋は、主要建物の瓦など随所に見ることができます。 -
総門から80mほど真っすぐ続く、桜並木の参道・・・満開の時は見事のようです。
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「丹後国田辺城主 牧野家累代の墓」・・・本多忠勝らと共に家康の伊賀越えに随行した牧野康成は、1590年に上尾市から鴻巣市にかけて5,000石の所領を与えられ、1592年に勝願寺を訪れた家康から当寺の檀家になるように命じられました。
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牧野家はその後、1668年に丹後国田辺城主35,000石の譜代大名となり、明治維新を迎えます。
ここには歴代の当主夫妻が眠っていますが、牧野家の家紋がある扉は施錠されており、墓地全体が塀で囲われているので、中は見えません。 -
境内を進んだ先にある「龍寿殿」・・・江戸前期の浄土宗の僧・呑竜上人を祀った建物。
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大正9年に再建された「仁王門」・・・扁額には山号の「天照山」。
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両側には、再建時に秩父・三峯神社から贈られた仁王像が立ち並んでいます。
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そして仁王門には素晴らしい彫刻が施されています。
これは通路の真上にある龍の彫刻。 -
左右の仁王像の所にも。
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仁王門をくぐり振り返ると表側と同様、裏側にも彫刻が。
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左側のアップ・・・活き活きとした虎の彫刻です。
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本堂右側の鐘楼。
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昭和44年建立の梵鐘。
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明治24年に再建された「本堂」・・・現在、修復作業中でした。
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本堂上部には「鏝絵(こて絵)」・・・獅子のレリーフが漆喰で描かれています。
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葵の御紋が目につく本堂内部・・・中央に鎮座する本尊の「阿弥陀如来坐像」は平安時代の作と伝えられます。
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本堂前の左右にある石製蓮。
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本堂右側の「人形塚」・・・毎年11月13・14・15日に開催される念仏会の「お十夜」は関東三大十夜の一つで、14日には鴻巣ひな人形協会の主催による人形供養祭もここで行われます。
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「真田小松姫の墓」・・・小松姫(1573~1620)は、家康の従臣で徳川四天王の一人として名高い本多忠勝の娘で、家康の養女となった後、信濃国上田藩主・真田昌幸の長男・信之の正室へ。
江戸から草津温泉へ湯治に向かう途中、鴻巣の地で亡くなり、本廟は長野県上田市の芳泉寺にありますが、生前、当寺の住職・円誉不残に帰依していたことから一周忌の際に分骨されました。 -
「真田信重と室の墓」・・・真田信之と小松姫の三男・真田信重(1599~1648)も鴻巣で病死し、母親の小松姫の縁で当寺に葬られ、信重の妻は夫の死の翌年に没したため当寺に埋葬されました。
勝願寺でNHKの大河ドラマ『真田丸』を思い出すとはね~・・・ -
1763年に、鴻巣の俳人・横田柳几(1716~1788)が芭蕉70年忌の追善興業で1日千句を詠み、1787年に建立した「芭蕉忌千句塚」。
左側は、明治31年に74歳で没した鴻巣の俳人・笠島庵春友の辞世句を刻んだ句碑・・・『紫陽花や 人の寄るのも おもしろき』 -
ピラミッド状に積み上げられた無縁仏の供養塔・・・ウィーンの美術史美術館で観たブリューゲルの名画『バベルの塔』を思い出します。
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これは、ルーマニアとブルガリアの旅行で見かけたコウノトリです。
かつて、日本全国の空を舞っていたコウノトリは、残念ながら1971年に絶滅しましたが、最後の生息地だった兵庫県豊岡市では、もう一度、コウノトリを羽ばたかせようと野生復帰計画がスタートし、2005年には再び日本の空へ飛ばすことができました。
その後は野外でも繁殖に成功し、順調に数が増加・・・現在は豊岡だけでなく、日本全国の空を舞い始めています。 -
鴻巣市でもコウノトリを呼び戻そうと、NPOなどが荒川河川敷の環境整備などを行っており、JR鴻巣駅前ロータリーにはコウノトリのモニュメントも設置されています。
鴻巣の文化と歴史に触れた、梅雨のひと時でした。
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