カンクン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
皆様こんにちは。ウォータースポーツカンクンの店長吉田です。未だ感染が止まらずピークアウトに至っていないメキシコですが、カンクンもそれほど状況が好転したというわけではありません。<br /><br />しかしながら、街ではレストランやバーが営業を再開し、ソーシャルディスタンス及びオープンテラスでの営業と換気の徹底を前提に、お客さんが多数戻って来ています。カンクンのセントロにある最も大きなラス・アメリカス・モールも営業を再開。全体の80%が営業を開始しました。まだ、モール内はお客さんもまばらですが、がらんとした駐車場が現在は半分近く埋まるなど、カンクン市内については、日常が戻りつつあります。<br /><br />ただし、繰り返しますが、未だに感染がピークアウトしたわけではありませんので、この気のゆるみが二次感染を引き起こす可能性がありますので、油断は出来ません。<br /><br />さて、先日、私がゴルフ場にレポートを兼ねて行った後、弊社スタッフの岡が、ホテルゾーンのOLEOカンクンという南のホテルに家族で出かけて来たので、状況を撮影したビデオをアップします(ちなみに、料金は一泊$50USD。。。とにかく、今はカンクン、激安なのは間違いありません)<br /><br />以下のビデオを見て頂くとお分かりいただけるかと思いますが、ビーチもプールも人の入りはまばら。ビーチでの遊泳は現状、ホテル滞在者限定で、未だパブリックは閉鎖のままなので、実に静かなホテルゾーンのままであることがお分かりいただけると思います。<br /><br />これが穴場だという事を言いたいのではなく、岡には現状がありのままに分かるように真実のままを撮影して来てほしいと。ロビーやレストランの状況、施設でのソーシャルディスタンスやスタッフ、消毒に至るまで、6月19日現在のカンクンを撮影をして欲しいとお願いをしました。<br /><br />そしたら、この動画を撮って来ました。とりあえず、ご覧ください。<br /><br />https://youtu.be/k1JMQ0x02Jc<br /><br />はい。なんだか核心がぼやけたような映像になっていると思います。この映像を見て、ポジティブな絵が欲しいわけじゃないから、作為のないように撮影して来てくれといったのに何だこれはと注意をしたところ、、、以下の回答となりました。<br /><br />1:パブリックエリアでの撮影は禁止<br />2:ロビーでの撮影は禁止<br />3:レストランでの撮影は禁止/ メインのレストランは閉鎖しているがその撮影も禁止<br />4:ビーチバーのみ営業をしているが、そこも撮影禁止<br /><br />と、撮影出来る場所がほぼ皆無であるという回答でした。<br /><br />お分かりいただけると思いますが、恐らく、これは大いにグレーなゾーンであることを物語っています。撮影されると不都合なことが多いということだと理解して頂いてよろしいと思います。これがメキシコ特有の隠蔽と言う奴で、今回ラスアメリカス・モールでも撮影をしようとスマホを取り出したところが、先日までは何も問題がなかったのに、今回はセキュリティーがすっ飛んできて撮影を止められたと藤野も言っておりました。<br /><br />まー、細かな話をすると、ソーシャルティスタンスや換気の徹底、食事の提供やスタッフのマスクに消毒など、守り切れない部分はきっとあると思うのです。こうした粗を探されて写真を撮られたり映像を撮られて動画に投稿され、いろいろと社会的な問題に発展して、挙句再度の営業停止なんて事になる事を恐れていると言った方が良いのかもしれません。<br /><br />つまり、まだまだカンクン、決して油断が出来ませんよという事です。<br /><br />海はきれいですし、ビーチも人が誰もいない。滞在しているアメリカ人はむちゃくちゃテンション上げて、当然ですがマスクもせずに大騒ぎをしていたとの事ですが、感染が一日3万人を超えているアメリカからの観光客がこうしてやって来ている事もまた、不安をあおるばかりです。。。<br /><br />というわけで、メキシコのコロナの状況を報告します。<br /><br /><br />【メキシコ合衆国 感染状況】<br /><br />感染者総数 180,545名 (前日比+4717名/ 前週比+32,512名)<br />死亡者数 21,825名 (死亡率14%) (前日比+387名/ 前週比+3,909名)<br />回復者数 135,279名 (新規感染者数-回復者数 前日比+363名)<br /><br />【キンタナロー州 感染状況】<br /><br />感染者数 2,906名<br />死亡 513名<br />回復者 1637名<br /><br />【内訳】<br />カンクン市 感染者数 1852名 死亡 390名<br />プラヤデルカルメン 感染者数 436名 死亡62名<br />コスメル 感染者数 74名 死亡 14名<br />トゥルム 感染者数 42名 死亡 4名<br /><br />メキシコは平均して一日5000名前後の感染がコンスタントに確認されていて、日々400名強の死亡者が出ています。グラフを添付しますが、未だピークアウトをしていません。日本の大手旅行会社はカンクン便を8月31日までキャンセルと決定しましたが、未だ日本政府はメキシコを規制対象国から外していませんので、当然かなと思います。<br /><br />また、本日6月21日、アエロメキシコが民事再生法の申請をすることがニュースになっています。状況がかなり厳しくなって来ている事が見えてきますが、肝心の左派ポピュリスト大統領は、こうした大企業に対しては、あまり真剣に対応をしない為、本当に倒産をしてしまうかもしれません。過去にはメキシカーナ航空の倒産などがありましたが、一体どうなってしまうのでしょうか。。。<br /><br />不安が払しょく出来ない状況が続きますが、とにかく、皆様には安全第一で、未だカンクンには来て大丈夫だよと言える状況ではない事をここに明記しておきます。<br /><br /><br />さて、そんなわけで、本日の店長日記、いってみようか。<br /><br /><br />ここのところ、先古典期のメソアメリカ文明について論文等を読み返している。というのも、今更の話だが、アグアダフェニツクス遺跡の発見のニュースがあった為だ。猪俣教授率いるアリゾナ大学の考古学チームが行った発見は、考古学会に衝撃を持って迎えられた。<br /><br />何せ、先古典期前期と言われる紀元前1200年のマウンドに、南北1400m、東西400mという巨大な人工建造物が発見されたというのだ。この神殿だけで、トゥルム遺跡全体が4つも入ってしまう大きさだ。<br /><br />しかも、その規模370万m3、、、有名なティカルの1号神殿でも18300m3しかないのだ、現在マヤ最大と言われるエルミラドールのラ・ダンタ・ピラミッドでも280万m3であり、ついでにいうとチチェンイッツ遺跡のククルカンの神殿で24000m3、文明違いのテオティワカンの太陽のピラミッドでも180万m3なのだ。少なくとも、これまで発見されたマヤ遺跡では最大であることは間違いない(メソアメリカ文化圏にまで枠を広げると、チョルーラの大神殿450万m3や、オルメカのサンロレンソの800万m3などあるが、チョルーラは1000年にわたって拡大工事がされた結果なので、比較対象からは外れるが、サンロレンソについては考察があるのでまた後述する)。<br /><br />ちとまとめておくぞ<br /><br />紀元前1400年~1200年 サンロレンソの大神殿 880万m3<br />紀元前 1000年~800年 アグアダフェニックス 370万m3<br />紀元前 200年 エル・ミラドール。 ラ・ダンタ・ピラミッド 280万m3<br />西暦 150年 テオティワカン 太陽の神殿 160万m3<br />西暦 400年~600年 ティカル ケツァルコアトルの神殿 18300m3<br />西暦 400年~600年 コパン 神殿26号 31600m3<br />西暦 1100年 チチェンイッツァ ククルカンの神殿 24000m3<br /><br />(※時代が上がるにつれて規模が小さくなっている点に注目したい)<br /><br />また、マヤ地域で最も古いと言われる多くの遺跡、例えば、ナクベ、エルミラドール、ワシャクトゥン、セイバルなどでも、居住が確認されるのは紀元前800年頃まで遡ることが出来るが、それは、その後紀元前200年ごろに最盛期を迎える時代の一つも二つも前の原始地層の話で、まだ文明と呼べる状態ではない事が分かっている。<br /><br />更に、今回のアグアダフェニックスで確認されているグループEと言われる建築様式は、ワシャクトゥンに先行する時代編年として特に注目もされている。これらについても、考察があるので、順番に解説をしていく。<br /><br />とにかく、現状マヤ文明圏では、最古かつ最大の祭祀センターの発見というわけで、ヤフーニュースなどでも大いに取り上げられ、いろんなブログで取り上げられて、挙句、ボクの実家の母からもマヤの事などよく知りもしないのに連絡が来たくらいだから推して知るべしだろう(笑)<br /><br />このニュースが伝えられた時点で、既に論文の原文には目を通していたので、すぐにブログに上げようとは思ったのだけれど、これだけの大発見を、巷のように興味本位に適当に、ネットニュースで皆が知っているようなことを取り上げたところで浅知恵としか思われないし、我々専門とする人間には、なんだその程度の事しか知らないのかよと面目も潰れかねない(苦笑) よって、書くからにはそれなりの事を書かなくては意味がないので、ちょっと時間を頂いた(笑)<br /><br />そもそも、マヤについては先古典期の前期、所謂紀元前1500年~紀元前800年の時代についてはほぼ何も分かっていないのが実情で、この時代についてはメソアメリカだけでなく、アンデス文明も含めた人類史の起源に関することに踏み込んでいくものになる為、慎重に裏付けや後の論文の追記などをまとめる必要もある。まー、裏付けといっても論文は全て裏をとって発表されているので、そういう意味では自分の中で知識の再確認をしながら、ワクワクする論考を進めていたという感じだ(笑)<br /><br />分かると思うけれど、マヤ文明を専門にしている人間にとって、先古典期のしかも前期というのはあまりに謎に満ちている。何もわかっていないのだから、学説も珍説からトンデモ説まで含めて学者間でも意見が大きく分かれている。<br /><br />発掘といっても通常は、その後に発展をした遺跡の下に埋まっているか、もしくは、その後の近代における開発の波に破壊されて跡形もなく消え失せているか、、、もしくは、熱帯雨林のジャングルに埋没し、まったくその姿に気が付かないかのいずれかのケースがほとんどで、発掘のしようがない、、、という現実もある。<br /><br />今回のアグアダフェニックスにしても、最新の航空レーザ測深(AirBorn LiDAR)といわれる調査で発見できたもので、これまでは単なる丘陵だと思われ来た場所が実は遺跡で、発掘してみたら紀元前1200年まで遡ることが分かったというのだから、今後様々な発見が続く可能性はある。技術革新の賜物と言える。<br /><br />よって今回、自分なりの考察も含めて、この世紀の大発見について書いてみようと思う。ちと、マニアックな内容なので、分かりやすく出来るだけ平易に書いていくつもりだけれど、拙い文章力であるが故、読みにくくなったらごめんなさい(苦笑)<br /><br />※実は、この後に続くブログを今回二度書き直した。。。テーマが広がりすぎているし、壮大すぎる上、どうしても書いている内にマニアックになってしまい、学術論文みたいになってしまって普通の人が読んでもチンプンカンプンになってしまったからだ(汗) そもそも、イサパと、カミナルフユと聞いて直ぐに何が言いたいのか分かる人、、パラ期にシェー期、ミラフローレス期と聞いて直ぐにどの地域のどの編年であるかが分かる人、MFUにMFCと聞いて分かる人、セイバル、ナクベ、エルミラドールと聞いて直ぐにそのエリアが頭に浮かぶ人。ウスマンシンタ川にパシオン川、グリハルバ川と聞いたらそれがどの辺りで、更にどんな遺跡がその周辺にあるのか分かる人、、、そんなマニアな人にしか通用しない話をしても混乱するだけだから。。。もちろん、極力どうしても必要がある場合は、説明を追加して分かりやすくはしているつもりだけれど、それでも難しくなっていたら許してください。<br /><br />さて、、、<br /><br />まず、このアグアダフェニックス遺跡は紀元前1200年に土壌が整地された形跡が認められ、その後紀元前1000年~紀元前800年にかけて、たった200年という期間で370万m3もの神殿が建設された巨大センターである。<br /><br />先にも書いたが、紀元前1200年~紀元前800年という先古典期前期のことは、マヤ文明ではほぼ何も分かっていない。そもそも、発掘といえるような発見は何もない空白の時代だ。<br /><br />紀元前900年ごろのマモム期に、ナクベやエルミラドールといった中部地域にて最初の定住村落が登場し始めたことなどが発掘から分かっているが、悪までも集落が作られ始めたという程度のことで、そこには社会的な階層化や中央集権といった文明の基礎と言ったものは認められていない。<br /><br />また、マヤ文明に先行し、影響を強く及ぼしたと考えられているイサパ文明でも、その強い影響力がはっきりとマヤの社会構成に現れるのはチカネル期と言われる紀元前300年くらいからの話で、エルミラドールのラ・ダンタ・ピラミッドにしても紀元前200年の建設であったりする。<br /><br />そんな状態だから、マモム期以前のシェー期(紀元前1000年前後)となるとお手上げで、そもそも、マヤが文明として文字や暦を使用し始めたのが、例えば、実際に確認されている最古のマヤの暦は紀元36年のエル・パウル遺跡のエレーラ・ステラと呼ばれている石碑1番で、7バクトゥンの暦が刻まれているくらいで(ちなみに、この石碑はその後のマヤの石碑とは描かれる人物像も雰囲気も全く異なっていて、強烈にイサパ文明の影響を見て取ることが出来るのだが、発見した学者がアステカのものだと主張したりトンデモ話があったりして面白い(笑))、大体、この時代の論文は、カミナルフユやマヤ高地のミラフローレス期(紀元前300年頃)と、中部エリアのチカネル期に集中していて、とにかく、どれだけ頑張っても発掘結果というデータから遡れる高度な文明としてのマヤは紀元前300年より古く見積もることが難しいのが現状だった。<br /><br />因みに、セイバルの紀元前1000年の地層から祭祀場が2013年に発見されているが(こちらもアリゾナ大学の猪俣健教授らのチーム)、単発の発見とその規模から初期の共同祭祀場の痕跡ということで、その後大きな話題にはなっていない。<br /><br />こうして、紀元前300年がやっとと思われていたマヤの初期の時代が900年もさかのぼるとなったのだから、凄い発見だ。<br /><br />だって、例えば、紀元前1000年といえば日本では未だ縄文時代末期。猟を中心とする共同体的な集落を基本としていた時代、海の向こうの中国ではすでに周という統一王朝が繁栄し、強い中央集権王朝が存在していた。その周の都にあるのと同じような壮大かつ壮麗な神殿が、縄文時代の日本で発見されたというわけなのだから、驚きも幾ばくかというものだ(笑)<br /><br />だからこそ、最初はこれはオルメカの建造物だと考えたのも当然の成り行きだった。実際、アグアダフェニツクスはピッタリと南北の稜線にあわせて建設がされていたり、土製マウンドを基台とし、高さは10~15mと低いが、体積が大きな巨大人工マウンドであることなど、オルメカ的な要素が認められている。<br /><br />が、発掘が進むにつれて、出土するキャッシュ(ピットとも言われる儀式の品を納める埋葬場所)からはオルメカとは違う配列での埋葬がされていたり(オルメカは縦横十字に埋葬するが、アグアダフェニックスでは円形に埋葬している)、黒曜石はグァテマラ産であったり(オルメカはメキシコ中央部からの輸入品を使用している)、更に発掘された石彫は、動物の自然の姿を模したもので、オルメカのようにジャガー信仰と、王権を結び付けた擬態化が認められなかったり、、、様々な点で、オルメカとははっきりと異なる事から、これは別の文明の物であることが推察された。<br /><br />でも、これだけでは、マヤの遺跡とは肯定出来ない。オルメカではないが、他部族の遺跡かもしれない。イサパ文明かもしれないし、もっと別の部族のものかもしれない。。。<br /><br />しかし、その後の発掘で、この都市から伸びる9本の幹道の一本、北に延びる6.9kmの道の途中にある神殿や、中央神殿の北東にある神殿群などの作りが、後のワシャクトゥンにおけるEグループ建築と言われる様式に酷似していることなどから、恐らくマヤ遺跡であると結論付けられたものだ。<br /><br />現状、マヤにおける最古と言われる神殿はワシャクトゥンのグループE神殿なのだけれど、これが紀元前300~400年ごろ、頑張れば500~600年ごろまで遡ることが出来るという建築群だが、その建築様式に酷似している事が決定打となっている。もし、アグアダフェニックスの今後の発掘で更にマヤ的な発掘があり、これが最古のマヤだと確定したならば、ワシャクトゥンに先行する時代編年の遺跡として存在感がクローズアップされることになる。<br /><br />さて、いよいよ、マヤの文明的な起源が一気に紀元前300年から1200年まで遡るのか?!と思えてしまうところだが、ちょっと待て。。。添付資料をみると、紀元前1200年というのは、人工的なマウンドが形成された地層であり、実際の神殿の建設年代は、別付されている同位体測定値からも紀元前1000年~紀元前800年という事がはっきりしている。<br /><br />だから、この場所に建設が始まった時代として1200年まで遡る事は出来るが建設され繁栄をした時代は紀元前1000年~紀元前800年ごろだという事と理解しておこう。紀元前1200年と紀元前1000年はずいぶんと違うのだ!!(笑)<br /><br />それでも、マヤの時代編年を大幅に覆すのは間違いないわけだが、ここで一旦、では、当時繁栄していた他文明でも、特に絶頂を極めていたオメルカに目を向けてみようか。<br /><br />オルメカ文明は、メソアメリカ文明圏の中では最も古い時代に栄えた文明であることは今更説明するまでもないと思う。<br /><br />有名なところでは、サンロレンソやラ・ベンタ、エル・マナティなどがあるけれど、これらの遺跡は時代編年が異なり、例えば、サンロレンソとラ・ベンタの繁栄の時代は異なっている。これを書き始めると終わらないので、簡単に書くと、サンロレンソが繁栄したのが紀元前1400年~紀元前800年で、時代の最後の方に破壊活動が激しくなった地層があり(戦争や天変地異があったのではと言われている)、その後を引き継ぐ形でラ・ペンタ遺跡が続いている。<br /><br />間違いないのは、アグアダフェニックスが繁栄した紀元前1000年~紀元前800年というのは、サンロレンソが繁栄し衰退する時代に合致しているという点だ。その上、アグアダフェニックスはこのサンロレンソから390kmしか離れていない。これで影響がなかったというのはあまりに考えにくいわけだけれど、このオルメカの影響力というものを精査していくと、その支配の方法はちょっと違ったもので、強力な統一王朝として侵略と拡大を図っていったというよりも、朝貢を通じて平和的にその知識を周りの部族に授け、緩やかに文化的な影響を広げていったと考えられている(もちろん、例外的に軍事侵略の痕跡が認められる遺跡もある)<br /><br />将に、当時の中国の魏に朝貢し金印を授けられた倭の国王のようなもので、直接的な武力侵略ではなく、こうした生活の知恵や技術といった重要な教えを、これは暦や文字も含めて、朝貢の品と引き換えに授けていたと考えられている。<br /><br />(ちなみに、文字についてはサンロレンソでは発見されていないし、オルメカ全体でもはっきりとした文字体系というものは見つかっていない。現状、最古の文字と考えられるものが、ラ・ベンタから発見されているが、分かるように紀元前800を下る事がない。<br /><br />ただし、何かを伝えるにしても文字というものは必要であり、何かしら伝達や記録の為の文字言語というものは存在したと考えられているが未だ発見されていない。そういう意味で文字らしきベースはイサパになっていくわけだが、これも突然文字が開発されたというわけでもないわけで、今後の発掘と研究を待つことになる)<br /><br />さて、このような緩やかな支配(というか影響力)の元にマヤやイサパが発展を始めるわけだが、いくつか疑問点が浮かび上がる。まず、サンロレンソだが、神殿マウンドはなんと800万m3もありメソアメリカ文明圏の中では最大を誇る人工マウンドになっている。<br /><br />それだけの人工建造物を作る力をもった王が存在していたのは間違いがなく、実際、巨頭像も含めて王権を象徴するような発掘が多く出ている。地下信仰やジャガー信仰といった、周辺文明にも宗教的、社会的、経済的に影響を与えたのは疑いの余地がないわけだけれども、王墓といったものが一切発見されていない。<br /><br />オルメカ文明で王墓や豪華な副葬品、社会的に大きな格差がみられる住居の大小もなく、王が存在したのは間違いがないのに、その王を祭り、その王が生活をした壮大な王宮といったものがまったく発見されていないのである。<br /><br />ここは非常に興味深い点だ。これは謎なのだけれど、同様に、アグアダフェニックスでも神殿の周辺には王宮のような大きなマウンドをもった遺構は発見されておらず、集落については発見されているが、全て大きさに差異のない小さな集落の集まりに終始している。<br /><br />ついでに言うと、マヤ世界では現状最も高く巨大なピラミッドと言われるラ・ダンタピラミッドをもつエルミラドール遺跡でも、王宮や王墓は現状発見されていない。。。<br /><br />これが何を意味するのか?!<br /><br />実際に、はっきりと王墓が作られ、王宮が建設され、王を讃える石碑がマヤ文字に描かれ、王宮の近くに権力を象徴するかのようにそびえたつ高さのある神殿が建てられるのは、紀元前後あたりになってからになる。<br /><br />おもしろいのは、先のデータにも出したように、時代が上がるとピラミッドの高さはあるが規模は小さくなっていくという点だ。<br /><br />エルミラドールのラ・ダンタピラミッドは72mの体積280万m3もあるが、ティカルの神殿は高さこそ60mあるが体積は18300m3しかない。。。一人や一つのファミリーがその権力を掌握し私利私欲に走る国家のスタイルでは必然的に規模という点でも小さなものしか作り上げることが出来なかったのかもしれない。<br /><br />翻って、アグアダフェニックスは370万m3もある巨大な人工マウンドになっている。しかも、800万m3あるサンロレンソは、その境界がはっきりしない謂わば人工の丘陵という感じ(というか峡谷)なのだが、アグアダフェニツクスは境界のはっきりした土製建造物で、床にも磨かれた化粧漆喰が認められている。つまり、かなり進んだ建造物であったと言う事だ。<br /><br />論文では、これだけの建造物を建設するには労働者総動員数は1000~1300万人必要だと見積もられていて、たった200年で建設をしている事から見ても、周辺に確認されている集落の人口や、当時のマヤ全体の人口だけを見ても全く数で辻褄があわない為に、恐らく、マヤ以外の人々も加わって建設された巨大プロジェクトだったのではないかと結んでいる。<br /><br />紀元前1000年の時代では東南アジアや中東といった世界の各地で、こうした共同祭祀場の建設が確認されている。マヤの世界でも、紀元前200年のエルミラドールの時代ですら、格差というものが確認できない状態で、巨大ピラミッドを建設しており、オルメカも同様、サンロレンソには800万m3もの巨大マウンドを作り、巨頭像を作り上げ、中央集権的な社会システムを持っていたと考えられる社会ですら、階層をはっきりと生活で分ける区分が存在していない上、武力での侵略をベースとする統一国家スタイルを取っていない事からも、アグアダフェニックスもまた、強力な指導力のある王なり支配者が存在しつつ、悪までも指導力という点でトップに立ち、宗教儀礼を遂行する為のリーダーシップを求められた人物であったのかもしれない。この点はコバなどその後の他のマヤ地域でも都市の規模の大きさと石碑に描かれる内容から、戦乱に明け暮れたペテン地方とは違った平和的に巨大国家を運営していた痕跡のあるセンターなどにも実際存在している。<br /><br />当時の時代は、やっと不安定な狩猟生活から農耕による定住化が進み始め、人口が増加し始めた時代である。人々が求めていたのは生活の安定と、その日の糧を得る事。だからこそ、信仰が生まれ宗教が生まれ、儀式が生み出されたわけで、その為の共同祭祀場だとすれば、当然マヤといった民族に限定されない周辺の部族も含んだ協力的な作業となったのは自然の成り行きだったのかもしれない。そして、こうした共同祭祀場というものは巨大化する傾向がある事も事実を後押しする。<br /><br />幸い、サンロレンソは武力による周辺侵略をするような国家ではなかったことも幸いしたのかもしれない。しかし、紀元前800年頃に破壊活動が認められ、ラ・ベンタに支配権が移ったということや、ちょうどアグアダフェニックスが崩壊するのが紀元前800年とサンロレンソの崩壊と時を同じくする事からも分かるように、時代の変化をそこに記録しているのかもしれない。<br /><br />さて、その後のオルメカはラ・ベンタが紀元前500年頃衰退し、その後はエル・マナティやトレスサポスといった都市が細々とその命脈を保っていく。<br /><br />対するマヤは、その後大きく文明を開花させ古典期の繁栄へと向けてその文化レベルを大きく発展させていくわけだが、ピラミッドなどの規模は小さくなり、こうした王族に翻弄される一般の人々の悲劇の歴史もまた繰り返されていく。果たして、オルメカのサンロレンソやアグアダフェニツクスの時代に見た人々の祈りは、その後、一部の権力者による私利私欲へと姿かたちを変え、宗教儀礼を支配の道具として利用する時代へと変わっていくことになる。<br /><br />輝かしい文明を、その遺跡に見てロマンに浸る自分もいるが、ふと、この時代に自分が一般農民の立場だったらどう思っただろうかと、、、アグアダフェニックスの時代の方が、実は人として幸福だったのではないかと考えてしまう自分もいるのだった。<br /><br />と、最後は持論を展開してしまったけれど、こうした文明史を論考する楽しみは、自分がその時代に生きていたら、、、という前提に見ていくとより感情移入も深まって面白い。え?自分は王族側の気持ちになって見学しているって?! そういう話でいくと、何故マヤ文明の発掘が、これまで体系的に進められなかったのか、、、という話になっていくから別の意味で歴史の真実に迫る事も出来て面白い(笑)<br /><br />簡単に言うと、元々マヤ文明の発掘というのは、お金持ちの道楽だった。これは結構長い間そうだった。第三国に花開いた古代文明など研究対象にはなっていなかったし、発掘=インディジョーンズ的宝探しみたいな部分もあったから、発掘も金持ちにとって感情移入をしやすい自分と同じ境遇であった特権階層、、、そう、つまり、マヤの貴族たちが生活し儀式を行った壮大な神殿や宮殿の発掘ばかりに集中した為に、考古学的な資料に偏りが出てしまった事が、マヤ文明の解明を難しくしてきた大きな理由だったりするんですよ(笑)<br /><br />この結果、マヤの人々が突如として西暦909年に消えてしまったとか、謎の文明だとか、挙句バカル王はロケットで宇宙に飛んでいたなんていうトンデモ説がまことしやかに語られ、未だに、近年では2012年の地球滅亡説とマヤの預言書が結び付けられて大騒ぎになったりといったちょっと笑ってしまうような話が出て来たりするわけです。<br /><br />ちなみに、良くこの滅亡説はマヤの暦のサイクルが永遠に回り続ける前提だから区切りごとに滅亡を繰り返すわけではないなどという反論が持ち出されるけれど、それは本質をついていない。<br /><br />そもそものマヤの預言書の出典である「チラム・バラムの書」の預言の章には、カトゥン13アハウが終了する時、この世界は終わると書かれているわけで、ちゃんと終わると書かれているじゃないか!と反論されればおしまいだ(笑)<br /><br />だから、ちゃんと原典にあたって、その時代背景も考えたうえで論理考証をしていかないと底が簡単に割れてしまう。キーは、この書の原典(その後模写が作られている)が書かれたのは同位体測定では16世紀と言うとになっている。つまり、既にスペインの植民地支配が進んでいる時代に書かれた書物だと言う事だ。これは、記述中のカトゥンという短期歴でも間違いないことで、5129年サイクルのバクトゥン歴とは桁が一つ違っている。つまり、マヤの預言書と言われているが、実際は、新しい書物だということ。<br /><br />当時は既にエンコミエンダ制によるカトリックの強制、それに伴う奴隷化の中、マヤの人々にとっては受難の時代になっており、救いにならない強制されたカトリック以外の、マヤ独自の救いの書として生み出された聖書であるということだ。<br /><br />当然、救いの書なのだから、このような酷い世界がいつ終わるのか、、、という予言についても言及されているわけで、それがカトゥン13アハウという事になっている。<br /><br />また、書きだすと終わらないので、この辺りはまた別の機会に書きたいと思うけれど、とにかく世界が終わるのは地球規模ではなく、マヤにとっての受難の時代がカトゥン13アハウの終了と共に終わるよという内容になっているのです。これを拡大解釈で、しかも、カトゥン暦をバクトゥン暦にまで拡大して、地球が滅ぶと大騒ぎしていたのだから、ちょっと笑えるんじゃないかと思う。<br /><br />しかし、こうした誤解や誤認の原因になっているのが、さて、戻るけれど、偏った発掘による偏った認識の広まりだったということ。<br /><br />今では若い学者達が、地味な一般住居址の発掘を続けてくれているおかげで、今まで分かっていなかった社会の全体像が分かって来ているので、ずいぶんと古代マヤの世界も謎が減っては来ているわけですね。<br /><br />そう、社会や歴史を作るのは王族ではなく民衆なのです(笑) <br /><br />お、なんとなく、分かりやすく、かつ、一般の便乗ブログとは違う体裁を保つことが出来る内容にまとめることが出来たかな?!(笑)<br /><br />まー、正直、ここから実は、もっと深いアグアダフェニックスの論考というものが広がっていくのだけれど、止まらなくなるので、また機会があったら書く事にします。ちなみに、弊社が当地でご案内しているチチェンイッッア遺跡や、エクバラム遺跡、トゥルム遺跡やコバ遺跡やウシュマル遺跡にジビルチャルトゥン遺跡など、様々なマヤの遺跡に関しても、今回のアグアダフェニックスの発見は影響を与えるものになるので、こちらにいらしたら、是非遺跡にマニアックなまでに詳しいウォータースポーツカンクンへのご予約を心よりお待ち申しあげております(笑)<br /><br />しっかりと体形的に解説してくれるガイドからの話って面白いですよ。目で見えているものを、しかもガイドブックに書いてある程度に説明するだけの話ほど退屈なものはないですからね。<br /><br />そういう意味でも、絶対にどこにも負けない知識量と深い洞察に満ちた解説をお約束いたします(笑)<br /><br />はー、、、とはいえ、いつになったら、皆様をご案内出来るようになるのか、、、早く、メキシコ、、、コロナ収まってくれーーー!!(涙)<br /><br />皆様の素敵な一日を!<br /><br />店長吉田拝<br /><br />PS.添付の画像は著作権の関係で、ごく一部にとどめています。気になる方は、原文をネイチャー紙のサイトより$35USDでPDFにて購入可能ですので、是非読んでみてください。表題の写真はPDF原文の写真です(^^)<br />

【カンクン発】緊急報告!ホテル滞在レポート&マヤ最古の遺跡発見についてByWSCカンクン店長吉田

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2020/06/21 - 2020/06/21

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watersportscancun

watersportscancunさん

皆様こんにちは。ウォータースポーツカンクンの店長吉田です。未だ感染が止まらずピークアウトに至っていないメキシコですが、カンクンもそれほど状況が好転したというわけではありません。

しかしながら、街ではレストランやバーが営業を再開し、ソーシャルディスタンス及びオープンテラスでの営業と換気の徹底を前提に、お客さんが多数戻って来ています。カンクンのセントロにある最も大きなラス・アメリカス・モールも営業を再開。全体の80%が営業を開始しました。まだ、モール内はお客さんもまばらですが、がらんとした駐車場が現在は半分近く埋まるなど、カンクン市内については、日常が戻りつつあります。

ただし、繰り返しますが、未だに感染がピークアウトしたわけではありませんので、この気のゆるみが二次感染を引き起こす可能性がありますので、油断は出来ません。

さて、先日、私がゴルフ場にレポートを兼ねて行った後、弊社スタッフの岡が、ホテルゾーンのOLEOカンクンという南のホテルに家族で出かけて来たので、状況を撮影したビデオをアップします(ちなみに、料金は一泊$50USD。。。とにかく、今はカンクン、激安なのは間違いありません)

以下のビデオを見て頂くとお分かりいただけるかと思いますが、ビーチもプールも人の入りはまばら。ビーチでの遊泳は現状、ホテル滞在者限定で、未だパブリックは閉鎖のままなので、実に静かなホテルゾーンのままであることがお分かりいただけると思います。

これが穴場だという事を言いたいのではなく、岡には現状がありのままに分かるように真実のままを撮影して来てほしいと。ロビーやレストランの状況、施設でのソーシャルディスタンスやスタッフ、消毒に至るまで、6月19日現在のカンクンを撮影をして欲しいとお願いをしました。

そしたら、この動画を撮って来ました。とりあえず、ご覧ください。

https://youtu.be/k1JMQ0x02Jc

はい。なんだか核心がぼやけたような映像になっていると思います。この映像を見て、ポジティブな絵が欲しいわけじゃないから、作為のないように撮影して来てくれといったのに何だこれはと注意をしたところ、、、以下の回答となりました。

1:パブリックエリアでの撮影は禁止
2:ロビーでの撮影は禁止
3:レストランでの撮影は禁止/ メインのレストランは閉鎖しているがその撮影も禁止
4:ビーチバーのみ営業をしているが、そこも撮影禁止

と、撮影出来る場所がほぼ皆無であるという回答でした。

お分かりいただけると思いますが、恐らく、これは大いにグレーなゾーンであることを物語っています。撮影されると不都合なことが多いということだと理解して頂いてよろしいと思います。これがメキシコ特有の隠蔽と言う奴で、今回ラスアメリカス・モールでも撮影をしようとスマホを取り出したところが、先日までは何も問題がなかったのに、今回はセキュリティーがすっ飛んできて撮影を止められたと藤野も言っておりました。

まー、細かな話をすると、ソーシャルティスタンスや換気の徹底、食事の提供やスタッフのマスクに消毒など、守り切れない部分はきっとあると思うのです。こうした粗を探されて写真を撮られたり映像を撮られて動画に投稿され、いろいろと社会的な問題に発展して、挙句再度の営業停止なんて事になる事を恐れていると言った方が良いのかもしれません。

つまり、まだまだカンクン、決して油断が出来ませんよという事です。

海はきれいですし、ビーチも人が誰もいない。滞在しているアメリカ人はむちゃくちゃテンション上げて、当然ですがマスクもせずに大騒ぎをしていたとの事ですが、感染が一日3万人を超えているアメリカからの観光客がこうしてやって来ている事もまた、不安をあおるばかりです。。。

というわけで、メキシコのコロナの状況を報告します。


【メキシコ合衆国 感染状況】

感染者総数 180,545名 (前日比+4717名/ 前週比+32,512名)
死亡者数 21,825名 (死亡率14%) (前日比+387名/ 前週比+3,909名)
回復者数 135,279名 (新規感染者数-回復者数 前日比+363名)

【キンタナロー州 感染状況】

感染者数 2,906名
死亡 513名
回復者 1637名

【内訳】
カンクン市 感染者数 1852名 死亡 390名
プラヤデルカルメン 感染者数 436名 死亡62名
コスメル 感染者数 74名 死亡 14名
トゥルム 感染者数 42名 死亡 4名

メキシコは平均して一日5000名前後の感染がコンスタントに確認されていて、日々400名強の死亡者が出ています。グラフを添付しますが、未だピークアウトをしていません。日本の大手旅行会社はカンクン便を8月31日までキャンセルと決定しましたが、未だ日本政府はメキシコを規制対象国から外していませんので、当然かなと思います。

また、本日6月21日、アエロメキシコが民事再生法の申請をすることがニュースになっています。状況がかなり厳しくなって来ている事が見えてきますが、肝心の左派ポピュリスト大統領は、こうした大企業に対しては、あまり真剣に対応をしない為、本当に倒産をしてしまうかもしれません。過去にはメキシカーナ航空の倒産などがありましたが、一体どうなってしまうのでしょうか。。。

不安が払しょく出来ない状況が続きますが、とにかく、皆様には安全第一で、未だカンクンには来て大丈夫だよと言える状況ではない事をここに明記しておきます。


さて、そんなわけで、本日の店長日記、いってみようか。


ここのところ、先古典期のメソアメリカ文明について論文等を読み返している。というのも、今更の話だが、アグアダフェニツクス遺跡の発見のニュースがあった為だ。猪俣教授率いるアリゾナ大学の考古学チームが行った発見は、考古学会に衝撃を持って迎えられた。

何せ、先古典期前期と言われる紀元前1200年のマウンドに、南北1400m、東西400mという巨大な人工建造物が発見されたというのだ。この神殿だけで、トゥルム遺跡全体が4つも入ってしまう大きさだ。

しかも、その規模370万m3、、、有名なティカルの1号神殿でも18300m3しかないのだ、現在マヤ最大と言われるエルミラドールのラ・ダンタ・ピラミッドでも280万m3であり、ついでにいうとチチェンイッツ遺跡のククルカンの神殿で24000m3、文明違いのテオティワカンの太陽のピラミッドでも180万m3なのだ。少なくとも、これまで発見されたマヤ遺跡では最大であることは間違いない(メソアメリカ文化圏にまで枠を広げると、チョルーラの大神殿450万m3や、オルメカのサンロレンソの800万m3などあるが、チョルーラは1000年にわたって拡大工事がされた結果なので、比較対象からは外れるが、サンロレンソについては考察があるのでまた後述する)。

ちとまとめておくぞ

紀元前1400年~1200年 サンロレンソの大神殿 880万m3
紀元前 1000年~800年 アグアダフェニックス 370万m3
紀元前 200年 エル・ミラドール。 ラ・ダンタ・ピラミッド 280万m3
西暦 150年 テオティワカン 太陽の神殿 160万m3
西暦 400年~600年 ティカル ケツァルコアトルの神殿 18300m3
西暦 400年~600年 コパン 神殿26号 31600m3
西暦 1100年 チチェンイッツァ ククルカンの神殿 24000m3

(※時代が上がるにつれて規模が小さくなっている点に注目したい)

また、マヤ地域で最も古いと言われる多くの遺跡、例えば、ナクベ、エルミラドール、ワシャクトゥン、セイバルなどでも、居住が確認されるのは紀元前800年頃まで遡ることが出来るが、それは、その後紀元前200年ごろに最盛期を迎える時代の一つも二つも前の原始地層の話で、まだ文明と呼べる状態ではない事が分かっている。

更に、今回のアグアダフェニックスで確認されているグループEと言われる建築様式は、ワシャクトゥンに先行する時代編年として特に注目もされている。これらについても、考察があるので、順番に解説をしていく。

とにかく、現状マヤ文明圏では、最古かつ最大の祭祀センターの発見というわけで、ヤフーニュースなどでも大いに取り上げられ、いろんなブログで取り上げられて、挙句、ボクの実家の母からもマヤの事などよく知りもしないのに連絡が来たくらいだから推して知るべしだろう(笑)

このニュースが伝えられた時点で、既に論文の原文には目を通していたので、すぐにブログに上げようとは思ったのだけれど、これだけの大発見を、巷のように興味本位に適当に、ネットニュースで皆が知っているようなことを取り上げたところで浅知恵としか思われないし、我々専門とする人間には、なんだその程度の事しか知らないのかよと面目も潰れかねない(苦笑) よって、書くからにはそれなりの事を書かなくては意味がないので、ちょっと時間を頂いた(笑)

そもそも、マヤについては先古典期の前期、所謂紀元前1500年~紀元前800年の時代についてはほぼ何も分かっていないのが実情で、この時代についてはメソアメリカだけでなく、アンデス文明も含めた人類史の起源に関することに踏み込んでいくものになる為、慎重に裏付けや後の論文の追記などをまとめる必要もある。まー、裏付けといっても論文は全て裏をとって発表されているので、そういう意味では自分の中で知識の再確認をしながら、ワクワクする論考を進めていたという感じだ(笑)

分かると思うけれど、マヤ文明を専門にしている人間にとって、先古典期のしかも前期というのはあまりに謎に満ちている。何もわかっていないのだから、学説も珍説からトンデモ説まで含めて学者間でも意見が大きく分かれている。

発掘といっても通常は、その後に発展をした遺跡の下に埋まっているか、もしくは、その後の近代における開発の波に破壊されて跡形もなく消え失せているか、、、もしくは、熱帯雨林のジャングルに埋没し、まったくその姿に気が付かないかのいずれかのケースがほとんどで、発掘のしようがない、、、という現実もある。

今回のアグアダフェニックスにしても、最新の航空レーザ測深(AirBorn LiDAR)といわれる調査で発見できたもので、これまでは単なる丘陵だと思われ来た場所が実は遺跡で、発掘してみたら紀元前1200年まで遡ることが分かったというのだから、今後様々な発見が続く可能性はある。技術革新の賜物と言える。

よって今回、自分なりの考察も含めて、この世紀の大発見について書いてみようと思う。ちと、マニアックな内容なので、分かりやすく出来るだけ平易に書いていくつもりだけれど、拙い文章力であるが故、読みにくくなったらごめんなさい(苦笑)

※実は、この後に続くブログを今回二度書き直した。。。テーマが広がりすぎているし、壮大すぎる上、どうしても書いている内にマニアックになってしまい、学術論文みたいになってしまって普通の人が読んでもチンプンカンプンになってしまったからだ(汗) そもそも、イサパと、カミナルフユと聞いて直ぐに何が言いたいのか分かる人、、パラ期にシェー期、ミラフローレス期と聞いて直ぐにどの地域のどの編年であるかが分かる人、MFUにMFCと聞いて分かる人、セイバル、ナクベ、エルミラドールと聞いて直ぐにそのエリアが頭に浮かぶ人。ウスマンシンタ川にパシオン川、グリハルバ川と聞いたらそれがどの辺りで、更にどんな遺跡がその周辺にあるのか分かる人、、、そんなマニアな人にしか通用しない話をしても混乱するだけだから。。。もちろん、極力どうしても必要がある場合は、説明を追加して分かりやすくはしているつもりだけれど、それでも難しくなっていたら許してください。

さて、、、

まず、このアグアダフェニックス遺跡は紀元前1200年に土壌が整地された形跡が認められ、その後紀元前1000年~紀元前800年にかけて、たった200年という期間で370万m3もの神殿が建設された巨大センターである。

先にも書いたが、紀元前1200年~紀元前800年という先古典期前期のことは、マヤ文明ではほぼ何も分かっていない。そもそも、発掘といえるような発見は何もない空白の時代だ。

紀元前900年ごろのマモム期に、ナクベやエルミラドールといった中部地域にて最初の定住村落が登場し始めたことなどが発掘から分かっているが、悪までも集落が作られ始めたという程度のことで、そこには社会的な階層化や中央集権といった文明の基礎と言ったものは認められていない。

また、マヤ文明に先行し、影響を強く及ぼしたと考えられているイサパ文明でも、その強い影響力がはっきりとマヤの社会構成に現れるのはチカネル期と言われる紀元前300年くらいからの話で、エルミラドールのラ・ダンタ・ピラミッドにしても紀元前200年の建設であったりする。

そんな状態だから、マモム期以前のシェー期(紀元前1000年前後)となるとお手上げで、そもそも、マヤが文明として文字や暦を使用し始めたのが、例えば、実際に確認されている最古のマヤの暦は紀元36年のエル・パウル遺跡のエレーラ・ステラと呼ばれている石碑1番で、7バクトゥンの暦が刻まれているくらいで(ちなみに、この石碑はその後のマヤの石碑とは描かれる人物像も雰囲気も全く異なっていて、強烈にイサパ文明の影響を見て取ることが出来るのだが、発見した学者がアステカのものだと主張したりトンデモ話があったりして面白い(笑))、大体、この時代の論文は、カミナルフユやマヤ高地のミラフローレス期(紀元前300年頃)と、中部エリアのチカネル期に集中していて、とにかく、どれだけ頑張っても発掘結果というデータから遡れる高度な文明としてのマヤは紀元前300年より古く見積もることが難しいのが現状だった。

因みに、セイバルの紀元前1000年の地層から祭祀場が2013年に発見されているが(こちらもアリゾナ大学の猪俣健教授らのチーム)、単発の発見とその規模から初期の共同祭祀場の痕跡ということで、その後大きな話題にはなっていない。

こうして、紀元前300年がやっとと思われていたマヤの初期の時代が900年もさかのぼるとなったのだから、凄い発見だ。

だって、例えば、紀元前1000年といえば日本では未だ縄文時代末期。猟を中心とする共同体的な集落を基本としていた時代、海の向こうの中国ではすでに周という統一王朝が繁栄し、強い中央集権王朝が存在していた。その周の都にあるのと同じような壮大かつ壮麗な神殿が、縄文時代の日本で発見されたというわけなのだから、驚きも幾ばくかというものだ(笑)

だからこそ、最初はこれはオルメカの建造物だと考えたのも当然の成り行きだった。実際、アグアダフェニツクスはピッタリと南北の稜線にあわせて建設がされていたり、土製マウンドを基台とし、高さは10~15mと低いが、体積が大きな巨大人工マウンドであることなど、オルメカ的な要素が認められている。

が、発掘が進むにつれて、出土するキャッシュ(ピットとも言われる儀式の品を納める埋葬場所)からはオルメカとは違う配列での埋葬がされていたり(オルメカは縦横十字に埋葬するが、アグアダフェニックスでは円形に埋葬している)、黒曜石はグァテマラ産であったり(オルメカはメキシコ中央部からの輸入品を使用している)、更に発掘された石彫は、動物の自然の姿を模したもので、オルメカのようにジャガー信仰と、王権を結び付けた擬態化が認められなかったり、、、様々な点で、オルメカとははっきりと異なる事から、これは別の文明の物であることが推察された。

でも、これだけでは、マヤの遺跡とは肯定出来ない。オルメカではないが、他部族の遺跡かもしれない。イサパ文明かもしれないし、もっと別の部族のものかもしれない。。。

しかし、その後の発掘で、この都市から伸びる9本の幹道の一本、北に延びる6.9kmの道の途中にある神殿や、中央神殿の北東にある神殿群などの作りが、後のワシャクトゥンにおけるEグループ建築と言われる様式に酷似していることなどから、恐らくマヤ遺跡であると結論付けられたものだ。

現状、マヤにおける最古と言われる神殿はワシャクトゥンのグループE神殿なのだけれど、これが紀元前300~400年ごろ、頑張れば500~600年ごろまで遡ることが出来るという建築群だが、その建築様式に酷似している事が決定打となっている。もし、アグアダフェニックスの今後の発掘で更にマヤ的な発掘があり、これが最古のマヤだと確定したならば、ワシャクトゥンに先行する時代編年の遺跡として存在感がクローズアップされることになる。

さて、いよいよ、マヤの文明的な起源が一気に紀元前300年から1200年まで遡るのか?!と思えてしまうところだが、ちょっと待て。。。添付資料をみると、紀元前1200年というのは、人工的なマウンドが形成された地層であり、実際の神殿の建設年代は、別付されている同位体測定値からも紀元前1000年~紀元前800年という事がはっきりしている。

だから、この場所に建設が始まった時代として1200年まで遡る事は出来るが建設され繁栄をした時代は紀元前1000年~紀元前800年ごろだという事と理解しておこう。紀元前1200年と紀元前1000年はずいぶんと違うのだ!!(笑)

それでも、マヤの時代編年を大幅に覆すのは間違いないわけだが、ここで一旦、では、当時繁栄していた他文明でも、特に絶頂を極めていたオメルカに目を向けてみようか。

オルメカ文明は、メソアメリカ文明圏の中では最も古い時代に栄えた文明であることは今更説明するまでもないと思う。

有名なところでは、サンロレンソやラ・ベンタ、エル・マナティなどがあるけれど、これらの遺跡は時代編年が異なり、例えば、サンロレンソとラ・ベンタの繁栄の時代は異なっている。これを書き始めると終わらないので、簡単に書くと、サンロレンソが繁栄したのが紀元前1400年~紀元前800年で、時代の最後の方に破壊活動が激しくなった地層があり(戦争や天変地異があったのではと言われている)、その後を引き継ぐ形でラ・ペンタ遺跡が続いている。

間違いないのは、アグアダフェニックスが繁栄した紀元前1000年~紀元前800年というのは、サンロレンソが繁栄し衰退する時代に合致しているという点だ。その上、アグアダフェニックスはこのサンロレンソから390kmしか離れていない。これで影響がなかったというのはあまりに考えにくいわけだけれど、このオルメカの影響力というものを精査していくと、その支配の方法はちょっと違ったもので、強力な統一王朝として侵略と拡大を図っていったというよりも、朝貢を通じて平和的にその知識を周りの部族に授け、緩やかに文化的な影響を広げていったと考えられている(もちろん、例外的に軍事侵略の痕跡が認められる遺跡もある)

将に、当時の中国の魏に朝貢し金印を授けられた倭の国王のようなもので、直接的な武力侵略ではなく、こうした生活の知恵や技術といった重要な教えを、これは暦や文字も含めて、朝貢の品と引き換えに授けていたと考えられている。

(ちなみに、文字についてはサンロレンソでは発見されていないし、オルメカ全体でもはっきりとした文字体系というものは見つかっていない。現状、最古の文字と考えられるものが、ラ・ベンタから発見されているが、分かるように紀元前800を下る事がない。

ただし、何かを伝えるにしても文字というものは必要であり、何かしら伝達や記録の為の文字言語というものは存在したと考えられているが未だ発見されていない。そういう意味で文字らしきベースはイサパになっていくわけだが、これも突然文字が開発されたというわけでもないわけで、今後の発掘と研究を待つことになる)

さて、このような緩やかな支配(というか影響力)の元にマヤやイサパが発展を始めるわけだが、いくつか疑問点が浮かび上がる。まず、サンロレンソだが、神殿マウンドはなんと800万m3もありメソアメリカ文明圏の中では最大を誇る人工マウンドになっている。

それだけの人工建造物を作る力をもった王が存在していたのは間違いがなく、実際、巨頭像も含めて王権を象徴するような発掘が多く出ている。地下信仰やジャガー信仰といった、周辺文明にも宗教的、社会的、経済的に影響を与えたのは疑いの余地がないわけだけれども、王墓といったものが一切発見されていない。

オルメカ文明で王墓や豪華な副葬品、社会的に大きな格差がみられる住居の大小もなく、王が存在したのは間違いがないのに、その王を祭り、その王が生活をした壮大な王宮といったものがまったく発見されていないのである。

ここは非常に興味深い点だ。これは謎なのだけれど、同様に、アグアダフェニックスでも神殿の周辺には王宮のような大きなマウンドをもった遺構は発見されておらず、集落については発見されているが、全て大きさに差異のない小さな集落の集まりに終始している。

ついでに言うと、マヤ世界では現状最も高く巨大なピラミッドと言われるラ・ダンタピラミッドをもつエルミラドール遺跡でも、王宮や王墓は現状発見されていない。。。

これが何を意味するのか?!

実際に、はっきりと王墓が作られ、王宮が建設され、王を讃える石碑がマヤ文字に描かれ、王宮の近くに権力を象徴するかのようにそびえたつ高さのある神殿が建てられるのは、紀元前後あたりになってからになる。

おもしろいのは、先のデータにも出したように、時代が上がるとピラミッドの高さはあるが規模は小さくなっていくという点だ。

エルミラドールのラ・ダンタピラミッドは72mの体積280万m3もあるが、ティカルの神殿は高さこそ60mあるが体積は18300m3しかない。。。一人や一つのファミリーがその権力を掌握し私利私欲に走る国家のスタイルでは必然的に規模という点でも小さなものしか作り上げることが出来なかったのかもしれない。

翻って、アグアダフェニックスは370万m3もある巨大な人工マウンドになっている。しかも、800万m3あるサンロレンソは、その境界がはっきりしない謂わば人工の丘陵という感じ(というか峡谷)なのだが、アグアダフェニツクスは境界のはっきりした土製建造物で、床にも磨かれた化粧漆喰が認められている。つまり、かなり進んだ建造物であったと言う事だ。

論文では、これだけの建造物を建設するには労働者総動員数は1000~1300万人必要だと見積もられていて、たった200年で建設をしている事から見ても、周辺に確認されている集落の人口や、当時のマヤ全体の人口だけを見ても全く数で辻褄があわない為に、恐らく、マヤ以外の人々も加わって建設された巨大プロジェクトだったのではないかと結んでいる。

紀元前1000年の時代では東南アジアや中東といった世界の各地で、こうした共同祭祀場の建設が確認されている。マヤの世界でも、紀元前200年のエルミラドールの時代ですら、格差というものが確認できない状態で、巨大ピラミッドを建設しており、オルメカも同様、サンロレンソには800万m3もの巨大マウンドを作り、巨頭像を作り上げ、中央集権的な社会システムを持っていたと考えられる社会ですら、階層をはっきりと生活で分ける区分が存在していない上、武力での侵略をベースとする統一国家スタイルを取っていない事からも、アグアダフェニックスもまた、強力な指導力のある王なり支配者が存在しつつ、悪までも指導力という点でトップに立ち、宗教儀礼を遂行する為のリーダーシップを求められた人物であったのかもしれない。この点はコバなどその後の他のマヤ地域でも都市の規模の大きさと石碑に描かれる内容から、戦乱に明け暮れたペテン地方とは違った平和的に巨大国家を運営していた痕跡のあるセンターなどにも実際存在している。

当時の時代は、やっと不安定な狩猟生活から農耕による定住化が進み始め、人口が増加し始めた時代である。人々が求めていたのは生活の安定と、その日の糧を得る事。だからこそ、信仰が生まれ宗教が生まれ、儀式が生み出されたわけで、その為の共同祭祀場だとすれば、当然マヤといった民族に限定されない周辺の部族も含んだ協力的な作業となったのは自然の成り行きだったのかもしれない。そして、こうした共同祭祀場というものは巨大化する傾向がある事も事実を後押しする。

幸い、サンロレンソは武力による周辺侵略をするような国家ではなかったことも幸いしたのかもしれない。しかし、紀元前800年頃に破壊活動が認められ、ラ・ベンタに支配権が移ったということや、ちょうどアグアダフェニックスが崩壊するのが紀元前800年とサンロレンソの崩壊と時を同じくする事からも分かるように、時代の変化をそこに記録しているのかもしれない。

さて、その後のオルメカはラ・ベンタが紀元前500年頃衰退し、その後はエル・マナティやトレスサポスといった都市が細々とその命脈を保っていく。

対するマヤは、その後大きく文明を開花させ古典期の繁栄へと向けてその文化レベルを大きく発展させていくわけだが、ピラミッドなどの規模は小さくなり、こうした王族に翻弄される一般の人々の悲劇の歴史もまた繰り返されていく。果たして、オルメカのサンロレンソやアグアダフェニツクスの時代に見た人々の祈りは、その後、一部の権力者による私利私欲へと姿かたちを変え、宗教儀礼を支配の道具として利用する時代へと変わっていくことになる。

輝かしい文明を、その遺跡に見てロマンに浸る自分もいるが、ふと、この時代に自分が一般農民の立場だったらどう思っただろうかと、、、アグアダフェニックスの時代の方が、実は人として幸福だったのではないかと考えてしまう自分もいるのだった。

と、最後は持論を展開してしまったけれど、こうした文明史を論考する楽しみは、自分がその時代に生きていたら、、、という前提に見ていくとより感情移入も深まって面白い。え?自分は王族側の気持ちになって見学しているって?! そういう話でいくと、何故マヤ文明の発掘が、これまで体系的に進められなかったのか、、、という話になっていくから別の意味で歴史の真実に迫る事も出来て面白い(笑)

簡単に言うと、元々マヤ文明の発掘というのは、お金持ちの道楽だった。これは結構長い間そうだった。第三国に花開いた古代文明など研究対象にはなっていなかったし、発掘=インディジョーンズ的宝探しみたいな部分もあったから、発掘も金持ちにとって感情移入をしやすい自分と同じ境遇であった特権階層、、、そう、つまり、マヤの貴族たちが生活し儀式を行った壮大な神殿や宮殿の発掘ばかりに集中した為に、考古学的な資料に偏りが出てしまった事が、マヤ文明の解明を難しくしてきた大きな理由だったりするんですよ(笑)

この結果、マヤの人々が突如として西暦909年に消えてしまったとか、謎の文明だとか、挙句バカル王はロケットで宇宙に飛んでいたなんていうトンデモ説がまことしやかに語られ、未だに、近年では2012年の地球滅亡説とマヤの預言書が結び付けられて大騒ぎになったりといったちょっと笑ってしまうような話が出て来たりするわけです。

ちなみに、良くこの滅亡説はマヤの暦のサイクルが永遠に回り続ける前提だから区切りごとに滅亡を繰り返すわけではないなどという反論が持ち出されるけれど、それは本質をついていない。

そもそものマヤの預言書の出典である「チラム・バラムの書」の預言の章には、カトゥン13アハウが終了する時、この世界は終わると書かれているわけで、ちゃんと終わると書かれているじゃないか!と反論されればおしまいだ(笑)

だから、ちゃんと原典にあたって、その時代背景も考えたうえで論理考証をしていかないと底が簡単に割れてしまう。キーは、この書の原典(その後模写が作られている)が書かれたのは同位体測定では16世紀と言うとになっている。つまり、既にスペインの植民地支配が進んでいる時代に書かれた書物だと言う事だ。これは、記述中のカトゥンという短期歴でも間違いないことで、5129年サイクルのバクトゥン歴とは桁が一つ違っている。つまり、マヤの預言書と言われているが、実際は、新しい書物だということ。

当時は既にエンコミエンダ制によるカトリックの強制、それに伴う奴隷化の中、マヤの人々にとっては受難の時代になっており、救いにならない強制されたカトリック以外の、マヤ独自の救いの書として生み出された聖書であるということだ。

当然、救いの書なのだから、このような酷い世界がいつ終わるのか、、、という予言についても言及されているわけで、それがカトゥン13アハウという事になっている。

また、書きだすと終わらないので、この辺りはまた別の機会に書きたいと思うけれど、とにかく世界が終わるのは地球規模ではなく、マヤにとっての受難の時代がカトゥン13アハウの終了と共に終わるよという内容になっているのです。これを拡大解釈で、しかも、カトゥン暦をバクトゥン暦にまで拡大して、地球が滅ぶと大騒ぎしていたのだから、ちょっと笑えるんじゃないかと思う。

しかし、こうした誤解や誤認の原因になっているのが、さて、戻るけれど、偏った発掘による偏った認識の広まりだったということ。

今では若い学者達が、地味な一般住居址の発掘を続けてくれているおかげで、今まで分かっていなかった社会の全体像が分かって来ているので、ずいぶんと古代マヤの世界も謎が減っては来ているわけですね。

そう、社会や歴史を作るのは王族ではなく民衆なのです(笑) 

お、なんとなく、分かりやすく、かつ、一般の便乗ブログとは違う体裁を保つことが出来る内容にまとめることが出来たかな?!(笑)

まー、正直、ここから実は、もっと深いアグアダフェニックスの論考というものが広がっていくのだけれど、止まらなくなるので、また機会があったら書く事にします。ちなみに、弊社が当地でご案内しているチチェンイッッア遺跡や、エクバラム遺跡、トゥルム遺跡やコバ遺跡やウシュマル遺跡にジビルチャルトゥン遺跡など、様々なマヤの遺跡に関しても、今回のアグアダフェニックスの発見は影響を与えるものになるので、こちらにいらしたら、是非遺跡にマニアックなまでに詳しいウォータースポーツカンクンへのご予約を心よりお待ち申しあげております(笑)

しっかりと体形的に解説してくれるガイドからの話って面白いですよ。目で見えているものを、しかもガイドブックに書いてある程度に説明するだけの話ほど退屈なものはないですからね。

そういう意味でも、絶対にどこにも負けない知識量と深い洞察に満ちた解説をお約束いたします(笑)

はー、、、とはいえ、いつになったら、皆様をご案内出来るようになるのか、、、早く、メキシコ、、、コロナ収まってくれーーー!!(涙)

皆様の素敵な一日を!

店長吉田拝

PS.添付の画像は著作権の関係で、ごく一部にとどめています。気になる方は、原文をネイチャー紙のサイトより$35USDでPDFにて購入可能ですので、是非読んでみてください。表題の写真はPDF原文の写真です(^^)

  • アグアダフェニックスとオルメカ遺跡、及び他の遺跡の分布図<br /><br />オルメカのサンロレンソから非常に近いのが分かる。

    アグアダフェニックスとオルメカ遺跡、及び他の遺跡の分布図

    オルメカのサンロレンソから非常に近いのが分かる。

  • 発見された巨大神殿マウンド。紀元前1000年から800年までの200年で建設されている。高さ10-15mだが、南北1400m*東西399m、体積に至っては370万&#13221;と見た目以上に巨大な神殿

    発見された巨大神殿マウンド。紀元前1000年から800年までの200年で建設されている。高さ10-15mだが、南北1400m*東西399m、体積に至っては370万㎥と見た目以上に巨大な神殿

  • メインの神殿の建設年代は、同位体測定の時代編年では紀元前1000年から紀元前800年

    メインの神殿の建設年代は、同位体測定の時代編年では紀元前1000年から紀元前800年

  • 区画に分けられた地層からは化粧漆喰が施された美しい床などが発見されている。これも紀元前1000年から800年頃の地層。

    区画に分けられた地層からは化粧漆喰が施された美しい床などが発見されている。これも紀元前1000年から800年頃の地層。

  • 発掘された動物の土偶は自然的な造形にとどまっている。オルメカ的なジャガーとの半獣のような王権との融合を示すスタイルにはなっていない。

    発掘された動物の土偶は自然的な造形にとどまっている。オルメカ的なジャガーとの半獣のような王権との融合を示すスタイルにはなっていない。

  • コロナ感染者は日々増加中。。。未だピークアウトした兆候は見られない。

    コロナ感染者は日々増加中。。。未だピークアウトした兆候は見られない。

  • 日々の死者数の推移。死者数もまたピークアウトを迎えていない。

    日々の死者数の推移。死者数もまたピークアウトを迎えていない。

  • 新規罹患者数(オレンジ)と回復者数(緑)の比較グラフ。未だ感染者の方が多いままに推移。。。<br /><br />政府は8月をピークアウトと言っているが、この調子だと現実味を帯びているように思う。8月にビークを迎えてその後減少していくのではないか。。。そうあってほしい。

    新規罹患者数(オレンジ)と回復者数(緑)の比較グラフ。未だ感染者の方が多いままに推移。。。

    政府は8月をピークアウトと言っているが、この調子だと現実味を帯びているように思う。8月にビークを迎えてその後減少していくのではないか。。。そうあってほしい。

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