2001/02/22 - 2001/02/22
491位(同エリア575件中)
覇王樹さん
2001年の旅行で、アルベロベッロだけアップしていなかった。だいぶ昔のこととなってしまったが、改めてアルベロベッロに行ったときの記憶を掘り起こす。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マルティナからアルベロベッロへはこの列車で。
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アルベロベッロはマルティナからは列車でわずか十五分という距離にある。アルベロベッロの駅では列車を降りるときに入れ違いに日本人観光客の団体が乗り込んできた。この町に来る日本人は少なからずいるということであろう。この町も世界遺産に登録されており、観光客が数多く訪れていることは容易に想像できる。アルベロベッロの駅前はごく普通の町であるが、駅から十分も歩くとトゥルッリの集落に着く(駅を出て左手の近道を通ると五分)。
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まずはリオーネ・モンティ地区へと向かう。本来トゥルッロは農村の独立住居であったが、アルベロベッロだけ高密度に密集した集落形態となっている。
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ここがアルベロベッロの観光の中心。アルベロベッロのトゥルッリは全部で1430戸あるとされる。
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オフシーズンなので観光客は少ない。
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朝九時前だというのに、早速日本語で呼び込みを受けてしまった。
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トゥルッリの屋根の模様には魔除けなどの意味がある。シーズンともなれば日本人観光客は大挙してこの町に来ているのであろう。
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遠目にはとんがり屋根が密集する異様な風景である。
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当時としても第一級の観光地であったが、冬は観光客もいない
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16世紀にまだ余り人の住んでいなかったムルジャ地域に農民が集まり、密集した植民地を形成した。これが現在のモンティ地区である。17世紀にこの地を支配したジローラモ伯が暴君として君臨し、家屋に掛かる税金逃れのために取り壊し自在な石造家屋を増やしていったのである。当時は漆喰を使うことはなかったが、18世紀末にアルベロベッロという独立都市になったときに初めて漆喰が使われたのである。
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白壁のプラスター塗り。面積が大きいので結構大変な作業
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トゥルッロ形式のサンタントニオ教会
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この教会は比較的新しいもの。アルベロベッロの景観に合わせてトゥルッロ様式となっているのである。
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市役所前広場。街路樹の刈り込み方が面白い。イタリアではなぜか四角く刈り込む。
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アイア・ピッコラ地区に移動。
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路地裏のフィアット500(う~ん、イタリア)。
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こちらは本当に人影がない。
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アイア・ピッコラの方がのんびりと街歩きできる。
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但し、当時はほとんどお土産屋は無し。
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トゥルッロ・ソヴラーノ、数少ない2階建てトゥルッロ。アルベロベッロの歴史的建造物である。
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