2020/04/26 - 2020/04/26
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ドがつく無能さん
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2020年4月26日。
自粛要請の続く静かな大阪の街を歩いた。
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緊急事態宣言の発令から随分と日が経った。週末のテレビでは繁華街の閑散とした様子を伝えるのが定番になっていた。一方で「自粛疲れ」という言葉もすっかり一般化し、その日、朝のニュースは鎌倉の海沿いに現れた都内ナンバーの車列に苦言をならべたてていた。
仕事にさほど影響の出ていない私は家に籠る必要もなく、世間の人達に比べれば気楽な日々を過ごしていたと思う。それでも、毎週のように飲み歩いていた大阪の街なかをテレビの画面越しにばかり見ていると、この街が果たして実在するものか、あるいは外国のように遠く離れたものなのか、なにやら覚束なくなってきた。職場の前を流れる淀川の堤防をジョギングする人達が日に日に増えて密になってゆく平日の光景を、言い訳のように思い出し、いっそ閑散とした繁華街を歩いてみようと思いついた。府知事が自粛要請に従わないパチンコ店の名前を公表したばかりの週末、4月26日の日曜日だった。
飲み物は家から携行し、店には入らず、人との距離は空けるなど、自分なりの物理的なルールを決めて自宅からひたすら歩こうと思った。不要不急と指摘されれば頷くほかない。自分の行為ひとつに、まるで国内情勢がゆだねられているかのような仮説、つまり「もし自分と同じ行動を全ての人がしたならば」といった信仰めいた文言を、振り払えないままに引き摺って、普段と変わらぬ地元の商店街を少し緊張しながら通り抜けた。
道で見かけるマスク姿の人達もどこか人の目を気にしているように思えるのは、私の自意識の投影だろうか。意気揚々と自転車で駆け回っているのは、需要が増えているだろうUber Eatsの配達員だ。
歩きついた堀江はファッションと家具の街として有名だが、高層マンションが多く建ち、若い核家族の住民も多い。公園には子を遊ばせる親子連れがいるものの、普段それに混じって休憩している買物客は、ほとんど見当たらない。リードを外された小型犬と物心つく前の子供だけが自由だった。 -
(三角公園傍のチーズホットドッグ屋はマスク専売店になっていた)
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四ツ橋筋をわたりアメリカ村に入る。三角公園にいたのは、キャップを被った老人とマスク姿の若者がひとり。街頭ビジョンから流れる音声が、人波にのまれることなく響いていた。開いている店は普段の四分の一といったところか。ワイドショーに好まれる若者達がどれだけ不謹慎を貫こうとしても、店が閉まれば街はこの有り様だ。 -
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御堂筋には車がいない。心斎橋筋もまた静かだった。「マスクあります」と掲げられた衣料品店の店頭では、一枚あたり70円ほどの不織布のマスクとともに、黒い布マスクを売っていた。こちらは二枚で600円ほど。この騒ぎを機に日本でも定着しつつある黒マスクだが、そのファッションの先駆者だった韓国人や中国人の旅行者も長らく見かけない。 -
(道頓堀の免税店にもマスクが積まれていた)
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ここ数年、ミナミはすっかりインバウンドの街だった。歩けば聞こえてくるのは中国語と韓国語ばかり、と愚痴っぽく語る人も大阪には沢山いたが、ようやく東アジアの観光地らしくなってきた街の様子を私は楽しんでいたし、良くも悪くも時に連れられるように変わってきた商店が、旅行者からもたらされる利益を享受していたことは否定できない事実である。
道頓堀商店街を東に抜けた堺筋には毎夜大型バスが乗り付け、海外からのツアー客の乗降でごった返していた。そのすぐ北東には、道頓堀に名を残す安井道頓の顕彰碑だけを取り囲むようにして、巨大な免税店が建っている。ここから東に広がる島之内一帯は、旅行者と在留者むけの中国、朝鮮料理屋が建ち並ぶ。普段は店員も客も中国人ばかりだったのが、日本人の客しかいなくなったのが一月以上前のこと。店員が不織布の防護服を着て忍んでいたタピオカドリンク屋も、ついに店を閉めていた。今やいくら歩いても、どこの言語も聞こえてこない。 -
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(大手ドラッグストアには見当たらないマスクも、インバウンド向けの薬局には並んでいる。曰く、マスクは「人としてマナーです」)
道頓堀川を再び渡った橋のたもとで、ホームレスらしき男性がゴミ箱を漁っていた。取り出した紙パックのお茶を飲むその人を見て、なにか声をかけようかと迷いつつ、通りすぎた。
文楽劇場に近いラブホテル街に目をやると、ホテヘル嬢と客らしき組み合わせが歩いていくのが見えた。 -
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千日前通りを西に進み、アムザの角を南へ折れる。居並ぶ大型パチンコ店は自粛中、なんばグランド花月も当然閉めている。その向かいのドンキホーテでは入口すぐにマスクが陳列されていたが、数人の客たちはそれを手にとらずただ眺めている様子だった。トイレットペーパー騒動やマスクのネット転売が懐かしく思える今だ。マスクの効果も価格の相場も断定できない程度に、私達は冷静なのだと感じた。
ウイルスも、経済の停滞も、個人にとっては実に静かな脅威である。ではこの静けさに鳴り響くのは、一体だれの声なのか。 -
(200円のガチャガチャでマスク一枚。安心も緊張もあるものか)
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日本橋まで来ると空気は緩和してみえた。自粛要請の影響を受けない業種が多いからだろうか。閉めている店も多く、人も普段より遥かに少ないが、しばらく歩いてきた飲食店街に比べると幾分ましに感じられる。テレワークの拡大で中古ノートパソコンが値上がりしているとどこかで聞いたが、そんな機器需要の影響もあるのだろうか。 -
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堺筋を南下して新世界に入る。通天閣の下もまた驚くほどに静かである。 -
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Twitterの一部で話題になっていた、新世界国際劇場の手書き映画看板を見た。先の見えない苦境のなかで、この力強いユーモアを前面に打ち出してくる姿勢には敬服するしかない。写真を撮りつつ眺めていると、この建物自体が手書き看板に見合うだけの確たるデザインを有していることに気づかされる。 -
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新世界の串カツ屋は軒並み休んでいる。ジャンジャン町の有名店にも観光客の行列はない。JRの高架をくぐったところでは、年期の入ったギター弾き語りの男性がいつものように酔客と歓談していた。ギターのイントロを聴きながら信号を待って、横断歩道を南へ渡る。 -
(ジャンジャン町のとある店の側面で)
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ここから延びる動物園前一番街では、近年、中国出身の女性がカウンターに立つカラオケ居酒屋が急増し、古い商店街を賑わせていた。当初は高齢化したこの街の地元客が多かったが、最近は他地域から比較的若い客も来るようになっていた。かく言う私もその一人で、店の女の子に中国語の歌や文化を教えてもらったり、手近な国際交流の場所として、私の地理にしかと位置づけられていた。
一方でこうした店の急増は、以前を知る人達の一部に反発を生んだのも事実であり、時としてそれはレイシズムと相まって、偏見や憶測を含んだ誹謗中傷の的となった。中国から始まった今回のコロナ禍が更なる攻撃をよばないか、私は懸念する。
ネット上には、自粛要請を無視した中国カラオケ居酒屋が今も多くの客で賑わっている、といったカキコミも見かけられた。それでも実際に商店街を歩いてみると、八割がたの店は閉まっているし、開いている店にも客はまばらだった。日本での感染拡大が話題にあがる以前から、故郷で先行した疫病に強い危機感をもっていたのは、店に立つ彼女達だった。開けているわずかな店も、営業中の日本人経営の店と同様に、自粛と補償の釣り合わない天秤を思いながらの苦しい判断ではないかと思う。 -
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商店街を抜けて東に向くと飛田新地である。こちらは料理組合の申し合わせで一斉自粛を決めたことがニュースになっていたとおり、営業している店は一つもない。全ての引戸は、組合が用意したと思われる何パターンかの貼紙で封じられていた。
ニュース記事で組合の関係者が語っていた「どうぞ街並みを写真におさめてください」という言葉を思い出し、普段はじっくりと眺めることのできない歴史ある建築を、ここぞとばかりに観察する。遊廓の風情そのままの純和風建築もあれば、丸窓のついたモダンなデザインもある。狭い間口であってもそれぞれ異なる欄間の装飾に、建物の誇りを感じる。しかしそれ以上に強く心惹かれたのは、ずらりと並ぶ定型の看板に書かれた、店の名前たちだった。
一対一の人間の、わずか数十分間の関係を売るこれらの料亭についた名前が、商売上どのような意味をもつのか私にはわからない。それでもこれまで歩いて見てきたように、街のすべてが眠ることを要請されている今、軒先に掲げられたそれぞれの名前だけが、一つの眠りの内に統合されることを拒否しているように感じられたのだ。
来た道を歩き戻りながら確認したのは、やはり大阪はここにあるということだった。テレビカメラが撮影し、画面に投影するより以前に、今も街は眠ったふりをしながら存在している。一月ほど前まで、賑やかな街の様子を撮影し、彩度をどぎつく上乗せして、プロジェクションマッピングのように過剰な投影を街にしてきたマスメディアは、今や真白な光を投影しながら、眠ることを声高に要求する。真白な光はサーチライトと化して、動いているものを照らし出し、メディアを通してしか街を見られなくなった私達視聴者はそれに釘付けになる。
自粛要請というそもそも矛盾をはらんだ言葉に効力をもたせるにあたって、照らし出されたパチンコ店に名前があったことは、府知事にとってさぞ喜ばしいことだっただろう。暴力に裏づけられた強権もなく、民主的に強権を預けられるほどの信任もなく、財政出動にも及び腰な為政者が期待するのは市民同士の相互監視であって、その吊し上げのためには名前こそが必要なのだ。
「もし自分と同じ行動を全ての人がしたならば」。仮定の言葉と現実のギャップのなかで、私達は不安と苛立ちを増幅させられる。
運動不足のたたる下半身に痛みを感じながら、ようやく自宅にたどり着いた頃には日も暮れていた。テレビをつけて消して、私の生活に連続する大阪の街をあらためて思い返した。一月以上前の記憶と今日の記憶。そこでは一つ一つの光景が、帰納的に街をつくってゆくのだった。 -
(地元の衣料品店では靴下に紛れてマスクが売られていた)
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