2015/03/21 - 2015/03/28
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nasunoさん
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仕事も部分就労となり、少し時間が出来たので歩き遍路を思い立ちました。春と秋に約1週間づつの区切り打ちで歩く予定です。
生まれ育った四国の再発見、少しは故郷への恩返しにもなるのかなと思い。
また、亡き母が廻っていたこともあり、自分の足で四国一周をしたいと思い。
・3月21日 自宅→羽田→徳島 【民宿阿波】
・3月22日 1番霊山寺~6番安楽寺 【安楽寺宿坊】
・3月23日 7番十楽寺~11番藤井寺 【旅館吉野】
・3月24日 12番焼山寺 【民宿明日香】
・3月25日 13番大日寺~17番井戸寺 【ビジネスホテルニュー東洋】
・3月26日 18番恩山寺~19番立江寺 【民宿金子や】
・3月27日 20番鶴林寺~22番平等寺 【民宿ゆき荘】
・3月28日 23番薬王寺 日和佐→徳島→羽田→自宅
「88ヶ所について」
今から約1,200年前、弘法大師が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場です。後に高弟が遍歴したのが霊場巡りの始まりと伝えられています。
人間には煩悩が88あり、霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いがかなうと言われてます。
阿波で脚を固め(発心の道場)、土佐で心落ち着け(修行の道場)、伊予で信に入って(菩提の道場)、讃岐で諸願成就する(涅槃の道場)、最後に、高野山奥の院参拝で大願成就すると言われてます。(旅ネット四国より)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
3月21日(土)
自宅~羽田~徳島へ
1番札所「霊山寺」のJR坂東駅に到着です。17時15分 -
霊山寺の門前通りです。両脇には数軒民宿があります。
-
この日の宿はその一つ「民宿阿波」です。
-
この日泊まり5人だったかな。
夕食の時皆さん何処から来たのか聞いたのですが?。 -
3月22日(日)
6時過ぎから恒例の散歩に。
大麻比古神社へ、お賽銭を入れ歩き遍路の安全を。 -
ドイツ館です。
第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵の収容書所が坂東にあり、地元民との交流を深めました。ドイツ兵は「交響曲第九番」をアジアで初めてコンサートとして全楽章演奏しました。
興味のある方昔は http://doitsukan.com/what.html
ドイツビールも有ります。
昔四国に転勤中、家族で訪れたのですが殆ど忘れています。 -
宿に戻り朝食です。私が最後でした。7時
1泊2食7,200円+お酒1,200円 -
食事後、1番札所「霊山寺」へ。7時35分 歩き遍路の始まりです。
天平の頃、行基菩薩が開基した寺です。
詠歌「霊山の 釈迦のみ前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり」
巡拝の順序
・山門や仁王門に一礼して境内へ入る。
・水屋で口をすすぎ、手を洗う。
・鐘楼で鐘を撞く。
・本堂の納札箱に納め札、写経を納める。
・お灯明、線香、賽銭をあげる。
・合掌し、心静かに読経(御詠歌、回向文など)する。
・大師堂へ行き、本堂と同様に参拝する。
・納経所で納経帳に朱印をもらう。
納経所は朝7時~17時までです。お勤めに20-30分かかるので先に記帳したことも。 -
霊山寺のお参りが済み歩き遍路のスタートです。8時15分
遍路用品はネットで購入しました。輪げさ、山谷袋、納経帳、白衣、菅笠他 約17,000円(旅ネット四国にて:https://www.junpai.co.jp/)
霊山寺では足りないを用品を買いました。 -
2番札所「極楽寺」。8時35分着
行基菩薩が開基した寺と伝えられています。
詠歌「極楽の 弥陀の浄土へ行きたくば 南無あみだぶつ 口ぐせにせよ」
-
極楽寺
-
大師お手植えとされる?長命杉。
直接触れず紅白の紐を通じて霊気を授かります。 -
3番札所「金泉寺」へ。9時
「四国のみち」は遍路道とだいたい重なっています。
赤い矢印が遍路札で歩き遍路の道案内になります。これを見落とすと道を間違えたりします。ただ、場所によっては無かったりして。(故意に剥がしてあったり) -
3番札所「金泉寺」。9時40分着、6,600歩
天平の頃、行基菩薩が開基した寺です。(金光明寺)
詠歌「極楽の たからの池を思えたべ こがねの水 すみたたえたる」
大師が水不足で苦しむ村人を見て井戸をを掘り、霊水が出たので金泉寺と改める。 -
金泉寺
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12支のご本尊が書いてあります。
-
4番札所「大日寺」へ
-
4番札所「大日寺」。11時32分着。
大師が開基したと伝えられています。
詠歌「眺むれば 月白砂の夜半なれや ただ黒谷に 墨ぞめの袖」 -
「大日寺」
-
5番札所「地蔵寺」。12時25分着。
嵯峨天皇の勅願により大師が開創したとされる。
詠歌「六道の 能化の地蔵大ぼさつ みちびき給え この世のちの世」
地蔵寺を打った後、コンビニ弁当で昼食。 -
カーブミラーで自撮り。
金剛杖は購入せずにストックです。(前年オーストリアハイキングでトップオブチロルのロープウェイ駅で購入)
金剛杖は長いので飛行機の機内に持ち込めず、手荷物に預けなければなりません。
次の区切り打ちからはストックは1本にしました。 -
別格20ヶ所「大山寺」の案内。
88ヶ所と合わせて108ヶ所になります。
四国100名山を登っている時に、何でこんな山の上に立派なお寺があるのだろうと思ってました。 -
6番札所「安楽寺」着。15時00分(今日の合計16.5km、25,200歩)
距離は遍路へんろみち保存協会の地図から、歩数はお寺での歩きを含んでいますので参考程度です。
大師が開基した寺です。
詠歌「かりの世に 知行争う無益なり 安楽国の 守護をのぞめよ」
大師お手大植えの「さか松」があります。 -
「安楽寺」
お寺には蜂須賀の殿様が困った遍路に宿を貸し、ご馳走もしてやれという文書が保存されています。(安土桃山時代の慶長3年1598年) -
今日の宿は安楽寺の宿坊です。(安楽寺宿坊までは出発前に予約しました。)
もちろん宿坊は初めてですが新しくて綺麗です。
お寺に泊まることを「参籠」とか「おこもり」と言います。 -
安楽寺の宿坊。
翌朝は6時?から本堂でお勤め(修行)がありました。(他言無用の「くす供養」)
宿坊の中にはお勤めのないお寺もありました。
1泊2食7,200円+1,200円(お酒) -
3月23日(月)
宿坊を7時に出発し7番札所「十楽寺」に到着。7時35分、
大師が開基した寺です。
詠歌「人間の 八苦を早く離れなば 到らん方は九品 十楽」 -
「十楽寺」
-
熊谷寺仁王門 8時45分
江戸期(1687年建立)の山門で四国随一の大きさです。 -
8番札所「熊谷寺」着。 8時55分
大師が建立された寺です。
詠歌「薪とり 水くま谷の寺に来て 難行するも 後の世のため」 -
「熊谷寺」
-
9番札所「法輪寺」着。 9時55分、12,200歩
大師が開基された寺です。
詠歌「大乗の ひほうも科もひるがえし 転法輪の 縁とこそきけ」 -
「法輪寺」
-
10番札所「切幡寺」着。 11時10分、18,000歩
山門を過ぎると333段の階段が待っていました。
切幡寺の階段は合計450段あり88ヶ所中2番目です。足の不自由な方は大変です。
普通、お寺は山門を入って本堂に登って行きますが、下るのは無限地獄に落ちるとして珍しいそうです。(48番「西林寺」と82番「根来寺」のみ) -
途中に厄除け坂があり、両脇にはさい銭が置いてありました。
-
「切幡寺」
大師が建立された寺です。
詠歌「欲心を ただ一すじに切幡寺 後の世までの 障りとぞなる」 -
「切幡寺」からこれから歩く吉野川の対岸の眺め。
-
切幡寺の手前からは、歩き遍路2回目の方と同行です。
吉野川 中州の沈下橋を過ぎます。13時43分
橋を渡りうどん亭で遅い昼食、1080円。腹が減っておりなんでも美味しい。 -
11番札所「藤井寺」着。14時55分、32,400歩、21.7km
大師が建立された寺です。
詠歌「色も香も 無比中道の藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし」 -
「藤井寺」
藤井寺は珍しく曹洞宗で、私も家内の実家も曹洞宗です。
境内には沢山の藤が植えてあります。 -
「藤井寺」
下は明日歩く焼山寺への遍路道の入り口。 -
今日のお宿「旅館吉野」着。15時30分
-
部屋に洗面所があるのは珍しい。民宿はほとんどトイレ・洗面所は共用です。
この日は8人位?泊まっていました。
その中に70才以上の赤札の方がいました。その方は海外旅行より楽しいと。(お金・暇・体力が必需品) -
3月24日(火)
宿を6時50分に出発しました。
焼山寺へは歩き遍路で一番の「遍路ころがし」の難所です。
下は「丁石」でお寺までの距離が刻んであります。焼山寺までは83丁(約9km)と。7時52分
「1丁=6尺を1間として60間≒109.08m」 -
「長戸庵」8時30分 小休止
振り返って、何人か着きました。 -
「1本杉庵」10時30分 小休止
-
「焼山寺」への途中、11時11分
四国は本当に山の上に住んでいます。梅が満開です。 -
やっと「焼山寺」の入り口に付きました。12時17分
思っていたより登り・下りと歩き甲斐がありました。
遍路ころがしと言われるのを納得です。 -
12番札所「焼山寺」着。12時23分
-
山門の仁王像。阿形か吽形か、口元が?
昔は朱色の漆塗りで鮮やかだったのでしよう?。 -
「焼山寺」
役行者小角が開基。(伝説的な人物)
詠歌「のちの世を 思えば苦行焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」 -
焼山寺で休憩中に若い女性遍路がいたので声をかけましたが日本語が通じません。
何と台湾の方でした。確か名前はリーさんと?。よく一人で歩かれると感心しました。リーさんは1日の歩く距離は35km以内にしていると言っていました。
写真右がリーさんのリュック?。私のリュックは約10kgです。 -
「焼山寺」を打った後は今日の宿へ向かいます。
立派な石垣です。四国の石垣では丸亀城、宇和島の遊子(ゆす)の段々畑が一番です。「耕して天に至る」と言う言葉は知っていましたが。遊子の段々畑を納得しました。。昔の人は本当に偉いです。
私の幼なじみが遊子に嫁ぎ、民宿「段畑さの屋」をやっています。
http://danbatasanoya.syuriken.jp/
(還暦の同級会で何十年ぶりかで再会して知りました)
テレビ朝日の「ごはんジャパン」で段々畑のジャガイモが放送されました。 -
満開の梅?。
-
今日の宿「民宿明日香」着。15時30分、24.2km、38,600歩
宿のお風呂は、隣にある神山温泉で入ります。
この日の泊りは4人位でした。その中に焼山寺の登りで見かけた女性と同宿になりました。確か横浜?から来られていると。翌日、暫く同行しました。
靴は東京のデパートで買ったそうで、田部井淳子さんと同じだそうです。靴敷きも型をとり1~2万円?もかかったと。(アルカの靴)
歩き遍路にとって靴が一番大事で、履き慣れたのが一番です。私もこの後、新しい靴を履いて歩いた時に、親指2本が黒くなり死んでしまったことも。 -
「大日寺」へ
遍路休憩所。お接待の果物が置いてあったり、ノートには色々な思いでが書いてあります。 -
「大日寺」へ 11時
鮎食川の沈下橋 -
13番札所「大日寺」着。11時05分、21,500歩
大師が開基された寺です。
詠歌「阿波の国 一の宮とはゆうだすき かけてたのめや この世後の世」 -
「大日寺」
-
14番札所「常楽寺」着。12時10分
大師が開基された寺です。
詠歌「常楽の 岸にはいつか到らまし 弘誓の船に 乗りおくれずば」
境内には大きな岩が広がっています。 -
「常楽寺」
常楽寺には四国唯一と言われるものがあります。
・本尊の弥勒菩薩像
・流水岩の庭
・社会施設の常楽園 -
15番札所「国分寺」着。12時38分
-
「国分寺」
聖武天皇の勅命で行基菩薩が建立したお寺です。
詠歌「薄く濃く わけわけ色を染めぬれば 流転生死の 秋のもみじは」
国分寺と言う名前のお寺は各県に一つづつ(計4寺)あります。 -
16番札所「観音寺」着。13時30分、30,000歩
聖武天皇の勅命道場として基菩薩が建立したお寺です。
詠歌「忘れずも 導きたまへ観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ」 -
17番札所「井戸寺」着。14時20分
天武天皇の勅命道場として674年に開基されたそうです。
詠歌「おもかげを 映してみれば井戸の水 むすべば胸の 垢やおちなむ」
境内には、大師の一夜建立の井戸があり、覗いて姿が映れば無病息災と言われています。もし映らなければ・・・怖い?。
私は記憶に無いので、覗いていないのでしよう。 -
18番札所「恩山寺」へ。
徳島市内に入ります。15時 この頃から疲れてきて、道路の凸凹が足裏に響いて痛くなりました。(宿に着くと、足の豆を安全ピンで潰すのが日課です。)
アップしていて思い出したのですが、しばらくアメリカ在住の日本人の方と同行しました。ワシントンで日本料理店を経営していて??大統領も来たそうです。お店は子供達に任せて歩き遍路に来たそうです。
今日の宿は「ビジネスホテル東洋」です。ホテル着16時20分、43,500歩、26.5km
コインランドリ-で洗濯をした後は、久しぶりに居酒屋(名前?)に行き、疲れを癒しました。¥4,300円。ビジネスホテル代は4000円で飲み代より安い。 -
3月26日(木) ホテルを7時20分に出発。
18番札所「恩山寺」着。10時15分 15,700歩 -
「恩山寺」
行基菩薩が開基されたお寺です。
詠歌「子をうめる その父母の恩山寺 訪らひがたきことは あらじな」
昔は女人禁制でしたが、大師が17日間にわたる秘法を修し、女人解禁の祈念を成就し、母を寺に招き入れ孝養を尽くされたと。 -
19番札所「立江寺」着。11時45分
行基菩薩が光明皇后の安産を祈念して地蔵菩薩を彫刻し、それを本尊として堂塔を建立したのがはじまりです。
詠歌「いつかさて 西の住居のわが立江 弘誓の船に 乗りて到らむ」 -
「立江寺」
-
四国の田舎は4月3日がひな祭り。
残念ながらここには立ち寄りませんでした。 -
今日の宿「民宿金子や」に到着です。15時37分、計24.7km、計37,600歩
-
「民宿金子や」
1泊2食¥7,452円(お酒+弁当) -
3月27日(金)
「民宿金子や」を7時5分に出発し、鶴林寺へ。
珍しい茅葺の遍路休憩所。7時20分 -
鶴林寺へ。7時34分
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鶴林寺へ。8時5分
見晴らしの良い場所で小休止です。下を流れるのは勝浦川。 -
20番札所「鶴林寺」着。8時20分
-
鶴林寺の美しい苔。
-
「鶴林寺」
桓武天皇の勅願により大師が開創されたお寺です。
詠歌「しげりつる 鶴の林をしるべにて 大師ぞ居ます 地蔵帝釈」 -
「鶴林寺」
大師が修行中に、雌雄2羽の白鶴が黄金の地蔵菩薩を守護しながら老杉の梢から舞い降りるのを見たとされる。 -
「鶴林寺」から「太龍寺」へ。永井橋:9時33分 10,200歩
那賀川の水がきれいです。 -
大師は水銀を探して歩いていたと言う一説もあるのですが?。
この四国のみち深山幽谷に若杉山遺跡があり、日本最古の辰砂遺跡があります。
辰砂:水銀朱(HgS)は赤い顔料として、縄文時代から土器に塗られていました。
「中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことから、「辰砂」と呼ばれるようになった。日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは伊勢国丹生(現在の三重県多気町)、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川上流などが特産地として知られた。
辰砂を空気中で 400~600 °C に加熱すると、水銀蒸気と亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が生じる。この水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀を精製する。」
(資料:ウィキペディア) -
「太龍寺」へ
-
21番札所「太龍寺」着。10時55分、16,800歩。
大師が開基されたお寺です。
詠歌「太竜の 常にすむぞや げに岩屋 舎人聞持は 守護のためなり」
西の高野山と言われています。舎心ケ獄の岸壁に大師の座像がありますが行ってません。 -
「太龍寺」の竜天井。
安芸出身の竹村松嶺の大作です。少し色褪せてきています。(明治34年) -
「太龍寺」
-
阿瀬比の遍路休憩所。13時15分
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22番札所「平等寺」着。14時40分 34,000歩
-
「平等寺」
大師が建立されたお寺です。
詠歌「平等に へだてのなきと聞く時は あらたのもしき仏とぞみる」 -
宿の手前の浜辺にて。17時55分
右の大砲は?。 -
今日の宿「民宿ゆき荘」に到着です。18時着、50,900歩、35km
今日は思ったより遠くて疲れました。今回の区切り打ちで一番歩きました。
この宿はお遍路さんの送迎をしてくれるのですが、確か断ったと。
お風呂は広くて、目の前には海が広がりゆっくりと疲れを癒せました。 -
「民宿ゆき荘」
この日の夕食です。アップする時に久しぶりに見たのですがご馳走です。
泊まった宿のベスト10に入ります。
夕食の時、焼山寺で出会った台湾のリーさん達と再会しました。 -
3月28日 5時57分 部屋からの眺め。
1泊2食 6,500円+1,000円(お酒)、お薦めの宿です。
遍路宿の情報はこちらの情報を参考にしました。
http://www7.plala.or.jp/Henro-Walker/ -
区切り打ちもとうとう最後の日となりました。
7時40分と遅い出発です。リーさん達3人の後を追います。
ずっと山道ばかりだったので、広々と海を見ながらの遍路が気持ち良い。 -
薬王寺へ。
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「薬王寺」へ
途中、洞門が見えたので立ち寄りました。10時05分 -
洞門です。
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徳島は人形浄瑠璃が盛んでした。
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「薬王寺」へ
海も波も空も、美しい。 -
左に日和佐城、右に薬王寺。
-
「薬王寺」へ。10時40分
プールでウミガメが育てられています。
「日和佐うみがめ博物館カレッタ」: caretta-hiwasa.com -
「薬王寺」へ
ここ「大浜海岸」はアカウミガメが産卵に上陸します。 -
「薬王寺」へ
やくよけ橋と日和佐城 10時53分 -
23番札所「薬王寺」着。11時00分、16,100歩
大分のMさん、リーさん達3人と門前で出会い、写真を撮ってお別れしました。
(約1か月後、Mさんからメールがあり、リーさんとはずっと一緒に歩いていると。フランス人の男性は、今治からしまなみ海道を歩き広島へ行くのでお別れしたそうです。リーさんとはたぶん一緒に結願するだろうと。
旅行記を投稿したので、Mさんにメールをしましたが届きません。アドレスが変わったのかな?)
<5月9日追記>
メールで連絡が取れました。李さんとは4月28日に無事結願されたそうです。
また、2年前の2018年5月には巡礼の道を歩かれたそうです。(約1か月)
昨年の12月に台湾を訪れ李さんと再会されたそうです。(大理石の渓谷、太魯閣を歩かれたと) -
「薬王寺」
平城天皇が大師に、衆生の厄除け祈願時をの勅命を下し、開山された。
詠歌「皆人の やみぬる年の 薬王寺 るりの薬を あたへまします」
厄坂の石段は、厄年の石段を踏んで1円づつ置いて行きます。(アップするまで知りませんでした。) -
薬王寺からの日和佐城
-
薬王寺を打った後、近くのうどん屋さんでおでん、ビールで区切り打ちの疲れを癒しました。¥1,800円
電車の時間もあり日和佐城へ来ました。12時50分、27,900歩 -
日和佐城から歩いて来た大浜海岸を望む。
今回、無事に1回目の区切り打ちが終わりました。一度も雨に合わず天候に恵まれた遍路歩きでした。色々な方との一期一会がありました・・・。
家に帰るのが残念でもう少し歩きたいと思いました。区切り打ちの都度、帰る日はいつも名残り惜しくなります。
拙い旅行記最後までご覧いただきありがとうございます。続きもまたアップする予定です。
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