2018/11/14 - 2018/11/14
624位(同エリア1253件中)
三峯霧美さん
平日に休めと会社がいうんで、休暇を取ることになった一日。
さて、どこに出かけようかと悩んだ末に、山梨の御朱印巡りをすることにしました。
気合が足らず寝坊して、予定より一時間遅れて出発。
おかげで朝の渋滞に巻き込まれずに、中央道を快適に走って勝沼へ。
午前中は笛吹市の甲斐国一宮浅間神社、酒折宮、甲斐善光寺と進みます。
お天気に恵まれて、ドライブも楽し。
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中央道勝沼インターで降りて勝沼バイパスを西へ進むと、右側に大きな鳥居が見えてきます。これが甲斐國一宮浅間神社の一の鳥居。
鳥居の道を進むと突当りが神社です。
10:00 駐車場到着
一の鳥居は神社前から撮影。浅間神社 寺・神社・教会
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甲斐国一宮 浅間神社 あさまじんじゃ
式内社の甲斐国八代郡浅間神社の論社の一つ。
河口湖町にある浅間神社も論社で、どちらが式内社なのか、決定的な資料は無いようです。
平日だから、静かです。 -
随神門
864年(貞観6年)の富士山の大噴火の被害は酷く、噴火は駿河国浅間名神の祭祀が怠慢だったからと占いに出たので、甲斐国でも祭祀することになり、865年に八代郡と山梨郡に浅間神社を建てたという記録が残っています。 -
ピンク色の桃の桃みくじが置いてありました。
この辺りは桃の名産地ですね、生産量日本一だそうで、桃の花が咲く時期は桃源郷のごとく、来てみたいな。 -
授与所の前の亀の松 樹齢二百年、古くは鶴の松もあり、対になっていたそうですよ。
緋毛氈の台があるのは、七五三の参拝客用です。
明日は11月15日、晴れ着を来た女の子の家族が参拝に来ていました。いいお天気で良かった。 -
参道を進み左側に建つ拝殿 本殿と拝殿は東向きに建ちます。
富士山を祀る神社なのに、山が邪魔して富士山は見えないし、本殿も拝殿も富士山にそっぽを向てて建ってるんですね。 -
手水舎
垂仁天皇8年(二千年くらい前)に摂社になっている山宮神社がまつられたのが起源と伝わります。 -
女神の井戸
境内の井戸が枯れてしまい、新たに掘った井戸水。
盥盤は1735年に奉納されたものだそうです。
手水舎の水はこの井戸水を使っているそうです。 -
拝殿 1672年に造られました。
祭神 木花開耶姫命 -
私の浅間神社巡り、一時の勢いはどこへやらですが、やっと甲府盆地に来ることができました。
最近、気合が足らん。 -
富士山の写真が奉納されていました。
山梨県の方々に、富士山の裏側って言ってはダメです、怒られます。
富士山って見る方向によって、結構形が違うものなんです。山梨側の姿は美しいですね。・・・ここから見えないけど。 -
神楽殿
甲府盆地は川の氾濫が頻発する地域で、古くは定住困難地域でした。
武田信玄は「信玄堤」を作り、治水を行います。
浅間神社では堤防の安全を祈願する大神幸祭が行われてきました。 -
拝殿の横、御神輿倉の奥に七社
最近綺麗に整えたようです。 -
さらに進むと「十二支参り」があります。
入り口は祓い門 はらへもん
厄災と災難が祓われて、神の御加護がいただけるそうです。 -
ずらっと並んだ干支の石像 今年の干支と自分の干支におまいりします。
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数日前に参拝した熱海の来宮神社のように、女子受けするイベント的なものがあると、マスコミに取り上げられて、参拝者が増えます。
神社も頑張ってますね。
ちなみに、ここ数年は「縁結び」がキーワードです。 -
富士石 お賽銭は帽子のようにちょこんと乗ってる賽銭入れへ。
う~~ん。もうちょっと置き場所、なんとかならなかったのかな?? -
成就石と本殿
成就石の前に立って本殿に向かって祓い言葉を言って、成就石の上で本殿をお参りすすると、願い事が成就するそうです。
やってみました。 -
稲荷社
看板によると、甲斐市の日立製作所甲府工場にあった日立浅間神社(境内にあったもの)を移築したとあります。
半導体工場だった日立甲府工場は後にルネサス甲府になりますが、そこも閉鎖されたようですね。 -
七社のなかの稲荷大神を分霊して、稲荷社として祀っているそうです。
神社で日本の半導体産業の斜陽化が見れるとは・・。 -
神明社
祭神 天照皇大神 -
真貞社
伴直真貞公を祀ります。
浅間神社創祀の際、浅間明神が伴真貞に神がかりし、甲斐に神社を作ることを求めたため、真貞を祝として神宮を建てたと伝わります。
社家の祖だということです。 -
夫婦ウメと本殿
山梨県指定天然記念物でこの梅の実は二つの実がくっついているので、祈願すると子宝に恵まれるんだそうですよ。
昇殿参拝して子宝祈願すると梅の実がいただけるそうです。 -
授与所の裏側には 御神田があります。
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境内の南東にある山宮神社遥拝所ヘ。
山宮神社はここから南東方向の山の中にある摂社で、垂仁天皇の時代に創建されたと伝わる元宮。
祭神 大山祇命、瓊瓊杵命
865年に木花開耶姫命だけがこちらに遷座しました。 -
山宮神社も参拝したかったのですが。ここからは歩いては行けません。
神社の方から地図を頂きました。
駐車場は整備されておらず、鳥居横の空き地に停める程度のものだというので、参拝はあきらめました。 -
陰陽石、子授祈願の方はお参りしてみてはいかがでしょうか。
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山梨なので、奉納もワイン。
葡萄酒守というのもあり、ワインボトルにかけて、無病息災、身体健全を祈願するんだそうですよ。 -
平日ということもあり、参拝者も少なく、風も穏やかなお参り日和。
自分の浅間神社巡りが一歩だけ前進しました。
少し気合を入れ直さないといけないなぁ。 -
御朱印を頂きました。
甲斐国一宮 浅間神社
そして山宮神社も、遥拝したので頂いちゃいました。 -
駐車場から山宮神社方面を見る。
いつか行きたい!
山宮神社の近くに観光農園でぶどう狩りしたことがあり、そこからなら歩いて行けそう。
今度ぶどう狩りして、車を置かせてもらおうかな。
10:37 次は甲府市の酒折宮へ向かいます。 -
11:08 酒折宮 一の鳥居
山梨県で唯一、古事記と日本書紀に書かれた神社です。創建時期は不明。
日本武尊が東征の帰路、甲斐国のこの地に立ち寄った行宮がこの神社なんだそうです。 -
一の鳥居の先にJR中央本線の踏切。
日本武尊が片歌で「新治、筑波からここまで、幾晩寝たかな?」と問いかけます。
家臣たちが答えられずにいると、身分の低い焚火番の老人が「かがなべて(日を並べると)九夜(ここのよ)日には十日かかりました」と答えました。言葉遊びですね。 -
酒折宮 さかおりみや
その老人の機知に感激した命は、彼に倭姫命からもらった火打嚢を授け、東国造に任命しました。
その火打嚢を御神体として祀ったのが始まりと伝わります。酒折宮 寺・神社・教会
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鳥居の扁額が割れてますね・・・。
歌のやり取りから連歌発祥の地となり、国文学者や文学者がたくさん訪れたそうです。 -
境内は銀杏の落葉が黄色い絨毯のようです。
元はこの奥の山の中腹に鎮座していて、遷座したと伝わります。
この辺りは古墳や遺跡があるんだそうですよ。 -
拝殿 祭神はもちろん日本武尊
大正5年に社殿が焼失し、昭和17年(1942年)に再建されたものです。 -
この後、社務所のチャイムを押すも、応答も人の気配もなく、お留守でした。
平日に御朱印巡りをすると、ときどきお留守の神社にあたります。
残念、また来なくちゃね。 -
酒折宮寿祝碑
1791年に本居宣長が日本武尊と神社の関係を記録した文章です。
1762年に社殿造営の際に、由緒を記載した石碑もあります。
11:25 参拝する地元の方もいないので、お留守の事情も聞けず、次の目的地に移動です。 -
11:30 甲斐善光寺 定額山 浄智院 善光寺
酒折宮から住宅街を抜けて善光寺通に出ると右手奥に立派な赤い山門が見えてきます。1767年再建甲斐善光寺 寺・神社・教会
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お寺の創建は1558年、武田信玄と上杉謙信の川中島の第三次の戦いの後、信玄は戦火から善光寺の本尊を守るという名目で、甲斐に持ち帰ります。
信仰を集める御本尊は戦利品的な扱いだったかもしれません。
1565年に本堂が完成して、御本尊が安置されました。 -
本堂(金堂)
当初の本堂は、大きさが信濃善光寺と同じものでしたが、1754年に火災で焼失、現在の本堂は1796年に再建されたもので、普請を始めてから30年の月日を要しています。
一回り小さいですが、デザインは長野の善光寺に似ています。
御本尊は善光寺如来 秘仏です。 -
1582年に武田氏が滅亡すると、御本尊は織田氏によってご岐阜へ。
本能寺の変のあとは清州、徳川家康によって浜松に移動し甲斐善光寺に戻されます。
そして秀吉が造った京都の大仏が壊れたので、あとがまとして京都に移動し、1598年に秀吉の病は御本尊の祟りだとして、亡くなる前日に信濃善光寺に戻されました。 -
現在の御本尊の善光寺如来は、信濃善光寺の前立仏として建立したものです。
七年毎に御開帳されます。
本堂は日本一の鳴き龍の天井。
本堂下には信濃善光寺と同じ、お戒壇廻りがあって、真っ暗闇の中にカギに触れることで御本尊と御縁を結ぶことができます。 -
鐘楼 鐘は1313年に鋳造されたもので、信玄によって信濃善光寺から移動させたそうです。
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善光寺大仏 江戸時代に造られたもののようですね。
陽射しが温かく、明るい境内です。
ただ、本堂の中はずっと女性の声の解説がリピートで流れてて、雰囲気をプチ壊してる。
QRコードでも掲出しておけば、静かなのに。
スマホ持ってない人は見れないですが、どうせスマホ持ってない高齢者に何を説明したって、ロクに覚えてません。でも、文句だけは偉そうに言うのでスルーします。ああは、なりたくない。 -
本堂下のお戒壇巡りですが、心の字の形なんだそうで、真っ暗闇で方向感覚がなくなって迷います。
前に歩いていたカップルの男性とぶつかりそうになって、ビビった彼は、大声上げてました。
おいおい、何をそんなにビビっておる、彼女の方がよっぽど肝が据わってて、笑えました。 -
御朱印を頂きました
善光寺如来
お次は、住宅街を抜けて東光寺へ。 -
12:25 東光寺 とうこうじ 法蓋山 東光寺 甲府五山
創建は不明、かなり古いお寺で平安時代に源義光が再興したと伝わります。
鎌倉時代に再興されて東光寺と寺号変更し、戦国時代に武田信玄に庇護され 甲府五山の一つになります。
織田氏の侵攻で焼討。江戸時代は幕府から寺領の安堵を受けます。東光寺 寺・神社・教会
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門の正面にあるのが仏殿。国指定の重要文化財。
室町時代後期の建物で、本尊の薬師如来が安置されているので、薬師堂ともよばれます。 -
仏殿は織田氏の兵火、甲府空襲にも焼け残った貴重な建物です。
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お堂の前は枯山水。
白砂が陽光を反射して、お堂の中が明るくなります。 -
武田信玄は父の信虎を追放したのち、1542年に諏訪へ侵攻し、諏訪頼重の軍と合戦となります。
諏訪頼重は信玄に和睦を申し入れ、頼重とその弟は甲府に身柄を移されて、東光寺に置かれます。後に二人とも自害。 -
信玄の嫡男、武田義信は1565年に父の信玄暗殺を企て、それが発覚して東光寺に幽閉され、2年後に死去しました。
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武田氏の家督は、信玄と諏訪頼重の娘との間に生まれた勝頼が継ぎます。
まあドロドロですよねぇ。父親の仇の側女になるってね、生き延びるためには仕方がなかったのか・・・。
勝頼は、結局、織田と徳川に責められて天目山で自害し、武田氏は滅亡します。 -
以前の本堂は第二次大戦の空襲で焼失、戦後に再建。
鉄筋コンクリート造りです。
お寺には諏訪頼重と武田儀信のお墓があります。 -
本堂の奥は斜面を利用した庭園で、中興した蘭渓道隆作とか。
有料拝観受付の玄関で、人を呼ぶ鐘を鳴らしましたが、誰も現れず、しばし待つ間、門からの前庭を眺めて待ちました。 -
かりんが青空に映えますね。今来るか、今来るかと、待っている時間は長く感じます。結局、どなたも現れず、庭園拝観も御朱印も頂けず。
酒折宮と東光寺と、カラブリ・・・。やっぱ、もう一度おいでって神仏が私に話しかけているようですね。 -
12:55 能成寺 のうじょうじ 定林山 能成寺 甲府五山
お寺の入り口は二か所、迷った末に、タイヤの跡の残る正面参道を入ると駐車場がありました。よかった。
木陰に車を停めたところ、なんか変な音がする。
木陰を作っていた木はどんぐりの木で、風が吹かなくてもどんぐりが落ちて、車に当たってコンコンと音がする。慌てて日向に車を移動させました。能成寺 寺・神社・教会
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本尊は釈迦如来
創建は1345年頃、南北朝時代、甲斐国守護の武田信守によって業海本浄を開山にして笛吹市八代町に創建されます。 -
本堂の前は小さな枯山水。
戦国時代は信玄によって甲府五山の一つに定められ、甲府城下に移転、1592年頃に現在地に移動したと伝わります。 -
本堂は1851年と甲府空襲によって2度焼失。
現在の本堂は昭和に入って再建されたものです。
境内には牡丹が植えられて、開花時期はとても綺麗だそうですよ。 -
御朱印を頂きました。
ん??この御朱印は、見たことがある。そうです、お寺は妙心寺派です。
近くのコンビニのイートインでサンドイッチとコーヒーの軽いランチを取りました。 -
13:36 甲斐奈神社 かいなじんじゃ 式内社論社
伝わるところによれば、綏靖天皇の時代、甲斐国の疏水工事が行われ、この神社の北側にある愛宕山(甲斐奈山と神社は称してます)に白山大神を祀ったのが、この神社の始まり。甲斐奈神社 寺・神社・教会
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陽射しがあふれて暖かい。
古くは白山権現、白山神社と称し、武田信虎が愛宕山を軍事拠点とするために蔵田に移され、1540年ごろに隣接する長禅寺の境内に移り、甲府城の東の守護神として浅間大神が併祀されました。
1868年から甲斐奈神社と名を改めました。 -
祭神 菊理姫命 木花咲耶姫命
1945年繊細で社殿が焼失し復興。本殿と拝殿は2006年に改築されました。 -
命の石
子供に活力を与え、厄年に生まれた子の厄を払うそうです。 -
敷地の端っこに、摂社末社石碑が並んでいます。
甲府市と笛吹市に甲斐奈神社は三社あり、いずれも式内社の論社です。
甲斐国府が笛吹市にあって、甲斐奈神社は総社だったと推定されています。
しかし甲府市にあるこの神社が式内社の甲斐奈神社だったとするのは無理があるのでは?と思いますが、国府跡も見つかっていないですし、結論が出せないようです。 -
神社は石畳と小石が敷き詰められて、土が露出する部分が少ないから、イメージはグレー。整然とした雰囲気で、お手入れも綺麗にされています。
社務所で御朱印を頂きました。
さあ旅の後半は甲府市内、甲府五山と武田神社を廻っていきましょう。
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